2007年03月28日

石上純也について

最近、東京の建築家は、何を考えているんだろうか。
このところ自分のめざしていることに集中していて、あまり関心がなかったのだが、たまたま東京の若手の考えに接するのも刺激があるかもしれないと思い福山に行ってきた。

この2月「福山建築文化セミナー」での、石上純也の講演である。
ぼそぼそしたしゃべりで、「こんなこと考えてやりました。」という口ぶりに、リズムがあって、2時間ばかり楽しませてもらった。聞きながら、考えたことをストレートにやれるニーズと土俵との巡り合わせによる純粋な作品づくりはメディア的でもあり、あらためて東京かなと思えた。
将来有望な建築家の一人と業界内で言われているというのも、話が進むにつれてなるほどと分かってきた。

彼の特徴の一つはコンセプトの切り口の単純さから生まれるところにあるようだ。それがメディアにも取り上げられ話題となって流通するという構図にぴったりだというのが透けて見え、クライアントにとっては願ってもないことで多いに喜ばせているのが想像できた。

たとえば、レクサスのイタリアのショウルームでトヨタが求めたものは、東洋のものづくりの美学だったとのこと。それを室内に霧を発生させて、微細な白い空気の移ろいのなかで車を見え隠れさせながら見せるという「人工の気候」の演出で応えたという。ヨーロッパ人に受けそうな鮮やかさである。
他に紹介した作品も、コンセプトの肩肘張らない切り口を形にするというやり方は一緒で、ものづくりの楽しみ方を天性で知っているようで共感できた。

帰り道、彼の作品のことが頭に蘇ってきてどう理解しようかと思案してみた。
それぞれの作品にそれぞれの魅力的な考えがあるのは分かった。それを一連の仕事としてみたら、なんなんだろう。
そしたらしばらくして、彼の目ざしている指向が、先行する2人の建築家の特徴のミックスの延長線にあるのではないかと思えだしてきた。その2人とは、妹島和世と伊藤豊雄である。この2人の良いところや影響が彼の中で一つになって生まれた作品と考えれば,語ってくれた多くの作品がより理解できるのだ。
この先、彼はどのように進むのか、興味をわかせる1人となった。


前記の2人の建築家のミックスの延長線上として、石上の作風を捉えられないかという考察は、あらためて記述したいと思います。








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