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    <title>江戸名所日記</title>
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    <itunes:author>kitora</itunes:author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/10141917.html</link>
      <title>新江戸日記</title>
      <pubDate>Fri, 13 May 2011 11:53:30 +0900</pubDate>
      <description>パリ・オペラ座歌舞伎公演１何ができるのかな？何ができるのかな？</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<script type="text/javascript">extVideoConfig = {"width":"240","url":"http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata&v=nBQDApLF1AI","height":"180"};</script><script type="text/javascript" src="http://blog.dion.ne.jp/contents/js/external_video.js"></script>何ができるのかな？<br /><br /><a href="http://up.blogs.dion.ne.jp/kitora/image/shiba13.gif" target="_blank"><img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/kitora/image/shiba13-thumbnail2.gif" width="300" height="300" border="0" align="" alt="shiba13.gif" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/kitora/upload/detail/image/shiba13-thumbnail2.gif.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />何ができるのかな？<br /><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/330563.html</link>
      <title>目黒不動</title>
      <pubDate>Thu, 09 Dec 2004 20:52:38 +0900</pubDate>
      <description>目黒不動は、江戸の五色不動の一つで、不動明王を本尊とする７世紀に開山した関東最古の不動霊場との事。なんでも、鷹狩りの帰りに立ち寄って以来深く帰依した家光が、火災で消失し仮本堂のままになっていた本堂を再建して以来、歴代将軍の保護を受け、江戸時代には、信仰と富士山景勝の行楽地として栄えたそうです。実際、境内は広大で、本堂・仁王門・書院・鐘楼と壮麗な伽藍立ち並び、又、本堂へ続く階段の左側には「独鈷の滝」という湧水まであります。大変立派で、いかにも御利益がありそうです。家内安全・商売..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font style="BACKGROUND-COLOR: #99ff99"></font><font style="BACKGROUND-COLOR: #99ff99"></font><br /><p><br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/2004120966dd4b73.jpg" target="_blank"><img class="pict" height="120" alt="2004120966dd4b73.jpg" hspace="5" src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/2004120966dd4b73-s.jpg" width="160" align="left" border="0" /></a><font style="BACKGROUND-COLOR: #99ff99">目黒不動は、江戸の五色不動の一つで、不動明王を本尊とする７世紀に開山した関東最古の不動霊場との事。なんでも、鷹狩りの帰りに立ち寄って以来深く帰依した家光が、火災で消失し仮本堂のままになっていた本堂を再建して以来、歴代将軍の保護を受け、江戸時代には、信仰と富士山景勝の行楽地として栄えたそうです。実際、境内は広大で、本堂・仁王門・書院・鐘楼と壮麗な伽藍立ち並び、又、本堂へ続く階段の左側には「独鈷の滝」という湧水まであります。大変立派で、いかにも御利益がありそうです。家内安全・商売繁盛の祈願をしましたが、目黒不動さんのホームページでは災厄難を除ける不動尊でした。家内安全は災厄難かな？<br />（お江戸の昔も変わらぬ景色です）<br /></font><img class="pict" height="265" alt="目黒不動浮世絵" hspace="5" src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041209a6c2198a.jpg" width="400" align="left" border="0" /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /></p><br /><p></p><br /><p><br /><hr /></p><br /><p>今回で終わりとします。アクセスして頂いた方、ありがとうございます。<br /></p><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/302427.html</link>
      <title>鬼子母神</title>
      <pubDate>Thu, 02 Dec 2004 08:37:45 +0900</pubDate>
      <description>鬼子母神というと「恐れいりや鬼子母神」という言葉が良く知られていて入谷という感じですが、雑司が谷も「すすきのみみずく」を名物にしていて有名です。鬼子母神は、子授け・安産・子育ての神様です。来歴として伝わるのは、多くの子どもを育てるのに他人の子どもの肉を食っていた鬼子母神が、お釈迦様に自分の子どもの一人を隠され嘆き哀しみ、その事でやっと自分のおろかさに改心して母と子を守る神となったというもの。石榴の実は、子供の肉を食べたくなったらかわりに食べてものとして、お釈迦様から渡されたと..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041202b7d341cd.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041202b7d341cd-s.jpg" width="159" height="114" border="0" alt="20041202b7d341cd.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>鬼子母神というと「恐れいりや鬼子母神」という言葉が良く知られていて入谷という感じですが、雑司が谷も「すすきのみみずく」を名物にしていて有名です。<br />鬼子母神は、子授け・安産・子育ての神様です。来歴として伝わるのは、多くの子どもを育てるのに他人の子どもの肉を食っていた鬼子母神が、お釈迦様に自分の子どもの一人を隠され嘆き哀しみ、その事でやっと自分のおろかさに改心して母と子を守る神となったというもの。<br />石榴の実は、子供の肉を食べたくなったらかわりに食べてものとして、お釈迦様から渡されたとの事です。<br />ひどく恐ろしい伝説ですが、石榴ってそんな味がしていましたっけ。アボガドと山葵でトロの味だそうですので、結構どこかで繋がっているのかもしれません。<br />（下の写真は石榴の絵馬です）<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/2004120269b4fea3.jpg" width="400" height="300" border="0" alt="石榴絵馬" hspace="5" class="pict" align="left"/><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/298510.html</link>
      <title>品川</title>
      <pubDate>Wed, 01 Dec 2004 08:13:01 +0900</pubDate>
      <description>品川は、江戸時代には東海道五十三次の第一番目の宿として栄えました。日本橋から歩けば二里(約8キロ)といった距離です。ここは又､｢鉄道創業の地｣だそうです｡日本最初の鉄道は新橋－横浜間を走ったはずですが、これに先立つ４ケ月前から品川－横浜間で仮開業していたので､最初に鉄道が走った品川駅が鉄道創業の地なのだそうです｡では何故新橋ー品川間が遅れたかというと、用地確保で困難を極めた為。特に高輪は陸軍部の土地があったのですが、測量さえさせてもらえない状態でした。そこで、鉄道推進派の大隈..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041201f7bb4118-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="鉄道" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>品川は、江戸時代には東海道五十三次の第一番目の宿として栄えました。日本橋から歩けば二里(約8キロ)といった距離です。<br />ここは又､｢鉄道創業の地｣だそうです｡<br />日本最初の鉄道は新橋－横浜間を走ったはずですが、これに先立つ４ケ月前から品川－横浜間で仮開業していたので､最初に鉄道が走った品川駅が鉄道創業の地なのだそうです｡<br />では何故新橋ー品川間が遅れたかというと、用地確保で困難を極めた為。特に高輪は陸軍部の土地があったのですが、測量さえさせてもらえない状態でした。そこで、鉄道推進派の大隈重信が大英断を行い、「陸軍部の土地なぞいらん。陸蒸気を海に通せ」という事で、田町～品川間の約３キロを堤防を築いて。蒸気機関車を、海の中を走らせることになったという事です。<br />その結果、下の様な錦絵の風景となりました。<br />しかし、この景色は結構魅力的、どこかで復元しないかな。<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041201303e8649.jpg" width="320" height="164" border="0" alt="高輪鉄道" hspace="5" class="pict" align="left"/><br /><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/275327.html</link>
      <title>愛宕山</title>
      <pubDate>Thu, 25 Nov 2004 20:46:03 +0900</pubDate>
      <description>「鉄道唱歌」に《愛宕の山に入り残る月を旅路の友として》と歌われた愛宕山。江戸府内ではもっとも高い山だったそうです。高さは26メートルで、江戸時代には、東京湾から房総の山々までが一望できたとの事。頂上には愛宕神社があり、江戸有数の景勝地として、浮世絵にも多く描かれています。特に見晴らしの素晴らしさは江戸随一で、正面の男坂を上ったあたりには多くの茶屋が軒を並べていました。この男坂、鳥居から正面に向かう八十六の石段の急階段で、実際登るとかなり息が上がります。しかし、ここを馬で登った..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041125602ec3a2.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041125602ec3a2-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="20041125602ec3a2.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>「鉄道唱歌」に《愛宕の山に入り残る月を旅路の友として》と歌われた愛宕山。江戸府内ではもっとも高い山だったそうです。高さは26メートルで、江戸時代には、東京湾から房総の山々までが一望できたとの事。<br />頂上には愛宕神社があり、江戸有数の景勝地として、浮世絵にも多く描かれています。特に見晴らしの素晴らしさは江戸随一で、正面の男坂を上ったあたりには多くの茶屋が軒を並べていました。<br />この男坂、鳥居から正面に向かう八十六の石段の急階段で、実際登るとかなり息が上がります。しかし、ここを馬で登った人がいるそうです。 世の中も太平になった頃、曲垣平九郎いう侍が皆が逡巡している中を馬でこの石段を上り下りして梅の一枝を家光公にさしあげ日本一の馬乗りとして出世したそうです。その為男坂は「出世の石段」と呼ばれています。<br />そう言えば愛宕神社に行く時はいつも神谷町方面から来ていて、裏の参道を登りこの石段は下ってばかりしていました。「しまった、道理で出世しないはずだ」<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041125515007d3.jpg" width="400" height="256" border="0" alt="愛宕神社" hspace="5" class="pict" align="left"/><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/245475.html</link>
      <title>両国橋</title>
      <pubDate>Wed, 17 Nov 2004 20:45:47 +0900</pubDate>
      <description>隅田川に架かる江戸五橋のうち両国橋は、千住大橋に次いで古い橋で、武蔵と下総の二国を結ぶ橋なので両国橋と名づけられたそうです。広重の名所江戸百景で両国橋というと花火を描いていますが、江戸時代には、両国の川開きとして花火大会が実施され、この日から隅田川に舟を浮かべて納涼することが許されたとの事。花火の日には、あちこちから屋形船、屋根船、猪牙船（ちょきぶね）など、ありとあらゆる舟が橋の下へ集まってきて、川の水が隠れてしまうほどであったという事です。これらの船は樽廻船などの海船と比べ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041117550f30a0.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041117550f30a0-s.jpg" width="159" height="105" border="0" alt="20041117550f30a0.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>隅田川に架かる江戸五橋のうち両国橋は、千住大橋に次いで古い橋で、武蔵と下総の二国を結ぶ橋なので両国橋と名づけられたそうです。<br />広重の名所江戸百景で両国橋というと花火を描いていますが、江戸時代には、両国の川開きとして花火大会が実施され、この日から隅田川に舟を浮かべて納涼することが許されたとの事。花火の日には、あちこちから屋形船、屋根船、猪牙船（ちょきぶね）など、ありとあらゆる舟が橋の下へ集まってきて、川の水が隠れてしまうほどであったという事です。<br />これらの船は樽廻船などの海船と比べて、川船というそうです。大名や武家の間の乗り物が屋形船で、大小二種類がありました。屋形船ほど大きくないが屋根つき、というのが屋根船で町人も利用でき、今の屋形船はこちらに近いそうです。船首が鋭く猪の牙の形をしているのが「猪牙船」で吉原や深川など通う為の移動手段として利用された小型の客船です。<br />ご多分に洩れず、大名や裕福な町人達が豪華を競って、金・銀・漆・絵画とあらゆる手段で屋形を飾り付けたりして、幕府が装飾や大きさに制限を加えるほどだったそうです。<br />バブルははじけましたが、現代に復元されたら人気がでそうですね。でも大きいと大変、猪牙船がいいとこ、とすると屋形がない。<br />(右端の屋根なしが猪牙船です。やはり小さい)<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041117303b8ce7.jpg" width="450" height="225" border="0" alt="両国橋" hspace="5" class="pict" align="left"/><br /><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/238719.html</link>
      <title>永代橋</title>
      <pubDate>Mon, 15 Nov 2004 22:18:02 +0900</pubDate>
      <description>隅田川には、千住大橋、吾妻橋(大川橋)・両国橋（大橋）・新大橋・永代橋の江戸五橋がありましたが、永代橋は第4番目の橋として元禄年間に現在の場所よりも上流約150mに架けられました。このあたりを永代島と呼んでいたことから「永代橋」と名づけられたそうです。江戸時代、永代橋付近には多くの廻船が停泊していたとの事です。そもそも、和船は海船と川船に分かれますが、海船は海上輸送に耐える構造の大型帆船で、主に関西から檜垣廻船、樽廻船が荷を運んでいました。これらの船は隅田川河口の江戸湊（三十..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041115061572a9.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041115061572a9-s.jpg" width="160" height="133" border="0" alt="20041115061572a9.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>隅田川には、千住大橋、吾妻橋(大川橋)・両国橋（大橋）・新大橋・永代橋の江戸五橋がありましたが、永代橋は第4番目の橋として元禄年間に現在の場所よりも上流約150mに架けられました。このあたりを永代島と呼んでいたことから「永代橋」と名づけられたそうです。江戸時代、永代橋付近には多くの廻船が停泊していたとの事です。<br />そもそも、和船は海船と川船に分かれますが、海船は海上輸送に耐える構造の大型帆船で、主に関西から檜垣廻船、樽廻船が荷を運んでいました。これらの船は隅田川河口の江戸湊（三十間堀・八丁堀・霊岸島箱崎の辺りの一帯）まで商品を積んできて停泊し、荷は問屋からの小舟に積み替え陸揚げしていました。その為、永代橋は廻船が航行できるよう橋桁を十分高く取ったので、「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房・上総、限りなく見え渡り眺望よし」といわれる程の景観だったそうです。<br />現在眺望は望むまでもない状態ですが、ここら辺はベイエリアとして開発され、永代橋も夜にはイルミネーションが点され、それはそれで情緒があります。ブルーの光が魅力的で、橋上からの眺めより、今では屋形船での水面から眺めが勝っているのではと思います。<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041116240f45f4.gif" width="283" height="187" border="0" alt="浮世絵永代橋" hspace="5" class="pict" align="left"/><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/203179.html</link>
      <title>兜町</title>
      <pubDate>Fri, 05 Nov 2004 20:50:28 +0900</pubDate>
      <description>兜町という名称の由来はこの地にある兜神社の「兜岩（かぶといわ）」にあります。この石にはいくつかの伝承がありますがひとつは、藤原秀郷（ふじわらのひでさと）が平将門の首を打ち、兜と一緒にここへ持ってきました。そして兜だけを埋めて塚を築いたことから兜山と呼ぶようになったとの事です。現在、兜町といえば東京証券取引所といわれるほどに「株の町」として有名です。そして兜神社も商売の神様として親しまれていて、祀られているのも商業の守護神の倉稲魂命（うかのみたまのみこと）、合祀の神さまを大黒様..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/2004110557b67f7c.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/2004110557b67f7c-s.jpg" width="160" height="115" border="0" alt="2004110557b67f7c.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>兜町という名称の由来はこの地にある兜神社の「兜岩（かぶといわ）」にあります。<br />この石にはいくつかの伝承がありますがひとつは、藤原秀郷（ふじわらのひでさと）が平将門の首を打ち、兜と一緒にここへ持ってきました。そして兜だけを埋めて塚を築いたことから兜山と呼ぶようになったとの事です。<br />現在、兜町といえば東京証券取引所といわれるほどに「株の町」として有名です。そして兜神社も商売の神様として親しまれていて、祀られているのも商業の守護神の倉稲魂命（うかのみたまのみこと）、合祀の神さまを大黒様と恵比寿様としています。又、証券業界の守り神にもなっていて、東京証券取引所が氏子総代を務めており、例大祭では、証券業界関係者らが、相場の活況を祈ったりするらしいです。<br />となるとここは、兜神社の勇ましい御名前や、将門様のパワーにあやかって、株で儲ける事での考えましょうか。オット最後に討ち取られてはいけない！！。<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/2004110543249d38.jpg" width="213" height="320" border="0" alt="芳年平将門" hspace="5" class="pict" align="left"/><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/199769.html</link>
      <title>将門塚</title>
      <pubDate>Thu, 04 Nov 2004 20:16:43 +0900</pubDate>
      <description>　東京都千代田区大手町一丁目。ここに将門の首を葬っているとされる「将門塚」があります。江戸時代は酒井雅楽頭(うたのかみ)という方のお屋敷の中にあったとの事ですが、何故この地なのでしょうか？なんでも、討ち取られた将門は、怨霊としての力が分散するように、首、胴、腹、手、足の五体に分けられ離れ離れにされました。その中で首は京へ送られ、一旦は東の市に晒されましたが、体の他の部分を探し求めて大音響や怪しげな光を発しながら東の空へと飛び去り、そして力つきて落ちた場所が武蔵国豊島郡芝崎村、..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/200411047a0b1d39.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/200411047a0b1d39-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="200411047a0b1d39.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>　東京都千代田区大手町一丁目。ここに将門の首を葬っているとされる「将門塚」があります。<br />江戸時代は酒井雅楽頭(うたのかみ)という方のお屋敷の中にあったとの事ですが、何故この地なのでしょうか？なんでも、討ち取られた将門は、怨霊としての力が分散するように、首、胴、腹、手、足の五体に分けられ離れ離れにされました。その中で首は京へ送られ、一旦は東の市に晒されましたが、体の他の部分を探し求めて大音響や怪しげな光を発しながら東の空へと飛び去り、そして力つきて落ちた場所が武蔵国豊島郡芝崎村、つまり現在の将門塚の場所という事らしいです。<br />場所は皇居とＪＲ東京駅に挟まれた東京の一等地で、良く残っているなというのが本当の感想なのですが、祟りを恐れて手厚く祀られていた歴史があり、その中にはマッカーサーに陳情を繰り返したりもして現在の形となっているそうです。<br />帝都物語では、主人公が帝都を破棄すべく帝都の守護神、平将門を復活させようとする。それを、阻止すべく陰陽師が平将門の首塚に結界を張るが、陰陽師は殺され結界も破られ平将門はみごと復活したが・・という話でした。確かに、周辺が近代的なオフィス街にあって、この塚だけは周囲の喧騒から切り離されたかのような、すこし不気味な異空間の雰囲気を漂わせています。怨霊伝説を聞いている程、凄みがでる様な・・。<br /><br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041104f5fe892e.jpg" width="221" height="335" border="0" alt="芳年生首" hspace="5" class="pict" align="left"/><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/190680.html</link>
      <title>水天宮</title>
      <pubDate>Mon, 01 Nov 2004 22:00:00 +0900</pubDate>
      <description>江戸日本橋の水天宮は、久留米の殿様有馬頼徳公が領地の水天宮より分社として勧請された社との事。その為、当初は三田の藩邸内にあったが、明治元年有馬邸が青山に移ると共に青山へ、更に明治五年現在地に移られました。ここは、安産の神様として有名です。なんでも、御社殿の前の鈴紐を鈴乃緒と呼ぶそうですが、これは月に一度新しい物と交換するので、鈴乃緒のおさがりを頂いた妊婦の方が腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから、人づてにこの御利益が広まったそうです。従ってもともとは水の神様..</description>
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<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041101690a022a.jpg" width="132" height="203" border="0" alt="20041101690a022a.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/>江戸日本橋の水天宮は、久留米の殿様有馬頼徳公が領地の水天宮より分社として勧請された社との事。その為、当初は三田の藩邸内にあったが、明治元年有馬邸が青山に移ると共に青山へ、更に明治五年現在地に移られました。<br />ここは、安産の神様として有名です。なんでも、御社殿の前の鈴紐を鈴乃緒と呼ぶそうですが、これは月に一度新しい物と交換するので、鈴乃緒のおさがりを頂いた妊婦の方が腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから、人づてにこの御利益が広まったそうです。従ってもともとは水の神様ですが、現在は、安産・子授け・水難除・渡航安全の神様となっています。<br />ところで、水天宮には我が家もお世話になりました。<br />お産が軽い言われる「イヌ」にあやかり「戌の日」に安産の御祈祷を済ませ「鈴乃緒」を買ってきました。境内には、「子宝いぬ」がありご利益が目で見えるようです。子いぬが実感です。<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041101176bcf10.jpg" width="320" height="240" border="0" alt="子宝いぬ" hspace="5" class="pict" align="left"/><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/179744.html</link>
      <title>日本橋・薮伊豆</title>
      <pubDate>Fri, 29 Oct 2004 08:24:33 +0900</pubDate>
      <description>そばは江戸時代のファーストフードで、江戸の終わりには市中に蕎麦屋が今のコンビニと同じ位の数あったそうです。従って老舗の蕎麦屋といっても数ある訳ですが、もう単純に高校時代の同級生が店主という事で私の中では老舗の蕎麦屋といったら、「薮伊豆」です。とはいっても、宴会中心でしかお邪魔していませんから、必ず酒付きのコースで蕎麦を食べています。ここの蕎麦は美味しいです。コースの品には蕎麦寿司のような蕎麦屋特有のものから、焼き物、煮物と揃っています。最後の締めに蕎麦が出てきます。汁は濃厚な..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041029db606cf5.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041029db606cf5-s.jpg" width="160" height="128" border="0" alt="20041029db606cf5.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>そばは江戸時代のファーストフードで、江戸の終わりには市中に蕎麦屋が今のコンビニと同じ位の数あったそうです。<br />従って老舗の蕎麦屋といっても数ある訳ですが、<br />もう単純に高校時代の同級生が店主という事で<br />私の中では老舗の蕎麦屋といったら、「薮伊豆」です。とはいっても、宴会中心でしかお邪魔していませんから、必ず酒付きのコースで蕎麦を食べています。<br />ここの蕎麦は美味しいです。コースの品には蕎麦寿司のような蕎麦屋特有のものから、焼き物、煮物と揃っています。最後の締めに蕎麦が出てきます。汁は濃厚な味わいで、蕎麦は喉ごしの良さが最高です。蕎麦は世界で一番美味しいヌードルだと書いてあったものを読んだ記憶がありますが、心底同意してしまう味です。<br />ところで、毎回究極の旨さとなる訳ではありません。やはり自分の状態が一番大切な様です。（酒は飲みすぎに注意）<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041029a4512244.jpg" width="239" height="362" border="0" alt="蕎麦屋" hspace="5" class="pict" align="left"/><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/151896.html</link>
      <title>富塚</title>
      <pubDate>Tue, 19 Oct 2004 20:44:07 +0900</pubDate>
      <description>小伝馬町から南へ少し行くと椙森神社とその境内に冨塚があります。椙森神社は江戸時代、江戸三森（椙森、柳森、烏森）の一つに数えられた神社で、商売繁盛の神様、恵比寿様を祭っています。又、古くから富くじ興行が行なわれていた為、それを記念して富塚碑が大正時代に建てられました。富くじは、社寺の修復費用をまかなうために考え出されたもので、谷中の感応寺、湯島天神、目黒不動の富くじが有名ですが、江戸時代結構人気があった様です。富くじの販売所は町の各所にあり、抽選は社寺の広間に据えられた箱に番号..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041019aa53b514.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041019aa53b514-s.jpg" width="160" height="213" border="0" alt="20041019aa53b514.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>小伝馬町から南へ少し行くと椙森神社とその境内に冨塚があります。椙森神社は江戸時代、江戸三森（椙森、柳森、烏森）の一つに数えられた神社で、商売繁盛の神様、恵比寿様を祭っています。又、古くから富くじ興行が行なわれていた為、それを記念して富塚碑が大正時代に建てられました。<br />富くじは、社寺の修復費用をまかなうために考え出されたもので、谷中の感応寺、湯島天神、目黒不動の富くじが有名ですが、江戸時代結構人気があった様です。富くじの販売所は町の各所にあり、抽選は社寺の広間に据えられた箱に番号を書いた木札を入れ、小さな穴から錐で突き刺して行われたそうです。<br />落語には千両富とか出てきますが、1等が当たると1000両か500両だったとの事で、一方札を買うには１分（ぶ、１分は1/4両）、従って４０００倍の賞金があたります。万馬券より倍率が高いですが、今の３億円宝籤より低いです。その為落語では結構一等があたる訳かと納得します。<br />富塚碑は本来お参りする様な処ではありませんが、一先ずはお願いをしてみます。３億円宝籤とは言いませんが、せめて年賀はがき１等があたってみたいもの。<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041019a5173476.jpg" width="410" height="273" border="0" alt="椙森神社" hspace="5" class="pict" align="left"/><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/140119.html</link>
      <title>日本橋石町・時の鐘</title>
      <pubDate>Fri, 15 Oct 2004 20:59:48 +0900</pubDate>
      <description>日本橋石町（こくちょう）は,米穀類を販売する業者が住んでいたことからこの名がついたそうです。ここは又、江戸で最古の時の鐘があった場所との事。時の鐘は人々に時刻を知らせる役割を持ち、城鐘（または太鼓），市民の時鐘，村には寺の梵鐘が時を報じて生活のリズムを生み出していました。しかし、内藤新宿の鐘は、江戸城へ通勤するにはちょっと距離がある武士たちのためにちょっと早めに鐘を鳴らしていたとの事ですし、ここの鐘も小伝馬牢屋敷で斬罪があるときは、わざと時を遅らせてついたそうで、運用は人情に..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/2004101587c7f1dd.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/2004101587c7f1dd-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="2004101587c7f1dd.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>日本橋石町（こくちょう）は,米穀類を販売する業者が住んでいたことからこの名がついたそうです。ここは又、江戸で最古の時の鐘があった場所との事。<br />時の鐘は人々に時刻を知らせる役割を持ち、城鐘（または太鼓），市民の時鐘，村には寺の梵鐘が時を報じて生活のリズムを生み出していました。しかし、内藤新宿の鐘は、江戸城へ通勤するにはちょっと距離がある武士たちのためにちょっと早めに鐘を鳴らしていたとの事ですし、ここの鐘も小伝馬牢屋敷で斬罪があるときは、わざと時を遅らせてついたそうで、運用は人情に従って弾力的にされていたようです。<br />時の鐘といわれてイメージするのは、やはり小江戸川越ですが、これは高い櫓の上に鐘が設置されていて、いかにも特別なものといった感じ。石町の鐘は江戸のものが現存し近くの十思公園にありますが、建物は２階建てと意外と低く見栄えがしません。江戸には九ケ所に時鐘があったとの事ですから、ほどほどの鐘の音で良かったのでしょうが、これでは観光名所の金の音は鳴らない？<br />（下のは川越の時の鐘）<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/2004101503063777.jpg" width="243" height="350" border="0" alt="川越時の鐘" hspace="5" class="pict" align="left"/><br /><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/137177.html</link>
      <title>小伝馬町</title>
      <pubDate>Thu, 14 Oct 2004 21:02:39 +0900</pubDate>
      <description>伝馬町の地名は、江戸時代、公の旅行者の荷物や馬の世話をする伝馬役が住んでいたことに由来します。小伝馬町は江戸とその周辺、大伝馬町は地方の旅を担当する人が住んでいたそうです。又、この地には、吉田松蔭終焉の地でもある小伝馬町牢屋敷がありました。この牢屋は江戸幕府最大でもあったとの事です。昔、親戚の家の近くの刑務所があり、高い塀をめぐらしていて、子供心に不気味だった事を覚えています。その点では、ここは江戸下町の真ん中ですので、つくづく凄い処にあったと思います。まわりは濠をめぐらして..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041014b2a3735e.JPG" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041014b2a3735e-s.JPG" width="159" height="139" border="0" alt="小伝馬町牢屋敷" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>伝馬町の地名は、江戸時代、公の旅行者の荷物や馬の世話をする伝馬役が住んでいたことに由来します。小伝馬町は江戸とその周辺、大伝馬町は地方の旅を担当する人が住んでいたそうです。<br />又、この地には、吉田松蔭終焉の地でもある小伝馬町牢屋敷がありました。この牢屋は江戸幕府最大でもあったとの事です。<br />昔、親戚の家の近くの刑務所があり、高い塀をめぐらしていて、子供心に不気味だった事を覚えています。その点では、ここは江戸下町の真ん中ですので、つくづく凄い処にあったと思います。まわりは濠をめぐらしてとか書いてあるものもありますが、幕末の地図では濠が無く、想像し難いところがあります。そんな事ばかり考えていると妄想が膨らんで暗い処が怖くなる？<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/200410148e8f66d5.jpg" width="400" height="209" border="0" alt="国芳妖怪" hspace="5" class="pict" align="left"/><br /><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/kitora/archives/119421.html</link>
      <title>日本橋駿河町</title>
      <pubDate>Fri, 08 Oct 2004 20:11:06 +0900</pubDate>
      <description>浮世絵に描かれている日本橋駿河町の通り、両側全域を占めていたのは、呉服店越後屋（現三越）との事。伊勢松坂の商人であった三井高利が江戸へ出て、従来の掛け売りを排して、その分商品を安く売ったり等の新商法を次々と成功させ、大きな店となっていました。 ところで、駿河町の名は富士山のある駿河に由来するとの事、通りに立って南西を望むと真正面に富士山を見られるように都市計画がなされており、富士の眺めは江戸一番と評判であったと書いてあります。前回の駿河台が近辺で一番良く富士が見えたはずですが..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041008e63b1e0c.jpg" target="_blank"><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041008e63b1e0c-s.jpg" width="159" height="102" border="0" alt="20041008e63b1e0c.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/></a>浮世絵に描かれている日本橋駿河町の通り、両側全域を占めていたのは、呉服店越後屋（現三越）との事。伊勢松坂の商人であった三井高利が江戸へ出て、従来の掛け売りを排して、その分商品を安く売ったり等の新商法を次々と成功させ、大きな店となっていました。 <br />ところで、駿河町の名は富士山のある駿河に由来するとの事、通りに立って南西を望むと真正面に富士山を見られるように都市計画がなされており、富士の眺めは江戸一番と評判であったと書いてあります。前回の駿河台が近辺で一番良く富士が見えたはずですが、こちらの方が都市美とのコラボレーションの成果という事でしょうか？それにしても富士山がでかい！！<br />（上は三越の正面にあるライオン像）<br /><img src="http://www.d2.dion.ne.jp/~e_mail/LOVELOG_IMG/20041008dd0ffaab.jpg" width="197" height="320" border="0" alt="日本橋駿河町" hspace="5" class="pict" align="left"/><a name="more"></a>

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      <author>kitora</author>
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