海府方面では難産で死ぬと、川端に約三○センチ四方に杭を打ちこみ、赤い布を巻きつける。そしてその側に竹のひしゃくと椿の小枝を添え置くと、道行く人びとが椿の葉をちぎってたむけ、そりしゃくで赤い布に水をかけていく。五○日ほどしてその布の色があせれば、死者も成仏するのだという(相川町小田)。同町二見元村では、色あせたその布を墓に納めた。そのことをアライザラシという。そのことについてこんな古謡がある。「アライザラシに水かけおいて、ナナツ小袖の袖をしぼる」。また産死者のほかに水死人や変死者の場合も“流れ潅頂”が行われた。海府では水死人があると、出棺後、川端に特殊な板塔婆をたて、その根もとから華鬘結びにした縄を川へ流し、僧侶が読経の間、イロキが川の中に入り、念仏を唱えながら縄の結び目をときほぐし、しごいて流した。縄がまっすぐに流れると死者が成仏し、浮かばれるといった。相川町二見元村では、波打ちぎわに屋台をつくり、坊さんがお経を読みながら、特殊な塔婆を沖へ流した。また同町大浦では、釜崎沖で水死人があったとき、筏に花やダンゴなどを積み、その現場を通り、供え物をしながら死人の悪口をさかんにいった。同情的なことをいうと、他の者がまた海にひっぱりこまれるからだという。そして、流れ潅頂の葬儀には、わら人形を入棺させたという。
【参考文献】浜口一夫『佐渡びとの一生』(未来社)、山本修之助『佐渡民俗ことば事典』
【執筆者】浜口一夫
(相川町史編纂委員会編『佐渡相川郷土史事典』より)