2012年02月08日
都市を観る眼
菊岡倶也編著『建築・土木365日「今日は何の日」』、
という本があります。
1年365日、
その日に建築・土木の分野で起こった出来事が書かれています。
例えば、
明日2月9日のページを見てみると、
「東京書籍館、文部省の所管へ」となっています。
明治8年のこの日に、
東京書籍館(しょじゃくかん)が、
太政官内の博覧会事務局の所管から、
文部省の所管となり、
それは、
現在の国立国会図書館の源流となったようです。
そして、
この時の館長は、永井久一郎という人で、
作家永井荷風の父だったのだそうです…。
だから何なのかといった感じの、
何やらマニアックな知識なのですが、
時々パラパラめくると、
面白い話がたくさん載っていて、
結構気に入っています…。
ついでに2月のページをパラパラと見ていくと、
2月16日のページには、
「森鴎外の『妄想』 東京改造への希望を述べる」、
とありました。
明治43年のこの日、
森鴎外(当時48歳)は、
慶応義塾大学文学科顧問に就任したのだそうです。
その森鴎外は、
あまり知られていないように思いますが、
晩年まで、
東京の現況、都市の改造等について、
積極的に発言をつづけたのだそうです…。
その年の5月に発表された短編『妄想』では、
「今まで横に並んでいた家を、竪に積み畳ねるよりは、
上水や下水でも改良するが好かろう」、
とか、
東京の家の軒の高さを一定にして、
整然たる外観の美を成そうという意見に対して、
「そんな兵隊の並んだような町は美しくない。
強いて西洋風にしたいなら、むしろ反対に軒の高さどころか、
あらゆる建築の様式を一件ずつ別にさせて、
エネチアの町のように
参差錯落(しんしさくらく)たる美観を造るようにでも心がけたら好かろう」、
などと、
皮肉っぽく書いたりもしているのだそうです…。
「参差錯落」とは、
一様ではなく、様々なものが入り混じっている状態のことだそうで、
要するに、乱雑ということのようです…。
また、
エネチアは、イタリアのヴェネチアのこと…。
森鴎外は、
ドイツに留学したことが知られていますが
(小説『舞姫』なんか有名ですよね)、
その当時のドイツは、過密化した都市が悲惨な状況となっていて、
衛生学的見地からの都市改造論議が盛んだったのだそうです。
医者でもあった鴎外は、
そういった議論の影響を強く受けていたのか、
美観よりも、
上下水道の整備など、
公衆衛生の観点から、都市を見ていたのかもしれません…。
ところで、
この『建築・土木365日「今日は何の日」』の次のページ、
2月17日のページには、
「臨時建築局発足 官庁営繕組織の原型がスタート」とあります。
当時、外務大臣だった井上馨は、
不平等条約を改正し、先進諸国と肩を並べるべく、
鹿鳴館を建てるなどの、
いわゆる欧化政策をすすめていたのですが、
その総仕上げとして、
当時の一流の建築家をドイツから招聘し、
国会議事堂や裁判所などを含む諸官庁を日比谷に集中し、
放射状道路などを配した、
ヨーロッパの都市のような、壮大な都市計画を作成します。
そして、
明治19年のこの日、
その建設を目的に、創設されたのが、臨時建築局で、
総裁には、井上馨自身が就任します。
パリやウィーンなどの、
先進諸国の実例を踏まえた、
当時の最先端をいくものであったらしい、この計画は、
明治20年の不平等条約改正交渉が不調となると、
事態が急変し、
外務大臣井上馨の辞任により、
事実上頓挫します…。
翌年には、この計画は廃棄され、
臨時建築局は、2年後に消滅します。
東京がパリになる機会は、
幸か不幸か、失われました…。

その壮大な計画は、結局実現しませんでしたが、
裁判所と司法省の建物だけは、計画通りに完成します。

裁判所の方は、その後、建替えられてしまいましたが、
司法省の方は、
「法務省旧本館・赤れんが棟」として、
今でものこっています…。

また、
その都市計画から、およそ50年後、
その計画で提案されていた通りの場所に、
国会議事堂は建設されました…。

ところで、
この、2月16日と17日の、
二つの隣り合ったエピソード、
「森鴎外の指摘」と、
「井上馨の目指した計画」は、
現在でも、
都市(あるいは建築)を観る上での、
主要な二つの視点といってもいいように思います。
わざと乱暴に言ってしまうと、
つまり、
「実用性」が「美」か…。
歴史的に観てみると、
総じて日本人は、
都市の美観なんかよりも、
実用性、経済性を重視した都市をこしらえてきたように思いますので、
森鴎外の勝ちですね、きっと…。
でも、
さすがの森鴎外も、
現在のような、
ここまで乱雑な都市になるとは思っていなかっただろうなあ…。
何しろ、
「参差錯落」たる町の代表が、
あのヴェネチアだというのですから…。
という本があります。
1年365日、
その日に建築・土木の分野で起こった出来事が書かれています。
例えば、
明日2月9日のページを見てみると、
「東京書籍館、文部省の所管へ」となっています。
明治8年のこの日に、
東京書籍館(しょじゃくかん)が、
太政官内の博覧会事務局の所管から、
文部省の所管となり、
それは、
現在の国立国会図書館の源流となったようです。
そして、
この時の館長は、永井久一郎という人で、
作家永井荷風の父だったのだそうです…。
だから何なのかといった感じの、
何やらマニアックな知識なのですが、
時々パラパラめくると、
面白い話がたくさん載っていて、
結構気に入っています…。
ついでに2月のページをパラパラと見ていくと、
2月16日のページには、
「森鴎外の『妄想』 東京改造への希望を述べる」、
とありました。
明治43年のこの日、
森鴎外(当時48歳)は、
慶応義塾大学文学科顧問に就任したのだそうです。
その森鴎外は、
あまり知られていないように思いますが、
晩年まで、
東京の現況、都市の改造等について、
積極的に発言をつづけたのだそうです…。
その年の5月に発表された短編『妄想』では、
「今まで横に並んでいた家を、竪に積み畳ねるよりは、
上水や下水でも改良するが好かろう」、
とか、
東京の家の軒の高さを一定にして、
整然たる外観の美を成そうという意見に対して、
「そんな兵隊の並んだような町は美しくない。
強いて西洋風にしたいなら、むしろ反対に軒の高さどころか、
あらゆる建築の様式を一件ずつ別にさせて、
エネチアの町のように
参差錯落(しんしさくらく)たる美観を造るようにでも心がけたら好かろう」、
などと、
皮肉っぽく書いたりもしているのだそうです…。
「参差錯落」とは、
一様ではなく、様々なものが入り混じっている状態のことだそうで、
要するに、乱雑ということのようです…。
また、
エネチアは、イタリアのヴェネチアのこと…。
森鴎外は、
ドイツに留学したことが知られていますが
(小説『舞姫』なんか有名ですよね)、
その当時のドイツは、過密化した都市が悲惨な状況となっていて、
衛生学的見地からの都市改造論議が盛んだったのだそうです。
医者でもあった鴎外は、
そういった議論の影響を強く受けていたのか、
美観よりも、
上下水道の整備など、
公衆衛生の観点から、都市を見ていたのかもしれません…。
ところで、
この『建築・土木365日「今日は何の日」』の次のページ、
2月17日のページには、
「臨時建築局発足 官庁営繕組織の原型がスタート」とあります。
当時、外務大臣だった井上馨は、
不平等条約を改正し、先進諸国と肩を並べるべく、
鹿鳴館を建てるなどの、
いわゆる欧化政策をすすめていたのですが、
その総仕上げとして、
当時の一流の建築家をドイツから招聘し、
国会議事堂や裁判所などを含む諸官庁を日比谷に集中し、
放射状道路などを配した、
ヨーロッパの都市のような、壮大な都市計画を作成します。
そして、
明治19年のこの日、
その建設を目的に、創設されたのが、臨時建築局で、
総裁には、井上馨自身が就任します。
パリやウィーンなどの、
先進諸国の実例を踏まえた、
当時の最先端をいくものであったらしい、この計画は、
明治20年の不平等条約改正交渉が不調となると、
事態が急変し、
外務大臣井上馨の辞任により、
事実上頓挫します…。
翌年には、この計画は廃棄され、
臨時建築局は、2年後に消滅します。
東京がパリになる機会は、
幸か不幸か、失われました…。
その壮大な計画は、結局実現しませんでしたが、
裁判所と司法省の建物だけは、計画通りに完成します。
裁判所の方は、その後、建替えられてしまいましたが、
司法省の方は、
「法務省旧本館・赤れんが棟」として、
今でものこっています…。
また、
その都市計画から、およそ50年後、
その計画で提案されていた通りの場所に、
国会議事堂は建設されました…。
ところで、
この、2月16日と17日の、
二つの隣り合ったエピソード、
「森鴎外の指摘」と、
「井上馨の目指した計画」は、
現在でも、
都市(あるいは建築)を観る上での、
主要な二つの視点といってもいいように思います。
わざと乱暴に言ってしまうと、
つまり、
「実用性」が「美」か…。
歴史的に観てみると、
総じて日本人は、
都市の美観なんかよりも、
実用性、経済性を重視した都市をこしらえてきたように思いますので、
森鴎外の勝ちですね、きっと…。
でも、
さすがの森鴎外も、
現在のような、
ここまで乱雑な都市になるとは思っていなかっただろうなあ…。
何しろ、
「参差錯落」たる町の代表が、
あのヴェネチアだというのですから…。

