2009年06月30日
マイケルは死んだ(Michael Jackson IS DEAD)
よくできた冗談だと思った。
マイケル・ジャクソンさん死去
グラミー賞を13回獲得し、7億5000万枚を売り上げ、生涯で5億ドルを稼いだ稀代の「スーパースター」は50歳という若さでこの世を去った。
jjは、高校生くらいの時に彼の東京ドームコンサートに行かされた記憶がある。
ロックかぶれだったjjは、彼を代表とした軽いポップスや当時流行っていたヒップホップだのにある種侮蔑に近い感情をもっており、それを友人が「正常な感覚に戻すために」誘ったものであった。
何分か遅れて始まったコンサートは、クリスクロスという少年ヒップホップ(これは当時のビルボードチャートを席巻してた)グループの前座から、手品まがいのものまで、これでもかと云うくらいjjの神経に障るものだった。
しかし、友人は生でマイケルと空間を共有できたことに大層感動しており、「世界でマイケルのコンサートを座って聞いてるのは日本人だけだ」という訳の分からない理由でタテノリで応援していたが、jjは頑なに座って聞いていた。
報道によれば、マイケルジャクソンはそれが発来日コンサートだったそうだ。
ハンバーガーのような手軽で中味の無い音楽。
「Black or White?」なんて「オマエだよ!」と世界中から突っ込まれたであろう。
飛ぶように売れるCDとドル。そしてついてまわるゴシップと訴訟はjjの中でのアメリカの象徴そのものであった。
こういった巨万の富を得ることが傍目にみえるほど本質において幸せではないこと、歌を売ることを事業にすること、そういったものの限界がリーマンブラザーズ倒産ではっきりみえた今この時にマイケルジャクソンという存在が消えてしまったことは、jjの中でのアメリカという象徴の消滅ときれいにシンクロして、よくできた冗談だと思ったのだ。
かように全体的には好きになれなかったマイケルジャクソンであったが、彼の曲の中には人類の財産というべき曲がある。
「Heal the world」である。
これは私の全くの憶測であるが、彼は「超越した存在」になりたかったのではないだろうか。
圧倒的な影響力を持ち、神様のように崇められた彼であったが、残念ながら彼は神ではなく、人類の愚行を止めることは出来ない。
外見は人種も性別も分からなくなるほどにはなったが、世界の傷を癒すほどの存在にはなれない。
彼の存在が高みになるにつけ、彼はスーパースターならではの悩みに囚われ、ついには心身のバランスをくずしてしまったのではないだろうか、と思っているのだ。
この曲が発表されたのは1992年。
jjの記憶ではここ8年は新曲の発表は無い。
そして、相変わらず世界は傷ついている。
Michael Jackson IS DEAD
しかし、彼の想いを我々は受け継ぐべきであろう。
そう、我々は生きているのだから。
so we are still alive such a place.
マイケル・ジャクソンさん死去
グラミー賞を13回獲得し、7億5000万枚を売り上げ、生涯で5億ドルを稼いだ稀代の「スーパースター」は50歳という若さでこの世を去った。
jjは、高校生くらいの時に彼の東京ドームコンサートに行かされた記憶がある。
ロックかぶれだったjjは、彼を代表とした軽いポップスや当時流行っていたヒップホップだのにある種侮蔑に近い感情をもっており、それを友人が「正常な感覚に戻すために」誘ったものであった。
何分か遅れて始まったコンサートは、クリスクロスという少年ヒップホップ(これは当時のビルボードチャートを席巻してた)グループの前座から、手品まがいのものまで、これでもかと云うくらいjjの神経に障るものだった。
しかし、友人は生でマイケルと空間を共有できたことに大層感動しており、「世界でマイケルのコンサートを座って聞いてるのは日本人だけだ」という訳の分からない理由でタテノリで応援していたが、jjは頑なに座って聞いていた。
報道によれば、マイケルジャクソンはそれが発来日コンサートだったそうだ。
ハンバーガーのような手軽で中味の無い音楽。
「Black or White?」なんて「オマエだよ!」と世界中から突っ込まれたであろう。
飛ぶように売れるCDとドル。そしてついてまわるゴシップと訴訟はjjの中でのアメリカの象徴そのものであった。
こういった巨万の富を得ることが傍目にみえるほど本質において幸せではないこと、歌を売ることを事業にすること、そういったものの限界がリーマンブラザーズ倒産ではっきりみえた今この時にマイケルジャクソンという存在が消えてしまったことは、jjの中でのアメリカという象徴の消滅ときれいにシンクロして、よくできた冗談だと思ったのだ。
かように全体的には好きになれなかったマイケルジャクソンであったが、彼の曲の中には人類の財産というべき曲がある。
「Heal the world」である。
Heal the world
Make it a better place
For you and for me
And the entire human race
There are people dying
If you care enough
For the living
Make a better place
For you and for me
世界の傷を癒そう
ちょっとはマシな場所にしようぜ
君と僕と
そして、そこにいる人類すべてのために
死に掛かっている人がいる
君が生きている人に気付けたら
君と僕のために
ちょっとはマシな場所にしようぜ
(訳:byjjめずらしく原文を尊重した)
これは私の全くの憶測であるが、彼は「超越した存在」になりたかったのではないだろうか。
圧倒的な影響力を持ち、神様のように崇められた彼であったが、残念ながら彼は神ではなく、人類の愚行を止めることは出来ない。
外見は人種も性別も分からなくなるほどにはなったが、世界の傷を癒すほどの存在にはなれない。
彼の存在が高みになるにつけ、彼はスーパースターならではの悩みに囚われ、ついには心身のバランスをくずしてしまったのではないだろうか、と思っているのだ。
この曲が発表されたのは1992年。
jjの記憶ではここ8年は新曲の発表は無い。
そして、相変わらず世界は傷ついている。
Michael Jackson IS DEAD
しかし、彼の想いを我々は受け継ぐべきであろう。
そう、我々は生きているのだから。
so we are still alive such a place.
【ヲンガクの最新記事】
2008年11月09日
2008年07月20日
ネットと云う無力(WHAT A WONDERFUL WORLD vol1)
アナウンサー川田亜子さんの自殺や秋葉原通り魔の事件(jjはこれは自殺とメンタリティが殆ど一緒だと考えている。)
をみて、STOP練炭自殺オフィシャルサイト(嘘)のSTILL ALIVEとしては考察をしなければいけないのですが、ポップでキュートな萌え系若妻トゥインクルつるりたんのところでのこのエントリをみて、まずはjjの立ち位置と云うか、
「何で人が自分の好きで死のうとしてるのに必死に止めるの?馬鹿なの?」
に対しての基本的スタンスの説明が必要だと勝手に思った。
jjが自殺についてどのように考えているかは割と過去のエントリで云ってるし、今でも無責任に生きろと云いつづけている訳で、
結論と云うかいいたいことは前述のつるタン(どうでしょ、この省略形)のところで端的に言い尽くされている感はあり、後は如何に其れをダラダラと述べるかということになってしまうのですが、世界が憎くてしょうがない気持ち、または世界が無色でとてもつまらないものに見えてしまう気持ちは分からないわけではなくて、分からないどころかオレがまさにそのトップランナーみたいなもので、それでも地を這って、泥を舐めて生きていこうと決めたのは、そんな自分を愛している人が居る、ということにある。
jjはつい最近まで人の子どもを可愛いと思えなかった。
スーパーでハナを垂らしているガキを見て、キタナイと思いこそすれ、可愛いとはどうしても思えなかったのだ。
しかし、jjの身内にも赤子ができ、ヒトの顔を見るとキャッキャ笑いやがる。これがどうしようもなく可愛い。
抱き上げてハナミズをつけられようが、どうしようもなく可愛い。
だから断言するが、あなたの親は、特に母親は、無条件にあなたを愛している。
自分を愛してくれる存在を疑問に思う人が居れば、母という存在を、愛を知っている存在を知ってほしいと思うのだ。
もし、世界があなたを放置してると思い、それが原因で世界に憎しみをつのらせている人が居たら、世界なんてものは変わるんだと云いたい。
つまり、世界なんてのは結局頭の中で作り上げているもので、それは、家をでる最初の一歩を右足にするか左足にするかとか、ヨハンシュトラウスを聞いてみたりとか、そんなことで変わるものであり、そんなものを憎むのは、まるでユーレイに対して切りかかるようなもので、深みに嵌るだけなのではないかと思うのだ。
先の二人は、ネット上で世界に対する絶望を叫んでいた。
そして、その殆どは気付かれずに、或いは気付かれながらも打ち捨てられた。
jjは同じネットの片隅に暮らす人間として、何とかメッセージを伝えられなかったものかと思い、この万能感すらあるネットと云うツールの決定的な無力さを痛感するのだ。
小さい子が、何か新しいものを見るとき、それは例えば人生で初めて出会う花火とか、シャボン玉とか、蝶々とか、そういうのを見るときの瞳をみると思う。
じっと、何かが降りているような顔をして花や虫を見るその目には、神の存在を感じるし、なにより彼らの純粋な目で見たこの世界は美しいもので、我々が存在しなければいけない世界なんだ、と。
世界を憎むあなたへ。
jjは、あなたを愛している人がいること、そして、それでも世界は美しいということを信じている。
そして、一緒にルイ・アームストロングの「What A Wonderful World」を涙を流しながら一緒に歌う日を信じている。
僕は、あなたが、好きだ。だから、生きろ。
をみて、STOP練炭自殺オフィシャルサイト(嘘)のSTILL ALIVEとしては考察をしなければいけないのですが、ポップでキュートな萌え系若妻トゥインクルつるりたんのところでのこのエントリをみて、まずはjjの立ち位置と云うか、
「何で人が自分の好きで死のうとしてるのに必死に止めるの?馬鹿なの?」
に対しての基本的スタンスの説明が必要だと勝手に思った。
jjが自殺についてどのように考えているかは割と過去のエントリで云ってるし、今でも無責任に生きろと云いつづけている訳で、
結論と云うかいいたいことは前述のつるタン(どうでしょ、この省略形)のところで端的に言い尽くされている感はあり、後は如何に其れをダラダラと述べるかということになってしまうのですが、世界が憎くてしょうがない気持ち、または世界が無色でとてもつまらないものに見えてしまう気持ちは分からないわけではなくて、分からないどころかオレがまさにそのトップランナーみたいなもので、それでも地を這って、泥を舐めて生きていこうと決めたのは、そんな自分を愛している人が居る、ということにある。
jjはつい最近まで人の子どもを可愛いと思えなかった。
スーパーでハナを垂らしているガキを見て、キタナイと思いこそすれ、可愛いとはどうしても思えなかったのだ。
しかし、jjの身内にも赤子ができ、ヒトの顔を見るとキャッキャ笑いやがる。これがどうしようもなく可愛い。
抱き上げてハナミズをつけられようが、どうしようもなく可愛い。
だから断言するが、あなたの親は、特に母親は、無条件にあなたを愛している。
自分を愛してくれる存在を疑問に思う人が居れば、母という存在を、愛を知っている存在を知ってほしいと思うのだ。
もし、世界があなたを放置してると思い、それが原因で世界に憎しみをつのらせている人が居たら、世界なんてものは変わるんだと云いたい。
つまり、世界なんてのは結局頭の中で作り上げているもので、それは、家をでる最初の一歩を右足にするか左足にするかとか、ヨハンシュトラウスを聞いてみたりとか、そんなことで変わるものであり、そんなものを憎むのは、まるでユーレイに対して切りかかるようなもので、深みに嵌るだけなのではないかと思うのだ。
先の二人は、ネット上で世界に対する絶望を叫んでいた。
そして、その殆どは気付かれずに、或いは気付かれながらも打ち捨てられた。
jjは同じネットの片隅に暮らす人間として、何とかメッセージを伝えられなかったものかと思い、この万能感すらあるネットと云うツールの決定的な無力さを痛感するのだ。
小さい子が、何か新しいものを見るとき、それは例えば人生で初めて出会う花火とか、シャボン玉とか、蝶々とか、そういうのを見るときの瞳をみると思う。
じっと、何かが降りているような顔をして花や虫を見るその目には、神の存在を感じるし、なにより彼らの純粋な目で見たこの世界は美しいもので、我々が存在しなければいけない世界なんだ、と。
世界を憎むあなたへ。
jjは、あなたを愛している人がいること、そして、それでも世界は美しいということを信じている。
そして、一緒にルイ・アームストロングの「What A Wonderful World」を涙を流しながら一緒に歌う日を信じている。
僕は、あなたが、好きだ。だから、生きろ。
2008年05月25日
エビちゃんをキャッチ

東京都足立区といえば、23区の中でも人外魔境として知られているが、先日、そこのゲーセンで恐ろしいものを見つけてしまった。
「マリンキャッチャー」である。
このマリンキャッチャー。景品が「生きた伊勢海老」なのだ。
所狭しと蠢いているこのエビラたちに目を疑ったが、どうやら本物の海老で、どっこい生きている。
実際に取れてしまったら、それはそれで困るだろうと思うが、そこは親切に、「このゴム手袋とタオルを使ってください。」とある。
なお、食用にする際は「必ず加熱調理してください。」ということであった。
こんな濁った水槽にずっと生活している、確実に中に虫がわいてそうな伊勢海老を、両手で二つに割って醤油をつけて豪快に食べるやつはまずいないと思うが、加熱したとしても食べるには結構な勇気が要るだろう。
善意の名を借りたテロ行為「ご近所へのおすそ分け」として処分するのが妥当か。
ちなみにjjはUFOキャッチャーについては相当の腕前で、全盛期には狩人のように両手のビニール袋一杯にぬいぐるみを抱えていたものだった。
このマリンキャッチャーも値段が一回200円と云う手頃さもあり、チャレンジしてみる。
通常のUFOキャッチャーは2つアームであるが、このマリンキャッチャーは3つアームである。
3つの腕でつかむので、安定感は抜群なはずなのだが、降りるときにきりもみをしながら降りていくので、
実際操作者のテクニックはあまり関係ない。えびぞう動くし。
どう考えても保健所への登録が必要と思われるこのマリンキャッチャー。お見かけの際は是非遊んでください。
蛯原友里はコレもCMするといいと思う。
2008年05月03日
世界のナベアツ問題に対する哲学的アプローチ
「3の倍数と3の付く数字だけアホになる」世界のナベアツが整数列においてどの程度アホになるかを判定する、所謂「世界のナベアツ問題」があり、どうやら死ぬほど続けていくと、限りなく100%に近い確率でアホになるようであるが、この問題に対しする数学的アプローチは理系の方々に任せ、数学が病的に出来ないjjとしては、この問題に対し哲学方面からのアプローチを試みたいと思う。
「クレタ人のパラドクス」というのがある。
逆に、この命題を偽とすれば『「クレタ人は嘘つき」』という発言は嘘になり、矛盾が生じる。
『「私は嘘つきだ」』という嘘をついたエピメニデスは正直者だ、ということになるのだ。
ここで、世界のナベアツのパラドクスについて考えてみる。
つまり、「3の倍数と3の付く数字だけアホになる」と発言するナベアツは、この説明時に「アホ」にならなければならないのではないか、ということである。
ゲーデルの不完全性定理によれば、『「事実(観測された事項)」が定理に合致する』ということをもって初めて「『証明』として完結することが出来る」ということから、ナベアツのアホについての説明はできないこととなる。
私が数学が嫌いな理由は、解が一つに収束することである。
「世界のナベアツ問題」について、どのような回答をするか。
ニーチェなら、「ナベアツは死んだ」というだろう。
京極夏彦なら「世の中にはアホなナベアツなどありませんよ。アホだと感じるなら感じる者が無知なだけです。」というだろう。
村上春樹なら、「完璧なアホのナベアツなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」というかもしれないし、
サン・テグジュペリなら「大人は、みんなはじめはアホだった。」というだろう。
問いに対して、バラエティーに富んだ答えがある、哲学的な命題を愛して止まないjjである。
そして、「2の倍数と2が付く数字のときに感じる滝川クリステル」企画の実現を切に願う。
2拍子で喘いで、20から29までラッシュ、みたいな。
おまけ
「クレタ人のパラドクス」というのがある。
「クレタ人は嘘つきだ」と(クレタ人の)エピメニデスが云った。というもので、仮にこの命題が真だとすると、エピメニデスは嘘つきなので、『「クレタ人は嘘つき」』は嘘になるはずなのだが、本当のことを云っていることになり、矛盾が生じる。
逆に、この命題を偽とすれば『「クレタ人は嘘つき」』という発言は嘘になり、矛盾が生じる。
『「私は嘘つきだ」』という嘘をついたエピメニデスは正直者だ、ということになるのだ。
ここで、世界のナベアツのパラドクスについて考えてみる。
つまり、「3の倍数と3の付く数字だけアホになる」と発言するナベアツは、この説明時に「アホ」にならなければならないのではないか、ということである。
ゲーデルの不完全性定理によれば、『「事実(観測された事項)」が定理に合致する』ということをもって初めて「『証明』として完結することが出来る」ということから、ナベアツのアホについての説明はできないこととなる。
私が数学が嫌いな理由は、解が一つに収束することである。
「世界のナベアツ問題」について、どのような回答をするか。
ニーチェなら、「ナベアツは死んだ」というだろう。
京極夏彦なら「世の中にはアホなナベアツなどありませんよ。アホだと感じるなら感じる者が無知なだけです。」というだろう。
村上春樹なら、「完璧なアホのナベアツなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」というかもしれないし、
サン・テグジュペリなら「大人は、みんなはじめはアホだった。」というだろう。
問いに対して、バラエティーに富んだ答えがある、哲学的な命題を愛して止まないjjである。
そして、「2の倍数と2が付く数字のときに感じる滝川クリステル」企画の実現を切に願う。
2拍子で喘いで、20から29までラッシュ、みたいな。
おまけ
2008年04月20日
R35(年をとる音楽ということ)
先日「R35 rock pops super hits」というCDをツタヤで借りた。
jjはU35なので、本来は聴けないはずなのであるが、特に年齢確認はなかったので借りることができた。
ライナップはこんなかんじで、全てのアルバムセールルスを足し上げれば軽く2000万枚を超える、文字通り「スーパーヒッツ」なアルバムで、よっぽど特殊な文化圏に居ない限り殆どの曲をCMなどで一度は聴いたことがあるだろう。
曲は、徹底して1985年前後からチョイスされており、当時の世情を見てみれば、バブルの絶頂から崩壊へと転がり始めた頃である。
つまり、現役でこれらの曲を聴いた人たちは、完全に青春時代がバブル時代という計算になるわけだが、この辺が「R35」な理由なのだろうか。
当時を振り返ると、jjは中学、高校、大学と鬱屈した青春時代を送っており、シュールレアリスム文学や思想めいたものに傾倒していたため、僧のように厭世的で、訳もなく世の中を憎んでいた。
KANの「愛は勝つ」など、底抜けに明るい曲たちは、タイトルだけでゲロを吐きそうになった覚えがある。
R35世代とjjは世代的に2,3年しか変わらないはずなのだが、決定的に分かつものがあるとすれば、こういう全くバブル時代の青春を送ったか、高校3年間がバブル崩壊時代だったかという青春時代におけるバブル純度の違いにあるのだろう。
たかが2,3年といえどもこの違いはメンタリティと云う点で想像以上に大きい。
ディスクは2枚あり、1枚目が「POPS」2枚目が「ROCK」とされている。
「ヴァン・ヘイレン」がPOPS扱いされてたり、「ラ・バンバ」がROCK扱いされてたり、エドはるみのBGMでお馴染みの「マイ・シャローナ」もROCK扱いでDISC2に入っている。
このジャンルでムリヤリ分けるという必要性も感じられなければ適切に分けられてもいないという、本格的にセールス優先で選ばれた曲たちなのだが、取りあえずdisc1はフリスビーとしてどこか遠くへ飛ばしてしまって問題ないと思われる。
(MCハマーやボビーブラウンという、当時世の中を席巻してたダンスポップスが存分に含まれているが、
どれもこれも今や色あせて、噛み続けたチューインガムや出がらしのお茶のように風味を欠いてしまっている。)
これら今更説明不要な「スーパーヒッツ」な曲のなかで、jjが「聞け!」とあえて云いたいのは、
STYXのMR.ROBOTOである。
ドモアリガト、ミスターロボット。又会う日まで。
ドモアリガト、ミスターロボット。秘密を知りたい。
怪しい日本語で皮肉っぽく歌い上げられたこの曲は、シュールレアリスムに被れのjjにはストライクであり、無駄に明るいポップスや商業主義に骨抜きにされた糞ロックなどよりよっぽど激しく神経細胞を揺るがすものであった。
また、当時日本という国の音楽文化的なものに劣等感を感じていたjjは、日本語の歌詞が使われることについても妙な誇りを覚えていた。
ちなみに、この曲の最後に連呼される「I'm Kilroy! Kilroy! Kilroy! Kilroy!」は、
figaroさんのあしあとメッセージ「キルロイはここにきた!」のキルロイと同一人物だ。
説明は省くので気になる人は「Kilroy Was Here」で検索するといいんじゃないだろうか。
スターリン以来、「誰だ?キルロイ」は続く。
80年代は今や大昔である。我々は、年をとった。
ROCK少年だったjjが、あれ程毛嫌いしていたMCハマーやボビーブラウン、そして新曲を全く出さないのに何故か日本ツアーだけは毎年行っているKISSなど、当時のjjにしてみたら約12,3年後の自分がこれらの糞曲達を「録音」してるとは思わなかっただろう。
しかし、猛抗議する当時のjjに対し、
「生活経験が浅い分だけ思考が純粋だったのだよ、jj君」
とたしなめるくらい狡猾になったかもしれない。
あんなに皮肉に聞こえたSTYXのMR.ROBOTOも今聞いたらホントに日本製部品の素晴らしさと、テクノロジーの進歩に感謝してる曲なんじゃないか、と思えたりする。
我々は、年をとった。
R指定のアルバムを創ることは、音楽に年をとらせることだ。
いい音楽は年をとらない。丁度、偉大な思想や文学作品が齢をとらないように。
我々は、年をとった。残念ながらそれは事実である。
しかし、ヲンガクに年をとらせて懐メロとして陳腐化させることはやめて欲しいのである。
2008年02月10日
ニセ予言者ども(江戸アケミ)
でも、きっとそんなシンクロしてるのはオレくらいなので、じゃぁ何なんだこの話ということになるんだけど、受験シーズンだけにオチのない話をということでひとつ。
2008年01月27日
あけちまった新年に
皆様、明けましておめでとう御座います。
ま、27日になってしまった今さらこんなこと云っても誰も信じてくれないとは思うが、実は新年の足音が聞こえてくるころから新年初エントリについては準備をしていて、その中でふと「新年の足音ってどんな音なのだろう」という疑問が頭をよぎり、其れが「ゴゴゴゴゴ」という、JOJO風味な接近音なのか、或いは「トテトテテテーン」というタラちゃん風味な音なのか、その決定的な結論が出ず、今日までエントリができずにいたのである。
何だそんなこと、と馬鹿にしてはいけない。
およそ表現者と云うものにとって、「つかみ」と云われる出だしの文章は大切なもので、それは、全くの趣味でやっているブログにおいても充分にこだわっていいポイントである筈なのである。
逆に、多くの人の目に触れるものなのに、この原則を無視しているものが多いのは気になるところである。
典型は教科書で、あんなのっけから人が目をそらすような味気のない文章ではなく、往年のプロジェクトXばりにナレーションから始める手法でその先を読みたくなるような表現をすれば良いと考える。
役所の広報文書についても同様である。
ならば、と「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」という言葉を「あけおめ、ことよろ」とすることで「つかみ化」することはどうか。
こんなエントリしているjjが云うのも空々しいが、私はこの言葉が最近耳障りでしょうがない。
そして、今年は年末から年始にかけて「あけおめことよろ」という略語の使用を潰す事に心血を注いでいきたいと考えており、これについても、ただ使用するものを次々に血祭りにあげるのではなく、自分の内面に降り立ち、あくまで論理的に説明する必要があるだろうと考え、またもやエントリが延びたのである。
言葉を省略することに今更アレルギーを発症したとは思えない。
現代日本において、省略語にアレルギーを発症していたらショック死してしまうだろう。
改めて言葉を紐解いてみる。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」略して「あけおめ、ことよろ。」
今風に言うと、「AOKY」となる。
成る程、どうも、この「AOKY」が自分の中のアレルゲンになっているのではないのだろうか、と考える。
何が自分にとっての昔、ダナキャランというブランドが流行ったときに、そのロゴ「DKNY」を「ドンキーコング・ニューヨーク」と読んでいた勝俣君(仮名)のアホさ加減がフラッシュバックしたのか、或いは「メンズプラザか」と毎回エアつっこみを入れる自分に疲れたのか。
色々考察を続けたが、決定的なところは結局は分からずに只いたずらに時が流れているのである。
そして一つ、確実に思ったこと。
こんなグダグダでブログに何時も足を運んでくれる皆様。
ありがとう。今年もよろしくね。
ま、27日になってしまった今さらこんなこと云っても誰も信じてくれないとは思うが、実は新年の足音が聞こえてくるころから新年初エントリについては準備をしていて、その中でふと「新年の足音ってどんな音なのだろう」という疑問が頭をよぎり、其れが「ゴゴゴゴゴ」という、JOJO風味な接近音なのか、或いは「トテトテテテーン」というタラちゃん風味な音なのか、その決定的な結論が出ず、今日までエントリができずにいたのである。
何だそんなこと、と馬鹿にしてはいけない。
およそ表現者と云うものにとって、「つかみ」と云われる出だしの文章は大切なもので、それは、全くの趣味でやっているブログにおいても充分にこだわっていいポイントである筈なのである。
逆に、多くの人の目に触れるものなのに、この原則を無視しているものが多いのは気になるところである。
典型は教科書で、あんなのっけから人が目をそらすような味気のない文章ではなく、往年のプロジェクトXばりにナレーションから始める手法でその先を読みたくなるような表現をすれば良いと考える。
役所の広報文書についても同様である。
ならば、と「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」という言葉を「あけおめ、ことよろ」とすることで「つかみ化」することはどうか。
こんなエントリしているjjが云うのも空々しいが、私はこの言葉が最近耳障りでしょうがない。
そして、今年は年末から年始にかけて「あけおめことよろ」という略語の使用を潰す事に心血を注いでいきたいと考えており、これについても、ただ使用するものを次々に血祭りにあげるのではなく、自分の内面に降り立ち、あくまで論理的に説明する必要があるだろうと考え、またもやエントリが延びたのである。
言葉を省略することに今更アレルギーを発症したとは思えない。
現代日本において、省略語にアレルギーを発症していたらショック死してしまうだろう。
改めて言葉を紐解いてみる。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」略して「あけおめ、ことよろ。」
今風に言うと、「AOKY」となる。
成る程、どうも、この「AOKY」が自分の中のアレルゲンになっているのではないのだろうか、と考える。
何が自分にとっての昔、ダナキャランというブランドが流行ったときに、そのロゴ「DKNY」を「ドンキーコング・ニューヨーク」と読んでいた勝俣君(仮名)のアホさ加減がフラッシュバックしたのか、或いは「メンズプラザか」と毎回エアつっこみを入れる自分に疲れたのか。
色々考察を続けたが、決定的なところは結局は分からずに只いたずらに時が流れているのである。
そして一つ、確実に思ったこと。
こんなグダグダでブログに何時も足を運んでくれる皆様。
ありがとう。今年もよろしくね。
2007年12月31日
そんなの関係ねぇに対するアンチテーゼ
諸君、私は小島よしおが嫌いである。
放送コードギリギリの挙動不審さで蠢く彼を見ていると、その無駄についてる筋肉を本物の熱湯で湯通しして、丁寧にむしり取ってどこぞの犬にでもあげたい衝動にかられる。
しかしながら、そんな私の思いとは別に、テレビで彼を見ない日はなく、「そんなの関係ねぇ」はついに流行語大賞を受賞してしまった。
世を構成する様々な「関係=リレーションシップ」を一刀両断で全否定するこの言葉は、一見切れ味が鋭く心地よい錯覚を覚えるものであるが、その反面「神は死んだ」と高らかにニヒリズムを宣言することで19世紀という繁栄と安定の時代の終焉の到来を告げたニーチェの混乱を、この21世紀に繰返す恐れのあるものである。
私は、この言葉の蔓延がもたらす未曾有のカタルシスに恐怖を覚え、小島本人への接触を試みた。
jj「どうも、jjです。」
小島「ういー。」
jj「彼方は、物事と物事の間の関係をことごとく否定して回っています。」
小「そんなの関係ねぇ。」
jj「よろしい。例えば彼方が履いているその海パンですが、その海パンのメーカーとあなたに関係があるのは流石に認めるところでしょう。」
小「そんなの関係ねぇ。」
jj「その海パンメーカーには沢山の人が働いていて、糸一本紡ぐのに石油の精製から海パンへの縫製まで、数多の人が関わり、
そして誰かが店舗に運んで、誰かが店舗に陳列したものを彼方が手にとって履いてる訳です。」
小「そんなの関係ねぇ」
jj「私は、寧ろこの世の全ての物事には何らかの関係があるのではないか、とすら思っています。」
小「そんなの関係ねぇ。」
jj「そして、其れが関係のないものと思えるのなら、そう思うほうが無知なのだととも。」
小「はい、おっぱっぴー。」
jj「その『おっぱっぴー』ですら、私は彼方と何らかの関係がある言葉だと思っているのです。
例えば、何故『おっぱっぺー』ではなかったのか、『おっぱっぷー』ではいけないのか。
もっとも、彼方は此れを「オーシャン・パシフィック・ピース」の略だ、としています。
小「はい、おっぱっぴー。(白目を剥きながら)」
jj「此れが英語として完全に間違いだということは今更指摘をすることもないと思うのですが、
彼方は意味のない言葉として此れを使用しています。」
小「はい、おっぱっぴー。」
jj「私は残念でならない。何故、其処で『おっぱい』だと云わないのか、と。
急場しのぎの意味不明な英語で取り繕うのかと。
森羅万象を『そんなの関係ねぇ』と言い切るのであれば、何故其れを無意味な混沌である現実に耐えつつ、
自らが現実の新しい意味であろうとする真に自由にして批判的な精神へと昇華していかないのかと。」
小「うぇーい」
jj「うぇーい」
と云うことで、小島本人との接触を試みたが全く接点を持たないまま物別れに終わってしまった。
結局、関係という糸で繋いだ服は、裸の王様には見えないのであろう。
私は「イ」の字になって踊り狂う小島を残し、静かに冬の街を後にした。
放送コードギリギリの挙動不審さで蠢く彼を見ていると、その無駄についてる筋肉を本物の熱湯で湯通しして、丁寧にむしり取ってどこぞの犬にでもあげたい衝動にかられる。
しかしながら、そんな私の思いとは別に、テレビで彼を見ない日はなく、「そんなの関係ねぇ」はついに流行語大賞を受賞してしまった。
世を構成する様々な「関係=リレーションシップ」を一刀両断で全否定するこの言葉は、一見切れ味が鋭く心地よい錯覚を覚えるものであるが、その反面「神は死んだ」と高らかにニヒリズムを宣言することで19世紀という繁栄と安定の時代の終焉の到来を告げたニーチェの混乱を、この21世紀に繰返す恐れのあるものである。
私は、この言葉の蔓延がもたらす未曾有のカタルシスに恐怖を覚え、小島本人への接触を試みた。
jj「どうも、jjです。」
小島「ういー。」
jj「彼方は、物事と物事の間の関係をことごとく否定して回っています。」
小「そんなの関係ねぇ。」
jj「よろしい。例えば彼方が履いているその海パンですが、その海パンのメーカーとあなたに関係があるのは流石に認めるところでしょう。」
小「そんなの関係ねぇ。」
jj「その海パンメーカーには沢山の人が働いていて、糸一本紡ぐのに石油の精製から海パンへの縫製まで、数多の人が関わり、
そして誰かが店舗に運んで、誰かが店舗に陳列したものを彼方が手にとって履いてる訳です。」
小「そんなの関係ねぇ」
jj「私は、寧ろこの世の全ての物事には何らかの関係があるのではないか、とすら思っています。」
小「そんなの関係ねぇ。」
jj「そして、其れが関係のないものと思えるのなら、そう思うほうが無知なのだととも。」
小「はい、おっぱっぴー。」
jj「その『おっぱっぴー』ですら、私は彼方と何らかの関係がある言葉だと思っているのです。
例えば、何故『おっぱっぺー』ではなかったのか、『おっぱっぷー』ではいけないのか。
もっとも、彼方は此れを「オーシャン・パシフィック・ピース」の略だ、としています。
小「はい、おっぱっぴー。(白目を剥きながら)」
jj「此れが英語として完全に間違いだということは今更指摘をすることもないと思うのですが、
彼方は意味のない言葉として此れを使用しています。」
小「はい、おっぱっぴー。」
jj「私は残念でならない。何故、其処で『おっぱい』だと云わないのか、と。
急場しのぎの意味不明な英語で取り繕うのかと。
森羅万象を『そんなの関係ねぇ』と言い切るのであれば、何故其れを無意味な混沌である現実に耐えつつ、
自らが現実の新しい意味であろうとする真に自由にして批判的な精神へと昇華していかないのかと。」
小「うぇーい」
jj「うぇーい」
と云うことで、小島本人との接触を試みたが全く接点を持たないまま物別れに終わってしまった。
結局、関係という糸で繋いだ服は、裸の王様には見えないのであろう。
私は「イ」の字になって踊り狂う小島を残し、静かに冬の街を後にした。
2007年12月02日
サムライロック
※ 以下のエントリは泥酔のテンションで書いてますので泥酔しながら読むといいと思う。
巷に溢れている音楽はどれも耳ざわりのいいものばかりで
どっかで聞いたことあるなぁ、と思ってたらホントにカヴァーで。
カヴァーって云うのもアレだな、いいな。バカっぽくて。ヴァカー。
どいつもこいつも、焼き直し、焼き直し、ヤキナオシ。
酒だ。酒もってこい。
最近流行ってるのが、「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」だってねぇ。
飲んでみたけど、ああ、水みてーだ。ちげぇねぇ。
そういえば、イーグルスの「ホテル・カルフォルニア」で、ホテルに泊まった主人公がワインを頼むと「あいにく、1969年以来そのようなスピリットは切らしいます」てのがあったなぁ。
まぁ、分かんないバカは居ないと思うけど、敢えてトリビア厨のオレが解説するとジンとかラムとかカクテルのベースになるような酒を「spirit」と呼ぶが、コレと「精神」の意味のダブルミーニングで、コレは70年代の巨大なビジネスとして商業化、大量消費文化に飲まれ、音楽に対するフロンティア精神(音楽で世界を変えよう)が無くなった当時のオンガクの中心地カルフォルニアに対する批判なんだよな。
そのイーグルスも再結成だ。
青空が染みるなぁ。
隠してるその手を見せてみろよ。
ザ・クロマニヨンズって、もうブル・ーハーツだよなぁ。完全に。
何時までもロックから離れられない人見ると、スラムダンク31巻で部活をだれも真剣にやらないなか、遅くまで独りでシュート練習する小暮君を見てゴリが
「ウハッ」
って笑うあの笑いをオレもしちゃうんだよな。ウハって。
わかんねーか。ま、いいや。
あと、拡声器でノイズバリバリに「幸福論」を叫ぶアーティストをみても「ウハ」ってなるなぁ。
オンガクってのは、世界を変える力がある。
それは、事実だ。
本人がそれを夢想する必要があるけどね。
先に言っとくか。
12月8日、何してるかわからないし。
Happy X'mas(War Is Over)
オンガクで世界を変えたジョン・レノンに
巷に溢れている音楽はどれも耳ざわりのいいものばかりで
どっかで聞いたことあるなぁ、と思ってたらホントにカヴァーで。
カヴァーって云うのもアレだな、いいな。バカっぽくて。ヴァカー。
どいつもこいつも、焼き直し、焼き直し、ヤキナオシ。
酒だ。酒もってこい。
最近流行ってるのが、「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」だってねぇ。
飲んでみたけど、ああ、水みてーだ。ちげぇねぇ。
そういえば、イーグルスの「ホテル・カルフォルニア」で、ホテルに泊まった主人公がワインを頼むと「あいにく、1969年以来そのようなスピリットは切らしいます」てのがあったなぁ。
まぁ、分かんないバカは居ないと思うけど、敢えてトリビア厨のオレが解説するとジンとかラムとかカクテルのベースになるような酒を「spirit」と呼ぶが、コレと「精神」の意味のダブルミーニングで、コレは70年代の巨大なビジネスとして商業化、大量消費文化に飲まれ、音楽に対するフロンティア精神(音楽で世界を変えよう)が無くなった当時のオンガクの中心地カルフォルニアに対する批判なんだよな。
そのイーグルスも再結成だ。
青空が染みるなぁ。
隠してるその手を見せてみろよ。
ザ・クロマニヨンズって、もうブル・ーハーツだよなぁ。完全に。
何時までもロックから離れられない人見ると、スラムダンク31巻で部活をだれも真剣にやらないなか、遅くまで独りでシュート練習する小暮君を見てゴリが
「ウハッ」
って笑うあの笑いをオレもしちゃうんだよな。ウハって。
わかんねーか。ま、いいや。
あと、拡声器でノイズバリバリに「幸福論」を叫ぶアーティストをみても「ウハ」ってなるなぁ。
オンガクってのは、世界を変える力がある。
それは、事実だ。
本人がそれを夢想する必要があるけどね。
先に言っとくか。
12月8日、何してるかわからないし。
Happy X'mas(War Is Over)
オンガクで世界を変えたジョン・レノンに
2007年10月08日
DIONがau one netになって思う2、3のこと
116電話の引越し番号ではない。
jjのこのブログの「ブログID」である。
2004年8月2日、このエントリで始まった当ブログもおかげさまで3周年である。
このエントリ「新番組のご案内」のあたりにかけてたんだと思うが、そもそも今となっては、この仲間ユキエの新番組が何だったのか思い出せない。
つまり、この3年と云うのは
「あの頃精子だったうちのたぁ君が、色々しゃべるようになりました!」
っていう年月(としつき)であるとともに、ハムスターの寿命でもある結構な年月となるが、当ブログは、わくわく育児日記でもどきどき小動物観察日記でもないので、何の変わり映えもなく続けているわけである。
3年前にラブログのベータ版に登録したとき、自分のIDが116だった感想は「前に115人もいるのか」というものであった。jjはラブログのβ版リリースとほぼ同時に登録したため、自分より先に登録をした人が100人以上居ること対する驚き、それはすなわち、当時感じた「ブログ熱」のようなものだったのだ。
流行は、定着することで文化となる。
ある種の熱を帯びて広がっていったブログは、文化となったのだろうか。
jjの魂のブログ、STILL ALIVEはこの辺で管理者あしあとがあったのを皮切りに、「センパイ」の称号を受け、マイスター山野井チャーチューを贈呈されているので、
「ケッ、反体制ロック気取ってるけど完全に体制側じゃねぇか、ペッ」
などと悪態をつかれる恐れもあるのだが、敢えて思ったことを書きたい。
既にこのブログの熱心なファンはご承知のように、このブログは一度終了している。
終了は計画的なものだったのだが、むざむざ再起動にいたったのは、何を隠そうディオンのインタビューがきっかけである。
それは、彼らが紹介したブログが終了してるというのもどうかと思う反面(この辺の心配をユーザーがするのがKDDIクオリティー)、このブログを楽しみにして呉れている物好きの方々が沢山いたということで、何となくグダグダになるのが見えていても続けることにしたのである。
誰でもそうだと思うのだが、自分の書いた文章を褒められたりすると嬉しい。
DIONブログ係の人に強く云いたいのは、このモチベーションを大切にして、もっとラブログ界隈を盛り上げて欲しいといくことである。
例えばトラックバック企画だが、現在の完全投げっぱなしな前世代的web1.0企画ではなく、木村カエラがトラックバックされたブログの中から「個人的フェイバリットブログ」を選ぶなどのweb2.0企画にしてみてはどうか。
天下のKDDIさんなら、そんなタレントの一人や二人用意できるだろう。
これで、ブロガーのモチベーションを高いレベルで維持することができると共に、DIONがau-one-netとして生まれ変わったイメージを内外に強烈に示すことができるのではないだろうか。
是非一考して欲しい。
あ、でも、ぜんじろうはいいや。
So we are still alive in such a crazy world.
2007年09月24日
真に哲学的な一つの問題
既に期間は終了しているのだが、東京ディズニーランドの企画にウオータープログラム「ウエット&ワイルド・パイレーツナイト」というのがあって、かなりド派手に水やら炎やらを打ち上げる企画なのだが、ずぶ濡れになりながらミニスカートで踊る女性パイレーツが存外エロかったりしてて
映画版のパイレーツ・オブ・カリビアンを観てない人も存分に興奮する内容になっている。
(全容は上記オフィシャルサイトのダイジェストムービーのほか、この辺(前半、後半)でチェケラ)
しかし、jj的には、ジャックの声が気になってしょうがなく、ていうかこの声って誰の声なのかは調べてないのだがプリズンブレイクの少年少女6人を誘拐し、レイプ殺人して終身刑をくらっている変態「セオドア・“ティーバッグ”・バッグウェル」の声に聞こえてしょうがなくって、ゲンナリした。
特に、
「ありがとう、ジャック!」
「キャプテンだ。キャプテン・ジャック・スパロウ。」
の辺りでは、
「キャプテン・ジャック・スパロウぅ〜」とおねだりする様なしゃべりっぷりで、オリジナルを日本語吹き替えじゃないバージョンで観た人(つまり、殆どの人)がヘナヘナ〜となったのではないだろうか。
ところで、この「パイレーツ・オブ・カリビアン」には、哲学的な問題がある。
つまり、この「ウエット&ワイルド・パイレーツナイト」中のジャック・スパロウは本物か?ということである。
ディズニーランドの公式テロップには「ジョニーデップ本人ではありません」という注意がされているが、そもそもパイレーツ・オブ・カリビアンはディズニーランドのアトラクションのひとつであって、ジョニーデップが演じる前からジャックは存在していることとなる。
ディズニーランドが、彼がジャック・スパロウだというのであれば、彼こそが「本物」のジャック・スパロウではないのかとも云えるのだ。
写真は、ジャック・スパロウ役のアクターだが、彼はジョニーデップさながらの人気を博していた。
「実在が本質に先立つ」という実存主義に基づけば、ジョニー・デップが演じようが、ディズニーランド内においてジャック・スパロウと命名された無名な俳優が演じようが、その本性(=本質)は存在せず、その後にその人が何者であるかが定義されることとなる。
作品を元にアトラクションが作られた、ディズニーランドにおいて、アトラクションを元に作品をつくるという逆転があったためにその実存がゆらいだ「カリブの海賊」は、真に哲学的な一つの問題を孕んでいるのである。
映画版のパイレーツ・オブ・カリビアンを観てない人も存分に興奮する内容になっている。
(全容は上記オフィシャルサイトのダイジェストムービーのほか、この辺(前半、後半)でチェケラ)
しかし、jj的には、ジャックの声が気になってしょうがなく、ていうかこの声って誰の声なのかは調べてないのだがプリズンブレイクの少年少女6人を誘拐し、レイプ殺人して終身刑をくらっている変態「セオドア・“ティーバッグ”・バッグウェル」の声に聞こえてしょうがなくって、ゲンナリした。
特に、
「ありがとう、ジャック!」
「キャプテンだ。キャプテン・ジャック・スパロウ。」
の辺りでは、
「キャプテン・ジャック・スパロウぅ〜」とおねだりする様なしゃべりっぷりで、オリジナルを日本語吹き替えじゃないバージョンで観た人(つまり、殆どの人)がヘナヘナ〜となったのではないだろうか。
つまり、この「ウエット&ワイルド・パイレーツナイト」中のジャック・スパロウは本物か?ということである。
ディズニーランドの公式テロップには「ジョニーデップ本人ではありません」という注意がされているが、そもそもパイレーツ・オブ・カリビアンはディズニーランドのアトラクションのひとつであって、ジョニーデップが演じる前からジャックは存在していることとなる。
ディズニーランドが、彼がジャック・スパロウだというのであれば、彼こそが「本物」のジャック・スパロウではないのかとも云えるのだ。
写真は、ジャック・スパロウ役のアクターだが、彼はジョニーデップさながらの人気を博していた。
「実在が本質に先立つ」という実存主義に基づけば、ジョニー・デップが演じようが、ディズニーランド内においてジャック・スパロウと命名された無名な俳優が演じようが、その本性(=本質)は存在せず、その後にその人が何者であるかが定義されることとなる。
作品を元にアトラクションが作られた、ディズニーランドにおいて、アトラクションを元に作品をつくるという逆転があったためにその実存がゆらいだ「カリブの海賊」は、真に哲学的な一つの問題を孕んでいるのである。
2007年09月22日
Internet never kill a radio star
2007年08月24日
地球は死なないわ、私が守るもの。
ブログ開設時より地味にエヴァネタを散りばめていたjjだが、その度に「今時エヴァですか?」的な嘲笑をかってて、この9月に10年ぶりに劇場版が公開されるということで、今エヴァネタをやると今度はそれに便乗しているかのように思われるので、とかく住みにくい世の中というか、オマエラはホントに勝手ですね。
ということで、ゴア大統領のドキュメンタリー映画、「不都合な真実」がアカデミー賞をとった。
キリマンジャロの消え行く雪や、北極の溶け行く氷を映し、我々が今絶滅の危機に瀕していることを訴えた。
今年の夏もオーストラリアでは深刻な干ばつが生じて、日本でも毎年最高気温を更新し、酷暑となった。
よっぽど鈍感な人間でも、ここ最近の気候が明らかに10年前と違うことは感じるだろうし、実際に19世紀末以降、地球の平均気温は0.3〜0.6度上昇し、海面も10〜25センチメートル上昇しており、地球は間違いなく温暖化している。
一方で、ちょっと前に広島で、「パラグライダーをしたいから」という理由で、1100本もの杉等を伐採し、山の地肌があらわになるまでにした男が逮捕されたニュースがされた。(ソース記事リンク切れ)
環境問題において難しいのは、こういうアホが無邪気に破壊するものをどう防ぐかというところにある。
しかし、この広島の杉山伐採がカワイクみえるくらい、地球の熱帯林がもの凄いスピードで消失しているということはあまりニュースとならない。
国連食料農業機関(FAO)は、1981〜1990年の10年間で、毎年1,540haの熱帯林が消失していると発表しており、これは実に本州の約半分の大きさになる。
つまり、毎年本州の半分くらいの熱帯林が消失しているのだ。
熱帯林が消失している原因は色々あるのだが、jjが注目したいのは、大規模な牧畜によるものである。
莫大な面積の熱帯林を切り開いて大規模な牧場を作り、そこに牛を放牧して牛肉を大量生産しているのだ。
これは、我々の国でも消費されているハンバーガーの需要増大が原因とみられている。
また、温室効果ガスのひとつであるメタンガスは、その発生原因の25%が牛のげっぷであり、研究者はこれを削減することで地球温暖化防止に役立つ可能性を指摘している。(ロイター)
我々は、牛にげっぷをさせながら熱帯林をハンバーガーにしているのだ。
そして、世界最大の消費国家で、マクドナルドを擁するアメリカは、温室効果ガスの排出を規制する京都議定書に今も批准していない。
jjとしては、先ず「ハンバーガー地球温暖化仮説」を提唱し、地球環境のためにマクドナルドの廃止を訴えたい。
我々は快適な生活が好きである。
クーラーや車のない生活は考えられないが、これらがどれだけ環境に負荷をかけているか自覚するべきであろう。
生活が不便になるのは問題であるが、生物のすめない星にしてしまうのは論外だ。
現在の地球環境が生き物が暮らしていくのに、宇宙的にみて如何に奇跡的なものかということについての説明は割愛するが、この素晴らしい地球環境は、数十億年という長い年月をかけて作られたものである。
これを自分が大切な人を愛するように愛することが、今、必要だろう。
それは、全くのエゴでいいと思う。
その行動の一つがきれいな水をつくるとか、きれいな空気をつくるとか。
行動原理は、エゴでいいと思うのだ。
今、地球環境について、一握りの人が真剣になんとかしなければならないと思って行動して、それより少ないほんの一握りの人が今も環境を破壊し続けている。
この素晴らしい地球環境を理解し、愛し、残すために自分たちが何をするべきか考えるべきだろう。
この地球を守るのは、他ならぬ我々だ。
ということで、ゴア大統領のドキュメンタリー映画、「不都合な真実」がアカデミー賞をとった。
キリマンジャロの消え行く雪や、北極の溶け行く氷を映し、我々が今絶滅の危機に瀕していることを訴えた。
今年の夏もオーストラリアでは深刻な干ばつが生じて、日本でも毎年最高気温を更新し、酷暑となった。
よっぽど鈍感な人間でも、ここ最近の気候が明らかに10年前と違うことは感じるだろうし、実際に19世紀末以降、地球の平均気温は0.3〜0.6度上昇し、海面も10〜25センチメートル上昇しており、地球は間違いなく温暖化している。
一方で、ちょっと前に広島で、「パラグライダーをしたいから」という理由で、1100本もの杉等を伐採し、山の地肌があらわになるまでにした男が逮捕されたニュースがされた。(ソース記事リンク切れ)
環境問題において難しいのは、こういうアホが無邪気に破壊するものをどう防ぐかというところにある。
しかし、この広島の杉山伐採がカワイクみえるくらい、地球の熱帯林がもの凄いスピードで消失しているということはあまりニュースとならない。
国連食料農業機関(FAO)は、1981〜1990年の10年間で、毎年1,540haの熱帯林が消失していると発表しており、これは実に本州の約半分の大きさになる。
つまり、毎年本州の半分くらいの熱帯林が消失しているのだ。
熱帯林が消失している原因は色々あるのだが、jjが注目したいのは、大規模な牧畜によるものである。
莫大な面積の熱帯林を切り開いて大規模な牧場を作り、そこに牛を放牧して牛肉を大量生産しているのだ。
これは、我々の国でも消費されているハンバーガーの需要増大が原因とみられている。
また、温室効果ガスのひとつであるメタンガスは、その発生原因の25%が牛のげっぷであり、研究者はこれを削減することで地球温暖化防止に役立つ可能性を指摘している。(ロイター)
我々は、牛にげっぷをさせながら熱帯林をハンバーガーにしているのだ。
そして、世界最大の消費国家で、マクドナルドを擁するアメリカは、温室効果ガスの排出を規制する京都議定書に今も批准していない。
jjとしては、先ず「ハンバーガー地球温暖化仮説」を提唱し、地球環境のためにマクドナルドの廃止を訴えたい。
我々は快適な生活が好きである。
クーラーや車のない生活は考えられないが、これらがどれだけ環境に負荷をかけているか自覚するべきであろう。
生活が不便になるのは問題であるが、生物のすめない星にしてしまうのは論外だ。
現在の地球環境が生き物が暮らしていくのに、宇宙的にみて如何に奇跡的なものかということについての説明は割愛するが、この素晴らしい地球環境は、数十億年という長い年月をかけて作られたものである。
これを自分が大切な人を愛するように愛することが、今、必要だろう。
それは、全くのエゴでいいと思う。
その行動の一つがきれいな水をつくるとか、きれいな空気をつくるとか。
行動原理は、エゴでいいと思うのだ。
今、地球環境について、一握りの人が真剣になんとかしなければならないと思って行動して、それより少ないほんの一握りの人が今も環境を破壊し続けている。
この素晴らしい地球環境を理解し、愛し、残すために自分たちが何をするべきか考えるべきだろう。
この地球を守るのは、他ならぬ我々だ。
2007年08月21日
愛はunconditional
ラジオですよ。
しょっぱなの麒麟のモノマネから上間久里。
(噛みまくりと読む)
※ ファイルは削除してやった。
i wanna lie next to you
and i wanna do everyting you want me to
but i'm not sure i know how
put your arms around me now
when i feel you i surrender
unconditional love
其れが故
あたしは常に飢えているのだ
自分自身にも
他者に対しても
何の説明も要さない
感じるだけの愛情に
しょっぱなの麒麟のモノマネから上間久里。
(噛みまくりと読む)
※ ファイルは削除してやった。
i wanna lie next to you
and i wanna do everyting you want me to
but i'm not sure i know how
put your arms around me now
when i feel you i surrender
unconditional love
其れが故
あたしは常に飢えているのだ
自分自身にも
他者に対しても
何の説明も要さない
感じるだけの愛情に




