2012年02月08日

都市を観る眼

菊岡倶也編著『建築・土木365日「今日は何の日」』、
という本があります。


1年365日、
その日に建築・土木の分野で起こった出来事が書かれています。


例えば、
明日2月9日のページを見てみると、
「東京書籍館、文部省の所管へ」となっています。


明治8年のこの日に、
東京書籍館(しょじゃくかん)が、
太政官内の博覧会事務局の所管から、
文部省の所管となり、
それは、
現在の国立国会図書館の源流となったようです。


そして、
この時の館長は、永井久一郎という人で、
作家永井荷風の父だったのだそうです…。


だから何なのかといった感じの、
何やらマニアックな知識なのですが、
時々パラパラめくると、
面白い話がたくさん載っていて、
結構気に入っています…。


ついでに2月のページをパラパラと見ていくと、
2月16日のページには、
「森鴎外の『妄想』 東京改造への希望を述べる」、
とありました。


明治43年のこの日、
森鴎外(当時48歳)は、
慶応義塾大学文学科顧問に就任したのだそうです。


その森鴎外は、
あまり知られていないように思いますが、
晩年まで、
東京の現況、都市の改造等について、
積極的に発言をつづけたのだそうです…。


その年の5月に発表された短編『妄想』では、
「今まで横に並んでいた家を、竪に積み畳ねるよりは、
上水や下水でも改良するが好かろう」、
とか、
東京の家の軒の高さを一定にして、
整然たる外観の美を成そうという意見に対して、
「そんな兵隊の並んだような町は美しくない。
強いて西洋風にしたいなら、むしろ反対に軒の高さどころか、
あらゆる建築の様式を一件ずつ別にさせて、
エネチアの町のように
参差錯落(しんしさくらく)たる美観を造るようにでも心がけたら好かろう」、
などと、
皮肉っぽく書いたりもしているのだそうです…。


「参差錯落」とは、
一様ではなく、様々なものが入り混じっている状態のことだそうで、
要するに、乱雑ということのようです…。
また、
エネチアは、イタリアのヴェネチアのこと…。


森鴎外は、
ドイツに留学したことが知られていますが
(小説『舞姫』なんか有名ですよね)、
その当時のドイツは、過密化した都市が悲惨な状況となっていて、
衛生学的見地からの都市改造論議が盛んだったのだそうです。


医者でもあった鴎外は、
そういった議論の影響を強く受けていたのか、
美観よりも、
上下水道の整備など、
公衆衛生の観点から、都市を見ていたのかもしれません…。




ところで、
この『建築・土木365日「今日は何の日」』の次のページ、
2月17日のページには、
「臨時建築局発足 官庁営繕組織の原型がスタート」とあります。


当時、外務大臣だった井上馨は、
不平等条約を改正し、先進諸国と肩を並べるべく、
鹿鳴館を建てるなどの、
いわゆる欧化政策をすすめていたのですが、
その総仕上げとして、
当時の一流の建築家をドイツから招聘し、
国会議事堂や裁判所などを含む諸官庁を日比谷に集中し、
放射状道路などを配した、
ヨーロッパの都市のような、壮大な都市計画を作成します。


そして、
明治19年のこの日、
その建設を目的に、創設されたのが、臨時建築局で、
総裁には、井上馨自身が就任します。


パリやウィーンなどの、
先進諸国の実例を踏まえた、
当時の最先端をいくものであったらしい、この計画は、
明治20年の不平等条約改正交渉が不調となると、
事態が急変し、
外務大臣井上馨の辞任により、
事実上頓挫します…。


翌年には、この計画は廃棄され、
臨時建築局は、2年後に消滅します。


東京がパリになる機会は、
幸か不幸か、失われました…。


法務省旧本館001.JPG


その壮大な計画は、結局実現しませんでしたが、
裁判所と司法省の建物だけは、計画通りに完成します。


法務省旧本館002.JPG


裁判所の方は、その後、建替えられてしまいましたが、
司法省の方は、
「法務省旧本館・赤れんが棟」として、
今でものこっています…。


法務省旧本館003.JPG


また、
その都市計画から、およそ50年後、
その計画で提案されていた通りの場所に、
国会議事堂は建設されました…。


国会議事堂001.JPG




ところで、
この、2月16日と17日の、
二つの隣り合ったエピソード、
「森鴎外の指摘」と、
「井上馨の目指した計画」は、
現在でも、
都市(あるいは建築)を観る上での、
主要な二つの視点といってもいいように思います。


わざと乱暴に言ってしまうと、
つまり、
「実用性」が「美」か…。




歴史的に観てみると、
総じて日本人は、
都市の美観なんかよりも、
実用性、経済性を重視した都市をこしらえてきたように思いますので、
森鴎外の勝ちですね、きっと…。


でも、
さすがの森鴎外も、
現在のような、
ここまで乱雑な都市になるとは思っていなかっただろうなあ…。


何しろ、
「参差錯落」たる町の代表が、
あのヴェネチアだというのですから…。

Posted by k_nakama at 16:59  |Comments(5)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月31日

実際の場所

20年ぐらい、ずっと、
パソコンは主にマッキントッシュを使っているせいもあって、
昨年スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった時には、
とても感慨深いものがありました…。


その後のいろいろな報道などで、
「世界を変えた」とか、
「ライフスタイルを変えた」とかいったような、
たくさんの賛辞が贈られているのを観て、
本当にその通りだ、と思ったのですが、
ただ、よくよく振り返ってみて、
私個人についてに限ってみると、
思っていたほど、
ライフスタイルを変えてもらってはいなかったかもしれない、
とも思いました…。


これは、
スティーブ・ジョブズ氏の業績とは全く関係がなく、
私が単純に遅れているだけだとは思いますが…。


というのも、私は、
iPadも、iPhoneも持っていない上に、
iPodも買ったことがありません…。


いや、そもそも、
ウォークマンすら買ったことがなかったので、
それ以前の話、という感じですよね…。


電車の中では、
本を読んでいるか、ぼーっと廻りを眺めているか、寝ているかで、
そこで音楽を聴く習慣は、いまだにありません…。


外を歩いている時も同じで、
廻りをキョロキョロと見廻しながら歩いているので、
音楽やインターネットは、その時には、別に必要ありません…。


そんな状態なので、
街中で、
歩きながら、自転車に乗りながら、
スマートフォンをいじっているような人を見かけると、
危ないなあ、と思うと同時に、
どうしても、
何をそこまで、という感じに思ってしまいます…。


そういった人達が、よくない、というつもりは全然ありませんが、
ただ、
実際の場所を歩きながら、
わざわざ仮想空間にばかり入っていなくてもいいのではないかなあ、
と思ってしまいます…。


ネットを見ながら、音楽を聴きながらでも、
廻りの人と話したり、周囲を見ることは出来る、と思うかもしれませんが、
多分、ご本人たちが思っている以上に、
街中にある多くのものを、気付かずに、見落としている、
と思いますよ…。




全然違う話なのですが、
私は、七、八年前ぐらいまで、煙草を吸っていました。


その頃には、
自分が通る道の、どの辺りに煙草の自動販売機があるか、
また、どこの自動販売機には、どの銘柄があるか、
といったことを、実によく把握していました…。


それどころか、
はじめて訪れるところでも、
煙草の自動販売機の場所を、自然にチェックしていて、
いざ煙草が切れてしまうと、
あそこにあったなあ、と思い出して、
すぐに買いに行くことが出来ました…。


煙草をやめてしばらくすると、
こういった一種の特殊技能は失われてしまい、
今では、どこに煙草の自動販売機があるか、
といったようなことは、
全くわからなくなってしまいました…。


このつまらない話から、何を言いたかったかというと、
要するに、
人は、いろいろと見ているようで、実は、
気になっているもの以外は、大して見ていない、
ということです…。


そんなことで、
街中でネットをやっている人は、
現実に身を置いている街よりも、
ネットの方により深くアクセスしていて、
実在するものの多くを見逃しているのではないか、
と思いました…。


よく言われるような、
現実と、仮想空間にあるものとの区別がつかなくなる、
といった批評が、
本当かどうかはわかりませんが、
少なくとも、
多くの人にとって、
自分が実際に身を置いている場所や、そこに実在するものの重要性が、
以前と較べて、
だんだんと減ってきている、というのは本当のような気がしています…。


実際にある街や、そこにあるものは大して見ずに、
ネットの中の空間により深く入り込んでいるわけですからね…。


ただ、こいうったことは、
もうすでに、当たり前のようになっていて、
誰かと一緒にいながら、別の人と携帯電話で話す、
といったことはよくあることのように思います…。


将来的には、
実際に会うとか、実際に見るとか、
といったようなことは、
大した意味を持たなくなってくるのかもしれませんね…。


実際に会ったり、行ったりしなければ、
触れる事も出来ないので、そんなことにはならないのでは、
と思ったりもしていましたが、
先日テレビで、
指先に電気的な刺激を与えることで、
実際に触れなくても、
まるで何かを触っているような感覚を得ることが出来る、
というような研究を紹介しているのを観ました。


多分、そう遠くない将来、
遠くにいて、実際に物に触れなくても、
それに触れたのと同じような感覚を、
得ることが出来るようになるのではないでしょうか…。


人はそのうち、
一歩も動くことなく、
誰かと話し、
何かを見たり、触ったり、味わったり、
といったようなことが出来るようになるのかもしれません…。


もう、
何もない部屋の中に、脳だけがある、といったような、
SF的なイメージすら浮かんできます…。


カセレス004.jpg


旅に出る、
などというのも無くなるのかもしれませんね…。


ブルゴス001.jpg


今のところは、
旅に出ると、
そこの街並を見、建築を見たりしながら、
その場所の雰囲気を味わいます。


建築は、
その場所と切り離すことが出来ないが故に、
その場所を最も強く表現するものになっているように思います。


ポルト001.jpg


ということは、
実際の場所に行くということの意味が薄くなるにつれて、
建築の意味もなくなっていくのだろうなあ、と思います…。


そう言えば、
建築を設計する時には、いつも、
その場所の、
気候風土、歴史、環境、等々を考えて、
その場所に出来るだけ相応しいものをつくりたいと考えるのですが、
現在でもすでに、
他の場所にはない、その場所の個性のようなものを見つけるのは、
とても難しくなっているように思っています…。


丸亀市塩飽本島笠島001.jpg


要するに、
どこへ行っても、
あまり変わらないような場所になってしまっているみたいです…。


もう一度、
煙草の自動販売機の場所に敏感になるためには、
また煙草を吸い始めなければダメだと思うのですが、
もう吸わないと思いますので、
私の中で、
煙草の自動販売機の場所の重要性が帰ってくることは、
多分ないと思います…。


それと同じように、
実際の場所の重要性を取り戻そうとすると、
インターネットのような、便利な情報通信技術をやめて、
自分の感覚器官だけで、その場所を捉えるということしかないと思うのですが、
もう多分無理ですよね、私も無理です…。


ということになると、
今後、
実際の場所というものは、ますます、大した意味がなくなってくるので、
それならば、
どこへ行ってもあまり変わらなかったとしても、それはそれで構わない、
ということになるのではないでしょうか…。


そんな感じで、
そういった方向に向かっていくのだろうなあ、
ということは十分想像できるのですが、
でも、一方で、
そうなると嫌だなあ、とも思っています…。


竹田001.jpg


今後もますます、
どこへ行っても同じような感じになっていくと思いますし、
人にとって、実際の場所というものは、
どんどんと意味が薄れていく、と思います…。


そんな中で、
場所と切り離すことが出来ない建築のようなものをつくるというのは、
ずいぶんと分が悪いなあ、とは思っています…。


それはわかってはいるのですが、
それでも、
出来るだけ、流れに逆らって、
あるかないかの、ほんの微かな、その場所の個性を探して、
それを踏まえた建築をつくるしかないのかなあ、とも考えています…。


まあ、別に、
そんなオーバーな理由で、
スマートフォンやタブレット型のパソコンを使っていないわけではなくて、
単に遅れているだけなのですが…。

Posted by k_nakama at 15:15  |Comments(10)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

トリュフ

すでに終わってしまいましたが、
1月15日まで、東京都現代美術館でやっていた、
『建築、アートがつくりだす新しい環境』展を、
先日、観ることができました。


とても面白い展覧会で、
大いに刺激をもらって帰ってきたのですが、
その中で、ひとつだけ、ここで触れておこうと思います。


それは、
スペインの建築家、アントン・ガルシア=アブリルという人の、
『トリュフ』という作品です。


トリュフ001.JPG


観づらいとは思いますが、
展覧会のカタログと、
雑誌『a+u 480』で紹介されている部分を撮った写真とともに...。


トリュフ002.JPG


海辺に建つ休暇小屋というのが、その主な用途のようですが、
特に面白いのは、そのつくり方です。


トリュフ003.JPG


まず地面に穴をつくり、そこに干し草を詰め込みます。


そして、
その干し草を封じ込めるように、コンクリートを流し込みます。


コンクリートが固まったら、周囲の土を取り除き、
一部を石材用切断機械で削り取ると、
中からは、そこに詰め込んだ干し草の塊が現れます。


そこに、子牛を連れくると、
その子牛は、1年間にわたって干し草を食べ続け、
すべてを食べ尽くすと、
体重300kgの立派な雌牛となって、去っていきます。


あとには、コンクリートで出来た空間が現れる、
といった感じで出来上がります…。


トリュフ004.JPG


そのようにして出来上がる建築は、
まるで自然の洞窟のような、または、岩の塊のような空間で、
そこに対比的に、
モダンな要素が設えられていて、とても魅力的なものでした...。


トリュフ005.JPG


しかし、それよりも、もっと面白いのが、
つくるプロセスを追った映像で、
なんか、観ていて、笑ってしまいました…。


コンクリートの塊に充填された干し草を食べに、
子牛が来るところなんか、最高でした…。


帰って、
買ってきた展覧会カタログを読むと、
この『トリュフ』について、
周辺にコンクリート工場と牛と干し草しか無いという条件下で、
その土地で入手可能な素材と実現可能な工法のみの力で出来上がった作品で、
構造物が「建築」ではなく「自然の一部分」となりうる可能性を提示している、
という感じで解説されていました…。


まあ、こういうものは、
どのように観てもいいわけですが、
うーん、でも、どうなのかなあ…。


私が観て感じた面白さとは、ちょっとずれているような気がするなあ…。


私は、この作品は、
つくる「プロセス」を問題にしているものだと思いました...。


普段、仕事で建築を設計する時によく思うのが、
建築をつくるまでの「プロセス」が、
結果的には、とても重要になる、ということです…。


設計をする過程で、いつも、
かなり長時間にわたって、建て主さんと話し合うことになります。


私の方は、仕事なのでいいのですが、
特に住宅の建て主さんにとっては、仕事でもなんでもないことに、
せっかくの休日を使って、
長時間の打ち合わせに付き合っていただくことになります…。


そして、
ああでもない、こうでもない、と話し合いながら、
最終的に、ひとつのかたちにしていくことになるわけですが、
よくよく考えてみれば、
大層面倒なことなのではないか、と思います...。


でも、この「プロセス」を一緒に経ることで、
結果的に、
そこでしかできない、
愛着のある「建築」というものになっていくのではないか、
というように常々感じています…。


もっとも、いくら「プロセス」が大事、といっても、
面倒な手続きを経ればなんでもいいというわけでは勿論なくて、
そこは、あくまでも、
よい建築をつくる、という目的のための「プロセス」、ということになります。


この辺は、
スポーツなども一緒ではないかと思うのですが、
最初から、いい試合を目指していては、いい試合にはならず、
あくまでも、勝つことを目指した結果、
勝ち負け以上の、価値ある、いい試合になる、という感じでしょうか…。


トリュフ006.JPG


この『トリュフ』にしても、
考えてみると、
別に、
コンクリートの中に充填するのは干し草ではなくて、土でもいいはずで、
さらに、建物をつくるという点だけから言えば、
干し草を子牛に食べさせる必要は全然なくて、人が取り出せばいいはずです。


それにもかかわらず、
1年間もかけて子牛に干し草を食べ尽くさせたり、といったような、
面倒で、ちょっと滑稽な手続きを踏んでいるのも、
そういった「プロセス」にこそ、「建築」の核心部分があるのでは、
といったこと問うているのではないか、と感じました…。


トリュフ007.JPG


解説では、この作品は、
「建築」ではなく、「自然の一部分」へ、とありましたが、
私には、むしろ、
「建築」そのものという感じがしてしまいました...。


トリュフ008.JPG


まあ、こういったことは、
建築に限らず、よくありますよね…。
何かの目的のために一生懸命やった末に、あとから振り返ってみると、
結果よりも、その過程の方に思い出がいっぱい、なんて感じのことが…。

Posted by k_nakama at 19:36  |Comments(6)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

スカイハウス

正月明けから、引きこもり状態で図面を描いていたせいで、
今頃になって、今年はじめての記事になります…。


あまり変わりのない、
同じような事ばかり書いているブログですが、
またよかったら、今年もおつきあいください…。


本年もどうぞよろしくお願い致します。




いつも年末になると多いのですが、
様々な分野で、
「今年のベストテン」などといった企画があります。


自分の注目した作品を、
他の人がどのように評価したか、といったことがわかり、
なかなか楽しくて好きなのですが、
期間を限らず、これまでで一番よかったものを挙げ合う、
「オールタイム・ベストテン」のような企画もまた、
同じような意味で、好きです...。


真似をして、自分でも、
音楽、本、映画では、
何が「オールタイム・ベストテン」か、
などと考えてみたりするのですが、
その日の気分やら、何やらで、日々、大きく変動していて、
なかなか定まりません…。


今日の一位が、
次の日には、ランク外に消えてしまったりすることも、しばしばです…。


不思議と、特に、
上位にランクインする作品ほど、変動が大きいような気がします...。


その一方で、
一位というわけではないのですが、
ベストテンを選ぼうと思うと、どうしても外すことが出来ず、
ベストテンの中に、必ず一つ、
席を用意しておかなければいけないような作品もあったりします…。


建築でも似たような遊びをしてみることがあって、
例えば、
「好きな住宅建築ベストテン」は何だろう、
などと考えてみたりします…。


これは、
私が仕事で関わっているせいもあるのか、
他の分野と較べても、
より変動が激しいような気がしています…。


例えば、
都会の狭小地での建築を設計している時には、
密集地で、巧妙な設計をしているような建築が浮上してきたり、
そうかと思えば、
眺めの良い場所での建築を設計している時には、
周囲の眺望を、見事に取り込んでいるような建築が、
圏外から、突如ランクインしてきたり、
といったようなことがあります...。


その時の仕事とも連動して、
興味のおもむくままに、
ベストテンは、日々変動しているみたいです…。


ただ、そんな中でも、
やはりどうしても、ベストテンの中に、
きちんと席を用意しておかなければいけないような気がする建築もあります…。


私の中では、
『スカイハウス』は、そういった作品のひとつになっています…。


スカイハウス001.jpg


設計した菊竹清訓さんは、
前回の記事で紹介した、
「メタボリズム」の中心メンバーであった建築家です。


スカイハウス002.JPG


一般的には、黒川紀章さんが有名かもしれないのですが、
「メタボリズム」というと、私は、
この菊竹清訓さんを一番に思い浮かべます…。


スカイハウス003.JPG


『スカイハウス』は、
その菊竹清訓さんの自邸で、
戦後の日本を代表する住宅作品といってもいいような建築です。


この写真では、ちょっとわかりにくいかと思いますが、
どういったものかというと、
一辺約10メートルの正方形のワンルームが、
四本の柱によって、空中に持ち上げられている、という、
言ってみれば、ただそれだけのものです…。




「メタボリズム」というのは、
前回にも書きましたが、
「新陳代謝」といったことが、そのテーマになっています。


この『スカイハウス』でも、当然、
その考え方が貫かれています…。


設計者は、
この広い、空中に持ち上げられたワンルームを、
「夫婦の空間」と呼んでいます。


この「夫婦の空間」は、
空中に持ち上げられているために、
周囲の環境と干渉することがなく、自立しています。


つまり、
世の中がどのように変わっても、
また、
家族のかたちがどのように変わっても、
決して変わることがないのが、夫婦という単位であるとし、
それ以外の部分は、変わっていくものとして、
「新陳代謝」をすることで、環境に適応していこう、
という計画になっています…。


戦後民主主義的な家族観で、
賛否はいろいろとあろうかと思いますが、
でも、
とてもロマンチックと言ってもいいのではないでしょうか…。


そして、その家族観を、
モダンな構成の中で、ものの見事に表現しているように思います…。


ワンルームの「夫婦の空間」の廻りには、回廊がまわっていて、
そこに、
取り替え可能な、キッチン・バス・収納が据えられています。


これらは、自動車などと同じように、
工業社会の進歩のもとでよりよいものに更新(新陳代謝)されていく部分、
と考えられています。


また、
家族構成が変わると、
この「夫婦の空間」から吊り下げるようにして、
取り外し可能な、子供部屋が設置されます…。


人生観といったものに照らして、
人として、家族として、
決して変わることのない部分を明確に設定し、
それ以外の部分は、環境に適応するために、
積極的に変化を受け入れ、
その変化の中で、建築・都市をとらえていく…。


そういった思想が、
身もふたもないほどにシンプルで、
切れ味の鋭い構成で表現されているように思います…。


そんなことで、今でも、
ベストテンを選ぼうとすると、常に、
この作品には、
指定席を要求されてしまっています…。




ところで、
私が学生の頃に、
ある建築雑誌に、『建築家と自邸』というコーナーがありました。
ある時、そこに、この「スカイハウス」が出ていました。
そして、
広いワンルームに、
設計者である菊竹清訓さんが一人で座っている写真が載っていました。


そこには、
3人のお子さんは、もうすぐ独立して、出て行く年齢となり、
そして、
奥様には先立たれてしまった、という内容が書かれていました…。


その時には、
決して変わることがない部分として位置づけられていた「夫婦の空間」が、
結局は、
一人の場所になってしまっているようでした…。


前回にも書きましたが、
「メタボリズム」の建築は、そのほとんどが、
結局は、
当初想定した通りに「新陳代謝」をすることはなかったのですが、
この「スカイハウス」も、その例に漏れず、
想定通りにはいかなかった、と考えるべきでしょうか…。


いや、ここは、やはり、
「決して変わることがない」というのは、
「願い」のようなものだったのだろうと、
どこまでもロマンチックにとらえるべきなのでしょうね…。


いずれにしても、
広いワンルームに一人座っている写真は、
大変ドラマチックで、胸を打つものでした…。




菊竹清訓さんは、
1960年代、70年代を中心に、
非常に多くの傑作をつくりだします。


出雲大社庁の舎001.jpg


出雲大社庁の舎002.jpg


ただ、私が建築の学生だった80年代後半から90年代辺りには、
巨匠ではありましたが、
すでにあまり尖った存在ではなかったようにも思いました…。


徳雲寺001.JPG


徳雲寺003.JPG


都城市民会館004.JPG


都城市民会館005.JPG




菊竹清訓さんが、昨年末に亡くなられたのだそうです…。


『スカイハウス』は、改めて、名作だと思います…。

Posted by k_nakama at 19:29  |Comments(6)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月30日

新陳代謝

最近、
二つの建築がらみの展覧会に行ってきました。


一つは、
六本木ヒルズの森美術館でやっている、『メタボリズムの未来都市展』、
もう一つは、
東京国立近代美術館でやっている、『ヴァレリオ・オルジャティ展』です。


最近では、割と、どこの展覧会に行っても、人がいっぱいなのですが、
建築がらみの展覧会というのは、あまり人気がないのでしょうか、
どちらもあまり混んではいなくて、ゆっくりと観ることが出来ました…。


それほど人気はないようでしたが、
どちらも、なかなか面白かったので、
興味のある方は、是非行ってみたらいかがでしょうか。
両方とも、1月15日までやっているようなので、
まだ間に合います…。


現在の私の、個人的な興味から言うと、
『ヴァレリオ・オルジャティ展』の方により惹かれる部分があったのですが、
どうも、
建築関係者や愛好家以外の人が観ることを拒否しているのではないか、と思うほどに、
説明不足で、不親切な感じがあって、
予備知識がないと、あまり楽しめないのではないか、という気もしました…。


その一方で、
『メタボリズムの未来都市展』の方は、
一日では見きれないほどの、膨大な量の展示が、
非常に親切で、詳しい説明とともにされていて、
建築関係者以外の方でも、十分に楽しめる内容ではないか、と思いました。
いや、むしろ、
建築を仕事にしているような方々よりも、
例えば、
SFなどが好き、といったような人の方が、
しっくりくるのではないか、とすら思いました…。


「メタボリズム」について、
これだけの展示がされる機会も、そうはないように思いますので、
是非、行ってみたらどうでしょうか、とお勧めしておきます…。


この「メタボリズム」という言葉は、
最近では、腹回りの話でもよく聞くようになりましたが、
生物学用語で、「新陳代謝」を意味するのだそうです…。


一度出来上がると、
そのまま姿を変えず、ずっと動かない、といったような、
それまでの都市や建築のイメージとは違って、
環境に適応しながら、様々なかたちに変形したり、増殖したりする、
生物のような都市や建築を構想したのが、
この「メタボリズム」という建築運動でした…。


若き日の黒川紀章さんらが中心となった、
「日本初」といってもいいような前衛的な建築運動でした…。


こういった建築運動や芸術運動などをみて、
いつも面白いなあ、と思うのは、
多くの場合、
異なる場所で、同時多発的に、
似たような趣旨の表現が現れることです…。


例えば、
有名な、19世紀末の、「アール・ヌーヴォー」は、
同時期に、
オーストリアの「ウィーン分離派」、
ドイツの「ユーゲントシュティール(青春様式)」、
スペインの「モデルニスモ」等々の、
同様の趣旨の表現が、
それぞれの場所で、
同時多発的に現れています…。


日本は、明治以来、常に、
こういった建築運動・芸術運動の影響を、
一方的に受ける立場にあったわけですが、
この「メタボリズム」によって、はじめて、
そのような同時多発的に現れる場所の一つになったというわけです…。


そういった意味で、
「日本初」の前衛的建築運動ということになります…。


こういった建築運動の表現は、
それまで現実に存在する建築・都市とは違って、
「もしもこうだったら…」といったような、
一種の思考実験のようなものになっています。
そのため、
SFなどが好きな人には、たまらないのではないか、と思うような、
奇想天外な、未来都市が描かれています…。


ただ、そのように、
他の国でも、似たような趣旨の表現が現れた中で、
日本の「メタボリズム」に少々特殊な部分があったとすれば、
当時の日本が、
奇跡的とも言えるような、高度経済成長期であったせいか、
そのような前衛的・実験的な、言ってみれば奇想天外な計画の一部が、
思考実験にとどまらず、
実際の建築として、実現していることが挙げられるのかもしれません…。


都城市民会館003.JPG


「変わる部分」と「残る部分」とを明確に分けて、
「新陳代謝」を具現化したという、
異形の「都城市民会館」…。


都城市民会館004.JPG


都城市民会館005.JPG





中銀カプセルタワービル001.JPG


中銀カプセルタワービル003.JPG


老朽化したら、実際に、
「カプセル」が交換可能なようになっているという、
「中銀カプセルタワービル」…、
等々です。


中銀カプセルタワービル004.JPG





「中銀カプセルタワービル」は、ずっと、
「カプセル」が狭すぎて、暮らすのはちょっと辛そうだなあ、と思っていましたが、
今回、
建築当時の状態の、実物の「カプセル」が展示されていたのをみると、
案外いけるかも、と思いました…。


中銀カプセルタワービル005.JPG


中銀カプセルタワービル006.JPG



ただ、どちらの建築も、現在に到るまで、
構想されたような「新陳代謝」は、なされていないようです…。


現実は、そうそう思った通りにはいかないみたいですね…。


結局のところ、
未来を予測して、思った通りに、変化をコントロールする、
といったようなことは、
人間の手では、不可能ということなのかもしれません…。


ただ、だからといって、
様々な問題をあるがままに放置して、混沌に身を任せる、
といったようなことが出来ないのもまた人間というものだと思います…。


未来を考えて、環境等の変化を出来る限りコントロールする、といった、
これらの思想・アイデアは、
現代においても、その意味を失ってはいないどころか、
より重要になっているのではないかとも思ってしまいました…。


まあ、いろいろと言ってはみましたが、
そんなオーバーなことを考えなくても、
まさに奇想天外、SF映画のような未来都市が、ずらりと並んでいて、
十分に楽しめると思いますよ…。


さて、
今年はいろいろと大変な年でしたが、
そのように、建築や都市ではなかなか難しい「新陳代謝」も、
生物には許されているわけなので、
来年も、
よかった部分は残し、よくなかった部分は交換したりしながら、
環境に適応しつつ、頑張っていきたいと思っております。


来年も、どうぞよろしくお願い致します。

Posted by k_nakama at 18:12  |Comments(4)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月16日

どのように伝えるか...

先日、夜の報道番組を観ていたら、
「東電OL殺人事件」のことをやっていました。


この14年前の事件は、
一度、被疑者の刑が確定したそうなのですが、
獄中から、ずっと無罪を訴え、再審を求めていて、
最近、
最新のDNA鑑定が行われ、
その結果によっては、
再審への道が開かれる可能性があるとのことです。


その報道番組では、
当時の関係者に取材をして、
その「新たな証言」も、被疑者の無罪を示唆している、
といった内容で、
キャスターの方が、再審を強く望む、と訴えておられました…。


番組では、
被疑者の祖国ネパールへ行って、
当時の関係者の証言を集めていたのですが、
観ていて、とても違和感をもってしまいました…。


この事件がおこった14年前、
私は、会社勤めをしていて、
とても忙しい日々をおくっていたせいか、
この大層有名な事件の内容を、ほとんど知りませんでした…。


その後、
佐野眞一著『東電OL殺人事件』という本を読んで、
なるほど、こういう事件だったのか、
と、ほとんど初めて知りました…。


この本を手に取ったのは、
たまたま同じ著者の別の本を読んで、とても面白かったからで、
事件への興味ではなくて、著者つながりで読みました。


というわけで、
この事件に関して、私の知っていることは、
この本に書いてあることが全てです...。


この本が出版されたのは、
事件から3年後で、今からおよそ10年前のことです。


で、何が言いたいかというと、
今回、その番組の中で報道されていた、
「新たな証言」の内容というのが、
この10年前に出版された本の中で、
ほとんど指摘されていた内容だったということです…。


確かに、
独自にネパールへ行き、証言者の映像を撮ってきていましたが、
その内容は、10年前からわかっていたものでした。


ここからは、私の単なる勘繰りかもしれませんが、
この番組は、
何となく風向きが、
再審から、被疑者無罪へと、変わってきたことをみて、
それとわからないように、そーっと、
アリバイづくりをしようとしているのではないか、
と感じてしまいました…。


だって、10年前から、きちんと取材をして、
裁判への疑問を訴えておくことも出来たはずなのですから…。
そうすれば、被疑者も、
10年以上の歳月を、
獄中で過ごさずともすんだかもしれないわけですよね…。


それを今更、
「新たな証言」が出てきたから、取材を始めた、
といったような顔で、訴え始めるというのは、
ちょっと、どうなのでしょうか…。


個人的な感覚では、
こういった、勝ち馬に乗ろう、
といったような感じというものは、
卑怯というものではないか、と思ってしまったのですが、
どうでしょうか…。


この事件は、多くの方がご存知だとは思いますが、
大変に猟奇的な事件で、
最近でも、
この事件をモチーフにしたという映画をやっていたりしました。
そんなこともあってか、
この本を改めて読み返してみると、
マスコミ各社が当時、
興味本位に熱狂したり、警察からのリーク情報に踊らされたり、
その末に、ある意味及び腰になったり、
といった姿が見えたりもします…。


確かに、現実的には、
今からでも、そのように世論に訴えることによって、
被疑者の再審請求を後押しすることにはなると思います。
そして、きっと、これから、
冤罪をつくりだした、検察や司法を追求し始めるのだと思うのですが、
それならそれで、
まるで前からそう思っていました、みたいな顔で訴えを始める前に、
自らのことについて、
何か一言あってもいいのではないかと思ってしまいました…。




ところで、話は急に変わりますが、
ビアトリス・コロミーナという人の、
『マスメディアとしての近代建築』という、ちょっと面白い本があります。


副題が、
『アドルフ・ロースとル・コルビュジェ』と付いているように、
近代建築の二人の巨匠についての話です。


国立西洋美術館001.JPG


ル・コルビュジェというのは、
世界で最も語られている建築家といってもいいような人で、
近代建築の巨匠の中でも、かなり特別に有名な存在となっています。


国立西洋美術館002.JPG


一方、
アドルフ・ロースという人も、
近代建築史には、必ず名前のあがる、
近代建築のパイオニアの一人なのですが、
ル・コルビュジェと比較すると、
あまり一般には知られていないのではないでしょうか…。
ちょっと「鬼才」といったような雰囲気も感じます…。


で、
この本に、ちょっと面白い話が載っています…。


ロースは、
自らの建築にかかわる、
あらゆる書類、あらゆる痕跡を処分してしまいます...。
その結果、
ロースがデザインした多くのもののうち、
現在その内容を知ることができるのは、
ほんのわずかになってしまったのだそうです...。


一方、ル・コルビュジェは、
やりとりした書類、スケッチ、走り書きにはじまり、
洗濯屋の請求書に至るまで、
あらゆるものを保存したといいます…。


ロースは、
写真等のメディアを、
実物としての建築の可能性を破壊するものとして、
批判的にとらえ、拒絶していたようです…。


メディアを通して、建築をみるのではなく、
実物を体験してくれ、といった感じでしょうか...。


一方で、
ル・コルビュジェは、それを利用することにした…。


実は、
彼らが活躍した時代は、
出版や展覧会、雑誌等の、メディアの重要性が増大し、
建築は実物を体験するものから、
そのようなものを通して伝えられるものへ、
いわば、非物質的なものに変わっていった時代でした…。


その結果なのか、
ル・コルビュジェは、世界中に影響力を持つ建築家へ、
アドルフ・ロースは、「鬼才」に…。


国立西洋美術館003.JPG


まあ、ざっくりと、解釈も含めて要約すると、そんなお話です…。




現代は、当時よりも更に、
そうした「非物質化」が進んでいるようにも感じます。


「何をつくり出すか」といったことの重要性というものは、
今も昔も変わらない、と信じたいと思いますが、
一方で、
「どのように伝えるか」といったことの重要性は、
それを凌駕してしまうのではないかと思うほどに、
ますます増してきているということのようですね…。


ただ、もしもそうであるならば、
「どのように伝えるか」については、
もっと注意深くあるべきではないだろうか、
なんてことも思いました…。

Posted by k_nakama at 17:29  |Comments(11)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月08日

模型

建築を設計する際の方法は、
人によっていろいろあるとは思うのですが、
私は、模型をつくってみる方法が好きです。


模型写真001.jpg


とりあえず、
思いついたものは、
できるだけ模型にして、眺めてみるようにしています。


不思議なもので、
実際に「もの」にしてみて、はじめてわかることもたくさんあります。


実際の「もの」である模型が伝えるイメージというか、情報量というか、
そういったものは、
本当にすごいものだなあ、なんて思ったりします…。




考えてみると、
建築そのものが、
世界のモデル(模型)となっているようにも、
思えることがあります…。




私が学生の頃に、
「ポストモダン」なんていう言葉がとても流行っていました。


シーサイドももち001.jpg


シーサイドももち002.jpg


「近代の後」という意味で、
確か、建築発の言葉だったと思うのですが、
その後、
いろいろな文化や思想、社会などを語る、
キーワードのようになっていました。


直島町役場001.jpg


直島町役場002.jpg


私も、流行にのって、いろいろと読んでみたりしましたが、
その意味するところが、もっとも明瞭で、わかりやすかったのが、
建築でした。


というよりも、
建築以外の分野での「ポストモダン」は、
どうしても、はっきりとはイメージできませんでした…。


上無田松尾神社001.jpg


上無田松尾神社002.jpg


勿論、
建築が一番わかりやすかった大きな理由は、
この言葉が、建築発だったこと、
そして、
私が建築の学生だったこと、などからだと思います...。


また、
いろいろと読んでみても、
あまり、はっきりとイメージできなかった、最大の理由は、
私の頭が、あまり冴えなかったからだということもよくわかっているのですが、
それらの点を、大幅に差し引いたとしても、
やはり、建築がもっともクリアに、考え方を示せていたと思います...。


それでは、
他の分野の考え方が、
あまり明瞭に読み取れなかったのは何故だろうかと考えてみると、
そもそも、「モダン」つまり「近代」とは何か、ということが、
とてもわかりづらいためで、
「近代」が何かがわからないのに、「近代後」と言われても…、
という感じがしました…。


逆に、建築がわかりやすかったのは、
「近代」とは、このようなものだという「モデル(模型)」を、
近代建築の作品として、はっきりと示すことが出来ていて、
その近代建築への反省を核として、
「ポストモダン」建築というものを構想していたからだと思います。


というよりも、
そもそも近代建築というものは、
新しい時代の「モデル(模型)」を目指して構想されたのではないか、
というようにも思っています。


バルセロナパビリオン001.jpg


バルセロナパビリオン002.jpg


実際、その「モデル(模型)」は、
建築関係者や、建築が好きな人に、
近代建築について聞くと、
おおよそ共通したイメージが浮かぶのではないか、というぐらいに、
強烈なものです…。


それが、どのようなイメージか、ということについては、
書き始めると、長くなりそうなので、
またそのうちに書いてみたいと思います…。




そもそも、「モデル(模型)」というものは、
重要と思える部分の関係性のみを取り出して、表現することができるため、
きわめて明瞭に、強烈に、そのイメージを伝えることができるのですが、
一方で、
あまりにもわかりやすいがために、
そこからこぼれた重要な部分が捨て去られてしまったり、
そのイメージだけが固着してしまったり、といったような、
大変危険なものでもあるような気がします…。


そして、近代建築は、
そういった長短様々な点をひっくるめながらも、
はじめから、意図的に、
「世界のモデル(模型)」を目指していたのではないだろうか、
というようにも思ったりしています…。


といったようなことで、
世界と、建築と、模型は、
そもそも、
切っても切れない関係にあるのではないか、と思っているわけです…。


で、
そのような理由で、設計の際に模型をつくっている...、
というわけでもないのですが(ちょっとは、そういう気もあります...)、
そのような世界との関係を、
頭の片隅に置いたり置かなかったりしながら、
日々、チマチマと、模型製作に励んでいます…。

Posted by k_nakama at 17:15  |Comments(4)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

窓ガラス

最近、
自宅の近所のコンビニが、
ほんの一ヶ月の間に、二度も強盗に入られました…。


一度目の時には、
現金10万円がとられてしまったそうですが、
二度目の時には、
店員の方が、モップを持って抵抗したため、
何もとらずに逃げていった、とのことでした…。


別に繁華街でもなく、
夜になると、本当に静かな住宅地なのですが、
いや、だからこそ危ないのかもしれませんが、
いずれにしても、
ずいぶんと物騒になったなあ、と思っています…。



近頃では、住宅でも、
防犯を気にされる方が多くなったようで、
窓ガラスを、防犯ガラスにしたい、
という要望をよく聞くようになりました。


防犯ガラスは、
二枚のガラスを、透明のフィルムを挟んで貼り合わせて、
割りづらくしたようなものです...。



省エネルギーの観点から、
窓からの熱の出入りを少なくしようと、
二枚のガラスの間に空気層を挟んだ、ペアガラスというものが、
住宅でも、すでに一般的になってきているのですが、
防犯用に、さらにガラスをもう一枚ということになり始めています…。


一つの窓に、ガラスが三枚というわけです…。


そのようなオーバーなことをしなくても、
安全な街になっていることが、本当は一番いいのでしょうが、
現実は、その反対の方向に向かっているようなので、
いずれは、
一つの窓に、ガラスが三枚というのが当たり前、
ということになっていくのかもしれませんね…。


いや、もしかしたら、
三枚どころか、四枚、五枚...、となっていくのかも...。



考えてみると、
建築の窓には、ずいぶんと様々なことが要求されています。


密閉された室内にいると、
何となく、息が詰まりそうな感じがするため、
出来るだけ大きな窓が欲しくなったりするのですが、
そうしたらそうしたで、
いろいろと別の問題も出てきます…。


一切、何も通さない、ということであれば、
その要求がはっきりしているのですが、
実際には、
熱の出入りは少なくしたいけれども、光は採り入れたい、
外の景色は見たいけれども、外からは見られたくない、
住んでいる人は容易に出入り出来て、
必要な時には、風を入れたり、外の音を聞いたりしたいけれども、
よその人や、虫などが、簡単に入って来られたら困るし、
普段は、外の騒音もさえぎりたい、等々…。


窓は、
内部と外部のつなぎ目になっているため、
そのような矛盾した要求がぶつかり合う部分になっているのだろうと思います。


赤レンガ館001.JPG


古い建築で、
窓廻りのデザインが凝っているのも、
その重要性ゆえなのかもしれません…。


赤レンガ館002.JPG


そして、
近代以降の建築では、
そういった、窓に関わる、矛盾する多くの問題の調整を、
ガラスに委ねてきたのだろうと思います…。


一つの窓で、
ガラスが二枚、三枚と増えてきている、というのも、
枚数を増やすことで、
矛盾する問題を解決しようとした結果だと思います…。


そのようにして、
窓ガラスは、建築の中で、
どんどんとその重要性を増してきたように思うのですが、
だからなのか、
特に近代以降では、
窓(開口部と呼ばれます)の考え方が、
そのまま建築の考え方となっている、
つまり、
窓のデザインが、そのまま建築のデザインになっている、
といったケースが多いように思います...。


歪んだようなガラスになっていたり、


永井画廊001.JPG


永井画廊002.JPG


色がついていたり、


ヤマハ銀座店001.JPG


ヤマハ銀座店002.JPG


ガラスが傾いていたり…。


ティファニー銀座001.JPG


ティファニー銀座002.JPG


いろいろな工夫が凝らされているみたいです...。


ガラスの枚数を増やす、といったような、
量による調整以外の方法が、
建築の中で、模索されているからかもしれません…。


それならば、
ガラス以外の調整方法も考えるべきなのかもしれませんね…。


建築による調整以外の方法も、たくさんあると思われます...。


防犯対策で、ガラスの枚数を増やすというのではなく、
より安全な街にするには、どうすればいいのか、
なんていうことを考えるのも、
実は、
その一つなのかもしれません…。


または、
少々暑かったり、寒かったりするのは、人が我慢する、
というのも、ガラスによる調整以外の方法かもしれません…。


人による調整方法です。
まあ、それが一番難しいのかもしれませんけど…。

Posted by k_nakama at 17:59  |Comments(4)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

交錯

先日、
重要文化財にも指定されている、
旧三河島汚水処分場ポンプ場施設を見学させてもらいました。


旧三河島汚水処分場001.JPG


日本で最初の近代的な下水処理施設で、
赤煉瓦の、美しいポンプ場は、
大正11年の設立当初から稼働していたものなのだそうです。


当時の最先端、
日本に紹介されて間もない、
「セセッション」と呼ばれる様式の影響を受けたデザインで、
技術とデザインの粋を集めたものだったようです…。


旧三河島汚水処分場002.JPG


こういった実用的なものを、
当時の最先端のデザインで建築するなんて、
昔の人はえらいなあ、なんて思ったりもしましたが、
おそらく、
「こういったものに」ではなくて、
まずは「こういったものこそ」が、
当時の日本の国にとって、
重要であると考えられていたのでしょうね…。


旧三河島汚水処分場003.JPG


なんでも、
平成11年に別系統のポンプ施設に切り替えられて、
引退するまでは、
ずっとここが使われていた、とのことなので、
つい最近まで、使われ続けていたことになります…。


やはり、
しっかりとした、いいものをつくっておけば、
長持ちする、ということのようです…。


どうせ建てるのならば、
あらゆる面で、
きちんとしたものをつくっておくべきですね…。


ところで、
この「セセッション」様式というのは、元々、
19世紀末の、ドイツ・オーストリアが発祥の芸術運動で、
「分離派」とも呼ばれます。


それまでの、
保守的な芸術家協会から分離するかたちで登場したために、
こう呼ばれたのだそうです。


建築では、
オットー・ワーグナーなどが有名なのですが、
アートに詳しい方は、
クリムトなどを思い出すかもしれません…。


「分離派」という名称からもわかるように、
これまでの歴史的な様式から離れて、
新しい建築(芸術)を目指した動きになっていて、
ほぼ同時期の「アール・ヌーヴォー」などとも、
そういった意味では通じているのかもしれません。


これまで1000年以上続いてきた西洋建築の歴史から離れていく、
いわば、
現代まで続いている、近代建築のはしりです。


旧三河島汚水処分場004.JPG


垂直線と水平線を強調した、平坦な感じ、というのが、
特徴の一つになっていて、
確かに、
現代の建築にも通じる雰囲気があるようです…。


旧三河島汚水処分場005.JPG


この三河島汚水処理施設が出来たのが、
1920年頃らしいので、
世紀末に、西洋で興った運動が、
その後、
約20年を経て日本に伝わってきた、
ということでしょうか…。


日本で第1号の建築家、辰野金吾らが、
東京大学工学部建築学科(当時の工部大学校)を卒業したのが、1877年、
その後、辰野はイギリスに留学し、
帰国して、工部大学校の教授に就いたのが、1884年、
代表作の一つ、日本銀行本店が完成したのが、1896年、
これまた代表作の一つ、東京駅が完成したのが、1914年のことでした。


つまり、何が言いたいかというと、
辰野金吾ら、日本で最初の建築家たちが、
日本近代化の重責を担って、
西洋建築を学んだ、ほんの10年後には、
すでに、西洋では新しいものが興っていて、
それまでの1000年以上の西洋建築の歴史が大きく変わろうとしていた、
ということです…。


そして、
学んだものを発揮して、実際の大建築をつくっている時には、
すでに、
西洋の最先端は、全く別の方向に向かっていました…。


さらに、大作東京駅が完成する頃には、
その新しいものが、日本にも紹介されていて、
この三河島汚水処分場などの建築として、
すでに出来上がっていました…。


日本が西洋を学び始めた時期は、
西洋が大きく変わろうとしていた時期でもあったようで、
日本は、
わずか数十年で、西洋の1000年を学ぼうとし、
さらに、
大きく変わりつつあった西洋の「現代」も、
同時に、学んでいた、
という感じだったのではないかと思います...。


西洋にとってみれば、
当時の大きな変化というものは、
1000年以上の蓄積の末に出現した、
建築の革命だったわけですが、
日本にしてみると、
わずか数十年学んでみたら、
はやくも次の新しいものが現れた、
という感じだったのかもしれません...。


これでは、
建築や街を、
コロコロと変わる、
一種の流行のように、
または、
消耗品のように、
捉えてしまったかもしれません…。


日本の街が、古いものに執着せずに、
どんどんと新しくしてしまうようになったのは、
ひょっとすると、この時期の、
建築や街に対する捉え方が原因(トラウマ?)になっているのではないか、
なんてことも思ってみたりします…。


何はともあれ、
その当時の日本は、たとえてみると、
法隆寺のような、1000年も昔からの、伝統的な建築と、
それらを否定するような現代の建築とが、
当たり前のように、同時並行的に、
そして、
どちらも「最新」の建築として、つくられていた、
というような状況だと言えるのではないでしょうか…。


1000年以上の時間を経て現れた別々ものが、
地球を半周廻って、
同時期の日本で交錯してしまった...。


なんと奇妙な光景、面白い時代…。
ほとんどSF的と言ってもいいような気がします…。


これは、そんな時代の建築です…。


旧三河島汚水処分場006.JPG

Posted by k_nakama at 14:23  |Comments(2)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月10日

知らない街

ずいぶんと前のことなのですが、
少し長めに、外国を旅行していたことがあります。


いつも、きちんとした予定もなく、
一人でぶらぶらと歩き廻る、気ままな旅だったのですが、
旅の途中で、時々、
なんとなくテンションが下がることがありました…。


コインブラ001.jpg


勝手に遊びで来ておいて、
テンションが下がる、というのもないだろうとは思いますが、
やはり、
旅行も長くなってくると、なんだか疲れてくることもある、
ということだったのだろうと思います…。


ビアナ・ド・カステロ001.JPG


ちょうど、そんな時に、
そこは英語圏の国ではなかったのですが、
ザ・スミス ( The Smiths )の、
『 ジス・チャーミング・マン This Charming Man 』が、
店先から流れてきて、
とても元気が出た気になったことがありました…。


ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
ザ・スミスの曲は、
とても美しいのですが、どことなく憂いを含んだような雰囲気があって、
とても手放しで元気が出る、というような感じではないように思います…。


それなのに、
不思議と元気が出たような気になったのはなぜだろう、
と考えてみると、
多分、
長期間、全く知らないものばかりの中にいる時に、
ようやく知っているものに触れたことで、
安心感のようなものを感じたからではないか、
と思いました…。


日本の曲ではなかったのが、ちょっと残念ではありますが、
それでも、
自分の見知ったものが、周囲にある安心感みたいなものは、
やはり、あるものだなあ、と感じた体験でした…。


そんな、昔の、些細な体験を、
なぜ今頃、急に思い出したのかというと、
最近、
幼い頃に近くに住んでいて、度々かよっていた街を、
二十数年ぶりに訪れる機会があったからです…。


訪れたその街には、
当時の痕跡がほとんど残っていなくて、
ものの見事に、変わっていました…。


建物もすべて、記憶にあったものではなかったですし、
さらに、その上、
駅前の再開発があったのか、
道路の形状なども、すっかり変わっていて、
もはや、完全に、
「知らない街」でした…。


二十数年経っているので仕方ない、
という考え方もあるのかもしれませんが、
私は、どちらかというと、
たった二十年で、と思いました…。


見て廻ったのは短時間だったので、
もっと奥の方に入っていけば、
かつての痕跡もあったのかもしれないのですが、
それにしても、すごいですね…。


二十年で、街を総取り替えです…。


考えてみると、
私が卒業した小学校も、中学校も、
その後、建替えられてしまっています…。


小学校などは、
当時としては、ちょっと変わった建物で、
取り壊しの際には、
NHKの朝のニュースで中継されていました…。


その後建替えられた小学校は、
有名建築家による作品で、
実際に見学にも行ってみたのですが、
とてもよい建物でした。


ただ、
当然のことですが、
全然「知らない」建物になっていました…。


子供の頃に住んでいた家(アパートでしたが)も、
すでに取り壊されて、
新しい、大きなマンションに変わっています。


こう考えてみると、
年々、追いかけられるように、
自分がよく知っていた街というものは、
なくなってきているのだなあ、
と感じてしまいます…。


しかし、
先の旅行中の些細なエピソードではありませんが、
「知っている」ということによって得られる安心感のようなものは、
人間が生きていく上で、かなり重要なことではなかろうか、
と思うのですが、どうでしょうか…。


街を新しく、発展させていくにしても、
どこかにかつての痕跡をのこしながら、
という感じで進めることは出来ないものなのでしょうかね…。


二十年やそこらで総取り替えしなくても、
そこはかとない感じで、
変えていくことも出来るような気がしますが…。

Posted by k_nakama at 15:51  |Comments(6)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月29日

プレカット

この土地は、
家を建てる工事が始まったと聞いたのに、
ずっと何もしていないなあ、
なんて思いながら見ていたら、
突然、
一日で、骨組みが全て立ち上がってしまった…。
なんていうことが、よくありませんか…?


知っている方も大勢いらっしゃるとは思いますが、
最近の木造住宅の工事では、
骨組みとなる材料は、ほとんど全て、
設計図に従って、
先に、工場で加工してきます。


接続部分もほとんど、
そのための加工が施されて、運ばれてくるため、
現場では、
まさに、プラモデルのように組上げるだけ、
ということが多くなっています…。


まあ、組み上げるだけ、といっても、
そこは、それなりの苦労があると思いますので、
誰でも簡単にできる、
なんてことが言いたいわけではありません…。
誤解のないように…。


ただ、昔のように、
大工さんが現場に来て、
一本一本、カンナをかけて、なんていうのは、
ほとんど見たことがないのではないでしょうか…。


江戸東京たてもの園002.JPG


現場に運ばれてきた素材を、
熟練の大工さんが吟味して、
それに合ったかたちで加工し、つくっていく、
なんていう美しい光景は、
もうほとんど絶滅しています…。


江戸東京たてもの園001.JPG


運ばれてくるのは、
すでに出来上がっているようなものばかりです…。


出来るだけ安くつくろうと思えば、
最も高い、人件費を減らさなければならず、
そのためには、
現場での作業は極力減らさなければならず、
そのためには、
一括で、工場でつくってきて、
現場では組み立てるだけ...、
というわけです…。


こういうの、どこかで聞いたことあるなあ、と思ったら、
チェーン展開をしているレストランの話でした…。


どこかの工場でつくったものが、各店舗に運ばれてきて、
それぞれのお店の厨房では、ほとんど手間をかけない…。


人件費も安くなるし、
お店によって、味のバラツキもなくなる、
といったような話だったと思います…。


確かに、
日本中、バラツキなく、
同じような家ばっかりになったなあ…。


ハウスメーカーによるお家は、
元々、
そのような仕組みになっている、と皆知っていますが、
そうではない家も、
安くつくろうと思うと、
ほとんどが、
出来上がったものを組み立てるだけ、
みたいな感じなんですよね…。


レストランの方は、
チェーン店のようなお店とは違う、
手のこんだお店も、
まだまだたくさんあるのだろうと思いますが、
建築の方は、
そういった手作りのお店は、
ほとんど絶滅してしまいました...。


個別の創意工夫は、
全体の効率には邪魔になる、ということなんでしょうかね...。


確かに効率はよくなったのでしょうが、
果たしてそれでよかったのかどうか...。




まあ、もちろん、
そういった効率重視のかたちもあっていいとは思うのですが、
そればっかりになってしまうのは、どうなんでしょうね…。


江戸東京たてもの園003.JPG


これらは、
江戸東京たてもの園にある、
「看板建築」といわれる家々です…。


江戸東京たてもの園004.JPG


こういったものは、
関東大震災の復興期に、
たくさん建てられたのだそうです。


江戸東京たてもの園005.JPG


ヘンテコな、創意工夫の数々…。


江戸東京たてもの園006.JPG


やっぱり、
いろいろとあった方が面白いと思いますけどね…。


大体、
チェーン店のレストランもたまにはいいかもしれませんが、
それしかない、なんてことになったら…。


本当に、勘弁してほしい…。

Posted by k_nakama at 17:03  |Comments(8)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月19日

客間

前回、
ちょっと写真を載せた、
旧岩崎家住宅。


旧岩崎家住宅洋館001.JPG


もともとは、
ちょっと前の大河ドラマでも、
すっかり有名になった岩崎弥太郎の息子で、
岩崎財閥の三代目(あいだに叔父を挟んでいます)の、
岩崎久弥の邸宅です。


設計したのは、
ジョサイア・コンドル、
「近代の日本建築界の父」とでもいうべき人です。


木造ですが、
堂々たる外観です。


旧岩崎家住宅002.JPG


内部は、撮影禁止だったので、
写真をお見せできませんが、
とても上品で、
本当に美しい洋館です…。


旧岩崎家住宅003.JPG


このような、
まさに芸術品のような建築で暮らすなんて、
明治の人でありながら、
アメリカへの留学経験もある、
大富豪の御曹司は違うなあ、
なんて思ってしまいます…。


まあ、
実際その通りなのですが、
ただ、実は、
当時の岩崎家の、主な生活の場は、
この堂々たる洋館ではなかったようです…。


明治の頃の、多くの大邸宅では、
こういった洋館のそばには、和館も建てられ、
日常生活は、主に、
そちらが使用されていたのだそうです...。


旧岩崎家住宅004.JPG


旧岩崎家住宅の洋館の横には、
きちんと和館が並んでいて、
渡り廊下でつながれています…。


旧岩崎家住宅005.JPG


それでは洋館は何かというと、
お客様を迎える、接客用だったのだそうです…。


もちろん、
これだけの大富豪の邸宅なので、
日常生活用の和館、といっても、
並大抵のつくりではないわけなので、
こういう人が家を建てるということは、
そのような豪邸を二つまとめて、
建ててしまう、ということなんですね…。


普段の、和風の生活と、
お客様に向けた、公的な、西洋風の表現とが、
あまりにも大きく乖離してしまっていた、
ということでしょうか…。


このような場合には、
どうしても、
一つの建築にまとめるとおかしなことになってしまうため、
この岩崎家住宅のように、
それぞれ、
全く別のものを二つ建ててしまう、というのが、
もっとも理にかなった方法ではないか、と思います…。


当然、
こんな、文字通りの、
「離れ業」ができるのは、
昔も今も、
ほんの一握りの人達だけだとは思いますが…。


それでは、
ここまでの大富豪ではないけれども、
やはり、それなりの体面も保ちたい、
というような人はどうするか、といえば、
少々、おかしなことになろうとも、
それらを一つにくっつけてしまいます…。


昔よくあった
(今もあるのかな、新しい家ではあまり見かけなくなりましたが)、
玄関を入ってすぐあたりに、
洋風の応接間があるような家などは、
そのような解決をはかったものではないか、と思っています。


江戸東京たてもの園にある、
「小出邸」は、
有名な建築家、堀口捨己(ほりぐちすてみ)設計の、
大正期の住宅です。


小出邸001.JPG


主要な部屋のほとんどは、和室になっていますが、


小出邸002.JPG


玄関脇には、ちゃんと、
洋風の応接間がそなえられています。


小出邸003.JPG


確かに、このようにすると、
普段の生活空間と、接客空間との、
食違いを、
それなりに、解消できるとは思うのですが、
ただ、考えてみると、
異質なものを、ひとつ屋根の下にまとめてしまう、
というのは、
やはり、
ずいぶんと強引な解決法ではありますよね…。


でも、
現代の家でも、
生活空間が洋室になって、
接客空間が和室になった、という具合に、
逆になっただけという家も多いのではないでしょうか…。


強引な解決法を採用している、という点では、
明治・大正期と、何も変わっていなくて、
いまだに、このあたりの、
生活様式と、表現の様式との食違いの問題は、
尾を引いているみたいですね…。


大川邸001.JPG


江戸東京たてもの園には、
「田園調布の家(大川邸)」なんていうのもあって、


大川邸002.JPG


こちらは、
生活の洋風化を目指した、
大正時代の生活改善運動の影響による、
全室洋室、椅子での生活となっています。


大川邸003.JPG


要するに、
そのような様式上の食違いも、面倒なので、
表現に合わせて、
生活の方も洋風にしてしまえ、というわけです…。


玄関を入ってすぐにリビングルームがあり、
それを中心に、その他の部屋が、連続して配される、
「居間中心型」と呼ばれるような形式になっています。


こういった形式は、
普段の生活を重視して、
接客が必要になった時には、
わざわざ公的な場所をつくるのではなく、
普段の生活空間に招き入れればいいのではないか、
といった考え方によっているのでしょう...。


しかし、これは、
考えてみると、
生活空間を洋風に変えると同時に、
接客のスタイルも変えてしまっています…。
実は、住宅に対して、
二重の改変を迫っている...。


これはこれで、
なかなかに強引な解決策という感じもします…。


ただ、今でも、
住宅を設計していると、
客間として、和室をつくるか、
または、
客間はやめて、居間を出来るだけ広くするか、
なんてことが、よく議論になります...。


かつては、
洋館と和館の二棟を建てられないので、
それらを、
一つにまとめるためにつくっていた客間ですが、
家々が密集した、現代の都会では、
この客間をつくることすら難しくなってきて、
同様の議論が続いている、という感じですね…。


明治からわずか100年ほどで、
洋室(洋館)と和室(和館)の、
接客空間と生活空間の立場が、
入れ替わってしまっているという、
変化の速さも、とても興味深いのですが、
一方で、
いまだに、
私的な生活空間と、公的な接客空間とは、
その表現が、
一致することなく、乖離していて、
それをどのようにつなげるか、または切り離すか、
ということが、
相も変わらず、議論になる、ということもまた、
とても興味深く思っています…。

Posted by k_nakama at 15:24  |Comments(6)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月12日

翻訳

新聞で、
「翻訳あってのノーベル文学賞」、
という見出しの対談記事を読みました。


文芸評論家の加藤典洋さんと、
翻訳家の鴻巣友季子さんによる対談です。


それによると、
「ノーベル文学賞をとるには何が一番大事ですか」と尋ねられた
ノーベル文学賞を選考しているスウェーデン・アカデミーの人は、
たちどころに、
「いいスウェーデン語の翻訳があること」と答えたのだそうです。


要するに、
ノーベル文学賞にからむ文学は、
全て、
翻訳文学だということなのだそうです…。


英語やスウェーデン語で書かれたか、
翻訳されたもの以外は、
対象にもならない、
ということなのだそうです…。


そうなってしまうと、
日本などは、
言葉の壁があって、不利だよなあ、
なんて思いました…。


ただ、
デイヴィッド・ダムロッシュ『世界文学とは何か?』
(私は読んだことがありません...)には、
世界文学とは翻訳文学のことである、
という指摘があるのだそうです。


そして、
良い翻訳文学とは、
翻訳で失われるのではなくて豊かになるものである。
そして、
それが世界文学である…。


翻訳して通じなくなるものは、
国民文学、ご当地文学である、
ということなのだそうです…。


実は、私は、
「世界文学」という言葉も、
あまりはっきりとは理解できていないのですが、
単純に、
世界に通じるもの、といった具合に理解して、
ちょっと面白い話だなあ、と思いました…。


さらに、
アメリカでは、
文学の翻訳があまり盛んではないのだそうで、
その点について、
「文化的島国だ、孤立している」、
などという指摘がなされることすらあるのだそうです…。


「翻訳」という意味では、
あるいは、
「世界文学」という意味では、
もしかしたら、
日本の方が、かえって、
前を歩いているような部分もあるのかもしれないなあ、
と思いました...。




最近では、
英語を、社内の公用語にしよう、
といったような動きを耳にしたりします。


確かに、
ビジネスなどの,
効率を重視しなければならないような局面では、
そういったことが重要だったり、
必要だったりするのだろうと思うのですが、
文学などの文化面では、
翻訳などという、面倒な作業が、
より豊かになるものとして、
かえって肯定的にとらえられていたりもする、
ということが、
とても面白いと思いました…。


どこに行っても同じ言葉を使って、
同じように考えることがいい、
というような価値観ではなくて、
それぞれがバラバラの言葉や考え方をする人達が、
「翻訳」という行為を媒介にして、関係していく、
といったような感じでしょうか...。


多様性と同時代性のようなものが、
共存しているような世界観なのかもしれない、
とも思いました…。


旧岩崎家住宅洋館001.JPG


三井本館001.JPG


築地本願寺001.JPG


日本の建築なども、
明治以来、
あるいは、もっとずっと前から、
海外のものを取り入れたり、
その「翻訳」をしたりすることに、
ずいぶんと苦労をしてきた歴史があります...。


大倉山記念館006.JPG


慶應義塾大学日吉校舎001.JPG


日本信託銀行本店001.JPG


日本信託銀行本店002.JPG
でも、
そういった苦労は、
そのような世界観に照らしてみると、
文化的には、
大層価値あることのように思えてきたりもしました…。

Posted by k_nakama at 20:48  |Comments(6)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月29日

想定外

先日の台風15号は、
関東などの東日本に上陸したものとしては、
戦後最大級のものだったそうですが、
東京の都心部で、
最大瞬間風速36メートルを記録したとか、
臨海部で、41メートルを記録したとか、
すごい数字が報道されていました…。


建築の法律では、
想定される災害に対する、建築物の強さについて、
いろいろと定めてあるのですが、
風に関しては、


極めて稀に(500年に一度程度)発生する暴風による力に対して、
倒壊・崩壊せず、
稀に(50年に一度程度)発生する暴風による力に対して、
損傷しない程度、


というのが、木造住宅の一つの基準になっています。


暴風によって、建物にかかる力の大きさは、
建物の高さや、形状、地域等によって異なるため、
一概には言えないようですが、
ざっくりと、
東京近郊の住宅地で暴風が発生することを想定すると、


極めて稀に発生する、500年に一度の暴風というのが、
高さ10メートルの位置で、
平均風速がおよそ35メートル、
瞬間最大風速がおよそ50メートルぐらい、


稀に発生する、50年に一度の暴風というのが、
高さ10メートルの位置で、
平均風速がおよそ30メートル、
瞬間最大風速がおよそ45メートルぐらい、


という感じになるのだそうです…。


これらの数値は、それぞれ、
500年に一度の方が、
1991年19号台風時に宮古島気象台の記録、
50年に一度の方が、
1959年伊勢湾台風時に名古屋気象台の記録に相当し、
想定されているのだそうです。


それにしても、
先の台風15号によって観測された数値が、
これら、500年に一度や50年に一度の暴風による数値と、
それほど離れていないような気がしてしまいますね…。


「想定」している数値は、これでいいのでしょうか…。


まあ、あくまでも、
この基準値以上にしなさい、ということなので、
いろいろなバランスを見ながら、
それぞれのケースで判断すればいいわけですが…。



今年は、
地震による原発事故などでも、
「想定」ということが随分と問題になりました。


中には、
原発のような、あまりにも危険な施設に対しては、
「想定」すること自体がいけない、といったような、
暴論に近いような意見もあったりしました….。


事故が起こった時の被害が、それほどに大きい、
ということが言いたかったのでしょうから、
お気持ちはよくわかりますので、
つまらない、必要以上の揚げ足取りはやめますが、
ここまでの暴風に関する話をするだけでも、
何度も「想定」という言葉が出てくることからもわかるように、
やはり、
人間が何かをするためには、
「想定」ということをしないわけにはいかないのだろうと思います。


建築の設計なども、
ほとんど「想定」そのものといってもいいような気がしています…。


どのように使い、
どのような性能で、
どのような安全性を持ち、…。


これらはすべて、
これから先を想像しての話なので、
全部が「想定」です。


すべてが、「想定」の上に成り立っています…。


ただ、結局は、先の話なので、
「想定」というのは、ほとんどの場合、
最終的には、
はずれてしまうような気がします…。


そのため、
はずれたときにどうするかを「想定」し、
それがはずれたときのことを「想定」し、
といった具合に、
無限に「想定」を積み重ねていくことになります…。


ただ、どれほど積み重ねても、
所詮は「想定」であって、
決して、
0パーセントや100パーセントにはなりません…。


そして、
0パーセントでなければ、
確率0.1パーセントと、0.0001パーセントの間には、
本質的な違いはないように思います。


どちらも0パーセントではない、
という意味では同じこと…。


どこで線をひくかという決断があるだけのような気がします…。


絶対安全、というものがない以上、
原発などの場合には、
そのような危険な施設はやめてしまえ、
という選択肢もあるようですが、
例えば、住宅のような建物の場合には、
危険性が0パーセントではないから、
つくるのをやめてしまえ、というわけにはいきません。


結局、
いろいろなことのバランスをとりながら、
「想定」を重ねて、ゼロに近づけていく、
ということでしかないような気がします…。




ところで、
古い建物を保存しようと思うとき、
元々、「想定」されていた用途は、
すでに不要になっている場合が多くて、
別の用途に変えて、のこされることが多いように思います。


横浜のような街を歩いてみても、


英国総領事館が、開港資料館に、


横浜開港資料館旧館001.JPG


横浜正金銀行本店が、歴史博物館に、


神奈川県立歴史博物館001.JPG


生糸検査所は、横浜第二合同庁舎に、


横浜第二合同庁舎001.JPG


新港埠頭煉瓦倉庫も、
新しい用途として生まれ変わっていますし、


横浜赤レンガ倉庫001.JPG


横浜赤レンガ倉庫002.JPG


その他、多くの建物が、
当初の「想定」とは、
用途がかわり、
持ち主がかわり、
使う人がかわっています…。


出来てから、たかだか100年もしないうちに、
当初の「想定」とは違ったかたちになって、
生き残っているわけですね…。


これらは、
その「想定」が正しかったから、生き残った、
というわけではないようです…。


むしろ、
そういった目的に、
機械のように正確には適合していないような部分こそが、
人びとに愛されて、
その結果、
生き残った、という感じもしてしまいます…。


まあ、
原発のような施設とは、
少々話が違うかもしれませんが、
あまりにも、
経済性や、
使い勝手のような機能性といったようなことに、
ジャストフィットしているということも、
建築の場合には、
ちょっと問題なのではないか、という気がしています…。


少々ルーズな部分もあっていいのではないでしょうか…。


それでは、
暴風や地震に対する安全性は、どうなるんだ、
という声が「想定」されますので、
そういう声には、
「想定」される基準値に、
あまりにもギチギチに適合させてつくるのではなく、
ルーズなぐらいに、余裕をみておくようにしましょう、
という具合に、
辻褄を合わせておくことにします…。

Posted by k_nakama at 17:05  |Comments(8)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月20日

本当か、嘘か

誰もが一度は読んだことがあると思われる物語、
『ガリヴァー旅行記』。


今でも、何かの業界で、
圧倒的に大きい会社が、一社だけある場合などに、
「...界のガリヴァー」などと呼ばれることがあるように、
小人の国を訪れた話で、とても有名です。


そして、
これまた有名な話なのですが、
ガリヴァー氏は、小人の国から帰国して、
わずか数ヶ月で、
またしても新しい航海へと出てしまい、
今度は、
小人の国とは正反対の、
巨人の国へと辿り着いてしまいます…。


この辺りの話は、
子供向けに要約された作品として、
大変有名であるため、
誰でも知っているのではないか、と思うのですが、
その先の話はどうでしょうか…。


もしかしたら、その辺も、
常識なのかもしれませんが、
でも、
意外と知られていないのではないでしょうか…。


ガリヴァー氏は、
巨人の国から、
とんでもないハプニングで、
まさに、奇跡的に生還するのですが、
またしても、数ヶ月後には、
新しい航海へと出てしまいます…。


そして、
お約束のようにトラブルに巻き込まれ、
今度は、
「天空の城」でお馴染みの、
空飛ぶ島、ラピュタ島へと辿り着きます…。


そこから、
「改革、改革」と新しい価値を追うあまり、
古き良きものを捨て去り、
その結果、
国土は荒廃し、国家は衰退するに至ってしまうという、
まるで、現代の、どこかの国みたいな、
バルニバービ島を訪れます...。


そして、
魔術師の島を訪れた後、
「不死の人」が住む国へと行き、
最後に、辿り着くのが、
なんと、
この「不死の人」が住む国の友好国、
日本です…。


これらの国々の中に、
日本が含まれているというのは、
何とも、
光栄なような、失礼なような、
不思議な感じですね…。


日本を訪れたガリヴァー氏は、
早速、
日本の「皇帝」に会います…。


江戸で会った、ということなので、
多分、
「将軍」ということになるのでしょう…。


1709年のことだそうですから、
6代将軍、徳川家宣だと思われます...。


そこで、
ガリヴァー氏は、
「踏絵」だけは勘弁してほしい、といったような、
よくわからない懇願を、
将軍に直々にした後、
長崎から、オランダへ渡り、
イギリスへと帰国します。


数年に及ぶ放浪の後、
やっとのことで帰国したにもかかわらず、
ガリヴァー氏は、
またしても、わずか数ヶ月後には、
妻子をおいて、新しい航海へと出てしまい、
お約束のように、トラブルに巻き込まれ、
ある島へと流れ着きます…。


そこは、
「フウイヌム」という、
理性的で、高度な知性を持つ、馬が支配する国で、
そこにいる、
最も不潔で、醜悪な生き物が、
人間、
ということになっています…。


そこでの人間は、
今では、毎日、その名を目にしない日はない名前なのですが、
「ヤフー」と呼ばれています…。


ここでの、
「フウイヌム」という馬たちとの交流や、
もっとも不快で、醜悪な生き物、
「ヤフー」(人間)の姿を目にすることで、
ガリヴァー氏の心境に大きな変化が生じ、
結果的に、
これが最後の航海となってしまいます…。


『ガリヴァー旅行記』は、
これら四つの航海記によっているのですが、
たびたび子供向けに要約される、
小人と巨人の、第一、第二の航海記よりも、
理性的な馬と「ヤフー」が住む国への、
第四の航海記こそが、
本当は、
一番面白く、刺激の強い内容のような気がします…。


まあ、もっとも、
この、あまりにも毒の強い、
「第四の航海」を、
子供向きに要約するのは、
ちょっとどうかなあ、とは思いますが…。


ところで、
今では、
「ほら話」の代表のような扱いの『ガリヴァー旅行記』ですが、
出版された当時は、

レミュエル・ガリヴァー著、
『世界の僻地にある国々への旅 全四部』

という題名で出版されました。


解説本によると、
17世紀、18世紀の当時は、
発見と海外探検、植民地主義の時代で、
多くの旅行文学が生まれたのだそうです。


そして、当時の、
いわゆる、「本当の」旅行記や、
「実際に見聞された」博物誌には、
一角獣や人魚、
一本足の人間やら、犬の頭部をした人間、等々、
珍妙怪奇な種族が、当たり前のように、
大挙して登場していたのだそうです…。


そのような時代の中で、
『ガリヴァー旅行記』は、
実在の人物ガリヴァー氏の筆による、
実際の旅行譚という形式をとったり、
人や物のサイズや数を、精緻に記したりと、
嘘の話を、
いかに本当のように見せるか、ということに、
大変な力を注いでいます…。


つまり、
当時の読者は、
これらを必ずしも、最初から、
架空の話として読んだわけではない、
ということなんですね…。


それでは、
『ガリヴァー旅行記』は、
架空の話を本当のように見せようとした、
単なる「偽ドキュメンタリー」なのかというと、
話はそう単純でもないようで、
本の扉に載っている、
著者ガリヴァー氏の肖像画には、
「輝しき虚言」という言葉が添えられていたり、
さらには、
ガリヴァーという姓は、
「だまされやすい、まぬけな」という意味を連想させるものだそうで、
「人をあざむく」というニュアンスも持つものでもあるのだそうです…。


非常な労力を使って、
全体を精緻に本当っぽく仕上げておきながら、
あからさまな嘘を、わざと紛れ込ませてみたりもする…。


なかなかに奥の深い、
複雑な表現ということなのかもしれません…。


そういえば、
建築でも、かつて、
石を張った壁などで、
通常は、
本当に石積みで出来ているかのように張るであろうところを、
わざと、
偽物の石を張ったとわかるような感じにする手法が、
流行ったりしたことがありました…。


ネクサス002.jpg


ネクサス001.jpg


ネクサス003.jpg


ネクサス004.jpg


それは、
それまでの建築は、
ある一つの見え方、ある一つの意味しか持っていない。
しかし、
このように、わざと偽物を紛れ込ませることで、
ある一つの見え方だけではなく、
伝統的な石積みのようにも見え、
新しい材料による、偽の石を張ったようにも見える…。


つまり、
ひとつのものに、
複数の意味をもたせることができる、といったような考え方でした...。


シーサイドももち001.jpg


シーサイドももち002.jpg


シーサイドももち003.jpg


同時期、ファッションなどでも、
「フェイク」などと言って、
わざと本物ではない素材が使われたりしていたようでした…。
これも似たような意図によっていたのかもしれません…。


あからさまに、偽物が目につくような、
ちょっと皮肉で、意地悪な表現なので、
当時、実際に見たときには、
面白いとは思いましたが、
「微妙」な感じも受けたものでした…。


でも、
こういった、
裏返したような、
皮肉なような、
知的なような、
意地悪なような、
それでいて、
複雑で、深さもあるような表現といったものは、
それがあるだけでも、
なんとなく豊かな感じもします…。


最近では、
ちょっと影をひそめてしまったような気もしますが...。


不景気で、厳しい、
なんとなく暗い世相の時代には、
このような斜に構えたような表現は、
なかなか生まれにくいものなのかもしれませんね…。


でも、
『ガリヴァー旅行記』も、
大航海時代や地動説出現による、
世界の爆発的な拡大という、
激動の中で生まれてきたそうなので、
これからが面白くなってくるのかもしれません…。
Posted by k_nakama at 18:09  |Comments(6)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

目には見えない

先日、
「宇宙は何でできているのか?」という話を、
テレビで観ました。


私は全然知らなかったのですが、
それによると、
すべてのものは、原子でできている、というのは、
すでに常識ではないのだそうです…。


というよりも、
原子というものは、
宇宙の中では、
わずか5%を占めている物質に過ぎないとのことです…。


それでは、
宇宙は何でできているのか?


原子の5倍近く、
つまり、宇宙を構成する物質の25%近くは、
目には見えないけれども、
確かに存在する(重力は持っているのだそうです)、
「暗黒物質」というもので、
占められているのだそうです…。


目には見えないから、重要な物質ではないかと思いきや、
決してそんなことはなくて、
宇宙の成り立ちをシミュレーションしてみると、
この「暗黒物質」の存在なくしては、
現在あるような宇宙が生まれることはなかったのだそうです…。


なんとも摩訶不思議なお話ですが、
現在、
その「暗黒物質」の正体を解明するための研究が、
進められているようです。


これが、
「見えない」だけに、まさに手探り、
研究者の方も、
「砂浜で、ダイアモンドを探すようなもの」、
と話していました…。


大変なことを探求している人たちがいるのだなあと、
随分と感心し、
また、
我々が扱っているものは、
目に見えるものでよかったなあ、
なんてことも思いました…。


ただ、よくよく考えてみると、
建築をつくる目的というのは、
多くの場合、
空間をつくることにあると思うのですが、
この空間というものそれ自体は、
「目には見えない」ものなのではないだろうか、
とも思いました…。


空間というものは、
壁や床や天井などの物質的なものよりも、
どちらかというと、
その間にある、がらんどうの部分なのではないか、
という気がします…。


空間をつくろうと思ったものの、
空間そのものは「目には見えない」ものであるため、
そのまわりのもの、
つまり、壁やら、床やら、天井やらを、
いろいろと工夫しながらつくり、
空間というものの正体を解明しようとしているのではないかと、
かなりオーバーな言い回しながらも、
そのようにも思ってしまいました…。


どのように工夫を凝らして床をつくっても、


和世陀001.JPG

和世陀002.JPG


壁をつくっても、


マインド和亜001.JPG

マインド和亜002.JPG


天井をつくっても…、


泉の木戸001.JPG

泉の木戸002.JPG


それは、空間の存在を匂わすものではあっても、
それ自体が空間ではありません。

そのように考えてみると、
目には見えないものを手探りで探すという意味では、
結局のところ、
同じような面もあるのかなあ、と思ったりしました…。
大分、レベルは違うような気もしますけど…。


さらに、
そんな風に思ってみると、
私は建築の仕事しかわかりませんが、
建築に限らず、多くの人の仕事というものは、
目に見える、物質的な成果以上に、
その周囲にある「目には見えない」部分が、より大切で、
実は、その追求にこそ、本来の意味がある、
という場合も多いのかもしれませんね…。


『星の王子さま』の、
「大切なものは、目に見えない」、
なんていう言葉を思い出してしまったりもします…。


あまりにも高度な科学のような、
摩訶不思議な世界というものは、
一周廻って、
結局、
身近な感覚に近づいてくるように思えることがあるのが不思議ですね…。


ルボワ平喜001.JPG

ルボワ平喜002.JPG


いや、
あるいは、
そんな風に、身近に引きつけて理解しようとしないと、
全く想像することもできないような、
奇妙で、不可思議な世界だからなのでしょうか…。

Posted by k_nakama at 14:47  |Comments(4)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月22日

リニューアル

リニューアル、リフォームの建物が完成しました。


いろいろと細かく説明を加えながら、紹介しよう、
と思っていました…。


が、
なんとなく、
早くみていただきたいという気分になってしまいました…


というわけで、
説明はまた今度にして、
まずは、少しだけ…。


ビフォー…。

S邸工事前001.JPG


S邸工事前002.JPG


そして、
アフター…です。

S邸竣工001.JPG


S邸竣工002.JPG


S邸竣工003.JPG


S邸竣工004.JPG


S邸竣工005.JPG


かなり大きく変身しました…。


地震などに備えて、
構造的にも、かなりの補強を加えました。


偶然にも、
工事のスタート日が、「3月11日」だったのですが、
そのせいというわけではなく、
もっと以前から、
そのように計画していました…。


元のかたちが残っているせいか、
その変身具合に、
とてもインパクトがあるように思います…。


変えたくない部分は、きちんと残すことも出来、
変えたい部分には、大きく手を入れることも出来る…。


リニューアル、リフォームというのも、
なかなかいいですね…。

Posted by k_nakama at 19:29  |Comments(14)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月08日

見えないけれど、気になる

建築の図面は、
よくよく考えてみると、とても面白くて、
実際には、そのように見ることができないような見方で描かれています…。


例えば、平面図、いわゆる間取り図では、
屋根をはずして、真上から見たようなかたちで描かれています。


それ自体が、すでに不可能な見方なのですが、
仮に、
実際に屋根をはずして、上空から眺めることが出来たとしても、
全ての壁を、同時に真上から見ることはできません。
本当は、
どうしても壁の陰に隠れてしまう部分が出来てくるはずです。


要するに、
私たちは、
現実にはあり得ない、
架空の視点から見て描かれた図面を元に、
考え、話し合われ、伝えられ、
そして、
実際の建築をつくっている、ということになります…。


なんとも不思議な感じがするのですが、
でも、
そもそも人間がつくる世界というものは、
自然とは別の、
例えば言葉のような、
自前のルール、によって成立しているのかもしれない、
とも思いました…。


まあ、そういった哲学的な考察も、面白いのかもしれないのですが、
難しくて手にあまりそうなので、どなたかにお任せするとして、
ここでは別の話を…。


仕事をしていて、よくあることなのですが、
建物が完成した後で、
実際に見たり、感じたりすることが出来ないようなことが、
設計をしている時には、
とても気になることがあります...。


例えば、
別々の部屋にある壁を、一直線に揃えたくなったり、
といったようなことです…。


こういったことは、
建物が出来上がってみると、
別々の部屋を同時に体感することは出来ないわけですから、
そのそれぞれの部屋にある壁が、
揃っていても、いなくても、
実際に感じることは出来ません…。


それにもかかわらず、
そのような壁を、揃えた方がいいのではないか、
と思えることが、しばしばあります…。


そういったことの原因のひとつに、
建築を考える時に、
現実とは異なる視点を持つ、図面を使って、
検討されるということがあるのではないか、
と思ったりしています…。


つまり、
図面で見ると、
別の部屋にある2つの壁が揃っていないことが、
一目瞭然でわかってしまうからです…。


このような、
実際に建築が出来上がった後には、
感じることができないようなものにこだわる必要があるのかどうかは、
設計者それぞれで、意見が異なるのではないか、と思います。


実際に見たり感じたりすることが出来ないようなことにこだわるのは、
おかしい、
という意見もあると思います。


因に、私は、
どちらかというと、
そういったことに、こだわる派です…。


設計上の、
コンセプトと言いますか、ストーリーのようなものに照らして、
例えば、そのような壁が揃っていた方がいいように思う時には、
それが実際に出来上がった後には、感じることができないものであっても、
揃えようと考えてしまいます…。


もちろん、実際の建物の使用に不都合がないように、
バランスをとりながら、ということではありますが…。


図面で検討していて、
なんとなく、そうでないと気持ちが悪いから、というのが、
理由なのですが、
ちょっとオーバーに考察してみると、
そのような部分にこだわるのが、
人間がものをつくるということなのではないだろうか、
という気もしています…。


過去の遺跡などが発掘された時にも、
柱の跡が、同じ間隔で、正確に並んでいたり、
建物跡が、正確に真南を向いていたり、
といったような、
実際の使用にあたっては、
どうでもいいことであったと思われるようなことが、
極めて正確に出来ていたりすると、
そこに、
昔の人の、知的で、高度な文明が、
想像させられるように思ったりします…。


それと同じように、
そのような、
実際には、どうでもいいようなことにこだわってつくるものこそが、
人間がつくるものなのではないだろうか、と、
かなりオーバーですが、そのように考えたりもしています…。


また、
そのようにして出来たものは、
実際に感じることが出来ないはずのものでありながらも、
何かしら感じるものがあるような気もしています…。


歴史ある都市などを見ても、
上空からでも眺めなければわからないような、
幾何学的な操作がされていたりするものもありますし…。

ローマ005.jpg

ローマ006.jpg

バチカン001.jpg

バチカン004.jpg



こちらは、
東京カテドラル聖マリア大聖堂です。

東京カテドラル聖マリア大聖堂001.JPG

この建物、外観もカッコいいのですが、
内部がすごい迫力で、
是非見学してみていただきたいと思います…。

東京カテドラル聖マリア大聖堂002.JPG

8枚の、うねった壁が、
寄り添うように集まって、建っているのですが、
その壁の隙間にガラスが入っています。
このガラスが、上空から見ると、
十字架のように見えます…。

東京カテドラル聖マリア大聖堂003.JPG

神の視点から見なければわからないような十字架ですが、
こういったことによってこそ、
伝わることもあるような気もします…。



Posted by k_nakama at 15:48  |Comments(8)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月28日

都市とは...

最後の巨匠といってもいいような雰囲気のある、
建築家ルイス・カーンは、
哲学者のような、詩人のような、
とても難解なことばを数多くのこしているのですが、
中には、こんなことばもあります。


「都市とは、小さな子供が歩いて行くと、
将来一生を懸けてやろうとするものを教えてくれる何かに出会う、そんなところだ」。


なるほど、と思わせる、
なかなかいいことばではないでしょうか…。


ただ、
1901年生まれのルイス・カーンが、
「小さな子供」として歩いた時には、
もしかしたら「都市」はそのようなものだったのかもしれないのですが、
現在私たちが歩いている場所の多くは、少し違っているように思います…。


社会構造の変化などによるのか、
私たちが歩いているところの多くは、
住むところは住むところ、
働くところは働くところ、
遊ぶところは遊ぶところ…等々、
といった感じで、細かく仕切られています。


さらに、住んでいる人も、どんどんと、
生活水準やライフスタイル、職業、等々で、
より細かく選り分けられていて、
小さな子供が歩いて行っても、
いつも見慣れたもの以外の異質なものに「出会う」可能性が、
低いのではないかと思います…。


ルイス・カーンが言うような、
「何かに出会う」、
魅力的で、刺激的な都市に、なんとかできないものか、とも思うのですが、
よくよく考えてみると、
自分の住んでいる家の隣に、
例えば、
音や匂いがでるような工場等が出来たり、
また、
隣の家に、
自分とは極端にライフスタイルの違う、何だか得体の知れない感じの人が住んだりする、
というようなことは、ちょっと刺激が強すぎるので、
現代において、果たして魅力的な都市と言えるのだろうか、とも思います…。


巨匠ルイス・カーンのように、
かっこよく「そんなところだ」と断言してみたいのはやまやまなのですが、
やはり、
異質なものをどのように分けるか、あるいは融合するか、
あちらこちらに気を遣いながら、
そのバランスといったものに配慮しないわけにはいきません…。


切れ味の悪い議論で、あんまり冴えないのですが…。



丸の内001.JPG

ところで、話はそれますが、
丸の内などのオフィス街を歩いていると、
なんとなく、疲れるのが早いような気がします。

丸の内002.JPG

丸の内003.JPG

理由を考えたのですが、
一つ一つの建物が大きすぎるからではないか、と思いました。

汐留001.JPG

建物が大きいため、いくら歩いても景色が変わらず、
それで疲れてしまうようです。


逆に、
小さなビルがギッシリと建ち並んでいるようなところでは、
次々と景色が変わるため、
歩いても歩いても、飽きることがなく、
なかなか疲れないように思いました。

歌舞伎町001.JPG




大きなビルが並んでいるオフィス街のようなところの方が、
広場が設置されていたり、樹々が植えられていたり、
いろいろと工夫がされている上に、
デザインも統一されていて、
きれいな街並となっているのですが、

汐留002.JPG



それでも、やはり、
ゴチャゴチャしているところを歩くのと較べて、
すぐに疲れてしまうような気がします…。

歌舞伎町002.JPG





土地の有効利用といった経済的な理由等では、
大きなビルにまとめていくような計画の方が、よりよいのでしょうか、
そのような方向で再開発が進むことも多いようですが、
先のルイス・カーンが語っていたような、
「何かに出会う」都市というものを考えてみると、
一概に、
合理的に切り分けることだけがよいことなのだろうか、という気もします…。

神田001.JPG

それに、
将来の働く環境などを考えてみても、
都市の真ん中に、
一箇所にまとまった、それほどの大空間が、
今後も、果たして必要になってくるのかなあ、
という疑問もありますし…。

本郷001.JPG

いずれにしても、この話も、先の話と同じで、
どちらがよりよいのか、ということだけではなく、
そういった、矛盾するような、いろいろな条件を、
どのようにバランスさせるか、というアイデアやテクニックの方にも、
もっと目を向けられないといけないのでは、と思いました…。


やっぱり、
切れ味の悪い議論で、冴えないのですが...。
Posted by k_nakama at 20:44  |Comments(6)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

どこか似ている

横浜マリンタワー001.JPG


東京スカイツリーです…。


横浜マリンタワー002.JPG


というのは嘘で、横浜マリンタワーです…。


東京スカイツリー001.JPG



高さは随分と違いますが、なんとなく似ていませんか…。




今度は、国会議事堂…、


聖徳記念絵画館001.JPG


ではなくて、
聖徳記念絵画館です。


聖徳記念絵画館002.JPG


この聖徳記念絵画館は、1926年に完成し、
国会議事堂は、その10年後の、1936年に完成しているので、
10年の時間差があるのですが、
工事が始まったのは、
聖徳記念絵画館が、1919年、
国会議事堂が、1920年だそうで、
わずか1年違いです…。


聖徳記念絵画館003.JPG


なんとなく似ているのは、そのせいもあるのでしょうか…。


国会議事堂001.JPG




こういった、
「似た建物探し」というのも、
街を歩いていて、結構楽しいのではないかと思っています...。


建てられた時期が近いと、
建物は、
なんとなく似たような、
時代の雰囲気を纏っているような気がします…。


東京都庭園美術館001.JPG


1933年に完成した、
東京都庭園美術館(朝香宮邸)。


東京都庭園美術館002.JPG




そして、
1937年完成の小田原文学館(旧田中光顕別邸)。


小田原文学館001.JPG


どうでしょうか...。
何となく、雰囲気が似ていないでしょうか...。


小田原文学館002.JPG





こちらは、
日本橋にある、三菱倉庫ビル。


三菱倉庫ビル001.JPG


1930年完成。


三菱倉庫ビル002.JPG




その3年後に完成した、
高輪消防署二本榎出張所。


高輪消防署二本榎出張所001.JPG


高輪消防署二本榎出張所002.JPG




だんだんと似ている度合いが減ってきていますか…。


規模や用途など、
いろいろな条件が違いすぎて、
ちょっと無理矢理な感じになってしまいました…。


大して似ていないじゃないか、と言われそうなので、
この辺でやめておきます…。


ただ、
時間や場所が近い建物に、
共通した雰囲気を見つけるというのは、
「似た建物探し」としては、
まだまだ初心者なのかもしれません。


出来るだけ遠い場所にある、
全く違う時代に出来た建物に、
ほんのわずかに薫る共通点を見つけ出すのが、
熟練者なのだと思います…。


古代ギリシアのパルテノン神殿と、
奈良の法隆寺に共通点を見つけ出し、
そこから文化論を導き出した方もいましたから…。

Posted by k_nakama at 16:27  |Comments(8)TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする