2011年05月20日

アナログとデジタルと、iPad2

ipad_red_cover.jpg私は手書きで文字を書くことを好んでいるが、「手書きをする人=アナログな人」という認識はない。
今こうして書き始めたように文章をキー入力で行うことも多いが、「コンピューターデバイスを好んで使う人=デジタル派」という認識もない。
そうした認識を持ちたくない。なぜなら、それらの道具は「その時に、その人が便宜上選んで使っているもの」でしかなく、そのどちらにも長所や短所を持つ理由がそれぞれにあり、それらを審判することは自分自身の志向とは関係がないから。

そもそも、世の道具を「アナログ」と「デジタル」に区分けする言葉を使うさいの「その後の扱い」に、釈然とせぬ思いを抱いている。
手動ならアナログ。電動ならデジタル。あなたなら、どっちを選ぶ? というのは、あまりにも無茶な話ではないか。
どちらを使おうが、自分という存在はここにいるのだ。こいつをなんとかするためには、手段を選ばず事を進めないと。

文房具に幅をせばめて言うなら昨今「デジタル文具」と呼ばれるものが各種登場し、人々の心をとらえている。
その人々のハートをつかむ核心の部分は「それが電気で動く機械じかけだから」なのではなく、例えば「書いた文字をテキストとして流用できれば、それを書くのに費やす時間がその先の作業時間を軽減させるために有益かも知れない」などと感じさせるところにあるだろう。
ようするに私たちの「いきたい方向性」というものは、自分にとって好ましい世界が開けてきそうであること。そこから新たな展開が生まれてきそうなこと。そして何か結果を出したり、喜びや楽しさを味わったりできること。それらに尽きるのであり、その道具がアナログであろうとデジタルであろうと、その「種別による」選択には執着しない方が得策と思う。

そして冒頭画像のiPadのこと。これを使うことにしたのは「効率よく有益な結果を得られそうだから」だった。
出先でのサイト閲覧、こういった文章書き、メール、画像や動画、地図を見る等々の通常用途に加えて、最も使いたかったのは、古文書の保管と閲覧、そしてその「紙面」への書き込み。
これはプリントアウトしたものを持ち歩いて、そこに付箋を貼ったり書き込んだりするこれまでの使い方より、遥かに効率よく行える。なにしろ持ち歩けば何キロもの重量になってしまう紙の束が、この薄いプレートの中にすべて収まってしまうのだから。
古文書は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーや、大学等各機関のデジタルアーカイブからダウンロードしている。こういう時代で実にありがたい。

有り得ないくらい大量な資料を挟めるクリップボードのようなiPad。タッチパネルで画面に直接触れる操作は手作業そのもので閲覧しやすく、手軽に書き込みを行える。ただこの「手軽に」というのはなかなかくせもので、「わあ便利」と思って使い始め、最初は面白がって書き込んでみても、そのうちにおっくうになり定着しないことも多い。
しかしこのデバイスに用意されるアプリには、書き込みも手書きで行う感覚と非常に近いものがある。具体的には上のような資料閲覧と書き込みに「GoodReader」を重宝にしている。文字をタッチパネルでキー入力するのは、のちの検索表示やテキスト流用の代償として余りある労力。「使えるクリップボード」だから、どんどん使いたくなる。
実に良い文房具だと思う。

画像の赤い蓋は、オプションの「Smart Cover」というもの。
はじめに購入したネイビーの方とこの赤とを、日によって付け替えている。これは持ち運び時にタッチパネル表面を保護しつつ、蓋の裏側はクリーナーになっていて、開閉すると画面が自動ON/OFFとなり、三角に巻けばスタンドにもなるという優れた機能の持ち主。
スタンドにする時には、テーブルや机に蓋の表面を触れさせるなら内巻きに、裏面のクリーナー側を触れさせるなら外巻きにする。
とても便利なSmart Coverだが、もしも今回軽く薄くなったiPad2を実感しようということなら、130gはあるこの蓋は付けない方が良いかも知れない。いずれにしても磁石でパッと着脱ができるので、時には蓋をしない日があるのも軽快だろう。
Smart Coverを付けない時は、前回書いた万年筆の手拭い巻きのように手拭いで包んで鞄へ。これがまた手拭いにぴったりのサイズで、Smart Cover付きで巻いてしまう日も。

1996年にNewton MessagePad 130を使った時から実に15年が経つ。iPhoneや初代iPadに触れた時にも感じたが、Newtonの頃に求めた「自分が期待する、新たな世界や展開」はこうしたデバイスに昇華されていったのだなと感慨深い。
思えばNewton MessagePad 130の時にも、用途の主は今と同じだった。私のやりたいことは何も変わっていない。ただ、彼らのやってくれることが飛躍的に変化した。未来に向かってどんどん進化していく道具の中に、自分が佇んでいるイメージ。
一方で手書きなどの「アナログもの」については、古来から脈々と続く道具に飽くことのない新しさを感じる。
そうやって、過去と未来へ向かう道具の間を、現在の自分が漂いながら使うことに充足感を抱いている。
 
Posted by ミケランジェロ at 08:33  |Comments(4)TrackBack(0) | 打記具

2010年10月26日

Twitterはじめました


twitter_circle.jpg「冷やし中華はじめました」のようで季節外れなタイトルであるし、Twitterを始めたのは今年の冷やし中華が始まるより前の昨年末であったが、ともあれツイートを重ねている。
今現在806ツイートを数えている。このブログを更新したお知らせで807になっているだろう。

ミケブログを読んで下さっている人皆が私のツイートを読みたいとは限らない。そう思って特にここでTwitterのことを話題にすることはなかった。mixiのように。
本来ならば、ブログのサイドバーにTwitterウィジェットを設置するなどしたら自然と「おっ、ミケさんつぶやいてるね」ということになり、あっちにもいるよとスマートに知らせることもできるのであろうが、それを設置するとブログ画面がちょっとやかましくなるのでしなかった。

…とああだこうだ言い訳はこのくらいにして、「ミケランジェロ」という名前でTwitterにいます。ユーザー名は「lamlinji」。
ジャンプするにはこちらです。

Twitterでは「谷中ランチなう」といった一言現場報告をする習慣はなくて、主に文具関係の話を中心に日々の思い付いたことを記している。
ひとつの発言の最大文字数は140字なので、「ひとつの考えを140字以内で文章にすること」の良い訓練になっている。
これが文具の話だったりすると、140字以内で簡潔にまとめるのがけっこう難しい。
まとめているうちに、散漫としていた考えが明確になってきたり、表現の言い回しがすっきりしてきたり。

これは一種の情報カードのようなもので、カードをある程度の小ささにすることによって生まれてくる「端的にまとめる工夫」や「ぱっとわかる読みやすさ」がツイートにも共通していると感じる。
ツイートには自動的に日付と時間が記録される。これは情報カードより楽でいい。検索機能については『Twitterヘルプ:検索機能』ページによると「まだ発展途上のもの」であるという。確かに。

書いてみて、これはあとあと突き詰めていきたいな、と感じたツイートはコピー&ペーストして抽出しておく。たいていiPhoneの「メモ」欄やメール下書きフォルダ、Scrivenerなどに移しており、移動させる場所は一カ所には決めていない。それらが自分の目に留まり展開させるのに適した場所はテーマそれぞれに違う。

カードでもそのようにしている。
続いてPCで入力することはPCの脇に、音楽のことは楽器のそばに、料理のことなら台所のシンクにおいておくのと同じことだ。
そうした「二次活用」のヒントになるという点でも、情報カードとTwitterは共通している。

そして、あらためてブログの話題に広げたいことは、ブログの下書き画面へ。
それが最近人に会うたび「いつブログ更新すんの?」と訊かれるようになってしまった。
こちらも近々根深く続いてゆく手帳や文具欲シーズンを迎え、考えを文章にまとめ更新していきたいと思う。
 
Posted by ミケランジェロ at 00:49  |Comments(6)TrackBack(0) | 打記具

2008年08月19日

デジタルカメラという「手帳」


wafer_gr_rhodia.jpg文字や絵を記すのがノートなら、目で見たものを画像として記すのがカメラで、両者にとても近しいものを感じる。

レンズは、ペン先。フィルムやイメージセンサーは、紙。そこに自分の切り口をもってしてシャッターを押し、記す。
あまりにおおざっぱなたとえかも知れない。でも、この画像の取り込み方がいいと感じたカメラには、探し求めていたペンと紙に出会った時と同じ感動を覚える。
カメラは、文房具のひとつなのではないかとさえ思う。
そんな文房具を使う感覚の延長として、カメラで写真を撮ることが楽しい。

それに加えて、デジタルカメラを使うようになってからそこに「気軽に使える手帳的要素」があるのを感じている。
スケジュール手帳の該当する日付に、用件を記す。
時にはメモを走り書きする。あとで読み返す。
その一連の動作と同じことをデジタルカメラでも行っているように思う。

もちろんカメラを使うからには「鑑賞に値する芸術的写真」も撮れることなら撮りたいところではあるのだが。
それはそれで志しつつも、目に留まったものを筆記具で書く代わりにパッと撮っておく、という用途によく用いる。日付や時間が一緒に記録されるのをいいことに、行動記録代わりに目的地の写真を撮ったり、料理や食事をした店の看板写真を撮ったり。
書類作成中にコンピュータがフリーズしたら画面ごと撮影したり、届いた手紙やいただきものを撮っておいたり。
そして画像を読み返しながら、スケジュール手帳と共に「自分のしたことやこれからすること」が次の展開へと進んでゆく。
まるでもうひとつの手帳があるみたい。

気軽に持ち歩けるこの「手帳」は、サイズもノートやメモとほとんど同じ。冒頭写真のデジタルカメラ・RICOH GR DIGITAL II の両側は、105mm×70mmのスマイソン・ウェーファーノートブックと120mm×85mmのロディアNo.12である。
構造や本来の用途は違えど、すべて「感じたことを切り抜いて残しておく」ものであることに変わりはない。
そしてそれらが自分にぴったりくる道具なら、もっと感じてもっと切り抜いてみたくなる。
だからポケットにはいつも、デジタルカメラという手帳を入れている。
 
Posted by ミケランジェロ at 23:55  |Comments(6)TrackBack(0) | 打記具

2008年06月22日

olivetti Lettera DL/タイプライター


olivetti_1.jpgいい道具は、いい音を発すると思う。
万年筆のキャップを開閉する音、ノートの紙をめくる音、扇子をピシャッと閉じる音、車のエンジンの音、コンピューターのハードディスクがじくじくという音。
「あ、この音いい」と思うと、たいていその道具を好きになるような気がする。
もしかしたら機能よりも音に惹かれてるんじゃないかと感じるほど。
その顕著なものが、タイプライターだと思う。

今、タイプライターが必要になる場面は皆無と言っていい。
なにしろコンピューターがある。文書はこれで書けば良い。
そうはわかっているのだけれど、何かタイプライターを使う理由はないものだろうか。だっていいんだもん。なんとしても、見つけたい。
そう思わせるほどに、この道具には魅力が溢れている。

だいたいからにして、活字を紙に打ちつけるという行為がいい。
そしてその字を打つ時の音。スペースキーを送る音。もうすぐ一行が終わるよという時に鳴るチーンという鐘の音。改行するためにレバーを巻き上げる音。すべての音が心地いい。

type.jpg加えて書体デザインの美しさ。
この数字・記号・小文字の書体に魅せられている。特にちょっと下の長い「3」や「9」とか、上に出ている「8」とか、「L」の小文字で代用する「1」とか好きだ。縦横の書体枠に縛られず縮んだり伸びたりしている記号も文章にされた時にめりはりが付いていい。
タイプライターの印字には1インチ幅に10文字が入る「パイカ」、12文字が入る「エリート」、15文字が入る「ミクロン」があるが、これはその中の「パイカ」である。

冒頭写真のタイプライターはオリベッティのレッテラDLという型で、1970年頃に作られたもの。その頃に父が買った。父が何に使っていたのかは知らないが、私は子供の頃から楽器代わりに使っていた。
なにせ叩けば文字の出る楽器なのである。おもしろくて仕方ない。
物心ついて欧文文字の何たるかを知るようになってからは、英単語もこれを使うと覚えるような気がして、よくルーズリーフに打った。
英文書類を打つ用事ができるようになった頃には家にコンピューターがあったので、結局本来の用をなすための十分な活躍はしなかったこのレッテラDLだが、父にあっさりと譲ってもらい今もしょっちゅう「弾いて」いる。

インクリボンの色は黒と赤。最後にリボンを交換してからずいぶん長いこと経っていて、リフィルも用意してあるのだがまだ出るし…とそのままにしてある。これ交換したらすごくインクの出がいいのだろうなあ。

この楽器の発する音で一番好きなのは、前述の一行が終わる手前で鳴る鐘の音。
使い始めてからもう30年以上も経つのに今も鳴るのはどういうからくりか、と思いタイプライター内部を覗いてみたら、自転車のベルを小型にしたような平べったい鐘が付いていて、それをレバーで打って鳴らすという極めて原始的な造りだった。愛おしい。

今もこの機械を愛する人たちが大勢いるという。孫に触らせたいという人や、書類作成に今もなお使う人、雑貨店の価格タグの印字に使う人、そして部屋にオブジェとして飾る人など。
私もタイプライターを愛する一人としてまっとうな使い方をしてみたい。ただ弾いて文字を眺めているだけでも、それは幸せなのだが。
便利な電器道具がいくらあろうと、タイプライターにはずっと側にいてほしい。
 
Posted by ミケランジェロ at 16:15  |Comments(11)TrackBack(0) | 打記具

2007年06月30日

Roland EDIROL R-09


r_09.jpg
コンピューターを使うと、こうしてブログを書ける。

写真を取り込んで、一緒に載せて。すごく、便利だ。
そのために「用意しなければならないもの」や「準備しなければならないこと」は色々あるけれど、それをどう展開させていこうかと考えるのもまた楽しい。
携帯電話もいい。電話機能だけでなく、メールをやりとりしたりサイトを見たり、写真を撮ったり。
いい時代ですね。

こう便利になってくると、自分をとりまく様々な出来事をPCで扱ってみたくなって、あるいは扱えるんではないかと思い込むようになって、ああこれはPCじゃなくてもいいんじゃんとか正気に返ったりなどしながら試行錯誤するのもまたおもしろい。

そんななかで、絶対的にこれは便利だ、やりたいと思うのは「音の記録」。
CDやMP3音源など外からやってくる音にかんしては「CDや音源データ→iTunes→iPod」とPCを経由して使っているけれど、自分で録音する音はPCとかかわりがない。

そこで注目しているのが写真のEDIROL R-09。ローランドの製品です。

音を録ってPC管理できる録音機器は数あれど、R-09の記録フォーマットは高音質なWAVEとMP3で、WAVEなら音楽CDの音質を超える24ビットでも録音できる。SDカードに記録してUSBで接続してPCに取り込むだけと操作も簡単。

うちのバンド「かにクラブ」のギタリスト、ナイス・リーがこれの先代機種「R-1」を持っていて、いつもリハやライブを録音しては即メンバーにメール配信したりCDに焼いたり…と活用しているのを見て、なんて便利な機械なんだ!と思っていたこともあり。

音楽に限らず、会議や取材時の録音はもちろん、たとえば旅先の街の音を録音する、なんていう使い方をするのも楽しいのではないだろうか。
気軽で高品質な「音のデジタルカメラ」という感覚で使えそう。

そのR-09の詳細は、音楽制作情報ポータルサイト「MusicMaster.jp」で活用法や音質まで知ることができます。
MusicMaster.jpのポッドキャスト番組は、R-09で録音されているらしい。すごくいい音!
他のページも見ていると、興味深い音楽機器やソフトウェアがたくさんあって、どんどん夢がふくらんでいってしまう。

とまあ、夢の数だけ物欲も増えてゆくのが悩ましいところではあるけれど、「この道具だからやりたいことをできる」と知るのは楽しいものだ。
アナログとデジタルと、両方の良いところを取り入れながら何かを形にして生きてゆく。そんな時代にいられることが嬉しい。
 
Posted by ミケランジェロ at 14:02  |Comments(2)TrackBack(1) | 打記具

2006年10月16日

鍵盤楽器で綴る音


kb.jpg
ここのところ久しぶりに鍵盤楽器を弾いている。

ずっと長いこと、鍵盤楽器は打楽器なのだと思っていた。
打って弾くから。
そうしたら、鍵盤楽器は鍵盤楽器で、鍵盤打楽器というのが別にあって、それは木琴や鉄琴やマリンバなのだという。
ピアノなどの鍵盤楽器は、弦楽器の要素も兼ね備えているから、打楽器ではないらしい。
しかし、どうせものを分類するなら鍵盤楽器と鍵盤打楽器をひとくくりにして、ピアノやオルガンや木琴鉄琴マリンバなどを一族にしてほしかった。

それから文字を入力するキーボードも、その中に加えておきたい。
というのも久々に鍵盤楽器を弾いて、特に何の違和感も抱かずに鍵盤になじんでいるのは、これまでコンピューターのキーボードでひたすらに文字を打っていたせいだと思ったから。

指を、しかるべき位置に間違うことなく移動させて打つ。
その動作を連続して行う。
このことを毎日毎日文字入力で行っていたおかけで、久しぶりに鍵盤楽器を弾いても指がもたつかないのだと感じた。
いや、久しぶりなのではなく毎日私は弾いていたのだ、言葉という音色を。
(ごめん、思いついちゃったんで書いとく)

もういっそ、文字入力の時にも「和音」を打ちたいし、キーが横一列に並んでいるキーボードで文章を書くのも楽しいんじゃないかと思う。
それから鍵盤に、アルファベットやひらがなを割り振って文章を打ったらどんな曲になるんだろう。
変換キーやリターンキーは、あまり端にしない方が良さそうだね。
鍵盤に触れる毎日を過ごすようになったおかげで、文字を打つことも余計に楽しくなった。

とはいえ最初、久々の鍵盤に向かった時に緊張の面もちで無意識に弾いた曲、

『ねこふんじゃった』。

幼稚園児の頃から変わってない自分に狼狽。

 
Posted by ミケランジェロ at 23:26  |Comments(6)TrackBack(0) | 打記具

2006年05月13日

キー入力のおはなし


key.jpg
コンピュータの日本語入力にはどうしてローマ字入力とかな入力があるのだろうか。
世の中にウインドウズとマックがあるように、選択肢があることはつまらない言い争いの元になる。どちらが便利だとか、どちらが良くないとか。
そういうことはやめておきたい。
だから、ローマ字入力とかな入力について熱弁をふるう気はない。
自分が気に入っていて楽だと思う方を使えばそれでいいじゃない?

という結論を出すために、両方覚えた。
日本語入力の前に、最初に覚えたのは欧文のキー配列だった。当時はワープロというものも世間一般にはなくて、家にあったオリベッティのタイプライターをひたすらに打った。
打てばすぐ紙に文字がタイプされる一発勝負。間違えたら、ホワイトで消して、頃合いをみて位置を戻して打ち直したっけ。
1行が終わる頃にチーン☆と音が鳴って、途中で改行する時には自分でレバーを押したりしていたな。懐かしいぜ〜。

それから、日本語が入力できるワープロというものが登場して、まずはローマ字入力をしてみた。
次に、かな入力って結局どうなのと思ってそっちも覚えてみることにした。

大事なことは、どちらのキー入力にするかということよりも、
「とにかくキーボードを見ないで打つんだ。」
という点に尽きると思う。
画面からわざわざ視線をキーに移す行為が「コンピュータに踊らされている」ように思うから。
ただでさえコンピュータの身勝手な言い分を聞いて操作方法を覚えているのに、視線を移すなどという下手に出るような真似をしたくない。

だから、一瞥もくれてやらない。
一瞬たりとも、画面から目をそらすな。
という気持ちでいる。

自分の使うコンピュータはかな入力で、人のや公共のものはその時のキー入力設定のままで使う。そんな時、たいていローマ字入力に設定されている。
何かの拍子にかな入力を使う人と遭遇することがあると、無人島でやっと人と出会ったかのように喜んでくれるのが楽しい。
私も、嬉しい。
 
Posted by ミケランジェロ at 10:07  |Comments(16)TrackBack(0) | 打記具

2006年04月07日

携帯メール


venezia.jpg
ベネチアの水上バスに乗りながら、携帯電話でメールを書いていた。
まわりは皆、外国の人。いや、私が外国の人なんですが。
ともあれ日本語がわからないであろう人達がまわりにいると、携帯メールも気兼ねなくできる。

「ベネチアにもアル・パチーノ似のいい男なんて皆無だね」

なんて打ってても誰もわからない。携帯電話で何かやってるなあという程度に一瞥されるだけ。

すると、斜め後ろからじっとこちらを見つめる視線を感じた。
構わずメールを書き続ける。
まだ見つめている様子。
この後ろ姿に惚れるなよ。振り向くとびっくりするよ。
なんて考えていたら、その視線がとうとう声を発した。

「あのう…」

見れば西洋人の初老の紳士。
紳士はひとつ咳払いをして言った。

「さっきから気になっている。その言葉をいったいどうやって電話の画面に書いているのか!」

ネイティブ・スピーカーじゃないなという感じの英語。ひどく落ち着かない様子である。

「どうやって?って…その、ここにあるダイヤルボタンで…」

携帯電話を見せると、紳士はかぶりを振った。

「そういうことを聞いているのではない。画面に、一度文字を表示させて、それをそのまま使ったり、時にはそれは使わず、違う文字になったりしていた!」

ひらがな→漢字の変換入力のことか。
そういえば欧文だと変換する作業がないものね。
中国語だったら、入力した文字は漢字だけに変換されるから「まず、読みを入力するんだな」と推測できるだろうけれど、日本語の場合は、その「読み」であるひらがなをそのまま使ったり、カタカナという「ちょっと違う形の文字」にしたり、漢字という「複雑で短い文字」に変わったりするし、さらに予測変換なんていう機能もあったりするから、1文字入力しただけでパッと長い言葉を入力できたりもする。確かにわけがわからないと思う。
しかしすごい観察力だ、紳士。これはきっちり説明して差し上げなければ。

「私の言語には、3種類の文字があるんです。それを状況に応じて使い分けている。ひらがな、カタカナ、漢字っていう3種類なんですが、漢字はChinese charactersというやつ、見たことあるでしょう。
基本はこのひとつ目のひらがな。これでまず入力して、それを2つ目のカタカナにしたり、3つ目の漢字にしたり。あと、この携帯には学習機能というのもあって、一度変換したものは覚えてくれるから、次に同じ単語を入力するときに、読みの最初の文字を入れるだけでジャンプできたりするんですよ」

携帯を操作しながら説明したら、紳士は食い入るように画面を見つめている。ちょっと目が回ってるみたい。

「原理はわかった。そんなマジックみたいなことは、私にはできない。不可能だ。君はマジシャンだ!」

手品師て。

「ところでそのマジカルな言葉は、いったい何語なんだ?」

日本語です! そうか、わからないんだ。
紳士と船着き場で別れ、あらためて携帯画面を眺める。
この言葉がわからなかったら、確かにすごい操作をしているように見えるだろうな。こっちは普通にやってることなのに、それに驚く人や、人生に日本語とまったく関係のない人が世の中には大勢いる。
奥深い言語だから皆もやってみるといいのに、と思いながら、自分が今から始めることを想像すると途方に暮れる。
こんな時、たまたま日本に生まれ育って日本語を習得して、得をしてしまったなあと思う。
 
Posted by ミケランジェロ at 07:43  |Comments(5)TrackBack(0) | 打記具

2006年03月20日

携帯電話という打記具


mobilephone.jpg
2006年3月9日の「筆記具と打記具」でタイトルに書いたように、手書きで文章を書く時に使う「筆記具」にたいして、キー入力で文章を書くための道具を総称して「打記具」と呼んでいる。
パソコンや携帯なんかがそれ。

打記具で文章を書くためには、その機械の入力ルールを修得することが必要だ。パソコンなら、ローマ字入力、かな入力、欧文入力など。そもそも、機械の使い方を覚えるっていうのもあるよね。
電源を入れ、定められた画面を表示させ、文字を入力する。(そして「保存」する!)
正気になって考えてみると面倒なこの道具の操り方を、よく覚えたものだと思う。

なかでも携帯電話の文章入力。これにはちょっと気が滅入るけど、よくこれだけの少ないキーで複雑な日本語入力をこなせる作りになっているよなあと、その技術開発に感心してしまう。
そして親指1〜2本でその操作をこなしている私たちもすごい。
人類がいつもいつも携帯電話で文章入力をし続けていたら、未来には親指の進化した生き物になっているのではないだろうか。

携帯電話の日本語入力は、ひらがなに優劣をつけた。
「あかさたなはまやらわ」は1打で表示されるが、「いきしちにひみゆりを」は2打目。「うくすつぬふむよるん」は3打目。
だからといって「おこそとのほもろ」が最悪の5打目かというとそんなこともなくて、別のキーを使うことによって「あ→お」の順序が逆回りの「お→あ」になったりするから、結局のところ「3打目」のひらがなが一番待遇が悪いということになる。
私は逆回り技は使わないので、「おもろそー」とか入力するとしたら、面倒だと感じる。「ホームページ」もおっくうだな。よく行くけど、「ロイヤルホスト」なんかも入力するのはやだと思う。

さらに打記する時には、文字を入力するだけでなく「文字を選択する」という作業も加わる。
いま「さぎょう」と打って、機械が提示してくる漢字表記の中から「作業」を選択した。
この工程が加わることで、手書きで文章を書いている時とは違った感性が刺激されるようになった。

たとえば「感性」と書くつもりで「かんせい」と打てば、目当ての「感性」と一緒に完成や歓声や閑静や慣性などが並んでいる。
そのうち「燗せい」なんて変換候補も出てきて、お酒をお燗にしろと怒っているオヤジの姿、なんてのが突然浮かんできてしまったり。
手書きの時にはこれらの言葉は頭の中でひとくくりになっていないのに、機械というのは想像だにしなかった変換候補を真顔で提案してくる。なかなかおもしろいやつだと思う。

携帯に本気でスピード入力したい時には両手の親指を使うけれど、普段は左手の親指だけで打っている。
筆記具は右手で持つので、打記具では積極的に左手を使おうかなと。
文章を書く愉しみが両手に広がって嬉しい。

 
Posted by ミケランジェロ at 19:22  |Comments(5)TrackBack(0) | 打記具