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    <title>憲文録－別冊</title>
    <link>http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/</link>
    <description>読（独？毒？）書日記－独りよがりの毒にも薬にもならない読書日記</description>
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    <itunes:keywords>読書,憲法,ミステリー,人権,大学</itunes:keywords>
    
    <itunes:author>憲文録</itunes:author>
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      <title>伊坂幸太郎『ＰＫ』</title>
      <pubDate>Sun, 08 Apr 2012 14:25:19 +0900</pubDate>
      <description>■　三崎亜記『決起！』が過去を変える力の話しならば、伊坂幸太郎『ＰＫ』（講談社・2012年）には、未来が見える話しが出てきます。未来が見える話しといえば、有名なのは、デビット・クローネンバーク監督作品の映画『デッドゾーン』（1983年）ですね。原作は、スティーヴン・キングです。本書でも、登場人物の作家が、「特殊能力を持った人間が政治家と対決する話し」を発表して、評論家から『デッドゾーン』の二番煎じと揶揄されたと言っています。■　『ＰＫ』には、3つの中編小説が収められています。..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/pk.jpeg" width="100" height="139" border="0" align="left" alt="pk.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/pk.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　三崎亜記『決起！』が過去を変える力の話しならば、<a href="http://www.amazon.co.jp/PK-%E4%BC%8A%E5%9D%82-%E5%B9%B8%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4062174960/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1333862526&sr=8-1" target="_blank">伊坂幸太郎『ＰＫ』（講談社・2012年）</a>には、未来が見える話しが出てきます。未来が見える話しといえば、有名なのは、デビット・クローネンバーク監督作品の映画『デッドゾーン』（1983年）ですね。原作は、スティーヴン・キングです。本書でも、登場人物の作家が、「特殊能力を持った人間が政治家と対決する話し」を発表して、評論家から『デッドゾーン』の二番煎じと揶揄されたと言っています。<br /><br />■　『ＰＫ』には、3つの中編小説が収められています。そして、それぞれの話には、いくつかのエビソートが平行して語られていきます。表紙のドミノが象徴しているように、それぞれのエピソードは、１枚のドミノのようであり、その連なりが大きな物語を形づくります。<br /><br />ワールドカップのアジア予選でＰＫを決めたサッカー選手。このサッカー選手がＰＫの直前に同僚に声を掛けられる、その内容が気になって仕方がない大臣。謎の男から、言うとおりに書き換えないと「大変なことになる」と脅される小説家。未来の出来事が携帯で知らされる警備会社の営業マン。未来に起こる人類の破滅を救うためにある依頼を受ける「私」。そして、人と握手するために５秒間時間を奪う特殊能力を持つ「僕」。それぞれのお話がどのように繋がるのか、繋がらないのかは、読んでのお楽しみ。<br /><br />■　私たちの行為には、意図した結果と、そして、無数の意図せざる結果がともないます。私たちは、この意図せざる結果にどこまで道徳的な責任を負うことになるか。意図した結果が得られず、意図せざる悪い結果が生まれるのを恐れて何もしないのが「臆病」。意図した正しい結果が得られると信じ、意図せざる結果も引き受けようと行動するのが「勇気」。『ＰＫ』のなかで繰り返し引用される言葉が、「臆病は伝染する」、そして「勇気も伝染する」。『PK』は、その勇気が世界を変える可能性についての物語と言ってよいかもしれません。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>三崎亜記『決起！』</title>
      <pubDate>Thu, 05 Apr 2012 09:30:41 +0900</pubDate>
      <description>■　三崎亜記さんの「コロヨシ」第2弾『決起！』（角川書店・2012年）を読みました。「コロヨシ」は、高校の部活でのみ許された「活動制限スポーツ」掃除に打ち込む高校生たちを描く「部活小説」とも読めます。あるいは、主人公の樹に掃除の手ほどきをしつつ謎の失踪を遂げた祖父、そして樹が掃除をすることに激しく反対する両親、そういった家族の繋がりと確執を書いた「家族小説」とも読めるでしょう。あるいはまた、かつての大戦で敗戦を喫した架空の国を舞台にした「ファンタジー」としても読めます。いろい..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/kettuki.jpeg" width="100" height="142" border="0" align="left" alt="kettuki.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/kettuki.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　三崎亜記さんの「コロヨシ」第2弾<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%BA%E8%B5%B7%EF%BC%81-%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%A8%E3%82%B7%EF%BC%81%EF%BC%81%EF%BC%92-%E4%B8%89%E5%B4%8E-%E4%BA%9C%E8%A8%98/dp/4041100925/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1333585577&sr=8-1" target="_blank">『決起！』（角川書店・2012年）</a>を読みました。「コロヨシ」は、高校の部活でのみ許された「活動制限スポーツ」掃除に打ち込む高校生たちを描く「部活小説」とも読めます。あるいは、主人公の樹に掃除の手ほどきをしつつ謎の失踪を遂げた祖父、そして樹が掃除をすることに激しく反対する両親、そういった家族の繋がりと確執を書いた「家族小説」とも読めるでしょう。あるいはまた、かつての大戦で敗戦を喫した架空の国を舞台にした「ファンタジー」としても読めます。いろいろな読み方、楽しみ方のある物語です。<br /><br />この第2弾では、前作では明かされなかった、さまざまな謎が解き明かされていきます。なぜ樹の祖父は、失踪したのか。なぜ樹の両親は、掃除を嫌うのか。なぜ樹のライバル大介は、突然掃除に真剣に取り組むようになったのか。なぜ樹のペアである偲は、故郷帰ってしまったのか。なぜ樹を指導してきた顧問の寺西先生は、学校を辞めてしまったのか。そして、なぜ掃除というスポーツが高校時代にのみ許された「活動制限スポーツ」と決められたのか。こういった数々の謎に対する答えが、樹と偲の成長とともに明らかにされていきます。いろいろな伏線が余さず回収されていくところは、「ミステリ」さながらです。<br /><br />■　この物語の根底には、「国家と国民の記憶」にかかわる問いがあります。国家は、ときに、国の歴史を捏造し、国民の記憶をねじ曲げ、国家の正統性をその作られた歴史に基礎づけようとします。それは、国家にとって、1つの「統治のテクノロジー」だからです。いっそのこと、国民の記憶自体を直接書き換えることができたなら。そんなふうに考える国家の指導者もいるでしょう。では、そんな大きな力が与えられた個人は、その力をどう扱ったらよいのだろうか。樹と偲は、迷い、悩み、苦しみながら懸命に答えを見つけようとします。<br /><br />今日は、私の勤める大学の入学式。入学する学生たちも、樹や偲のように、迷い、悩み、苦しみながら逞しく成長していって欲しいものです。爆弾低気圧も去って今日はいい天気です。頃よし！<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>「救済の憲法」と「与えられた憲法」</title>
      <pubDate>Sun, 25 Mar 2012 17:21:51 +0900</pubDate>
      <description>■　善と悪は、まったく異なるカテゴリーに属するわけではない。むしろ、善のなかにすでに「悪の芽」が胚胎されていたり、善の堕落した形が悪であったりすることのほうが世の中多いのではないか。「行きすぎた勇気」が無謀であり、「過ぎた正義」が独善であるように。このような善と悪の関係について見方が、Jack Balkin,Constitutional Redemption: Political Faith in an Unjust World (Harvard UP:2011)の議論の底流..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/ConstitutionalRedemption.jpeg" width="100" height="152" border="0" align="left" alt="ConstitutionalRedemption.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/ConstitutionalRedemption.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　善と悪は、まったく異なるカテゴリーに属するわけではない。むしろ、善のなかにすでに「悪の芽」が胚胎されていたり、善の堕落した形が悪であったりすることのほうが世の中多いのではないか。「行きすぎた勇気」が無謀であり、「過ぎた正義」が独善であるように。このような善と悪の関係について見方が、<a href="http://www.amazon.co.jp/Constitutional-Redemption-Political-Faith-Unjust/dp/0674058747/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1332660014&sr=8-2" target="_blank">Jack Balkin,Constitutional Redemption: Political Faith in an Unjust World (Harvard UP:2011)</a>の議論の底流にある。<br /><br />本書のキーワードは、「物語」、「救済」、そして「信仰」の3つでしょう。Balkin教授の議論を乱暴に要約するならば、アメリカ合衆国憲法は、その制定時から奴隷制を容認し、ときに奴隷制を合理化するという「重大な悪」を抱え込んでいた。それにもかかわらず、憲法の正統性が疑われなかったのは、いずれ、その悪は取り除かれ、よりよい世界が実現するに違いない、という「救済」の「物語」を多くのアメリカ人民が信じていたからにほかならない。このような「救済」への「信仰」がアメリカ合衆国憲法の正統性を支えてきたのだとされます。<br /><br />Balkin教授は、一方で、憲法を過度に理想化し「偶像崇拝」に堕することを戒め、しかし、憲法が内包する「悪」ゆえに、憲法を「悪魔」との契約としこれを忌避する態度も間違いであるとします。また、Balkin教授は、「何が憲法か」を判断する権限を人民一人ひとりの手に取り戻す「憲法プロテスタンティズム」を支持しつつ、「何が憲法か」を最終的に確定する権威を連邦最高裁の裁判官に与える「憲法カトリシズム」の必要性を説きます。さらに、憲法の解釈理論の２つの対立する流れである、「生きた憲法」論と「原意主義」の統合を目指していきます。最後の点は、近著<a href="http://www.amazon.co.jp/Living-Originalism-Jack-M-Balkin/dp/0674061780/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1332660014&sr=8-1" target="_blank">Living Originalism（Belknap Press:2011）</a>でより詳しく論じられています（未読ですが）。<br /><br />■　本書の議論は、２つの意味で、日本の読者にはすーっと腑に落ちるものではありません。１つは、議論がきわめて宗教的な色彩を帯びているからです。もう１つは、アメリカ合衆国憲法固有の歴史と伝統を前提にした議論だからです。Balkin教授の議論が日本にも通用する「普遍性」を持っているかは、いまの私には判断がつきません。もちろん、Balkin教授自身も、そのような「普遍性」を期待して本書を書いたわけではないでしょう。<br /><br />それでも敢えてBalkin先生の議論に乗っかって論じてみましょう。日本国憲法を支える「物語」はどのようなものになるか。戦後日本には、２つの憲法の物語が拮抗していました。１つは、敗戦後、連合国（アメリカ）によって「押しつけられた憲法」であるという物語（「改憲の物語」）であり、もう１つは、「贈り物としての憲法」（誰かに贈られたかはともかく）という物語（「護憲の物語」）です。「押しつけられた憲法」の物語は、日本国憲法の正統性を否定するものであり、それ自体「憲法の物語」と呼ぶにふさわしいかどうかはわかりません。しかし、この２つの物語は、その正統性の是非についての見方は１８０度異なるけれども、いずれも「与えられた憲法」の物語である点では共通しています。オリジナリティのない手垢じみた議論ですね。止めておきます。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>Lee C. Bollinger, Uninhibited, Robust, and Wide-Open(2010)</title>
      <pubDate>Sun, 18 Mar 2012 11:47:48 +0900</pubDate>
      <description>■　アメリカの第1修正法学の第一人者のBollinger教授のUninhibited, Robust, and Wide-Open: A Free Press for a New Century（Oxford UＰ：2010）をようやく読む。アメリカ連邦最高裁が確立してきた表現の自由の法理には「3つの柱」があるという。第１の柱は、検閲の禁止である。その代表的な判例が、本書のタイトルの由来でもあるNew York Times v. Sullivanです。第２の柱が、プレスの特権..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
■　アメリカの第1修正法学の第一人者のBollinger教授の<a href="http://www.amazon.co.jp/Uninhibited-Robust-Wide-Open-Century-Inalienable/dp/019530439X/ref=sr_1_23?s=english-books&ie=UTF8&qid=1332036593&sr=1-23" target="_blank">Uninhibited, Robust, and Wide-Open: A Free Press for a New Century（Oxford UＰ：2010）</a>をようやく読む。アメリカ連邦最高裁が確立してきた表現の自由の法理には「3つの柱」があるという。第１の柱は、検閲の禁止である。その代表的な判例が、本書のタイトルの由来でもあるNew York Times v. Sullivanです。第２の柱が、プレスの特権に対する消極的な姿勢である。第３の柱が、印刷メディアと放送メディアとの二元的保障である。第３の柱は、多様な情報の流れを確保するための制度的な仕掛けである、というのがBollinger教授の見立てです。<br /><br />本書の１つの狙いは、この「３本柱」がメディアの商業化とグローバル化のなかで大きく揺らいでいることを様々な事例を挙げながら指摘し、それに対して警鐘を鳴らすことです。グローバル化する世界において、国際問題について多様な情報が必要です。しかし、外国の特派員や通信社は、取材活動が厳しく制限された状況で報道を行わなければならない。報道の世界では、「アメリカン・スタンダード」は決して「グローバル・スタンダード」ではなく、報道のためにときに妥協を余儀なくされる。このことが、結果的に「３本柱」を掘り崩すことになります。<br /><br />本書のもう１つの狙いは、グローバル化する世界においてますます「強いプレス」が必要であることを説明し、「強いプレス」の確立に必要な方策を具体的に提示することです。Bollinger教授は、インターネットは決して「プレス」の代わりにはならないことを力説します。同感です。<a name="more"></a>

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            <category>憲法</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>柳広司『キング＆クイーン』</title>
      <pubDate>Sat, 10 Mar 2012 09:52:17 +0900</pubDate>
      <description>■　『グレイヴディッカー』は、映画的手法を駆使した小説だとすれば、柳広司『キング＆クイーン』（講談社・2012年）は、映画では難しい、小説ならではのトリックが堪能できるミステリです。■　安奈は、祖父から古武術の手ほどきを受け、警察官だった父から強い正義感を受け継ぐＳＰでした。しかし、彼女は、政治的な思惑から警護対象だった政治家を「見殺し」したことから、ＳＰの仕事に欠かすことのできない「誇り」に疑問を抱く。結果的に、安奈は辞表を出すことになります。そんな彼女がバーテン兼「用心棒..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/king26queen.jpeg" width="100" height="141" border="0" align="left" alt="king&queen.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/king26queen.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　『グレイヴディッカー』は、映画的手法を駆使した小説だとすれば、<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%86%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9F%B3-%E5%BA%83%E5%8F%B8/dp/4062771985/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1331340468&sr=8-1" target="_blank">柳広司『キング＆クイーン』（講談社・2012年）</a>は、映画では難しい、小説ならではのトリックが堪能できるミステリです。<br /><br />■　安奈は、祖父から古武術の手ほどきを受け、警察官だった父から強い正義感を受け継ぐＳＰでした。しかし、彼女は、政治的な思惑から警護対象だった政治家を「見殺し」したことから、ＳＰの仕事に欠かすことのできない「誇り」に疑問を抱く。結果的に、安奈は辞表を出すことになります。そんな彼女がバーテン兼「用心棒」として働いてた六本木のバーに、常連客のホステスが仕事を持ってきます。それは、チェスの元世界チャンピオンのアンディー・ウォーカーの警護でした。<br /><br />アンディーは、傍若無人で、チェスのわからない奴はみんな「馬鹿」だと言って憚らない嫌味な男で気まぐれ。チャンピオンという「地位」にはまったく拘らず、最初の防衛戦の前に雲隠れし、その後10年間消息を絶つ。復帰戦で現チャンピオンを打ち負かすも、またしても行方知れずに。そんなアンディーが日本にいて、謎の男たちに拉致それそうになったという。安奈は、渋々その警護を引き受けることになります。「目の前で困っている人は見捨てない」という父の教えに従って。<br /><br />■　物語は、安奈によるアンディーの警護を主軸に、安奈がＳＰを辞めるに至った話しと、アンディーのチェスを始めた頃の「天才」ぶりのエピソードが挿入されながら進みます。アンディーの警護が「白」の物語ならば、アンディーの「神童」ぶりは「黒」の物語です。そして、盤上の白黒の模様は、最後の最後に反転します。もちろん、よくある手と言えば、よくある手です。しかし、騙され知りつつ楽しむのがフィクションの楽しみですから、柳さんの騙しに気持ちよく騙されてほしいと思います。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/archives/10661545.html</link>
      <title>Andrei Marmor,Philosophy of Law</title>
      <pubDate>Wed, 07 Mar 2012 18:20:55 +0900</pubDate>
      <description>■　最近は、買った本だけでなく、読んだ本すら忘れてしまうので、とりあえず備忘録代わりに何でも記録しておこう。Andrei Marmor,Philosophy of Law (Princeton U.P.2010) 読了しました。Marmorは、おそらく、Hans Kelsen、H.L.A.Hart、Joseph Razの流れを汲む最も正統な法実証主義者といってよいでしょう。この本は、そのMarmorの法理論のエッセンスを詰め込んだ一冊で、きれいに枝葉を切り払い、法実証主義の現..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
■　最近は、買った本だけでなく、読んだ本すら忘れてしまうので、とりあえず備忘録代わりに何でも記録しておこう。<a href="http://www.amazon.co.jp/Philosophy-Law-Princeton-Foundations-Contemporary/dp/0691141673/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1331111906&sr=8-2" target="_blank">Andrei Marmor,Philosophy of Law (Princeton U.P.2010) </a>読了しました。Marmorは、おそらく、Hans Kelsen、H.L.A.Hart、Joseph Razの流れを汲む最も正統な法実証主義者といってよいでしょう。この本は、そのMarmorの法理論のエッセンスを詰め込んだ一冊で、きれいに枝葉を切り払い、法実証主義の現在の到達点をくっきりと示した好著です。余計なものがないからといって無味乾燥な本ではなく、具体的な事例を的確に示すことで、読み手を飽きさせることがありません。<br /><br />本書では、まず、Kelsenの純粋法学から出発し、法の妥当性を道徳的な正当性から切り離すことの重要性を確認したうえで、その妥当性を仮定的な「根本規範」に依拠することの限界を指摘します。そのうえで、法の妥当性をその社会で生きる人々の信念や態度に求める、H.L.A.Hartの議論を支持します。しかし、Hartが論じるように、法は「社会的ルール」の一種であるが、その規範的性格の本質は「権威的な指示」にあるとし、Joseph Razの法理論にMarmorは与します。そこから、法の解釈的性格から法と道徳の峻別を否定するRonald Dworkinの議論と正面から対決していきます。<br /><br />■　Marmorの議論は、きわめて分析的です。しかし、その議論は、極端に走りがちな哲学的議論を抑え、私たちの法についての「常識」を踏まえたものであり大変説得的です。次年度の法哲学の講義は、この本をベースに展開する予定です。うーん、我ながらチャレンジング。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/archives/10655254.html</link>
      <title>高野和明『グレイヴディッガー』</title>
      <pubDate>Sat, 03 Mar 2012 09:24:49 +0900</pubDate>
      <description>■　『ジェノサイド』で昨年のミステリの主要なタイトルを総なめにした高野和明さん。21世紀に入ってからの江戸川乱歩賞受賞作のなかで群を抜いて面白い、『13階段』。この受賞作後の第１作が『グレイヴディッガー』（角川文庫・2012年）です。この度、講談社文庫から版を変えて角川文庫から再刊されました。『13階段』が持っていたサスペンスの熱を持続させた、タイムリミット・ミステリーです。■　主人公八神は、その悪党顔に違わぬ、悪党。しかし、殺人や強盗などの粗暴犯ではなく、せいぜい脅迫と詐欺..</description>
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<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/gravedigger.jpeg" width="100" height="140" border="0" align="left" alt="gravedigger.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/gravedigger.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　『ジェノサイド』で昨年のミステリの主要なタイトルを総なめにした高野和明さん。21世紀に入ってからの江戸川乱歩賞受賞作のなかで群を抜いて面白い、『13階段』。この受賞作後の第１作が<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AB%98%E9%87%8E-%E5%92%8C%E6%98%8E/dp/4041001641/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1330734108&sr=8-3" target="_blank">『グレイヴディッガー』（角川文庫・2012年）</a>です。この度、講談社文庫から版を変えて角川文庫から再刊されました。『13階段』が持っていたサスペンスの熱を持続させた、タイムリミット・ミステリーです。<br /><br />■　主人公八神は、その悪党顔に違わぬ、悪党。しかし、殺人や強盗などの粗暴犯ではなく、せいぜい脅迫と詐欺で小金を稼ぐタイプの、いうなれば小悪党です。その彼が、人生をやり直そうと、骨髄バンクにドナー登録をし、ついに２日後には移植手術を待つ身となつた。入院前に、金を借りようと知り合いを訪ねると、その知り合いは既に殺されていた。しかも、全裸にされて、両手足は奇妙な方法で縛られ、ナイフで十字架が刻まれ、風呂で釜ゆでにされていた。その部屋は事情があって八神名義で借りたもので、八神は「やばい」と直感します。<br /><br />そこから、彼の三重の逃走劇が始まります。殺人の重要参考人として警察に追われ、殺された知り合いの仲間から拉致されようとし、そして、謎の猟奇殺人者「グレイヴディッガー」に見えない火を放つボウガンで狙われる。八神からの骨髄移植を待つ患者は、すでに免疫のない状態で管理されている。もし彼の到着が遅れれば、患者は死ぬ可能性がある。はたして、八神は、三重の追ってから逃れながら、東京の南北を縦断し、時間までに移植手術の行われる病院に到着することができるのか。<br /><br />■　八神はなぜ走るのか。このミステリは、それが説得力をもって語られるか否かにかかっています。八神自身は、昔騙して、その夢を叩きつぶした300人の少女に対する「罪滅ぼし」と言います。だから、自分の骨髄はだれか子どもに移植されたらいいな、と考えます。それに対して、移植医の主治医は、子どもを騙したことなど気にすることはないと言います。なぜなら、「今の大人みんながそうだから」。耳が痛い。<br /><br />しかし、八神が走る動機は、八神自身のもっと深いことろから発しています。それは、八神が高校生のときに、かつあげで捕まえた警察官によって語られます。子どもが子どもでいられる居場所の大切さ。それを知っている八神だから八神は走り続ける。彼の命を掛け金にした、人生最大の博打の結末は。高野さんの用意した結末は、決して読者を裏切りません。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>長岡弘樹『傍聞き』</title>
      <pubDate>Wed, 29 Feb 2012 17:11:40 +0900</pubDate>
      <description>■　速攻、長岡弘樹『傍聞き』（双葉文庫・2011年）を読み終える。すごく評判のいい短編集でしたが、評判にたがわず、収められている４編とも、涙腺を刺激するよい物語です。交通事故で車いすの生活を強いられる娘を持つ救急隊員、殉職した父を持ち、母もまた刑事の小学６年生の少女、自分の不注意から息子を死なせてしまった消防士、酔って自転車に乗り事故を起こし子どもを殺した元受刑者。それそれが、人には言えない思いを抱えて生きている。それぞれがあるときにとった行動は、その「思い」が周囲のものには..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/kataegiki.jpeg" width="100" height="142" border="0" align="left" alt="kataegiki.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/kataegiki.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　速攻、<a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%82%8D%E8%81%9E%E3%81%8D-%E5%8F%8C%E8%91%89%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%95%B7%E5%B2%A1-%E5%BC%98%E6%A8%B9/dp/4575514535/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1330501830&sr=1-1" target="_blank">長岡弘樹『傍聞き』（双葉文庫・2011年）</a>を読み終える。すごく評判のいい短編集でしたが、評判にたがわず、収められている４編とも、涙腺を刺激するよい物語です。<br /><br />交通事故で車いすの生活を強いられる娘を持つ救急隊員、殉職した父を持ち、母もまた刑事の小学６年生の少女、自分の不注意から息子を死なせてしまった消防士、酔って自転車に乗り事故を起こし子どもを殺した元受刑者。それそれが、人には言えない思いを抱えて生きている。それぞれがあるときにとった行動は、その「思い」が周囲のものには見えないために、きわめて不可解なものに映ります。怪我した人を病院に送らずに、サイレンを鳴らしたまま救急車を走らせたり。母親に対する不満をつづった絵はがきを間違った宛先に送ったり。火事の現場で赤ん坊を隠したり。毎日決まった時間に電気店に行ったり。しかし、それらの行動にはちゃんとした「意味」がある。謎の行動と心に秘めた思いがつながったとき、それぞれの物語は、ほんとうの姿を読者の前に現します。短編ならではの仕掛けに、思わず溜息。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>リチャード・ホーク『デビルをさがせ』</title>
      <pubDate>Tue, 28 Feb 2012 18:32:25 +0900</pubDate>
      <description>■　成長しない。我ながらあきれる。「ちゃんと書こう」を言い訳に、締切を破った論文はいくつあっただろうか。博士論文がそうでした。いや、そもそも書き上げることのできなかった「論文」（「論文」にすらなかなかったもの）は、いくつあっただろうか。このブログもそうである。いい加減にいこう。よし、ただ読んだ本を、「ただ読んだ」と書くだけでいいじゃかいか。しばらくは、こう開き直って書きたいと思います。しかし、それもいつまでつづくやら。■　昨日読み終わったのは、型どおりのハードボイルド。リチャ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/speakdevil.jpeg" width="100" height="142" border="0" align="left" alt="speakdevil.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/speakdevil.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　成長しない。我ながらあきれる。「ちゃんと書こう」を言い訳に、締切を破った論文はいくつあっただろうか。博士論文がそうでした。いや、そもそも書き上げることのできなかった「論文」（「論文」にすらなかなかったもの）は、いくつあっただろうか。このブログもそうである。いい加減にいこう。よし、ただ読んだ本を、「ただ読んだ」と書くだけでいいじゃかいか。しばらくは、こう開き直って書きたいと思います。しかし、それもいつまでつづくやら。<br /><br />■　昨日読み終わったのは、型どおりのハードボイルド。<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%81%9B-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89-%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF/dp/4151770011/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1330420153&sr=8-1" target="_blank">リチャード・ホーク『デビルをさがせ』（ハヤカワ文庫・2007年）</a>、研究室の本棚に積んであったのが目について、読んでみました。出だしは、なかなか魅力的。感謝祭で沸くニューヨーク。鼓笛隊が行進し、山車が練り歩くパレードで、銃の乱射事件が起きます。パレードが大混乱するなか、たまたま居合わせた私立探偵フィリツ・マローンが、銃撃犯を目撃し、単身追うことになります。犯人に追いついたマローンは、銃撃された警官が持っていた拳銃を拾って、犯人と撃ち合いになり、なんとか犯人を倒します。しかし、後から駆けつけた警官が、有無も言わせず、マローンに覆面をかぶせて、車で連行していきます。マローンには、まったく訳がわかりません。<br /><br />マローンは、都会の私立探偵の型どおり、口八丁手八丁、すてきな彼女もいる。そして、生い立ちもちょっと謎めいています。何度も「口」が災いを招きながら、いろんなところに首を突っ込んでは、事件を引っかき回しながら、マローンは次第に真相に近づいていきます。このミステリ、スリリングな出だしが良かっただけに、その後の行き当たりばったりの展開はどうもいただけません。物語もかなり破綻しています。それと、マローンの一人称の語りのミステリなので、彼の会話だけでなく、地の文もまた、彼特有のシャレと皮肉があふれていて、読み手にはちょっと辛い。500頁を超える本ですが、たぶん300頁で十分な内容かもしれません。暇つぶしにはいいかも。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
                  <enclosure url="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/speakdevil.jpeg" length="44469" type="image/jpeg" />
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/archives/10637387.html</link>
      <title>憲法教育を考える</title>
      <pubDate>Mon, 20 Feb 2012 20:21:13 +0900</pubDate>
      <description>■　法学館憲法研究所の「教員が集う　中高生のための映像教室　『憲法を観る』」のＨＰに寄稿しました。日頃、憲法教育について考えていることをつらつらと書いてみました。関心のある方はご覧ください。タイトルは、「民主政治と公共的な討議――主権者教育のささやかな実践から」です。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
■　法学館憲法研究所の「教員が集う　中高生のための映像教室　『憲法を観る』」のＨＰに寄稿しました。日頃、憲法教育について考えていることをつらつらと書いてみました。関心のある方はご覧ください。タイトルは、<a href="http://www.mirukenpou.net/kenpou_kyouiku/backnumber/120220.html" target="_blank">「民主政治と公共的な討議――主権者教育のささやかな実践から」</a>です。<a name="more"></a>

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            <category>憲法</category>
      <author>憲文録</author>
          </item>
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      <title>冤罪と“死者の名誉”－2011年年末年始の読書(3)</title>
      <pubDate>Mon, 19 Dec 2011 21:46:58 +0900</pubDate>
      <description>■　死者の名誉については、刑法上は、法律によって保護された利益の１つである。ただし、刑法の名誉毀損罪が死者について成立するためには、死者についての記述が虚偽であることを要します。「死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない」〔刑法230条２項〕。公務員や社会的な影響力の大きい公人は別ですが、まったくの私人については、真実を述べて、他人の“仮の姿”を暴き、それによってその人の社会的評価を低下させた場合、名誉毀損罪が成立する可能性があり..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/arekara.jpeg" width="100" height="150" border="0" align="left" alt="arekara.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/arekara.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　死者の名誉については、刑法上は、法律によって保護された利益の１つである。ただし、刑法の名誉毀損罪が死者について成立するためには、死者についての記述が虚偽であることを要します。「死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない」〔刑法230条２項〕。公務員や社会的な影響力の大きい公人は別ですが、まったくの私人については、真実を述べて、他人の“仮の姿”を暴き、それによってその人の社会的評価を低下させた場合、名誉毀損罪が成立する可能性があります。そこが生者の名誉と死者の名誉の違いです。<br /><br />問題は、民事上、死者に対する名誉毀損を理由に損害賠償を請求することができるかです。これについては、かりに死者の名誉が法律上保護された利益であるとしても、それを請求する手段が実体法上ないため、現実には請求できないとする判例もあります。むしろ、死者の名誉を直接問題にするのではなく、そのことで遺族の“死者を思慕する感情”が害されたことを理由に、損害賠償を請求するという途が現実的かもしれません。このような請求の可能性を肯定する判例もあります。<br /><br />痴漢を働いたという汚名を着せられて死んでいった父親。しかも、痴漢をとがめた“正義の若者”を過って殺してしまう。しかし、実は、その痴漢は冤罪の可能性があった。かりにそれが冤罪だとすれば、父親の名誉は、法的にはどのようにすれば回復できるのか。これがメインのテーマではありませんが、その点を考えさせるミステリが、<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%A2%E5%8F%A3-%E6%95%A6%E5%AD%90/dp/4344417577/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1324298580&sr=8-2" target="_blank">矢口敦子『あれから』（幻冬舎・2011年）</a>です。<br /><br />■　今年を象徴する漢字は「絆」だそうです。家族の絆を確かなものにするには、それ相応の時間とエネルギーが必要です。しかし、家族の絆は、一瞬のうちに断ち切られてしまうことがある。家族の幸せは、ちょっとしたきっかけで崩れてしまう。主人公の千幸は高校１年生。いつもと変わらないはずの朝が、昨日までの朝とはまったく違ったものになる。どうも父親の様子がおかしい。お願い事をしようと思って声をかけても、その反応はどこかぼんやりとしている。そして、突然、玄関で倒れてしまう。<br /><br />父は救急車で病院に運ばれ、家に残った千幸の前に２人の警察官が現れる。どうやら父は、電車で痴漢を働いたあげく、とがめようとした大学生を線路に突き落として死なせたらしい。妹と真相を突き止めようとするが、父は何も語ることなく死を選ぶ。しっかりしていたはず妹もまた、後を追い、母も酒浸りの生活に。そんなふうにして、携帯電話を父にどうやっておねだりしようと悩むような、千幸の平凡な生活はあっけなく崩れ去っていく。<br /><br />■　「ＳＡＣＨＩＫＯ」という歌を、昔カラオケでよく歌っていた記憶があります。“ＳＡＣＨＩＫＯという名は、皮肉だと／自分に宛てた手紙もやして”という歌詞があります。千幸の思いも多分そうでしょう。しかし、作者の矢口さんは、その千幸を10年後看護師という職業を選んだ女性として描きます。そこに、矢口さんの千幸に対する思いが象徴的に表れていると、私は思うのです。だから、この千幸の物語が絶望的に暗く辛いものであっても、最後に救いと癒しがあります。そして、そんな矢口さんが、３．１１の後に、この本のために書いた「あとがき」を是非多くの人に読んでいただきたいと思います。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>“謝罪”という言語行為-2011年年末年始の読書(2)</title>
      <pubDate>Sun, 18 Dec 2011 10:28:41 +0900</pubDate>
      <description>■　「窓を開けて」と言う。この発言は、“部屋の中がちょっと暑い”というメッセージを相手に伝えている。もちろん、他のメッセージである可能性もあります。しかし、この発言は、同時に、メッセージが向けられた人に対して“命令する”という意味をも持っています。ただし、この意味も相手との関係で変わってきます。教師と生徒との間では“命令”だし、友人同士であれば“お願い”と受け止められるでしょう。このように、私たちは、日常的に、何かを言うことで、何かをしています。もう１つ例を挙げれば、あなたが..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/shazaidaikousha.jpeg" width="100" height="147" border="0" align="left" alt="shazaidaikousha.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/shazaidaikousha.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　「窓を開けて」と言う。この発言は、“部屋の中がちょっと暑い”というメッセージを相手に伝えている。もちろん、他のメッセージである可能性もあります。しかし、この発言は、同時に、メッセージが向けられた人に対して“命令する”という意味をも持っています。ただし、この意味も相手との関係で変わってきます。教師と生徒との間では“命令”だし、友人同士であれば“お願い”と受け止められるでしょう。<br /><br />このように、私たちは、日常的に、何かを言うことで、何かをしています。もう１つ例を挙げれば、あなたが、ある女性に「結婚してください」と言ったとします。あなたは、彼女に“結婚したい”という自分の気持ちを伝えているのと同時に、「プロポーズ」という行為を行っています。このような言語の働きを“発見”したのは、イギリスの哲学者オースティンです。オースティンは、この働きを“発話内行為”と呼びました。そして、この言語の働きを「言語行為」論として理論的に発展させたのが、アメリカの哲学者サールです。この哲学上の“発見”は、20世紀最大の“発見”の１つではないかと、私は考えています。<br /><br />■　「私はあなたに謝罪します」という発言は、「謝罪」という言語行為です。この謝罪が言語行為として成功するかどうかは、それぞれの個別具体的な状況によります。そして、どのような状況で「すみません」という発言が、謝罪の意味を持つかは社会のコンベンションによって決定されます。おそらく、謝罪という言語行為の第１の条件は、“本人によって”謝罪の言葉が発せられると言うことではないでしょうか。不注意で相手を傷つけたとすれば、まず、本人が謝罪すべきである。これが、謝罪に関する社会的なコンベンションでしょう。<br /><br />ところが、<a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E4%BB%A3%E8%A1%8C%E7%A4%BE-%EF%BC%88%E4%B8%8A%EF%BC%89-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%BE%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC/dp/4151792015/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1324171537&sr=1-1" target="_blank">ゾラン・ドヴェンカー『謝罪代行社』（ハヤカワミステリー文庫・2011年）</a>は、他人に代わって謝罪することを仕事とする４人の若者が巻き込まれた恐怖を描いたミステリです。この４人の若者は、仕事をクビになったり、恋人に死なれたり、家族とうまくいかなかったりと、それぞれに悩みや鬱屈した感情を抱いています。そんな彼らが、ひょんなことから、他人に代わって謝罪する「謝罪代行社」をインターネット上に立ち上げます。半年後には、ベルリン郊外の湖畔に別荘を買えるほどぐらい、会社は繁盛します。<br /><br />■　やはり、面と向かって謝罪するのは、気の重い、できることなら避けたいことがらです。一方的に面罵されても、言い返すこともままならない。相手は、「本心から謝っているのか」、「本当に反省しているのか」と迫ってきます。しかし、誠意や反省が内心の問題である以上、100％証明することは難しい。ただただ、繰り返し頭を下げて謝る以外にない。嵐が過ぎ去るのをやり過ごすように。そんなわけで、謝罪はほんと厄介です。誰かに代わってもらえるならば、お金を払っても構わないと思う人がいても不思議ではありません。<br /><br />ある日、彼らの会社に一通のメールが届きます。ある場所に行って謝罪してほしい。彼らがその場所に赴くと、額を釘で打ち抜かれ、壁に磔にされた死体がある。おそらくそれを実行した者が、その死体に向かって、彼が言うとおりの謝罪の言葉を言うようにと命ずる。そこから、４人の人生は暗転していきます。<br /><br />■　謝罪もまた、社会的なコンベンションに基礎づけられた言語行為です。とすれば、社会的なコンベンションが、時代の中で変化すれば、謝罪を成立させる社会的な条件も変わるはずです。しかし、不正を行った“張本人”に謝ってほしい、という私たちの思いはそう変わらないでしょう。そして、不正が大きくなればなるほど、謝るべき人が決して謝らない、という社会の現実もまたそう変わらないでしょう。それが一番問題なのですが。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>宝くじと“配分的正義”－2011年年末年始の読書(1)</title>
      <pubDate>Sat, 17 Dec 2011 17:10:59 +0900</pubDate>
      <description>■　私は、宝くじも馬券も買いません。でも、聞くところによると、頼まれて他人のために宝くじや馬券を買ったり、頼んでもいないのに、親切にも宝くじや馬券を買って、他人にあげたりする人がいるようです。そんなことができるのは、“まぁ、どうせあたらないさ”と思っているからなのでしょう。しかし、そこには、ぽっかりと“深い暗い穴”が口を開けて待っていることがある。そんな話しが、佐藤正午『身の上話』（光文社文庫・2011年）です。■　話しの発端は、こんなふうです。あなたは、職場の先輩２人からそ..</description>
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<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/minouebanashi.jpeg" width="100" height="142" border="0" align="left" alt="minouebanashi.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/minouebanashi.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　私は、宝くじも馬券も買いません。でも、聞くところによると、頼まれて他人のために宝くじや馬券を買ったり、頼んでもいないのに、親切にも宝くじや馬券を買って、他人にあげたりする人がいるようです。そんなことができるのは、“まぁ、どうせあたらないさ”と思っているからなのでしょう。しかし、そこには、ぽっかりと“深い暗い穴”が口を開けて待っていることがある。そんな話しが、<a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%BA%AB%E3%81%AE%E4%B8%8A%E8%A9%B1-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E6%AD%A3%E5%8D%88/dp/4334763200/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1324109147&sr=8-2" target="_blank">佐藤正午『身の上話』（光文社文庫・2011年）</a>です。<br /><br />■　話しの発端は、こんなふうです。あなたは、職場の先輩２人からそれぞれ5000円渡されて、宝くじを買うように頼まれます。同じように、同僚の友だちに3000円渡されて、宝くじを買ってきてと言われます。先輩をＡとＢとしましょう。友だちをＣとしましょう。宝くじは１枚300円。あなたは、几帳面にＡとＢからもらった5000円でそれぞれ16枚買って、200円ずつおつりを返します。Ｃには10枚買って、渡します。続き番号で買ったとすれば、あなたは、慎重を期して、その合計42枚のどの続き番号を取るかは、３人で決めてもらうでしょう。もちろん、当選番号の発表前に券を渡すのは当たり前です【第１のパターン】。<br /><br />しかし、あなたは慌てていて、13000円全額を出して、宝くじを買ってしまいました。つまり、合計43枚買ったとします。おつりは100円です。あなたは、43枚買ったのですが、３人には42枚買ったことにし、先ほど述べた方法で、ＡとＢとＣに宝くじを渡しました。手許には、宝くじが１枚残ります。しかし、あなたは、当選番号の発表前に精算を済ませています。一応は、この宝くじは、“あなたが買った、あなたの宝くじ”といっていいでしょう【第２のパターン】。<br /><br />■　さて、『身の上話』の主人公のミチルは、【第２のパターン】で宝くじを買いました。しかし、ミチルが宝くじを買ったその足で、衝動的に生まれ育った町を捨てて、東京に出てきてしまったことから、話しが変わってきます。43枚の宝くじは、ミチルの手許に預かられたまま。そして、運命の当選番号の発表時を迎えます。何の気なしに確かめたところ、そのうちの１枚が大当たり、２億円の当たりくじでした。そこから、ミチルの人生は、悪い方に悪い方に流れていきます。その“転落人生”の顛末は、本書をお読みください。あり得ない話しが、“あるある”と思わせる佐藤正午さんの語りのうまさを堪能してもらいましょう。<br /><br />気になるのは、【第２のパターン】。民法的にどう考えればよいのかということです。そして、ミチルの場合はどうなるのか。預かった１枚が当選し、その当選した券が、ひょっとすると“余分に買った１枚で、確率的には43分の1の確率でミチルのものだったかもしれない”（反実仮想）。しかし、おつりの精算はしていない。だから、100％ミチルのものとは言いがたい。そもそも、ミチルは、お使いに出た“使者”にすぎないのかも。代理や事務管理の問題も絡んできそう。<br /><br />この43枚の宝くじは、あたかも、Ａ、Ｂ、Ｃ、ミチルの“共有物”とされ、出資に応じて２億円は分配されるべきなのでしょうか。その際、ミチルは現実には出資しているとはみなされず、Ａ、Ｂ、Ｃの３人で出資に応じて分配されるべきなのでしょうか。今度、民法の先生に聞いてみよう。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>船とクラリネット</title>
      <pubDate>Sat, 25 Jun 2011 22:31:35 +0900</pubDate>
      <description>■　今日は、私の勤務する大学の第１回の“キャンパス説明”でした。多くの高校生が、志望する学部・学科の説明会と、模擬講義に参加してくれました。私も、生命倫理と遺伝子操作をテーマに40分の模擬講義をしました。いろいろな“思考実験”を通じて、参加した高校生の“常識”にちょっとでも揺さぶりをかけることができたならいいな、と思いながら、講義しました。“思考実験”といえば、昨日の“私”、１年前の“私”、生まれたときの“私”は、今の“私”と同じ“私”ということができるのはなぜか、この自己同..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/rattukasuru.jpeg" width="100" height="141" border="0" align="left" alt="rattukasuru.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/rattukasuru.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　今日は、私の勤務する大学の第１回の“キャンパス説明”でした。多くの高校生が、志望する学部・学科の説明会と、模擬講義に参加してくれました。私も、生命倫理と遺伝子操作をテーマに40分の模擬講義をしました。いろいろな“思考実験”を通じて、参加した高校生の“常識”にちょっとでも揺さぶりをかけることができたならいいな、と思いながら、講義しました。<br /><br />“思考実験”といえば、昨日の“私”、１年前の“私”、生まれたときの“私”は、今の“私”と同じ“私”ということができるのはなぜか、この自己同一性をめぐる哲学的な問題には、お馴染みの“思考実験”がいくつかあります。その１つに、“総取っ替えされた船”の“思考実験”があります。ある船が、横浜の港を出で、１年後に横浜に帰ってくる間に修理を繰り返しているうちに、船を作るすべてのパーツが、出航前のものとは別なものに取り替えられたとすれば、その船は、１年前に横浜港を出た船と“同じ”船だといえるのだろうか。さて、皆さんはどう答えますか。<br /><br />■　“日常の謎”を扱う音楽（ジャズ）ミステリといえば、田中啓文さんの“氷見緋太郎の事件簿”シリーズがあります。その第１作品集が、<a href="http://www.amazon.co.jp/落下する緑―永見緋太郎の事件簿-創元推理文庫-田中-啓文/dp/4488475019/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1309008504&sr=8-2" target="_blank">『落下する緑』（創元推理文庫・2008年）</a>です。主人公の氷見は、ジャズ・クィンテットでテナーサックスを吹くジャズマンで、音楽以外のことにはほとんど無関心な男。バンドリーダーの唐島は、そんな氷見に目を掛け、音楽以外のことにも目を向けさせようと、彼をいろいろなところに引っ張っていきます。そこには、いつも奇妙な謎が、氷見たちを待ち受けています。<br /><br />抽象画の展覧会で、絵が逆さまに掛けられていたのはなぜか〔「落下する緑〕。スイングという点では天才的なトランペット奏者はなぜ忽然とジャズの世界から姿を消したのか〔「反転する黒」〕。死んだ時代小説家の代表作の続編が発見されたというが、その真贋はいかに〔「遊泳する青」〕。来日したジャズ・ボーカルの男が、ハーモニカしか吹かず、決して歌おうとしないのはなぜか〔「挑発する赤」〕。フルート奏者の男は尺八に見せられ、弟子入りするが、結局師匠に「破門」されたのはなぜか〔「虚言するピンク」〕。気むずかしいベーシストが“フランソワ”と名付けて大切にするベースを壊したのは誰か〔砕けちる褐色〕。<br /><br />■　“クラリネット・キング”の称号を持つアメリカのクラリネット奏者が、自分の後継者と認めたたった1人に、愛用のクラリネットを譲る。譲り受けたジャズマンは、日本人であり、彼には、同じく“クラリネット・キング”の薫陶を受けたライバルがいた。その男が、突如、自分こそが正統な“クラリネット・キング”の後継者であると宣言する。そして、彼が持つクラリネットこそが、キング愛用のクラリネットであると言う。２人のどちらが“クラリネット・キング”の真の後継者なのか。そして、どちらが持つクラリネットが真のキング愛用のクラリネットなのか。<br /><br />ネタバレになりそうなのですが、クラリネットの謎は、前に述べた“総取っ替えされた船”の問題のクラリネット版です。しかし、クラリネットの真贋よりも大切なのは、“クラリネット・キング”の名を継ぐにふさわしいのは、どちらのジャズマンかということです。“クラリネット・キング”を丸コピする弟子か、それとも、そうではない“何か”を受け継ぐ弟子か。この解決は、“総取っ替えされた船”の問題に対する１つの答えでもあります。そしてそれは、20世紀を代表する哲学者の１人、ロバート・ノジックの答えでもありました。答えは、<a href="http://www.amazon.co.jp/考えることを考える〈上〉-ロバート-ノージック/dp/4791756037/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1309039095&sr=1-2" target="_blank">この本</a>の中にあるけど、読んでみてくださいとはいえない。何しろ厚くて難解。<a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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      <title>方程式と学問</title>
      <pubDate>Sun, 19 Jun 2011 11:36:17 +0900</pubDate>
      <description>■　ミステリは、ある種の“方程式”かもしれません。一方に謎があり、他方に解決があり、2つは等号で結ばれていなければならない。謎の側には、ｘやｙといったいくもの変数が埋め込まれている。そして、この変数に代入すべき事柄（証拠）は、すべて物語のなかに隠されていなければなりません。それが“伏線”と呼ばれるものであり、“伏線”がなかったり、回収されない“伏線”があれば、方程式の等号は成立せず、ミステリは破綻する。これを徹底するのが“パズラー”系のミステリーです。もちろん、物語にドラマと..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/image/manatsunohoteishiki.jpeg" width="100" height="144" border="0" align="left" alt="manatsunohoteishiki.jpeg" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/upload/detail/image/manatsunohoteishiki.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" />■　ミステリは、ある種の“方程式”かもしれません。一方に謎があり、他方に解決があり、2つは等号で結ばれていなければならない。謎の側には、ｘやｙといったいくもの変数が埋め込まれている。そして、この変数に代入すべき事柄（証拠）は、すべて物語のなかに隠されていなければなりません。それが“伏線”と呼ばれるものであり、“伏線”がなかったり、回収されない“伏線”があれば、方程式の等号は成立せず、ミステリは破綻する。これを徹底するのが“パズラー”系のミステリーです。もちろん、物語にドラマとしての深みを与えるためには、“伏線”とは別のエピソードが必要だし、読後に余韻を残すためには、解決されない“謎”もなければなりません。<br /><br />東野圭吾さんの作家生活25周年記念作品第２弾は、“方程式”という言葉をタイトルに入れた、その意味では彼の“自信作”ともいえるミステリではないでしょうか。タイトルは、<a href="http://www.amazon.co.jp/真夏の方程式-東野-圭吾/dp/416380580X" target="_blank">『真夏の方程式』（文藝春秋・2011年）</a>です。<br /><br />■　“ガリレオ”湯川は、海底金属鉱物資源について調査・開発する会社の依頼を受けて、玻璃ヶ浦という名を持つ美しい海辺にやってきます。そこで、両親の都合で夏休みを１人で過ごすことになった１人の少年に出会い、「博士」と呼ばれるようになる。２人は、玻璃ヶ浦の海を守るために海底資源の開発に反対する若い女性の実家である旅館に滞在します。そして、海底資源の調査・開発を行うデスメックという会社の現地説明会の日に、その説明会に参加するために東京から来ていた初老の男性が、海に転落死するという事件が起こります。<br /><br />町に不案内な人間が暗いなか酔っ払って散歩していて、何かの拍子に海に落ちた“事故”として、地元の警察は事件を処理しようとします。しかし、転落死した元警察官に世話になった警視庁の管理官が現場に乗り込んできて、東京で遺体を司法解剖する手続をとったところから、事故は、にわかに事件性を帯びてきます。死因は一酸化炭素中毒。そして、死亡した後に遺体が海に捨てられた。元警察官は、なぜ玻璃ヶ浦までわざわざやってきて、デスメックの現地説明会に参加したのか。彼は、説明会の前に、15年ほど前、自分が犯人逮捕に関わった殺人事件の犯人がかつて住んでいた別荘にも足を運んでいたことがわかる。この15年前の殺人と彼の転落死とは、何か関連性があるのか。<br /><br />■　湯川は、死んだ元警官もまた、自分が滞在する“緑岩荘”に宿泊していたことから、徐々に事件捜査にかかわっていくことになります。やがて、湯川は、“この事件の解決を誤れば、1人の人間の人生を大きく変えることになる”と確信し、玻璃ヶ浦から警視庁の友人・草薙と薫に指示を与えながら、方程式の変数に適切な数字を一つ一つ代入していきます。<br /><br />湯川が最後にたどり着いた“真実”は、湯川を大いに苦悩させます。前作の『聖女の救済』〔<a href="http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/archives/7961924.html" target="_blank">※</a>〕で湯川は、“今回は負けるかもしれない”と呟きましたが、今回でも、“負け”を覚悟します。彼には、“勝ってはいけない理由”があったからです。むしろ、今回は、“誰も負けない”ように事件を解決するのが、むしろ湯川は仕事だったといっていいでしょう。もっといえば、将来に“勝ち”を残した結末を、湯川は用意したかったのです。<br /><br />■　湯川は、すこし生意気な少年を相手に、科学の意味や学問の大切さをかなりストレートに語ります。科学が何の役に立つのさ、とうそぶく少年に湯川はこう言います。「理科嫌いは結構だ。でも覚えておくことだな。わかんないものはどうしょうもない、などといっていては、いつか大きな過ちを犯すことになる」〔63頁〕。本書を読み終えたとき、この言葉の“本当の意味”がわかる仕掛けになっています。これは、事件解決のための“伏線”ではなく、物語全体の理解のための“伏線”と言っていい言葉です。そして、少年との別れ際に、もう１つ大切なことを彼に伝える。<br /><blockquote>「どんな問題にも答えは必ずある」「だけどそれをすぐに導き出せるとはかぎらない。人生においてもそうだ。今すぐには答えは出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。そのたびに悩むことには価値がある。しかし焦る必要はない。答えを出すためには、自分自身の成長が求められる場合も少なくない。だから人間は学び、努力し、自分を磨かなければならないんだ」〔412頁〕。</blockquote><br />高校生の半分以上が、自宅でまったく学習しない、いまの日本。私の娘の言葉で言えば、“無勉”の時代。そして、“無勉”でテストを受けて、赤点（死語か？）とらないのが格好いい、点数なんて関係ねぇ、という意識の彼ら。しかし、勉強しないのに、“答え”だけはすぐもらいたがる。湯川の言葉は、そんな彼らに届くのだろうか。湯川の言葉に大きく肯くのが、湯川と同じような大学関係者だけだとすれば寂しいかぎりです。<br /><br />■　本書は、ミステリ的な意味では、最後に真相が明らかになり、事件は解決されます。しかし、この事件の関係者がそれぞれに抱える苦悩は、事件の解決によってはけっして消えません。その人生の問いにどう答えを出すか、それは、その人の人生を賭けて取り組まなければならない問題として残されます。“伏線”をすべて拾った後で、残る読後の余韻は、前作の『麒麟の翼』〔<a href="http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/archives/10191751.html" target="_blank">※※</a>〕同様に味わい深い。“湯川vs天才犯罪者”という、これまでの枠を外したがゆえに書けた、ガリレオ・シリーズの傑作といっていい１冊でした。<br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>読書</category>
      <author>憲文録</author>
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