2007年06月22日

明治29年の恩賜金7万円 いまならいくら?

 よく聞かれます。

「江戸時代の1両って、いまのお金でいくら?」

 調べ出すと、かなり大変なことになります。

 お米の価格で比較するのとか、よくやるんですが、

「欲しい時代の米価がないよ〜」

 とか、

「金も銀も銅もレートばらばら〜」

 とか、

「飢饉で米価が跳ね上がってる〜!!」

 とか・・・。

「あくまで参考ね。いろいろ難しいからね」

 と、前置きしないと答えられません。


 それでも参考に。

 佐渡ヶ島に住む人には、けっこう身近な「恩賜金」を計算してみました。

 恩賜金について詳しくは → こちら


【Q】
 明治29年の恩賜金7万円 いまならいくら?

【A】
 お金の価値を考えるとき、何を基準にするかで大きく違ってきますが、日本銀行と総務省が発表している消費者物価指数をもとに計算してみます。

 消費者物価の値は、こちらを参考にしました。

 日銀消費者物価(日本銀行百年史・資料編より)
  昭和57年 1474.1 ÷ 明治29年 0.371 = 3973.315...

 総務省消費者物価(総務省統計局ホームページより)
  平成12年 100 ÷ 昭和57年 81.1 = 1.233046...

 それぞれの倍率を7万円に掛けてみると
  70,000 × 3973.315 × 1.233046 = 342,949,538

 この計算では、明治29年の7万円は平成12年の価値にしておよそ3億4千万円となりました。

 ただし、これは消費者物価をもとに計算した値ですので、ほかの何か(お米の値段とか大工さんの日当とか)をもとに計算すると、けっこう違ってきたりしちゃいますので、あくまで参考のひとつということで。
 
Posted by lllo at 22:13  |Comments(0)TrackBack(0) | 佐渡ヶ島Q&A

2007年03月14日

「益田家由緒書」というものはどこに存在するのでしょうか?

 益田玄晧(ますだげんこう)の記事へ、益田太郎さんから質問をいただきました。

【Q】
「益田家由緒書」というものはどこに存在するのでしょうか?

【A】
益田由緒書 どこにあるのか?という質問でしたが、原本はどこに在るのか分かりませんでした。

 ただ、旧相川町発行の資料に「益田由緒書」というものが収められていました。
 たぶん、これのことだと思うのですが・・・

益田由緒書


当国代々御奉行様毎年御交代之節、江戸御屋敷医師被為召連、御在勤中御陣屋ニ被為差置、則御召つ連御帰府被遊候得共、相川町医師之内安田玄意、益田玄政両人も御陣屋江出入療用相達


百二年以前卯年御奉行若林六郎左衛門様、江戸蜷川長節ト申医師被為召つれ、同苗長順父子共当国ニ被差置、右玄意玄政と一同ニ御陣屋江御出入、右之内玄意六十七年以前辰年相果、一子無之家名断絶仕候


益田玄政、七十八年以前卯年相果、同苗玄好御陣屋御出入、然所玄好六十九年以前子年相果、一子玄祐亡父之通御陣屋江出入、蜷川長節九十三年以前子年相果、一子長順と右玄祐両人御陣屋江出入療用相達、依之其後御奉行様江戸表多クハ医師不被召連候


五十二年以前川野勘左衛門様、神保新五左衛門様両御奉行様御入国之節、前々之由緒を以玄祐、長順両人を限御陣屋御出入御目見相勤申候然所、玄祐伜恂岡御出入見習被仰付、御目見等相勤申候


長順四十四年以前相果、伜松億御陣屋御出入相勤、二十二年以前亥年御暇願、江戸親類共へ引越


益田恂岡四十五年以前享保五子年、御奉行北条新左衛門様御在勤之節江戸当国産物被仰付右御用相達、又玄祐ト一所ニ御陣屋御出入相勤、然所玄祐廿八年以前巳年相果候得共、恂岡前々之通被仰付、恂岡曾祖父仁聖 是迄四代御陣屋御出入相勤申候、当時御出入医師ハ玄臨段々被仰付候


玄祐、松億、針医川村祐貞、各居宅町役、享保十一年午十一月十五日御免、申三月・・・

右由緒御尋ニ付、御奉行所江良恂差上ル

「佐渡相川の歴史 資料集二 墓と石造物」(相川町史編纂委員会編 新潟県佐渡郡相川町発行)から引用
の文字は画像として表示しております。ご覧になる環境(ブラウザ・フォントなど)によっては見づらいかもしれません。


 
Posted by lllo at 22:29  |Comments(0)TrackBack(0) | 佐渡ヶ島Q&A

2007年03月13日

三角屋の馬車って、どんなだったの?

 三角屋の記事へ、大阪の加藤さんから質問をいただきました。

 加藤さんの質問は、三角屋ではなく白川紋蔵さんの買った馬車等についてですが、ちょっと調べてみたのでメモしておきます。

【Q】
 三角屋の馬車って、どんなだったの?

【A】

三角屋 文中にもあります大正十四年刊『佐渡案内写真大集』(赤泊村優美堂発行)の写真をご覧ください。
 一頭立馬車が一台写っており、人が一人乗っているようです。つめて三〜四人乗れるかな?という大きさに見えます。
 相川の三角屋さんでは、一頭立を使っていたようですね。

 白川紋蔵さんが買ったという馬車は、『北溟雑誌』の記事を読みましたが写真は載っていませんでした。
 なので、白川紋蔵さんについて掘り下げて調べるか、佐渡の乗物の歴史あたりを調べてみるか・・・。
 このあたり、まだ良く分かっていません。

 
Posted by lllo at 20:11  |Comments(0)TrackBack(0) | 佐渡ヶ島Q&A

2006年08月11日

鉱山祭りの相撲がなくなったのは、いつ頃ですか?

【Q】
 鉱山祭りの相撲がなくなったのは、いつ頃ですか?

【A】
 以前の鉱山祭りでは、行事の中に「相撲」があったそうです。
 最後に相撲がとられたのは、昭和35〜36年頃だったと思われます。

 これについては、何も資料が残っていないようで、はっきりと「○年!」とは答えられませんでした。
 祭り相撲に参加されていた方から、記憶をたどってもらったところ、「昭和35〜36年ではないか。昭和40年には、もう無かった」とのことでした。

 鉱山祭りのほかに、佐渡島内では、「真野の大神宮」と「羽茂のマルダイ味噌」で相撲大会が行なわれていたそうで、相撲の普及に寄与していたとか。
 
Posted by lllo at 12:36  |Comments(0)TrackBack(0) | 佐渡ヶ島Q&A

鉱山祭は、今年で何回目ですか?

【Q】
 鉱山祭は、今年で何回目ですか?

【A】
 相川町史編纂委員会編『佐渡相川郷土史事典』の「鉱山祭り」の項中に「鉱山祭りは、明治十八年に鉱山局長として赴任した大島高任が、明治二十年一月に「山神祭」として、久しくとだえていた祭禮を復活したのが始まりで」と、あるとおり、明治20年(西暦1887年)に「鉱山祭り」としての産声をあげたものです。
 それ以前にも、鉱山を祀る神社の祭礼はありましたが、現在のように賑やかな「祭り」としてのスタートは、明治20年でした。
 その第1回から数えていくと・・・今年、平成18年の鉱山祭は、第120回!!
(来年以後、1回ずつプラスして考えていってください。)

 参考に → 西暦・年号を入れた表

 おまけで、鉱山祭りとセットで行なわれている「恩師金記念式典」の回数も入れておきました。
 こちらは、平成18年で、第110回!!
 
Posted by lllo at 12:35  |Comments(0)TrackBack(0) | 佐渡ヶ島Q&A

佐渡ヶ島Q&Aはじめました

 わたしllloは、こんなブログをやっているせいか、仕事柄のせいか、よく問い合わせを受けます。


 受けますが、中には、

「知らんよ〜そんなこと〜」

 と、投げ出したくなるものも多々。


 多々ありますが、本を読んだり、生字引のような方々に聞いたり、なんとか調べています。


 そこらへん、自分でも整理しきれなくなってきたので、


 佐渡ヶ島Q&A


 と、いうことで、書き残しておきたいと思います。


 なんだか、よく分からないものも多々。


 多々ありますが、お付き合いください。
 
Posted by lllo at 12:33  |Comments(0)TrackBack(0) | 佐渡ヶ島Q&A