2012年05月26日

哲学的つぶやき−その96−

 哲学的つぶやき、その96です。

 Heidi C. DulayとMarina K. Burtによる「SHOULD WE TEACH CHILDREN SYNTAX?」という論文によると、スペイン語や中国語を母国語とする子供たちが、英語の文法を習得する順序は、次のようなものであるそうです。

・複数形を表す -s
  ↓
・現在進行形を表す -ing
  ↓
・Be動詞(本動詞としての)
  ↓
・Be動詞(助動詞としての)
  ↓
・冠詞
  ↓
・不規則動詞の過去形
  ↓
・規則動詞の過去形を表す -ed
  ↓
・三人称単数現在形の -s
  ↓
・所有格を表す -'s

 この順序は、私たちが中学で英語を学習する順番とは大きく異なります。もしかしたら、今の日本の英語学習における文法の順序は、生徒が学びやすい順番ではなく、先生が教えやすい順番になっているのかもし­れません。



 iPhoneなどでご覧になっている方で、上の動画が見られない場合は、下をご覧ください。(フレームサイズがやや異なっていますが、上と同じ動画です。)



 なお、この記事作成に際し、このサイトから一部引用、参考にさせていただきました。

※このエントリーは、動画版オリジナルです。(対応する過去の記事はありません)


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2012年05月25日

哲学的つぶやき−その95−

 哲学的つぶやき、その95です。

 俵万智さんの『短歌をよむ』という本を紹介します。

 俵さんはある日、次のような歌を詠みます。

 “通るたび「本日限り」のバーゲンをしている店の「本日」の意味”

 しかし、上の句だけで十分言いたいことが伝わっていて、下の句の冗長な表現で、かえって底の浅い歌になってしまったと感じた彼女は、次のように書き換えるのです。

 “通るたび「本日限り」のバーゲンをしている店の赤いブラウス”



 iPhoneなどでご覧になっている方で、上の動画が見られない場合は、下をご覧ください。(フレームサイズがやや異なっていますが、上と同じ動画です。)



 この動画は、過去の下記記事を動画化したものです。

 『俵万智さんの作歌法』


 (引き続き、哲学的つぶやき−その96−を見る)


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2012年05月24日

哲学的つぶやき−その94−

 哲学的つぶやき、その94です。

 鈴木康之氏の『名作コピーに学ぶ 読ませる文章の書き方』という本で紹介されていた、アンドレ・ブルトンのエピソードを取り上げます。

 ブルトンがニューヨークに住んでいたとき、いつも通る街角に黒メガネの物乞いがいて、首に下げた札には「私は目が見えません」と書かれてありました。しかし、施し用のお椀­には、ほとんどお金が集まりません。

 そこでブルトンは、一計を案じます…。



 iPhoneなどでご覧になっている方で、上の動画が見られない場合は、下をご覧ください。(フレームサイズがやや異なっていますが、上と同じ動画です。)



 この動画は、過去の下記記事を動画化したものです。

 『心優しいアンドレ・ブルトン?』


 (引き続き、哲学的つぶやき−その95−を見る)


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2012年05月23日

哲学的つぶやき−その93−

 哲学的つぶやき、その93です。

 『情報デザイン』という本に収録されている、深澤直人氏の「気づかないインターフェイス」という文章を取り上げます。

 傘を壁に立てかけるとき、床がタイル張りであれば、多くの人が無意識的に、傘の先端をタイルの目地の部分に置くことでしょう。この場合、タイルの目地が、いわば傘立てとし­ての役割を果たしています。これが「気づかないインターフェイス」です。「気づかないインターフェイス」を持ったデザインは、ユーザーに、それがデザインであると気づかせ­ることなく、機能することができるのです。

 この「気づかないインターフェイス」を持ったデザインは、ものの世界(傘や床、壁など)と、ことの世界(私たちの意識や身体)という二つの世界を、自らの存在を消し去るこ­とで、繋いでいるのです。



 iPhoneなどでご覧になっている方で、上の動画が見られない場合は、下をご覧ください。(フレームサイズがやや異なっていますが、上と同じ動画です。)



※このエントリーは、動画版オリジナルです。(対応する過去の記事はありません)


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2012年05月22日

哲学的つぶやき−その92−

 哲学的つぶやき、その92です。

 今村仁司氏の『作ると考える−受容的理性に向けて−』という本を取り上げます。

 今村氏はこの本の中で、近代の理論的知性は、自然に対して対象化的に立ち向かい、これを技術的に操作し、「作品」へと仕立て上げる、そういう「作る」精神と不可分の関係に­あると述べています。

 このような知性のあり方に対し、アドルノのような思想家は、別の知の可能性を模索しました。それは異者としての自然、非同一としての自然をあるがままに認め、それを同一化­したり、支配と管理の下に置かないという知のあり方です。

 それは、あらゆるイデオロギーや、知の党派性などとは無縁の思想なのです。



  iPhoneなどでご覧になっている方で、上の動画が見られない場合は、下をご覧ください。(フレームサイズがやや異なっていますが、上と同じ動画です。)



※このエントリーは、動画版オリジナルです。(対応する過去の記事はありません)


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2012年05月21日

哲学的つぶやき−その91−

 哲学的つぶやき、その91です。

 物語を語るときに、視点をどこに設定するかは、非常に重要なことです。その視点の扱いによって、その物語の作者が熟練した書き手であるかどうかが分かる、と言っても過言で­はないでしょう。

 宮部みゆきさんも(室井滋さんの対談集『チチンプイプイ』という本において)ミステリーの分野でも、視点をどこに設定するかが極めて大事なことである、と語っています。



 iPhoneなどでご覧になっている方で、上の動画が見られない場合は、下をご覧ください。(フレームサイズがやや異なっていますが、上と同じ動画です。)



 この動画は、過去の下記記事を動画化したものです。

 『視点のミステリー』


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2012年05月20日

哲学的つぶやき−その90−

 哲学的つぶやき、その90です。

 レーモン・クノーの『文体練習』という小説を取り上げます。

 この小説は、日常のつまらない出来事(バスの中で起こったちょっとした喧嘩の顛末と、その張本人を後でたまたま目撃しただけの話)を、99もの異なった「書き方」で描いて­います。

 S・ベケットは、J・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』について、「彼の作品は何かについて書いたものではない。何かそれ自体なのである」と評しましたが、このクノー­の作品も、それと同様に、「何かそれ自体」としての価値を持った作品なのです。



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※このエントリーは、動画版オリジナルです。(対応する過去の記事はありません)


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