2012年05月21日

手帳病への処方箋 その2

近年使っている手帳。今年はこれまでで一番よく手帳を使っているような気がする。
「よく」というのは、常に開いて書き込んだり、確認したり、読み返したりしているということだ。
画像の今年の手帳には2007年の末に出会い、しかしその時にはスケジュール手帳ではない用途にして、2009年からスケジュール手帳として使いはじめた。スケジュール手帳としては今年で4冊目になる。スマイソンの「Schott's Miscellany Diary」という手帳だ。
これを手にするようになってから、この手帳以外に使いたいスケジュール手帳はない。いや、使ってみたい手帳は色々とあるのだが、この手帳があるかぎりは他の手帳を使うことができない。その理由は「この世にこの手帳があるから」としか言いようがない。

それで、あれを買ってみてはあれも買い、そしてまたあれも欲しくなるという手帳病を長年患ってきた私が買う手帳は、ようやく例年1冊となった。
正確には2冊ではあるが。この手帳は黒とオレンジの2色が発売されるので、それらを両方買わずにはいられないためだ。
「あほらしいことを続けている」という意味では昔も今も変わらぬものの、用意する手帳が決まっていて毎年悩む必要がないというのはものすごく気分爽快である。もっとも、文具店の手帳売り場には年がら年中立ち入っているがね。

さて、毎年使う手帳を決めてしまって思うことには、自分が追い求めていた「完璧に理想の手帳像」と今使っている手帳との間にはかなり違いがあるようで、もちろん理想条件に合うところは多いわけだが、一方で「こちらが譲歩すること」も多いように感じる。
例えば自分の理想は、今の手帳のような見開き一週間のものではない。月間カレンダーのようになっている見開き一カ月ものが本当のところは好きだ。でも一日の欄にはいろいろと書き込みたいことがあるし、手帳自体は小さめのサイズが好きでもある。今の手帳については日付欄のスペースと手帳のサイズとの兼ね合いが理想に合っていた。何より山羊革の感触と造本がとてつもなく好きなのだ。しかし見開き一週間しかない。それで見開き一カ月については諦めた。とはいえこの見開き一カ月使いたい願望については、いつも諦めているような気はする。
見開き一週間レイアウトならば毎見開きの隅にその月の月間カレンダーが小さく載っていたりなどするといいが、そういうものも今の手帳にはない。
用紙は白色が好きだが、今の用紙は水色をしている。
欧文表記よりも漢字表記のほうが絶対的に好きだが、欧文表記で印刷されている。
日本の祝祭日もないけれど、気付いた時に自分で色鉛筆の丸をつけている。

細部は理想からずれているのに、これを使い続けたい手帳だと思うのはなぜなのか。
以前にここで『手帳病への処方箋』というものを書いたのは2006年のことだった。
その後、手帳病が治癒しつつある自分の経緯はどんなものだったのかをぐだぐだ考察してみたい。

1. いま使っている手帳しかこの世にはないと思い込んでみた
2. その手帳を「使いやすい」と感じるように工夫してみた
3. 一方で、手帳のほうはどんな風に使われたいと思っているのだろうかと想像してみた
4. その「想像しうる手帳側の要望」に応えてみるようにした
5. 互いの折り合いのつくところが良いものだったので、病は次第に快方へと向かった

経緯はこのような感じで、「理想にぴったり合う手帳を探しまわってそれに巡りあえば、手帳病は治るはずだ」と以前は考えていたが、

「理想にぴったり合う手帳を探しまわって手帳病を治そうと試みることこそが、手帳病である」

という結論に至った。手帳は足で探すものではなく、手で探るものなのだ。
一方の「想像しうる手帳側の要望」はといえば、その手帳の外観イメージと持ち主のキャラクターが合っているとか、「素敵なこの手帳であなたをワンランク上に見せてあげたい」とかそういうことなんかじゃなく、「常に開いては閉じられて、書き込まれたり、読み返されたりしている」ということなのだと思う。彼らはきっとそれを何よりも望んでいる。用紙を破って切り離されたりしても本望であろう。とにかく「構われている」ことが手帳の幸せ。その用途も、本来のスケジュールに限らず雑記でも、メモでもいい。
果ては「ただ買って部屋の一角にしまってある」状態でも、それをいずれなんらかの用途で使おうというつもりになってみることで、手帳にとって励みになるはずだ。では、そのつもりでいても使わぬうちに自分がこの世から去ったとしたら。もしかすると末代の者や未来の考古学者によってその手帳が発見されるかも知れない。そんな時空の旅を経験できた手帳はきっと強靭で幸運だ。

というわけで、今後の処方箋は以下のようにしたい。
・スケジュール用に、ひとつの手帳を使い続ける。
・気に入った手帳があれば、率先して買うことを自分に許す。
・ただし、それらはスケジュールには使わない。
・それでも買うかい? それともやめておくかい? という自問自答を課す。
・それでも買った手帳は、他の用途に使う。
・まだ使うに至らない手帳は、ひとまとめにしておき定期的に愛でる。
・そういうことをわざわざするのが大変だと感じるようなら、手帳売り場へ現状のものをただ眺めに行く。

これが私にとってはようやく、いい薬となるようだ。
 
Posted by ミケランジェロ at 07:35  |Comments(0)TrackBack(0) | 手帳

2012年05月07日

オニツカタイガー/Mexico 66

春のオニツカタイガーまつり。(自発的行事)今日もオニツカタイガーの靴・Mexico 66を履いている。そして画像のものは春から夏に向けて履くために調達した新色3足。なにかもう、Mexico 66は服装や季節に合わせた色を味わいつつ日々欠かすことのできない、日本手拭いのような位置付けだ。

Mexico 66は、1960年代当時のデザインを受け継いだオニツカタイガーのスタンダードモデル。
画像左下の靴紐のあるものが、ベーシックなMexico 66のデザインである。その左下の靴は模様の部分がキャンバス布素材だが、定番ものはすべて天然皮革で作られている。
画像上と右下のものは、昨年からMexico 66シリーズに加わったスリッポンタイプ。靴紐がなく、甲の内側にゴムバンドが入っている。キャンバス地の「上履き風」な造りで、Mexico 66の履き心地を軽快に味わうことができる。
Mexico 66の気に入っているところは以下の通り。

・靴底(ソール)が薄いところ。靴底が厚手でクッション効果があると、私は足も膝も疲れてしまう。Mexico 66には、わらじを履いて歩くのに近い心地よさがある。
・スニーカー特有の「ごろっとした運動靴感」がなくタイトですっきりしているところ。
・色や素材が豊富で着合わせバリエーションも広がり、その気になればスーツにだって合わせられるところ。
・旅行時に予備を持っていくのに軽くてかさばらないところ。特にスリッポンタイプはコンパクトに荷づくりできるので嬉しい。
・菱形をした私の外反母趾足でも、10kmは楽に歩けるところ。他の靴だと無理。

私の足が菱形をしていることや、他のMexico 66ばなしについては「オニツカタイガーの靴」に以前記した。
店舗は代官山店六本木ヒルズ店によく行くが、最近オープンした表参道店も素晴らしかった。今後この3店舗をめぐることになるだろう。
また香港へ行くことがあると、銅鑼灣のタイムズスクエア店、尖沙咀・ハーバーシティ(海運城)のゲートウェイ・アーケード(港威商場)にあるゲートウェイ店などにも立ち寄る。日本のショップではとうに在庫がなくなってしまったものや、知らなかった色素材のものにばったり出会えることがあるので行かずにはいられない。
韓国もショップが充実しているようなので、行くことがあればぜひとも訪れてみたい。

さてMexico 66は私にとって足の疲れを気にすることなく快適に過ごせる靴なので、仕事がはかどる。そうすると書きものもはかどり、ついては文具使いがますます充実する。この因果関係は一見関係ないようにみえて実に結びつきが深い。
そう思うことには、靴をぬいで過ごす家の中だけでなく、外へ出かけた先で文具を使うことが多いせいもあるのだと思う。
そもそも、店で文具を選ぶのには靴をはいて歩いていく。走ることもある。そうすると何軒も飽きずに巡ったりするので、疲れる靴では続かない。もう一軒あそこを見ようかと思って行った店に望みのものがあったり、やっぱりまた最初の店に戻ることにしようと原点にたちかえったりすることも。そのすべての道のりは無駄ではない。
そんなふうに感じることができるから、Mexico66が好きだ。

今日もどこかへ歩いて出かけたいと思う。
そこには必ず心を揺らす何かがあるから。
そしてここにMexico 66があるから。
 
Posted by ミケランジェロ at 08:52  |Comments(2)TrackBack(1) | 書く場所

2012年04月24日

ボールペンが5本

赤・青・黒のボールペン。画像のように赤・青・黒のボールペンを使っていると先日Flickrにアップした。
ずっと使い続けていたBiCのオレンジボールペンの製造が変わったせいか、私の筆跡では描線にダマができるようになってしまったのだ。
画像は左から、パーカーのジョッター赤軸×赤インク、青軸×青インク、白軸×黒インク、カランダッシュの849ピンク軸×赤インク、グレー軸×青インク。
これまでに使った油性ボールペン芯の中で、私の手でダマにならないのはパーカーとカランダッシュとセーラー万年筆とモンブランである。
よってゆくゆくはこれら4社の赤・青・黒のボールペンを、軸を選びながら揃えていくことになるだろう。そのことを思うと希望に胸がふくらみながらも頭が痛い。

ボールペンという筆記具は、筆記具の中で書くのが最も苦手だ。なぜなら私にとっては描線がダマになる危険性と常に隣り合わせにあり、また筆記時に「紙に押し込んで描線を書く力」を要するから。精神的にも肉体的にも疲れる筆記具なのだ。
ならば使わなければいい話だが、世の中にはボールペンを選ぶことになる場面が多々ある。
公的書類。カーボン複写の伝票。これらは気ままには書けない緊張感を要するために、描線がダマになるだけでいっきにテンションが下がってしまう。ダマを気にするあまりに文字を間違える。また書き直す。また間違える。書き直す。だんだん手が疲れてきて集中力が薄れてしまい、さらに間違える。そんなくり返しで、何枚も紙を無駄にしてしまう。本当に気が重い。

いっぽうで、油性ボールペン独特の「紙に溝をつくり、その溝にインクが流し込まれて書かれた描線」でなければ、と思う時もある。
スケジュール手帳への書き込みや印刷所へ渡すゲラへの赤字入れには、その描線が欲しいと思うことが多い。
紙に溝ができ、紙面に凹凸が生まれると「確かに書いた」という証を感じる。指で紙に触れれば、書いたページと何も書かれていないページがすぐにわかる。この心地良さは、活版印刷やナンバリングスタンプによって生まれる紙の凹凸にたいして抱く好感に近い。

ボールペンを扱うのは苦手だ、しかし必要な場面や欲しい描線がある。
そこで気分が晴れ晴れとするボールペンがなければならない。ダマになる心配もなく、いつでも一定の描線を書けて、力を込めて紙に溝をつくりその内側に油性インクを流し入れる行為が楽しくて仕方なくなるようなボールペンが。
…以上、言い訳おしまい。

手帳にボールペン。ある日のスケジュール手帳の書き込みはこんなふう。ここに使っているのはパーカー・ジョッター群。スマイソンの薄いフェザーウェイト・ペーパーに油性ボールペンを使うと、いっそう紙の凹凸が増して片面のみに書いた時には七輪焼きのイカのように紙が反り、そしてもう片面にも書くとそのイカをひっくり返した時のように反りがおさまる。両側からの凹凸が織り成す紙のさざ波は、ページをめくる音までもが気持ちいい。予定や記録は短い記述がほとんどなので、手が疲れるまで書くことがないのも好都合。

スケジュール手帳にはボールペンだけでなく鉛筆や万年筆を使うこともあり、ルールは特に決めていないが、どれかにするとたいていそのままそのどれかばかりしばらく使う。たぶんその時期の荷物構成や行動範囲による筆記具の出し入れのしやすさも関係しているのだと思う。あとから読み返して描線の変わるページに出くわすと、「ああ、ここから万年筆時代か」などと思う。そのうちに強調線や囲み線を加えるのには、どの筆記具の時も共通して赤青鉛筆を使っている。
それで今ボールペン時代なのは、上に述べたような「必要な場面や欲しい描線」を感じることが特に多いから。
直近の課題はカランダッシュの黒リフィルの落ち着き場所を決めることで、849のブルー軸(丸善の限定色とか)に青リフィルを入れてグレー軸を黒リフィル用にするか、エクリドールにするか、いずれかになるだろう。なるべく前者にとどめたいところではある。

パーカー・ジョッターは丸軸で、カランダッシュ・849は六角軸。
赤インクと青インクの色味もそれぞれに違う。
その筆跡を見た人がたとえ「どっちでもいい」と感じるとしても、私はどっちでもよくない。
そして使う者がどっちでもよくないと思って選んだものが、見る者にとってどっちでもいいと感じるならば、それは何かを相手に強いていないという点において実に良いことだと思う。
 
Posted by ミケランジェロ at 07:11  |Comments(11)TrackBack(0) | 筆記具

2012年04月12日

筆記具と指輪との関係

ring.jpgこのところ好んで人差し指に指輪をはめている。
筆記具を手にして文字を書いている時に、やさしくきらきら光るものが視界に入ってくるのが目に心地いいからだ。
心地がいいと気分が良くなり、集中力も高まって、書きものが大変にはかどる。
これを味わうためには、指輪をはめるのは人差し指しかない。だから他の指には指輪はなくてもいい。

画像のものが一番に書きもののはかどる指輪で、近くに住む知人が預けてくれた。
ようするに私のものではない。もののはずみで上のような話をした時に、「まあ、それならとびきり“はかどりそうな”指輪があるわよ」と嬉々として持ってきて下さったのだ。
シンプルなカッティングが施された、エメラルドの石の色に一目で魅入られた。両側には小粒のダイヤモンドが4つ輝きを添えている。リングは純度Pt900のプラチナで、石を支える立爪は「きっちりとものごとをやり遂げたくなる」気持ちにさせられる。
「素晴らしいデザインですね…」
「でしょ。あたくしがデザインしたの」
「はぁ?!」
「うふふ」
なんていうやりとりのあと、それがお母様の形見なのだと知った。私は本当に日々すべったり転んだりしているのでとてももったいない、と申し上げたら、
「母もそうだったわ。なら一緒ね。母も喜ぶわよ、きっと」
とこちらの心配もどこ吹く風の様子で、しかし、
「その代わりといってはあれですけどミケさん、よろしくて。いいものを書いて頂戴」
そうビシッと言い放ちスタスタ去っていった。

ひとり立ち尽くし知人の背を見送り、指輪を眺める。それにしても美しい。本当にもったいなくて、とてもはめられそうにない。
だがその時、私はその足で遠方へ出かけるところだった。こういうものは後生大事に宝箱へしまっておくところがすでに家へ戻る間はなく、このまま出発することになる。旅行鞄にも洋服にも、大切にしまえる場所などない。道中いつでも目に留まるもっとも確実な置き場は、この指だった。
電車に飛び乗り指輪をはめると、不思議なほど私の人差し指にぴったりと合う。
ジョッターを出す。パーフェクトペンシルを持つ。エメラルドきらめく。
文字を書くたびに、きらめきまくる。私の心もきらきらしてくる。文字を書くのがいっそう楽しい。
その電車から飛行場、飛行機の中、その後の移動、そして宿で、文具を替えつつ存分に書きものを満喫した。
もしもあのあと家に帰っていたなら、この喜びも味わうことはできなかったと思う。人生には、突発的な出来事に気付かされる大切なことが多い。

つややかに研磨されている石は、光によってその色合いを変える。朝には日の光に照らされる朝の色が、夜には月の光に浮かびあがる夜の色がある。照明によってもその輝きはさまざまだ。
そんな指輪の石は、筆記具の軸との相性が抜群にいい。
万年筆のキャップ部分などに宝石が埋め込まれているものがあるのも、十分に理解できる。
しかし高額筆記具に限らず、木軸の色鉛筆やクレヨンといった筆記具にも宝石はよく似合う。互いのつややかさやあたたかさを眺めていると、それらが混ざりあい文字の描線や文章にとけ込んでいくようで嬉しくなるのだ。

「書きもの、はかどっているようね」
近所の店で先日の知人に声をかけられた。私の指先を見て満足そうにしている。
「あれいらい毎日はめています」
「そうなさることよ」
今日の石の色はどのような心境を自分に呼びおこすのだろうと考えながら、指輪も筆記用具のひとつに加えてもいいのじゃないだろうかと思う。
 
Posted by ミケランジェロ at 08:33  |Comments(16)TrackBack(0) | 書く場所 , 筆記具

2012年02月21日

バジルの文具雑記

basilico.JPGこのまえ冬がやってくるなと思っていたら、もう春が近づいてきている。
手帳のページを次へめくる週がすぐにやってくる。こんなに早くページが進んでしまうなんて、手帳がもったいないなあと毎年思う。
色々なことを忘れてしまわないうちに、最近のことを記す。文具話を中心に。

・まず冒頭画像はバジリコのリングイネ。ジャガイモやインゲンも入っていて、オリーブオイルとパルメザンがたっぷりのバジルを引き立てる。こういう緑色を眺めていると活力の湧いてくる今冬だった。いらい食べものに限らず自然界の緑色や人の手による緑色の観察に執心している。

・手帳は今年もSchott's Miscellany Diaryの黒革を。色違いのオレンジ革のほうは、一度やめてもあとでやっぱり買う羽目になる。そうすると送料や送料の枠内で他にも頼んじゃおうぜという「ついで買い」も増すいっぽうなので、今回はいっぺんに黒革とオレンジ革の2冊を注文した。効率的なんだか無駄なんだか。

・手帳の書き込みには、気分で鉛筆や万年筆やボールペンを使うのが日常。最近はパーカーのジョッター・ボールペンを日々用いている。紙に凹凸が付くのが、今の凹凸あふれる心境とぴったり合うのだなきっと。

・そのパーカーのジョッター・ボールペンは、ホワイト軸に黒インク。なんだか疲れたなあと思いながら、すうっと入った神保町の文房堂で突発的に購入。このホワイトがとてもいい感じだったので、店にあった在庫3本をさらい知人へのプレゼントにしたりもする。大いに喜んでもらえてうんうん、と悦に入っていたら自分のをなくしてしまった。たぶん遠くにはいっていないはずだが姿が見えない。再会を待つ。

・それでパーカーのボールペンリフィル(のボール芯部分)が珍しく自分の書きかたでもダマにならないタイプだと知り、あら赤字にも使いたいじゃないのさ…と眼光ぎらめく。ならばジョッターの赤軸を買って、そこに赤のリフィルを入れたらどうかしらとありがちな思いつきに高揚。赤軸のジョッターは1260円で、「赤のリフィルを下さい」と意気揚々と頼んだら、リフィルのボールペン芯は840円もすると知って軽くひっくり返る。

 ということは1260円-840円で「ジョッター代」は420円なのか

と。ああ驚いた。赤軸+赤リフィルは赤字入れに快適使用中。でも上述の通り、黒インクを入れているホワイト軸が行方不明中なので、ここ数日はリフィルを単体で持ち歩いて「黒を使いたい時には赤軸のジョッターから赤インクのリフィルを抜いて交換する」という苦行を強いられている。自分の日々の疲れというのは、こういうところに端を発しているのかも知れない。

・スマイソンのPocket Memoを買った。Arlingtonという黒い革。何個目かと? もう数えなくていい気分。

・ふだん書きものを記しているノートブックは、12月からハイビスカスという名のバーミリオン色の革表紙のものを使用中。栞がミント色をしていて爽やか。冬にあたたかく清涼感のある色合いで、このノートブックで春を迎えることになろう。

・そのノートブックに使う万年筆は、ウォーターマン・エキスパートにコンバーター&ボトルインクのブルーブラック。そうださっきインクが空になったのだった。このあと補充しよう。シェーファー・ノンナンセンスにコンバーター&ウォーターマンの赤インクを入れたものも使う。真っ赤な書きものも時にスパイシーで良い。

・鉛筆はいつもの三菱鉛筆9800・HBに加えて、ハイユニのBもよく使う。あとファーバーカステルのカステル9000・2Bや3B。このごろ気に入った鉛筆は、カランダッシュの黄色い軸をしたテクノグラフ777・HBやB。銀座伊東屋7階のレジ向かい側にそそる感じで並んでいるのだ。あの配置では買わずにいられまい。

・パーフェクトペンシルは伯爵のにブラウン軸を。あったかいカフェオレのようでこの季節はブラウンが心地いい。さる紳士に「またおまえさんはけったいな鉛筆もってるよなあ! どこで見つけんの! んん?」と通りがかりついでに言われる。答えようとしたら、もういなかった。

・赤字を入れる時に使っている筆記具。上のパーカー・ジョッターの赤、青はBiCオレンジボールペンだけれども最近ダマになってしまうので、これも追ってジョッターの青軸+青インクにするから。あと三菱鉛筆の赤青鉛筆・六角軸の772、指定の補足には鉛筆、強調する囲み線や行数計算の補足には三菱鉛筆のuni ARTERASE COLOR・ブライトターコイズ。この色があると格段に気分が乗ってくる。

三太呂さんのデスク引き出しに、シェーファー・ノンナンセンスの黒軸万年筆が入っていた。今どき大変にレアな黒軸。なぜに?! 慌てて聞くと「いつの何だったかなあ」と当人まったく記憶なし。さっそく捕獲。キャップを開けると、ずいぶん昔に使った痕跡が。カートリッジインクはモンブランのが無理矢理刺さっていた。なんという力わざな…。こちらの生きているペン先にはめ替えて、ありがたく黒軸部分を使わせていただくことにする。いぇい。

・このところロイファー・プラストL-125消しゴムを売り場で見られず、どこにも在庫がないのが不吉。いまある1個が最後の1個になってしまうんだろうか。そんなつらいことがあっていいのだろうか。とても困った。それで苦し紛れに他社のプラスチック消しゴムを試してみている。Raderも、MONOも、uniの1ダース入りに付いてくる黒いケースの消しゴムも、みなそれぞれに高性能。「いざとなったら、ぼくらがいるよ!」と励ましてくれているみたい。ありがとう。

そんな、このごろだった。
 
Posted by ミケランジェロ at 02:19  |Comments(6)TrackBack(0) | 書く場所

2011年11月29日

ウォーターマン・エキスパート万年筆

waterman_expert.jpgいったい万年筆というのは、何本あれば満足できるものなのか。
人にそう尋ねれば、
「そんなの使わなくたって、そこらへんに転がってるもんで書きゃいいんだよ」
という者もいたし、
「万年筆ってアクセサリーみたいなものよね。私なら0本で満足。それよりも指輪が欲しいわ」
という者もいたし、
「万年筆っていうくらいだからおめぇ、満足できるつったら万本だろ、1万本。がんばってためろや」
という者もいた。
モンブラン149と146を両方またいで通りすぎていった猫もいた。

誰の意見も皆それぞれのもの。私は自分で決めればよいのだ。
結果、自分の指の数だけ万年筆があればいいのじゃないかなと思っている。むろん足の指も含む。
どの指も大切ではあるが、場面場面において「いまこの指が主役になってるな」「この指のこんなところが好きだな」などと各指にキャラクター性を感じることがあって、それがちょうど万年筆にたいして抱く感覚と似ているように思うのだ。
例えば、左手の親指はプラチナ300。右手の中指はデルタのプロフィリ。左足と右足の薬指はモンブラン32の黒とボルドー。といったふうになんとなく割り当てていて、画像のウォーターマン・エキスパートは「右手の人差し指」のような気分でいる。

今年の夏から使い始めたエキスパートは、ブラックCTという色。つややかな黒軸にシルバークリップの組み合わせが冷酷でいい。
正直を言って、以前にこの万年筆の外観だけを眺めていた頃には、キャップ部分に記してある「WATERMAN PARIS」の文字が好きでなかった。WATERMANは構わないけれど、パリとか言わなくていいのにと思っていたし(裏側の「FRANCE」だけで十分だろう)、何よりその斜体のかかった書体にいまひとつ工夫が見られない感じがして、いったいどういうことかと感じていたのだ。
軸のデザイン全体を見ても、昔のウォーターマンの方が好きだった。
そんな先入観を抱きつつ購入するには至らなかったのだが、それもまた1本万年筆を加えてどの指に該当するだろうなどと割り振ることもなく幸いだったのかも知れない。

それがある時にこのエキスパート・ブラックCTを思いがけず人からいただいた。「これ、いいよ」と。ウォーターマンのブルーブラックインクとともに。
スチールのペン先はもともと好きであるし、試し書きをしてからというもの「硬さのなかにある、なめらかでやわらかな筆感」の虜になってしまった。ペン先を紙にあてた時には硬い印象。それがペン先を紙にすべらせると、ふわりとコクのある流線を描く。ブルーブラックインクは、ウォーターマン独特の濃淡と発色。これはすごい。
私はそれまで、キャップに刻印されている文字書体ごときで何を躊躇していたのか。
ばっかもん! と自己を叱咤した。
それからというもの、普段使っているノートにはエキスパートの筆跡ばかり。ほぼ全ページ、ウォーターマンのブルーブラックで埋められている。このペン先の太さはFで、このような描線をしている。

通常はコンバーターにボトルのブルーブラックインクを入れているが、出先でインクがなくなった時のためにカートリッジも鞄に入れておき、時折そちらも使う。
双方使っていると、ボトルとカートリッジとでは同じブルーブラックインクでもけっこう発色が違っていて、交互に使うのもまた楽しい。どちらかというとカートリッジのほうが渋めの色に感じるものの、そもそもこのインクは時間が経つと紙上で色がさらに変化してゆくというのでそれぞれの「育ち具合」も楽しい。

ノートには、縦書きで書くことが多い。硬くやわらかな筆感が、縦へ流れる文字にぴったり合うと感じる。
ペン軸のほどよい太さもきわめて手になじむ。
「右手の人差し指」のようでいて、もう一本指を手に入れたような心境でもある。
ブログの更新に日があいてしまったのは、間違いなくこの万年筆で文字を書くことに執心してしまったためだ。
 
Posted by ミケランジェロ at 23:59  |Comments(20)TrackBack(0) | 筆記具

2011年08月21日

箱、とりわけ文具箱

hato_sable.jpg文具好きは、たいがい箱好きでもあると考えている。
文具好きは文具が増える。それらを入れておくのにちょうどいい箱があれば、たいへんに好ましい。
文具好きはそれらを使うだけではなく、鑑賞することも大好きだ。
好みの箱に自分の気に入った文具が格納されている光景など思い浮かべたら、もうたまらない。
箱の蓋を開けると、大好きな文具がずらりの図。ああ、たまんない。
その光景をひとたび夢見れば、文具探しと並行して箱探しも熱心に行うことになる。

その心情の源となっているのはおそらく子供の頃に学校で使った「お道具箱」で、発端は学校から言われるままにそれを用意し使い始めたわけだが、はさみや色鉛筆や糊などを入れ、カスタネットなんていう愛らしいものもそのなかに混ぜ込んだりなどして、様々な色味のものが雑多に詰まっている景色を日々目にするうちに、すっかりやられてしまった。
大人になって多種多様な箱と巡り合う頻度も増え、その使途の自由も得られるようになると、「あの箱は筆記具を入れておくために」「この箱はクリップなどの留め具を入れておくために」などと考えを巡らせるようになる。
大粒チョコレートの紙箱、羊羹の桐箱、酒の入った木箱。美しく風合いのある箱を見ると、それらに文具を入れておきたくなって仕方ない。
そんななかで「これはとっても良いではないか」と感じたのは、鎌倉の菓子店「豊島屋」の鳩サブレーの缶箱だった。

やさしい黄色に、生き物感のまったくない横向きの鳩の絵。そして赤い文字に白フチで「鳩サブレー」。この「鳩サブレー」の作字が一文字一文字、実に凝っている。
【鳩】:「九」の右線を「しんにょう」のようにぐっと伸ばし、「鳥」の受け皿状に。鳩サブレーが皿に並ぶ楽しい姿を連想させる。「鳥」の上の点の位置も絶妙。続く片仮名とは一線を画す、線の太らせ方に鳩への愛着が湧く。
【サ】:上の「鳩」の「九」の字にちらっと現れる段状にとった角が受け継がれてゆく。このガクガクっとさせた右上の角は、バターたっぷりのサブレーをザクッとほおばった食感をイメージしているのだろう。
【ブ】:ガクガク角はここには使わず。その潔さと、濁点を「フ」の右上にのせた配置が秀逸。
【レ】:ガクガク角を上下にシンクロ。「レ」のハネを思い切り長くとり、上の「ブ」とうまくバランスがとれるようにしてありGJ。
【ー】:上の「レ」と同様にガクガク角シンクロを繰り返し、サブレーの食感を爽やかに伝えきっている。

色合いも絵も、文字も素晴らしい。目にするたび、手に取るたびに視覚的な高揚感を抱くであろう期待にあふれる。このような箱こそ文具箱にふさわしい。店頭で喜びいさみ、数種のサイズがある箱のなかから入れたい文具のサイズに合わせた缶箱の大きさを選択。その箱は、鳩サブレー36枚入りだった。買い求めたのちしばらくの間、毎日鳩サブレー地獄に陥るほどに中身を食すこととなったわけだが、一日一鳩で一ヶ月ちょっと。ときにはそんな、おいしい鳩月間を過ごすのも良いだろう。この箱を晴れてひとつ得られるのだから。

この缶箱には、5×3カードをテーマ別に束ねて横向きで、スマイソンのパナマノートブックを横置き背並べで収納している。
すき間には日本手拭いを敷き、筆記具や予備のクリップなどを。なにか巨大弁当でも詰めているような気分になり楽しい。
今度鎌倉を訪れる時には、これより高さがあり収納部分が深い最大サイズの48枚入り缶箱も購入してみよう。
もはや文具を入れるために箱を求めるのか、その箱に好きなものを入れたいがために文具が増えるのか、果ては文具を格納するために鳩サブレーを連日食べするのかよくわからない状況ではあるが、ともあれ良い文具箱が世に存在することは、文具選びをますます心躍るものにしてくれる。
 
Posted by ミケランジェロ at 08:49  |Comments(8)TrackBack(0) | 書く場所

2011年08月05日

赤青鉛筆の名入れ

red_blue_pencil_silver.jpg私がハモンドオルガンで参加しているバンド「かにクラブ」のライブがある前には、伊東屋で名入れ刻印鉛筆を作るのが常となっている。
ライブへお越しいただいた方に「ミケと話して鉛筆頂戴キャンペーン」を行っているのだ。若干数の用意だが、好評いただいており嬉しい。
次回のライブは2011年8月6日(土)。東京・幡ヶ谷のCLUB HEAVY SICKで19時30分から行う。このライブのメインは「殺し屋本舗」という超絶クールなバンド。殺し屋本舗の皆様、お声を掛けて下さりありがとう!

さてこれまでは三菱鉛筆の9800やHi-uni、uni、uniスターなど鉛芯ものばかりに刻印を施してもらってきたが、今回は赤青鉛筆772番に名入れをしてみた。いずれにしても三菱鉛筆に入れることに変わりはない。もしも今後他社の鉛筆に名入れすることがあるならば、ファーバーカステルのカステル9000にするだろう。
銀座伊東屋で、名入れ代金は1ダースあたり210円。この赤青鉛筆は1本63円だから、鉛筆そのものの価格は1ダース756円になる。というわけで名入れ後の受け取り価格は1ダース966円=1本あたり80.5円。赤青鉛筆というものは、あれほどの機能性を持ちながら、なぜに単価がそんなにも安いのか。身につまされる思いである。

伊東屋での鉛筆名入れには選択肢があって、刻印色には水色・白・ゴールド・シルバーがある。
刻印というとキラキラ色しか頭にない私は、「ええっ、シルバーもあるの?! じゅるり」と迷う余地もなくシルバーでお願いしてしまったが、あとから正気にかえって思うに、この赤青鉛筆772番の刻印には白も似合っていたかも知れない。
とはいえ1時間後に仕上がった現物を見たら、それはそれは魅惑的な色合いと赤青鉛筆軸とのマッチングであった。
シルバー刻印最高。やばすぎる。
今回の名入れは「かにクラブ」と「ミケ」の2種をお願いして、ライブではどちらか御希望の方をお渡しすることになるが、比較するに平仮名文字を含む「かにクラブ」の方が、日本語刻印にふさわしい華やかな出来映えと感じる。
ともあれ刻印に指で触れた時の凹凸感に酔いしれる。赤青鉛筆の軸色が変わる部分をセンターにして文字を配置する刻印も粋。

名入れ鉛筆といえば、小学校入学時にずらっと用意してもらったわくわく感を思い起こす。
あるいは、文具店などの店名が記された広告名入れ鉛筆を使った思い出も。
そして大人になった今こそ、こういうことを好きな文字で作ってみることに懐かしく新鮮な喜びを抱く。
そんな小さな楽しみを施すものは、昔からなじんだ道具であるほどに喜ばしい。
 
Posted by ミケランジェロ at 07:06  |Comments(6)TrackBack(0) | 筆記具

2011年07月26日

スマイソンのパナマノートブック

smythson_notebooks.jpgスマイソンの「パナマノートブック」のサイズは、天地140ミリ×左右88ミリぐらい。日本の一般的な銀行通帳とほぼ同じ大きさをしている。ページ数は256ページで、ときおり半分の128ページのものもあるが、価格的に鑑みて256ページを選ぶほうが紙束を得るという点では得策。ただ束の薄いノートを使う事情があるのなら、たまに存在する128ページを選ぶといい。私の場合はもうひたすらに「もっと紙が。紙がほしいんだこの紙が」という族なので、256ページのパナマノートブックを選択することしか念頭にない。

私はこの用紙をいくらでも必要としている。水辺の木々を山ほど寄せ集めて生息するビーバーなんですかあなたは。というくらいに。
理由ならいくらでもあるが、つまるところこれは本能というものなのかも知れない。
それで先日のセールを機に、まとめてパナマノートブックを購入しておいた。それらが冒頭画像にある。
画像のどれが何という革色名称なのかということなどについてはflickrのほうに記したが、そっちを見てねとジャンプしていただくのも御足労なので述べると、画像左上から時計回りに、マラカイト(孔雀石系の緑)、セルリアン(深めの青空色)、エメラルド(鮮やか緑)、ハイビスカス(熱めオレンジ)、ダムソン(プラムっぽい紫)、ジェイド(翡翠の緑)。

そのうち左上のマラカイトは2ヶ月前に使い終えたもので、残り5冊が今後使うために寄せ集めたもの。
「いったい君は何の巣づくりをするんだい」と言われそうでもあり、「そうよ。あたしはこういう女なのよ」と開き直りたい心境でもある。
5冊の総ページ数は、256×5=1280ページにもなる。しかしここ4年間で書いてきた冊数は20冊に迫る勢いであろうから、5冊在庫が増えたところでさほど安堵はできまい。向こう1年余りを用紙切れの不安なく過ごそうという、いたって正気な試みだ。

それにつけても用紙を束ねる造本が素晴らしい。それはノートブックの生命線。開いて閉じる、という果てしない繰り返しを経ても劣化することを知らない。加えて、パリッとした新品の時よりも、一冊をすっかり使い終えた頃さらに扱いやすく仕上がっている。だからさらに繰り返し手に取り、書いたものを読み返したくなる。
表紙革のデザインと刻印タイトルも良い出来映え。特に毎年出るさまざまな限定革シリーズのものが秀逸で、冒頭画像の中では右上のエメラルド以外がすべて限定革となる。それらの見返し部分には絹布が用いられており、眺めていただけでは「価格が高いから絹なんじゃ。それよりちょっとは安くしてよ」なんて思っていたのが、使ってみたらその扱い良さにぶったまげた。見返しの素材も、造本をさらに引き立てる欠かせない機能なのだと思い知った次第である。

スマイソンのノートブックにはパナマサイズ以外にも色々な判型があり、どのサイズにもそれぞれに優れた利点があるけれど、自分の行動スタイルや鞄のスペース、1ページの記述量、保管や閲覧状況などと考え合わせるに、現状ではパナマサイズが一番ぴったりきている。5×3カードや75ミリ角の正方形付箋、店で拝借する紙ナプキン等を見返しに挟んでおくのにも具合いい。
これを人への贈りものにもずいぶんした。その皆がめいめいに、自分の好きなやり方で使い倒してくれていると嬉しいなと思う。

最初の1ページから最後の1ページまで、日々無心にただひたすらに書き進めたいと思い、書き進めるペースも自分の思うままに、いつ使い切るのだろうかと考える余地もなく、むしろ使い切るのが惜しくなる時もあり、そして次の新たな一冊を開く時も待ち遠しい。そんなノートブックは初めてだった。
これからいつまでも、私はこれを繰り返し使い続けていくだろう。
 
Posted by ミケランジェロ at 00:19  |Comments(10)TrackBack(0) | ノート , 

2011年06月09日

三太呂さんの鉛筆と手帳

santaro_1.jpg三太呂さんは、編集の大先輩。
ほとんどデスクにはいないけれど、在席中には鉛筆をナイフで削る姿を見られる。
そうすると私は音もなく忍び寄り、その手元をじっと眺める。
そんなひと時が、近所の猫になった気分で楽しい。
「ずいぶん削り口を長く取るんですね」
そう訊ねると、三太呂さんは刃先についた芯の粉をふっと軽く吹き飛ばし答えた。
「僕は鉛筆を後ろの方で持つからね。鉛筆削りを使うと、削り口が短いので好まない」

自分の持ち方に合った形状の削り口を作るために、手で鉛筆を削っているのだ。
この者、腕に覚えあり。その言葉を聞き流すことなどとうていできぬ。
「じゃあちょっと私の鉛筆で試しに書いてみて下さい。これは削り口が短いです」
パーフェクトペンシルで削った、カステル9000を手渡す。
戸惑うように持ち替えながら三太呂さん曰く「寸詰まりな感じがして書けない」と大却下。
「それじゃ電動鉛筆削り器の削り口は、長いと思いませんか?」
「多少は長いけれども、あれは芯の方が短いのがいけない」
芯も長い方がいいのか。削り上げた三太呂さん仕様の鉛筆をまじまじと見ると、木軸部分も芯も、どちらもとても長かった。
長年の愛用鉛筆は、三菱鉛筆9800のBだという。

その鉛筆を、冒頭画像のように三太呂さんはスケジュール手帳に挟んでいる。
「手帳を見させて下さい」
ある日再び表敬訪問。その時には、いわゆるナラコムのシステムダイアリー(SD)で知られる、8穴のシステム手帳を使っておられた。バインダーとリフィルは能率手帳のもの。スケジュール欄には鉛筆による魅惑的な書き込みがぎっしり。20年は使い続けているというその手帳が能率手帳製リフィルの製造中止となり、その後三太呂さんは手帳をバインダーごと新調した。
今度はシステム手帳のバイブルサイズを選択。それが冒頭画像のものである。バインダーはAshfordのもの。リフィルは再び能率手帳製。「判型が8穴に近くて、紙面が8穴より広いのがいいね」とのことで、手帳に鉛筆を挟むスタイルは変わらず。聞けばその鉛筆は「しおり代わりにその週のページに挟んでいる」のだそうだ。鉛筆にキャップなどいらない。手帳が十分にキャップの役割を果たしているのだから。

私が手に取り、手帳を開くと、鉛筆がするりと抜けて床へカランと落ちた。
「手帳を傾けないこと。水平にして開けば、鉛筆は落ちない」と三太呂さん。
道具選びだけではなく、その所作にも理念を貫くのが三太呂さんのやり方なのだ。その理念は仕事ぶりを見ていても明白で、私もすべてにおいて所作は大事にしたいと思うようになったし、皆が三太呂さんを慕い尊敬するのもそんなところにあるのだと思う。

santaro_2.jpg「隠し事など何もない」とスケジュールページも撮らせて下さった。左ページは一週間のスケジュール、右ページはノート欄というレイアウト。スケジュール欄には予定も事後記録も混在させて記し、ノート欄にはちょっと長めのメモを日付に対応する位置に書いているのだそう。「紙面が広くなったから」日付欄にはその日の食事内容も付記。隙間時間に、思い出しながら書き加えているらしい。
なぜ手帳に鉛筆を使うのかと訊ねれば、手帳に限らず自分用の記述物には鉛筆を使うのが常だという返事。「筆記具を、筆圧を加えずにすべらせるように書くのが思考の流れとぴったり合うように感じるから鉛筆を使いたいと思うし、それが対外的な書きものならば万年筆を選びたい」と言う。
万年筆は何を使っておられるのか興味津々で身を乗り出したら、ラミー・アルスターにブルーインク、ウォーターマンにブルーブラックインクの2本を鞄から取り出した。鉛筆にも万年筆にも良く似合う、味わい深い文字を書かれる。文字は筆記具によって形作られるのかも知れないと感じてしまう。

santaro_3.jpgシステム手帳のポケット部はほとんど使わず表紙の中へ無造作に紙片を挟んであるが、唯一使っているのは裏表紙の大ポケットで、中にはロト6の記入用紙が。「サイズがぴったりだったから。当たったらこのポケットを使うこともなくなるんだろうけどね」と笑う。
手帳バインダーを茶色革にしたのは前の8穴手帳バインダーが茶色だったからで、縫製ステッチに赤糸が用いられていることは、こちらが言及するまで気付いていなかった。

筆記具や手帳に機能は求めるが、自分側の希望にも筆記具側や手帳側のできることにも「のびしろ」を設けて自分の使いたいように気ままに活用している。そんな三太呂さんのものとの接し方に、文具使いの美しい所作を見た。
自分は文具好きだからといって、こだわりが美徳かのように勘違いしてしまうことも多々あり、それがかえってものとの付き合いを狭めてしまっていたかも知れないと大いに反省。
こんな文具使いを、今後ぜひとも進めていきたい。
これからも目を皿のようにして、その所作を見つめ続けよう。そんな、文具使いにおいても大先輩の三太呂さんである。
 
Posted by ミケランジェロ at 23:29  |Comments(22)TrackBack(0) | 筆記具 , 手帳

2011年06月01日

朝の光と万年筆

note_purple.JPG早朝に、万年筆で文字を書く時間がとても大切だ。
朝の光は、紙に浮かぶインクの液体や描線を最も美しく彩る。
昼間や西日の光は黄色く焼けていて、それはそれで趣きはあるが、朝の光は限りなくクリアでほのかに青く白い。
インクそのものの色と描線の濃淡を味わえるのは、朝のごくわずかな短い時間だけ。
だからそのかんに寝てなどいられず、光を求めて彷徨う。
それは部屋の窓辺だったり、ベランダのテーブルだったり、公園のベンチだったり。

画像の日には小雨の降る朝で、全面ガラスの窓のある店に落ち着いた。
選んだ万年筆はシェーファーのコノソアール。インクは紫。紙はスマイソンのノートブック。
写真を撮ることについても朝の短い時間が貴重で、この光に助けられることがほとんど。
朝の光を浴びていると、すべてがうまくいきそうな気分になる。

書く文字は、整ってなくても良いなと思う。
好きな風に書けば、自然とその時の心境が文字に現れるから。
この日も均等な文字は書けていないが、ところどころ歪んだ形になっているのはたぶん、あとから頼むお店のモーニングメニューを何にしようか頭の裏側で考えているから。ああカップの紅茶がそろそろない、次は赤いハーブティーにしようか…なんて思っているところもある。
読み返すと、文面以外からそんな関係のない心情がうかがえて楽しい。
それは書き手である自分だけがわかること。描線が、文字と文章だけでないたくさんの雑多な情報を残してくれている。
そのことがかけがえなくて、今日も文字を手で書きたい。朝の光と万年筆で。

冒頭画像のノート紙面の全体像はこちらに。
冒頭画像の描線がより明らかに見られる原寸写真も、追ってFlickrに示しておく

今日も良い一日となるように。
 
Posted by ミケランジェロ at 08:30  |Comments(10)TrackBack(0) | 筆記具 , 文字 , ノート

2011年05月20日

アナログとデジタルと、iPad2

ipad_red_cover.jpg私は手書きで文字を書くことを好んでいるが、「手書きをする人=アナログな人」という認識はない。
今こうして書き始めたように文章をキー入力で行うことも多いが、「コンピューターデバイスを好んで使う人=デジタル派」という認識もない。
そうした認識を持ちたくない。なぜなら、それらの道具は「その時に、その人が便宜上選んで使っているもの」でしかなく、そのどちらにも長所や短所を持つ理由がそれぞれにあり、それらを審判することは自分自身の志向とは関係がないから。

そもそも、世の道具を「アナログ」と「デジタル」に区分けする言葉を使うさいの「その後の扱い」に、釈然とせぬ思いを抱いている。
手動ならアナログ。電動ならデジタル。あなたなら、どっちを選ぶ? というのは、あまりにも無茶な話ではないか。
どちらを使おうが、自分という存在はここにいるのだ。こいつをなんとかするためには、手段を選ばず事を進めないと。

文房具に幅をせばめて言うなら昨今「デジタル文具」と呼ばれるものが各種登場し、人々の心をとらえている。
その人々のハートをつかむ核心の部分は「それが電気で動く機械じかけだから」なのではなく、例えば「書いた文字をテキストとして流用できれば、それを書くのに費やす時間がその先の作業時間を軽減させるために有益かも知れない」などと感じさせるところにあるだろう。
ようするに私たちの「いきたい方向性」というものは、自分にとって好ましい世界が開けてきそうであること。そこから新たな展開が生まれてきそうなこと。そして何か結果を出したり、喜びや楽しさを味わったりできること。それらに尽きるのであり、その道具がアナログであろうとデジタルであろうと、その「種別による」選択には執着しない方が得策と思う。

そして冒頭画像のiPadのこと。これを使うことにしたのは「効率よく有益な結果を得られそうだから」だった。
出先でのサイト閲覧、こういった文章書き、メール、画像や動画、地図を見る等々の通常用途に加えて、最も使いたかったのは、古文書の保管と閲覧、そしてその「紙面」への書き込み。
これはプリントアウトしたものを持ち歩いて、そこに付箋を貼ったり書き込んだりするこれまでの使い方より、遥かに効率よく行える。なにしろ持ち歩けば何キロもの重量になってしまう紙の束が、この薄いプレートの中にすべて収まってしまうのだから。
古文書は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーや、大学等各機関のデジタルアーカイブからダウンロードしている。こういう時代で実にありがたい。

有り得ないくらい大量な資料を挟めるクリップボードのようなiPad。タッチパネルで画面に直接触れる操作は手作業そのもので閲覧しやすく、手軽に書き込みを行える。ただこの「手軽に」というのはなかなかくせもので、「わあ便利」と思って使い始め、最初は面白がって書き込んでみても、そのうちにおっくうになり定着しないことも多い。
しかしこのデバイスに用意されるアプリには、書き込みも手書きで行う感覚と非常に近いものがある。具体的には上のような資料閲覧と書き込みに「GoodReader」を重宝にしている。文字をタッチパネルでキー入力するのは、のちの検索表示やテキスト流用の代償として余りある労力。「使えるクリップボード」だから、どんどん使いたくなる。
実に良い文房具だと思う。

画像の赤い蓋は、オプションの「Smart Cover」というもの。
はじめに購入したネイビーの方とこの赤とを、日によって付け替えている。これは持ち運び時にタッチパネル表面を保護しつつ、蓋の裏側はクリーナーになっていて、開閉すると画面が自動ON/OFFとなり、三角に巻けばスタンドにもなるという優れた機能の持ち主。
スタンドにする時には、テーブルや机に蓋の表面を触れさせるなら内巻きに、裏面のクリーナー側を触れさせるなら外巻きにする。
とても便利なSmart Coverだが、もしも今回軽く薄くなったiPad2を実感しようということなら、130gはあるこの蓋は付けない方が良いかも知れない。いずれにしても磁石でパッと着脱ができるので、時には蓋をしない日があるのも軽快だろう。
Smart Coverを付けない時は、前回書いた万年筆の手拭い巻きのように手拭いで包んで鞄へ。これがまた手拭いにぴったりのサイズで、Smart Cover付きで巻いてしまう日も。

1996年にNewton MessagePad 130を使った時から実に15年が経つ。iPhoneや初代iPadに触れた時にも感じたが、Newtonの頃に求めた「自分が期待する、新たな世界や展開」はこうしたデバイスに昇華されていったのだなと感慨深い。
思えばNewton MessagePad 130の時にも、用途の主は今と同じだった。私のやりたいことは何も変わっていない。ただ、彼らのやってくれることが飛躍的に変化した。未来に向かってどんどん進化していく道具の中に、自分が佇んでいるイメージ。
一方で手書きなどの「アナログもの」については、古来から脈々と続く道具に飽くことのない新しさを感じる。
そうやって、過去と未来へ向かう道具の間を、現在の自分が漂いながら使うことに充足感を抱いている。
 
Posted by ミケランジェロ at 08:33  |Comments(4)TrackBack(0) | 打記具

2011年05月11日

万年筆の手拭い巻き その2

fp_tenugui.jpg日々雑多な画像と所感をアップロードしているFlickrのページに載せたものをこちらにも。
2007年8月に書いた「万年筆の手拭い巻き」から4年近く経った現在、相変わらず手拭いで万年筆を巻いている。

ただちょっと、巻き方をあれこれ工夫するようになった。最近よく行うものは画像の図の通りだが、その他にも気分で巻き方があり。鞄の中身や持ち運ぶ万年筆の本数などに応じて色々と試している。
図中の文字にある「FP」は万年筆をさす。ノートに手書きで「万年筆」といつも書くのには画数が多いのでFPと記している。
手拭い巻きで、とにかく決まりごとにしているのは「手拭いの原形を変えないこと」。原形のままで使えるうちは、切ったり縫ったりはしないということだ。いま万年筆を巻くのに使った手拭いを、今度は頭に巻くかも知れない。手拭いがまだ新しくパリッと広げられるうちは、その用途の選択肢も広げておいた方がいい。

こうやって万年筆を巻いた最後に、ゴムや紐で留めておくのも安定感があって良いかも知れない。
ただ、巻きっぱなしの「不安定さ」も時に役立つことがあって、特に「手拭いをわざわざ開く余裕はないけれど、ちょっと万年筆を抜き出して戻したい」という時、きっちり留めていないアバウトなゆるみがあるのはやりやすい。くずれてきたら、また巻き直せば良いのだから。
鞄の中のすきま空間に入れて、周辺のもので「留めておく」のが自分にはぴったりきている。

さてふと思う。
私は万年筆を巻きたくて手拭いで巻いているのか、それとも手拭いを巻きたくて万年筆に巻いているのか。あるいは、何かものを巻きたくて手拭いを万年筆に巻いているのか。
それは「果てしなくどうでもいい話」のようでいて、見過ごしてはおけない一件だと感じる。
その全てにおいて、自分の答えは諸手を挙げて「はい」なのだ。
ものごとを遂行しようとする時、そこには目的と手段が存在する。
私が万年筆を手拭い巻きにすることには、以下の3つの目的と手段が同時に存在している。

《1》
目的:万年筆の軸面素材に細かい傷をつけることなく、持ち運びながら使いたい。
手段:素材の当たりがやわらかいもので、万年筆同士がぶつからないように包む。

《2》
目的:色々な柄の日本手拭いを、気分に応じてあれこれ使いたい。
手段:あるものを持ち運ぶ用途を、そのひとつにする。

《3》
目的:何かものを巻きたい。
手段:それに見合う長さと面積のある薄手のもので、何かを具のようにしたりなどして巻く。

これら3つの目的と手段を、いっぺんに実現・遂行できてしまうのが「万年筆の手拭い巻き」なのだから申し分ない。
あとは鉄火巻のようにたまり醤油にチラっとつけてほおばる、なんてこともできたらそりゃあもうめくるめくが、それは寿司屋で遂行する別のことなので我にかえろう。
手拭い一本が八面六臂の活躍をしてくれるのと同じように、ひとつのことが様々な目的を兼ねてくれるのは、とても嬉しい。
そしてそれらの手段は楽しければ楽しいほど、最高潮に嬉しい。

そのようなわけで、万年筆の手拭い巻きを好んでいる。
中に巻く「具」は、もちろん万年筆でなくても良いだろう。
色鉛筆ならもっとたくさんの本数が入るだろうし、ごっそり巻いて前述のゴム留めにすれば、広げて使う目的地まできっちり運ぶことができそう。
また、化粧ブラシなどでも良さそう。芯や粉が付いたら、洗えばいい。それでも落ちなきゃ専用巻きにすればいい。
工具を巻いても、カトラリーを巻いても、ACアダプタなどのケーブル類を巻いても。
その人それぞれのやり方で、手拭い巻きの楽しみは無限に広がってゆく。
 
Posted by ミケランジェロ at 09:17  |Comments(6)TrackBack(0) | 筆記具

2011年05月08日

「パーフェクトペンシルのリボン結び」の図

pp_knots.jpgこのところ首から提げていても人からの言及がほとんどなくなった、胸元のパーフェクトペンシル。
その目線に「この一件については触れないでおこう」という雰囲気はただようわけだが、それはそれとして快適に使っている。
「それは、なぜリボンで結んでいるの?」なんて訊いた日には、私のパーフェクトペンシル劇場が始まってしまうのだから、たまったものではない。
しかし、結び方について記しておくのも良いかなと思い、突発的に図にしてみた。

1. キャップのクリップ部をくぐらせてリボンを通し、リボンの片側を短く、もう片側を長くとる。
2. キャップの軸元で2枚重ねて結ぶ。
3. リボンの短い方と長い方の端を重ね合わせて結ぶ。
4. 軸の近くに2つの結び目ができた状態で完成。

というきわめてシンプルなものなのだが、言葉で説明するのはちょっと難しく、紙に書いた次第。
本当はきちんと下書きを施したり、色を塗ったりすると良かったのだろうけれど、全スルーした。
PCで画像サムネイルを開くと、「は?」という大きな画像になるのは、万年筆の描線やインク色も参照してもらうため。
万年筆はデルタ・プロフィリ(Mを川口氏にFに削っていただいたペン先)の黒インクを使用。紙はA4コピー用紙です。

とにかくリボンはシワになりにくいものを使うのが吉。
結んだリボンは、キャップからスポッと抜いて他のパーフェクトペンシルと差し替えるのも良いし、またこのリボンをいくつか作っておいて予備にするのも良い。
もちろん、色々なリボンで作り服装や季節に合わせて変える方法も。

現在私はこんなふうに紺色のグログレン織りのリボンを重宝にしているが、同素材で「ファーバーカステルの深緑色」をしたリボンを見つけたら、ぜひ使ってみたい。
自分で結ぶから、ここはファーバーカステル伯爵に作っていただきたいと切に願う。

その他、これまでに記したパーフェクトペンシルについての記述はこちらに▽

Faber-Castell/Castell Perfect Pencil

筆記具をリボンでペンダントにする

パーフェクトペンシル近況

パーフェクトペンシルの鉛筆を替えるとき
 
Posted by ミケランジェロ at 18:22  |Comments(8)TrackBack(0) | 筆記具

2011年04月05日

手書きについて思うこと

Posted by ミケランジェロ at 03:31  |Comments(15)TrackBack(0) | 文字

2011年02月28日

シェーファー・ノンナンセンス


sheaffer_no_nonsense.jpg万年筆を愛する人というのは、初めて自分の万年筆を手にした時の感動を忘れられない人なのだと思う。
その万年筆がどこの何というものだったかとっくに記憶になくても、その感触は手が忘れない。
そしてあの感動の追憶を重ねようと、大人になって万年筆売り場に足繁く通う。

私が高校生の頃に、初めて自分で買った万年筆がこのシェーファー・ノンナンセンスだった。
当時のソニープラザのような輸入雑貨店で見つけた。800円くらいだったと思う。円筒形のまっすぐな軸と、丸い玉がアクセントになっている銀色のクリップに惹かれた。数色の軸があり、同シリーズでボールペンもあった。

黒軸には黒インクを、青軸には青インクを、赤軸には赤インクを入れて、授業のノートを取るために使った。
その頃ノートにしていたのは、マルマンのB5ルーズリーフの無地。
万年筆でノートを取ると、用紙に凹みのできるシャープペンシルなどと違って下敷きが要らないのが気持ち良かったし、力を込めずに高速筆記ができるので黒板の文字を写すのに便利だなと感じた。
クラスメートに「何それ、めんどくさそ」と言われても聞く耳を持たなかった。
なぜあれほどまでにノンナンセンスを、そもそも万年筆を使いたかったのか。それは万年筆の独特な筆感の虜になってしまったからであり、また筆記具のデザインというものが筆感とともに「書きたい気分」を尋常でないほどに高めてくれることを味わったからだった。

その後、丸善に通うようになって、他の万年筆も試してみたくなった。そこからはもう万年筆地獄の一途を辿ることになるのでここではその話は省略し、時を経て20余年後。
あのシェーファー・ノンナンセンスが、デッドストックで売られていることを知った。
初めて自分を育ててくれた者が自分の親だと信じる鳥のように、私はシェーファーを世の中で一番愛着を抱く万年筆だと信じ込んでいるので、これは買うべしと購入。

しかし、その20余年の間に、私は様々な万年筆を体感してきた。モンブランもあったし、18金のペン先もあった。そうした豊満世界を味わった者が、いまシェーファー・ノンナンセンスのスチールペン先に立ち返って、どのように感じるのだろうか。
一抹の不安を抱えながらインクを入れて紙に文字を書いたら、懐かしさとともに「こんなに良い書き味だったのか」とびっくり。
これなのだ、これが私の描き求めていた万年筆だったのだと感動した。

それはまるで、アニメーションの名作『アルプスの少女ハイジ』で、フランクフルトに連れられていったハイジがアルムの山小屋へ戻る時に高価な洋服を一枚一枚脱ぎ、裸足にシュミーズひとつの元の姿になって緑を駆け上がるような心境。
まさに「おじいさーん!」と叫びたいような思いで、ノンナンセンスの筆感を再び味わえた喜びにひたった。
まあ私の場合は、自ら率先してフランクフルトへ行ったわけだが。

そのようなわけで、私の求める理想の万年筆は結局ノンナンセンスだったのだとわかったことから、万年筆売り場に通い詰めるなんてことせず最初に買ったノンナンセンスをずっと使っているだけで万年筆生活に満足したまま一生を終えられたのだということが今さら明らかになってしまったものの、そのことも、他の様々な万年筆を使ってきたからこそわかったことで、これまで長きにわたり万年筆地獄に陥ってきたのも決して無駄な行いではなかったと思い新たにした。…一文長っ。

いま、白のノンナンセンスにシェーファー現行のコンバーターを合わせ、モンブランのオイスターグレーインクを入れている。
先日ペンクリニックで、セーラー万年筆のペンドクター・川口明弘氏にペン先の調整をしていただき、ますます絶好調の至福な筆感に。
ただ川口氏から「このペン先には濃い色のインクを入れた方がいい」と助言をいただいたので、このあと元のジェットブラックに戻す予定。
シェーファーの黒インク・ジェットブラックもまた、黒々としながらシアー感を兼ねる素晴らしい黒色をしているのだ。

シェーファー・ノンナンセンスを手にすると、初めて万年筆を使った時の感動がいつでもよみがえる。この万年筆があればすべてうまくいくと思う。
それでもやっぱり、ちょっとは他の万年筆も買ってしまうと思うけれど、そのことはノンナンセンスの良さを再認識するきっかけにもなるのだから、ここはひとつよしとしたい。
 
Posted by ミケランジェロ at 06:21  |Comments(11)TrackBack(1) | 筆記具

2010年11月01日

伯爵パーフェクトペンシル


pp_pt_bk.jpg一週間ほど前から、パーフェクトペンシルの伯爵版を使い始めている。
「ファーバーカステル 伯爵コレクション プラチナコーティング」というものだ。
なぜ「伯爵」なのかというと、この会社の経営者が伯爵だから。
ファーバーカステルでは「伯爵コレクション」と銘打ち、伯爵ならではのあっと人を驚かせる発想を取り入れたアイテムを商品化している。そのなかでも奇想天外の最たるものが、このパーフェクトペンシル・シリーズと言えよう。

鉛筆に、キャップが付いて数万円。
そこにシャープナーも消しゴムも付いているよ、キャップは補助軸にもなるよといくら言い訳をしたところで、正常な思考が成り立つような金額ではない。
いったい、この商品企画会議はどんな様子だったのだろうかと実に興味深い。

「わたくしは、新たなコレクションを考えた」
「伯爵、それはいかなるものですか」
「うむ。わが社の原点である鉛筆を、素材の贅を尽くし機能性をも兼ねた商品として世に送り出そうではないか。鉛筆の木軸には自生するハンノキを、キャップには純銀を用いて、そこにシャープナーも内蔵するのだ」
「しかしそれでは価格設定が難しゅうございます」
「そうか。ではキャップはプラチナコーティングでも構わぬ」

一同しーん。

なんていう図を想像。
この手のびっくり人物は私の知るところ安田一平だけだったが(本宮ひろ志『俺の空』の)、ファーバーカステル伯爵も同属であろうと推察する。じゃなきゃこのようなものを真顔で商品化することなどあり得まい。

さて、その伯爵パーフェクトペンシルが、伯爵といえば巣鴨の珈琲専門店「伯爵」にしか縁のなかった私のところへどうしてやってきたのか。(池袋北口店も時折行きます)
こんなあらましである。

私は、廉価版のカステル9000パーフェクトペンシルにリボンを結び首に提げて使っていた。
ある時、その様子を知った文具の賢者が「パーフェクトペンシルが好きなら、伯爵コレクションのものは素晴らしいよ」と専用鉛筆No.5と消しゴム部分を下さった。
なんていい書き味なのだろう、軸の感触も心地いい、とその鉛筆を大切にしながら「いつか伯爵パーフェクトペンシルを使うんだ」と心に誓い、しかしなおもカステル9000パーフェクトペンシルを来る日も来る日も使い続けた。
カステル9000の鉛筆を、短くなるまで何本も使った。とても気に入っていたので、知人たちへの誕生日プレゼントに贈ったりもした。
月日が経ち、先日。
パーフェクトペンシルのカステル9000鉛筆を差し上げた仕事仲間の紳士が「そういえば文具好きのミケさんに、会わせたい人物がいるよ」と、ある文具好きの紳士を紹介して下さった。
その文具好きの紳士から、思いがけず「文具を愛する同志であるあなたに、これを使っていただきたい」と銀色に輝くものが。
伯爵パーフェクトペンシルの、キャップ部分だった。
その人は、私がパーフェクトペンシルに思い入れ強いことも、伯爵版のNo.5鉛筆のみを持っていることも、知らない。
そして、伯爵パーフェクトペンシルの鉛筆部分と、伯爵パーフェクトペンシルのキャップ部分を合わせて、ひとつの伯爵パーフェクトペンシルとなった。
〈完〉

…という、何かほんのり『わらしべ長者』を彷彿させるストーリー。心の底から感激です。
ときにこの伯爵パーフェクトペンシルにあとひとつ、足りないものは「消しゴムキャップ」なのだ。
こちらも銀色のプラチナコーティングでできており、これを単品で買い加えれば製品外観としてコンプリートするわけだが、キャップのみで定価6,300円也〜!!! 伯爵もう冗談キツすぎ。
消しゴムを使いたい時にわざわざキャップを開けたり、使う前にキャップを開けてから筆記に入ったりするのはもどかしい。よって消しゴムキャップはスルーします、伯爵。

これまでに使ってきた廉価版のパーフェクトペンシルは、キャップ部分本体がプラスチック製。全体で約10gと軽い。
一方こちらの伯爵版は約35g。
これを今まで通り、首に提げることができるだろうか。
しばし案じたものの、パーフェクトペンシルは自分にとって首から提げて使うことに意義がある。片手だけですぐ筆記体勢に入れるから。
そこでいつものようにリボンをかけて結び、首に提げて使ってみることにした。
歩く。机に向かう。走る。休む。
日々の行動のなかで「重い」と負担に感じることはなく、肩も凝らず、外した時に「そうだこれは伯爵の方だった」と忘れるほどに自然な使用感。これなら大丈夫。

さらに、キャップに内蔵されているシャープナーの切れ味は抜群。伯爵鉛筆No.5は他のパーフェクトペンシル用鉛筆よりも少し軸が太い。その軸径に合わせてどのパーフェクトペンシルのシャープナーも同サイズに作られているため、他の鉛筆ではシャープナーに差し込んだ時に軸径にわずかな「遊び」ができて、ぴしっとまっすぐ削るのに少々苦心する。
それが、No.5ならジャストサイズに入り気持ちよくまっすぐに削れるのが嬉しい。おまけに伯爵版のシャープナーには適度な重さがあるため、削る時に絶大な安定感がある。他の通常軸径の鉛筆も、こちらのシャープナーを使えば楽に削れるかも知れない。重さというのも時に大事な要素なのだと実感した。

これからは、この伯爵パーフェクトペンシルとカステル9000パーフェクトペンシル(の、深緑と黒)を代わる代わる使う。
一番速く鉛筆が短くなったものが、自分にとって一番使いやすいパーフェクトペンシルなのだと思う。
それを知るのが待ち遠しい。
 
Posted by ミケランジェロ at 06:29  |Comments(16)TrackBack(0) | 筆記具

2010年10月26日

Twitterはじめました


twitter_circle.jpg「冷やし中華はじめました」のようで季節外れなタイトルであるし、Twitterを始めたのは今年の冷やし中華が始まるより前の昨年末であったが、ともあれツイートを重ねている。
今現在806ツイートを数えている。このブログを更新したお知らせで807になっているだろう。

ミケブログを読んで下さっている人皆が私のツイートを読みたいとは限らない。そう思って特にここでTwitterのことを話題にすることはなかった。mixiのように。
本来ならば、ブログのサイドバーにTwitterウィジェットを設置するなどしたら自然と「おっ、ミケさんつぶやいてるね」ということになり、あっちにもいるよとスマートに知らせることもできるのであろうが、それを設置するとブログ画面がちょっとやかましくなるのでしなかった。

…とああだこうだ言い訳はこのくらいにして、「ミケランジェロ」という名前でTwitterにいます。ユーザー名は「lamlinji」。
ジャンプするにはこちらです。

Twitterでは「谷中ランチなう」といった一言現場報告をする習慣はなくて、主に文具関係の話を中心に日々の思い付いたことを記している。
ひとつの発言の最大文字数は140字なので、「ひとつの考えを140字以内で文章にすること」の良い訓練になっている。
これが文具の話だったりすると、140字以内で簡潔にまとめるのがけっこう難しい。
まとめているうちに、散漫としていた考えが明確になってきたり、表現の言い回しがすっきりしてきたり。

これは一種の情報カードのようなもので、カードをある程度の小ささにすることによって生まれてくる「端的にまとめる工夫」や「ぱっとわかる読みやすさ」がツイートにも共通していると感じる。
ツイートには自動的に日付と時間が記録される。これは情報カードより楽でいい。検索機能については『Twitterヘルプ:検索機能』ページによると「まだ発展途上のもの」であるという。確かに。

書いてみて、これはあとあと突き詰めていきたいな、と感じたツイートはコピー&ペーストして抽出しておく。たいていiPhoneの「メモ」欄やメール下書きフォルダ、Scrivenerなどに移しており、移動させる場所は一カ所には決めていない。それらが自分の目に留まり展開させるのに適した場所はテーマそれぞれに違う。

カードでもそのようにしている。
続いてPCで入力することはPCの脇に、音楽のことは楽器のそばに、料理のことなら台所のシンクにおいておくのと同じことだ。
そうした「二次活用」のヒントになるという点でも、情報カードとTwitterは共通している。

そして、あらためてブログの話題に広げたいことは、ブログの下書き画面へ。
それが最近人に会うたび「いつブログ更新すんの?」と訊かれるようになってしまった。
こちらも近々根深く続いてゆく手帳や文具欲シーズンを迎え、考えを文章にまとめ更新していきたいと思う。
 
Posted by ミケランジェロ at 00:49  |Comments(6)TrackBack(0) | 打記具

2010年08月19日

化粧の書きもの


chanel_travelmakeup.jpg朝起きて最初にする書きものは、化粧を常としている。

化粧は化けるに粧(よそお)うと書くが、自分には特に化けようなどというたくらみはなくて、ただ粧いを整え、心を華やがせるために行っている。そういう意味では化粧よりも「華粧」という文字がぴったりくる。

いたずらに塗りたくるのでは芸がない。いかに軽く、薄く、明るく、心に華と書くか。そこがとても難しく楽しい。
そんな化粧がうまくいけば、その一日に果てしない可能性を感じ、清々しい気分となり、ついては文字も文章もうまくいく。
化粧は一日の始まりに行う、一日の中でもとりわけ真剣な書きものなのだ。

よってその道具は、あれこれ使ってみても結局「自分にとって、ほんとうに使えるもの」だけが鏡台へ残ることになる。
眉と目尻に用いるペンシルには、資生堂の「眉墨鉛筆」。1本200円という超安価なペンシルで、化粧を始めた十代の頃からずっと同じものを使っている。当時は100円くらいだったような気がする。別のものを使うつもりは今後もない。
その他の色ものはシャネルと決めている。
シャネルを選ぶようになったきっかけは、たんにココ・シャネルと誕生日が同じだという単純な理由からだったが(セサミストリートのスナッフィーも同じ日の生まれなんだそうで、姿を見て愕然としたものの好感は抱いている)、つややかな黒のコンパクトの感触を手にしていらいこの道具の虜になってしまった。

冒頭の商品画像は「トラベル・メイクアップ・パレット」といって、旅行の時にいくつもコンパクトを持ち歩いてかさばらないようアイカラー・頬紅・リップグロスがひとつのパレットにおさまっている。
ベルベットな感触をした付属ポーチには、アイシャドウチップとチークブラシ、リップブラシが付いている。ポーチはファスナーのあるようなしっかりしたものではなく、薄い封筒型をしているため、すべてが軽くすっきりとまとまる。
特筆すべきはリップブラシで、写真の容器に立てかけてあるのがそれだが、平筆のような毛の並びで紅をのばしやすい弾力があり、唇のエッジどりもきっちりと仕上げることのできる優れた造りをしている。
この製品は街のシャネルの化粧品店には扱いがなく、たいてい旅先の免税店や機内販売で売られており、そのたびにもれなく買うようにしている。今年も新たな別色のシリーズを見つけ、機内で求めた。
旅行用とうたわれてはいるが、日常の時こそ、こういうオールインワンの化粧品は素早く「書きもの」に集中できて重宝する。

シャネルのコンパクトは、角度90度を少し越えたところまでしか開かない。これが時折化粧品レビューなどで欠点に挙げられることがあるけれど、180度までも開くコンパクトの鏡をのぞき込んで化粧する姿など美しいものだろうか。
この角度は、自然と背筋を伸ばして凛と鏡を眺める姿勢にさせるために、わざとそれ以上開かないように作ってあるのだと思う。
粧いは美しい姿勢から。そのことをシャネルのコンパクトに教えられた。

そして一番の愉しみは、コンパクトや口紅の蓋を閉める時の独特な「カチッ」という音。
ぞんざいでなく、なめらかにサックリと「この書きもののおしまい」を告げる。
その音を耳にして、画竜点睛。
続く一日の書きものに、心が向かう。
 
Posted by ミケランジェロ at 09:06  |Comments(4)TrackBack(3) | 筆記具

2010年08月05日

Läufer PLAST L-125/消しゴム


leaufer_plast.jpg文房具の中でとりわけ眺めのいいものは、消しゴムだと思う。
新品でも古びていてもそれぞれにいい。道具箱に行儀良くおさまっていても、そのへんに転がっていても絵になる。

消しゴムがもし物を言うなら、たぶんみな気立ても良いだろう。
こちらが不意に線を間違うまで、じっと黙って待っていてくれる。
使われれば使われたで紙との摩擦に熱せられても、涼しい顔をしている。
文字通り身を粉にして尽くしてくれる。
そんな消しゴムなのだから、口にする言葉もきっと真摯で人情に厚い。たとえふだん無口でいても、姿がそれを物語っている。酒を酌み交わすならぬるめの燗で。こちらが酌をしたならば、
「ありがたくいただく。あとは互いに手酌でいきましょう」
とさりげない気配りも忘れない。それが消しゴムの性分というものだ。

性別は、男だと思う。これほどまでに一途で忍耐強く、私利を求めぬ献身に徹する女が世にあろうか。もしもいたならばその女は消しゴムだったのだろう、前世で。

以前に他の話で自分は消しゴムで字を消すことを好まないと書いたが、その時に話題にしたFaber-Castell・パーフェクトペンシルの尻軸に付いた消しゴムと、冒頭写真のロイファーのプラスト・L-125なら話は別。いつでも手に取り、文字を消してみたくなる。
ロイファーの消しゴムには様々な形があり、どれも味わい深いデザインをしていて、文具店や画材店で見かけると思わず足をとめる。
ロイファーのロゴはもちろん、消しゴム面に印刷されている文字書体もバランスがいい。

L-125はプラスチック消しゴムで、半透明をしている。爽やかな青色のケースから中身を取り出すと、中にも「Läufer」のロゴが。
この半透明なかたまりに浮き上がるロゴがまたなんとも綺麗で、眺めるうちに幾度か理性を失いパクッと口に入れそうになった。
フローズン・キューブ(あるいは、あんみつの寒天。寒天濃いめ)という感じで、たまらなく美味しそうなのだ。ああ、たまんないたまんない。

そして良いのは姿だけではない。消し心地も素晴らしくてぐっとくる。
ケースの感触。また中身を取り出した時の感触。ケース側面の、弧を描いた切り込みのしなり。まず握り心地が良く、紙の上に軽くすべらせても強くこすらせても「紙を痛めず鉛の描線をさらい取る」感覚で消せる。
硬いのに軟らかい、軟らかいのに硬い、その弾力感もうまい具合に仕上げてある。
さらに消しかすがいい。周りに細かく散らず、消しゴムからこよりのようにぐるぐると発生する。消したあとの消しかすは、消しゴムの先でトントンとすくうようにたどれば消しゴムの元に再び戻りたがっているかのように吸い付き、そのままゴミ箱の上へやり指で払うと落ちてゆく。

ロイファー・プラスト・L-125、あなたはいい男だ。
ため息混じりにそうつぶやけば、この消しゴムは喜ぶ様子もなく涼しい顔で答えるだろう。
「これは私の仕事ですから」と。

そして「彼」はただ美しいたたずまいで自分の仕事を淡々とこなしながら、私の仕事をいつも快適にさせてくれる。
そんなものに、私もなりたい。
来世あたりに。
 
Posted by ミケランジェロ at 03:06  |Comments(6)TrackBack(0) | 筆記具