2009年06月19日

「脳死は人の死」ですか?

A案が可決されました。
ずっとこの行方を、見てきました。

ダウン症の子は、心臓に合併症を持っているお子さんも多く、モコも心疾患があるので、病児の母として、臓器移植を待ち望んでいるご家族の事も、色んな形で知る機会があります。
お気持ちも、痛い程、感じてきました。

もしモコが同じ立場だったら、国内で臓器移植の道が拓かれる事に、安堵するでしょう。

でも逆に、脳死を判定された立場だったら‥


ごめんなさい。



これをここで書くのは、裏切りにも、感じるかもしれません。



ごめんなさい。




私は、「脳死は人の死」と一律に断言された言葉に、引き裂かられる思いです。
家族が同意しなければ、治療は続けられますが‥。


愛する我が子が、脳死という判定を受けた、


髪も爪も伸びる
感じる体温

奇跡だって、信じたいと思う。


死んでいる と、‥思えますか?


臓器だけでも、誰かの体の中で生きてほしい。
そう思える自信は、今はないです。



待つ命も、
‥待たれる命も、


みんな、精一杯、生きてる。


一つ一つの命が、
たくさん愛されてる、



“尊い命”です‥。








■さまざな立場で、さまざな思いを抱き、頑張ってる命があります。愛されてる命があります。支えている家族がいます。⇒障がい児育児ブログランキング
■お友達が沢山います♪⇒ダウン症候群ブログランキング
Posted by かんたろう at 09:26  |Comments(9) | モコはダウン症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
”尊い命”
まさしくその一語に尽きると思います。

命は当人のものです。
いくら脳死と判定されても、
周りのひと、親でさえも
それを 断つ 判断はしてはならない
と思います。

複雑の想いの中にも、
凛とした姿勢を見せることは、
子を産んだ母の使命ではないでしょうか。

Posted by きょうか at 2009年06月19日 09:41
ご無沙汰しています。
法案が通って、びっくりしました。
でも、これは選択肢が増えた…という風に、受け止めようと思います。
私は、ドナーカード、持ってます。
臓器移植は、信念を持って「しません。」に○をしています。

私の臓器、夫の臓器。私の子どもたちの臓器で救われる命があるかもしれない。
でも、私はまだ温かいぬくもりがある夫や娘から
臓器を抜き取られることに、耐えることが出来ません。


もちろん、それが夫や娘たちの意志なら、尊重しなくてはいけないと思っています。

私自身は、脳死状態での延命処置は拒否し、その状態での臓器移植はしない。
そういう選択もあっていいんじゃないかと、思っています。

Posted by ウルトラママ at 2009年06月19日 14:35
私が学生のころまだ脳死臨調の答申がでて前の法案が通るかどうかという時期でした。
生命倫理にかかわるゼミにも顔を出していろいろ考えてきましたがやはり現段階で脳死を人の死とするのは無理があるのではないか?と思っています。
というのは、前提として脳がすべての生命活動を支配すると考えられているのですがそれがまだ現時点では定説というところを出ないこと。
現時点での脳死は「いずれ不可逆的に死に至るので死とみなしてよい」ということなんですよね。
でも、すべての人が不可逆的に死に向かっているのに。
そこには意識活動のないもの=死、つまりは意識的に活動して生産性があるものが生という意識が見え隠れします。
つまりは利益をもたらすもの以外は生と認められない。出生前診断ともつながりますね。
障害者運動もしていましたので障害者の側からは認められない考え方でした。
だから脳死を死とみなすことはできないと思っています。
実際臓器移植された側に提供者の生前の意識が伝わっているという例もあるらしく果たして脳だけが意識活動を行っているかどうかということすら疑問ではあります。
今回の法案に関しては待つ方の子供への利益ということもありますが、社会保障費抑制のためという側面が強いような気がします。
脳死が死と認められれば基本的に脳死以上の延命措置はいずれ受けられなくなるでしょう。あまり大っぴらにされませんが財政的な面というのが強いのではないでしょうか。

ただ自分自身に関して言えば十分に幸せな人生を送ってきた自負もあり不可逆的に死に至る状態であれば臓器を役立ててもらいたいという強い思いがありドナーカードにはすべて提供に丸を付けております。
矛盾ですね。
Posted by どぉやん at 2009年06月19日 15:22
今回のことに限らず、重い心臓病の子が海外に手術を受けるために、多額の資金が必要だと募金を集めているのを目にするたびに、複雑な気持ちになっていました。
私も病児の母ですから、気持ちは痛いほどわかる。

でも、手術の成功は、誰かの死を意味することなのよね。
だから、誰かの死を待つために、たくさんのお金を集めるお手伝いをしたり、またそのお願いを友人の携帯メールにまで送ったりすることは私にはどうしても違和感がありできませんでした。
自分が募金することはあるけれど。

そのお金があったら、アフリカで何人の子供が助かる?

そんな風に考え出したら、簡単に答えは見つからない・・・命の問題は難しい問題です。
でも、難しいからといって、考えるのをやめたくはない。
想像力をフル回転して、考えないといけないね。
そして次に投票するときは自分たちの代表にふさわしい人もよく選ばなければね・・・
Posted by まちゃみ at 2009年06月19日 17:43
私のおばちゃんもある日突然事故に遭い脳死状態今は認知症なんです。おばちゃんは、子供が結婚したこともおっちゃんが先に旅だったのも知りません
おばちゃんが、なるまえに私にこう言ったの
当たり前の事は世の中に一つとしてない私たちは、生きているのではなく生かされているんだ。貴方だって両親がいなければ生まれてきてないんよって…。おばちゃん言った数日後今の状態になった
どの命も大切な命でないかなと思います。かんちゃんさん心痛めませんように
Posted by 僕とともに at 2009年06月19日 21:58
こんばんわ。ほのかあさんと申します。
私の娘のほのさんは、長期脳死と呼ばれる子です。
ほのさんに付いている人工呼吸器は延命のためではなく、
ほのさんの肺の一部であり、
無理矢理生かされているのではなく、
ほのさんは、ほのさんの意志で生きています。

本来、どの立場の人がどうとか、どのいのちが尊いとか、
そういう議論になること自体、何かが違います。

助かるいのちも、助からないいのちも、
治る命も、治らないいのちも、
同じくみな、尊い。

でも、「臓器移植ありき」の法案で、しかも人の生死を強引にもその中で取り決めてしまうことのおかしさには、どうしても納得がいきません。

それに、この法案が参議院でも可決されたとしても、はたしてどれだけの移植が増えるでしょうか。自分の意思を示す人が増えるでしょうか。結局、絵に描いた餅で、臓器移植を本当に待っている患者ご家族を落胆させることにならなければいいですけど…。
Posted by ほのかあさん at 2009年06月20日 00:21
「脳死=人の死」でよい。と長年思っています。
長年と言っても20年ぐらい前、学生だったころゼミで取り上げた内容で自分なりにそう結論を出しただけで、それ以来そんなにまじめに考えたことはありません。
 絶対に意識が元に戻らないということが脳死であり、その場合は死としてもいいんじゃないかと思います。(いや、正確にはそう思っていました。どぉやんさんのコメントを見て自分の考えが間違っているかなとも思っています)
 でも、絶対戻らないなんてことは誰にもわからないし、医者だって間違えることはある。現在の脳死判定ってどうやってるのかは知りませんけど。
 当事者、家族が、死んでいないと思うのであれば、たとえ脳死状態でも脳死ではないので死ではないという考えです。
 脳死状態=脳死ではないと思っています。
 単なる屁理屈かもしれませんが、幼稚な理屈かなとも思いますが、合理的な考えじゃないかと思います。
 つまり、当事者が事情に合わせて生死を選択できることになったのでよいことではないかと。
 甘いか?
 
 

Posted by 祭輝とうさん at 2009年06月20日 06:21
ごぶさた?
これは難しい議題だよね。
法治国家ゆえに仕方ないのかもしれないが、それでも宗教学・倫理学・哲学の見地で人の死という位置付けを議論してほしかった。それもなしにただ国会議員の価値観だけで決めるのは腑に落ちない。
人が死んで灰になっても、ほかの人の心に生きているなら死んでない、そういう人もいるもんね
Posted by SOH at 2009年06月20日 20:43
その気持ちはわかるよ。子供授かった親なら。みんなわかってるから。脳死と言われて、はい、なんて言えないよ。そのあとじっくり考えればいい。あなたは優しい人なんだね。自分の子供の事わかりながら他の人の事考えている。だから悩んじゃってるだね。。脳死判定が納得出来ないなら私はあなたの考えに納得するよ。この子は生きてるよ。いつか目を覚ますよ。自分に自信をもって。私は奇跡はあると思います。この子の生きたいと思う気持ちにかけようよ。大変かもしれないけど頑張ろうね。
Posted by のり at 2010年02月03日 03:37
 
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
※半角英数字のみのコメントは投稿できません。