June 12, 2011
豊かな心、この光景、目と耳を傾ける。
朝7時からタクシーで仙台国際貿易港へ向かう。
昨晩の深酒で頭ががんがんする。身体も重い。
運転手さんに港へ向かう主旨を告げ、
港の少し手前で降ろしてもらい、歩き出す。
港といっても、ひとつの町ほどの大きさがある。
フェリー乗り場を中心に、倉庫、工場、コンテナ置場や
夢メッセやら大型輸送車の駐車場が立ち並ぶ。いや、立ち並んでいた。
歩く場所に港を選んだのは「傷んだ人の暮らし」を覗き見するより、
経済行為の巨大な塊の瓦解を見る方が少しは気が楽だと感じたからだ。
しかし、その惨状を説明しても意味はないだろう。
ならばこの光景をどう伝えようと考えながら歩き、
昨日機中で読んだ鷲田清一氏(大阪大学総長)の言葉を思い出していた。
“被災地では今、多くの人々が「語りなおし」を迫られている”
「語りなおし」には苦しいプロセスが必要だと氏は論ずる。
往々にして聞く側(メディアも含め)は、彼らの「語り」を引き継いでしまう。
話す側は、それに助けられ「自らが語る」ことから逃げる。
本来は、被災者自身たちが語り尽くすことが重要であり、
それは聞く側の態度が作り出すのだ。
想像力を鍛えておけ。いつか耳を傾けられるように。
鷲田清一氏は、そう言う。
想像力とは、
瓦礫の山を構成する各ピースごとに
何が起こったのかを想いながら歩くことだと思った。
クシャクシャになったクルマたちの中にも、
崩れた建物や壊れた歩道、倒れた標識や電柱の中にも、
あるいは陸で横転する船の中に、何が起こり、どこへ行くのかを想う。
いつまでも永きに渡り被災者の人々の語りの聴衆であるために。
そんな想像を巡らせながら、ずっと歩いた。
嗅ぎなれている磯のにおいに微かな腐敗臭が混ざっている。
海の主“鳥”公・カモメよりもカラスがうるさく鳴くのが耳につく。
頭が痛くなった。
日曜日ということもあり港には人がいない。
時折、他県のパトカーや自衛隊の車とすれ違う。
地元ナンバーの車が数台「視察」に訪れている。
アマチュア・カメラマンとおぼしき男たちと出会う。
その港は、あくまでも静かだった。
時が止まったかのように静かだった。
窓が割れ瓦礫が散乱する倉庫や、
タンクが倒壊する工場などは、
人を失った地球に自分だけが取り残された
SFの世界に紛れ込んだようだった。
その港を歩きながら、何を想像したか?
不謹慎だと思わないでほしい。(普通の景色が失われたからといって、どうな
んだ?普通ならむしろ俺は今日ここを歩いていない)と言うことを考えていた。
例えば、人が亡くなって、法事を行う時などにたまに同じ「想像」に襲われる時
がある。(人が死ぬと言うことは、死の一瞬を除けば悲しいことではないんじゃ
ないか?)という「想像」だ。悲しみを含め「非日常」の出来事を大切にするた
めに、人は行動する。その人や町のことを考えたり、その人や出来事を想い、集
う。その考え(想いで)や集いは、結果的に楽しかったりする。「その主体」に
対して興味を抱いたり、話題にしたり。また久しぶりの知人や親族が再会したり、
会食したり・・・。それは生きている者にとって「楽しい」ことなのだ。カタチ
や「日常」が失われたり、姿が変異したことを一瞬は悲嘆に暮れたとしても、長
いスパンで考えれば「悪くない」ことなのだ。一瞬の事象や目の前の姿に悲しん
でばかりいては本質を見失う。そんなことを想像しながら、歩き続けて疲れて、
どこかで座ることにした。港の中央にフェリーの波止場がある。
そのフェリー乗り場に行くと、もう定期航路が再開していた。真新しいフェリ
ーが、その港の中で異様に輝いていた。瓦礫を満載した大型車が港に入ってくる。
フェリーから新車を搭載した大型車がおりてくる。壊れた物と復旧を急ぐ物がす
れ違った。大津波から三ヶ月が過ぎた象徴のよな景色に感じた。フェリー乗り場
のベンチに身体を沈め、自動販売機で買ったお茶を飲んだ。
次の船は苫小牧行きと表示されている。そうか、昔、吉田拓郎が「落陽」で歌っ
た詞は、この航路だったのだ。
(歌詞:岡本おさみ)
しぼったばかりの夕陽の赤が水平線からもれている
苫小牧発、仙台行きフェリー
あのじいさんときたら、わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープを拾ってね、女の子みたいにさ
みやげにもらったサイコロふたつ、手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に、陽が沈んでゆく
女や酒よりサイコロ好きで、すってんてんのあのじいさん
あんたこそが正直者さ
この国ときたら、賭ける物などないさ
だからこうして漂うだけ
みやげにもらったサイコロふたつ、手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に、陽が沈んでゆく
サイコロころがし有り金なくし、フーテン暮らしのあのじいさん
どこかで会おう生きていてくれ
ろくでなしの男たち、身を持ち崩しちまった
男の話を聞かせてよ、サイコロころがして
みやげにもらったサイコロふたつ、手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に、陽が沈んでゆく
歌詞を思い出しながらまた歩き続ける。「また振り出しに戻る旅に、陽が沈ん
でゆく」では困る。この港が東北の中核都市の経済に十分な血脈を取り戻すため
に、陽はまた昇ってもらわなくては困る。しかし、歌詞の中にある「じいさん」
の存在は、どこかこの光景の奥底にあるものとシンクロする。壊れた港の中には
多くの人々の「労働」という記憶も眠っている。荒廃した倉庫や機能を停止した
工場、運転手を失ったであろう無数のトレーラーたち。「労働の風景」という主
役が戻ってくるときに、もう少し「温もり」で味付けした港町が働く人々の意志
で創られることを祈りたい。彼らが「失われた港の姿」を語り続けることを「楽
しい」と感じる時が来てほしい。
仙台国際貿易港の幹線道路沿いにタクシー会社が見えた。
その事務所に入ってみる。「できる限り海岸沿いの町を抜けて、ゆっくりと空
港付近へ行く」ことを交渉すると、一人のドライバーが快く引き受けてくれた。
港にあるそのタクシー会社も当然大打撃を受けたことを聞きながらタクシーは
走り出す。道は、海岸線を少し入ったところを南北に貫く物流と生活の道だ。大
津波により最も被害を受けた道路で、今月に入り復旧したという。とにかく3・11
に通行中のクルマが最も被災した道で、スクラップと化した膨大な数のクルマを
撤去するのに時間がかかったらしい。
タクシードライバーもかつて経験したことのない走行中の揺れをあの日感じ、
その恐怖の中で大津波が襲ってきた。津波がもたらす水流の威力と速さは映像で
は感じ取れない凄まじさがあったらしい。多くのドライバーたちは、逃げ場もな
くクルマと共に命を落としたという。
沿道にはまだ多くの大小様々なクルマが壊れて置き去りにされている。いくつ
かの船も無惨に放置されている。そして近くに鉄道はないのに、どこから流れて
きたか地元の人々も首を傾げる電車の車両が窓ガラスを全部失い放置されている。
「復旧作業がはかどらない、遅い」と言うが、この延々と続く荒廃の地を眺めて
いると「仕方ないのではないか?」という気持ちも正直感じる。タクシー・ドラ
イバーは「これでも、この道路が二ヶ月で開通したのは自衛隊の大活躍があって
こそのこと。外から来た人は“復興が遅い”と言うが、ここまで回復したことにも
私たちはホッとしている。ただ、瓦礫の撤去作業以上に、ここでまた生活ができ
るのか?どのような形で家や田畑が戻るのか?それがまったくわからない」と嘆
いた。
赤茶色に枯れてしまった防風林でもある松並木を見ても、おそらくこの土地で
作物を作ることは難しいであろう。視界がいいのは電柱がまったくないからだ。
ここら界隈の電柱は根こそぎ流されてしまった。住宅地として復旧させることも
相当難しいことではないのだろうか?「片付け」をしても「その次の姿」を想像
することができないのだ・・・。
タクシーは、七北田川を渡り、蒲生干潟を抜け、荒浜地区を行く。高い建物が
一切なく、小学校や中学校を避難所にする理由がよくわかる。そのタクシー会社
の寮も沿道にあり、ドライバーが「うちは、この辺では珍しい鉄筋の三階建てだ
から、みんな屋上に避難し、二日後にヘリコプターで救助されたんだ」と教えて
くれた。数本の細い川を渡る。南と北、川の両側の土手の崩れ方が違う。ちょっ
としたことで、川を挟んだ隣り同士の被害の差が決定した。種次村を過ぎ名取川
を渡る。報道で何度も目にした閖上地区の中に入る。学校だけが残り、周りの家
は全壊、土台だけが残る、あるいは半壊、そして倒れた松の木が無数に畑に転が
る。暮らし続けるモチベーションを維持するだけでも尊びたい気持ちにさせられる。
閖上地区を抜けると、仙台駅と空港を結ぶ鉄道と交差する。その辺りにニュー
タウンがある。その鉄道が出来たことで、仙台都心への通勤も空港へのアクセス
も良くなり、その恩恵で誕生したニュータウンだ。閖上地区からさほど距離はな
いが、このニュータウンの新築の家々は倒壊の難を逃れたようだ。カラフルな新
築の家が並ぶ街区が残ったことを奇跡だと感じた。住宅地の中を走ってもらうと、
家々で家人が庭やガレージなどの手入れをしていた。やっぱり海水にやられたの
であろう。家が残った奇跡の光景の中にも、やるせない復興の日々がある。特に
新しいマイホームを手に入れたばかりの家族たちには、この地にマイホームを購
入した自身の決断を後悔したり恨んだりする気持ちもあっただろう。
タクシーは空港付近に到着した。ドライバーに海の方に出てもらうようにお願
いし、観音寺というお寺の前で車を降りる。運転手さんにお礼を言い、そこから
海岸まで出てフライトまでの時間を過ごすことにした。観音寺も破壊され、大木
が数本残るだけの無惨な姿になっていた。まさに神も仏もないと言った光景だ。
海に出た。波乗りへいつも行く海と同じ“海”だ。壊れた防波堤が見えてくる。い
つもなら、この防波堤の向こうにどんな波があるかと、うきうきしながら駆け上
がる防波堤だ。日本全国どこへ行っても同じような景色がある海岸線である。
残った防波堤の階段を上り、大洋を眺めた。
この海が町や村や港を襲い、これだけの被害をもたらしたのだ。恨む気持ちよ
り嘆息をもらす心境だった。そして思った。文明が進み、近代的な町や村や港が
できても自然の中に生きる人間の不幸と幸福の反復は変わることがない。どのよ
うな形の物でも、どのような意味や価値を持つ物であろうが、作り上げた歓びと
壊され機能を失う悲しみを繰り返しながら人間は生きてきた。「守りたい」「維
持したい」と祈る気持ちがあっても、自然はそれをあざ笑うように、時として、
確実に破壊し、奪ってゆく。あたかも「もう一度創りなさい」と命じるかのよう
に。この惨状を目の当たりにし、大洋を眺める時に、「もう一度創ろう」という
人々の意志と行動力を敬うと共に、目に見えない「心」を育てる以外に「人間と
して生きる術はない」と思った。
形に現れる物に対して、必要以上の執着を持っても「生き抜く」ためには弱す
ぎる。「死」をも含めカタチあるものにとらわれ、視野が狭まらない豊かな心を
鍛えなければ、人間は生きてゆけない。宗教や信心する欲求がこういう時に芽生
えることも、こう考えると理解できる。しかし、それはミラクルな物語や偶像を
有する「宗教」だけに頼るものではない。俺はむしろ信心する気持ちでこんなこ
とを書いてる訳ではない。信心=自らの心を信じる強さだと解釈したい。
どこかで会おう生きていてくれ
ろくでなしの男たち、身を持ち崩しちまった
男の話を聞かせてよ、サイコロころがして
みやげにもらったサイコロふたつ、手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に、陽が沈んでゆく
「サイコロ(あるいは二つのサイコロの目)」は、
自然の摂理のことではないかと思った。
「ろくでなしの男たち」は、
人間すべてのことではないかと思った。
「ろくでなしの男たち、身を持ち崩してしまった」。
それでも俺たちは豊かな心で生き抜くことを楽しまなければいけない。
短い旅から、大阪へ帰る。
【運慶オピニオンの最新記事】
この記事へのトラックバックURL
http://blogs.dion.ne.jp/kix_lax/tb.cgi/10193006
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※半角英数字のみのトラックバックは受信されません。

