2012年02月23日

2月ももう終わり・・・

猫の日も終わり、今日は/^o^\フッジサーンの日だそうです
で、毎月晦日は「そばの日」訳ですが、今年の今月の晦日は2
月29日、つまり「にんにくの日」。
つまり今月末は「にんにくそば」を食べろってことですな。
まあ、何?「ラーメン花月」?[^^:]

あそうそう。
風邪の方は、あと咳少々を残すのみとなりました。
走ると息切れする程度にはダメージが残っていますが、まあ、とにかく日常の基本動作には影響の無い所まで来ました、

ああ、ねむい、こんな時間なのに眠いのはきっと健康的な事なので、とっとと寝ます。お休みなさいませ。

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2011年01月16日

今更ながら

今年の9月からこれまでの使い捨てライターが販売禁止となるらしい。

今更ながら、チャッカマンは規制しなくて良いものなのだろうかと思東海さんのHPってを見たものの、使い捨てライターの安全基準についての記述は見つけられず、諦めかけた所で「ストッバー」の存在に気付いた。

これがある事で一応、CR機能は備えているという解釈になるだろうか。
しかし、仕組みは簡単で、かなり小さい子供でも容易に解除出来るこのストッパーは、この機能を使いこなせるかどうかの年頃の用事にとっては、丁度良い難易度のパズルとも考えられる。
子供の火遊びによる火事で道具の製造責任が問われるのは、子供の気を引く柄にするなどの場合に限られていると思うが、これまでにチャッカマンによる火遊び事故が無かったとは思えない。

ただし、全体に占める割合は少ない筈だ。
いかんせん「100円ライター」とは物量が違うし、主な用途がガスコンロの点火やアウトドアレジャー・花火などで、必然的に使用時以外は「子供の手の届かないところ」に置かれる事が多い。
子供の背丈程度の高さのテーブルに灰皿とタバコ、更に放置されたライターがある状況とは違うと言える。

しかし、ライターの製造大手としては、やはりこの件についてのコメントを入れておいて欲しかった。

ただ、私自身は、マッチでヤグラを組む様な物騒な遊びをした世代なので、むしろ子供の内に火の取り扱いを覚えないと、大人になってからでは却って危険が多い様にも思う。
かといって、よもや子供の火遊びを推奨したりはしないけれど。

悩ましいが、ともあれ、今回の規制については賛成する。
一方で、子供たちに火を取り扱う事の怖さと大切さを充分に教える事に賛成し、新しいライターが安全だからと言って安易に放置する事に反対する。

事故防止は、道具の向上と意識の向上と、どちらが欠けても充分な効果を見込めないからである。
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2009年05月16日

「まずは、景気だ。」

「まずは、景気だ。」でスタートした麻生政権。
その言に見合う程景気が好転したか、しかけているかどうかは見方の分かれる所だろうが、少なくとも有言は実行している。
定額給付金然り、高速道路千円然り。
その成果の如何にあらんやと問えば、結論はまだ早いと言う他あるまい。

こんな堅苦しい話をよく書いていた頃のお客様は私の立ち位置は概ねご承知と思うが、私は定額給付金には反対である。(もちろん貰うけど)
典型的なバラマキ政策で、景気浮揚策としては効果が薄い・・・いや、どう転ぶのか分からない博打政策と思う為で、基本的には不況時であればあるほど、貯蓄に回ってしまう可能性が高い。
しかし、政府に出来るのは景気を浮揚させる事ではなく、刺激する事だけだという視点に立てば、こうした話題作りは間違いなく一定以上の正当性を含んではいる。
実際に景気を浮揚させるのは、そうした刺激を利用して活動するa target=_blank href=http://www.mcdonalds.co.jp/menu/limited/kyufukin/index.html>各企業に他ならない。
旅行社なども、もちろんこの機を逃すまいと刺激を受けて新企画を打ち出しているようで、もちろんこうした施策は無意味では無い。
が、実際にはこうした企画は赤字すら覚悟で張るキャンペーンであり、ここで出来たつながりが次に繋がらなければ、単に安売り競争で終わってしまう。
旅行を初体験した子供達が旅好きになってくれたり、マクドナルドには週末に気が向くと立ち寄る人が、会社帰りに「ちょっと一杯」コーラを飲みに寄るようになってくれたりすれば成功となる。
しかも、それまで焼き鳥屋に寄っていた人がマクドナルドに鞍替えすると・・・むしろ全体の景気としては・・・
まあ、確実な施策など無い。博打もひとつの選択肢だろう。今回は割愛するが、バラマキ方式の景気刺激策にも一定の正当性はある。もちろん私は反対である。

そして昨年末決まり、今年スタートしたETC割引。
こちらの効果は比較的見えやすい。
ゴールデンウイークには、会社の業務が減って連休自体が大型だった事もあり、高速道路の近年にない大混雑。
観光地も軒並み賑わいを見せ、豚インフルエンザ騒動で逆風があったにも拘わらず、それなりに潤った様である。
しかし・・・

長いお付き合いのお客様は概ねご承知と思うが、私は景気より環境優先の立ち位置である。
今回のETC割引は大きな話題となり、ETCの受注は殺到し、生産が追い付かない状態、業界限定とは言え、確かに特需をもたらした。
その事が、近年の「車離れ」で漸く解消されていた大型連休の移動ラッシュを再発させ、ガソリン値下げも相まって燃料消費を増大させ、今後にもそれを引き摺ろうとしている。
ひょっとすると自動車業界の雇用促進に少々でも寄与する可能性はあるが・・・
甚だ残念ながら、その「少々の寄与」で上向く程、今の不況は甘くない。
私の様な環境優先の輩に言わせれば、マイ・カーは廃れ行く筋合いのものだと思うし、実際にそうなるかどうかはさておき、自動車産業の景気が少々上向いた所で、この世界規模の不景気はそう簡単にブレーキは掛からない。
今必要なのは、100年前に起きたような「産業革命」であり、その方向性は、奇しくも20世紀型重工業からの脱却・・・しかも100年遅れで経済成長しようとする国々との折り合いをつける事に求めざるを得ないと思っている。
とするならば、それは、エネルギー革命の完成に他なるまい。
「エネルギー」が「燃料」と訳される時代を終わらせる為に、その「布石(30年後の為の準備)」を打てる、そんな政治を、私は今求めたい・・・

そのために、一体誰に投票したら良いのかは、悲しいかな、私にもさっぱり判らない。
しかし、それは麻生政権では無いだろう。
高速道路の利用を業務用車でなく自家用車に優遇し、わざわざ渋滞をイベントとして盛り上げる方法を、私は支持しない。
しかし、もうひとつだけ加えさせて貰えば、麻生政権は決して「言動不一致」などでは無い。
彼は最初に、まず最初に言っている。
「まずは、景気だ。」と。


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2009年01月12日

交通事故2008

「新春恒例」と言うのか、今年も新年早々、昨年一年間の交通事故死亡者数が発表された。
記事によると事故件数・負傷者数・死亡者数共に減少している様で、まずは喜ばしい事である。

毎年この数字が発表される度、私はこの死亡者数の数字だけが大見出しで扱われ、事故件数や負傷者数・重傷者率が併記されない事に不満なのだが、今年の朝日新聞は一応載せている様だ。
尚、読売の記事には相変わらず載っていない。毎日には載っている・・・キリがないので3紙だけにしておく。

少し気になるのは、読売の記事にある「節目になったのは46年ぶりに7000人台に減少した03年。最高で懲役20年を科す危険運転致死傷罪の新設(01年)や、飲酒運転・ひき逃げの罰則強化(02年)など交通関係の法令が厳罰化された効果とみられる。」という記述で、警察庁のデータによると、「交通事故死亡者数」は、平成元年〜4年が1万1千人台、5.6.7年が1万人台、8〜12年が9千人台、13.14年が8千人台、15.16年が7千人台、17.18年が6千人台、19.20年が5千人台と順調に減っているものの、交通事故発生件数は平成4年まで60万件台だったものが5〜9年が70万件台、10.11年が80万件台だったものが、12〜17年まで、新聞記事で法改正が13年14年にあり、15年に死亡者7千人台を達成した事がその効果であるとしている時期に90万件台
を保ち、18.19年が80万件台と、漸く10年前の水準に引き戻した所で、それを地道な取締りの成果がやっと現れたと見るのはともかく、この時期を境に事態が好転したかの様に書くのは、ミスリードになりそうに思う。
ちなみに負傷者数は発生件数にほぼ沿った変化で16年がピーク、重傷者数は法改正の少し前にあたる12年がピークとなっている。
「表でだしてよ、ごちゃごちゃ書いててもわかんない」という方は、ここの2ページの表を参照されたい。

ともあれ、4年前の記事で私が「事故では無く事故を起こした後の救命の結果」としたのは、他の数字が過去最悪になっているのに死亡者数だけが減っている状況が根拠となっていて、だからこそこうしたデータは併記が必要だと思う。

さて、「交通事故死亡者数」は、ここ20年程順調に減り続けている。喜ばしい事である。
もちろん、この数字は実際には「24時間以内死亡者数」であって「30日以内死亡者数」となると、まだまだ十数パーセント増しになるので、本当はこちらの数字こそ大きく報じて欲しい所だが、ともあれ、そちらも着々と下がってはいる。

新聞記事によると「警察庁は「この1年で、飲酒やスピードの出し過ぎによる死亡事故が2〜3割減ったことと、後部座席シートベルトの着用率向上が奏功した」と分析。」とある。
警察庁のデータでも確かにシートベルトやチャイルドシートの着用率は明らかに致死率に影響しており、状況によっては着用が仇となるケースはあるにせよ、地道な着用呼び掛けが効果を上げている事は、称賛に値する。
引き合いに、昨年末の大宰府の事故を紹介しようとして「後部座席 投げ出されて」で検索したところ、男児が、姉妹が、住職が、妻が、そして父と妹が、投げ出されて死亡した記事が並んでいた。

後部座席ベルトは、もっと簡便になって欲しいと思うし、私自身もタクシーなどでの着用は殆んどする事がない。
義務づけとなって運転手から呼び掛けられればすると思うが、自分からすればきっと驚かれてしまう事だろう。
そしてきっとそういう呼び掛けを乗客にするのは、酔客を乗せる事の多いタクシー運転手には酷な要求という事になるだろう。
それだけに、いっそベンチ式シートを禁止したら良いのでは無いかという気にもなる。
いずれにしろ、運転席・助手席のシートベルト、及びチャイルドシートが一定の効果を上げている現在、この問題は大いに検討していくべき課題となるであろう。

飲酒運転や速度違反は、厳罰化の効果による減少がある一方、轢き逃げの増加によるデータの狂い、若者の自動車離れやガソリン値上げによる乗り控えの影響も加味せざるを得ない所から、何が奏効した減少なのかは読み辛い。
しかし行政がこうした違反行為・ひいては事故の減少に努力していた事はよく知っているし、現実に減少傾向にあるのだから、ここはその努力に敬意を払うべきと思う。

しかし、私は、交通事故減少の最大の特効薬は、「自動車の減少」であると思っている。
たとえば自家用車をバス・電車にシフトし、バスやタクシーを増便しても、交通量そのものが現在の1/5になったとする。
交通事故は同じく1/5になるだろうか。
違う筈だ。
私にその精密な試算は出来ないが、恐らく1/10以下に出来ると思っていい。
しかも時間に不正確な乗り物の代表格である路線バスが、恐らく大幅増便して尚、電車並の正確さで網羅される。
渋滞解消の為の道路整備も、事故防止、景観重視の道路整備にシフト出来る。
実現が出来るものなら、良い事づくめの素晴らしい特効薬である。

残念ながら、きっと多くの人はそれを望んではいない。
私も見果てぬ夢と諦めてはいる。
しかし、近年、若者の「マイカー離れ」が進んでいると聞く。
一方で高齢者の事故が増えていると言うが、その危険性も徐々に啓蒙され、1/5とは言わないまでも、もっと現実的なレベルで、少しずつ自動車保有台数、走行時間、距離などは減少に向かおうとしている様で、このデータによると、特に大幅減少は無いようだが、保有台数の伸びは確かに止まっている。
全体数が減少に転じているのは「貨物車」の減少によるもので、「乗用車」「二輪車」はむしろ増えているので、若者のマイカー離れが直接の原因では無いようだが、「乗用車」「二輪車」の伸びもいよいよ止まりつつある。
若年層が自動車をステータスでは無く交通手段と捉えるようになり、団塊の世代がいよいよ「引退」となる時、交通事情も少しは好転するのかも知れないと、実はそこに、わずかばかりの期待を抱いているのが、最近の私の道路事情に対しての展望なのである。



---訂正---
既にお気づきの方もいらっしゃいましょうが、4年前の記事で「重傷者数も過去最悪」としているのは私の事実誤認でありました。
あの段階では平成16年の数字はまだ更新されておらず、散々探して、数字の載っていない、何かの記述を根拠にした筈ですが、どこだったのか思い出せません。
前年までのデータで7万5千人〜8万人を行ったり来たりの高止まり状態ですから、参考にした記述も、その事についてのものだったのかも知れません。
何にせよ、前記事には更に追記をしておく事とします。申し訳ありませんでした。

Posted by kasakosokasakoso at 01:22  |Comments(2)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

オススメのの漢字用法

あるところで、「イチ押し」という表現を見た。
もちろん。誤用では無い。
「あるところ」を、別に限定しなくとも、この表現はそこかしこに溢れている。
しかしこの記事を読み、「誤用とまでは言わないまでも、正しいとも言えないのではあるまいか」と、気付いてしまった。
そう、この妹さんの行動には一筋の正しさがある。(ただしあまり常識的解釈とは言い難い。)
「イチ番オススメ」を縮めて「イチオシ」と言うならば、当然正解は「イチ推し」の筈だ。
実際に「イチ推し」という表現も、少なからず使われている。
私自身も、読む時は「イチ押し」を違和感無く受け入れつつも、いざ書く段になったら迷わず「イチ推し」と書いてしまいそうな気がする。

もちろん、「イチ押し」という言葉はある。
随分昔、「♪一押し二押し三に押し、押してダメでも押し破る」などというハタ迷惑な性格のロボットが大活躍するドラマがあったが、この場合は「イチ推し」ではあり得ない。
この場合の「押し」は、駆け引きの駆け(つまり馬を進めて攻撃するという事ですな)、「押しの強い性格」の押し、つまり「積極性」を意味していて、推奨を意味する事は無い。

一方で、推奨する事を意味して使われる「プッシュする」という表現は、英語表現で「押す」と「推す」が区別されていない事に基づくのではあるまいかと思い、「推す」を意味する英語を調べてみると「recommend」というのが出て来た。
「pushを使う場合もある」という表記は全く見られなかったので、これは日本で勝手にプッシュしている表現法なのだと思う。
とするならば。「押す」と「推す」の差が曖昧なのは英語よりむしろ日本語の方で、「イチ押し」と書かれていても、「あちらからこちらへ、押して差し出しているのだな」と、なんとなく納得してしまう。
また、漢字即ち中国文字には明確な違いがあっても、日本語で読みが一緒という事は・・・
もともと日本ではこの二つの概念は区別されておらず、この区別は中国から輸入されたものという気もする。

そう考えていくと、「イチ押し」「プッシュする」という「オススメする」を意味する言葉に、お客様のより良い生活の為と言うよりは、まず商品アリキのイチ押しニ押しサンに押しのセールスマン気質が透けて見える様で、それはそれでちょっと面白いと思います。
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・・・くそう、後半の「ひと段落」ネタを書くのに昨日見つけた記事が、2時間探しても見つからねえ・・・[@□@:]はあ、はあ。
いいや、コレで完成って事にしちゃえ。
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ひさしぶりの言葉ネタで、いささか消化不良な感もあるが、ここは一押し二押し、お客様よりこちらの都合でプッシュプッシュ。[ノ^^]ーO
という訳で、「いちおし」は「イチ推し」と書き、「一段落」は「いちだんらく」と読みたいものである。うむ。


Posted by kasakosokasakoso at 21:23  |Comments(2)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月13日

エデンの遷都

あるところで、「エデンはアフリカ北部のどこか」という発言を見た・・・(ああ・・・懐かしいフレーズだ・・・)
確かに見た。はっきり見た。[^^:]誰のコメントとは言わんが。
この発言は、「あながち」間違いでも無いが、しかし正しくない。

「エデン」とは、通常聖書に描かれている人類発祥の地を言う。
神は最初の人間をそこに住まわせた。
「エデンの園」を検索してみると判るが、その候補地は「アルメニアかその近辺」であって、アフリカでは無い。
しかし「あながち」間違っていないのは、
・エデン=人類発祥の地
・人類発祥の地=アフリカ
・即ち、エデン=アフリカ
という三段論法に頼る限り、この答えは正当化され得るためである。
このバカで無知なコメントを残した平べったい中年は、きっと・・・いや間違いなくその様な根拠でアフリカをエデンと呼んだのである。
しかしアルメニア説の根拠となっているのは、そこが「ユーフラテス川の源流」だからで、聖書にエデンから「ユフラテ」が流れているという記述がある以上、エデンはアフリカではあり得ない。

一方人類発祥の地については現在ではアフリカというのが定説で、今のところエチオピアがその候補に上がっている。
この両方の説を同時に採用すると、三段論法の一つ目、「エデン=人類発祥の地」という前提が崩れる事となる。
とすると、聖書の記述は、これを以ってして、「誤りであった」となるのだろうか。
しかし・・・
聖書の著者-神であるか人であるかはさておき-は、比喩的・象徴的表現を多用する傾向がある事はよく知られている。
現在では聖書を全く記述通りに解釈する人はほぼいない。
記述通りに読み取れば、地動説からして否定せざるを得ない筈だ。
しかしエデンがもし、「人類発祥」ではなく、「ヨーロッパ人発祥」の地であったとした場合。
少なくとも、聖書の「人間の著者」の、その先祖が定住していた地域を示していた場合、アルメニアが候補であっても、決して不思議な事ではない。
その前提で書かれているこの記述によれば、アダムとイブは「ウルの洪水」を生き延びた人々の「悲劇からの再出発」を象徴している事になる。
だとすればこの時エデンで歴史を刻み始めた村人は、アダムとイブの二人だけでは無かったであろう。
この時代には、ホモ=サピエンスは既に地に満ちていたと思われる。
洪水に滅ぼされ肥沃な更地となったこの地に、辿り着き、定住を試みる流入者は沢山いて当然だし、洪水を生き延びた「原住民」も皆無では無かったと考えると、平和の象徴の様に描かれがちなエデンには似つかわしくない生臭い世界をイメージせざるを得ないが、その実がどうであったのか、まさしく神のみぞ知るところである。

しかし、アダムとイブは、今や聖書を信じる人々だけの象徴では無い。
人類共通の先祖、「ミトコンドリア・イブ」と「Y染色体・アダム」はアフリカにいたらしく(もちろんこのふたりは夫婦では無い。)、人類の源流を辿るに当たって重要な存在だが聖書に描かれている伝説とは直接には関係が無い。
それでも彼らをイブ・アダムと名付けるのは、聖書が人類の起源を語るものとして最も有名だからであろう。
そしてイブ・アダムの名が象徴するものは、「人類の発祥」である。
しかし、考古学がどこまで解明しようと、「にわとりが先か卵が先か」という命題よろしく、「どこからが人類か」というのは解決不可能な命題となるだろう。
その先は解釈論の世界である。
考古学的イブには「ミトコンドリア・イブ」の他に「出アフリカ・イブ」がいる。
これはアフリカ以外のすべての地域の民族の祖先であり、つまりアフリカからユーラシアに進出したグループの一員だった女性である。
ざっと10万年くらい前らしい。
このイブが経験した世界とは、アフリカを旅立ち、新天地を、恐らく海岸沿いにエジプトからインドへと人口を増やしては溢れ返って開拓を繰り返した時代である。
当然その途中にはアルメニアがあり、その肥沃な地が、その後の縄張り争いのるつぼとなった事は想像に難くない。

その果てにヨーロッパの開拓があり、その先に聖書の想定した古代があるとすれば、確かにエデンは、人類発祥とは別に、ユフラテの流域のどこかにあって不思議は無い。
しかし人を人たらしめた神が、初めて人を誕生させた地。
それをエデンと呼ぶならば、やはりそれはアフリカに求めたい。
そこに裸の楽園があった事そのものは、今更否定する事もないと思うからである。

・・・とは言え、「エデンはアフリカ」と当たり前に断言してしまうのはいかがなものか。
どこぞのおっさんには猛省を求めたい。
[ -"-]そら。→[m_ _]mも、申し訳ありません。

Posted by kasakosokasakoso at 22:06  |Comments(0)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月15日

自由な社風を目指して

今、石屋製菓のHPを開くと、トップにお詫び広告の写真が出て来る。
今度は石屋製菓がやってしまった・・・と言うより、石屋製菓「の」が「発覚」してしまった。
隠蔽、改竄、再使用などは、石屋製菓に限らない。
もっと悪質な例はいくらでもあると思われるが、まずは石屋製菓に反省と体質改善が求められるのは当然の事である。

6ヶ月充分に保つと分かっているものが、出荷後1ヶ月で返品されて来た。
賞味期限は4ヶ月を設定している。
品質には一切の問題が無いこの状態で、全て廃棄処分してしまう事を「もったいない」と思わないとしたら、それはそれで困った精神性だろう。
今回の場合、キャンペーン限定商品だったために賞味期限を多く残して返品されたものであり、割れ・傷の様な不備も無かった。
再出荷するにしろ、賞味期限の改竄をせず、投げ売りの形をとれば、もちろん問題はないものである。
本来はキャンペーン商品は売り切れる様に作るのが望ましいだろうが、それを見誤ったのが始まりという事か。
この件自体は、「魔が指した」事について「同情の余地」はある。
より大きな問題は、バウムクーヘンやアイスクリームの方だろう。

不二家の場合もそうだったが、こうした事について「古くなったものを使用してはならない」「菌の出たものを使用してはならない」という事は会社の方針として公言しても、では「古くなってしまったらどの様な手続きで処分するのか」「菌が出たものはどの様に処理するのか」という様な事がそもそも想定されていないのは、個々の企業と言うよりも、一種国民性の様なものである。
「絶対に事故の無い様にしなければならない」「大地震が来ても壊れない様に設計する」「住民に理解を求める」事を盛んに喧伝するものの、「事故が起きたらどの様に対処するのか」といった事は想定すらされていない原発や年金の認識の甘さは、別に役人根性のせいばかりではない。

「こんな会社は廃業しなきゃダメですよ」などと言う司会者もいないとは限らないが、そんな事を言えば製造業も省庁もテレビ局も、次々に廃業しなければなるまい。

とは言え、もちろん「石屋製菓だけが悪いのではないから、石屋製菓は悪くない」などという理屈が通る訳が無い。
繰り返すが、石屋製菓に反省と体質改善が求められるのは当然の事である。

すっかり信用を落とし、苦しい再出発となるだろうが、工場長の言う・・・
「環境維持への努力」「自由にものが言える社風」「社内環境の良さ」などを是非とも実現し、今後とも責任と誇りを持った商品作りを望みたいものである。
Posted by kasakosokasakoso at 23:32  |Comments(4)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月24日

30代はキレやすいらしい

世代論で全てが語れる筈もない。
しかし世代論を無視して語れる事は、もっと少ない。

と、言う訳で、私はわりと、世代論を持ち出す方である。
「イマドキノコドモは・・・」「イマドキノオトナは・・・」でなんでもかんでも片付けてしまっては困るが、やはり人格形成に環境が影響を与える以上、時代、地域、家族構成などの要素で仕訳する事で見えてくる世代性、地域性などといったものは、確かに存在する。

終戦を20代で向かえた「大正生まれ」、10代だった「ひとけた世代」、少年だったので貧しかったという事しか覚えておらず、戦後の混乱の中でわき目も振らず働く事しか無かった「戦中生まれ」、悪名高き「団塊の世代」に、オタク世代、ゲーム世代、バブル世代にエトセトラ・・・

いつ生まれたかと言うだけで特定の個人の全人格を判断する訳には行かないが、各々が生きた時代背景の影響は、それぞれが必ず持っている筈である。

さてところで、先日朝日新聞に載った30代はキレやすい? 暴行事件が増加、10代の3倍にという記事は、警察庁の発表のまとめを受けたものらしい。

アサヒ・コムでは当該記事は期限切れになっているが、この記事の後半は

このうち、10代の逮捕・書類送検は01年上半期の1023人をピークに減少傾向が続いているが、20代以上の成人が毎年増加。とりわけ30代は03年以降、それまで年代別で最多だった10代と逆転し、10年間の増え幅も他の年代と比べて大きかった。 動機別では、全体の8割余を占めた「憤怒」の増加ぶりが(中略)「怨恨(えんこん)」などと比べて目立つ。(後略)

と続く。

この警察庁のデータは、一体何を示しているのだろう。
もちろん、元のデータはこうしたまとめを毎年行い、他の情報と組み合わせ、照らし合わせて使うのだろう。
例えば、貧困と自暴自棄を動機とする自殺や犯罪をピックアップすれば、年齢層に片寄りが見られる筈である。
今だと30代は「フリーターの定年」などとも言われ、実際に貧困層が出てきており、確かに短絡的な行動を起こしやすい可能性がある。
これを20年前の30代、20年後の30代と見比べ・・・いや、グラフなどで時系列に並べてみれば、それが時代背景を浮き上がらせ、こうした犯罪の抑止についての議論の資料となり得るかも知れない。
しかし、10代の逮捕者が減って30代が増えているのは統計的事実としても、それが一体何を示すのだろうか。
少なくとも「30代がキレやすい」という事を示してはいないだろう。

今30代と言えば、「第二次ベビーブーマー」世代であり、そのピークにあたる1973年生まれが今年の誕生日で34歳となる。
人口ピラミッドの中ほどの大きな塊が、まるごと今の30代に当たるのだから、今の30代は犯罪以外の殆んどの項目で、増加が見られる筈である。
もちろん「見合い結婚」など、母数が増えて尚減り続ける項目もあると思うが、とりあえず犯罪の「件数」が増加する事に、何の不思議も無い。
一方で10代の人口が減り続けている事は周知の事である。
また、30代が体力的に充実した大人達であるのに対して、10代の後半はともかく、前半は体力的に暴行事件など起こせない層がある他、起こしても内々に片付けられてしまう年代である。

「30代は2543人(前年同期比13%増)で、10代の782人(同6%増)の3倍に上り」とあっても、良い大人が短絡的な暴行事件を起こす事の是非はともかく、実際にこの数字が10代を大きく上回る事は至極当然と言える。

とは言え、「10年間で5倍余に増えている」のは、人口が多いと言ってもさすがに増えすぎで、ここが「キレやすさ」を示してはいそうだが、20代以上は軒並み増加しているという時代背景も無視する訳には行かないだろう。
特に40代は「団塊の世代」から「その直後の世代」へと人口が激減しているにも関わらず件数が増えているとすれば、それも大変な事ではある。

本題に戻るが、今年の30代・・・つまり昨年の30代から1967年生まれを除き、1977年生まれを加えたグループの合計数をピックアップする事で、一体何が見えてくるのかは謎である。
もちろん世代論同様、年代論が役に立つ場面もあるのだろう。
こうしたデータを必要な時に取り出せるよう「まとめ」ておくことは望ましい。
しかし、10代と30代とでどちらがキレやすいのかなどという事は強調しても無意味だし、そのテーマすらこのデータでは判らない。
折角のその「まとめ」を発表するのであれば、逮捕・書類送検者の人数はその年齢層の母数や年代別の動機の推移などを同時に示し、社会の姿などを浮き上がらせるものであって欲しいものである。
Posted by kasakosokasakoso at 00:29  |Comments(2)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

あの虫、コメツキ。

コメツキバッタを知っているだろうか。
子供の頃には、多くの方が捕まえて遊んだあの虫、人気の秘密はあの素晴らしいジャンプにある。
捕まえるとこの虫は「死んだ振り」をする。
しばらく放置すると危険が過ぎたと判断してまた動き出す訳だが、「死んだ振り」は仰向けになるため、多くの甲虫がそうであるように、体が硬い上に短足なので、そのままでは起き上がれない。
そこでこの虫は、体を大きく曲げ、それを急に戻すその勢いで、高く跳ね上がる。
その仕種と、捕まえた人間がそのままじっと見ているのに動き出してしまうおバカさ加減が可愛らしく、ついつい何度も捕まえてしまうのである。
捕まっておもちゃにされた方はたまったものでは無いだろうが、子供はそんな事は気にしない。
楽しいからついつい遊んでしまうのである。
今は亡き当時のコメツキバッタさん達、今更ながらごめんなさい。m[__]m

・・・とここまで読んで、抱く思いは色々だと思う。
・へー、そんな虫がいるのか
と素直に思う人
・そうそう、そんなのいたよね
と懐かしむ人、そして・・・
・ん?それは「コメツキムシ」の間違いじゃないの?
と疑問が浮かぶ人などがいる筈である。

そう、あれは「コメツキムシ」という虫であって、コメツキバッタは通称である。
しかし私を含む一部の人々は、あれを「コメツキバッタ」と教わり、そう呼んでいた。
図鑑で調べるなどして、本当の名前は知る事になるのだが、通称・俗称としての「コメツキバッタ」も、「バッタでは無いのは承知しているが、大きく跳ねる特徴からバッタ呼ばわりしている」と考えて片付けていた。
が、先日、とある理由(聞かないで[^^:])で検索していて、もうひとつのコメツキバッタの存在を知った。
と言うより、コメツキバッタと言えばこちらを指すのが普通である様だ。

こちらのブログでは「辞書で調べてみるとコメツキムシのことも指す」とのコメントがあって、やはりコメツキムシをコメツキバッタと呼ぶのは、ある程度の勢力(?)がある様だ。
ちなみに広辞苑には、コメツキバッタとは精霊バッタの事だとしか書いていなかった。

アブラムシという虫がちゃんといるのに油虫と呼ばれるゴキブリや、「玉虫」と呼ぶ人が時々いるダンゴムシ、複数のものを同時に指す名前というのは時々あって、ややこしくて迷惑である。
しかしどこかで誰かがした聞き違い、言い違いをもした事から始まったものが、いつしか大勢力になったのかも知れないと思うと、ちょっとロマンを感じたりもする。

もしかするとこの「コメツキバッタ」は、関東方言なのだろうか。
どの地域で、どの年代に使われているものなのか、気になる所だが、調査となると困難そうである。


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2007年07月02日

企業努力の行く末

北海道の食肉加工業者ミートホープが偽装コロッケ問題が報じられて十日余り。
どこまでが本当なのか嘘なのか、より悪質な問題が次から次に追加で報じられ、とうとう「雨水で解凍」などという、却って設備費のかかりそうな話まで出て来た。

正直なところ、偽装、水増し、先付けなど、「禁止されているコストダウン」を、実際に行っている企業は多いと思われる。
東横インの西田社長も譬えていたが、「スピード違反のようなもの」という違反行為はどの業界にもある。
「あってはならない事だが、実際には常態化していて、それをやらずに利益を出すのは困難」と言うような・・・
圧倒的多数の企業はたたけば大なり小なりホコリがでるものだろう。
ミートホープの田中社長も過当競争の中で利益を出す事の困難さに言及している。
が、ここまで来るとスピード違反どころか飲酒・・・いや、「酔っ払い運転」だろう。
コロッケ偽装も、水増しのための混入はこの会社だけでは無いのかも知れない。
しかし、牛ゼロともなるとどうだろう。
調味料で味付けだの雨水で解凍だの、そこまでしているのはさすがに・・・少なくとも多数ではあるまい。
そこまで酔っぱらった運営をしていて、よくここまで発覚しなかったものだと、逆に感心すらする。

アネハの話のにしろ東横インの話にしろ、私は過剰に価格競争をする事の害を主張しつつ、それでもルールは守るべきだというスタンスで書いていた。
今回もそれは変わらない。
多分何をテーマに書いても大体似たり寄ったりに・・・じゃなくてその基本線は変わらないであろう。うん。

現実的に、一般に「企業努力」と呼ばれるの大半は、端的に言えば「どうやって手抜きをするか」という事である。
「手抜きをする」と言えば聞こえは悪いが、およそいち労働者として働いた事のある人ならば、「仕事を覚えるとは手の抜きどころを覚える事」という考えは、全肯定は出来ないまでも、きっと通ずる所はあるだろう。
全てを誠実に確実に行えば、コストは際限無く高くなりうる。
そうなれば、話は「どこまでならば手を抜いて良いか」という倫理基準になる。
この基準が経営の重圧と責任を追っていればいるほど甘くなるのは当然で、ここまでは良し、ここからが悪し、と、明確に分かれる事は無い。
そのために実際の作業現場では日々そんな些細な小競り合いが起きているのが常である。
掃除は丁寧にすべきか、要所だけすべきか・・・など。
これが一歩踏み込むと、食品業界ならば「床に落としたものは洗えばOKか否か」など。
「床に落としたものを食べさせるなどけしからん」という向きもあるだろうが、例えば落とした魚を水洗いし、捌いて、焼く場合・・・
そう、缶詰の加熱殺菌されたイワシが、実は缶に入れる直前に床に落として水洗いしてから詰めたのだと言われて、それを嫌悪する人がどれだけいるだろうか。

手を抜けば抜くほど、当然コストは下げられる。
しかし、食中毒などの事故等に繋がる事はもちろん、アレルギーなどに配慮する目的の表示義務など、やはり守るべきルールはある。
不二家問題を主題とした記事を立てられなかったのは悔やまれる所だが、賞味期限問題にしても、事故に及んだ場合の責任を企業が確実に負い、且つ、事故の原因が確実に解明されるならば、実は賞味・消費期限の表示も絶対的な必要では無い。

それどころか賞味期限が6ヶ月、12ヶ月・・・実は半永久的に保つのに、期限を書かなくてはならないから一年と書いているだけのものでも、製造年月日から1ヶ月を過ぎると殆んど売れなくなる(同じ棚の新しい日付のものを選んで買っていく)という現実があるために、小売店の注文に応じて徹夜仕事で作ったりする一方、「製造年月日」が「製品の完成した日」である事から、ナマモノを作っておきながら常温に放置したまま、午前0時を回ると同時にラベル貼りだけを一気にして行くなどという事が横行するのである。
それを思えば「ルールよりモラルが大切」という事になろう。
しかし、モラルに線引きは出来ない。
それは、あらゆる業界の最前線にいる「ゲンバ」の、飽く無き苦悩である。

経営者ともなれば、「目先の誠実さを捨てても大局的な利益を見据える」事は必然である。
ミートホープ田中社長の経営方針は決して称賛を得るものではない。
が、同じ立場に立って、「利益ゼロの選択」を決断出来る勇者が、一体どれだけいるのだろうか。
記者会見の場で内部精通者としての正義を顕にした長男が比較的低い地位に甘んじている事を、各局はワイドショー的に取り沙汰している。
確かに、傍目にもあの場面は印象的であった。
もしも印象通りならば、彼が社長の眼鏡に適い、後継者として・・・将来社長に据わったとして、果たして安定した経営を営めるかと問われた時、田中社長が長男より三男を重用した経営判断をを正か誤かと問われた時・・・彼(長男)は甘すぎて経営者向きでは無いという判断は、当然ある。
悲しいかな彼の「当然のモラル」は、会社経営を傾かせる、大きな欠点になりかねない。
まあ、実際社長のやり方で現在傾いちゃってる訳だが

「社長方式」「長男方式」、我々はどちらを望んでいるのだろうか。
内部告発の続出、高額な安全商品の拡大。
全体としてはゆるやかに「長男方式」に向っている様には見える。
しかし到底、安全が当然の事して保証された世界には程遠い。
もちろん、消費者が品質を完全に見極めて、良いものだけを選び取るという事は不可能に近い。
しかし少なくとも、口々に安全やモラルを支持する事は出来る筈だ。
そして、せめて安全やモラルに見合うだけのコストを支払う事は、厭わないつもりで行動するのが望まれるだろう。
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2006年09月08日

殺人ではない!

「飲酒運転は殺人」という言い回しを、最近良く聞く様になった。

言わんとする所は分からないでもないが、私は個人的にそういう、「相手を傷付けるために」「相手を貶めるために」なるべく「きたないことば」「らんぼうなことば」「(時には故意に)事実と関係ない糾弾」を選んで使う事に吐気を催す様な下品さを感じるので、どうにもいこごちが悪い。

「飲酒運転は殺人」と言う以上は、この人などは「殺人罪で有罪」で10年くらい懲役刑を与えなければならない。
当然同乗者もである。
そんな事をしても、飲酒運転の重みが浸透する効果は望めまい。
逆に刑務所の存在が軽くなる心配さえある。

同じ理由で、「飲酒事故は過失ではなく故意だ」というのも苦手だ。
飲酒は故意だが、(大半の)事故は過失に決まっている。
過失だからと言う理由で故意の場合より刑が軽くなるのも当然で、「故意に殺したのに過失と同じだけしか罰せられない」となると、それはそれで困った状態である。
罰が軽すぎるのを重くしたいからといって、明らかな過失を故意だとデタラメを言っても仕方がない。

問題なのは故意犯に対する刑がもともと軽い上、それが過失だ自首だと言って軽くなって行くと、少ししか残らないという事の方だろう。
もともとの刑が重ければ今ほどの軽さにはならない。

上限が5年の業務上過失致死を更に減刑すれば、被害者側が軽いと感じるのは当然で、罪状に対して相応な量刑を求められる様にバランスを取る必要がある事は、繰り返し言われて来た事である。
この時の罰は結果に対するものであるから、敢えて故意に轢こうとしたなどという行為に対してはそれを加算する必要があるが、飲酒だからという理由の罰の加算は、轢き逃げ誘発などのデメリットも加味して考えると、必ずしも良策とは言えない。
過失による単純な業務上過失致死自体の厳罰化こそ必要で、大いにすべきと私は思っている。

故意の犯罪である飲酒運転に対しては、もちろん厳罰化が必要で、そして有効だと思う。

今朝のワイドショーで検知器つきの車についてやっていたが、こうしたものの普及はもちろん望ましい。
しかし普及に時間がかかる事は仕方がないし、始動時の替え玉や、除去フィルターなどごまかしの可能性は無くならない。

検知器つきの車が普及したとしても、いずれにしろ飲酒運転自体は犯罪として取締りらなければならない。
主に利便性の利益を目的とした故意犯罪である飲酒運転には、酒気を帯びた状態で運転席にいるのが発覚すれば、即刻免許を取り上げられ、明日からの生活に事欠くという圧力ならば、抑止効果はあると考える。
厳罰化は私も望む所だが、「殺人罪」ではなく、あくまで道路交通法内の厳罰として、免停・剥奪を当てて欲しい所である。

最後に繰り返すが「飲酒運転は殺人ではない」し、「飲酒運転による事故(の大半)は故意では無く過失である」。
「飲酒運転は(主に)利便性の利益を目的として行われる、危険物の取扱い上の安全確保を怠る犯罪」であって、「飲酒していようがいまいが、起こした事故は起こした者の責任」なのである。
Posted by kasakosokasakoso at 21:48  |Comments(6)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月03日

飲酒運転をなくすため

飲酒運転による事故がが相次いでいる。
どのくらい相次いでいるかと言えば、ここにある通りである。
2005年の交通事故死亡者数6871人のうち(記事中では「件」になっているが、警察庁の公式発表している人数と一致するので、ここでは人で扱う)一割強の707人が死亡している。
一日当たり約2名である。
それでも数年前の一日当たり約3人からは減っているが、決して珍しい事ではない。

先日福岡で追突事故が起きて以来、飲酒運転対策が声高に言われているが、重ねて言わせていただくと、一日当たり約2名である。

思い起こせば7年前に、東名高速でトラックによる事故が起きた後も大いに取りざたされ、これが事故の厳罰化に繋がった。
今回もこの盛り上がりが事故抑止の具体策に繋がってくれれば良いと期待はしているが、正直この事故だけを特別扱いする気分にはなれない。

こんなのも
こんなのも・・・こういうのは酔っていない運転者でも轢いてしまう様だが。
交通死亡事故はもちろん、飲酒運転によるものも、毎日起きていると考えておおよそ間違いない。

私自身は・・・
子供の頃から車が嫌いで、自家用車を全廃し、選りすぐられたプロフェッショナル・ドライバーだけがハンドルを握る事を許されるという世の中になったらどんなに良いかと思っているが、もちろんそれは現実的な話では無い。
だからこそ飲酒であるとなしとに関わらず、交通事故と聞くとそれだけで悔しくて歯を噛み締めずにはいられないのだが、まあそれは個人的な事として・・・
少なくとも飲酒運転に関しては「廃絶すべし」という主張を憚るつもりはない。

しかし現実は厳しい。
圧倒的多数の運転者にとって飲酒運転は日常であって、悪事ではない。
運転に差し障りのない状態かどうかを判断するのは自分自身であり、責めを負うのは事故を起こした事に対してであって飲酒運転に対してではないというのが、恐らく極めて一般的な認識である。
飲酒運転は避けるべき事柄ではなく、隠すべき事柄として認識され、そしてそのように行動がとられている。

交通事故削減の為に採るべき対策は数あるが、こと飲酒運転に限って言えば、一にも二にも意識改革へのチャレンジである。
そのためにはまず教育、そして厳罰化と取締りの強化が基本的なところである。
そしてより重要なポイントは、厳罰化するのは飲酒運転による事故ではなく、飲酒運転そのものであるべきという所であろう。
事故を起こした時の罰則がたとえ厳しかったところでそれで飲酒運転が減る事はあまり期待出来ない。
問題なのは軽い罰則を覚悟して思い切り良く運転しているのでは無く、事故を起こす事は無いと信じて運転を行う事自体にあるからである。

だからこそ意識改革を行い、バカ正直にルールにこだわる事が嫌悪される風潮から、飲酒運転のわずかなメリットを得るために罰則の危険を犯す事が嫌悪される風潮へと転換されなければならない。
そのために必要な厳罰は、初犯で免停、再犯で剥奪という水準が欲しい。

しかし微妙な問題もある。
速度超過と同様、飲酒運転にも「過失によるもの」が含まれ、一律にアルコール分の検出によって厳罰を下してしまうと濡衣同然のケースも考えられるためである。
奈良漬やケーキの様な、本人がほとんど意識しないアルコール摂取は、「過失」の典型例であるが、残念ながら運転への影響は摂取した理由では無く量によって現れるのだし、言い逃れの温床にもなるので例外は作りたくない。
また、深酒をした翌日・翌翌日に酒が残っている場合、頭痛やめまい、呼気の臭いなどから自主的に状態を判断する事になるが、基準ギリギリの残量の場合、自ら「まだ残っている」と判断するのは非常に困難である。

そこで、こういったものによる自主検査を義務付け、運転直前に計測するという事を前提とした上で、過失であろうが厳罰を適用するという方針を提案したい。

厳しすぎるという向きもあろうが、目指すものが意識改革である以上、「些細なこと」と信じて生きてきたものを「重大なこと」であるとアピールするのは並たいていの事では無い。
明確な線引きと厳格な適用が無くては、ルールは活かされないのである。
Posted by kasakosokasakoso at 22:49  |Comments(6)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月26日

採点競技はよくわからない

私は普段、ボクシングを観ない。
興味が無いというよりは、やや嫌いに属すと言って良いかも知れない。
野球やサッカーの様に得点を競い合う競技と違い、「相手に脳震盪を起こさせる」という競技の目的が性に合わないためで、同じ格闘技でもフォールのあるプロレスや倒せば勝ちの相撲などは、最近はそれほどでもないが過去にはそれなりに熱中した。
もうひとつの嫌いなタイプの競技に「採点競技」があって、理由としては「採点基準がさっぱり解らないから」である。
いや、たとえばフィギュアスケートなら、ジャンプは高い方が、速い方が、回転の多い方が点が良く、バランスを崩せば減点・・・
そんな事は分かっているのだが、私の様な素人ならばいざ知らず、目の肥えた世界選りすぐりの審査員がずらりと並んで、何故採点がバラつくのかという事が分からない。
そんな事で私は、技が素晴らしいという事自体は兎も角、勝ち負けに関してはその基準を全く信用していないので嫌いなのである。

まあ、別に嫌いなものは見なければ良いのであって、実際普段はそうしている。
そんな私でも、具志堅用高・ガッツ石松・現役の亀田興毅の3名は顔と名前の一致する。
ひとえににテレビへの露出度が高いためと思われる。

さて・・・
そんな私が先日テレビでザッピングしているとボクシングの試合をやっていた。
ご想像の通り、8月2日のランダエタ対亀田興毅の試合である。
普段ならば素通りする所だったが、見ると亀田の足元がふらついている。
亀田と言えば何はともあれここまで無敗で来ている選手の筈、それが今にも倒れそうにフラフラしている・・・ちなみに確か6Rだったが、「うむ。これは亀田の負ける所が見られるかも知れない。」と思い、そのまま見続けた。
念のために断っておくが、私は亀田の言動が下品だとは思っても、その事で亀田を殊更に嫌っていて、負ければいい気味だと思っていた訳ではない。
彼が気分良くやっているか仕事と割り切ってやっているかは別としてそのパフォーマンスがマスコミの扱いを増やすための彼の仕事であって、私でさえも彼の顔と名前を知っている程注目を集めている事がその努力のおかげである事は明白で、そうした下品さに飛びついて持ち上げるメディアの姿勢については腹立たしく思うものの、彼の道化師としての仕事ぶりについて非難する気にはなれない。
むしろ良くやっていると思っている。
その努力の甲斐あってチャンピオンとして名を残せれば良いと、その点については好意的ですらある。

しかし・・・ちょうどその場面に出くわせば、少なからず野次馬根性は出て来る。
「このまま負けたら、試合後にどんなコメントが出るのだろう」
試合内容よりも、実は私の興味はそちらの方で、当事者には申し訳ないが一方的に亀田の敗戦を期待していた。
しかし、ご存知の通り亀田は12Rを粘り切り、試合は判定に持ち込まれた。
私は判定に持ち込まれた時点で「五分五分かな」という印象であった。
素人の私が試合の後ろ半分のみをみて採点させてもらえば、あれは圧倒的にランダエタ優勢だったと思う。
テレビをつけたラウンドで既に亀田はふらついていたし、その後も亀田は体当たりで相手のバランスを崩してはラッシュをかける・・・のひとつの攻撃パターンしか見せず、カウンターを食らってラッシュに入り損ねたり、入ってもクリーンヒットに結びつかなかったりを繰り返し、ロープまで相手を押して行く回数は多かったものの、殆ど相手にダメージを与えている風では無かった。
終了間近の11・12Rともなると足を引き摺りながら攻撃に行こうとして相手のいない方向に進みかけたり・・・ダウンしないのがやっとという風で、「気力を振り絞って良く頑張っている」とは思っても、とても「優勢」などとは思えない状態であった。

それでも「五分五分」と思ったのは、KOに至らなかったボクシングは、私の嫌いな「採点競技」に変化するからである。
判定する以上は必ず恣意は混ざる。
買収は極端な話にせよ、審判員が観客の歓声に惑わされたり、試合前に地元選手の情報を持っていて、ある程度情に流されたりという事はある。
判定というのは、もともと地元有利なのだと思う。
それに素人の私がいくら技術的なポイントを語ったところで、プロの判定員には、もっと深いチェックポイントがある筈だ。


結果は、僅差で亀田勝利。
その判定そのものに驚きは無かったが、その瞬間沸き起こった歓声に私は驚いた。
まさかあんなに大きな素直な歓声が沸き起こるとは思っていなかった。
さて、ここまで来ると私の興味は試合後の亀田のコメントである。
ひょっとしたら・・・亀田のナマの言葉が出るかも知れない。と、期待した。
強がるにしても「納得いかねえ、もう一回だ」とでも言えば、それなりに好感度も上がったかも知れないが、あくまで彼は道化師であり通した。

「親父のボクシングが世界に通用することを証明できてよかった。」

いや、多分証明出来ていないと思うが、少なくとも周りにそう見られていない事くらい承知していると思うが、ここまでしっかりシナリオを演じ切れればそれはそれで立派だ。
個人的には嫌いだが。


翌日、新聞に判定の採点が載っていた。
記事を読むと、要するに採点はゴルフのマッチプレーの様に、「優勢だったラウンドの数」を競うものであるらしい。
一応ダウンをとった場合などはボーナスポイントと言うか、バーディの上のイーグルと言うのか、普通の優勢より価値が高い様だが、いずれにしろ第一ラウンドのダウンは亀田優勢のラウンドふたつで相殺、11ラウンドのランダエタ優勢と、その前の10ラウンドの亀田優勢も同価値として相殺されるらしい。

12ラウンドを通して相手に蓄積させたダメージの総量といった様なものはそもそも判定の対象ではないらしい・・・
素人の私としては、観客の歓声より、亀田のコメントより、それが衝撃的であった。

少なくともこの試合の前までよりは、私はボクシングについて多少なりとも理解を深め、そして、より嫌いになったと、そう思う。


とは言え防衛戦を同じカードで゜やると聞けば、興味は沸きますわな。なかなか商売上手だ。[^笑^]
Posted by kasakosokasakoso at 21:27  |Comments(0)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

疑わしきを疑う

「UFOは実在するのか」の話題に、一度も出くわした事が無いという方は、きっと少ないだろう。
大半の人は、何度も繰り返し、実際に加わっていると思う。
この話になると、大抵、「未確認の物体が飛行しているケースは存在するに決まっている」とか言い出す奴がいるものである。
今これを書いている奴がそういう奴だがそれはさておき
実のところ、最近よく聞く「不審者」という語もこれに通ずるところがあって、「不審」であるとは基本的に「確かにはわからないこと。不詳。」(広辞苑)であって、暴行などを行う者、暴漢の事では無い。
もちろん、UFOが一般的には「宇宙人の乗り物」を指す様に、不審もまた「うたがわしいこと。」「嫌疑を受ける事」「不安に思うこと」(いずれも広辞苑)という意味も持っており、メディアなどが「犯意を持つ者」という意味で使うのも、正しいと断言出来るかどうかはともかく、誤用とまでは言い切れない。
しかし、不審者はあくまで不審者。犯意をもっていると確定はしていないのである。
とは言え、被害を回避するのに犯意を確かめてからでは間に合わない。
回避行動は「不審だ」と思ったら即取って良いと私は思っている。
が、「不審だ」と思ったからと言って不必要に攻撃を加えたり、あまつさえ受けていない被害を訴えたりはしてはいけない。当たり前だけど。

そんな中、新聞でこの記事を読んだ時には、「女児よくやった。その行動は正しい」と思うと同時に、「不審者に犯意があったかどうかは定かでないけれど、無くても逃げるよなあ、この状況では・・・。」
という印象であった。
それがその後、この様な続報になり、どうやら何らかの犯意があった様な雲行きになって来た。
大きな被害につながらなくてなによりだったが、まだ小さい当事者がこの件に過度に怯えず、かと言って甘く見すぎる事も無く、教訓として生かして行く事の難しさを考える時、どうかまず周囲の人々に落ち着いて欲しいと願う所である。

現実に、「不審だ」と思って警報を鳴らして、相手もびっくりして逃げたものの、実は道を聞こうとしただけであるとか、ヨソ見をする子に危ないと声を掛けただけであるなど、不審者に犯意が無いケースは充分に考えられ得る。
しかし、危険回避の都合から考える限り、「不審だと思った」ら、その対象者は「不審者」であり、回避行動は積極的に取れば良いと思う。
疑わしきを罰してはいけないが、疑わしきを疑うのは当然の事である。
その上で、今回の様に追跡調査の結果当事者が特定出来るならば、事情を聞くなり逮捕するなり対応すれば良い。

どうも「むやみに人を疑うのは良くない事だ」というモラルと「火の無いところに煙は立たない」という考えが融合しているのか、「人の言う事は疑わずに鵜呑みにする一方、ひとたび疑ったら確かめずに裁く」という性質の方は数多く実在しているので世の中住みにくいが、私としてはなるべく、その逆をお勧めしたいものである。

ブラジル国籍の16歳。職業はアルバイト。
どの様な状況で生活しているのかは詳らかでないが、肩書きのみをみれば不安定な立場である。
彼が「何故」「何を」しようとしたのかは調べなくてはならない。
そして、彼の将来にとって最も良い選択、即ち「再犯を招かない選択」に至る事を、願わずにはいられない。
Posted by kasakosokasakoso at 23:56  |Comments(12)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月30日

釈迦堂にトイレを作ろう

中央道、釈迦堂PAから階段を上って行ける博物館、釈迦堂遺跡博物館
高台にあって眺望もすこぶる良いらしい。
が、今、この博物館に、不親切だとして疑問が投げかけられているらしい

館は、不親切なのだろうか。

記事中に出て来る会社員女性(56)が「時代遅れ」と指摘しているが、今は「花見客に博物館のトイレを使わせる時代」なのだろうか。
違う筈だ。
30年前ならば、見知らぬ他人の家の玄関を叩いて「すみません、トイレ貸して下さい」などという光景が普通に見られたものである。
もちろんこうした施設でも、困った人がいれば好意的にトイレくらいは気軽に貸してくれた。
困った時はお互い様、借りる方も感謝は忘れないが、貸す側もわずかな水代と時間を惜しんだりはしなかった。
が、時代は公共のモラルが不安定化し、また安全や衛生に対する意識も変化して、都会の駅や観光地などには有料トイレも登場して来ている現在である。
この56歳会社員の発言は、ひどく時代遅れであると指摘したい。

また、不親切だと不満を漏らす観光客がいる様だが、彼らが望む親切とは一体何なのか。
トイレの維持管理にはコストがかかる。
少々の水代の事ならば館側も敢えて看板まで出して禁止はするまい。
一日一度の清掃を二回に増やして済むならば、それも社会貢献のうちと、親切心も起きるだろう。
が、館内のトイレに花見客が行列を作り、有料の入場者が後回しになったり、払うべき入場料を払わずに館内をうろつく様な事が現実に起これば、館としてはトイレを増設したり清掃の回数を更に増やしたり、場合によっては場内を検札して回らなければならない。
そのコストを一体誰が払うのか。

入館料は「たかが」200円である。
新宿駅や東京駅の有料トイレよりは割高だが、数千円支払ってイベント会場に入るのとは違う。
缶コーヒー一本が120円の時代、景色ひとつ見にここまで足を伸ばして来る観光客が、支払えない金額ではない筈である。
花見中にトイレが必要になったなら、200円を払って入館すれば良いだけの事である。
そして立ち寄ったのも何かの縁と、もののついでに展示品を眺めてくれば、損になど決してならない。
展示品に興味が無ければ無理してまで見る必要も無いが、入館する以上入館料を払う事は当然の事である。
自販機で「水」を買うと損した気分になる様に、「トイレ利用」に支払いを行うと損した気分になるのだろうか。
しかし、突発的な数人の事ならばいざ知らず、行列をなす人数の利用が見込まれるとなれば、館には相応のコストがかかる。
利用者がこれを負担するのが「損した気分」になって嫌だからお前が払えと館側を指差すならば、不親切どころか横暴である。

しかし、さらに情けないのが館側に対して公式に申し入れをするという、山本知事、笛吹市観光商工課、甲州市観光商工課である。

「観光立県」を掲げて「おもてなし」を重視する立場を取るのは結構だが、それならば県が利用しやすい場所に無料の公衆トイレを設置して維持管理すれば良いだけの事である。
申し入れるにしてもトイレの増設や管理の費用を補助するくらいの配慮は必要だろう。
観光客と一緒になって「お前が払え」と指差すだけで、山本知事は「おもてなし」をした事になるのだろうか。
また、記事中で笛吹市観光商工課が言う様に「桃の花は観光の目玉」であるならば、「観光を進める側として」観光客に対してトイレをサービスする役割がある筈である。
市や県が観光客の誘致に積極的なのは、彼らが(特定の施設に入場料を払わない花見客であっても)通り道の県内の施設でお金を使い、税収が増えるからに他ならない。
であれば、彼ら観光客が使うお金によって利益を得る周辺の給油所・飲食店等が、その特定が難しいのであれば最終的に税収を上げる県が、利益につながるコストをかけるのは当然である。
そのコストを、既に観光客に対する社会貢献として仮設トイレを試み、館内のトイレも貸し、駐車場の開放も行った上で維持管理の難しさにこれを断念した博物館側に対して「お前が払え」と指差して、一体何が「おもてなし」なのか。
そんな申し入れをしている暇に、県にはトイレ設置の検討を願いたいものである。

個人的には・・・
釈迦堂PAから博物館に至る階段とは別に、エレベーター等を設置して、PAの利用者が気軽に博物館や桃畑に足を運べ、逆に花見客も楽にPAのトイレや売店施設を利用出来る様になれば、博物館の利用客増や売店の売り上げ増などの効果も期待出来、設置費用の元は充分取れるのでは無いかと思うが、残念な事に私は現地の詳しい地形やそうした建造物の製造費用を熟知している訳では無いので、これは「こうだったら便利だろうなあ」という利用者側からの一方的な妄想として付け加えるに止めておく。

現実的且つ安価な解決法は県の管理する公衆トイレを、たったひとつ据え付ける事である。
「観光客の気持ちになって考える」事は大切だが、「観光客と一緒になって無理を言う」のは知事の仕事ではあるまい。
山本知事には一刻も早く、観光客・博物館双方にとって望ましい解決策を打ち出して欲しいものである。
Posted by kasakosokasakoso at 19:30  |Comments(16)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月17日

多数決投票ツールではありません。

あるところで「番町皿屋敷」という表現を見た・・・
まあ、私が書いたのだが。[^^:]
そして合っているけれど。

これを書く際、「ばんちょうさらやしきで合ってるよなあ・・・万一にもばんぢょうだったりはしなかったっけ・・・まあ書き込みはどうせ漢字でするけど」と思い、念のため検索してみた。
すると・・・
そこで、「番長皿屋敷」という表現を見た・・・OPZ
「皿屋敷」は「番町皿屋敷」のほかに「播州皿屋敷」があってややこしいが、民間伝承に時代毎の作家が手を加える事を繰り返して元々が何だったのか定かでなくなる事は珍しくもないので、これは致し方ない。
現代でも映画などでこうした古典を題材にする事はよくあるが、それを情報流通も著作権も未発達の時代に繰り返せば、おのずとそうなるのが当然であろう。

しかし、番長は違うだろう・・・[--:]
ちなみに検索結果は以下の通り。

BIGLOBE検索の場合
番町皿屋敷  1610件
番長皿屋敷  2410件・・・[ "□"]ガーーーン・・・
  皿屋敷 5610件
番町更屋敷   86件
番長更屋敷  1220件・・・[ "□"]ゴーーーン・・・
  更屋敷  946件・・・計算が合いませんが[^^?]

Google検索の場合
番町皿屋敷 29900件
番長皿屋敷 43700件
  皿屋敷 104000件
番町更屋敷  225件
番長更屋敷 22500件
  更屋敷 17300件

「更屋敷」がやけに多いのは各地にこの地名があるからで、「皿屋敷」自体がこの「更屋敷」から来ているとする説も根強い模様である。
「番町」よりも「番長」の方が多くヒットするが、いくらなんでもこれは不正解である。
誤字の他、故意のシャレや、このサイトの様に、「番町皿屋敷」+「説明を長く」などの複合によるものがかなりあると思われる。
しかし、記憶が曖昧で、どちらが正しいのが判らなくて確かめるために検索する場合、内容を読まずに、「多数決」で判断するケースは多い筈で、この様に誤用の方が多数になってしまうと、それはちょっと怖いなとも思う今日この頃である。


そして更にあるところで、「泣かず飛ばず」という表現も見た。[^笑^]
念のため検索してみると、BIGLOBEで3200件、Googleで57700件ヒットした。
ちなみに「鳴かず飛ばず」ではBIGLOBEで6050件、Googleで110000件ヒットした。
「泣かず飛ばず」も結構多いと感じるが、かなりの数これが誤用である事を説明する文が含まれているし、「番長」の様に正解より多くヒットしてしまう訳でもないので、いくらかは健全な結果と言えるだろう。
なお、「鳴かず飛ばず」の説明としては、このサイトの説明がわかりやすいので読むと納得である。

いつも気軽に使っているものの、いまひとつ正確な意味がつかめない・・・
そんな時、インターネットの検索機能は凄まじく情報量の多い百科事典として活躍してくれる。
しかし、これらはあくまで不特定多数の個人が思い思いに、比較的無責任に書き寄せたものに過ぎない。
書かれている事を鵜呑みにしない様に、私としても気をつけたいと思う今日この頃である。

・・・ましてや内容を拾い読みすらせずに、多数決を取った結果として使用してはならない。
そんな事してると、「番長更屋敷」って書いちゃいますよ。[^^]b
Posted by kasakosokasakoso at 01:22  |Comments(4)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

おだて豚の格言

以前にも書いた様に、このラブログには無料アクセス解析サービスがついていて、これを使ってアクセス元を辿ると、「検索結果一覧」に飛ぶ事が多い。
そのキーワードは自分で記事を書く時に使った言葉な訳で、ある意味、「自動トラックバック機能」として利用する事も出来る。
「自分の記事が誰かに発見される時、一緒に発見された他の記事」の一覧が見られる訳だ。

昨年、そんな「自動トラックバック」に「豚もおだてりゃ」というキーワードがあり、ここから漫画家のつのだじろう氏のホームページに行き着いた。
そして行き着いたページには「ビッグコミック」連載の氏の漫画のタイトルをタツノコプロが「盗作した」旨の記述があった訳だが、このキーワードが私のブログのアクセス元になった原因であるこの記事のコメント欄で紹介しているこのサイトの記述を踏まえる時、事の真相やいかにと首をひねらずにはいられない。

つのだ氏の記述には「この作品から常用されるようになった」とは書いていても「その漫画を作るにあたって自分が考えた」とは書いていないから、この漫画作品以前に会津若松で使われていたという事実とは矛盾しない。
しかし、それから5年後に「ヤッターマン」の中でおだて豚が言い放った「豚もおだてりゃ木に登る」は、果たして「盗作」であったのだろうか。
笹川ひろし氏もまた「自分が考えた」とは言っていない様だが、「町内会で聞いた」のが本当であれば、「つのだ氏が考えた」訳ではないこのフレーズを使用するのは、少なくとも「盗作」には当たらないのでは無いだろうか。

もうひとつの可能性として、そもそもこのフレーズは昭和47年につのだ氏が考えたものであり、会津若松でのエピソードそのものが事実無根であるという考え方がある。
そうであれば正真正銘の「盗作」という事になるが、残念ながらこの真偽を私ごときが個人的に調査するのは困難である。
会津地方である程度の高齢の方々に聞き取り調査でもすれば別だが・・・(いやそれは勘弁して[^^:]無理っす)
なお、ウィキペディアでもこの事が話し合われているが結論には至らなかった様である。

笹川氏がもしも嘘までついて盗作したのだとすれば悲しい事であるが、いかんせん事実関係を知る術が無いのでこれはひとまず脇におかせていただく。

しかし・・・つのだ氏の言う、「この作品から常用される様になった」というのは、本当なのだろうか。
作品掲載当時4歳の私が、大人達の間で流行、しかもビッグコミック読者とその周辺という限られた環境で流行したフレーズを知る筈も無い。
私はこのフレーズを「常用」しながら人生を送って来たが、少なくとも私がこれを覚えたのは「ヤッターマン」である。
我々の世代はもちろん、その上の世代にしても、このフレーズを常用する人の大半は、それを「おだて豚」の顔と声をイメージしながら使っている筈である。
もしもつのだ氏が自らの閃きによってこの言い得て妙なる格言を編み出したのならば盗作に対するお腹立ちもやむなしであるが、もしも、元からあるフレーズをどちらが先に使ったかというだけの問題であるならば、この言葉の現在の浸透度が「ヤッターマン」の存在なくして語れないという現実は容認していただきたい所である。

真相は・・・いつか誰かが解き明かしてくれるのだろうか。
それとも、むしろこういう問題は決着などつけない方が望ましいのだろうか。

それでもせめてひとつだけ断言したい。
この名言は「ヤッターマン」の放送から30年近くを経過してなお色あせず、きっと時代や地域をどれほど隔てても誰にでも通ずるであろう、格言である。
Posted by kasakosokasakoso at 00:37  |Comments(4)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月14日

連帯責任

私は基本的に「連帯責任」というのが嫌いである。
誰かのミスや不正で自分がとばっちりを受けるのも嫌だが、それ以上にその逆が嫌である。
いや、私が当事者となった場合の利害の絡んだ心情はさておいて、この「連帯責任」というシステムが嫌いなのは、メリットよりもデメリットが大きいと思うからである。

「連帯責任」のメリットは、基本的に「人質効果」と「相互監視」という事になるだろうか。
この「人質効果」によって、例えば、特定の課題を課されたグループ内から脱落者が出かけた時に、本来なら諦めてしまって脱落する者が必死の踏ん張りを見せる時、その必死さが事故に結びつかない限り、「頑張る為の支えになった」と言えるだろう。
軍隊の様な規律と意思統一が重要な集団では、脱落者というよりむしろ反抗者が出ない様に「相互監視」を強める事が必要になって来る。
また、制度としての連帯責任ではないが、「犯罪に手を染めそうになったが、残された家族の受ける迫害などを考えて思いとどまった」というのも「人質効果」であるだろう。
この場合、切羽詰まると自殺や無理心中に発展するが、もちろん、こういうかたちで犯罪を思いとどまるケースは、かなりの数があるのだと思う。

メリットだと言っているのにいちいち悪い事まで付け加えているのは私の私情だが、現実的に「連帯責任」のメリットを大きく見積もれないのは、当人の能力や精神状態などと無関係に、圧力によって逃げ場を奪う構造自体が危険を伴うと考える為である。

一方デメリットとしては、当事者が人質への被害を意に介さない場合は効き目は無いと言う事で、駒大苫小牧の不祥事がその一例である。

もちろん、卒業生達は「後輩達の出場が取り消されても構わない」というつもりでいたのでは無いだろう。
しかし、恐らくは

・飲酒・喫煙の年齢制限は20歳であり、自分達の行為が違法である事は知っていた。
・野球部員が補導された場合、連帯責任が発生する事は知っていた。
・卒業式を終えても部や学校に所属する立場である事は知らなかった。

といったあたりは間違い無いだろう。(と思う)
彼らは、自分達の飲酒・喫煙が公になる事が、既に決定している後輩達の甲子園大会出場に影響を与える可能性に気付かなかったのだと思う。が・・・
彼らは、自分達が補導される可能性には気付いていただろうか。
「後輩達には影響を与えない立場」だから堂々と飲酒・喫煙をしたのか、それとも、「未成年卒業生の飲酒・喫煙は法的に違反でも社会通例上は容認される」と踏んだからからそうしたのか。
つまり「補導される可能性はあるが、後輩達には影響しない」という認識だった場合、彼らが同じ事をしたのかと考える時、きっと答えはノーだろう。
彼らが飲酒・喫煙を、これほど大っぴらに行ったのは、連帯責任の心配が解消されたからではあるまい。

ところで彼らは、卒業して「社会通例上は容認される」立場になった記念に、これらに初めて挑戦してみたのだろうか。
もちろんそのあたりの事実関係を私が知る由も無いが、午後9時から10時まで1時間、喫煙しつつ飲酒していた彼らが、その時初めて手をつけたのだとは思えない。
もしも・・・彼らが後輩達の前でこれまでも飲酒・喫煙を行っていたならば、場合によっては後輩達にもそれをさせていた様な事があるならば、それが発覚しなかったのは何故だろう。
そうした事が行われれば発覚するのが当然で、そうならなかったのはそうした事実が無かったからだろうか。
そうなのかも知れない。
しかし、もう一方の可能性、このケースの真実はさておいても、現実に多くの場面で見られる「連帯責任のデメリット」が発生した可能性がある。
連帯責任が、発覚の歯止めになっている可能性である。
もし先輩の喫煙を見た後輩が、これを通報したらどうなるだろう。
その後輩は、連帯責任により高校野球で公式戦を戦う権利を失う事になる。
居酒屋で騒いでいた卒業生の飲酒を、別の客が警察に通報したと言うが、その客が甲子園の切符を失うのが目の前の高校生では無くその後輩だという事を深刻に受け止めていたらどうなるだろう。
いや、そういう理由で見逃された同様のケースは数あるに違いない。(きっと当人は夜毎にうなされている事だろう・・・)

連帯責任は基本的に人質を取る事によって行動に圧力をかけるシステムだという点で、人質の被害を減らしたい人々に強く働き、人質を犠牲にしても自己の利益を求めたい人々には効き目が薄い傾向がある。
どちらのタイプがよりルールやモラルを蔑ろにする、順法を促す圧力の必要なタイプかという事を考えれば、元々機能的な賞罰システムとは言い難い。
人質の存在をアピールする事で不正行為を黙認させる圧力として機能する弊害がある事を合わせて考えれば、ごく限られたケース以外では使用しない方がよいだろうと思っている。


ちなみに、今回の出場辞退という判断について、地元では「仕方が無い」か「厳しすぎる」かで賛否両論がある様だが、連帯責任の嫌いな私が「後輩たちを処分するのは不当」と考えている事は言うまでも無いとして、不思議なのは、当事者たちの処分が甘すぎるという事についての声が聞かれない事である。
個人的には「卒業取り消しの上停学(事実上留年)」とすべきと思う。
私は彼らに対して厳し過ぎるのだろうか。
「先輩部員の飲酒・喫煙」という罪?に対して下った出場辞退の処分よりは、若干軽いと思うのだが・・・
Posted by kasakosokasakoso at 00:32  |Comments(4)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月09日

これはすごい![@.@!]

今年に入って、松下電器からハガキが届いた。
石油温風機の回収告知のハガキである。

正直なところ、私はこの件についての松下電器の対応について、行き過ぎを感じていた。
もちろん、人命にかかわる欠陥について、「出来得る限りの告知を」と思うのは当然で、その結果ひとつでもふたつでも回収に結びつけば良い事だと思う。
しかし、昨年事故が発生し、これが連日大々的に報道されて以降、すべての商品CMを回収告知に切り替え、様々な方法で周知して来た。
新聞・テレビ・雑誌などで繰り返し報道もされ、「ここまでやって出て来ないのは、もう諦めても仕方ないのでは・・・」と思っていた。
欠陥が発覚し、慌てて行った修理にもミスが発生、それが事故にまで繋がってしまった松下電器にとって、信頼回復が至上命題であり、宣伝広告費を全て使ってでも、更に上乗せをしてでも、「誠意を宣伝する効果」を考えれば決して高くは無い投資なのだとは思う。
もちろんそれで事故が防げれば防げるほど望ましい事は言うまでも無い。

しかし、10年以上も前に買われた温風器が全て稼動しているとは思えない。どんな告知をしても全く意識しない利用者も含め、全機確認は不可能と思われる。
一方で、これほどの徹底告知が前例として出来てしまうと、小規模のメーカーが事故を起こした時に、同じ事をせざるを得なくなるのではないかという不安もあった。
だから「確認数がゼロになってしばらくしたら、どこかで切りをつけないと・・・」と思っていた。
ところが。
いまだに一日十数台発見されているらしい。
・・・それではやめる訳には行かない。納得である。
12/27現在で89738台だったものが先月末で97628台。
2ヶ月で約8000台確認、大企業の広告宣伝力恐るべし。

正直なところ、「今になって気付いた人というのは、一体今まで何をやっていたんだろう」とは思わないでもないが、ともあれこの状態では、更に確認数が伸びそうである。
この際松下電器には是非とも「呼びかけてはいますが、もう全く返事がありません」という所までやってもらい、実際にそれに掛かった費用なども発表して欲しいものである。

最後に、及ばずながら私のブログでも呼びかけてみたいと思う。



温風器使用者の皆様、これだけ大騒ぎになっているのですから、そろそろご自宅の温風器の品番確認をお願いいたします。
番号はこちらをご参照下さい。


・・・ちょっと表現が乱暴だったかな[^^:]

Posted by kasakosokasakoso at 22:13  |Comments(6)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月17日

どうすりゃいいのよ

滋賀県で園児が二人、福岡では高校生が刺された日、「どうすりゃいいのよ」と、多くの人が思ったのではないだろうか。
園児を刺したのは「同級生のおかあさん」、高校生を刺したのは55歳の同町の男・・・
「おかあさん」は言葉の壁やそのほか色々悩みがあったらしい。
「同町の男」は、自転車と自動車の接触(寸前で回避)について高校生と揉めたらしい。

それぞれに、「刺すほどの」で無くとも、「カッとなる」動機はあった。
詳しい状況はまだわかっていないが、言葉の通じない国で言葉の通じない子供達が騒ぎ出したらおさまりがつかなくなる事もある筈だ。
接触事故を起こしそうになって・・・けんかの原因としては珍しくも無い。
暴力の肯定は個人的にしかねるが、子供相手についカッとなって暴力的に行動する事も、まったく理解出来ない訳では無い。

何で車に刃物を積んでいるんだ!!

「おかあさん」は、殺そうと決意して持ち込んだらしい。
「同町の男」は?
刃物の正体が何なのかは、ひとまずわからない
しかし、カッとなって車に戻り、刃物を持って相手に向けるまでには、多少なり熱が冷める様であってくれなくては困る。
高校生(16)と言えば犯人(55)と取っ組み合いのけんかで強いかどうか微妙な所である。
「おかあさんと園児たち」と違い、年齢的にはほぼ「互角」で、体格の良くケンカ慣れしている方が強いだろう。
例えば、高校生がちょっとした不良少年で、比較的ひ弱な55歳を威嚇したならば、刃物による逆襲もありえなくも無い。
しかし、「いったん車にもどり、(中略)刃物を取り出した」のが本当ならば、
車でそのまま逃げられるだろう。

今日は立て続けに起きた「通学中事件」に腹が立って書きなぐっているだけなので、詳しく調べながら長々とは書かない。

しかし、ついでなので言いたい事だけ言いなぐっておく。
言っちゃう。

「おかあさん」は精神的に不安定で入院していたらしく、今回の事件とそれが無関係だとは思わないが、
「同町の男」がそうだったとは書いていない!!
「おかあさん」は中国人だったが、人を殺した事の無い中国人は「たくさんいる」。
どちらも引きこもったりゲーム漬けになったりした経歴は判明していない。
「おかあさん」の部屋にビデオの山があったとも今のところ報じられていないし、なんらか教・・・(後略)


いや、やっぱりやめた。[~〜~:]・・・
Posted by kasakosokasakoso at 23:59  |Comments(10)TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする