2012年05月20日

撮影の合間に

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「天まであがれ!」収録中の生田スタジオの楽屋でのひとコマです。
別のドラマの収録をしていたかおるさんは、しょちゅう鉄ちゃんの
楽屋やスタジオに遊びに来ていたそうです。あんまり度々来るので
「どっちのレギュラーかわかんないね」と、スタッフに冷やかされ
たそうですよ。

鉄ちゃんの笑顔、本当に嬉しそうです。なんだか、職場に娘が来て
ちょっと照れたお父さんってふうにも見えます(笑)
かおるさんの柔らかい笑顔は、心から鉄ちゃんを信頼して、安心し
きってる感じにも見えますよね。

「僕は君のパパじゃない。普段は石立さんと言いなさい」と言いな
がらも、本当に"親子”のような関係だったんでしょうね。大人に
なった彼女と、ドラマで共演して欲しかったです。「パパ呼ば」と
は違う、息の合ったやり取りが見られたんじゃないかと思います。

放浪癖のあるすっとぼけた父親が、少し生活に疲れたしっかり者の
娘の前に、久しぶりに現れて・・・なんて、いいですよねえ。
邦流の中で「"パパと呼ばないで-その後”みたいな話をやりたい」
と言ってましたが、きっと、大人同士の役者として、彼女と芝居が
したかったんでしょうね。見たかったなあ・・・
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2011年08月28日

当時の劇評より

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ぜいたくな劇場でぜいたくな配役、ちょっとリッチな気分になれる。
テレビの役柄と反対に、杉浦の粗暴なほどの男くささは新発見、
石立のホモがかった役柄も楽しい。
(朝日新聞 79・1)

巧妙な筋立てである。半ぱもの同士の喜劇に風刺がこめてある。
半ぱもの同士で、他人を知るという主題を打ち出している。その
上で、結末に少々ミステリアスなところがある。三幕四場のウェル
メイド・プレイ。
(読売新聞 79・1)

この喜劇は、ネタの面白さで観せてはならないように思う。いかなる
脇役でも、芸の核心をくっきりと表現し、したたかな俳優存在を観客層
の頭の中に叩きこまなければならない。このスタッフでいくと、この類
の喜劇は、練れば練るほど、いいものになるであろう。まだ荒いところ
が目立って、ヒヤヒヤさせられる箇所が無数にあるが、出演者全員に
少なからず好感がもてた。
芝居は無数にあるが俳優に芸が生まれない日本。あくまでも芸の
存在である。
(東京新聞 79・1)

ものすごく面白い芝居。杉浦と石立が公演、ポーカー仲間の名古屋
もよく、福田演出もさえたとあって、場内、笑いのたえまがない。シャレ
た大人の喜劇である。見なきゃソンの舞台である。
(サンケイ新聞 79・1)

この舞台の面白さはいい意味で三拍子そろっていることだ。巧みな
脚本、福田陽一郎のテンポの速い小気味よい演出、杉浦直樹、
石立鉄男を中心とする達者な演技陣の三つである。新しい変化の
きざしを告げるものだ。
(朝日ジャーナル 79・2)

新春のパルコ西武劇場に、快打一発が出た。二ール・サイモン作
「おかしな二人」。おもしろいのなんのって!びっしり入った客席が
ウハハウハハ。腹の皮よじらせる。
ブロードウェイで人気の喜劇作家、二ール・サイモン。さすがに凡手
ではないのである。結婚生活14年で離婚したオスカーと、やはり
結婚生活12年で離婚したフィリックスという男がいる。オスカーは
男っぽくサッパリした人柄、一方のフィリックスは、やたらに別れた
妻を想い出してメソメソする男。
じつに対照的な二人が、同居生活に入るのだ。部屋中、散らかりっぱ
なしが好きなオスカーに対して、神経質で、部屋中キチンとしている
のが好き、趣味は料理をつくることというフィリックス。しょせん、うまく
ゆくわけない。そこがおかしい。きわめて日常的なエピソードを綴って
ドラマをつくりあげる作者のうまさ。これをテンポよく、はずんだ舞台に
杉浦直樹と石立鉄男がつくりあげる。この二人、まったくいいコンビだ。
ポーカー仲間の谷啓、ジェリー藤尾、三谷昇、名古屋章(とくに好演)
がおもしろければ、高林由紀子、稲野和子のお色気の捨てがたい。
演出福田陽一郎、今回は好調だ。おススメ品の88点。
(週刊サンケイ 79・1)

現代に生きている人間が落ち込む状況としゃれたセリフ、さりげない
日常生活のふれあい。そこから暖かい笑いが生まれる。「おかしな
二人」はほろ苦く暖かい人生の味。久々の大人のコメディである。
(モア 79・3月号)

これは快作と呼んでいい。よくはずんだ舞台に、客席はわいた。西武
劇場が、熱っぽくなった。二ール・サイモン喜劇のおもしろさ。そして
その“おもしろさの心”を、演出も出演者も、よくつかんだ。
石立の柔、杉浦の剛と、このコンビ、演技がぴったり決まったが、ほか
の出演者も、おしなべて好演。とくに名古屋章の警官マレーに、生活
のにおい、職業の味わいがあった点に注目しておきたい。女優二人は
お色気もあり、いい彩りになっている。
所見した日、日曜のせいもあってか、客の入りもよかった。そして何よ
りも、こういうシャレた喜劇に、客がよくわいていたのも好ましかった。
おとなの観客の、おとなの反応が、そこに見えるのである。
(テアトロ 79・3)
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2011年08月27日

地でいく“おかしな二人”

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杉浦直樹と石立鉄男の息の合ったコンビで好評だったオフィス・トゥーワン
公演「おかしな二人」が二年ぶりに三日から二十日まで東京・渋谷の西武劇場
で再演される。ひと世代、杉浦の方が兄貴分だが、私生活でもこの十年ほどは
舞台そのままに飲み友達、遊び友達の息の合った“奇妙”な間柄―。

妙に波長が合って・・・二年ぶりに再演

知り合うきっかけはテレビドラマでの共演だが「なんとなく、妙に波長が合って」
という二人。とにかく一緒に飲むところからつき合いが始まった。
とはいえ、当時の石立は「アルコールはまったくダメ」。一方杉浦は「戦争中の
中学生のとき、出征するオヤジのための配給の酒が来て、ドンブリに二杯飲ん
だけどケロッとしていた」という生来の酒豪で、ひと晩にボトル二本は平気。
で、この二人が一緒に飲むと―

「ふと気がつくと、鉄ちゃん(石立)がいないので捜してみるとひと目につか
ないところで寝込んでいたり、どっかで吐いて来たり・・・」(杉浦)
「それまでマージャンなんかしていたんだけど、杉浦さんと知り合ってから
飲む専門。二十四時間、顔を合わせていたこともあったなあ」(石立)

二人が舞台で初めて顔を合わせたのは三年前のやはりオフィス・トゥーワン
公演「夕食は外でしたら?」だが「おかしな二人」で、ガッチリ組み合って
日ごろのつき合いの深さを披露する結果になった。

二ール・サイモン作、福田陽一郎演出のコメディー。いささかだらしない
離婚者のスポーツ記者(杉浦)と几帳面すぎて家庭生活がうまくいかず離婚
しかかっているテレビのニュース記者(石立)の「奇妙きてれつ」な共同
生活を描く。
どちらかといえば、性格的にはお互いに逆の役を演じているのも一興。

遊び仲間ではあるが、杉浦は石立のことを「同世代の中で宿命的にさからって
生き続けている」とし、石立は杉浦のことを「独身、ホテル住まい、ダンディ
ズムの旗じるしを絶対におろさない」として、お互いを評価している。
杉浦がいま住んでいるホテルの池のコイは杉浦所有のものだというくらい
コイに関してはその道で知られたプロ。石立もそれにつられて、最近では
かなりコイの通になっており、その点では趣味が一致しているようだ。
(1980年5月東京新聞)

「彼が、あんなんにホモっぽい演技をやるなんてビックリ」
お客を驚かせたり、喜ばせたりしているのが、石立鉄男。
2月3日まで、東京・渋谷のパルコ・西武劇場『おかしな二人』という芝居に
出ているのだが、石立のやるフィリックスという人物が、神経質で、きれい
好き。ことあるごとに部屋を掃除し、ついでにエプロン掛けて料理をつくり
同居している、杉浦直樹演じるオスカーを悩ませる。

「石立といえば、テレビの『夜明けの刑事』のカッコよさ、私生活では“
男らしさそのもの”を誇っているのに、その彼が、あんな役をうまくこな
しているところがなんともおかしいよ」
とは観客の声だ。
当の石立は、
「役者は何でもやらなくちゃいかんですよ。杉浦さんはぼくがし生活面でも
尊敬している先輩だし、その杉浦さんにつくす役だから、いいじゃないですか」
と、日ごろの喧嘩っぱやさはどこへやら。
ちなみに、このブロードウエー喜劇『おかしな二人』の杉浦と石立の演技は
劇評家たちの間でも大好評。「最近の収穫舞台だし、収穫演技でもある」
の声しきり。
(1979年1月週刊明星)
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2011年08月13日

開演ベルが鳴る前に

↓初演のちらしです。使われている写真は「天使」の時に撮影した
ものですね。顔がまん丸です(笑)
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↓再演の時の、前売り告知ちらしです。別な用事でパルコに行った時
運良く入手できました。見た瞬間、「おお!」と思わず声を上げそう
になったことを覚えています(笑)
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西武劇場(現パルコ劇場)は客席数479と小ぶりなので、舞台との距離が
すごく近いんですよね。画面と通してみていた鉄ちゃんの芝居を、生で
見られるなんて、本当に贅沢で幸せな時間でした。ドラマ同様にアドリブ
が時々入るんですが、それが見るたびに入る箇所が違うんです。舞台は
生き物なんだなあと、改めて思いました。カーテンコールで、素に戻って
いた鉄ちゃんも、なかなか面白かったです(笑)
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2010年08月10日

人、それを自由と呼ぶ

三年前の記事を紹介します。

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俳優の石立鉄男さんが亡くなった。主演ドラマの印象をいうと70年、TBSで
放映された『おくさまは18歳』も鮮烈だったけれど、やっぱり日テレで71年
『おひかえあそばせ』からスタートしたユニオン映画ものだ。

『おひかえあそばせ』(71年)、『気になる嫁さん』(71年)、『パパと
呼ばないで』(72、73年)、『雑居時代』(73年)、『水もれ甲介』(74年)
『おふくろさん』(75年)、『気まぐれ天使』(76年)、『気まぐれ本格派』
(77年)。このうち『おふくろさん』以外の全作品にユニオン映画がかか
わっている。
 
あらためて振り返ってみると、このシリーズには圧倒的な影響を受けた。
いや、たぶん僕の人生で「フリーランス」というものを、初めて具体的に
見せてくれたのは石立鉄男だ。シリーズ第1作の『おひかえあそばせ』を僕
は小学校6年で見たことになるけれど、そこで石立鉄男が演じたフリーカメラ
マン像にすっかりやられて今、こんな具合にフリーライターをやっている
のかも知れない。

石立鉄男はとてつもなくフリーに見えた。当時の言い方でいうとドロップ
アウトか。サラリーマン社会からハミ出して、勝手気ままにアフロヘアーで
生きていた。又、カメラマンコートみたいなやつを着てるんだよ。ポケットの
いっぱいついた社会派っぽいやつ。それで『おひかえあそばせ』の最終回は
アフリカへ写真撮りに旅立っていく。

芸名に「石」と「鉄」ってゴツゴツしたものが並んでるだけあって、アフロ
のくせに硬派っていうのが当たり役だった。第1作から基本的に「身近な女ど
もと戦う」構図だ。恋心を抱いていても、面と向かってはやり合ってばかり
いる。目をパチクリしたりして、大袈裟に驚いたりするコミカルな芝居が
ハマッていた。キャラクター設定としては、70年代だけあって、義理人情に
厚かったり、弱い者をムキになって守ろうとするやさしさがあったりアフロ
義理人情、アフロやさしさだったんじゃないだろうか。

最高に魅力的だった石立鉄男のフリーな感じは、その後、大映テレビ(TBS
放映)のドラマツルギーのなかで急速にしぼんでしまう。僕は当時、「赤い
シリーズ」やなんかを見て、石立鉄男は間違ってるんじゃないかと本気で
心配した。大映テレビのドラマは、基本的に「人間っていうのは運命に
よってがんじがらめにされてますよ」という発想だ。その悲劇性を大仰に
描いて、あんまりだというので逆に人気になった。一体、どこにアフロの
フリーな人間が生きる余地がある。石立鉄男はもう一度、カメラマンコート
やサファリジャケットを着ろ、運命みたいな他人任せの人生からフリーに
なれと念じた。

まぁ、念じる一方でそろそろ自分自身が若者になっていて、こっちもフリーな
かんじで頑張るのにせいいっぱいで、石立鉄男のことはお留守になっていた
というか忘れていたと言った方がいい。お留守になりながら石立鉄男は何故
失速したのか、というテーマを棚上げにしていた。

今なら一定の答えが出せる。本当かどうか、本人に直接尋ねたわけじゃない
から知りませんよ。僕はあきたんだと思う。アフロ硬派みたいな主人公の
設定が徐々に時代と合わなくなったとか、シリーズが回を重ねて視聴者離れ
が起きたとか、色々説明はつくと思うけれど、僕はあきたんだと思う。
それはヒット作のシリーズをつかんだ人間だけが特権的に思えることだ。
あきた。たぶん、もういいやと思った。

昔、ナンシー関と石立鉄男の話をしたことがある。ナンちゃんは石立鉄男ほど
素の部分がヴェールに包まれてる役者も珍しいと言った。女性週刊誌が山口
百恵との関係を疑った記事のことを引き合いに出して、「あれはホントに
珍しいことなんだよ」と言った。インタビュー番組、バラエティー番組にも
滅多に顔を出さない。アフロ硬派の気さくなイメージからすると意外なほど
壁を作って暮らしている。

何かどうも趣味的な生き方をしている人らしいと知ったときは、仰天するほ
ど老け込んだルックスに変わっていた。ギャンブルや将棋、麻雀といった
事柄に只事ではないほど打ち込んでいたというのは今回、亡くなってからも
報じられた。

僕は石立鉄男という風が吹き去って、あのフリーなかんじの夢はどこへ行っ
たもんかなぁと思うのだ。僕の考えをいうと78年『少年サンデー』で連載が
開始された『うる星やつら』の諸星あたるとは、石立鉄男の流れをくむキャ
ラクターだ。高橋留美子の才能によって、カオス的なスラップスティック
小宇宙のなかに石立鉄男は再生していたのかも知れないと思っている。
テレビアニメという意味では、押井守も石立鉄男を疾走させるままにした。
石立鉄男のラブコメ性は実は広範囲にDNAを残してるのじゃないか。

と、ここまで猛烈な勢いで書いて、ふと考えると、『パパと呼ばないで』の
右京は石油会社の営業マン、『気まぐれ天使』の忍は下着メーカー勤務であっ
たことに思い至った。別に石立鉄男はドロップアウトばかりしてたわけじゃ
なかった。アフロでスーツを着て、ちゃんと通勤だってしていた。もしかす
るとだが、アフロが重大なアイテムだったのか。それを思うと人生で一度も
アフロに挑戦してこなかった自分を恥じる。劇中の石立鉄男のように明朗な
アフロで突っ走れば、フリーだろうとリーマンだろうと別に気にすることは
なかったのか。

じゃ、それを自由と呼ぶことにしよう。自由の輝き。石立鉄男が10代の僕に
見せてくれたもの、そういうものだ。
一面識も得る機会がなかったけれど、謹んでご冥福を祈ります。僕はあなた
の大ファンでした。

(えのきどいちろう「NAVI」August, 2007)
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2010年02月01日

26歳のある日


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吉村実子と石立鉄男の結婚式は“媒酌人なし”だという。
「形式的なことは、なにごとにつけても大嫌い」という、いかにもこの
二人に似つかわしいやり方である。
だいたい、結婚することを好評した記者会見が、実に型破りだった。

11月20日、午後三時半。神宮外苑・絵画館前。秋晴れの空の下で
二人は、“野外記者会見”を行った。
石立は、信濃町の文学座から歩いてやってきた。吉村は、赤いフォルクス
ワーゲンを自分で運転してやってきた。
「大げさなことはイヤなんです」
会見は立ち話だった。

石立「式は12月12日、高輪協会(東京品川区)で挙げます。新居は、いま
ぼくが住んでいる六本木のアパートになります。新婚旅行は、まだどこに
行くか決めてないんですよ」
石立は、稽古場から脱け出してきたままの服装。ワイシャツの上にコート
を羽織るという気軽さ。一方の吉村も、黒のセーターに黒のスラックスと
いう気取りのなさ。

吉村「彼の誠実さにひかれました。結婚する気になったのは、なによりも
彼が私を愛してくれるからです」
石立「正式にプロポーズしたのは、今年の九月でした。彼女っていい子
だし、仕事中にさえぼくに気を使ってくれて、すごく女らしい。必死で
くどいたんですよ」
二人は、照れながらも、気さくに、自分たちの愛と結婚について語って
いた。

芸能人同士の結婚といえば、まずホテルで大仰な記者会見がつきもの。
しかし、二人のこの会見は、その日の秋風のようにさわやかであり、簡素
で個性的でさえあった。
吉村実子と石立鉄男のフレッシュなカップル。彼らの結婚生活そのものも
虚飾のない、いつまでも新鮮さの持続するものになりそうだ。

ところで、二人の交際は、今年で丸五年になる。昭和39年、テレビドラマ
「夏」で共演したのが、交際のきっかけになった。
「ぼくは図々しい男で、知り合って四ヵ月後に、彼女をくどき落としたん
です」(石立)
石立は相当に手が早かったのだ。

しかし、当時、二人は21歳(石立)20歳(吉村)という若さ。すぐに結婚
というわけにはいかなかった。その交際は、いわゆる“恋愛関係”という
形で進行していったようだ。
結婚が二人の間で話題になり始めたのは、一昨年。

「石立さんは、当時、私のところの間借人(アパートは東京市ヶ谷にあって
四畳半一間だった。彼は、今年8月まで、ここに住んでいた)で、実子さん
はよくお見えになってましたね。石立さんのために、洗濯したり、食事を
作ってあげたり、ずいぶん進んだ感じのお付き合いで
した」
(アパートの管理人Sさん)
吉村は、石立の妻への姿勢を取り始めたのであり、一方
「石立さんも、生命保険に入るのに、受取人に実子さんを指名するという
調子で・・・」(同Sさん)

二人は急速に、結婚の意志を固め始めたのだった。
しかし、二人は、即座に結婚に踏み切るわけにはいかなかった。
それには、経済的な事情があったのだ。
石立は、文学座の中堅スターではあるが、若い劇団員が通常そうである
ように、月収は少ない。その頃は、3〜5万円。結婚どころではなかった。
そして、この結婚への障害は、二人の愛に小さな動揺を与えることにも
なったのだった。

「今年の6月頃から、実子さんは全然お見えにならなくなりました。電話
もかかって来なくなったんです。二人の間がダメになるのではないかと
心配でした」(Sさん)
二人の間には危機もあったのだ。
しかし、二人はそれを乗り越えた。

石立は、8月、四畳半の独身アパートを引き払って、六本木のアパート
(ダイニングキッチンのついた16畳の広い部屋。家賃二万五千円)に
移り吉村を迎える態勢を整えた。結婚準備は着々と進められ、愛の危機
は去ったのだ。

「今だって、収入は十分というわけではないんですよ。月に5〜8万です
から。でも、贅沢は言っていられませんから」(石立)
彼らは、いま、着実にやっていくつもりでいる。
「本当は、彼女には仕事をやめてもらって、家庭に納まっていてもらい
たいと思ってるんですが、仕方ないですよね。当分は共稼ぎです」(石立)
石立と吉村の愛と結婚は、まるで、私たちの周囲にある愛と結婚のようだ。
二人の愛の実らせ方には親しみさえ感じられる。

「教会で式を挙げるのは、別に信仰を持っているからではありません。
神主さんにオハライしてもらうなんて、性に合わないんです」(吉村)
式は全て簡素にして、二人の愛だけで充実させたい、というのが二人の
一致した意向。
吉村のウェディングドレスはすでに、彼女と親しいデザイナーの鳥居
ユキさんに注文ずみだそうだ。

新婚旅行は、横浜から神戸まで船でとの噂も流れているが、まだ確定的
ではない。いずれにせよ、二人のことだ。冴えた企画で、一律化している
新婚旅行の陳腐なスタイルを破ったものにするだろう。

そして、肝心の結婚生活ということになれば、吉村は石立の四畳半の
アパートで、その手腕を証明している。あとは、「光る海」「真田幸村」
(テレビ)「花咲くチェリー」「黄金の頭」(舞台)などで実力を示した
石立に今後も活躍してもらい、早く吉村が家庭に納まれる状態に向かって
努力してもらうだけである。
(1968年週刊女性12/7号より)

※他の週刊誌にも、収入の少なさが取り上げられています。これだけ
書かれたら、誰だって意識するでしょ。それと、当時の記事では必ず
実子さんの名前が先です。二人の立場がどうだったのか、判りますね。
「何とかしなくちゃ」と、男として責任感を痛感していたことでしょう。
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2010年01月30日

23歳のある日-その2


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吉村実子と新劇俳優の石立鉄男(文学座)は、ともに23歳である。
ふたりは、三年間の愛を実らせ、まだ若すぎるという親の反対を
押し切ってまで、7、8月中には婚約し、来年秋には挙式するという
ことだった。ところが、すでに9月になっているのに、婚約した
などという話は聞かない。どうなったのだろうか?

4月下旬に、石立が彼女の両親に、結婚を許可してくれと申し込んだ
ところ、若いし、経済的にも不安定だという理由で断られたという。
それがしこりになっているのだろうか・・・赤坂のTBSスタジオ。
「青春怪談」に出演中の実子と、その控え室で会った。

「私たちが、愛し合っている仲だという話は否定しません。たんなる
友だちというのではなくて、私も女性として、男性の鉄ちゃんを意識
しています。

でも、7月に婚約するとか、来年挙式するとかいうのはデタラメです。
まして、鉄ちゃんの申し入れを父が、経済的に不安定な男だから
断ったなどというのもウソです。いいもしない発言を理由に春以来
娘の恋に理解がないなどと不誠実呼ばわりされて、父はカンカンです。
私たちに障害はないのですが、結婚しないのは、恋の意識の濃度に
差がありすぎるからではないかと思います。鉄ちゃんは、すぐにで
もしたいのに、私はそれほど焦っていません。

鉄ちゃんの収入では、結婚しても収入が不安定ではなかろうか
という心配があります。私は、結婚したら引退したいという気持ち
があるだけに、むずかしい点です。でも、絶対ではありませんのよ。
とにかく、今月下旬、鉄ちゃんが京都から帰ってくるので、おたがい
にゆっくり話し合ってみるつもりです」

石立は今、京都大映で「殺人者」(原田康子原作)に出演している。
宿舎に電話すると
「彼女の両親に申し入れた時、断られたなんて、そんなことありま
せんよ。二人が若く、経済の基盤がしっかりしていないと、心配は
してもらったけど。
その点は、ぼくの泣き所なんです。でも、実子を愛する気持ちは
変わっていないし、彼女だって、そのはずです。でも、まわりから
婚約や挙式の月日をはっきりしろと言われると、焦ってしまうな」

石立は、高橋幸治が抜けたあとの文学座で、ホープである。
映画、テレビのほか、本命の舞台でも、水上勉氏の初めての戯曲
「山襞」、続いて「欲望という名の電車」に重要な役が与えられた。
しかし、新劇に出演している間は無収入に近い。また、舞台の合い
間に出る映画、テレビのギャラも、四割は文学座へ納入するので
実収入は六割だけである。

今のところ、平均月収は三万円前後。これで市ヶ谷の四畳半の
アパートの家賃七千円を払うと、たしかに生活は苦しい。
だから、実子にプレゼントを贈ったこともないという。

実家は、横須賀で一万羽も養鶏しているが、五人兄弟の四男だから
現在はときどき生活費の援助をあおぐが、結婚したとなるとそうも
いかない。

この二人を、姉の真理は
「妹と鉄ちゃんは、仲がよく、とても微笑ましいのですが、いつ婚約
するかとなると、姉といえども第三者だから判断しかねます。でも
今年中はしそうにありませんね。当分は現状維持のままではない
かしら」
(週刊女性1966年9月17日号)
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2010年01月27日

23歳のある日


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吉村実子。フリー。『にっぽん昆虫記』などで好演。
ブルーリボン助演賞も得た演技派。23歳。
石立鉄男。文学座座員。除名された高橋幸治にかわる
ホープ。好青年、23歳。

二人は一昨年、フジTVの芸術祭参加ドラマ『夏』で共演して以来の交際。
この4月中旬、石立から吉村家へ婚約の申し入れ。だが、吉村実子の両親
の正式な許可がまだ。それで、二人が悩んでいるという。
「二人で吉村の両親に相談したところ、若すぎる、経済的にもまだだし・・
ということで、いったんは諭して許可しなかったらしい。だが石立と実子
の熱意にほだされて、結局、消極的な賛成ということで、結婚を前提とし
た交際、つまり暗黙のうちに、実質的に婚約を認めたということらしい」
(二人の友人)

7月か8月には、正式に人を介して婚約を認めてもらい、来年の9月か10月
ごろには、挙式にもっていく見通しだという。
吉村実子の父民乃輔氏は、石立鉄男と実子が結婚の相談に来た事を、一応
否定した。
「さあ・・。本人に聞いてみて下さい。親にしてみれば、姉のこともあるし
よく考えたうえで結婚を・・と望んでいるとしか言えません」

かといって、石立鉄男という男性に不満があるわけではない。お母さんは
石立を『鉄ちゃん』と呼び、好感を持っている。
「鉄ちゃんはよく遊びにみえますし、お芝居も一度見に行ったこともあり
ます。若いに似合わずしっかり型の男性で、演劇エリートとでも言うんで
しょうか、いい方ですわ」

石立鉄男の父光男さんは横須賀で、1万羽を飼う養鶏家である。この父も
息子と吉村実子の婚約について尋ねると、『ハテ・・』と首をかしげて・・・
微笑した。
「テツは5人兄弟の末から2番目。上に3人の兄がいるんだが、結婚して
いるのは長男だけで、まだ兄が二人残っているのでね・・。この前も来たが
あいつが話すのは、テレビのギャラがいかに少ないか、新劇がいかに金
にならないか・・・したがって、親孝行するのにどんなに不利かという話を
ジュンジュンとしておいて、『5千円貸してくれ』なんて言う。太くもない
おやじのスネをかじってねえ。だが親の口から言うのもなんですが、小さ
いころから野放図だが、自分のことは自分で責任もってやる子供で、それ
だけにまた、かわいい子ですよ」

と、肝心の話をたくみにそらすのだが、お母さんは、仰る。
「鉄男は男兄弟ばかりの中で育って、女といえば私だけしか知らないで
しょう。だから鉄男の女性を選ぶ目は純粋で、あれが選んだ方は、ごま
かしのない間違いのない方だと信じております」

4月25日、TBS前の喫茶店で、吉村実子は、しかし、答える。
―石立さんが、あなたのご両親に結婚を申し込んだそうですが
吉村「(笑って)あら、ま。知らないわ。鉄ちゃんが申し込んだのは事実
だとしても、それを両親が、私に知らせないのかもしれませんね。でも
婚については、私の選んだ人に、反対はしないと思います」
―では、石立さんに対する今の気持ちは?
吉村「今は、フランクに、何でも相談できる貴重なお友達。かわいい子よね
うん。プロポーズされたら、その時に、じっくり考えて返事をします」
と言葉をにごす。両親の気持ちを察しての、思いやりかもしれない。

だが、石立鉄男は、率直に認めた。文学座前の喫茶店で、コーヒーを飲み
ながら、時に苦渋の色を浮べ、時に朗らかに質問に答える。
―実子さんの両親に反対されたというのは事実ですか
石立「まあ事実です。いつまでも恋人のままでいるよりも、お互いの
気持ちを、ハッキリさせたかったんです」
―理由は、若いことと経済的な問題ですか
石立「それがおもな原因だろうと思います。ボクは市ヶ谷に4畳半の
アパートを借りているんだけど、家賃が7千円。この生活を維持して
いくのが、精一杯の状態ですから、無理もないですがね」
―共稼ぎ、ということも考えられるでしょう
石立「そう。だけどジッコはやめたがっている。ボクもそれが希望です。
まあ、彼女は、今までだって映画は1年に1本の割りの出演だし、あの
ペースなら家庭生活に支障ないし、いいのじゃないかと思うんだけど。
(笑って)役者として、もったいないですものね」

―これまでの交際は?
石立「ほとんど映画か芝居を見るだけ。彼女はボクがアパートに引っ越し
てきたとき手伝ってくれたし、男の一人暮しでしょう。朝、たまにだけど
ふらっとやって来て掃除をする事くらいはしてくれます」
―プレゼントの交換なんかは?
石立「ボクは貧乏だからね。彼女の4月18日の誕生日にも、何もしてあげら
れなかった。舞台から“芝居”をプレゼントしました。ボクがプレゼント
できるのはハートだけだなア。キザかな・・・」
―実子さんからあなたには?
石立「町歩いててね。それ、汚いわよって靴下を買ってくれたのが最初。
気が強そうに見えるのは映画のイメージで、彼女は、かわいい、やさしい
思いやりのある女性なんです。さりげなく『タバコの本数が多すぎる
んじゃない?』などど、注意してくれる・・・」

―それで、これからは?
石立「どうして、ご両親にわかっていただくか―です。祝福される結婚
でありたいから。ボクは真剣なんですよ。3年がかりで育てあげてきた
気持ちですからね。7月の末、『欲望という名の電車』の公演が終る頃
ちゃんと人をたて、形式をふんで、改めてお願いにあがりたいと思ってい
ます。どっちかというと、オレの方が惚れてんな。一生懸命ですよ」
(女性セブン1966年5/11日号より)
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2010年01月23日

22歳の頃その3


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『新劇界のホープ石立鉄男に注目!』
2月15日から、石坂洋次郎原作の青春ドラマ「光る海」(TBS)が
スタートする。

ある大学の英文科学生野坂孝雄は、クラスでビリを争う男だが、その
ぼうようとした性格から、女学生の間でたいへんなモテようで・・・

この孝雄に扮するのは文学座の研究生石立鉄男。新劇界のホープで
あると同時に、映画界からも注目される有望株だ。「仇討」では
錦之助の相手をつとめ、石原プロの新作「城取り」では裕次郎と共演。

芸術家肌で、思ったことをズバズバ言うが、“そこがまた彼のいい
とこ”で、支持者も多い。

今度の役については
「こういうドラマはあまり好きじゃないが、引き受けた以上は
責任持ってやります」
(週刊女性1965年2月10日号より)

『石立鉄男の初舞台』
石立鉄男が舞台に立っているといわれ
「アラ、“光る海”なんかに出てるテレビタレントの石立が・・・」
なんて言ったら、石立が気の毒である。

映画やテレビに出るのは、いわばアルバイトであって、本職は
れっきとした文学座の劇団員なのである。

五、六月に地方公演、七月に都市センターホールで公演した英国の
劇作家ロバート・ボルトーの「花咲くチェリー」で初舞台を踏んだ。

彼の役は、北村和夫、北城真紀子を父母にもつハイティーンで
ジーパンに緑色のシャツというスタイルで、大活躍。
特に好評だったのは、身体の動きが早いこと。女の子を追いかけて
柵を飛び越えたり、母親に叱られる場面で通り抜けられそうにもな
いソファの後ろを、ススーッと通り抜けたり、舞台の上手から下手
へ目にもとまらぬようなスピードでひとっ飛び。

「それでなくとも、近頃少し太り始めてきて、きになってしょうが
ないのに、石立のような若い男がツバメのように飛び回るのだから
しゃくにさわるね」
と、共演の北村和夫はうらめしそう。

当の石立は、中学、高校時代を通して、ずうっとバスケット部にいた
そうで、身の軽いのも道理というものだが、それにしても新劇俳優が
ただ運動選手か、かるわざ師のように、身軽に舞台の上を駆け回ると
いう批評、考えてみれば奇妙なほめ方である。
{週刊女性1965年より)

※「芸術家肌で思ったことをズバズバ言う」「好評だったのは身体の
動きが早いこと」、どちらも後年の鉄ちゃんにも当てはまる話ですね。
作家は第一作に全てが現れると言いますが、役者もデビュー間もない
時代に、様々なものが凝縮されているのかもしれません。
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2009年11月11日

こんな記事でも(笑)

今日、11月11日は大場十一先生の誕生日ですが
それとは全く関係ないインタビュー記事です(笑)

1986年(昭和61)7月「ダンスファン」(8月号)より


kurata18b

―「パパ合格ママは失格」にはダンスシーンがあり、ダンスファンの
楽しみの一つなんですが、エピソードや苦労話しをお聞かせ下さい。
「ダンスの経験は全くなく、何しろこの役を引き受けた時、大変
ビックリしました。でもやってみると大変楽しいですネ」

―好きなダンスは何ですか。タンゴなどは個性的な石立さんに
ピッタリだと思いますが。
「そうですネ。タンゴよりワルツの方が、何となく抵抗なく音楽が
入ってくるような気がします。先生はワルツよりタンゴの方が易しい
と言います。タンゴは音楽の切れみたいなものがあるから、誤魔化し
ようがないと思いますね。ですから足の部分などは、プロのダンサー
が踊っています。上手く誤魔化してるでしょう。ハハハ・・・」

―ダンスの練習などは時々やっているのですか?
「やっておりません。行けば楽しいしやってみたいと思うのですが
行くまでが大変です。教室の人はみんな親切だからネ」

―ラテンなども踊るのですか?
「いえいえ、ないですヨ。無理ですヨ」

―機会があったら是非やってみて下さい。
「稽古ごとは、やっぱり基礎をやってないと駄目だということは
ボクは知ってますから。この仕事はいきなり決ったものですからネ。
撮影の2週間前に教室へ行き動きました」

―初めてのわりにはポーズが決ってますネ。カッコいいですヨ。
「決ったポーズだけ使っているのです。ハハハ・・・」

―忙しいから、定期的に定期的にレッスンするのは大変ですネ
「いやいやそうじゃなくて、興味の問題だと思います。興味が
出てくれば、どんなに忙しくても練習に行きますヨ。興味を持つ
までのキッカケが大切なのですヨ」

―そうですか
「新しい役がきて、新しい職業が決るたびに、その職業に興味を
持ったり勉強するわけです。それを全部受け入れていると、大変
なことになります。何千種類の職業があるわけですから。医者、
音楽関係、それなりに知っていると面白いし、また傍目で見るより
難しいですからネ」
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2009年10月19日

思い出綴り


ukyo23b

「山あり谷あり」第3回

私がデビューしたのが石立鉄男さんの主演ドラマ「パパと呼ばないで」
(72年)。石立さんは2年前に亡くなられましたが、思い出すたびに
すごい俳優さんだったと痛感します。

新劇出身(文学座)で、演技に厳しく、常に新しい表現を模索していた
方でした。それだけに当時7歳の私のような子役相手は不本意だったよ
うです。「子供と動物を出せがウケると思ってる」みたいな言い方をさ
れていて、子供心に「私、動物にされちゃった」と思ったものです(笑)

それでも私をきちんとした役者に育てようとしてくださった。子役という
ので周囲にちやほやされ、いい気になっていた私に石立さんが「それでは
ダメ」と。劇中で私が石立さんを「パパ」と呼ぶ、単純なセリフひとつに
も厳しい指導がある一方、スタジオから一歩外に出ると「パパ」と呼ばせ
ないのです。「ちゃんと『石立さん』と呼びなさい」って。石立さんも私
を役名の「チー坊」ではなく、「かおるさん」と名前で呼んでいました。
「役はあくまで俳優として演じているもの」で、子供の私にそういうプロ
意識を芽生えさせようとしていたわけです。

それはもう、本当に厳しかった。でも、おかげで私は「ちやほやされる
現場ばかりじゃない」という現実を知り、のちにそういう現場に遭遇し
ても動揺することがなくて済んだのです。

そんな石立さんですから、当時、番宣(番組宣伝)とかバラエティー番組
への出演は拒否していました。俳優のイメージを損ねかねないというのが
理由で、私にも「出るな」とおっしゃっていた。ところが、私が今のよ
うにバラエティーの世界に行くきっかけをつくってくださったのは誰あろう
実は石立さんなのです。

10年ほど前、石立さんが「踊る!さんま御殿!!」の正月特番に出ることに
なり、「恥かしいから一緒に出てくれ」と頼まれたんです。「(バラエティ
出演を)あんなに嫌がっていたのに」と私が驚くと、「インターネットとか
ある今、もうカリスマ性とか言ってる時代じゃないんだ」とおっしゃってま
した。

で、私も助っ人出演させてもらうと、私の喋りが面白いとかで、(明石家)
さんまさんに「準レギュラーに」と誘われたのが今に繋がっているのです。

※日刊ゲンダイより
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2009年04月29日

43歳のある日


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「もう一生やるまいと思っていたんですよ」
石立鉄男が、そう決心していたミュージカルに再び挑戦している。
パルコ/オフィス・トゥーワン製作の「カサノバ‘85」(作、作詞
演出=福田陽一郎、音楽=三木たかし)で、5月2日から22日まで
東京・渋谷の西武劇場で上演される。

もじゃもじゃの髪に、まばらな口ひげ。独特の二枚目半的な魅力で
茶の間の人気を得ている石立だが、新劇青年だった事は意外と知ら
れていない。しかも俳優座養成所13期生、文学座研究生から文学座へ
という新劇のエリートだった。その人がなぜ変身?

「ニューヨークを旅してきて、俳優に対する考え方が変わってしまいま
した。スター・イコール・オールマイティー。テレビに出ようが、映画に
出ようが、舞台に出ようが、何をやっても涙するのが俳優だ、とね。
日本には、三つとも出来る人がいないんですね」

帰国直後、直ちに劇団をやめた。“スター・イコール・オールマイティー”
を目指すため。28歳の時だった。

退団後はテレビや映画で活躍する一方、舞台でも印象を残した。
二ール・サイモンの「おかしな二人」の繊細にして軽妙な演技は
“三つともできる俳優”であることを証明した。そんな舞台歴の中に
昭和47年のミュージカル「スイート・チャリティー」がある。

「歌が一曲しかないことを知って出たんですけど、それにしても
ひどい歌でした」
ブランコに乗ってラブソングを歌う場面で、歌いながらまさしく
「足が地につかない感じ」だった。それ以後、“スター・イコール
オールマイティー”の中から、ミュージカルを除外していた。

「今回は福田さんの演出に共鳴して、出ることに決めました。作品を
読んでではありません。『スイート・チャリティー』の時に、かつら
をかぶって外人を演じてもしようがない、と痛感しました。ところが
『おかしな二人』で受けた福田さんの演出が、実に自然だったんですね」

福田氏のくどき文句は「歌と言っても、詩の朗読のようなものでいい」
これについ乗せられて出演を承知したら、コーラスも含めて8曲もあった。
その上、ダンスもたっぷりとある。

「この年(43歳)で踊りもやるんですからねえ。歌と言ったって、我々
の世代はリズムが取れないので、全く自信はありません。福田さんに
だまされた感じがしますねえ」

「カサノバ‘85」は、18世紀を自由奔放に生きたカサノバが20世紀
のニューヨークに現れ、永遠の女性ヘンリエッタをめぐって、現代人と
恋の三角関係―というコメディー。
福田氏は「まさに石立にぴったりの役」と言う。

「カサノバは女たらし、というイメージで見られていますが、単なる
女たらしではありません。女に会いたい為に詐欺もし、学問もする。
その情熱がすごい。自由に生き、愛のためには全てを捨てられる。
自分の私生活を含めて、そう願望しておりますので、実にいい役だと
思いますね。上演時間内だけでも、観客に良かった、と思われるように
やりたいですね」
(昭和60年4月17日読売新聞)
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2009年04月15日

考える青春


tetsu34

インタビューが始まって間もなく、彼は封筒を取り出した。
「文学座の“友絵の鼓”という芝居、面白いですよ。切符いかがですか?」
まさか「いらない」とも言えない。まんまと一枚買わされた。
「どうも・・・悪いなあ」
頼もしき演劇青年である。トックリのセーターに洗いざらしのGパン。
一日に「しんせい」を60本から70本は吸う。
タバコについては、こんな話がある。
今井正監督の「仇討」に出演したとき、「いこい」党の今井監督が
「しんせい」君に言ったそうだ。
「タバコは安いほうがいいですよ。本当に吸いたいのは、一日に
5、6本ですからね」

横須賀の産。高校時代バスケットの選手。
「申し訳ないみたいだけど、ぼくは遊び半分で俳優座養成所へ
入っちゃったんです」
そこで、いちばん驚いたのは、若い男性と女性があんなにフランクに
付き合えるのかということ。雲の上の散歩みたいに、ふわふわと
楽しい俳優修行だった。

昭和38年、フジテレビの芸術祭参加作品「夏」の主役に起用された。
共演は吉村実子。
ロケの合い間に、彼と彼女は海釣りに出かけた。結果は、海辺育ちの
彼には一匹も釣れず、吉村実子にはワンサと魚がかかった。
「千葉の魚はオスばっかりだ。畜生!」
「負け惜しみ言ってるワ」
吉村実子は、カンラカラカラと笑ったそうな。
閑話休題。
このコンビは新鮮だった。「夏」はその年の奨励賞を受賞した。

石立鉄男の家は養鶏家。約一万羽がコケコッコとやっている。
「自由化で、外国から安い肉がワンサと入って来るでしょう。
ぜんぜんダメなんですよ」
家業の台所を通じて、彼は日本経済の危機を考えこんじゃう。
「日本は本当に独立国なのかな」
俳優は芝居だけをやっていればいいという時代もあった。今は違う。
彼は、俳優である前に、一人の日本人だから。
「選挙権を与えられたんですからね」

「夏」以来、彼は売れっ子になった。石立、吉村コンビは、NHKテレビ
の「ふりむけばマリー」でも共演した。
さわやかな作品であった。その作品にふさわしく、石立、吉村二人の
付き合いも、まことに明るく、カラッとしたもの。しかし日本の
週刊誌屋さんは、ほっとかない。
「ぼくはまだ22歳、結婚なんて、まだまだ5年も6年も先のことですよ。
そして、相手だって誰だかわからない」
ジャーナリズムはよっぽどヒマなんでしょうか。それともそれを求める
読者が悪いんだろうか。やんわりと批判もする。

「“花咲くチェリー”という舞台で、はじめて本公演の役がついたん
です。恋愛ごっこなんか、していられません。テレビや映画でいくら
売れっ子になっても、ぼくにとって故郷とも言うべき舞台で失敗したら
何にもならないもの」
“花咲くチェリー”の切符は、勧められるまでもなく買うつもりだ。

いつだったか、石立クンと一緒に街を歩いたことがある。パチンコ屋
のそばで、彼はこんなことを言った。
「チンジャラジャラいう、パチンコの音を聞いていると、うれしく
なっちゃう。生きてる証拠ですもんね」
パチンコの音に喜びを感じる青年。新しい俳優の誕生である。甘いと
言われればそれまでだが・・・。
(1965年4月)

パチンコ屋の音に生きる喜びを感じるくらい、繊細な感受性も持ち
周囲の出来事を、真面目に考えている青年だったんですね(笑)
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2009年04月14日

恋愛模様


tetsu33

「あなたに好きな女性がいたら、こんな時どうしますか?」

―旅行のおみやげは?
「その女性の一番欲しがってる物は何かを考えて選びます。
たとえばアクセサリー」
―友達といる時、彼女にバッタリ会ったら?
「ぼくの仲間はザックバランだから、「あ、行って来いよ」と
言ってくれるでしょう」
―婦人服売場へ同行を頼まれたら?
「下着と言われたら困るけど、婦人服なら行きますよ。
頼まれればアドバイスもします」
―デートの別れぎわにはどんな態度を?
「デレデレした別れなんて嫌だな。「じゃあ、また」と
あっさり別れます」
(1965年8月)

十一なら、夏代が洋服を選んでいる横で、興味無さそうに鼻でも
ほじってそうですが、鉄ちゃんがそうじゃなかたみたいですね(笑)
実際には、芝居の切符を持って来て、「見に行こう」といきなり
誘うような感じだったらしいです。かと思えば、実子さんの芝居で
気になるところがあると、「最近の仕事見てると、あそこがどうも
気になるんだ。俺が言ったといわずにさ、君からそれとなく言って
くれないか」なんて、女友達に頼んでいたようです。間接的なノロケ
話と、女友達は受け取っていたらしいけど(笑)

実子さんは女友達に、「背が高くって男性的魅力に溢れてて美男で
ちょっとひ弱な感じの中にファイトを燃やしてる男性。ことに瞳の
美しい人に弱いのよ」と言ってたそうですが、これって鉄ちゃんの
ことですよね。また実子さんとの噂が出た時、文学座の女優たちの
間には、「ああ、ふられちゃった、私より実子の方がいいんだってサ」
って半ば冗談、半ば本気で言ってる人が、一人、二人じゃなかった
とか。本当か嘘かは判りませんが(笑)

ただ、テツオ物語でも書きましたが、オフレコの約束で自分の気持ち
を素直に喋ってしまったことで、事前に相談しなかった実子さんは
もちろん怒りましたが、経済的に不安定だから反対されたという記事
により、「娘の恋愛に理解が無い」と、実子さんのお父さんが不誠実
呼ばわりされたりもしたようです。

「ジッコを愛する気持ちは変わってないし、たしかに友達以上の
気持ちを持っています。でも、僕しか知らない気持ちが、どうして
スクープになるのかな・・・何も知らないジッコを傷つけて申し訳
ないと思ってます」
記事が出た後、そう言って、しょげていたらしいです。取材側の本心
を見抜けないなんて、相当ウブで、世間知らずだったんですねぇ(笑)

でも、この出来事のダメージが、いかに大きかったか。取材は一切
受けないと決断したのを見れば、判りますよね。
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2009年04月13日

29歳のある日


kaoru70

出産予定日は5月15日。だが6日朝11時20分頃、実子さんは陣痛に
見舞われた。ただちに御茶ノ水の順天堂病院に入院。午後1時には
赤ちゃんはもう、産声を上げていた。そのとき、鉄ちゃんは調布の
大映撮影所で、「おくさまは18歳」のセット撮影中。電話連絡を受け
たものの、とうとう出産には立ち会えなかった。

とにかく男の子を熱望していた鉄ちゃん。
「男の子でなかったら、犬にでも食わしてしまえ」
実子さんに、そう言っていたほど。
生まれた赤ちゃんは男の子。2920グラム、まずは標準体重。
母子ともに退院したのは15日。翌16日、「わがゲバラ1971東京」を
上演中の渋谷ジャンジャンで、取材を受けました。

―うれしい?
「まあネ」
照れ臭そうにニヤニヤ。
そばから共演者の小山田宗徳が、「こんな顔してるけどね、すごく
嬉しそうだったよ」とひやかす。
「そりゃあ、ネ。望んでいたとおり、男の子だったしね」
本当は、飛び上がるほど嬉しいにちがいない。
半年前から、うわごとのように「男の子がほしい」と言って、生まれ
る前から名前を考えていた、というのだから。
―その名前は?
「大和、っていうんです」
―もし女の子だったら、どうするつもりだったの?
「オンナって名でも付けろって言ってたんだ」

このときまだ、大和ちゃんの顔を3回しか見ていなかった。ふいに履い
ていた舞台用のブーツを脱いで、赤ちゃんを抱えるように抱きこみ
「だいたい、こんな大きさかな・・・鼻はぼくに似てるんだ。目の
あたりは実子に似てるかナ」
だんだん“親バカ”の本性を暴露(?)し始める。
「実子の経過がちょいと良くないので、それが心配だな」
でも、大したことはないらしい。
「それにしても、自分とまったく同じ顔をした人間が生まれるなんて
気持ち悪いもんだなあ」
初めて“父親”になった青年が誰でも感じるテレ臭さい喜びを
いま味わっているのだろう。
(1971年5月)
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2009年04月11日

23歳のある日


tetsu32

4月某日。午前7時起床。市ヶ谷のアパートを出て国電に乗る。超満員の
電車に揺られることおよそ一時間。「サラリーマンの人ってたいへんだな
と思う」ひとときだ。

9時。大船撮影所に入る。テレビ木下恵介劇場「記念樹」の撮影である。
午後2時。毎日きまってこの時間になると、「舞台があるので帰らせて
いただきます」と言って、石立鉄男は撮影所を出る。

また国電に揺られ、新宿へ着くのが午後4時すぎ。
4時半。朝日生命ホール(新宿)の楽屋に入る。ここで行なわれている
文学座公演「山襞」(4月5日から22日まで)の出演時間が近い。
ベルが鳴り、幕が開く。垢じみたカスリの着物に藁ぞうり、木の枝で
作った粗末な松葉杖をついた石立は、文学座の大御所杉村春子の息子役
で出ずっぱりの大熱演だ。

終演が9時50分、記者と新宿のお茶漬け屋に入る。が、すぐには箸を取ろ
うとはしない。まずお茶を一杯。そして、しばらくボンヤリと視線の定ま
らぬ目をしたまま。
「大船で撮影の仕事が終わったあとも、一時間くらいはボンヤリしてないと
気分転換ができないんです」
そして、お茶をもう一杯、ゆっくり飲んだ。
店のママさんが
「『光る海』とても良かったわよ。うち、みんな石立さんのファンよ。
帰りにサインしていってね」
それに答えて
「うれしいです。どうも・・・」
石立は頭を下げる。

石立鉄男。昭和17年生まれの23歳。俳優座養成所では、山本圭、東野孝彦
より一期おそい13期生。同期には加藤剛がいる。39年、養成所を出ると
同時に文学座の研究生となり、今年4月25日付けで文学座の正式座員となる。
「『山襞』の本を貰った時は、たいへんなことになったと思いました。
どうにか、明日で公演も終わりそうですが、わりと好評だと聞いて
嬉しいやら、悲しいやら、そんな気持ちです」

石立の給料は、2万円〜3万円。市ヶ谷の四畳半のアパート(家賃7千円)
では、インスタントラーメンを愛用しながらの自炊暮らし。
「せめて5万円とれるようになればいいがなァ」
という気持ちはあるが、かといって、金のために神風タレントになろう
とは、さらさら思わない。
「そんなことまでするくらいなら、役者をやめたほうがいい。そして
テレビも大事にはしますが、あくまで本職の舞台で、一所懸命やりたい
と思っています。貧乏には慣れてますから」
(1966年4月)
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2009年04月10日

初めての主役


tetsu31

「青春」を四季にたとえるなら、さしずめ「夏」。
シナリオライターの山内久が演出の森川時久とじっくり話し合い
ある漁村を舞台に、一組の男女が繰り広げる「青春」そのものを
ブラウン管に映像化しようという作品。一組の男女に選ばれたのは
吉村実子と俳優座養成所の新人、石立鉄男。さて、吉村実子ははじめ
から問題なく決まったが、石立鉄男は森川ディレクターが何人かの
候補者と面通ししたあとで決まった。

「背が小さく、全体にちまちまっと、まとまってる感じで、あんまり
充実感がなかった」というのが、森川ディレクターに対する石立鉄男君
の第一印象。それが三ヶ月間、一緒に仕事をしているうちに、すっかり
森川ディレクターに感化されたそうだ。

彼と森幹太との乱闘シーン。こればかりは、そう何回もリハーサルを
繰り返すわけにはいかない。慎重な準備のすえ、本番。
相手役の森幹太は、げんこを固めて思いっきり石立鉄男を殴った。
森川ディレクターの「カット!」の声がかかると、殴った森幹太が
いかにもすまなそうに、「痛かったろう。ごめんよ」と言った。
が、カメラの横に構えた森川ディレクターの様子では、まだ快心の
出来とは言えないようだ。

彼、石立鉄男は「すいません。いまんとこもう一度お願いします」と
頼んだ。再び、げんこつを食らう。今度こそ、OKだ。森川ディレクター
が飛んできて、黙って石立君の手を握った。
「なんかこう、胸にジーンときちゃって、ぼくも森川さんの手を握った
まんま、ひとことも言えなかった。ああいうとき、言葉なんていらない
んですね」
21歳の青年は、熱っぽく言った。

「横須賀は、なにものにも感動しない街。その横須賀で、なんの感激
もなく生まれた。男ばかり5人兄弟の四男坊で、高校を卒業意すると
ほんの気まぐれから俳優座養成所を受験したんです」
養成所に入っても、千田是也の名前も知らなかった。

はじめての本読みの日。初対面の吉村実子に、ある種の先入観がない
じゃなかった。つまり、スター面してるんじゃなかろうか。俺だって
負けるもんかというファイト・・・。が、先入観はいっぺんにふっとんだ。
三ヶ月に渡って一緒に仕事をしているうちに、二人の間には単なる
共演者というより、ある種の友情が芽生えた。
吉村実子はいう。
「彼って大変な勉強家。台本にびっしり書き込みがしてあるのを見て
圧倒されちゃった」そうだ。

ロケの合い間のエピソードを紹介しよう。
撮影の合い間に、彼と彼女は釣りに出かけた。釣竿を持つのは生まれて
初めてだという彼女に、なにやかや、得意げにコーチするのは、横須賀
生まれの彼の役目。
二人は、仲良く並んで、雄大な太平洋の荒波に糸を垂らした。二時間ばか
りの間に、ダボはぜながら釣れたのは吉村実子だけ。残念ながらコーチ役
の石立君には一匹もかからなかった。
「千葉の魚って、みんなオスばかりだ!」
やけのやんぱちで、石立君は太平洋に向かって怒鳴った。吉村実子が
そのそばで笑いをかみころしていた。

10月26日、最後のアフレコのため二人はフジテレビのスタジオへ消えた。
今夜は、徹夜になるらしい。吉村実子のバスケットの仲には、夜食用の
サンドイッチが入っている。
もちろん、石立君との二人分のサンドイッチだろう。
(TVガイド1963年11月)
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2009年04月09日

22歳の言葉その2


tetsu30
写真のコピーは
「明るい演劇派」

「現代を力強く生き
 抜いて行くような
 若者を描いた作品
 をやってみたい」

注:「光る海」に出演する
前から、演劇界のホープと
して注目されてたようです。
快活な現代青年ぶりが若い
女性に人気だった訳ですが
野坂孝雄役は自分の性格と
は正反対だと言ってますね。

「こういうドラマはあまり
好きじゃないが、引き受け
た以上は責任をもってやり
ます」
てなことも言ってます(笑)

左手首の銀のブレスレット
判りますか?

お馴染みの物とは少し違いますが、この頃から付けてたんですねぇ。
別の写真ではペンダントを下げてたし、トレードマーク(?)の
両アイテムを、若い頃から着用してたんですね(笑)
(週刊平凡1965年4/22号より)

―人気者と言われて
「まったく恥かしい気がする」
―自己寸評
「おっちょこちょいです。感激家」
―1日のタバコ
「新生を70本」
―アルコール
「日本酒三合」
―着るもの
「セーター3枚、ポロシャツ2枚、背広1着」
―座右の銘
「自分の存在を確かめること」
一番困ること
「毎日の食事のおかずのこと」
(週刊女性1965年4/21号より)

注:この頃、煙草はショートピースじゃなくて、新生だったようです。
値段の安い煙草とはいえ、一日70本は多過ぎますよねぇ。実子さんに
「吸い過ぎよ」と注意されるのも、当然です(笑)
当時二人は、渋谷「とん平」や新宿「どん底」で、デートしていたとか。
「どん底」には、芝居仲間もよく通っていたそうです。映画「ぜったい
多数」にも出てきますが、今も新宿にありますね。
Posted by tetsumania at 00:07  |Comments(5)TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月08日

22歳の言葉


tetsu29

※文中の「注」は、感想として書き加えたものです。

「どうして、そんなに固い名前を」と、よく人から聞かれる。
昭和17年、戦勝ムードの軍港横須賀に生まれ、軍需物資として、何よりも
鉄が貴重だった頃の命名、ということで聞いた人に納得してもらっている。
(注:名前が気になる人は、たくさんいたんですね。何度も聞かれて
ウンザリって感じ・笑)

中学、高校時代は、ごく平凡な生徒、と本人は言う。
「はじめは大学へ行くつもり。でも出来が悪いので進学は諦めました」
ほんの出来心で受けた俳優座養成所に合格。養成所では最年少の18歳。
「男と女が、共に勉強したり、自由に討論したりが新鮮だったんです」
入ってからだんだん、ここでの生活に魅力を感じるようになった。
「色気が出てからの、男女共学は初めてだったので」
(注:この類のことを、繰り返し話してるところを見ると、女の子と
席を並べての授業に、相当大きな衝撃を受けたんですね。純情だ・笑)

養成所時代の昭和37年、不良少年のイメージを求めていた局にスカウト
され、フジテレビ「愛情の系譜」でデビュー。
「学生時代、横須賀でヨタッていた経験でも買われたんじゃないですか」
けろりと言ったあとで、バツの悪そうな顔をした。
戦後の横須賀は基地の街。子供心にも、何か侮辱されたような気がして
メチャクチャに暴れた。言いにくそうにポツポツ語る。
(注:そういえば、具体的にどう暴れていたかを、語ることはなかった
ですねぇ。恥かしかったのかも・笑)

初めてのテレビ出演に続いて、「まごころ」「夏」に出演。
「その時接した、森川時久ディレクターから、大きな影響を与えられました。
ひと口で言うと、人間的な暖か味を知ったということです」
(注:人間的な暖か味・・・鉄ちゃんドラマの根幹をなすものは、様々な
人との出会いに、その源流があったのかもしれないですね)

昭和39年3月、俳優座養成所を卒業。卒業公演の「お気に召すまま」が
目にとまり、4月に文学座に入る。
「ちょうど、文学座の分裂で、劇団「雲」へ中堅どころが行ったあと
ですから」
機を見るに敏、というわけだろう。去年11月、NHK「ふりむくなマリー」に
出演して、にわかに脚光を浴び始めた。出演者は吉村実子と二人だけ。
日本で生まれた混血児の役を、見事にやってのけた。

最近、ある女性週刊誌に、吉村実子との噂が載った。
彼は頬を赤らめて否定。
「嫁入り前の娘さんが、ありもしない噂で迷惑するといけませんから」
きっぱり言って、あとは口を閉ざした。
顔は現代的だが、考え方は意外と古くさい、と自分で言う。「嫁入り前」
という表現も、自然と出てくるのかもしれない。
(注:この頃既に、実子さんと親密な交際をしていました。まだ周囲に
話してなかったから、否定する発言をしたのかもしれません)

「美しいものとして、女に憧れるほう。これからも女には悩まされ
そうです。30までは」
「今は言いたいこと言ってるけど、25になったらそう下手なことも
言えませんから」
いやにハッキリ年齢のケジメをつける。
女性関係にしても、モヤモヤしたのは苦手。
(注:ドラマでは、自分の気持ちを素直に言えない役が多かったけれど
実際の鉄ちゃんは、好きになったら、好きだ!と、自分の気持ちを正面
からぶつけるタイプだったようですね。好き嫌いが激しかったのも、自分
の気持ちに正直に生きた結果だったのでしょう。
別居後、実子さんに一度も会わなかったのは、モヤモヤした関係が苦手
だったことと、関係があるんでしょうかねぇ)

「光る海」で現代青年ぶりを見せているが、この役は、自分の性格とは
正反対だと言う。ただし、ビートルズ風の独特のヘアスタイルは、彼自身
の好みなのだそうだ。服装には頓着しない。
「これでも、前より綺麗になったんです」
というスタイルは、コールテンの上着に、折り目のハッキリしないズボン。
古びたダスターコート(注:6年間洗濯してなかったそうです)といった調子。
以前は、靴にしろ服にしろ、一着をダメになるまで着た。
最近は、「結局そういうのはソン」と、方針を変えた。

趣味は学生時代バスケットボールの選手だった以外、あまり自分でも思い
当たるものがない。しばらく考えてから
「カメラが好きになりそうです」と言った。
まだいじったことはないが、性格からおして、そうなるはず、という。
(注:小早川薫、大場十一の原点がここに!(笑)
まさか、実際にカメラマン役をするとは、思ってなかったでしょうけど)

「責任あるドラマとは、希望を与えるものでなければいけない」
と、こわいほど、真面目にそう言った。
(注:若干22歳にもかかわらず、とてもしっかりした考えを持っていた
のですね。この考えは、ずっと変わらなかったようで、表現の仕方は
違っていても、似たようなことを、機会あるごとに言ってましたね)

「週刊平凡」(1965年3/18号より)
Posted by tetsumania at 00:01  |Comments(6)TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月07日

続・22歳の頃


tetsu28文学座から程近い、左門町の
バス停前を歩いているところ
です。左手に下げているのが
お膳の写真にチラッと写って
いた黒眼鏡風サングラスです。
この頃からサングラスしてた
んですね。相馬課長が決まっ
てたのも当然かも(笑)

左手に抱えている大判封筒には
文学座、石立鉄男様と書いて
あります。ドラマの台本かも
しれませんね。だけど、自分
の名前入りの物を持っている
姿も、貴重で珍しい(笑)

で、着ているTシャツですが
これって、「駅」で着ていた
Tシャツみたいですね。自前の洋服で出演したのかな??
ちなみに、足元はサンダルです。トリミングしたので写ってませんが
隣りには劇団仲間が3人、並んで歩いています。屈託の無い無邪気な
笑顔は、仲間と一緒だったからかもしれません。

それにしても、改めて言うのも何ですが、イケメンですよねぇ(笑)
どっかの番組で、イイ男ベストテンに入ったのも頷けます。

ただ、周囲が自分を一つのタイプにはめこんで見ることにへの反撥も
かなりあったようです。コメディーにのめり込んだのも、モジャモジャ
にしたのも、ニヒルな相馬課長を演じたのも、自分を一つのイメージで
しか見ないことへの反撥心、だったのかもしれませんね。

ところで、昨日書き忘れたことを少々。ヤカンが乗った電熱器の左横に
あるのは、三省堂の国語辞書みたいです。芝居の台詞にある、判らない
言葉を調べてたんでしょうか。それと、お膳に置かれたペン立て代わり
のピース缶、その中に絵筆が何本も入っています。舞台装置作りの手伝い
でもしてたのか、はたまた、模様替えしようと部屋の壁でも塗ってたのか
どうなんでしょうねぇ(笑)
Posted by tetsumania at 00:01  |Comments(4)TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする