2006年07月19日

津波の高さを残すもの


 まず大正6年の大津波の高さから説明しよう。袖ヶ浦町史には、「この台風による高潮は、東京湾では2m30cmもあったといわれ」と書かれている。東葛飾郡史では、「低気圧で海面が吸い上げられたのが3尺、それが台風の風の力で3倍の高さになる」と書かれているので,2m70cm位になる。舟橋町史では2m50cm位と書かれている。
由香
 平均すると2m50cmと判断できますが,津田沼で津波の高さを残すものって何のことでしょう。

 前に説明した、国登録有形文化財の廣瀬家の土地は、海岸へ下りてゆく斜面に土盛りをして高いほうにレベルをあわせて地盤が造られている。この地盤が堤防の役割をはたしてくれた。つまり、廣瀬家の南端の高さぎりぎりまで波がきたといわれているので,この高さが大正6年の津波の高さを伝える生き証人というわけなんだよ。
由香
 それはどのくらいの高さなんですか。

 わき道からの高さは1m80cm位だから,当時の海面からすると2m50cmというのは、津田沼においても納得できる数字だと思うよ。海岸の国道沿いの建物が、あっという間に流失したのも、当然の数字だね。
由香
 インド洋の大津波で、津波に関心が集まる時代になりましたから,津波の高さがわかる堤防,あるいは地盤が残っているということは、語り継いでゆくべきことでしょうね。

 最近は、地震や津波が多いので,千葉県でも自然災害の遺構や記録の調査を開始したらしい。廣瀬家の土地が、内湾地域の歴史上最大の被害をもたらした、大正6年の高潮の高さを伝えているという話は、本日はじめて公表されたんだから、ぜひ県の災害史のはじっこに書き留めておいてほしいと思うね。
由香
 それで、津波で生き残った建物というのはどの建物なんですか。

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