

「唯物論も弁証法も昔は哲学でした。しかし十九世紀になると、唯物論は科学的な世界観として科学の一部になり、弁証法は運動に関する一般的な法則を扱う科学につくりかえられました。哲学の遺産が科学として生かされ、哲学者ではなく科学者が弁証法を研究して自分の仕事に役立てることになりました。わたしも自分の社会科学の研究にこの弁証法を使ってみて、それがどんなにすばらしい武器であるかを実感することができました。これまでの学者が越えられなかった理論の壁を、弁証法を使って簡単に打ち破り、学問的に未知の分野に深く切りこんでいくことができたからこそ、多くの人たちにこのすばらしい武器のことを知ってもらいたい、これを使って成果をあげてほしいと願って、この本を書くことにしたのです。」
これは「まえがき」からの抜粋だが、この一文だけでも三浦つとむがこの本に託した思いが伝わってくるであろう。
私もはじめてこの本を本屋で手にしてからずいぶん経つ。当時はこんなことになるとはまったく考えてもいなかったが、長い付き合いになったものだと感慨深く思っている。しかし、この本から学ばねばならないことは、まだまだ多いようである。
なお、もしこの本を「まじめに」読まれる読者がいるとしたら、僭越ながらいくつかアドバイスしてみたい。
まず、この本の「全体の構造」が把握できるまでは、5回でも10回でも100回でも、何度も読み通すことである。部分的に分からないところなら、その部分も何度も読み返すことである。別にこの本を一字一句そらんじろというわけではない。また、そんなに読んでどうするのだという人もいるかもしれないが、この本には、そこまでするだけの内容が含まれているのである。ちなみに武道理論家として知られる南郷継正氏は、吉本隆明氏が編集をされていた雑誌『試行』で、記憶違いでなければこの本を10冊は読破したと氏が書いていたのを読んだことがある。
つぎに、この本でよくわからないところは、三浦つとむの他の著作を参考書として読んでみることである。この本は内容的に圧縮された表現を用いて書かれているので、説明がはしょり気味の部分もあるからだ。また三浦つとむは、どうもこの本で十分展開しきれていない部分的な問題は、他の著作を読んでもらえばわかるだろうと考えていたのではないかと思われるフシがある。
参考書だが、例えば『認識と言語の理論(第一部)』は、特に認識の問題について体系的にくわしく書かれているので、理解を深めるのに役立つはずである。また『弁証法はどういう科学か』は、初版では展開されていた問題や記述が、現在の増訂改版では削られている部分も見られる。もし古本で初版を手に入れることができるのならば、内容を比較してみることも良いのではと思う。
最後に、哲学上の述語に関しては、「媒介」や「直接」などはヘーゲル的な意味で使われているところがある。この点も読むに当って考慮しておく必要があろう。
まえがき
1 世界のあり方をどう見るか
<1>世界は弁証法的な性格をもっている。
<2>唯物論と観念論とは互いに移行しあう
<3>学問は党派性をもち階級性に結びつく
2 弁証法はどのようにして発展してきたか
<1>古代ギリシアからヘーゲルまで
<2>ヘーゲルからマルクスへ――唯物弁証法の成立
<3>現在はどうなっているか
3 「対立物の相互浸透」とはどういうことか
<1>相対的な独立ということ――つながっていると同時につながっていない
<2>媒介と同時に直接性を含んでいないものはどこにも存在しない
<3>認識論と弁証法――その一、絶対的真理と相対的真理および真理と誤謬との関係
<4>認識論と弁証法――その二、精神的な鏡と物質的な鏡
<5>認識論と弁証法――その三、世界の二重化と自分の二重化
<6>人間と自然との、および人間と人間との相互浸透
<7>社会の土台と上部構造との相互浸透
4 「量質転化」とはどういうことか
5 「否定の否定」とはどういうことか
<1>まわりみちということの重要性
<2>人間はまわりみちをとって生活している
<3>「否定の否定」は弁証法の基本法則である
<4>探偵小説と弁証法――『ぬすまれた手紙』の分析
<5>科学の歴史における「否定の否定」
6 矛盾とはどういうことか
<1>矛盾には二つの種類がある――克服による解決と実現による解決
<2>世界は過程の複合体であり矛盾の複合体である――根本的矛盾と主要矛盾
<3>中ソ論争と矛盾論