今こうして書き始めたように文章をキー入力で行うことも多いが、「コンピューターデバイスを好んで使う人=デジタル派」という認識もない。
そうした認識を持ちたくない。なぜなら、それらの道具は「その時に、その人が便宜上選んで使っているもの」でしかなく、そのどちらにも長所や短所を持つ理由がそれぞれにあり、それらを審判することは自分自身の志向とは関係がないから。
そもそも、世の道具を「アナログ」と「デジタル」に区分けする言葉を使うさいの「その後の扱い」に、釈然とせぬ思いを抱いている。
手動ならアナログ。電動ならデジタル。あなたなら、どっちを選ぶ? というのは、あまりにも無茶な話ではないか。
どちらを使おうが、自分という存在はここにいるのだ。こいつをなんとかするためには、手段を選ばず事を進めないと。
文房具に幅をせばめて言うなら昨今「デジタル文具」と呼ばれるものが各種登場し、人々の心をとらえている。
その人々のハートをつかむ核心の部分は「それが電気で動く機械じかけだから」なのではなく、例えば「書いた文字をテキストとして流用できれば、それを書くのに費やす時間がその先の作業時間を軽減させるために有益かも知れない」などと感じさせるところにあるだろう。
ようするに私たちの「いきたい方向性」というものは、自分にとって好ましい世界が開けてきそうであること。そこから新たな展開が生まれてきそうなこと。そして何か結果を出したり、喜びや楽しさを味わったりできること。それらに尽きるのであり、その道具がアナログであろうとデジタルであろうと、その「種別による」選択には執着しない方が得策と思う。
そして冒頭画像のiPadのこと。これを使うことにしたのは「効率よく有益な結果を得られそうだから」だった。
出先でのサイト閲覧、こういった文章書き、メール、画像や動画、地図を見る等々の通常用途に加えて、最も使いたかったのは、古文書の保管と閲覧、そしてその「紙面」への書き込み。
これはプリントアウトしたものを持ち歩いて、そこに付箋を貼ったり書き込んだりするこれまでの使い方より、遥かに効率よく行える。なにしろ持ち歩けば何キロもの重量になってしまう紙の束が、この薄いプレートの中にすべて収まってしまうのだから。
古文書は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーや、大学等各機関のデジタルアーカイブからダウンロードしている。こういう時代で実にありがたい。
有り得ないくらい大量な資料を挟めるクリップボードのようなiPad。タッチパネルで画面に直接触れる操作は手作業そのもので閲覧しやすく、手軽に書き込みを行える。ただこの「手軽に」というのはなかなかくせもので、「わあ便利」と思って使い始め、最初は面白がって書き込んでみても、そのうちにおっくうになり定着しないことも多い。
しかしこのデバイスに用意されるアプリには、書き込みも手書きで行う感覚と非常に近いものがある。具体的には上のような資料閲覧と書き込みに「GoodReader」を重宝にしている。文字をタッチパネルでキー入力するのは、のちの検索表示やテキスト流用の代償として余りある労力。「使えるクリップボード」だから、どんどん使いたくなる。
実に良い文房具だと思う。
画像の赤い蓋は、オプションの「Smart Cover」というもの。
はじめに購入したネイビーの方とこの赤とを、日によって付け替えている。これは持ち運び時にタッチパネル表面を保護しつつ、蓋の裏側はクリーナーになっていて、開閉すると画面が自動ON/OFFとなり、三角に巻けばスタンドにもなるという優れた機能の持ち主。
スタンドにする時には、テーブルや机に蓋の表面を触れさせるなら内巻きに、裏面のクリーナー側を触れさせるなら外巻きにする。
とても便利なSmart Coverだが、もしも今回軽く薄くなったiPad2を実感しようということなら、130gはあるこの蓋は付けない方が良いかも知れない。いずれにしても磁石でパッと着脱ができるので、時には蓋をしない日があるのも軽快だろう。
Smart Coverを付けない時は、前回書いた万年筆の手拭い巻きのように手拭いで包んで鞄へ。これがまた手拭いにぴったりのサイズで、Smart Cover付きで巻いてしまう日も。
1996年にNewton MessagePad 130を使った時から実に15年が経つ。iPhoneや初代iPadに触れた時にも感じたが、Newtonの頃に求めた「自分が期待する、新たな世界や展開」はこうしたデバイスに昇華されていったのだなと感慨深い。
思えばNewton MessagePad 130の時にも、用途の主は今と同じだった。私のやりたいことは何も変わっていない。ただ、彼らのやってくれることが飛躍的に変化した。未来に向かってどんどん進化していく道具の中に、自分が佇んでいるイメージ。
一方で手書きなどの「アナログもの」については、古来から脈々と続く道具に飽くことのない新しさを感じる。
そうやって、過去と未来へ向かう道具の間を、現在の自分が漂いながら使うことに充足感を抱いている。








