2005年07月12日
忘れられたチャンピオン騎手/村口繁一
日本が泥沼化の戦争へを踏み込んだ昭和16年、競馬界は新た才能ある騎手の登場を見ることになりました。彼の名は村口繁一。見習騎手ながらリーディング(最多勝)を獲得するという快挙を達成しました。しかしながら彼の名前を聞いたことがある人は殆んどいなのではないでしょうか。
彼の詳しい経歴は定かではありません。大正4年5月2日に生まれ、小倉の坂本勇次郎厩舎所属で昭和12年にデヴューしました。最初の2年で1勝しかげられませんでしたが、才能は光るものがあったようで、3年目の昭和14年に5勝をあげた際は競馬雑誌に関西の精鋭末吉清を追う期待の騎手として彼の名が挙げられています。その期待に応えるかのように、翌年村口繁一は19勝を挙げ、才能の片鱗を見せ始めました。
上記に名を挙げたる末吉清ですが、村口と同じ小倉を本拠とし主に関西で活躍した騎手で、昭和5年のデヴューから順調に成績を上げ、昭和12年にリーディングを獲得、昭和15年にはイエリュウで念願の日本ダービーも制覇し名実ともにトップ騎手として確固たる地位を築いていました。そのような折、末吉は突然の病に倒れ、昭和16年僅か29歳で夭折していまったのです。
大きな才能を失った昭和16年、まだ見習い騎手であった村口はその才能を開花させ、平地で12勝、障害で30勝、計42勝を挙げリーディングを首位騎手を獲得したのです。ただ有力馬に恵まれているとは決していえない小倉所属の見習騎手、重賞勝ちには縁がありませんでしたが、この年は活躍は、過去のトップ騎手らの経歴を照らし合わせても、将来に関西を代表するトップ騎手に成長するに確信の充分な実績でした。将来の活躍が約束されたはずの村口でしたが、翌年悲劇が待ち受けていました。10月4日、阪神競馬4日目第8競走にてニユウバンドに騎乗した村口は、二週目の第三障害にて着地の際につまづき、頭から落馬。そのまま昏睡状態に10月14日に死亡しました。僅か28歳でした。前年の末吉に続き、日本競馬会は二年連続で若き才能を失ったのです。
各種の競馬本では、過去の各種リーディングなどの記録はJRA創設以降のものしか掲載されていません。私はそのことについて非常に残念に思っています。重賞勝ちも無い村口繁一にはドラマチックな逸話が残されているわけではなく、彼のことを記憶しているファンも殆んどいないでしょう。しかし彼が見習騎手のままリーディングを獲得したことは事実であり、もし彼の名が記録として記されていれば、そこにドラマは無くとも、そこに自己の存在を主張することができるからです。記録とはドラマなき先人たちの生きた証でもあります。そこに歴史を感じるのも一興なのですが・・・。
彼の詳しい経歴は定かではありません。大正4年5月2日に生まれ、小倉の坂本勇次郎厩舎所属で昭和12年にデヴューしました。最初の2年で1勝しかげられませんでしたが、才能は光るものがあったようで、3年目の昭和14年に5勝をあげた際は競馬雑誌に関西の精鋭末吉清を追う期待の騎手として彼の名が挙げられています。その期待に応えるかのように、翌年村口繁一は19勝を挙げ、才能の片鱗を見せ始めました。
上記に名を挙げたる末吉清ですが、村口と同じ小倉を本拠とし主に関西で活躍した騎手で、昭和5年のデヴューから順調に成績を上げ、昭和12年にリーディングを獲得、昭和15年にはイエリュウで念願の日本ダービーも制覇し名実ともにトップ騎手として確固たる地位を築いていました。そのような折、末吉は突然の病に倒れ、昭和16年僅か29歳で夭折していまったのです。
大きな才能を失った昭和16年、まだ見習い騎手であった村口はその才能を開花させ、平地で12勝、障害で30勝、計42勝を挙げリーディングを首位騎手を獲得したのです。ただ有力馬に恵まれているとは決していえない小倉所属の見習騎手、重賞勝ちには縁がありませんでしたが、この年は活躍は、過去のトップ騎手らの経歴を照らし合わせても、将来に関西を代表するトップ騎手に成長するに確信の充分な実績でした。将来の活躍が約束されたはずの村口でしたが、翌年悲劇が待ち受けていました。10月4日、阪神競馬4日目第8競走にてニユウバンドに騎乗した村口は、二週目の第三障害にて着地の際につまづき、頭から落馬。そのまま昏睡状態に10月14日に死亡しました。僅か28歳でした。前年の末吉に続き、日本競馬会は二年連続で若き才能を失ったのです。
各種の競馬本では、過去の各種リーディングなどの記録はJRA創設以降のものしか掲載されていません。私はそのことについて非常に残念に思っています。重賞勝ちも無い村口繁一にはドラマチックな逸話が残されているわけではなく、彼のことを記憶しているファンも殆んどいないでしょう。しかし彼が見習騎手のままリーディングを獲得したことは事実であり、もし彼の名が記録として記されていれば、そこにドラマは無くとも、そこに自己の存在を主張することができるからです。記録とはドラマなき先人たちの生きた証でもあります。そこに歴史を感じるのも一興なのですが・・・。
| 昭和16年 騎手成績 | ||||||
| 騎 手 | 騎乗 回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | |
| 1 | 村口 繁一 | 245 | 42 | 42 | 36 | 125 |
| 2 | 伊藤正四郎 | 146 | 37 | 27 | 27 | 55 |
| 3 | 竹之内末五郎 | 152 | 37 | 18 | 14 | 83 |
| 4 | 阿部正太郎 | 132 | 36 | 20 | 20 | 56 |
| 5 | 土門 健司 | 218 | 34 | 37 | 21 | 126 |
| 6 | 佐藤 勇 | 140 | 34 | 21 | 24 | 61 |
| 村口 繁一 | |||||
| 年 度 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 騎乗 総数 |
| 1937 (S12) | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 |
| 1938 (S13) | 1 | 0 | 1 | 16 | 18 |
| 1939 (S14) | 5 | 4 | 5 | 39 | 53 |
| 1940 (S15) | 19 | 27 | 25 | 110 | 181 |
| 1941 (S16) | 42 | 42 | 36 | 125 | 245 |
| 1942 (S17) | 9 | 6 | 8 | 28 | 51 |
| 生涯成績 | 76 | 79 | 75 | 323 | 553 |
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