2008年02月16日
チョン・ミョンフンさん指揮、NHK交響楽団演奏のメシアンとマーラー
皆様、再び、こんばんは。
本日ですが、東京・原宿(渋谷)のNHKホールにて、NHK交響楽団の2月のCプログラムを聴きに行って参りました。まずは、昼食を食べながら、本日の室内楽、バルトークの弦楽四重奏曲第4番を聴きました。本日知ったのですが、正確に書きますと、弦楽四重奏曲第4番の1楽章、4楽章、5楽章を聴きました。この曲で印象的なのは2点ありまして、
1.ピアノ協奏曲第1番、第2番と同様に打楽器的な要素
2.4楽章の強いピチカート奏法(解説していた、NHKホールの女性によると、「バルトーク・ピチカート」というらしいです)
以上になります。2度聴くことができたおかげで、より理解も深まったかと思います。確か、解説によると、バルトークは27歳から59歳までの約30年の間に6曲の弦楽四重奏曲を残しているとのことです。是非、実演でも取り上げて欲しいですね。参考までに、「本日の室内楽」を演奏してくださったN響の団員の皆さんは下記になります。
・齋藤 真知亜さん(ヴァイオリン)
・大宮 臨太郎さん(ヴァイオリン)
・店村 眞積さん(ヴィオラ)
・藤森 亮一さん(チェロ)
本来の演奏会の前に、珍しく、素晴らしい曲が聴ける、このような企画を、NHK交響楽団には続けていただきたいですし、他のオーケストラでも、やって欲しいと思います。
さて、本日の演奏会ですが、曲目は下記になります。
・メシアン「忘れられたささげもの」
<休憩>
・マーラー交響曲第9番
まずは、メシアンの「忘れられたささげもの」について書きたいと思います。まず、曲について書く前に、パンフレットに載っていた曲の解説(沼野雄司さん)に面白いことが書いてありました。以下、引用します。
その作曲家の1人がオリヴィエ・メシアンだというのです。そして、「忘れられたささげもの」の基調になっているのが(以下引用)、
だというのです。難しい表現ですねぇ…。ただ、メシアンが音を色彩としてとらえ、色彩豊かな曲を生み出していたのは紛れもない事実のようです。さて、曲のほうですが、3部構成を取っています。解説によると、「十字架」、「罪」、「聖体」の3つだそうです。「十字架」は弦楽器で奏されます(記憶があいまいで申し訳ないのですが、木管楽器も入っていたかもしれません)。音はしっかりと出ているのですが、私には「銀色」に聴こえました。しかも、普通の銀色ではなく、「燻し銀」でした。「罪」は打楽器や金管楽器も加わり、大音量の、迫力ある演奏でした。特に打楽器の印象が鮮烈でした。このぶぶんは「金色」に聴こえました。そして、「聖体」。ここは、コントラバスを除いた弦楽器が主体で、音は「罪」と比べると、かなり小さくなります。ここも、私には「燻し銀」に聴こえました。演奏時間は10分を超える程度ですが、意味深長な、味わい深い曲でした。聴衆の反応も、先週のAプログラムでメシアンについての理解が深まっていたせいか、盛大な拍手が沸き起こりました。聴衆の皆様だけでなく、私も、この2週間で、メシアンについて、深く知ることができました。N響とチョン・ミョンフンさんに感謝、感謝です。
休憩を挟んで、私が数ヶ月間、待ちに待った曲が演奏されるときが、ついにやってきました。マーラーの交響曲第9番です。この曲に関しましては、2003年の年末頃から、CDを買って、曲を聴き始め、4年ほど自分なりに研究をしてきたつもりでしたので、少し驕りがあったのだと、演奏後に思い知ることになりました。曲が始まってみると…やはり、CDとはまったく違うのです。目でオーケストラの演奏の見ながら、聴くのと、CDを聴くのとでは、まったく違うのです。CDだと、どうしても聴覚に頼りがちになりますが、演奏会だと、聴覚、視覚を含め、五感をフルに回転させて聴くので、理解の仕方がまるで違うのだと気付きました。以下、各楽章の感想を書きます。
【第1楽章】
「アンダンテ・コモド」の楽章です(解説より)。CDでは、強弱がある点と「死」を意識している点の理解はしていました。しかし、弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器のすべてが使われて演奏しているのを目の当たりにして、「強」の方を意識させられました。すなわち、躁鬱状態でいう、「躁」の状態です。この部分では、すべての楽器が襲い掛かってくるような躍動感を感じました。そして、ハープが効果的に使われているのを強く感じました。また、不協和音も強く奏されており(指揮者で例えると、ジュゼッペ・シノーポリさんの解釈に近く、ヘルベルト・フォン・カラヤンさんの解釈には遠いといったところでしょうか)、印象的でした。ただ、楽章の終わりは、コンサートマスターの堀 正文さんのヴァイオリン独奏(かなり弱い)が入ったりして、美しくもはかない「弱(鬱)」の部分が強調されていた気がします。作曲者の指示どおり、ゆったりと曲は構築されていました。
【第2楽章】
「ゆるやかなレントラーのテンポで、やや無骨で粗野に」の楽章です(解説より)。CDでは、「わりと軽い楽章」の印象がありました。確かに、演奏時間をとっても、第1楽章と比べるとかなり短いです。しかし、今日は、「生命の躍動」と、「死」とを両方感じることができました。第1楽章と同じく、どちらかというと、「生命の躍動」の方が強く現れているのですが、ところどころ、「死(鬱)」の状態が顔をむき出してきます。やはり、一筋縄ではいかない、と強く感じました。ここも作曲者の意図どおりの演奏だったと思います。
【第3楽章】
「ロンド・ブルレスケ:アレグロ・アッサイ、きわめて大胆に」の楽章です(解説より)。CDでは、「強くて反抗的な楽章」だと、漠然と理解したつもりでした。たしかに、楽章の根幹は「強くて反抗的」なメロディーにあり、弱い部分は時折顔を見せるだけなのですが、その弱い部分(鬱)にこそ、もしかしたら、この楽章の本質があるのではないかと思われてならないのです。全部の楽器を駆使した、「強くて反抗的な」部分が多くを占めているからこそ、「弱い(鬱)」の部分が彫り上げられてくるのではないか、と感じました。この楽章でも、ハープが効果的に用いられていました。
【第4楽章】
「アダージョ:きわめてゆっくりと、抑制して」の楽章です(解説より)。この楽章は、今まで、弦楽器の弱音で終わる部分しか理解していませんでした。ところが、今日の演奏では、まず、弦楽器の強音で、美しくもはかない、別れのメロディーが奏されるところに圧倒されました。そして、途中では、打楽器、金管楽器も加わった、力強い部分があることも、今日、理解しました。そういった部分があって、最後の弦楽器の弱音で、「死」の世界へと旅立って行く部分が、際立っていたのだと知ることになりました。人間も動物も、生あるものは皆、簡単には「死」の世界には行かないのです。「死」と向き合い、対峙しながら、時には、「生」の世界に戻りたいと思いつつも、その願いもむなしく、最後には「死」の世界へと旅立ってしまわざるを得ない…そういった印象を強く受けました。
そして、最後の弦楽器の演奏が終わり、ゆっくりとチョン・ミョンフンさんのタクトが下ろされ………会場は温かな拍手で満たされたのでした。チョン・ミョンフンさんには、花束が贈られ、彼自身も、スタンディング・オベーションで拍手を送っていた最前列の聴衆に握手の手を差し出していました(温かい光景でした)。今日は、人生に何度も体験できないような、素晴らしい演奏会でした。そんなことを思いつつ、埼玉の自宅へと帰ったのでした。
それでは、長らくお付き合いいただき、最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
本日ですが、東京・原宿(渋谷)のNHKホールにて、NHK交響楽団の2月のCプログラムを聴きに行って参りました。まずは、昼食を食べながら、本日の室内楽、バルトークの弦楽四重奏曲第4番を聴きました。本日知ったのですが、正確に書きますと、弦楽四重奏曲第4番の1楽章、4楽章、5楽章を聴きました。この曲で印象的なのは2点ありまして、
1.ピアノ協奏曲第1番、第2番と同様に打楽器的な要素
2.4楽章の強いピチカート奏法(解説していた、NHKホールの女性によると、「バルトーク・ピチカート」というらしいです)
以上になります。2度聴くことができたおかげで、より理解も深まったかと思います。確か、解説によると、バルトークは27歳から59歳までの約30年の間に6曲の弦楽四重奏曲を残しているとのことです。是非、実演でも取り上げて欲しいですね。参考までに、「本日の室内楽」を演奏してくださったN響の団員の皆さんは下記になります。
・齋藤 真知亜さん(ヴァイオリン)
・大宮 臨太郎さん(ヴァイオリン)
・店村 眞積さん(ヴィオラ)
・藤森 亮一さん(チェロ)
本来の演奏会の前に、珍しく、素晴らしい曲が聴ける、このような企画を、NHK交響楽団には続けていただきたいですし、他のオーケストラでも、やって欲しいと思います。
さて、本日の演奏会ですが、曲目は下記になります。
・メシアン「忘れられたささげもの」
<休憩>
・マーラー交響曲第9番
まずは、メシアンの「忘れられたささげもの」について書きたいと思います。まず、曲について書く前に、パンフレットに載っていた曲の解説(沼野雄司さん)に面白いことが書いてありました。以下、引用します。
共感覚(シネスシージア)と呼ばれる現象がある。 これは、本来ならば関わりあうはずのない複数の感覚が連動することを指しており…<中略>音と色彩の関係はきわめて密接である。…<中略>しかし、音楽史のなかには、精密な対応関係として、すなわち音と色彩を完全な「共感覚」として捉えた作曲家が何人かいる。
その作曲家の1人がオリヴィエ・メシアンだというのです。そして、「忘れられたささげもの」の基調になっているのが(以下引用)、
「茶と赤いルビー色の垂直の筋が入った地の上に、金と銀の螺旋がある。主な色彩は金と茶」
だというのです。難しい表現ですねぇ…。ただ、メシアンが音を色彩としてとらえ、色彩豊かな曲を生み出していたのは紛れもない事実のようです。さて、曲のほうですが、3部構成を取っています。解説によると、「十字架」、「罪」、「聖体」の3つだそうです。「十字架」は弦楽器で奏されます(記憶があいまいで申し訳ないのですが、木管楽器も入っていたかもしれません)。音はしっかりと出ているのですが、私には「銀色」に聴こえました。しかも、普通の銀色ではなく、「燻し銀」でした。「罪」は打楽器や金管楽器も加わり、大音量の、迫力ある演奏でした。特に打楽器の印象が鮮烈でした。このぶぶんは「金色」に聴こえました。そして、「聖体」。ここは、コントラバスを除いた弦楽器が主体で、音は「罪」と比べると、かなり小さくなります。ここも、私には「燻し銀」に聴こえました。演奏時間は10分を超える程度ですが、意味深長な、味わい深い曲でした。聴衆の反応も、先週のAプログラムでメシアンについての理解が深まっていたせいか、盛大な拍手が沸き起こりました。聴衆の皆様だけでなく、私も、この2週間で、メシアンについて、深く知ることができました。N響とチョン・ミョンフンさんに感謝、感謝です。
休憩を挟んで、私が数ヶ月間、待ちに待った曲が演奏されるときが、ついにやってきました。マーラーの交響曲第9番です。この曲に関しましては、2003年の年末頃から、CDを買って、曲を聴き始め、4年ほど自分なりに研究をしてきたつもりでしたので、少し驕りがあったのだと、演奏後に思い知ることになりました。曲が始まってみると…やはり、CDとはまったく違うのです。目でオーケストラの演奏の見ながら、聴くのと、CDを聴くのとでは、まったく違うのです。CDだと、どうしても聴覚に頼りがちになりますが、演奏会だと、聴覚、視覚を含め、五感をフルに回転させて聴くので、理解の仕方がまるで違うのだと気付きました。以下、各楽章の感想を書きます。
【第1楽章】
「アンダンテ・コモド」の楽章です(解説より)。CDでは、強弱がある点と「死」を意識している点の理解はしていました。しかし、弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器のすべてが使われて演奏しているのを目の当たりにして、「強」の方を意識させられました。すなわち、躁鬱状態でいう、「躁」の状態です。この部分では、すべての楽器が襲い掛かってくるような躍動感を感じました。そして、ハープが効果的に使われているのを強く感じました。また、不協和音も強く奏されており(指揮者で例えると、ジュゼッペ・シノーポリさんの解釈に近く、ヘルベルト・フォン・カラヤンさんの解釈には遠いといったところでしょうか)、印象的でした。ただ、楽章の終わりは、コンサートマスターの堀 正文さんのヴァイオリン独奏(かなり弱い)が入ったりして、美しくもはかない「弱(鬱)」の部分が強調されていた気がします。作曲者の指示どおり、ゆったりと曲は構築されていました。
【第2楽章】
「ゆるやかなレントラーのテンポで、やや無骨で粗野に」の楽章です(解説より)。CDでは、「わりと軽い楽章」の印象がありました。確かに、演奏時間をとっても、第1楽章と比べるとかなり短いです。しかし、今日は、「生命の躍動」と、「死」とを両方感じることができました。第1楽章と同じく、どちらかというと、「生命の躍動」の方が強く現れているのですが、ところどころ、「死(鬱)」の状態が顔をむき出してきます。やはり、一筋縄ではいかない、と強く感じました。ここも作曲者の意図どおりの演奏だったと思います。
【第3楽章】
「ロンド・ブルレスケ:アレグロ・アッサイ、きわめて大胆に」の楽章です(解説より)。CDでは、「強くて反抗的な楽章」だと、漠然と理解したつもりでした。たしかに、楽章の根幹は「強くて反抗的」なメロディーにあり、弱い部分は時折顔を見せるだけなのですが、その弱い部分(鬱)にこそ、もしかしたら、この楽章の本質があるのではないかと思われてならないのです。全部の楽器を駆使した、「強くて反抗的な」部分が多くを占めているからこそ、「弱い(鬱)」の部分が彫り上げられてくるのではないか、と感じました。この楽章でも、ハープが効果的に用いられていました。
【第4楽章】
「アダージョ:きわめてゆっくりと、抑制して」の楽章です(解説より)。この楽章は、今まで、弦楽器の弱音で終わる部分しか理解していませんでした。ところが、今日の演奏では、まず、弦楽器の強音で、美しくもはかない、別れのメロディーが奏されるところに圧倒されました。そして、途中では、打楽器、金管楽器も加わった、力強い部分があることも、今日、理解しました。そういった部分があって、最後の弦楽器の弱音で、「死」の世界へと旅立って行く部分が、際立っていたのだと知ることになりました。人間も動物も、生あるものは皆、簡単には「死」の世界には行かないのです。「死」と向き合い、対峙しながら、時には、「生」の世界に戻りたいと思いつつも、その願いもむなしく、最後には「死」の世界へと旅立ってしまわざるを得ない…そういった印象を強く受けました。
そして、最後の弦楽器の演奏が終わり、ゆっくりとチョン・ミョンフンさんのタクトが下ろされ………会場は温かな拍手で満たされたのでした。チョン・ミョンフンさんには、花束が贈られ、彼自身も、スタンディング・オベーションで拍手を送っていた最前列の聴衆に握手の手を差し出していました(温かい光景でした)。今日は、人生に何度も体験できないような、素晴らしい演奏会でした。そんなことを思いつつ、埼玉の自宅へと帰ったのでした。
それでは、長らくお付き合いいただき、最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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