2012年01月20日

ブラタモリ 第10回 国分寺 遺跡編

半袖姿のタモリと久保田祐佳アナウンサーが、田園地帯に登場です。周りは緑がいっぱいで、セミの鳴き声も聞こえてました。国分寺市ふるさと文化財課の福田信夫さんと合流し、武蔵国分寺跡を訪ねます

金堂跡(現在でいう本堂跡)には建物の下に置かれた礎石が残っていました。福田さんが金神という仏様が祀らた場所に立ち、タモリと久保田アナとスタッフ2人が四隅にそれぞれ立って、間口36.1m、奥行き16.6mという大きさを実感します。CGで金堂や七重塔を再現してましたね

国分寺は奈良時代から武蔵国の中心で、国府という役所の近くに建てられたのです。741年、聖武天皇が全国各地60ヶ所に国分寺と国分尼寺をペアで造らせた国家プロジェクトの1つでした。総国分寺が東大寺です。不作や疫病の流行などがあり、仏に祈って国を守ってもらおうという発想でした

ここに建てられたのは、中国の思想に基づく四神相応、東西南北に神を象徴する地形があれば最高の場所であるという考え方に関係していたのです。東には青龍(川)を象徴する野川が流れ、西には玄武(道)が象徴する東山道が通り、南には朱雀(低湿地)を象徴する多摩川が作った低湿地、北には玄武(山)に相当する国分寺崖線という崖の連なりがありました


金堂の斜め後ろにあった鐘楼跡の発掘現場へ移動します。巨大な礎石が下まで見えて、たくさんの瓦も見えました。50年以上発掘が行われていて、関東地方で最古の観音像・銅造観世音菩薩立像も見つかったそうです。一ヵ所も欠けてない「女瓦」は6kgもあり、表面に布目や縄目の模様が見えます。「文字瓦」には、寄進した人の名前が書かれてました

国分寺は鎌倉時代に焼け落ちてしまい、江戸時代にはすでに史跡として有名だったのです。江戸名所図会には、礎石をながめる人が描かれていましたね

東芝府中工場と府中刑務所の近くには、昭和43年の三億円事件のとき、空の現金輸送車が乗り捨てられた場所もあります。国分寺は古代と現代の時空を超えたミステリースポットでもあるんですね。ブラタモ写真館は、謎の公園の柵でした

北西へ向かうと、東山道武蔵路跡があります。400mもの遺跡を守るため、12mの幅の歩道として残したのです。CGでは、奈良の平城京から東山道を通って、上野国のあった群馬県太田市で曲がり、東山道武蔵路を通って、国分寺へ至る様子が描かれました

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国分寺観光マップにのっている「東京都の中心(重心)」のある90度公園へ行きます。日本数学検定協会の松本精一さんが、東京都の地図を切り取ったものを持って登場しました。実際に2つの糸を使って、東京都の中心を求め、タモリが人差し指で支えると、しっかりバランスが取れましたね

野川の源流を求めて、日立製作所中央研究所の敷地へおじゃまします。東京ドーム6個分の広大な敷地は、国分寺崖線の地形がそのままで、緑がきれいです。皇室から贈られた2羽のロイヤルスワンがいたけど、もやしを食べません(笑)しばらく歩いて行くと、確かに源流がありました。ブラタモ写真館は、ボール投げ禁止の面白い看板です

ちょっと暗くなって「鉄道模型」という看板に惹かれて行くと「和菓子と鉄道模型 しげまつ」と書かれていました。和菓子職人のご主人の趣味が高じて、鉄道模型のお店も開くことになったのです。水ようかんはおいしそうだったけど、タモリは鉄道模型に夢中になります(笑)地下に素敵なジオラマがありましたね
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