2010年02月03日

天つ巻  第十五帖

神の国には神の国のやり方あるぞ、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方がちがふのざぞ、教もそれぞれにちがってゐるのざぞ、元は一つであるなれど、神の教が一等よいと申してもそのままでは外国には通らんぞ、このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気つけて呉れよ、猫に小判何もならんぞ、神の一度申したことは一分もちがはんぞ。  
 
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2010年02月01日

月光の巻  第二十九帖

モト(母答)を正さねばならん。間に合わんことになるぞ。心の改心すれば、どんなおかげでも幽国(かいこく)は火の雨ぢゃなあ。世界一度に改心。  
 
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2010年01月31日

月光の巻  第四十二帖

未来にもえることが現在に生きることであるぞ。そなたは現在に生きる努力が足らん。夢ばかり追ってゐてはうたかたぢゃ。(一部抜粋)   
 
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2010年01月28日

黄金(コガネ)の巻  第九十七帖

生命すててかからねば、まことの理解には入れん道理。身慾信心では駄目。いのち捨てねば生命に生きられん道理。二道二股多いと申してあらう。物の文明、あしざまに申す宗教は亡びる。文明も神の働きから生れたものぢや。悪も神の御働きと申すもの。悪にくむこと悪ぢや。善にくむより尚悪い。何故に判らんのか。弥栄と云ふことは歩一歩づつ喜び増して行くことぞ。喜びの裏の苦に捉はれるから判らんことに苦しむのぢや。苦と楽共に見てよと申してあらう。偶然の真理、早う悟れよ。
 
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2010年01月19日

碧玉之巻  第四帖

真の懺悔は正法をおさむることであるぞ、掃除することであるぞ。先づ御(おさ)め、次に治(おさ)め、次に知(おさ)めねばならんぞ、素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給ひ、更に蒼海之原を治め給ひ、次に天下(あめのした)を知め給うたのであるぞ。素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。  
 
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2010年01月16日

五葉之巻  第九帖

平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ、天地をよくみよ、人民の申す如き平等も公平もないであろうがな、一寸のびる草もあれば一尺のびる草もあるぞ、一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が頂天であるぞ。これが公平であり平等と申すもの。人民は選挙と申すヤマクに酔ってゐるぞ、選挙すればする程、本質から遠ざかるぞ。他に方法がないと定めてかゝるから、悪魔に魅入られてゐるから判らんことになるぞ。世は立体であるのに平面選挙していては相成らんぞ。平面の数で定めてはならん、立体の数に入れよ。   
 
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2010年01月09日

夏の巻  第十四帖

上にたつ程働かねばならん。働いても力はへらん。働くにはキ頂かねばならん。キから力生れるのであるぞ。働くと申して動くばかりでないぞ。動かんのも働き、動くのも働き、よく心得よ。よせては返し、よせては返し生きてゐるのであるぞ。始の始と始が違ふぞ。後になるほどよくなるぞ。終りの中に始めあるぞ。祈り、考へ、働きの三つ揃はねばならん。  
 
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2010年01月03日

水の巻  第七帖

皆病気になりてゐること分らぬか。一二三のりとで直してやれよ。神示読みて直してやれよ。自分でも分らぬ病になってゐるぞ、早ふ直さぬとどうにもならんことになって来るぞ。この宮、仮であるぞ。真中に富士の山つくり、そのまわりに七つの山つくりて呉れよ。拝殿つくり呉れよ。神示書かす所作りてくれよ。天明弥澄む所作りて呉れよ。いづれも仮でよいぞ。早ようなされよ。松の心にさへなりておれば、何事もすくすく行くぞ。
 
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2010年01月02日

富士=普字の巻  第十五帖

一二三は神食、三四五は人食、五六七は動物食、七八九は草食ぞ、九十は元に、一二三の次の食、神国弥栄ぞよ。人、三四五食に病ないぞ。
 
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2010年01月01日

夜明(四あ)けの巻  第五帖

何もかも神示読めば判る様になってゐる事忘れるでないぞ、此の仕組云ふてならず、云はねば判らんであろうなれど、神示読めば因縁だけに判るのざぞ。石物云ふ時来たぞ。山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、型せと申してあらうが、いづれも仮ざから三千世界の大洗濯ざから、早よ型してくれよ。型結構ぞ。何もかも神人共にするのざぞ。夜明けたら、何もかもはっきりするぞ、夜明け来たぞ。十理(トリ)立てよ。
 
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2009年12月24日

至恩之巻  第六帖

四と八によってなされたのであるから、森羅万象の悉くがその気をうけてゐるのであるぞ。原子の世界でもそうであろうが、これが今の行詰りの原因であるぞ、八では足らん、十でなくてはならん、〇でなくてはならんぞ。岩戸ひらきの原因はこれで判ったであろうがな。
 
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2009年12月17日

キの巻  第七帖

物、自分のものと思ふは天の賊ぞ、皆てんし様の物ざと、クドウ申してあるのにまだ判らんか。(一部抜粋)
 
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2009年12月05日

碧玉之巻  第十四帖

頭と尻尾だけでは何も出来ん、化物ぢや。八尾八頭(かしら)の時代はすんだのでるぞ、かんじんの胴体がないぞ、日本が胴体であるぞ、日本を何処に忘れて来たのか、自分でも判るまいがな、尾の毛まで抜かれた化物の姿、鏡にうつして見るがよい、鏡は神示ぢやと早うから知らしてあろうがな。   
 
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2009年12月04日

碧玉之巻  第十五帖

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢや、666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
 
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2009年11月28日

日月(ひつ九)の巻  第二十二帖

お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。    
 
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2009年11月24日

五葉之巻  第十四帖

一升マスには一升入ると思ってゐるなれど、一升入れるとこぼれるのであるぞ、腹一杯食べてはならん、死に行く道ぞ、二分を先づ神にささげよ。流行病は邪霊集団のしわざ、今にわからん病、世界中の病ばけしくなるぞ。  
 
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2009年11月23日

極め之巻  第十四帖

正しくないものが正しい方に従はねばならんと人民申して御座るなれど、正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。マコトを衣として下されよ、マコトを衣にするには心がマコトとなりなりて、マコトの肉体とならねばならん、マコトとは数(かず)ぢや、言(こと)ぢや、色ぢや、その配列、順序、方側ぞ。  
 
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2009年11月15日

月光の巻  二十帖

大奥山と教会をまぜこぜしてはならん。教会や其他の集団は現われ、大奥山はかくれぢゃ。大奥山はこの度の大御神業にゆかりのある神と人とを引よせてねり直し、御用に使う仕組。みて御座れ、人民には見当とれんことになるぞ。  
 
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2009年11月07日

碧玉之巻  第六帖

わざわひと言ふものは無いのであるぞ、光をわすれ、光にそむくから、イヤな事がおこるのぢや、影がさすのぢや、禍とか悲しみとか言ふくらい(暗い)ものがないのがマコトであるぞ、中心は無と申してあろう。中心は見えんから、判らんから、外のカスばかり見てゐるからつまらんことで、つまらんことが起ってくるのぞ、その見えぬ力が永遠の生命と現われるのであるぞ、見えるものは有限ぢや。この世の大泥棒をタカヤマぢやと申して、この世を自由にさせておいてよいのか、元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えぬものを?まねばならんぞ、そこから正さねば外側からばかり清めても何もならん。 
 
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2009年11月05日

秋の巻 第十一帖

親と子は、生むと生まれるとの相違出来てくるぞ。又上の子と下の子と、左の子と右の子とは違ふのであるぞ。違へばこそ存在する。
 
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