2010年02月23日
ジョーダンと比較優位とオリンピック選手
オリンピックに興味ないと言っているわりには、またオリンピックの話題で恐縮なのですが…。
以前は、オリンピックともなると、テレビにかじりついて夢中で見ていましたが、ここ数年、急速に熱が冷めてきています。
選手たち、とくにメダルを取るような一流選手の競技を見ていると、なんだか同じ人間がプレーしているとは思えなくなってきます。
カーリングくらいだったら、まだ何とか私にもできるかなーという感じですが、スキージャンプとか、大回転とか、夏季オリンピックだったら体操とか陸上競技とか…、まるで精密なロボットがプレーしているのを観察しているような気になってきます。
これだったら、むしろ本当のロボットによる競技を見ていたほうが、気が楽なくらいです。
オリンピックは、私にはもう全く別の世界の出来事なのです。
もちろん、何年にもわたって厳しい訓練を積み重ねているのですから、選手たちが人間離れしてくるのは当たり前なのでしょうが…。
でも、これって、そもそも人間の営みとして正しいのでしょうかね。たぶん、一流選手たちは、生活のほとんどすべてを、競技に注ぎ込んでいると思いますが、そういうことが…。
経済学で、「比較優位の原則」ってありますよね。
“比較優位(ひかくゆうい、comparative advantage)とは自由貿易に関して生まれた考え方で、経済学者デヴィッド・リカードが提唱した。
比較優位を持つ(相手より機会費用の少ない)財の生産に特化し、他の財は輸入する(自由貿易で)ことで、それぞれより多くの財を消費できるという国際分業の利益を説明する理論である。比較生産費説ともいい、リカードモデルの基本である。”
自由貿易関係においては、各国はそれぞれに得意な産業に特化して生産を行い、他の産業の生産物は輸入するという国際分業を行うことで、全体としての生産性を上げることができるのです。
この「比較優位の原則」について、経済学者のマンキューは、「マイケル・ジョーダンは、庭の芝を刈るべきか」という問いを使って、わかりやすく説明しています。(ちょっと例が古いですが…)
・マイケル・ジョーダンは、2時間で芝を刈り取ることができる。
・ジェニファー(隣の家の女の子)は、4時間で芝を刈り取ることができる。
・ジョーダンはナイキのコマーシャルに出演すれば、2時間で1万ドル稼ぐことができる。
・ジェニファーはマクドナルドで働くと、4時間で20ドル稼ぐことができる。
上記のような条件下では、たとえジョーダンがジェニファーの2倍のスピードで芝を刈ることができるとしても、ジョーダンは、芝刈りを20ドル以上の給料を払ってジェニファーに任せ、その空いた時間でCMに出演すべきです。そうやった方が、ジョーダンとジェニファー、双方にとって有利なのです。
一流のスポーツ選手、特にオリンピックで知名度を上げて大金を稼ぐような選手は、多かれ少なかれ、このジョーダン(もちろん、マンキューによる架空のジョーダンですが…)に近いことをやっているはずです。(将来的な収入を見込んでそうしている選手もいると思います)
国家間の貿易ならまだわかりますが、個人のレベルでこういう「比較優位の原則」に従って分業をする、つまり生活のほとんどの時間を一つのことに注ぎ込んで、他のことは他人に任せる…というのは、人間のあり方としてどうなんでしょうね?(オリンピック選手がそうやっていると、勝手に決め付けちゃっていますが…。)
それは、ただ単に、分業によって人間本来のあり方が損なわれるということだけではありません。「比較優位の原則」が個人レベルにまで蔓延することで、ジェニファーのようないたいけな女の子まで、ジョーダンに代表される巨大な資本のシステムに呑み込まれてしまう可能性が開かれるのです。
ジェニファーがジョーダンから芝刈りの仕事を請け負うには、ジェニファーは芝刈りの技術で、ジョーダンよりも絶対優位を持つ必要はありません。ジョーダンがナイキのコマーシャルに出演して稼ぐ2時間1万ドルという報酬(機会費用)よりも、ジェニファーの機会費用が低くさえあれば、ジェニファーは比較優位を持つことができます。
つまり、ジェニファーの比較優位は、ジョーダンという他者の機会費用に依存します。ジョーダンが努力してスパースターであり続ける限り、ジェニファーは芝刈りの技術を磨かなくとも、ジョーダンから芝刈りの仕事を請け負うことが可能なのです。
しかし、ジョーダンは本当に庭の芝刈りをジェニファーに任せるべきなのでしょうか?また、ジョーダンとジェニファーとの関係は、このままでいいのでしょうか?
たとえジョーダンといえども、自分の庭の芝は自分で刈るべきだ、あるいは、ジェニファーにもっと早く芝を刈り取る方法を優しく教えてあげるべきだ、私はそう思うのです。
スポーツ選手に限らず、過度に分業化を進め、「比較優位の原則」だからといって(それがジェニファーの利益にもつながるからといって)、どんどんと自分の身の回りのことも他人任せにするようなことは、いつか破綻をきたすのではないでしょうか?
オリンピック選手がロボットに見えると言ったのは、そのような意味でです。
長いスパンで見れば、「比較優位の原則」の過度な採用は、個人の利益、ひいては全体の利益をむしろ損なってしまうのではないか…。テレビでオリンピック番組を横目でちらちら見ながら、私はそんなことを考えています。
以前は、オリンピックともなると、テレビにかじりついて夢中で見ていましたが、ここ数年、急速に熱が冷めてきています。
選手たち、とくにメダルを取るような一流選手の競技を見ていると、なんだか同じ人間がプレーしているとは思えなくなってきます。
カーリングくらいだったら、まだ何とか私にもできるかなーという感じですが、スキージャンプとか、大回転とか、夏季オリンピックだったら体操とか陸上競技とか…、まるで精密なロボットがプレーしているのを観察しているような気になってきます。
これだったら、むしろ本当のロボットによる競技を見ていたほうが、気が楽なくらいです。
オリンピックは、私にはもう全く別の世界の出来事なのです。
もちろん、何年にもわたって厳しい訓練を積み重ねているのですから、選手たちが人間離れしてくるのは当たり前なのでしょうが…。
でも、これって、そもそも人間の営みとして正しいのでしょうかね。たぶん、一流選手たちは、生活のほとんどすべてを、競技に注ぎ込んでいると思いますが、そういうことが…。
経済学で、「比較優位の原則」ってありますよね。
“比較優位(ひかくゆうい、comparative advantage)とは自由貿易に関して生まれた考え方で、経済学者デヴィッド・リカードが提唱した。
比較優位を持つ(相手より機会費用の少ない)財の生産に特化し、他の財は輸入する(自由貿易で)ことで、それぞれより多くの財を消費できるという国際分業の利益を説明する理論である。比較生産費説ともいい、リカードモデルの基本である。”
(Wikipediaより引用)
自由貿易関係においては、各国はそれぞれに得意な産業に特化して生産を行い、他の産業の生産物は輸入するという国際分業を行うことで、全体としての生産性を上げることができるのです。
この「比較優位の原則」について、経済学者のマンキューは、「マイケル・ジョーダンは、庭の芝を刈るべきか」という問いを使って、わかりやすく説明しています。(ちょっと例が古いですが…)
・マイケル・ジョーダンは、2時間で芝を刈り取ることができる。
・ジェニファー(隣の家の女の子)は、4時間で芝を刈り取ることができる。
・ジョーダンはナイキのコマーシャルに出演すれば、2時間で1万ドル稼ぐことができる。
・ジェニファーはマクドナルドで働くと、4時間で20ドル稼ぐことができる。
上記のような条件下では、たとえジョーダンがジェニファーの2倍のスピードで芝を刈ることができるとしても、ジョーダンは、芝刈りを20ドル以上の給料を払ってジェニファーに任せ、その空いた時間でCMに出演すべきです。そうやった方が、ジョーダンとジェニファー、双方にとって有利なのです。
一流のスポーツ選手、特にオリンピックで知名度を上げて大金を稼ぐような選手は、多かれ少なかれ、このジョーダン(もちろん、マンキューによる架空のジョーダンですが…)に近いことをやっているはずです。(将来的な収入を見込んでそうしている選手もいると思います)
国家間の貿易ならまだわかりますが、個人のレベルでこういう「比較優位の原則」に従って分業をする、つまり生活のほとんどの時間を一つのことに注ぎ込んで、他のことは他人に任せる…というのは、人間のあり方としてどうなんでしょうね?(オリンピック選手がそうやっていると、勝手に決め付けちゃっていますが…。)
それは、ただ単に、分業によって人間本来のあり方が損なわれるということだけではありません。「比較優位の原則」が個人レベルにまで蔓延することで、ジェニファーのようないたいけな女の子まで、ジョーダンに代表される巨大な資本のシステムに呑み込まれてしまう可能性が開かれるのです。
ジェニファーがジョーダンから芝刈りの仕事を請け負うには、ジェニファーは芝刈りの技術で、ジョーダンよりも絶対優位を持つ必要はありません。ジョーダンがナイキのコマーシャルに出演して稼ぐ2時間1万ドルという報酬(機会費用)よりも、ジェニファーの機会費用が低くさえあれば、ジェニファーは比較優位を持つことができます。
つまり、ジェニファーの比較優位は、ジョーダンという他者の機会費用に依存します。ジョーダンが努力してスパースターであり続ける限り、ジェニファーは芝刈りの技術を磨かなくとも、ジョーダンから芝刈りの仕事を請け負うことが可能なのです。
しかし、ジョーダンは本当に庭の芝刈りをジェニファーに任せるべきなのでしょうか?また、ジョーダンとジェニファーとの関係は、このままでいいのでしょうか?
たとえジョーダンといえども、自分の庭の芝は自分で刈るべきだ、あるいは、ジェニファーにもっと早く芝を刈り取る方法を優しく教えてあげるべきだ、私はそう思うのです。
スポーツ選手に限らず、過度に分業化を進め、「比較優位の原則」だからといって(それがジェニファーの利益にもつながるからといって)、どんどんと自分の身の回りのことも他人任せにするようなことは、いつか破綻をきたすのではないでしょうか?
オリンピック選手がロボットに見えると言ったのは、そのような意味でです。
長いスパンで見れば、「比較優位の原則」の過度な採用は、個人の利益、ひいては全体の利益をむしろ損なってしまうのではないか…。テレビでオリンピック番組を横目でちらちら見ながら、私はそんなことを考えています。
この記事へのコメント
私が今住んでいるシンガポールでは、共働き世帯が多く、女性は子供を産んでも2,3ヶ月ですぐに仕事に復帰し、家事や子供の世話は、両親に頼んだりメイドを雇って自分は仕事に集中するというスタイルがあたりまえのようです。
仕事のためにマレーシアからシンガポールに住んで、共働きをしている夫婦は、頼る家族がおらずメイドを雇う金銭的な余裕もないので、子供を産んだらマレーシアの両親に預けてまで、シンガポールで夫婦共働きを続けています。
そして、週末に子供の顔を見にマレーシアへ帰っています。
自分の子供なのに、会うのは月に数える程度。
生活をするために働かないといけないのはわかるけども、そこまでする必要があるのかな、とも思います。
確かに分業をやりすぎると、どこかで弊害が生じるのではないかと漠然とですが、感じます。
仕事のためにマレーシアからシンガポールに住んで、共働きをしている夫婦は、頼る家族がおらずメイドを雇う金銭的な余裕もないので、子供を産んだらマレーシアの両親に預けてまで、シンガポールで夫婦共働きを続けています。
そして、週末に子供の顔を見にマレーシアへ帰っています。
自分の子供なのに、会うのは月に数える程度。
生活をするために働かないといけないのはわかるけども、そこまでする必要があるのかな、とも思います。
確かに分業をやりすぎると、どこかで弊害が生じるのではないかと漠然とですが、感じます。
Posted by えみ at 2010年02月26日 10:18
☆えみ様
シンガポールの貴重な情報、ありがとうございます!
そうなんですか。そういう事情なんですね。
シンガポールというと、アジアでは最先端のビジネスの地というイメージですが、
やはりそこで働く女性たちも、相当がんばっているんですね。
それだけ、競争も熾烈なのだと思いますが…。
でも、マレーシアの親に預けるというのは、びっくりしますね。
そう考えると、日本の方が、まだかなりのんびりしているように思えます。
でも、メイドに育てられる…といった環境で育った子どもたちは、将来どうなるんでしょうね。
やはり、バリバリのビジネス・パーソンになるんでしょうか?
比較優位の原理は、確かに生産性を高め
経済的な豊かさをもたらしてくれるでしょうが、
どこかで人間の限界を踏み越えてしまうような気がします。
人間としての全体的な営みというものがベースにないと、
労働の喜びというものも生まれてこないと思いますし…。
「労働からの疎外」って、まさにそういうことなのかなと思います。
シンガポールの貴重な情報、ありがとうございます!
そうなんですか。そういう事情なんですね。
シンガポールというと、アジアでは最先端のビジネスの地というイメージですが、
やはりそこで働く女性たちも、相当がんばっているんですね。
それだけ、競争も熾烈なのだと思いますが…。
でも、マレーシアの親に預けるというのは、びっくりしますね。
そう考えると、日本の方が、まだかなりのんびりしているように思えます。
でも、メイドに育てられる…といった環境で育った子どもたちは、将来どうなるんでしょうね。
やはり、バリバリのビジネス・パーソンになるんでしょうか?
比較優位の原理は、確かに生産性を高め
経済的な豊かさをもたらしてくれるでしょうが、
どこかで人間の限界を踏み越えてしまうような気がします。
人間としての全体的な営みというものがベースにないと、
労働の喜びというものも生まれてこないと思いますし…。
「労働からの疎外」って、まさにそういうことなのかなと思います。
Posted by le_fou at 2010年02月27日 22:39
時間は果たして本当に売買可能なのか、ということなのかもしれませんね。
確かに二時間あればコマーシャルが一本取れて、1万ドル稼げるかもしれない。しかし、それはジョーダンがコマーシャルを「生み出した」ことの対価であって、ジョーダンの時間がお金に化けたわけではない。
少女の側も同様で、対価になるのはあくまで芝刈りという行為そのものであって、そこにあてた時間ではない。
当の本人(ジョーダンと少女)がその点に自覚的であればあるほど、行為そのものが実体を持ち、喜びとなり得る。(なる、と言い切れないのが難しいところですが)
ところが勝間さん(決して嫌いではないのですが)に代表されるような、昨今のライフハックブームでは、この「時間」だけに極端にフォーカスしている。
その結果、いつのまにか時間を売り買いできるような錯覚に陥ってしまう。そしてさらに悪いことに、その時間をもっとも高く売ることに、喜びを見いだしてしまう。
オリンピックの選手に関していうと、ご指摘のような感覚に私もなることもあります。ただ、一方で、「この人たちは、自分の時間がいくらで売れるかなんて、一度も考えたことないんだろうなあ」と思うこともあるんです。お金にならない比較優位のために、常人には理解できない真摯さで取り組んでいる。私はそこにちょっと感動してしまうんです。
紛いなりにもテレビで大々的に取り上げられるような人たちに対して、あまりにピュアな見方かもしれませんが笑。
結局のところ我々は、「かけがえのない自分」であり、だからその行為はすべて、「かけがえのない行為」なんだと思います。たとえそれが芝刈りであっても。その点に自覚的である限り、分業化が進んでも、人間本来のあり方は損ねられないと私は思いたいし、そう信じています。
そこに時間という物差しを用いてすべてを判断する人間は、皆エンデの「モモ」を読むべきなのかもしれません。
確かに二時間あればコマーシャルが一本取れて、1万ドル稼げるかもしれない。しかし、それはジョーダンがコマーシャルを「生み出した」ことの対価であって、ジョーダンの時間がお金に化けたわけではない。
少女の側も同様で、対価になるのはあくまで芝刈りという行為そのものであって、そこにあてた時間ではない。
当の本人(ジョーダンと少女)がその点に自覚的であればあるほど、行為そのものが実体を持ち、喜びとなり得る。(なる、と言い切れないのが難しいところですが)
ところが勝間さん(決して嫌いではないのですが)に代表されるような、昨今のライフハックブームでは、この「時間」だけに極端にフォーカスしている。
その結果、いつのまにか時間を売り買いできるような錯覚に陥ってしまう。そしてさらに悪いことに、その時間をもっとも高く売ることに、喜びを見いだしてしまう。
オリンピックの選手に関していうと、ご指摘のような感覚に私もなることもあります。ただ、一方で、「この人たちは、自分の時間がいくらで売れるかなんて、一度も考えたことないんだろうなあ」と思うこともあるんです。お金にならない比較優位のために、常人には理解できない真摯さで取り組んでいる。私はそこにちょっと感動してしまうんです。
紛いなりにもテレビで大々的に取り上げられるような人たちに対して、あまりにピュアな見方かもしれませんが笑。
結局のところ我々は、「かけがえのない自分」であり、だからその行為はすべて、「かけがえのない行為」なんだと思います。たとえそれが芝刈りであっても。その点に自覚的である限り、分業化が進んでも、人間本来のあり方は損ねられないと私は思いたいし、そう信じています。
そこに時間という物差しを用いてすべてを判断する人間は、皆エンデの「モモ」を読むべきなのかもしれません。
Posted by MJ at 2010年03月01日 00:43
☆MJ様
大変示唆に富むコメント、ありがとうございます。
私の記事では、ちょっとオリンピック選手に厳しすぎる書き方になってしまった感があります。
おっしゃる通り、オリンピック選手の大部分は、
私には想像も出来ないほど、真剣に競技に打ち込んでいると思います。
その点は、素直に尊敬すべきだと思います。
「かけがえのない自分」、まさにそうなんですね!
ジョーダンであれ、ジェニファーであれ、
かけがえなさという点では、等価なんです。
(等価、という経済学的用語自体が、適切ではありませんが)
もちろん、人間の労働=時間には、お金に換算できる面もありますが、
かけがえのなさも、同時にあるのですね。
今は、そのお金に換算できる側面だけが、
異常に肥大していると思います。
よくハリウッド俳優の映画出演料、一本数十億円とかいう話が出ますが、
明らかに狂った世界です。
オリンピックにも確かにそういう側面はあると思いますので、
ただ単に競技に熱中するだけではなく
そういう部分は、気を付けて見るべきなのでしょうね。
大変示唆に富むコメント、ありがとうございます。
私の記事では、ちょっとオリンピック選手に厳しすぎる書き方になってしまった感があります。
おっしゃる通り、オリンピック選手の大部分は、
私には想像も出来ないほど、真剣に競技に打ち込んでいると思います。
その点は、素直に尊敬すべきだと思います。
「かけがえのない自分」、まさにそうなんですね!
ジョーダンであれ、ジェニファーであれ、
かけがえなさという点では、等価なんです。
(等価、という経済学的用語自体が、適切ではありませんが)
もちろん、人間の労働=時間には、お金に換算できる面もありますが、
かけがえのなさも、同時にあるのですね。
今は、そのお金に換算できる側面だけが、
異常に肥大していると思います。
よくハリウッド俳優の映画出演料、一本数十億円とかいう話が出ますが、
明らかに狂った世界です。
オリンピックにも確かにそういう側面はあると思いますので、
ただ単に競技に熱中するだけではなく
そういう部分は、気を付けて見るべきなのでしょうね。
Posted by le_fou at 2010年03月03日 01:39

