2012年01月26日
■危険運転致死罪と自動車運転過失致死罪の狭間ー故意・過失二元主義の限界
■「兵庫・加西の兄弟死亡事故:危険運転致死適用を見送る」。
毎日新聞(朝刊)2012年1月1日は、こんな記事を載せる。昨年末の悲しい事故の処理に関するものだ。記事を引用する。
***
兵庫県加西市の県道で昨年12月10日夜、飲酒運転の軽トラックに小学生の兄弟がはねられ死亡した事故で、神戸地検は31日、同市下万願寺町、建築業、O容疑者(54)を自動車運転過失致死などの罪で神戸地裁に起訴した。起訴状などによるとO被告は同夜、複数の飲食店で飲酒後、呼気1リットル中0・4ミリグラムのアルコール分を含んだ状態で軽トラックを運転。午後11時5分ごろ、同市立北条小6年、I君(12)と同2年、T(たいせい)君(8)の兄弟をはねて死亡させたとされる。
県警は、泥酔状態で正常運転が困難だったとみて、より罰則の重い危険運転致死容疑で追送検したが、地検は立証に足りる十分な証拠がないと判断したとみられる。
***
危険運転致死傷罪は、故意班である。犯人が、アルコールの影響で正常な運転ががきないことを認識しながら運転することが必要だ。その結果、人の死傷が生じたときに重く処罰する。ただ、「故意」を認定するためには、証拠上、こうした状態を行為時に認識していたと法的に評価することが相当でなければならない。
しかし、犯罪の性質上、犯行時にはアルコールの影響で正常な運転ができない状態になっているのであるから、心の状態もこれに匹敵する状態、、、、正常な認識ができない状態にある。つまり、そもそも「故意」を認定できない状態を、故意犯として立法化しているようなものだ。
本件のように泥酔状態であることが、事件直後の捜査で明らかになればなるほどそう言える。逆に、ほろ酔い程度だが、心と体をうまくコントロールできないことを現に認識しつつも、家路を急ぐために車を運転したところ、案の定、事故を起こして被害者を出した、、、といった場合は、事後に、取調べで自白を得ることもできるから、かえって重く処罰される。変な言い方であるが、泥酔すればするほど軽くなるーーー自動車運転過失致死傷罪でしか処罰できなくなる。
上記の事件で、検察が、危険運転致死罪の適用を見送った事情は不明であるが、おそらくは、犯行前後の事情を積み上げても、運転時に、無謀運転の故意があると立証できないと判断したのであろう。
むろん、例えば、運転開始直前に、飲み屋で店の人に止められたことを認識しつつ、運転を行ったといった事情があれば別だが、状況証拠での本件故意の認定は難しい。
残された遺族の無念はわかる。立法の改革が必要だ。
毎日新聞(朝刊)2012年1月1日は、こんな記事を載せる。昨年末の悲しい事故の処理に関するものだ。記事を引用する。
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兵庫県加西市の県道で昨年12月10日夜、飲酒運転の軽トラックに小学生の兄弟がはねられ死亡した事故で、神戸地検は31日、同市下万願寺町、建築業、O容疑者(54)を自動車運転過失致死などの罪で神戸地裁に起訴した。起訴状などによるとO被告は同夜、複数の飲食店で飲酒後、呼気1リットル中0・4ミリグラムのアルコール分を含んだ状態で軽トラックを運転。午後11時5分ごろ、同市立北条小6年、I君(12)と同2年、T(たいせい)君(8)の兄弟をはねて死亡させたとされる。
県警は、泥酔状態で正常運転が困難だったとみて、より罰則の重い危険運転致死容疑で追送検したが、地検は立証に足りる十分な証拠がないと判断したとみられる。
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危険運転致死傷罪は、故意班である。犯人が、アルコールの影響で正常な運転ががきないことを認識しながら運転することが必要だ。その結果、人の死傷が生じたときに重く処罰する。ただ、「故意」を認定するためには、証拠上、こうした状態を行為時に認識していたと法的に評価することが相当でなければならない。
しかし、犯罪の性質上、犯行時にはアルコールの影響で正常な運転ができない状態になっているのであるから、心の状態もこれに匹敵する状態、、、、正常な認識ができない状態にある。つまり、そもそも「故意」を認定できない状態を、故意犯として立法化しているようなものだ。
本件のように泥酔状態であることが、事件直後の捜査で明らかになればなるほどそう言える。逆に、ほろ酔い程度だが、心と体をうまくコントロールできないことを現に認識しつつも、家路を急ぐために車を運転したところ、案の定、事故を起こして被害者を出した、、、といった場合は、事後に、取調べで自白を得ることもできるから、かえって重く処罰される。変な言い方であるが、泥酔すればするほど軽くなるーーー自動車運転過失致死傷罪でしか処罰できなくなる。
上記の事件で、検察が、危険運転致死罪の適用を見送った事情は不明であるが、おそらくは、犯行前後の事情を積み上げても、運転時に、無謀運転の故意があると立証できないと判断したのであろう。
むろん、例えば、運転開始直前に、飲み屋で店の人に止められたことを認識しつつ、運転を行ったといった事情があれば別だが、状況証拠での本件故意の認定は難しい。
残された遺族の無念はわかる。立法の改革が必要だ。
【■事件ー捜査から起訴までの最新記事】
2012年01月24日
■警察官の治安を守る「犯罪」−市民社会こそ責任の自覚が要る
奈良地裁ではじまった、これも裁判員裁判時代に相応しい事件ー付審判決定事件の裁判員裁判で、警察官が殺人罪でも追起訴された裁判が始まった。2012年1月23日の夕刊二誌の記事を紹介する。
■大阪読売新聞(夕刊)「奈良/付審判/発砲の是非/裁判員が判断/警官「車を止めるため正当」」
***
警察官の発砲の是非を審理する前例のない裁判員裁判が23日午前、奈良地裁で始まった。「治安を守る行為はどこまで認められるのか」「市民の目でも判断してほしい」。撃たれて死亡した男性の母は真実を明らかにと法廷に臨み、被告となった奈良県警の警察官2人は硬い表情を崩さなかった。〈本文記事1面〉
被告の東(ひがし)芳弘巡査部長(35)、萩原基文警部補(35)はスーツ姿で出廷。罪状認否ではともに、はっきりした声で「文書を読み上げます」と告げて書面を取り出し、「(高さんの頭を)狙って発砲したのではありません」「暴走を繰り返す車を停止させるための発砲で、正当だったと考えています」などと無罪を主張した。
冒頭陳述の間は、東被告は膝の上に手を置いて前を見据えた。萩原被告はうつむいていることが多く、時折目をつぶって疲れたような表情を見せていた。
事件当時、東被告は県警自動車警ら隊の巡査長で、萩原被告は機動捜査隊の巡査部長だった。現在、両被告は県警本部刑事部の部署に在籍している。
付審判について、県警監察課は「係争中なのでコメントできない」としている。しかし、県警内部では、「殺人罪で有罪判決が出れば、治安を守れなくなる」「必要な発砲も萎縮するようになる」と懸念の声も聞かれる。
***
識者コメントとして次の2記事が掲載された。
◆地域の治安どう守る
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「殺人罪を認定した場合、警察官の発砲は今より困難になる。権力乱用は許されないが、治安維持の役割も担ってきた地域社会が崩壊しつつある中、警察が消極的にしか動けないなら、治安をどう守るのか。市民一人ひとりに治安維持のあり方を考えさせる裁判になる」
◆警察への監視不十分
新屋達之・大宮法科大学院大学教授(刑事訴訟法)の話「警察官の行為は行き過ぎてはならない。発砲が許される行為について、警察官職務執行法などの規定は抽象的で、警察に対する第三者の監視もまだ不十分といえる。警察権力をチェックする制度について、議論が深まることを期待したい」
■産経新聞(夕刊)「奈良発砲付審判/「市民の目」に思い複雑/「ひるむな」警察に激励の電話も 」
***
警察官の発砲行為をめぐって、23日に始まった奈良地裁での裁判員裁判は、今後の警察活動に大きな影響を及ぼすことも予想される。市民から選ばれた裁判員らによる計16回の公判と5回の評議で、発砲の正当性や殺意の有無を争点に審理されるが、前例のない裁判に関係者らの反応はさまざまだ。
「過去20件開かれた付審判の中でも、殺人罪に問われた例はなく、裁判員裁判の対象となるのも初だ。開廷前に行われた傍聴券の抽選には228人が列を作り、同地裁での裁判員裁判としては過去最多の傍聴希望者数となるなど、関心の高さをうかがわせた。
警察官の発砲について8年越しで訴えを続けてきた遺族も、被害者参加制度で初公判の法廷に入った。死亡した高壮日さん=当時(28)=の母親(74)は「このような形で子を失った親の気持ちを理解して、本当に警察官の発砲行為は正しかったのかどうかを判断してほしい」と語り、一般国民の目による審判に期待を寄せた。
***
■同誌は、警察関係者思いや社会の反応も紹介する。
○「ある県警幹部は「発砲をためらえば、無関係な市民に危険が及ぶ可能性があった。それだけ差し迫った状況だったのに、違法かと問われると…」とポツリ。裁判は裁判員らの判断に委ねられたが、県警には平成22年4月の両被告の付審判決定以降、警察官を激励・支援するメールや電話が全国から寄せられている」。
○「職務にひるむな」「支援したい」などといった内容が多く、延べ100件以上に上るという。別の警察関係者は「発砲に至るまでには、相応の理由がある。発砲行為までの経緯を、裁判員にはしっかりと知ってほしい」と話していた」
***
同誌には、次のコメントを出している。
◆「裁判員裁判にふさわしい事件」
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「窃盗犯が逮捕を免れるため、凶悪な犯罪に走る危険はある。執拗(しつよう)に車で逃走しようとする2人組を迅速に制圧することは警察の緊急の責務であり、現場警察官の断固たる措置は是認されるべきだ。拳銃発砲は『殺意』を伴う行為であるが、市民社会を防衛する緊急の必要があれば、警察官の正当な業務として犯罪にはならない。刑事裁判を通じて正義を実現するのは市民の義務であり、これを誠実に果たそうとする良識ある市民は多い。そうした裁判員が法律のプロである裁判官と協力して、治安維持のため警察官の職務に期待することを真剣に検討することになるが、今回は裁判員裁判にふさわしい事件といえる」
■大阪読売新聞(夕刊)「奈良/付審判/発砲の是非/裁判員が判断/警官「車を止めるため正当」」
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警察官の発砲の是非を審理する前例のない裁判員裁判が23日午前、奈良地裁で始まった。「治安を守る行為はどこまで認められるのか」「市民の目でも判断してほしい」。撃たれて死亡した男性の母は真実を明らかにと法廷に臨み、被告となった奈良県警の警察官2人は硬い表情を崩さなかった。〈本文記事1面〉
被告の東(ひがし)芳弘巡査部長(35)、萩原基文警部補(35)はスーツ姿で出廷。罪状認否ではともに、はっきりした声で「文書を読み上げます」と告げて書面を取り出し、「(高さんの頭を)狙って発砲したのではありません」「暴走を繰り返す車を停止させるための発砲で、正当だったと考えています」などと無罪を主張した。
冒頭陳述の間は、東被告は膝の上に手を置いて前を見据えた。萩原被告はうつむいていることが多く、時折目をつぶって疲れたような表情を見せていた。
事件当時、東被告は県警自動車警ら隊の巡査長で、萩原被告は機動捜査隊の巡査部長だった。現在、両被告は県警本部刑事部の部署に在籍している。
付審判について、県警監察課は「係争中なのでコメントできない」としている。しかし、県警内部では、「殺人罪で有罪判決が出れば、治安を守れなくなる」「必要な発砲も萎縮するようになる」と懸念の声も聞かれる。
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識者コメントとして次の2記事が掲載された。
◆地域の治安どう守る
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「殺人罪を認定した場合、警察官の発砲は今より困難になる。権力乱用は許されないが、治安維持の役割も担ってきた地域社会が崩壊しつつある中、警察が消極的にしか動けないなら、治安をどう守るのか。市民一人ひとりに治安維持のあり方を考えさせる裁判になる」
◆警察への監視不十分
新屋達之・大宮法科大学院大学教授(刑事訴訟法)の話「警察官の行為は行き過ぎてはならない。発砲が許される行為について、警察官職務執行法などの規定は抽象的で、警察に対する第三者の監視もまだ不十分といえる。警察権力をチェックする制度について、議論が深まることを期待したい」
■産経新聞(夕刊)「奈良発砲付審判/「市民の目」に思い複雑/「ひるむな」警察に激励の電話も 」
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警察官の発砲行為をめぐって、23日に始まった奈良地裁での裁判員裁判は、今後の警察活動に大きな影響を及ぼすことも予想される。市民から選ばれた裁判員らによる計16回の公判と5回の評議で、発砲の正当性や殺意の有無を争点に審理されるが、前例のない裁判に関係者らの反応はさまざまだ。
「過去20件開かれた付審判の中でも、殺人罪に問われた例はなく、裁判員裁判の対象となるのも初だ。開廷前に行われた傍聴券の抽選には228人が列を作り、同地裁での裁判員裁判としては過去最多の傍聴希望者数となるなど、関心の高さをうかがわせた。
警察官の発砲について8年越しで訴えを続けてきた遺族も、被害者参加制度で初公判の法廷に入った。死亡した高壮日さん=当時(28)=の母親(74)は「このような形で子を失った親の気持ちを理解して、本当に警察官の発砲行為は正しかったのかどうかを判断してほしい」と語り、一般国民の目による審判に期待を寄せた。
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■同誌は、警察関係者思いや社会の反応も紹介する。
○「ある県警幹部は「発砲をためらえば、無関係な市民に危険が及ぶ可能性があった。それだけ差し迫った状況だったのに、違法かと問われると…」とポツリ。裁判は裁判員らの判断に委ねられたが、県警には平成22年4月の両被告の付審判決定以降、警察官を激励・支援するメールや電話が全国から寄せられている」。
○「職務にひるむな」「支援したい」などといった内容が多く、延べ100件以上に上るという。別の警察関係者は「発砲に至るまでには、相応の理由がある。発砲行為までの経緯を、裁判員にはしっかりと知ってほしい」と話していた」
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同誌には、次のコメントを出している。
◆「裁判員裁判にふさわしい事件」
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「窃盗犯が逮捕を免れるため、凶悪な犯罪に走る危険はある。執拗(しつよう)に車で逃走しようとする2人組を迅速に制圧することは警察の緊急の責務であり、現場警察官の断固たる措置は是認されるべきだ。拳銃発砲は『殺意』を伴う行為であるが、市民社会を防衛する緊急の必要があれば、警察官の正当な業務として犯罪にはならない。刑事裁判を通じて正義を実現するのは市民の義務であり、これを誠実に果たそうとする良識ある市民は多い。そうした裁判員が法律のプロである裁判官と協力して、治安維持のため警察官の職務に期待することを真剣に検討することになるが、今回は裁判員裁判にふさわしい事件といえる」
2012年01月23日
『トムソーヤーの冒険』ー40年ぶりの原典
「トム、トム」。返事がない、、、この名句ではじまるトムソーヤーの冒険。初めて訳文を文庫本で読んだのが、確か中学1年か2年か。まだ冬になればたっぷりと雪の降る札幌に居た頃だ。そして、原文で読んだのは、京都で大学時代を過ごし始めた1年目ではないかと思う。それからかれこれ40年近くが経つが、これも、ふと思いついただけのこと、その原典をもう一度読み返すことにした。"nigger"などの差別用語を古典文学からも削除する動きがアメリカで活発になっているといった記事を目にしたためであろうか。簡単に手に入る内にもう一度原典の見事さに触れておくことにした。例のごとく、通勤電車を書斎代わりにした読書で読み上げた。心に残るのは、「インジャン・ジョー」が洞窟で死体で発見される場面の記述だ。鍾乳石を切ってポトンと落ちる水滴をためて飲み水にした、その光景。
ピラミッドがまだ完成したばかりの頃、トロイが陥落した頃、征服王ウイリアムがイギリスを創建し、コロンバスが航海に出た頃も同じリズムでたゆむことなく水滴を垂らして、鍾乳石と石筍を作り上げる自然の悠久の営みを、トムが生涯恐れなければならなくなったインジャン・ジョーの死の背景に織り込む見事さ。この後の1万年の間もやはり水滴をしたたらせ続けるのであろうか、と問う。少年トム。イタズラと機知と、悪賢さと正義観とがひとつになった「アメリカン・ボーイ」。将来は、軍人と法律家になるのがよいと、ベッキーの父であるサッチャー判事は願う。むろん、その将来は語られていない。少年トムは永遠にそのままであり続ける。うらやましい。もう生涯でこの作品を読み返すことなく、一生を終えることとなろう。よき作品だ。
ピラミッドがまだ完成したばかりの頃、トロイが陥落した頃、征服王ウイリアムがイギリスを創建し、コロンバスが航海に出た頃も同じリズムでたゆむことなく水滴を垂らして、鍾乳石と石筍を作り上げる自然の悠久の営みを、トムが生涯恐れなければならなくなったインジャン・ジョーの死の背景に織り込む見事さ。この後の1万年の間もやはり水滴をしたたらせ続けるのであろうか、と問う。少年トム。イタズラと機知と、悪賢さと正義観とがひとつになった「アメリカン・ボーイ」。将来は、軍人と法律家になるのがよいと、ベッキーの父であるサッチャー判事は願う。むろん、その将来は語られていない。少年トムは永遠にそのままであり続ける。うらやましい。もう生涯でこの作品を読み返すことなく、一生を終えることとなろう。よき作品だ。
■裁判員裁判の役割ー市民社会の側の責任「治安維持」
■毎日新聞(朝刊)2012年1月20日は「奈良・大和郡山の警官発砲:「社会の正当防衛」に注目/「付審判」23日初公判−奈良地裁」と題する記事で、「警察官の職務中の発砲が殺人罪に当たるのか――。一般市民がその是非を判断する「前例のない裁判」が奈良地裁で23日から始まる。公務員の職権乱用などが対象の「付審判」で、審判開始の決定が出た21件目の裁判。付審判では初の裁判員裁判となる。殺人罪の審理も初めて。主な争点は殺意の有無と発砲行為の正当性だが、専門家は「社会への正当防衛」が成立するかに注目している。判決は来月28日の予定だ」と紹介する。
記事は、事件そのものについて次のように説明する。
******
「『ガシャーン』という車同士が当たるすさまじい音と、『パン、パン』という発射音が今も耳に残っている」。8年以上前の事件にもかかわらず、ある目撃者は今月中旬、取材に対し、当時の現場の緊迫した雰囲気を生々しく語った。
事件は03年9月10日、奈良県大和郡山市の国道24号で起きた。窃盗容疑で追跡され、パトカーや一般車両に衝突しながら逃走していた乗用車に向け、奈良県警の警官3人が計8発、発砲。このうち、警部補(当時巡査部長)の萩原基文被告(35)と巡査部長(同巡査長)の東芳弘被告(35)の各1発が、助手席の高壮日さん(当時28歳)の後頭部と首に当たり、高さんは翌月、低酸素脳症で死亡した。
******
■刑事裁判は、若干の紆余曲折を辿る。死亡した犯人の遺族は告訴したが、不起訴。特別公務員職権乱用致死罪にあたるので、いわゆる付審判請求が申し立てられた。裁判所は、これを認めて、審判に付する決定、つまり、事実上の公訴提起を認めた。その際、検察官役は、裁判所が指定する弁護士があたる。そして、その弁護士は、記録を精査した上で、訴因を変更した。殺人罪を追加したのだ。
かくして、警察官が治安を守り、市民の安全を確保し、凶悪犯を制圧するため、採られた措置が「殺人」のレッテルをはるに値するものかどうか問う裁判が始まる。
■検察官役は、要するに、車の渋滞する交差点付近で停車せざるを得なかった状況になっていたのであるから、発砲までの必要はないし、至近距離での発砲は不要で、過剰で、単なる「人殺し」と同じだ、と主張するもののようだ。
これに対して、被告側がどのような法理論で弁護方針を貫くのか不明であるが、いくつか考えられる。
(1)殺意性の否定。至近距離からとは言え、運転手の腕など逃走防止のための打撃を与えることを意図したもので、身体枢要部を狙ったものではない、、、
(2)制圧にあたる警察官らの身に危険が及ぼうとしていたので正当防衛が成立する、、、
(3)直近にいる市民の生命と身体、財産を守るためにしたやむをえない行為で、状況により、正当防衛または緊急避難にあたる、、、
などなど。
■しかし、正面から論ずるべきなのは、社会を守るための「正当防衛」であり、治安悪化の中、必要に応じて、断固たる措置をとる警察官の業務の正当性そのものだ。「社会秩序」を守る、、、これこそ正当防衛の骨格になるべきだ。
市民である裁判員が、もし警察官が犯人を取り逃がしたならば、恐怖と不安とそして場合によっては更なる被害にさらされる危機を未然に防いだ警察官等の行動を、どう評価するのか。
これを殺人と断じたならば、警察官になにをせよというのか、その答を自らの責任で出すべきである。
「権力」の権化のように警察官をみて、リベラルな視点から、凶悪犯人の無謀な逃走行為を制圧することも、「権力犯罪」とみるのは、慎むべきであろう。
■こんなコメントを掲載してもらっている。
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「車が逃走した場合、警官個人ではなく、一般市民など社会に及んだかもしれない危害を、発砲によらなければ防ぐことができなかったと証明できるかどうか。そこで発砲の正当性を判断することになる。社会を守る正当防衛と言えるかどうかがポイント」と指摘している。
記事は、事件そのものについて次のように説明する。
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「『ガシャーン』という車同士が当たるすさまじい音と、『パン、パン』という発射音が今も耳に残っている」。8年以上前の事件にもかかわらず、ある目撃者は今月中旬、取材に対し、当時の現場の緊迫した雰囲気を生々しく語った。
事件は03年9月10日、奈良県大和郡山市の国道24号で起きた。窃盗容疑で追跡され、パトカーや一般車両に衝突しながら逃走していた乗用車に向け、奈良県警の警官3人が計8発、発砲。このうち、警部補(当時巡査部長)の萩原基文被告(35)と巡査部長(同巡査長)の東芳弘被告(35)の各1発が、助手席の高壮日さん(当時28歳)の後頭部と首に当たり、高さんは翌月、低酸素脳症で死亡した。
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■刑事裁判は、若干の紆余曲折を辿る。死亡した犯人の遺族は告訴したが、不起訴。特別公務員職権乱用致死罪にあたるので、いわゆる付審判請求が申し立てられた。裁判所は、これを認めて、審判に付する決定、つまり、事実上の公訴提起を認めた。その際、検察官役は、裁判所が指定する弁護士があたる。そして、その弁護士は、記録を精査した上で、訴因を変更した。殺人罪を追加したのだ。
かくして、警察官が治安を守り、市民の安全を確保し、凶悪犯を制圧するため、採られた措置が「殺人」のレッテルをはるに値するものかどうか問う裁判が始まる。
■検察官役は、要するに、車の渋滞する交差点付近で停車せざるを得なかった状況になっていたのであるから、発砲までの必要はないし、至近距離での発砲は不要で、過剰で、単なる「人殺し」と同じだ、と主張するもののようだ。
これに対して、被告側がどのような法理論で弁護方針を貫くのか不明であるが、いくつか考えられる。
(1)殺意性の否定。至近距離からとは言え、運転手の腕など逃走防止のための打撃を与えることを意図したもので、身体枢要部を狙ったものではない、、、
(2)制圧にあたる警察官らの身に危険が及ぼうとしていたので正当防衛が成立する、、、
(3)直近にいる市民の生命と身体、財産を守るためにしたやむをえない行為で、状況により、正当防衛または緊急避難にあたる、、、
などなど。
■しかし、正面から論ずるべきなのは、社会を守るための「正当防衛」であり、治安悪化の中、必要に応じて、断固たる措置をとる警察官の業務の正当性そのものだ。「社会秩序」を守る、、、これこそ正当防衛の骨格になるべきだ。
市民である裁判員が、もし警察官が犯人を取り逃がしたならば、恐怖と不安とそして場合によっては更なる被害にさらされる危機を未然に防いだ警察官等の行動を、どう評価するのか。
これを殺人と断じたならば、警察官になにをせよというのか、その答を自らの責任で出すべきである。
「権力」の権化のように警察官をみて、リベラルな視点から、凶悪犯人の無謀な逃走行為を制圧することも、「権力犯罪」とみるのは、慎むべきであろう。
■こんなコメントを掲載してもらっている。
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「車が逃走した場合、警官個人ではなく、一般市民など社会に及んだかもしれない危害を、発砲によらなければ防ぐことができなかったと証明できるかどうか。そこで発砲の正当性を判断することになる。社会を守る正当防衛と言えるかどうかがポイント」と指摘している。
2012年01月22日
■検事調べの全過程録音録画ー弾劾型取調べへの第1歩
■「取り調べ/否認被告も全過程可視化/名古屋地検拡大「立証に有効」」。
読売新聞(朝刊、中部版)2012/01/04は、このタイトルのもとに、こんな取材を照会している。
「名古屋地検と同支部が裁判員裁判対象事件で検察官による取り調べの全過程を録音・録画(可視化)した20人の中に、犯意や共謀関係などを否認した被告が少なくとも3人いたことがわかった。自白事件の一部のみを撮影していた従来とは一線を画す運用に、複数の検察関係者は「公判での立証時に、裁判員に検察側の主張を理解してもらいやすくなる」とメリットを強調する。一方、検察内部には全事件を全面可視化することへの懸念は根強く、可視化の将来像はなお不透明だ」。
ついで、検察内部の賛否の意見を紹介する。
「検察関係者は「従来のやり方は、裁判員から『検察に都合の良いところだけ撮っている』との批判があった。全てを撮れば、被告が自分の言葉で供述したことを理解してもらえる」と強調。否認事件でも、捜査段階と公判での弁解の食い違いを立証したり、弁解の不合理さを明らかにしたりすることに役立つと指摘する。
別の関係者は「可視化の流れが後戻りすることはない。その中でどういう取り調べをするべきか、今のうちに現場の検察官に経験を積ませる必要がある」と、積極実施の狙いを説明する。
ただ、検察内部には、「被告と信頼関係を築くのが難しくなり、結果として自白が得にくくなる」との懸念も根強い。可視化のあり方を検討してきた法務省の勉強会は昨年8月、「一律に録音・録画を義務づける制度を構築することは適当ではない」として、全面可視化の法制化に否定的な見解を示した。」
この点について、次のコメントを掲載してもらっている。
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
「法務・検察当局の『可視化の範囲の拡大』という新しい方針が、捜査現場に着実に浸透していることを表している。否認事件も含まれており、自白中心捜査を脱却する第一歩として評価したい。公判で、自白の任意性や信用性の争いに時間を取られることなく、真相を解明したうえで適切な量刑判断をするには全面可視化が必要だ。今後は、警察段階や参考人の取り調べを可視化するかが重要な検討課題になる」
読売新聞(朝刊、中部版)2012/01/04は、このタイトルのもとに、こんな取材を照会している。
「名古屋地検と同支部が裁判員裁判対象事件で検察官による取り調べの全過程を録音・録画(可視化)した20人の中に、犯意や共謀関係などを否認した被告が少なくとも3人いたことがわかった。自白事件の一部のみを撮影していた従来とは一線を画す運用に、複数の検察関係者は「公判での立証時に、裁判員に検察側の主張を理解してもらいやすくなる」とメリットを強調する。一方、検察内部には全事件を全面可視化することへの懸念は根強く、可視化の将来像はなお不透明だ」。
ついで、検察内部の賛否の意見を紹介する。
「検察関係者は「従来のやり方は、裁判員から『検察に都合の良いところだけ撮っている』との批判があった。全てを撮れば、被告が自分の言葉で供述したことを理解してもらえる」と強調。否認事件でも、捜査段階と公判での弁解の食い違いを立証したり、弁解の不合理さを明らかにしたりすることに役立つと指摘する。
別の関係者は「可視化の流れが後戻りすることはない。その中でどういう取り調べをするべきか、今のうちに現場の検察官に経験を積ませる必要がある」と、積極実施の狙いを説明する。
ただ、検察内部には、「被告と信頼関係を築くのが難しくなり、結果として自白が得にくくなる」との懸念も根強い。可視化のあり方を検討してきた法務省の勉強会は昨年8月、「一律に録音・録画を義務づける制度を構築することは適当ではない」として、全面可視化の法制化に否定的な見解を示した。」
この点について、次のコメントを掲載してもらっている。
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
「法務・検察当局の『可視化の範囲の拡大』という新しい方針が、捜査現場に着実に浸透していることを表している。否認事件も含まれており、自白中心捜査を脱却する第一歩として評価したい。公判で、自白の任意性や信用性の争いに時間を取られることなく、真相を解明したうえで適切な量刑判断をするには全面可視化が必要だ。今後は、警察段階や参考人の取り調べを可視化するかが重要な検討課題になる」
JR西日本もと社長「無罪」−巨神兵の笑い
JR西日本の元社長に、無罪判決が宣告された。やむをえない結論と思う。「業務上過失致死傷罪」。」刑法211条1項は、「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする」と定める。
言葉だけみれば、宝塚線のカーブ工事実施時の鉄道本部長でなんとなく安全な運行のできる工事を計画して設計して施工させて運行を監督するような責任あるポジッションに居たから、その後の事故について責任を負わせてもよいような気もする。
しかし、今の刑法の構造、原理を考えておこう。
まず、「自然人」が犯罪の主体だ。但し、まさにこの条文が予定しているように、「業務上」人の生命や身体に危険を及ぼす社会活動をするのであれば、そんな事故で他人に迷惑をかけることのないように細心の注意を払って欲しい。注意して事故にならないことを社会が期待していい範囲がある。その範囲のことは、まさに注意して事故にならなにようにするべきだ。
不注意で事故が起こることを予想せず、これを防ぐ行動をしないことーーー車の運転手が、携帯電話に気を取られていて、赤信号を見逃して、歩道を歩く人をはね飛ばすこと」ーーこれは、その人の責任だ。重い刑事責任を問うべきだ。
しかし。
人の生命、身体の安全に危害を加える仕事に携わっているからと行って、「もしかしたら、なんらかの事故が、なんらかの形で、いつかは起きる」という漠然とした危険の不安があるからといって、この不安を完全に除去しないのに、そうした業務をしてはならない、、、これは、今の社会が求めるものではない。
他方、実は、社会公共のサービスは、企業が提供するのが資本主義社会の基本となっている。個人の集合ではあっても、巨大な「組織」としての企業体が、一定の意思をもって行動する、、、その結果、事故が起きる。
刑法は、自然人の能力を前提にする。一定の職業などにあれば、業務特有のプロフェッショナルとしての責任を加える。しかし、これとても、自然人の能力を超えることはできない。「予知能力」を期待することは不可能だ。「個人としての予見」と、神仏の世界に属する「予知」を混同することはできない。何故なら、刑罰を科すからだ。その個人の人格と生活を国家が刑罰でぶちこわすことになる。それには、それなりの条件が要る。
基本は、「故意の犯罪」である。
これを超えるとき、「過失」と評価できる規範的な心理状態に限り処罰する。しかも、どんな犯罪でも過失を処罰するものではない。「過失窃盗罪」の規定は現にない。「過失住居侵入」も犯罪にしていない。
では、過失とは?
結局、自然人が職業上必要な知見に基づく洞察力を含めても常識的に予見できる範囲内の危険を防ぐこと、、、これに留めざるを得ない。
特定のカーブを急カーブにしたこと。数年の間にダイヤが修正されること。運転手があるときオーバーランをすること、それを気にしてそのカーブで速度超過のまま運転すること、ダイヤ全体の運行管理責任者もオーバーランを知った駅の駅長も、そして、同乗する車掌もなんら運転手に「気を取られないように注意するように!」と声をかけることもしないこと、運転手がいわゆる「日勤」教育をいやがって車掌に見逃すように相談すること、、、等などを予想して、その結果、速度超過による電車転覆が起きる危険性を、数年前から予想できた、、、等と非常識なことは言えないし、こんなことを根拠に「刑罰」を科すという非常識もできない。
無罪はやむを得ない。
処罰されるべきは、組織体としてのJR西日本なのだ。
しかし、これを有効適切に「処罰」する方法が、ない。
会社解散命令、巨額罰金、監視監査強化命令と監視体制の司法命令、、、、、
そのさらなる前提として、秒単位の精密さで、電車が到着するのが当たり前のサービスを社会が諦めることができるのかも問われる。「スロー社会、スロービジネス」に耐えられるかどうか、、、、。
今回の無罪判決は、事件の終わりではなく、「終わり」に向かう「始め」にすぎない。
「スロー社会」。そんな言葉も流行る中、社会公共サービスのあり方も問われることとなる。
「巨神兵」が生き延び、個人が破壊される、、、そんな時代の刑法のあり方を抜本的に考え直すべきだろう。
言葉だけみれば、宝塚線のカーブ工事実施時の鉄道本部長でなんとなく安全な運行のできる工事を計画して設計して施工させて運行を監督するような責任あるポジッションに居たから、その後の事故について責任を負わせてもよいような気もする。
しかし、今の刑法の構造、原理を考えておこう。
まず、「自然人」が犯罪の主体だ。但し、まさにこの条文が予定しているように、「業務上」人の生命や身体に危険を及ぼす社会活動をするのであれば、そんな事故で他人に迷惑をかけることのないように細心の注意を払って欲しい。注意して事故にならないことを社会が期待していい範囲がある。その範囲のことは、まさに注意して事故にならなにようにするべきだ。
不注意で事故が起こることを予想せず、これを防ぐ行動をしないことーーー車の運転手が、携帯電話に気を取られていて、赤信号を見逃して、歩道を歩く人をはね飛ばすこと」ーーこれは、その人の責任だ。重い刑事責任を問うべきだ。
しかし。
人の生命、身体の安全に危害を加える仕事に携わっているからと行って、「もしかしたら、なんらかの事故が、なんらかの形で、いつかは起きる」という漠然とした危険の不安があるからといって、この不安を完全に除去しないのに、そうした業務をしてはならない、、、これは、今の社会が求めるものではない。
他方、実は、社会公共のサービスは、企業が提供するのが資本主義社会の基本となっている。個人の集合ではあっても、巨大な「組織」としての企業体が、一定の意思をもって行動する、、、その結果、事故が起きる。
刑法は、自然人の能力を前提にする。一定の職業などにあれば、業務特有のプロフェッショナルとしての責任を加える。しかし、これとても、自然人の能力を超えることはできない。「予知能力」を期待することは不可能だ。「個人としての予見」と、神仏の世界に属する「予知」を混同することはできない。何故なら、刑罰を科すからだ。その個人の人格と生活を国家が刑罰でぶちこわすことになる。それには、それなりの条件が要る。
基本は、「故意の犯罪」である。
これを超えるとき、「過失」と評価できる規範的な心理状態に限り処罰する。しかも、どんな犯罪でも過失を処罰するものではない。「過失窃盗罪」の規定は現にない。「過失住居侵入」も犯罪にしていない。
では、過失とは?
結局、自然人が職業上必要な知見に基づく洞察力を含めても常識的に予見できる範囲内の危険を防ぐこと、、、これに留めざるを得ない。
特定のカーブを急カーブにしたこと。数年の間にダイヤが修正されること。運転手があるときオーバーランをすること、それを気にしてそのカーブで速度超過のまま運転すること、ダイヤ全体の運行管理責任者もオーバーランを知った駅の駅長も、そして、同乗する車掌もなんら運転手に「気を取られないように注意するように!」と声をかけることもしないこと、運転手がいわゆる「日勤」教育をいやがって車掌に見逃すように相談すること、、、等などを予想して、その結果、速度超過による電車転覆が起きる危険性を、数年前から予想できた、、、等と非常識なことは言えないし、こんなことを根拠に「刑罰」を科すという非常識もできない。
無罪はやむを得ない。
処罰されるべきは、組織体としてのJR西日本なのだ。
しかし、これを有効適切に「処罰」する方法が、ない。
会社解散命令、巨額罰金、監視監査強化命令と監視体制の司法命令、、、、、
そのさらなる前提として、秒単位の精密さで、電車が到着するのが当たり前のサービスを社会が諦めることができるのかも問われる。「スロー社会、スロービジネス」に耐えられるかどうか、、、、。
今回の無罪判決は、事件の終わりではなく、「終わり」に向かう「始め」にすぎない。
「スロー社会」。そんな言葉も流行る中、社会公共サービスのあり方も問われることとなる。
「巨神兵」が生き延び、個人が破壊される、、、そんな時代の刑法のあり方を抜本的に考え直すべきだろう。
2012年01月20日
『神は天にいまし、すべて世は事もなし』ー赤毛のアン
■ 近くに居る人のメールにこのメッセージが入っていた。懐かしい。アンの最後の言葉ではないか。しかも、いかにも「今」のブログ編者のポジションに似つかわしい。思わず、苦笑した。
記録に留め、一部、署名にも使うこととした。
Anne's horizons had closed in since the night she had sat there after coming home from Queen's; but if the path set before her feet was to be narrow she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it.
The joy of sincere work and worthy aspiration and congenial friendship were to be hers; nothing could rob her of her birthright of fancy or her ideal world of dreams. And there was always the bend in the road!
"'God's in his heaven, all's right with the world,'"
whispered Anne softly. softly.
記録に留め、一部、署名にも使うこととした。
Anne's horizons had closed in since the night she had sat there after coming home from Queen's; but if the path set before her feet was to be narrow she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it.
The joy of sincere work and worthy aspiration and congenial friendship were to be hers; nothing could rob her of her birthright of fancy or her ideal world of dreams. And there was always the bend in the road!
"'God's in his heaven, all's right with the world,'"
whispered Anne softly. softly.
■市民社会を守る警察の発砲ー殺人か、正当防衛か
■ 昨年12月3日の毎日新聞(夕刊)は「奈良・大和郡山の警官発砲:裁判員裁判、来月初公判/警官の行為、市民が判断」と題する記事を載せる。引用する。
***
◇逃走車両に発砲、男性死亡 母「撃つ以外なかったのか」
「本当に撃つ必要があったのでしょうか」――。奈良県大和郡山市で03年、窃盗事件で追跡中の乗用車に発砲して助手席の高壮日(そうじつ)さん(当時28歳)を死亡させた事件で、殺人罪などに問われた警官2人に対する奈良地裁の裁判員裁判を前に、高さんの母・■ ■ さん(74)=東大阪市=が息子を失ったつらさと警察への疑念を語った。付審判決定による全国初の裁判員裁判の初公判は、来年1月23日。警官の発砲行為を市民が初めて判断する。」
この事件は、指定弁護士の判断で、訴因が追加されて、殺人罪でも裁かれる。
この裁判員裁判の意味をこう考えている。
<コメント>
執拗に逃走する犯人は凶悪犯罪を引き起こすおそれがあり、現場警察官の断固たる措置は是認するべきだ。けん銃発砲は「殺意」を伴う行為であるが、市民社会を防衛する緊急の必要があれば、警察官の正当な業務として犯罪にはならない。本件でも結果としては、運転席にいた者が覚せい剤を使用していたこと、車内に覚せい剤を隠匿していたことが明らかになっている。
逆に、もし犯人を逃したとすれば、警察は極めて大きな非難を浴びたことと思う。
ところで、この裁判員裁判も長期化する。しかし、広く市民に協力を求めれば、長期裁判でも参加できる人は確保できる。刑事裁判を通じて正義を実現するのは、市民の義務である。これを誠実に果たそうとする良識ある市民達が、治安維持のため警察官の職務に期待することを真剣に検討することとなる。
裁判員裁判にふさわしい事件だ。
市民生活を脅かす犯罪者に対して警察官がどう対処すべきか、市民自ら責任ある回答を示すことが求められる審理となる。この点こそ、裁判員裁判にふさわしい側面だ。
***
◇逃走車両に発砲、男性死亡 母「撃つ以外なかったのか」
「本当に撃つ必要があったのでしょうか」――。奈良県大和郡山市で03年、窃盗事件で追跡中の乗用車に発砲して助手席の高壮日(そうじつ)さん(当時28歳)を死亡させた事件で、殺人罪などに問われた警官2人に対する奈良地裁の裁判員裁判を前に、高さんの母・■ ■ さん(74)=東大阪市=が息子を失ったつらさと警察への疑念を語った。付審判決定による全国初の裁判員裁判の初公判は、来年1月23日。警官の発砲行為を市民が初めて判断する。」
この事件は、指定弁護士の判断で、訴因が追加されて、殺人罪でも裁かれる。
この裁判員裁判の意味をこう考えている。
<コメント>
執拗に逃走する犯人は凶悪犯罪を引き起こすおそれがあり、現場警察官の断固たる措置は是認するべきだ。けん銃発砲は「殺意」を伴う行為であるが、市民社会を防衛する緊急の必要があれば、警察官の正当な業務として犯罪にはならない。本件でも結果としては、運転席にいた者が覚せい剤を使用していたこと、車内に覚せい剤を隠匿していたことが明らかになっている。
逆に、もし犯人を逃したとすれば、警察は極めて大きな非難を浴びたことと思う。
ところで、この裁判員裁判も長期化する。しかし、広く市民に協力を求めれば、長期裁判でも参加できる人は確保できる。刑事裁判を通じて正義を実現するのは、市民の義務である。これを誠実に果たそうとする良識ある市民達が、治安維持のため警察官の職務に期待することを真剣に検討することとなる。
裁判員裁判にふさわしい事件だ。
市民生活を脅かす犯罪者に対して警察官がどう対処すべきか、市民自ら責任ある回答を示すことが求められる審理となる。この点こそ、裁判員裁判にふさわしい側面だ。
2011年12月31日
チャイコフスキー『悲愴』ー2011年12月31日
*YouTube 『悲愴』より
http://www.youtube.com/watch?v=-VHLVzdufU4&feature=related
親しくしている研究者から、チャイコフスキー『悲愴』を勧められた。
チャイコフスキー自身がフランス語、"Pathétique"を使って曲名としたとのこと。交響曲第6番。「悲愴」と訳すようだ。「勇ましさ」と「哀しさ」が混じりながら、アクションを起こさざるを得ない状態をいう。耐えて何もせず忍ぶ状態ではない。
この言葉から、「『法科大学院』のこれから」というテーマをみてみると興味深い。個々の法科大学院としても、そして、国家日本の法曹養成という観点からも、「悲愴」なる決意が要る。
何故なら、74ある法科大学院全てが健全な形で存続し、なお「質高き法曹養成」を実現することはもはや敵わない。相当数が脱落、消滅する、、、、
相当の犠牲の上に、世界規模でリーダーシップを取れる日本の諸活動をサポートし、リードし、プロテクトする法曹が育つインフラができあがるだろう、、、そうならなければ、国家・日本が危機に直面する。
そして、もう少し広く日本のありかたも「悲愴」という言葉で見てみた。
「ヒロシマ」から「フクシマ」へー「被爆国」から「加爆国」へー2011年、今年、我が国は、歴史的状況を大きく変えてしまった。といって、なにかを座して待つことなどできない。
国家・日本の21世紀の運命は、だから、この「悲愴」という言葉で記述するのが適当であるのかも知れない。
その先にある姿が、周辺の大国に吸収されたベネティア型の運命を辿るのか、いまだに続く栄光ある孤立、とでもいうべき外交を展開するイギリス型に収まるのか、、、それとも、国家として消滅するのか、、、。
あるいは、「明治維新」により中世国家から近代国家に脱皮したように、これに匹敵する「現代型革命」を経て、「再生日本」として世界に冠たる国家に立ち戻るのか、、、先は分からない。
ただ、「悲愴な決意」で、「再生日本」に向かって、信ずる道を前向きに進むしかあるまい。 ー2011年12月31日、研究室にてー
http://www.youtube.com/watch?v=-VHLVzdufU4&feature=related
親しくしている研究者から、チャイコフスキー『悲愴』を勧められた。
チャイコフスキー自身がフランス語、"Pathétique"を使って曲名としたとのこと。交響曲第6番。「悲愴」と訳すようだ。「勇ましさ」と「哀しさ」が混じりながら、アクションを起こさざるを得ない状態をいう。耐えて何もせず忍ぶ状態ではない。
この言葉から、「『法科大学院』のこれから」というテーマをみてみると興味深い。個々の法科大学院としても、そして、国家日本の法曹養成という観点からも、「悲愴」なる決意が要る。
何故なら、74ある法科大学院全てが健全な形で存続し、なお「質高き法曹養成」を実現することはもはや敵わない。相当数が脱落、消滅する、、、、
相当の犠牲の上に、世界規模でリーダーシップを取れる日本の諸活動をサポートし、リードし、プロテクトする法曹が育つインフラができあがるだろう、、、そうならなければ、国家・日本が危機に直面する。
そして、もう少し広く日本のありかたも「悲愴」という言葉で見てみた。
「ヒロシマ」から「フクシマ」へー「被爆国」から「加爆国」へー2011年、今年、我が国は、歴史的状況を大きく変えてしまった。といって、なにかを座して待つことなどできない。
国家・日本の21世紀の運命は、だから、この「悲愴」という言葉で記述するのが適当であるのかも知れない。
その先にある姿が、周辺の大国に吸収されたベネティア型の運命を辿るのか、いまだに続く栄光ある孤立、とでもいうべき外交を展開するイギリス型に収まるのか、、、それとも、国家として消滅するのか、、、。
あるいは、「明治維新」により中世国家から近代国家に脱皮したように、これに匹敵する「現代型革命」を経て、「再生日本」として世界に冠たる国家に立ち戻るのか、、、先は分からない。
ただ、「悲愴な決意」で、「再生日本」に向かって、信ずる道を前向きに進むしかあるまい。 ー2011年12月31日、研究室にてー
2011年12月30日
『ガリバー旅行記』ー原書講読
ガリバー旅行記。
「小人の国」での冒険で知られるスイフトの名作。ブログ編者も50年以上前に、小学館の子ども絵本で読んだ記憶がある。海峡を歩いて渡り、敵国の戦艦を紐でくくって引っ張って奪い取る冒険談が強く心に残った。
が、実は、全編を精読したことはこの年になるまでなかった。しばらく前に、「ラピュタ」と「ヤフー」の二語に心引かれるものを感じた。このため、この際原書を通読することとした。
小人の国では、敵の軍船をそっくり奪ってきたのにも拘わらず、宮廷内の争いから、反逆者扱いにされる主人公。理不尽な扱いに嫌気をさして敵国に渡り、そして、小人の国を離れる。
空中を飛ぶラピュタ。しかし、地上では、意味のない「プロジェクト」を推進する「ラピュタ」の学者達。排泄物から、元の食品を作り出す実験を繰り返す奇妙な知的集団の存在。
巨人国・ブロブディンナグから、「フイーナム」と「ヤフー」へ。馬と人の対比が面白い。
理性的であり、道徳的であることが存在そのものであるフイーナムにとって、悪徳、詐欺、、、など反道義的であることという事実も、これを記述する言語もない世界。ガリバー船長がもっとも嫌うヤフーの属性は「高慢」であること。「ヤフー的」な消極的属性は、すべてここから発する。
小人、巨人、ラピュタの住人、馬の理性人、、、「人」を巨視的大局的に見る達観。
永遠の名作であり続ける所以であろう。
大学受験の時からであろうか、受験のためだけの英語学習に嫌気がさして、「原書を読む」決意をしたのは、、、。サマセット・モームの『人間の絆』を受験時代に読み上げたのが、逆に英語力強化の自信につながったことを覚えている。以来、2,3の原書ー小説から研究書までーをいつも併行読書している状態が続いている。もっとも、さほどの読書家ではないのだが、、、
「小人の国」での冒険で知られるスイフトの名作。ブログ編者も50年以上前に、小学館の子ども絵本で読んだ記憶がある。海峡を歩いて渡り、敵国の戦艦を紐でくくって引っ張って奪い取る冒険談が強く心に残った。
が、実は、全編を精読したことはこの年になるまでなかった。しばらく前に、「ラピュタ」と「ヤフー」の二語に心引かれるものを感じた。このため、この際原書を通読することとした。
小人の国では、敵の軍船をそっくり奪ってきたのにも拘わらず、宮廷内の争いから、反逆者扱いにされる主人公。理不尽な扱いに嫌気をさして敵国に渡り、そして、小人の国を離れる。
空中を飛ぶラピュタ。しかし、地上では、意味のない「プロジェクト」を推進する「ラピュタ」の学者達。排泄物から、元の食品を作り出す実験を繰り返す奇妙な知的集団の存在。
巨人国・ブロブディンナグから、「フイーナム」と「ヤフー」へ。馬と人の対比が面白い。
理性的であり、道徳的であることが存在そのものであるフイーナムにとって、悪徳、詐欺、、、など反道義的であることという事実も、これを記述する言語もない世界。ガリバー船長がもっとも嫌うヤフーの属性は「高慢」であること。「ヤフー的」な消極的属性は、すべてここから発する。
小人、巨人、ラピュタの住人、馬の理性人、、、「人」を巨視的大局的に見る達観。
大学受験の時からであろうか、受験のためだけの英語学習に嫌気がさして、「原書を読む」決意をしたのは、、、。サマセット・モームの『人間の絆』を受験時代に読み上げたのが、逆に英語力強化の自信につながったことを覚えている。以来、2,3の原書ー小説から研究書までーをいつも併行読書している状態が続いている。もっとも、さほどの読書家ではないのだが、、、
2011年12月27日
■聴覚障害者と裁判員裁判ー「音のない世界」の犯罪
■記事紹介■
「大阪・都島区の3人殺傷:聴覚障害、情状鑑定へ/大阪地裁、成育歴など考慮」
毎日新聞2011年12月22日(朝刊)
大阪市都島区で今年4月、男女3人を殺傷したとして殺人などの罪に問われた無職の築山栄被告(60)について、大阪地裁(西田真基裁判長)は21日、情状鑑定を行う方針を固め、検察、弁護側に伝えた。聴覚障害者の築山被告が同じ障害のある被害者を殺害した異例の事件で、弁護側が被告の成育歴や生活環境を考慮する必要性があるとして実施を求めていた。
築山被告は今年4月27日、知人男性(当時44歳)とその元妻(同39歳)をナイフで刺して失血死させ、別の男性の首を刺して重傷を負わせたとされる。亡くなった男女2人も聴覚障害者だった。弁護側によると、築山被告には幼少期から聴覚障害があり、交友関係はこの男女ら数人程度に限られていた。
弁護側は「動機に了解困難なところがあり、裁判員が疑問を持ったときに備え、専門的知見が不可欠」と主張。事件当時の被告の心理状態や生い立ちを調べ、量刑判断の参考にするため情状鑑定を実施するよう意見書を出していた。築山被告は、男女への殺意を認める一方、けがをした男性への殺意は否認する方針。弁護側は「死刑求刑の可能性もあり、裁判員には聴覚障害者の特性や背景を踏まえ、量刑を適切に判断してほしい」と話している。
「大阪・都島区の3人殺傷:聴覚障害、情状鑑定へ/大阪地裁、成育歴など考慮」
毎日新聞2011年12月22日(朝刊)
大阪市都島区で今年4月、男女3人を殺傷したとして殺人などの罪に問われた無職の築山栄被告(60)について、大阪地裁(西田真基裁判長)は21日、情状鑑定を行う方針を固め、検察、弁護側に伝えた。聴覚障害者の築山被告が同じ障害のある被害者を殺害した異例の事件で、弁護側が被告の成育歴や生活環境を考慮する必要性があるとして実施を求めていた。
築山被告は今年4月27日、知人男性(当時44歳)とその元妻(同39歳)をナイフで刺して失血死させ、別の男性の首を刺して重傷を負わせたとされる。亡くなった男女2人も聴覚障害者だった。弁護側によると、築山被告には幼少期から聴覚障害があり、交友関係はこの男女ら数人程度に限られていた。
弁護側は「動機に了解困難なところがあり、裁判員が疑問を持ったときに備え、専門的知見が不可欠」と主張。事件当時の被告の心理状態や生い立ちを調べ、量刑判断の参考にするため情状鑑定を実施するよう意見書を出していた。築山被告は、男女への殺意を認める一方、けがをした男性への殺意は否認する方針。弁護側は「死刑求刑の可能性もあり、裁判員には聴覚障害者の特性や背景を踏まえ、量刑を適切に判断してほしい」と話している。
2011年12月24日
税関職員の人権感覚欠如ーグルーバル時代の「鎖国」意識
■讀賣新聞11年12月21日(朝刊)、「税関職員/検査同意を強要/覚醒
剤公判で被告が主張へ」が興味深い。
記事を一部引用する。
***(引用)***
◆「早く書け言うとんじゃ、おら」
覚醒剤取締法違反容疑の取り調べ時、大阪府警捜査員(当時、特別公務員暴
行陵虐罪で有罪確定)の暴行を受けたウガンダ国籍の男性被告が、逮捕前にも
関西空港の大阪税関職員から乱暴な言葉でエックス線検査を強制された、と自
らの公判で主張することがわかった。税関側のICレコーダーには、職員が
「(検査の同意書を)早く書け言うとんじゃ、おら」などと迫る様子が記録さ
れていた。この検査を機に体内から覚醒剤が見つかったが、弁護側は「手続き
が不当で、結果は証拠採用すべきでない」と訴える方針だ。
タマレ・フレッド・ケリー被告(38)で、5月、小分けした覚醒剤1・1
9キロをのみ込み、密輸したとして逮捕・起訴され、大阪地裁で公判前整理手
続き中。「覚醒剤との認識はなかった」と否認している。
・・・
記録には、別の職員が「おい、サイン、早くせいや、おい」などと約10分
にわたり、大声で検査の同意書への署名を求める様子や、通訳の職員が「強要
したり叫んだりしたことを謝罪する」と被告に伝えた場面も収められていたと
いう。
******
■とりあえず、次のコメントの掲載が認められた。
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「職員の発言は、被告を
威嚇する内容だ。裁判の証拠となりうる以上、税関でも警察・検察の捜査同
様、手続きの公正さが不可欠。被告が嫌がるなら、令状を取り、検査すべきだ
った」
■確かに、覚せい剤を発見する手続がどうであっても、現に覚せい剤が発見さ
れたのであれば、真相は解明されたことになる。
だから、最高裁も、証拠が押収される手続が違法でも、証拠価値は同じなの
で、原則として証拠にすると考えている。
しかし、刑事裁判は、手続の公正さ適正さ、人権擁護も加味して正義を実現
するプロセスである。
処罰する国の側がどんなに汚い手を使ってもいい、とは言えない。
どこかでバランスが要る。
令状主義の精神を没却する重大な違法であって、裁判所からみても、将来同
じような捜査が繰り返されるのを防ぐ上でも相当と言えるのであれば、証拠排
除を認める。
■本件では気になる点がいくつかある。
まず、税関職員の差別意識だ。ウガンダ国籍の外国人。おそらくは、ブラウ
ン色の肌ではないか。「黒人」と日本では総括する人々。日本文化に潜む一種
の差別意識が強く働いていないか。
それを踏まえた上で、「人権感覚」「手続の公正さ」への感性の乏しさが浮
き彫りになっている。
通訳の意味のはき違え。通訳とは「意味の等価性」を確保する言葉の置き換
え作業だ。プロの技がいる。原語の「恫喝」を通訳を介してターゲット言語で
でも恫喝にするのは、難しい。しかし、音声言葉は、話者の言動全体で意味を
伝達する。本件でも、原語よりも穏やかな通訳であったとしても、恫喝の効果
が消えることはない。
全体として、日本は江戸時代以来の鎖国的感覚を払拭仕切れていないのではないか。
独りよがり国家日本の独善的な官僚意識、お上意識が伺える記事だ。
証拠は排除してはどうか。
剤公判で被告が主張へ」が興味深い。
記事を一部引用する。
***(引用)***
◆「早く書け言うとんじゃ、おら」
覚醒剤取締法違反容疑の取り調べ時、大阪府警捜査員(当時、特別公務員暴
行陵虐罪で有罪確定)の暴行を受けたウガンダ国籍の男性被告が、逮捕前にも
関西空港の大阪税関職員から乱暴な言葉でエックス線検査を強制された、と自
らの公判で主張することがわかった。税関側のICレコーダーには、職員が
「(検査の同意書を)早く書け言うとんじゃ、おら」などと迫る様子が記録さ
れていた。この検査を機に体内から覚醒剤が見つかったが、弁護側は「手続き
が不当で、結果は証拠採用すべきでない」と訴える方針だ。
タマレ・フレッド・ケリー被告(38)で、5月、小分けした覚醒剤1・1
9キロをのみ込み、密輸したとして逮捕・起訴され、大阪地裁で公判前整理手
続き中。「覚醒剤との認識はなかった」と否認している。
・・・
記録には、別の職員が「おい、サイン、早くせいや、おい」などと約10分
にわたり、大声で検査の同意書への署名を求める様子や、通訳の職員が「強要
したり叫んだりしたことを謝罪する」と被告に伝えた場面も収められていたと
いう。
******
■とりあえず、次のコメントの掲載が認められた。
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「職員の発言は、被告を
威嚇する内容だ。裁判の証拠となりうる以上、税関でも警察・検察の捜査同
様、手続きの公正さが不可欠。被告が嫌がるなら、令状を取り、検査すべきだ
った」
■確かに、覚せい剤を発見する手続がどうであっても、現に覚せい剤が発見さ
れたのであれば、真相は解明されたことになる。
だから、最高裁も、証拠が押収される手続が違法でも、証拠価値は同じなの
で、原則として証拠にすると考えている。
しかし、刑事裁判は、手続の公正さ適正さ、人権擁護も加味して正義を実現
するプロセスである。
処罰する国の側がどんなに汚い手を使ってもいい、とは言えない。
どこかでバランスが要る。
令状主義の精神を没却する重大な違法であって、裁判所からみても、将来同
じような捜査が繰り返されるのを防ぐ上でも相当と言えるのであれば、証拠排
除を認める。
■本件では気になる点がいくつかある。
まず、税関職員の差別意識だ。ウガンダ国籍の外国人。おそらくは、ブラウ
ン色の肌ではないか。「黒人」と日本では総括する人々。日本文化に潜む一種
の差別意識が強く働いていないか。
それを踏まえた上で、「人権感覚」「手続の公正さ」への感性の乏しさが浮
き彫りになっている。
通訳の意味のはき違え。通訳とは「意味の等価性」を確保する言葉の置き換
え作業だ。プロの技がいる。原語の「恫喝」を通訳を介してターゲット言語で
でも恫喝にするのは、難しい。しかし、音声言葉は、話者の言動全体で意味を
伝達する。本件でも、原語よりも穏やかな通訳であったとしても、恫喝の効果
が消えることはない。
全体として、日本は江戸時代以来の鎖国的感覚を払拭仕切れていないのではないか。
独りよがり国家日本の独善的な官僚意識、お上意識が伺える記事だ。
証拠は排除してはどうか。
2011年12月23日
■師走のコンサート2題ージャズ・ピアノ、ケルティック・アカペラ
■第1話、朱恵仁のジャズピアノ
http://keijinshu.com/
ホームページによるプロフィールを引用する。
「1977年11月18日生まれ。母の影響でハモンドオルガンを習い始め、オスカーピーターソンに憧れた事からジャズピアノを習い始める。Berklee音楽大学の東京セミナーに参加等の活動を経て、甲南中学校、甲南高等学校、甲南大学で、それぞれのビッグバンドにレギュラーとしてカウントベイシーを学ぶ。10年間参加し、第30回山野ビッグバンドジャズコンテスト・甲南大学が10位入賞、ピアノを担当。小曽根真氏・北野タダオ氏に師事。ハモンドオルガンの近畿大会・優秀賞受賞。STUDENT JAZZ FESTIVAL・個人賞受賞。その後、アメリカ、ボストンのバークリー音楽大学へ留学。ジャズ作曲科卒業。卒業後は、ジャズ、ラテンピアノをメインとして、演奏、作曲を中心にライブ活動中。」
なるほど、と思う。
12月22日、夜、勤務先近くのライブハウスでのジャズコンサート。朱恵仁さんのピアノにふれるのは3回目。
「追っかけをしようか」と妻と話しながら、チーズをつまみつつ、彼のあざやかなピアノ捌きに見入る。
音が立体的に出てきて、彼の体のアクションと一体となり、店の雰囲気全体も含めて、音楽シーンが登場する。
クラシックのコンサートが、お行儀のよい、制服姿のような楽団員が整然と楽器から音を出し、指揮者が、指揮棒を使って、音のまとまりに仕上げて、バックにいる客席に「音の固まり」、音の気として届けるのとは全く違う。
それに、例のごとく、ごく小さいホールなので、朱恵仁もピアノもすぐ手に届く距離から音が広がってくる。温泉にじっくり入っている感じがする。
また、妻と追っかけをすることにしよう。
もっとも、京都は遠い。大阪は非文化的だ。ここでのコンサートは控えたい。来春に我々の好きな元町でのコンサートがあるようだ。それまで待とう。
■Born Free
http://bornfree-kobe.com/
第2話、ケルティックのア・カペラ
http://www1.gcenter-hyogo.jp/sysfile/center/top.html
世界音楽図鑑・ケルティック・コーラス『アヌーナ』。
12月14日、夜。兵庫県立芸術文化センターでのコンサート。
http://plankton.co.jp/anuna/index.html
これもホームページから引用する。
「アヌーナ ANUNA ケルトの遺産を受け継ぐ神秘のコーラス「アヌーナ」。
時を超えた壮大なロマンがここに。「中世のアイルランドの音楽を現代に蘇らせる」というコンセプトのもと、1987年にダブリンの作曲家マイケル・マクグリンによって結成された男女混声の合唱団。マイケルが発掘した中世アイルランドの聖歌、大衆的な伝統歌、オリジナル曲など多彩な楽曲。歌詞はラテン語、英語、ゲール語を巧みに組み合わせ、中世の歌を現代的、時にシュールなアレンジで聴かせる。」
ホールの音響効果が抜群なのか、声の訓練なのか、単なる勘違いなのか、、、マイクなしで広いホールに男女の歌が染み込んでいく。
歌詞の説明を聞くとたわいのないものながら、数百年の年月を受け継がれてきた旋律が流れるのはやはり感動だ。
フォルクローレの見事さを味わった。
http://keijinshu.com/
ホームページによるプロフィールを引用する。
「1977年11月18日生まれ。母の影響でハモンドオルガンを習い始め、オスカーピーターソンに憧れた事からジャズピアノを習い始める。Berklee音楽大学の東京セミナーに参加等の活動を経て、甲南中学校、甲南高等学校、甲南大学で、それぞれのビッグバンドにレギュラーとしてカウントベイシーを学ぶ。10年間参加し、第30回山野ビッグバンドジャズコンテスト・甲南大学が10位入賞、ピアノを担当。小曽根真氏・北野タダオ氏に師事。ハモンドオルガンの近畿大会・優秀賞受賞。STUDENT JAZZ FESTIVAL・個人賞受賞。その後、アメリカ、ボストンのバークリー音楽大学へ留学。ジャズ作曲科卒業。卒業後は、ジャズ、ラテンピアノをメインとして、演奏、作曲を中心にライブ活動中。」
なるほど、と思う。
12月22日、夜、勤務先近くのライブハウスでのジャズコンサート。朱恵仁さんのピアノにふれるのは3回目。
「追っかけをしようか」と妻と話しながら、チーズをつまみつつ、彼のあざやかなピアノ捌きに見入る。
音が立体的に出てきて、彼の体のアクションと一体となり、店の雰囲気全体も含めて、音楽シーンが登場する。
クラシックのコンサートが、お行儀のよい、制服姿のような楽団員が整然と楽器から音を出し、指揮者が、指揮棒を使って、音のまとまりに仕上げて、バックにいる客席に「音の固まり」、音の気として届けるのとは全く違う。
それに、例のごとく、ごく小さいホールなので、朱恵仁もピアノもすぐ手に届く距離から音が広がってくる。温泉にじっくり入っている感じがする。
また、妻と追っかけをすることにしよう。
もっとも、京都は遠い。大阪は非文化的だ。ここでのコンサートは控えたい。来春に我々の好きな元町でのコンサートがあるようだ。それまで待とう。
■Born Free
http://bornfree-kobe.com/
第2話、ケルティックのア・カペラ
http://www1.gcenter-hyogo.jp/sysfile/center/top.html
世界音楽図鑑・ケルティック・コーラス『アヌーナ』。
12月14日、夜。兵庫県立芸術文化センターでのコンサート。
http://plankton.co.jp/anuna/index.html
これもホームページから引用する。
「アヌーナ ANUNA ケルトの遺産を受け継ぐ神秘のコーラス「アヌーナ」。
時を超えた壮大なロマンがここに。「中世のアイルランドの音楽を現代に蘇らせる」というコンセプトのもと、1987年にダブリンの作曲家マイケル・マクグリンによって結成された男女混声の合唱団。マイケルが発掘した中世アイルランドの聖歌、大衆的な伝統歌、オリジナル曲など多彩な楽曲。歌詞はラテン語、英語、ゲール語を巧みに組み合わせ、中世の歌を現代的、時にシュールなアレンジで聴かせる。」
ホールの音響効果が抜群なのか、声の訓練なのか、単なる勘違いなのか、、、マイクなしで広いホールに男女の歌が染み込んでいく。
歌詞の説明を聞くとたわいのないものながら、数百年の年月を受け継がれてきた旋律が流れるのはやはり感動だ。
フォルクローレの見事さを味わった。
2011年12月22日
■交通事故ー犯罪類型のありかた
毎日新聞ネット配信、2011年12月17日 19時52分
■クレーン車事故:運転中「てんかん」どう判断/19日判決
この記事を引用する。
***(引用)***
栃木県鹿沼市で4月、クレーン車を運転中にてんかん発作を起こし、小学生6人をはねて死亡させたとして自動車運転過失致死罪に問われた同県日光市大沢町の元運転手、柴田将人被告(26)の判決公判が19日、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)である。起訴内容に争いはなく量刑が最大の争点。検察側は法定刑の上限である懲役7年を求刑したが、遺族は納得していない。一方で、判決を機に「てんかん患者の運転」への偏見が助長される恐れがあり、専門家は正しい理解を訴える。
「悪質性は『自動車運転過失致死罪』では評価し尽くせない」。検察自らが起訴した罪名を否定するかのような異例の論告。法定刑(最高懲役20年)がより重い危険運転致死罪での起訴を見送った無念さをうかがわせた。
遺族も「単なる過失ではない」「やりきれない」と訴え、同罪の適用を望んだ。だが、無謀な運転に対し「故意」の責任を問う同罪は、飲酒や高速走行などに適用対象を限定し、てんかん発作は対象外だ。今回は例えば、運転開始時点で既に意識がもうろうとしていたなど正常な運転が困難だったことを立証する必要があり、宇都宮地検は断念した。
捜査・公判を通じ▽3年前にも発作に伴い重傷事故を起こした▽持病を隠して免許を取り就職した−−などが明らかになった柴田被告。「(事故の)予感がした」とも供述した。
*******
この件について、次のコメントを出した。
柴田被告について渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「故意と過失の中間にあった」とみる。現行法では過失罪での起訴はやむを得ないが「人の生命・安全に無頓着な態度で事故を起こしたときに、過失よりも一段重く処罰する犯罪類型を立法化すべきだ」と提案する。
■クレーン車事故:運転中「てんかん」どう判断/19日判決
この記事を引用する。
***(引用)***
栃木県鹿沼市で4月、クレーン車を運転中にてんかん発作を起こし、小学生6人をはねて死亡させたとして自動車運転過失致死罪に問われた同県日光市大沢町の元運転手、柴田将人被告(26)の判決公判が19日、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)である。起訴内容に争いはなく量刑が最大の争点。検察側は法定刑の上限である懲役7年を求刑したが、遺族は納得していない。一方で、判決を機に「てんかん患者の運転」への偏見が助長される恐れがあり、専門家は正しい理解を訴える。
「悪質性は『自動車運転過失致死罪』では評価し尽くせない」。検察自らが起訴した罪名を否定するかのような異例の論告。法定刑(最高懲役20年)がより重い危険運転致死罪での起訴を見送った無念さをうかがわせた。
遺族も「単なる過失ではない」「やりきれない」と訴え、同罪の適用を望んだ。だが、無謀な運転に対し「故意」の責任を問う同罪は、飲酒や高速走行などに適用対象を限定し、てんかん発作は対象外だ。今回は例えば、運転開始時点で既に意識がもうろうとしていたなど正常な運転が困難だったことを立証する必要があり、宇都宮地検は断念した。
捜査・公判を通じ▽3年前にも発作に伴い重傷事故を起こした▽持病を隠して免許を取り就職した−−などが明らかになった柴田被告。「(事故の)予感がした」とも供述した。
*******
この件について、次のコメントを出した。
柴田被告について渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「故意と過失の中間にあった」とみる。現行法では過失罪での起訴はやむを得ないが「人の生命・安全に無頓着な態度で事故を起こしたときに、過失よりも一段重く処罰する犯罪類型を立法化すべきだ」と提案する。
2011年12月17日
■被告人の服装ー裁判員裁判の一側面
■信濃毎日2011年12月(朝刊)「県内の裁判員裁判―髪形や服装、様変わり/被告の見た目気遣う弁護士/『印象変わり得る』」 が興味深い。
***(引用)***
県内で2009年12月に裁判員裁判が始まってから間もなく2年になる。裁判員裁判が行われる長野地裁、地裁松本支部では3日までに、審理中の公判も含め計41件の公判が行われ、市民から選ばれた246人が裁判員を経験。裁判員の多くは日ごろは司法関係の仕事に関わっていないため、弁護士たちは弁護する主張の分かりやすさに加え、被告の印象づくりにも配慮。手錠と腰縄を裁判員の入廷前に外させたり、服装に気を使ったりし、以前の刑事裁判とは様相が異なっている。
刑事裁判ではこれまで被告は手錠と腰縄を付けて入廷し、裁判官入廷後に外すのが一般的だった。服装は自殺や逃走の防止などを理由に、ひものないジャージー姿にサンダル履きが多かった。これに対し、日弁連は裁判員制度開始後の09年6月、改善を求める要望書を最高裁と法務省に提出。それを受けて裁判員裁判では、事前に裁判所から弁護人に入廷時の手錠などについて打診が行われている。
地裁松本支部でことし5月、殺人未遂事件を審理した裁判員裁判では、被告の男はスーツ姿で入廷。逮捕時にパンチパーマだった髪形は短く刈っていた。弁護人を務めた松本市の弁護士は公判前、被告に「さっぱりした格好をするように」と助言したという。弁護士は「どうしても最初は見た目の印象から入ってしまう。判決に影響があるとは思わないが、やれることはやるべきだ」と話した。
・・・
一方、ことし10月に自宅への放火事件を審理した長野地裁の裁判員裁判では被告の男は緩めのジャージー姿で入廷し、裁判員の前で手錠、腰縄の取り外しが行われた。被告の弁護人によると、公判前に同地裁から手錠と腰縄を事前に外すか照会があったが断った。弁護人は取材に「被告は起訴内容を認めていた。(手錠と腰縄を)着けない方が裁判員から見て違和感があると考えた」と話した。この被告に対し検察側は懲役5年を求刑、判決は懲役2年10月だった。
判決後の記者会見で裁判員を経験した男性は「目の前で(手錠と腰縄が)外されるのは初めての光景でびっくりした」と話した。ただ、量刑について「見た目ではなく、公判で出た証拠に基づいて判断した」とした。
***(引用終了)***
この件に関して、次のコメントを掲載してもらっている。
■甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「陪審員制度を導入している欧米などでは服装や話し言葉が判決に影響するとの実験結果がある」と指摘する。ただ、日本の裁判員裁判では「見た目が量刑に与える影響は分からない」とした上で、「服装などは裁判員に予断や偏見、不快感を与えないようにするのが主目的だから、きちんとした服に導くのも弁護人の責任になるだろう」としている。
***(引用)***
県内で2009年12月に裁判員裁判が始まってから間もなく2年になる。裁判員裁判が行われる長野地裁、地裁松本支部では3日までに、審理中の公判も含め計41件の公判が行われ、市民から選ばれた246人が裁判員を経験。裁判員の多くは日ごろは司法関係の仕事に関わっていないため、弁護士たちは弁護する主張の分かりやすさに加え、被告の印象づくりにも配慮。手錠と腰縄を裁判員の入廷前に外させたり、服装に気を使ったりし、以前の刑事裁判とは様相が異なっている。
刑事裁判ではこれまで被告は手錠と腰縄を付けて入廷し、裁判官入廷後に外すのが一般的だった。服装は自殺や逃走の防止などを理由に、ひものないジャージー姿にサンダル履きが多かった。これに対し、日弁連は裁判員制度開始後の09年6月、改善を求める要望書を最高裁と法務省に提出。それを受けて裁判員裁判では、事前に裁判所から弁護人に入廷時の手錠などについて打診が行われている。
地裁松本支部でことし5月、殺人未遂事件を審理した裁判員裁判では、被告の男はスーツ姿で入廷。逮捕時にパンチパーマだった髪形は短く刈っていた。弁護人を務めた松本市の弁護士は公判前、被告に「さっぱりした格好をするように」と助言したという。弁護士は「どうしても最初は見た目の印象から入ってしまう。判決に影響があるとは思わないが、やれることはやるべきだ」と話した。
・・・
一方、ことし10月に自宅への放火事件を審理した長野地裁の裁判員裁判では被告の男は緩めのジャージー姿で入廷し、裁判員の前で手錠、腰縄の取り外しが行われた。被告の弁護人によると、公判前に同地裁から手錠と腰縄を事前に外すか照会があったが断った。弁護人は取材に「被告は起訴内容を認めていた。(手錠と腰縄を)着けない方が裁判員から見て違和感があると考えた」と話した。この被告に対し検察側は懲役5年を求刑、判決は懲役2年10月だった。
判決後の記者会見で裁判員を経験した男性は「目の前で(手錠と腰縄が)外されるのは初めての光景でびっくりした」と話した。ただ、量刑について「見た目ではなく、公判で出た証拠に基づいて判断した」とした。
***(引用終了)***
この件に関して、次のコメントを掲載してもらっている。
■甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「陪審員制度を導入している欧米などでは服装や話し言葉が判決に影響するとの実験結果がある」と指摘する。ただ、日本の裁判員裁判では「見た目が量刑に与える影響は分からない」とした上で、「服装などは裁判員に予断や偏見、不快感を与えないようにするのが主目的だから、きちんとした服に導くのも弁護人の責任になるだろう」としている。
2011年12月12日
コンサート2題ージャズ・ピアノとリュート
石原麗奈と朱恵仁ー神戸、元町、『万屋宗兵衛』。12月12日、夜。ジャズカフェにて。
佐野健二と平井満美子ー神戸、兵庫、『福源寺』。12月03日、午後、禅寺の本堂にて。
こんなおもしろい組み合わせのコンサートを12月に体験。
ピアノのジャズは、まことに見事。
案内を最初見たときに、ピアノ2台で、ジャズ、、、???としろうとながらに思った。
どんなふうにアレンジをするのか?と思いつつ、参加。
神戸元町商店街にある「萬屋宗兵衛」。
ルミナリエの最後の日なので、駅から降りた人の流れの大半は大丸方向から東へ。
それに逆らって、元町商店街をちょっとだけ西に向かって、地下に降りる。
7時半、開演。
朱恵仁さんの見事な指裁きからジャズの音が流れ出る。
石原麗奈さんの若いリズムを包むように朱恵仁さんの弾む音が流れるーーー。
店の手頃な広さ(乃至狭さ?)もよい。
マイクのないピアノそのものの音がよい。
実のところ、今、ガリバー旅行記を読んでいる最中。それを広げながら聴けるジャズ。
ふと気がついた。そういえば今耳で聴く音を、どこかで観た、、、。
ガリバー船長の「Struldbrugg」奇談を読む内に、そんな思いを抱きはじめた。
家路につくまで、考えた。が、どこで音を観たものか?
色々な美術館の絵を思い浮かべる。どこで?誰の?どの作品?
と思いつつ、ロートレックか、と思い当たる。
12月4日夕方。東京。三菱1号館美術館。妻とふたりで観る。
ムーランルージュの、著名なポスターが飾られている。絵から流れる音楽を聴く、、、その逆。
http://mimt.jp/
耳に響くピアノの音が観える。
さて。
その1週間ほどまえ。兵庫駅近くにある、某禅寺の本堂でリュートが響く。
「グリーンスリーブス」、「水の広がり」等など我々音楽の世界のしろうともおりおり耳にしたことのある曲目。リュートにあわせて、ソプラノの歌が続く。
このコンビのコンサートは3度目くらいであろうか。しかし、寺の本堂でのコンサートは初めて。
床暖房も整えられ、音響も考えた建て方なのだろうか、高い天井にリュートの音がよく響く。
リュートと言えば、シェイクスピアの数々の場面が浮かぶ音色。
音で劇を観る、、、音が絵を招く、、、絵が音色を奏でる、、、そんな世界がある。
ちなみに。
朱恵仁さんは、配布されているパンフレットとビラによると、甲南学園の中・高・大の出身。
甲南中高でもジャズバンドに属して活躍したという。
ブログ編者は、まだごあいさつしたことはないが、ここに石川保則教諭がおられる。
よき指導者と聞く。
「甲南学園ミュージシャン」、と呼ぶべきプロがあちこちで活躍している。
http://kobejazz.jp/jazz_people/vol12.html
2011年12月10日
名古屋、ヤマザキ・マザック美術館
http://www.mazak-art.com/index.shtml
名古屋、新栄駅すぐ。ヤマザキマザック美術館。訪問2回目。
ユトリロの1911年の作品、『マルカデ通り』に見入る。
定点観測。絵画と心の動き。福岡、アジア美術館、東京、西洋美術館常設展、そして、ヤマザキマザックが加わる。
これからの仕事の広がりと、各美術館の雰囲気を考えると、これら3館にレギュラーに足を運ぶことになりそうだ。1月にもまた、ここに来ると思う。間違いなく、、、。
そのときにどの作品に心が引かれるか、、、それを考えて、分析する。
そんなことを繰り返してきた。通りの奥にゆっくりと散歩をしていく感覚に満たされる立体感か。次来たときは、、、どうだろうか。
学会前のひととき、である。呵々。
・作品名 マルカデ通り(フランス語) Rue Marcadet
・作家名(日本語) モーリス ユトリロ
・作家名(英語) Maurice Utrillo
・制作年度 1911年
名古屋、新栄駅すぐ。ヤマザキマザック美術館。訪問2回目。
ユトリロの1911年の作品、『マルカデ通り』に見入る。
定点観測。絵画と心の動き。福岡、アジア美術館、東京、西洋美術館常設展、そして、ヤマザキマザックが加わる。
これからの仕事の広がりと、各美術館の雰囲気を考えると、これら3館にレギュラーに足を運ぶことになりそうだ。1月にもまた、ここに来ると思う。間違いなく、、、。
そのときにどの作品に心が引かれるか、、、それを考えて、分析する。
そんなことを繰り返してきた。通りの奥にゆっくりと散歩をしていく感覚に満たされる立体感か。次来たときは、、、どうだろうか。
学会前のひととき、である。呵々。
・作品名 マルカデ通り(フランス語) Rue Marcadet
・作家名(日本語) モーリス ユトリロ
・作家名(英語) Maurice Utrillo
・制作年度 1911年
2011年12月08日
■裁判員裁判と実子虐待死ー語らない被告人
■YomiuriOnLineは、 「障害ある16歳長女を折檻死、母親に実刑判決」と題する記事を配信している(2011年11月25日21時29分・ 読売新聞)。裁判員裁判の判決内容の紹介である。以下、記事を引用する。
***(引用)***)
岡山市で今年2月、知的障害などのある長女(当時16歳)を全裸で浴室に閉じ込め死亡させたとして、逮捕監禁致死罪に問われた同市北区、無職清原陽子被告(38)の裁判員裁判の判決が25日、岡山地裁であった。
森岡孝介裁判長は「しつけの限度を超えた仕打ちで、死亡という結果は重大」として、懲役3年6月(求刑・懲役5年)の実刑判決を言い渡した。弁護側は即日控訴した。
判決によると、清原被告は、長女が近所の民家で盗み食いをしたと思い、反省させようと2月28日夜、手足をひもで縛ったうえ、室温13、14度(推定)の浴室に裸で約5時間立たせて、低体温症で死亡させた。
判決で森岡裁判長は「養育が難しい被害者を、苦労しながら愛情を持って育て、事件については後悔しているものの、真摯に向き合って反省しているとは評価しがたい」とした。」
***(引用終了)***
判決前にマスコミの取材を受けていて一番気になったのは、母親である被告人が、子育ての苦労、社会の支援の欠如、孤立、悩み、不安、、、、などなどなお貧困な福祉の狭間で苦しんだあげくの犯行であることを、裁判員に語った様子がなかったことだ。
次の一行がその理由を物語っているのかもしれない。「清原被告は事件後、ショックから「解離性障害」と診断された。5回の公判では一言もしゃべらなかった」。
別のネット配信記事も、判決公判の日の被告人の様子をこう紹介している。「清原被告はこの日も車いすで出廷。森岡孝介裁判長が判決を言い渡す間も、これまでの公判と同様、帽子で顔を覆い、両手で耳を塞いだ。弁護側によると、逮捕後に解離性障害と診断されたという。」(asahi.com 2011年11月26日配信)
■上記asahi.com(2011年11月26日) は、「16歳監禁致死/裁判員「話聞きたかった」として、判決後の裁判員の記者会見の模様を語る。
***(引用)***
障害のある長女(当時16)を浴室に閉じこめて死なせたとして、逮捕監禁致死罪に問われた清原陽子被告(38)の裁判員裁判。25日に岡山地裁で懲役3年6カ月の判決を受けたが、被告は最後まで口を開かなかった。審理に参加した裁判員は「母親から話を聞きたかった」と話した。
・・・
判決後の会見には、裁判員3人が出席。20代の男性会社員は「本当のことを話してもらえば、もっとわかったと思う」と話し、もどかしさをのぞかせた。「反省しているのか、それを一番聞きたかった」
別の男性裁判員も、清原被告が話さなかったことについて「何をもって証拠とするのか、非常に難しかった」と吐露した。」
■山陽新聞2011年11月26日(朝刊)は、「岡山・長女監禁致死/母親に懲役3年6月/被告の心境未解明/解説」とする記事で、裁判の意義と限界について、解説していて興味深い。
***(引用)***
5日間の公判で、被告が一言も発しなかったという異例の展開をたどった今回の裁判。判決後、複数の裁判員が「本当のことを話してほしかった」などと話したように、犯行に至った被告の複雑な心境は法廷では十分には解明されず、消化不良の感は否めなかった。
執行猶予付きを予想する声もある中での懲役3年6月の実刑判決。この結果をめぐり、岡山弁護士会裁判員制度特別委員長の作花知志弁護士は「重いという感じはぬぐえない」。立命館大の野田正人教授(司法福祉論)は「非常に厳しい判決ではあるが、一方的な虐待事件の判例では5、7年の実刑となることもある。被告人の苦しみも読み込んだ印象がある」と思いを巡らせた。
被告が障害児を育ててきた長い歴史とその間の苦しみ、社会の無理解など事件の背景への考察も、公判ではもっと問題となるべきだった。ところがその論議は深められず、甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「市民の生活感覚を交えて量刑を考える裁判員裁判の意義が生かされたか疑問が残る。判決は犯罪の成否と被害の程度しか考慮していない」と厳しく指摘した。
***(引用終了)***
■ 記事中に引用したようなコメントを採用してもらっているが、気は重い。「なぜ被告人は語らなかったか」。
すこし複雑な心境だ。
というのも、裁判員裁判一般について、ブログ編者は、「歪んだ運用の定着」と批判的に観ている。
捜査段階の調書を受け継ぐ儀式。これが従前えん罪を生む基本構図であったところ、実は、今の裁判員裁判は、それをもっと悪しき形で引き継いでいる。公判前整理手続で、有罪立証の厚みが削りに削られ、他方、被告人質問は常態化している。
つまり、検察側の調書による薄められた有罪立証の一方、被告人が公判廷で懸命に全力で弁解に努めて、これに失敗すると、相対的に、検察側の立証が信用できる扱いになる、、、比喩的に言えば、「証拠裁判」ではなく、「印象裁判」になっている。
だから、無罪を争うときには、被告人は被告人席に座ってたたないでいればよい、と思っている。
他方、日本の裁判員裁判は、量刑も判断する。そこに、実は妙味がある。
プロの裁判官ではできない、やらない量刑を選ぶ度量を期待できる。
今回も、材料次第では、裁判員は、執行猶予を付けたと思う。それだけに、なぜ語らないのかそこがわからなかった。被告人の病名は新聞誌上で知った。惜しいことと思う。殺したくて殺した、とは思われないが、これを裏付ける被告人の「ことば」が欲しかった。
そんな思いを、上記コメントに込めたものだ。
被告人は、即日控訴したという、せめて、控訴審で十分に事件について語る機会をもってほしいものだ。
***(引用)***)
岡山市で今年2月、知的障害などのある長女(当時16歳)を全裸で浴室に閉じ込め死亡させたとして、逮捕監禁致死罪に問われた同市北区、無職清原陽子被告(38)の裁判員裁判の判決が25日、岡山地裁であった。
森岡孝介裁判長は「しつけの限度を超えた仕打ちで、死亡という結果は重大」として、懲役3年6月(求刑・懲役5年)の実刑判決を言い渡した。弁護側は即日控訴した。
判決によると、清原被告は、長女が近所の民家で盗み食いをしたと思い、反省させようと2月28日夜、手足をひもで縛ったうえ、室温13、14度(推定)の浴室に裸で約5時間立たせて、低体温症で死亡させた。
判決で森岡裁判長は「養育が難しい被害者を、苦労しながら愛情を持って育て、事件については後悔しているものの、真摯に向き合って反省しているとは評価しがたい」とした。」
***(引用終了)***
判決前にマスコミの取材を受けていて一番気になったのは、母親である被告人が、子育ての苦労、社会の支援の欠如、孤立、悩み、不安、、、、などなどなお貧困な福祉の狭間で苦しんだあげくの犯行であることを、裁判員に語った様子がなかったことだ。
次の一行がその理由を物語っているのかもしれない。「清原被告は事件後、ショックから「解離性障害」と診断された。5回の公判では一言もしゃべらなかった」。
別のネット配信記事も、判決公判の日の被告人の様子をこう紹介している。「清原被告はこの日も車いすで出廷。森岡孝介裁判長が判決を言い渡す間も、これまでの公判と同様、帽子で顔を覆い、両手で耳を塞いだ。弁護側によると、逮捕後に解離性障害と診断されたという。」(asahi.com 2011年11月26日配信)
■上記asahi.com(2011年11月26日) は、「16歳監禁致死/裁判員「話聞きたかった」として、判決後の裁判員の記者会見の模様を語る。
***(引用)***
障害のある長女(当時16)を浴室に閉じこめて死なせたとして、逮捕監禁致死罪に問われた清原陽子被告(38)の裁判員裁判。25日に岡山地裁で懲役3年6カ月の判決を受けたが、被告は最後まで口を開かなかった。審理に参加した裁判員は「母親から話を聞きたかった」と話した。
・・・
判決後の会見には、裁判員3人が出席。20代の男性会社員は「本当のことを話してもらえば、もっとわかったと思う」と話し、もどかしさをのぞかせた。「反省しているのか、それを一番聞きたかった」
別の男性裁判員も、清原被告が話さなかったことについて「何をもって証拠とするのか、非常に難しかった」と吐露した。」
■山陽新聞2011年11月26日(朝刊)は、「岡山・長女監禁致死/母親に懲役3年6月/被告の心境未解明/解説」とする記事で、裁判の意義と限界について、解説していて興味深い。
***(引用)***
5日間の公判で、被告が一言も発しなかったという異例の展開をたどった今回の裁判。判決後、複数の裁判員が「本当のことを話してほしかった」などと話したように、犯行に至った被告の複雑な心境は法廷では十分には解明されず、消化不良の感は否めなかった。
執行猶予付きを予想する声もある中での懲役3年6月の実刑判決。この結果をめぐり、岡山弁護士会裁判員制度特別委員長の作花知志弁護士は「重いという感じはぬぐえない」。立命館大の野田正人教授(司法福祉論)は「非常に厳しい判決ではあるが、一方的な虐待事件の判例では5、7年の実刑となることもある。被告人の苦しみも読み込んだ印象がある」と思いを巡らせた。
被告が障害児を育ててきた長い歴史とその間の苦しみ、社会の無理解など事件の背景への考察も、公判ではもっと問題となるべきだった。ところがその論議は深められず、甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「市民の生活感覚を交えて量刑を考える裁判員裁判の意義が生かされたか疑問が残る。判決は犯罪の成否と被害の程度しか考慮していない」と厳しく指摘した。
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■ 記事中に引用したようなコメントを採用してもらっているが、気は重い。「なぜ被告人は語らなかったか」。
すこし複雑な心境だ。
というのも、裁判員裁判一般について、ブログ編者は、「歪んだ運用の定着」と批判的に観ている。
捜査段階の調書を受け継ぐ儀式。これが従前えん罪を生む基本構図であったところ、実は、今の裁判員裁判は、それをもっと悪しき形で引き継いでいる。公判前整理手続で、有罪立証の厚みが削りに削られ、他方、被告人質問は常態化している。
つまり、検察側の調書による薄められた有罪立証の一方、被告人が公判廷で懸命に全力で弁解に努めて、これに失敗すると、相対的に、検察側の立証が信用できる扱いになる、、、比喩的に言えば、「証拠裁判」ではなく、「印象裁判」になっている。
だから、無罪を争うときには、被告人は被告人席に座ってたたないでいればよい、と思っている。
他方、日本の裁判員裁判は、量刑も判断する。そこに、実は妙味がある。
プロの裁判官ではできない、やらない量刑を選ぶ度量を期待できる。
今回も、材料次第では、裁判員は、執行猶予を付けたと思う。それだけに、なぜ語らないのかそこがわからなかった。被告人の病名は新聞誌上で知った。惜しいことと思う。殺したくて殺した、とは思われないが、これを裏付ける被告人の「ことば」が欲しかった。
そんな思いを、上記コメントに込めたものだ。
被告人は、即日控訴したという、せめて、控訴審で十分に事件について語る機会をもってほしいものだ。

