1Q84(ichi-kew-hachi-yon)BOOK 3 <10月―12月>
村上春樹
新潮社
大きな黄色い月と、小さな緑のいびつな月。
窓の外、月の方角に視線を送る。
そこには目視で確認できる円形の盆地とそれを取り囲む円環状の山脈でつくられたリム形態のクレーターが無数に点在する灰白色の大きな月と、月に並んでもう1つ、濃いガスに覆われた小さな緑色の星が見えた。
僕たちが「マザ」と呼んでいる、かつては「地球」という名前で呼ばれていたその星は、実際には月の約4倍の直径を持つ天体で、現在の僕たちの位置から月よりも遠くにあるため月よりも小さく見えているらしい。
「マザ」が「地球」と呼ばれていた頃、「マザ」は空中に浮いている青と白のマーブル模様のガラス玉みたいで、キラキラと輝く美しい天体だったいう。はるか過去、「マザ」に人間が暮らしていたというまるでSFのような話にも実感がもてないけど。
あの小説を書いた作家は、今僕が見ているこの風景をどうして知っていたのだろう。
「読書というのは比較的長い時間性の中で行われる継続的な営為だ。」
(from 1Q84)
青豆の真似をして、1日に20ページずつ読もうと思っていたけど、
無理でした。
『1Q84』って、どんな作品?
宿命的な邂逅(かいこう)を描いた、ファンタジックで、リアルで、SFで、ミステリで、ホラーで、ハードボイルドな、究極のロマンス小説。
『1Q84』のストーリーの断片について語ることは、物語を陳腐化させてしまうような気がします。ので、具体的な内容については是非、作品でお楽しみ下さい。
大切なのは、その物語を、
誰が書いたのか、よりも誰が読んだのか、だと思うし、
作者が何を伝えたいのか、よりも読者がどう受けとめたのか、だと思う。
仮に作者の意図が読者に十分に正確に伝わらなかったとしても、「難解さ」は、読者がそれを「なぞなぞ」だと思えば楽しめる。
そして、「なぞなぞ」の正解は無限に存在する。
言葉の浸透力。
以前、村上春樹作品を集中的に読んだ時期があってその時に感じた印象は、村上春樹作品は、読者が自分と対話し、自分を見つめるという作業に集中するための「背景小説」なんだと感じました。そして、やっぱり『1Q84』も感想としては既読の他作品と同様に「背景小説」的な効力を持った作品でした。
<読書中のワーピング例>
『1Q84』に登場する小説『空気さなぎ』の「めくらのやぎ」で村上春樹『めくらやなぎと、眠る女』を連想、目の前に病室の風景があらわれて、過去に家族が入院したときの情景に思考がワープ、お見舞いに行く途中のバスの中の気持ちを思い出したり。
あと、天吾の大柄な体型にレイモンド・カーヴァー氏の面影を重ねてみたり。
他にも『風と共に去りぬ』、『マクベス』、トルストイ、ゴムの木など、BOOK3の作中にも数多くのワーピングポイントがありました。
でも、読書中のワーピングはちょっと大変。気がつくと物理的には数ページも読み進んでいることがあって、もう一度ワーピングポイントまで戻って読み直しが必要な場合があります。
心のあり方を、
風景の眺め方を、
言葉の選び方を、
呼吸のしかたを、
身体の動かし方を、
こんなに簡単なことなのに。
こんなにあるがままの世界なのに。
私が本を読むのを好きだから。
描かれている世界を正確に把握し理解することも必要かもしれないけど、私は『1Q84』を理解や把握という作業よりもむしろ「心を委ねる」という感覚で読むことができました。そして、物語を読むという行為から生まれる「何か」、たとえば、前に進むための「推進力」を(レシヴァとして)受けとることができたと思います。
『1Q84』は本を読むのが好きな私にとって「ご褒美」のような作品でした。
いつの間にか重力は変化し、ポイントは移動を終えていた。
ものごとは元に戻ることはもうない。
一点の曇りもなく
私はいるべくしてここにいる。
☆1Q84(ichi-kew-hachi-yon) BOOK 1
☆1Q84(ichi-kew-hachi-yon) BOOK 2
☆村上春樹 リスト
ミユウ