2010年02月07日

「人間の条件」または

「早く人間になりた〜い」よな、「なっちゃあカン」よな。

何の気紛れか、思い付きか,久々に「リヴァティ大阪」に行きました。
「歴史から学ぶ部落差別」というシンポジウムを冷やかしに・・。

パネラーの先生方の話は難しい学術用語が並んでいたので、陳腐ん感奮でした。けど、アンナ・ハレントの『人間の条件』とか、「妖怪にんげんベム[辺務?]」とかが頭に浮かび、ついでに『水平者宣言』等のレーニン主義的(ア、『スターリン主義』じゃない方の根[ネ])影響を受けたもろもろの思想のことが脳裏をカスメました。

人間であるために人間で無く(泣く?)ならナアカンという、つまり機械[機構≒バケモノ]に徹しなアカンという悲哀、まあ、それが『ベム』の主題やねんけど、ハンナも水平社も、いやいや、古代の帝国創設者らも、同じくそう考えてたんやないかいな?っていうのが、今日のシンポで抱いた感想です。

この角度から、ショウは「小沢VS検察」から、ダイはそのたもろもろを眺めた方が、ええかいなあ・・。


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この記事へのコメント
《人間は、けして歴史に学ぶことはできない》
《歴史は、けして人間を人間にしない》
《歴史の中に有用なツールは落ちてない》

「歴史」という長いタイムスケールの中で
ライフサイクルの短い「人間」は時間切れで学習できねぇ。
ただ「歴史」の中に「人間」はウジみたいにわくだけ。
ワイもね。

《人生は長い、だが思っているほど長くない》
《人間同士がお互いを非人間化する》
《時には動物が人間を人間にすることもある》

自分らしい人間になりたいけど、つまりさ
自分に都合のいい人間になる方がいいに決まっているんだから
都合のいい社会化された人間にゃなれねぇ。
人間集団が人間を作り上げるシャブシャブ鍋という妄想があるけど、
動物が優しい人間を育てることだってあるさ。
Posted by ネチャーエフ at 2010年02月22日 22:45


 
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