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    <title>好き勝ってな老人の話</title>
    <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/</link>
    <description>私の独り言☆「意識は電磁波(光)である」☆意識は太陽光から生じた☆無意識はバイオリズムから生じる☆存在は関係であり心的関係保持意識である☆人格は死にざまを決める☆</description>
    <language>ja</language>
    <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
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    <itunes:author>kandk</itunes:author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10770926.html</link>
      <title>2012/5/27、オカルト・思考エネルギー７・記憶と時間５</title>
      <pubDate>Sun, 27 May 2012 04:30:40 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/1/14、私の記事「　万物は流転する　」が無常であり、「　我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか　」を無明と考え、前者が情（zyou）であり、肉体であり、後者は気（ki）であり、生命であると思う2012/5/19、私の記事これは、..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br />2012/1/14、私の記事<br /><br /><br />「　万物は流転する　」が無常であり、「　我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか　」を無明と考え、前者が情（zyou）であり、肉体であり、後者は気（ki）であり、生命であると思う<br /><br /><br />2012/5/19、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調は求めない。</strong><br /><br /><br />私は、①時間を創る空間関係（因果の時間）と<br /><br />②人間が考える時間（時間意識）を分ける。<br /><br /><br /><br /><br />2012/5/21、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />②の時間は、感覚器官の「　時間意識　」であり、バイオリズムによる情（zyou）であり、過去や未来を決める。<br /><br /><br />過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「　体験としての時間　」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。<br /><br /><br />①の「　時間　」は「　空間関係による時間　」であり、因果の時間であり、「　善因善果、悪因悪果　」として現実に具現化すると考える。<br /><br /><br />②の時間で①を測定することは出来ず、①の時間が、記憶による現実的な時間ではない。<br /><br /><br />①の時間は、「　原因と結果　」の間（hazama）であり、②の時間の間（hazama）のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間（hazama）であり、②の時間で測定不能の間（hazama）である。<br /><br /><br />人間は、この二つの時間で成立し、①の時間は細胞の生死の時間であり、②の時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。<br /><br /><br />①の時間が宇宙の時間であり、②は人間の時間意識であると思う。<br /><br /><br />2012/5/26、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />①の時間は、「　生起　」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「　縁起　」（注）の領域であり、原因が結果となって現れるのを、②の時間で予想することは出来ないだろう。<br /><br /><br />「　縁起　」とは、①の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情（zyou）で作られる情報ではなく、人類には「　先験的　」であり、宇宙の誕生から死滅が「　無明　」であるように、「　無明　」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。<br /><br /><br />①の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「　縁起　」の組み合わせの状態で存続し、「　無明　」であり、時制的には「　現在　」の「　今　」の無明として現れて、意識で「　無明　」と感じ、「　心的存在意識　」や「　行為　」によって、「　形　」に具現化するが、その「　行為　」が「　縁起　」になり、さらに先（未来）の結果を決めるという形で「　連続　」していると思う。<br /><br /><br />①の時間は「　現在　」の気（ki）の中の無明であり、現在の行為が情（zyou）で決まる未来の結果になり、「　行為の可能性　」は「　結果の可能性　」であり、現在の中で「　行為　」が「　人格　」であれば、「　他の人格になる可能性　」であると考える。<br /><br />………（略）………………………<br /><br /><br />気（ki）に中の「　現在　」で可能な「　行為　」が、情（zyou）が決める「　未来　」の自分を作る。<br /><br />善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。<br /><br />悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。<br /><br /><br />これを「　善因善果、悪因悪果　」というが、「　行為　」を「　人格の現れ　」と考えるならば、「　人格　」が結果となって現れるという結論になる。<br /><br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/5/27、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />①の時間を、②の時間で測定することは出来ないと思う。<br /><br /><br />「　存在　」を「　時間　」で表現するのではなく、「　存在　」は①の時間で、「　縁起の関係　」であり、「　時間　」は「　時間意識　」であり、②の時間であり、「　関係　」を感覚に具現化するバイオリズムや無意識を伴い、①の時間が、人類は全て共通であるのに反し、②の時間は、人類全てが相違する。<br /><br /><br />「　人間存在　」を時間で測定する（いつまで生きるか）ことは「　縁起　」の関係で不可能であり、それに注目すべきでなく、「　死　」を迎えるときには個人の「　人格　」が現れるのであり、大事なのは、どのような「　人格　」を持ったまま「　死　」を迎えるかであると思う。<br /><br /><br />人格は一瞬にして変わるものではなく、一刻、一刻と変わる「　他の人格になる可能性　」の中に、自分の人格を形成することにより、「　死　」を迎える人格が形成される。<br /><br /><br />「　いかに死すべきか　」は、個人の美意識であり、昔の人は「　武士道は死ぬこととみつけたり　」と、没我、献身に重きを置き、「　正義　」のために死すべきと考えたが、「　正義　」とは「　正しい人の道（人倫）」と解釈すれば、それは「　正義　」というＣ１（夢）を持って人格を形成しなければ、「　正義（人倫）　」にために死ぬことは出来ない。<br /><br /><br /><span style="color:#FF00FF;">「　人格は死にざまを決める　」</span><br /><br /><br />それは、時間が経過すれば人格が形成されるのではなく、縁起の中に自分の人格を形成する努力が必要であると思う。<br /><br /><br />Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２により、人格（無意識な行為）を、Ｃ１（夢）とＣ２（構想力）で形成することが、自分が満足して死ぬことが出来ることに通じると思っている。<a name="more"></a>

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            <category>独り言　３６</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10769569.html</link>
      <title>2012/5/26、オカルト・思考エネルギ６・記憶と時間４</title>
      <pubDate>Sat, 26 May 2012 05:45:13 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/1/14、私の記事「　万物は流転する　」が無常であり、「　我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか　」を無明と考え、前者が情（zyou）であり、肉体であり、後者は気（ki）であり、生命であると思う2012/5/19、私の記事これは、..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br />2012/1/14、私の記事<br /><br /><br />「　万物は流転する　」が無常であり、「　我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか　」を無明と考え、前者が情（zyou）であり、肉体であり、後者は気（ki）であり、生命であると思う<br /><br /><br />2012/5/19、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調は求めない。</strong><br /><br /><br />私は、①時間を創る空間関係（因果の時間）と<br /><br />②人間が考える時間（時間意識）を分ける。<br /><br /><br /><br /><br />2012/5/21、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />②の時間は、感覚器官の「　時間意識　」であり、バイオリズムによる情（zyou）であり、過去や未来を決める。<br /><br /><br />過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「　体験としての時間　」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。<br /><br /><br />①の「　時間　」は「　空間関係による時間　」であり、因果の時間であり、「　善因善果、悪因悪果　」として現実に具現化すると考える。<br /><br /><br />②の時間で①を測定することは出来ず、①の時間が、記憶による現実的な時間ではない。<br /><br /><br />①の時間は、「　原因と結果　」の間（hazama）であり、②の時間の間（hazama）のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間（hazama）であり、②の時間で測定不能の間（hazama）である。<br /><br /><br />人間は、この二つの時間で成立し、①の時間は細胞の生死の時間であり、②の時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。<br /><br /><br />①の時間が宇宙の時間であり、②は人間の時間意識であると思う。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/5/26、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />①の時間は、「　生起　」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「　縁起　」（注）の領域であり、原因が結果となって現れるのを、②の時間で予想することは出来ないだろう。<br /><br /><br />「　縁起　」とは、①の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情（zyou）で作られる情報ではなく、人類には「　先験的　」であり、宇宙の誕生から死滅が「　無明　」であるように、「　無明　」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。<br /><br /><br />①の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「　縁起　」の組み合わせの状態で存続し、「　無明　」であり、時制的には「　現在　」の「　今　」の無明として現れて、意識で「　無明　」と感じ、「　心的存在意識　」や「　行為　」によって、「　形　」に具現化するが、その「　行為　」が「　縁起　」になり、さらに先（未来）の結果を決めるという形で「　連続　」していると思う。<br /><br /><br />①の時間は「　現在　」の気（ki）の中の無明であり、現在の行為が情（zyou）で決まる未来の結果になり、「　行為の可能性　」は「　結果の可能性　」であり、現在の中で「　行為　」が「　人格　」であれば、「　他の人格になる可能性　」であると考える。<br /><br /><br />②の時間の「　連続　」は、バイオリズムや無意識や体験によるが、①の時間の「　連続　」は「　原因が結果になる　」という意味で連続し、②の時間で測定することは出来ないと思う。<br /><br /><br />①の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「　縁起　」の組み合わせの状態で存続し、「　無明　」である状態は「　時間は虚数　」である状態で、②の時間による「　記憶による虚数を乗じることにより　」、実時間としてバイオリズムや無意識が時間を実感し、目に見える物で判断した不連続の「　時間意識　」を生じ（連続と考えるのはバイオリズムによる体験上からの判断）、体験上で「　無常　」となると思う。<br /><br /><br />①の時間を基礎にして、①の時間が「　現在　」を決める気（ki）として現れ、「　過去や未来　」を決める情（zyou）の「　記憶　」により②の時間意識を生じ、無明が「　形　」になった瞬間に「　無常　」となると考える。<br /><br /><br />①の時間の「　無明　」や「　現在　」の「　無明　」は物を生起するエネルギーであり、先験的というのは、判断が不能であることだと思うが、それは宇宙の「　無明　」と共変していることであり、人生が無明であるのは、宇宙の産物のひとつであることの証明であると思う。<br /><br /><br />気（ki）に中の「　現在　」で可能な「　行為　」が、情（zyou）が決める「　未来　」の自分を作る。<br /><br />善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。<br /><br />悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。<br /><br /><br />これを「　善因善果、悪因悪果　」というが、「　行為　」を「　人格の現れ　」と考えるならば、「　人格　」が結果となって現れるという結論になる。<br /><br /><br />注<br /><br /><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7</a><br /><br />縁起（えんぎ）<br /><br /><br />仏教における縁起（えんぎ、サンスクリット：pratiitya-samutpaada、パーリ語：paTicca-samuppaada）は、仏教の根幹をなす思想の一つで、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指す。縁起の語は「因縁生起」（いんねんしょうき）の略で、「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける外的な条件のことである。<br />ある結果が生じる時には、直接の原因（近因）だけではなく、直接の原因を生じさせた原因やそれ以外の様々な間接的な原因（遠因）も含めて、あらゆる存在が互いに関係しあうことで、それら全ての関係性の結果として、ある結果が生じるという考え方である。 なお、その時の原因に関しては、数々の原因の中でも直接的に作用していると考えられる原因のみを「因」と考え、それ以外の原因は「縁」と考えるのが一般的である。<br /><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３６</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10765371.html</link>
      <title>2012/5/22、Windows Media Player でＭＰ４形式のビデオを再生する４（W7）</title>
      <pubDate>Tue, 22 May 2012 20:02:18 +0900</pubDate>
      <description>私は、東芝製のパソコンを使っています。一つは、D710/T5BWSで、もう一つは、D711/T3DWS です。前者は、①　2011春製で、ＤＶＤドライブで、Ｑｏｓｍｉｏと称し、後者は②　2011冬製で、ブルーレイドライブでＲｅｇｚａ　ＰＣと称し、両者ともWindows 7 で、内蔵のハードディスクは、１テラバイトです。前回、書いたのは外付けハードディスクから、ＭＰ４形式のビデオファイルを呼び出す方法でした。これは、①ではスムーズで不満がなかったのですが、②では、不満でした。そ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は、東芝製のパソコンを使っています。<br /><br />一つは、D710/T5BWSで、もう一つは、D711/T3DWS です。<br /><br />前者は、①　2011春製で、ＤＶＤドライブで、Ｑｏｓｍｉｏと称し、後者は②　2011冬製で、ブルーレイドライブでＲｅｇｚａ　ＰＣと称し、両者ともWindows 7 で、内蔵のハードディスクは、１テラバイトです。<br /><br /><br />前回、書いたのは外付けハードディスクから、ＭＰ４形式のビデオファイルを呼び出す方法でした。<br /><br /><br />これは、①ではスムーズで不満がなかったのですが、②では、不満でした。<br /><br /><br />それで、今回は少し冒険しました。<br /><br /><br />両者とも内蔵のハードディスクが１テラバイトもあるので、ＭＰ４形式のビデオファイルをディスクトップに保存したら、Windows Media Player で再生することが出来るか試しました。<br /><br />（マイドキュメントに保存しても同じ結果になると思います）<br /><br /><br />①の場合、Window Media Player を開いて、上部の「　整理　」をクリックして「　ライブラリの管理　」をクリックして、「　ビデオ　」を選び「　ライブラリの場所　」に、保存した「　ディスクトップ　」か「　マイビデオ 」を「　追加　」します。<br /><br />「　ライブラリ　」から「　ビデオ　」から「　すべてのビデオ　」へ進みます。<br /><br /><br />すると、ディスクトップに保存したＭＰ４形式のビデオが表示されます。<br /><br /><br />それから、上部の「　整理　」をクリックして「　メディア情報への変更を適用（Ｉ）」をクリックすると、 ディスクトップに保存したＭＰ４形式のビデオの表示が保存されます。<br /><br /><br />その後、Windows Media Player を閉じても、保存した状態が表示されます。<br /><br /><br /><br /><br />②の場合、も①の場合と同じです。<br /><br /><br /><br /><br /><br />その後のことです。<br /><br />私の場合、「　整理　」の中の「　オプション　」で「　プレーヤー　」の更新を１日１回に設定しています。<br /><br />結局、外づけハードディスクの場合と同じ結果になります。<br /><a name="more"></a>

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            <category>私とパソコン</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10763006.html</link>
      <title>2012/5/21、オカルト・思考エネルギー５・記憶と時間３</title>
      <pubDate>Mon, 21 May 2012 01:53:45 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/5/19、私の記事これは、私だけの考えであり、同調は求めない。私は、①時間を創る空間関係（因果の時間）と②人間が考える時間（時間意識）を分ける。①と②はバイオリズムやストレスで結ばれ、①は、出来事により脳にストレスを生じさせ（遠近でもストレスを生じる..</description>
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私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br /><br />2012/5/19、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調は求めない。</strong><br /><br /><br />私は、①時間を創る空間関係（因果の時間）と<br /><br />②人間が考える時間（時間意識）を分ける。<br /><br /><br />①と②はバイオリズムやストレスで結ばれ、①は、出来事により脳にストレスを生じさせ（遠近でもストレスを生じる）、②は、①により生じたストレスとストレスの間（hazama）を数えることだと考え、①は連続した時間であり②は、脳の電磁波により不連続と考える。<br /><br /><br />①と②はバイオリズムやストレスで結ばれるとは、五感で感じる光や音は「　波動　」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「　記憶　」であり、「　波動　」がストレスという「　粒子　」に変換され、大脳は「　現時点での情（zyou）」で小脳のストレスを電磁波で「　記銘　」するのであり、体験したバイオリズムで「　記銘　」したものを、電磁波で「　想起　」すると考えると、②の一秒や一時間という「　時間意識　」は、ストレスの周期を数えているのであり、①の天体の関係からの、因果の「　時間　」とは相違すると思う。<br /><br /><br />②の「　時間意識　」はバオリズム（体内時計）であり、「　記銘　」と「　想起　」という記憶により「　時間がある　」と思うが、それは「　時間の保持　」ではなく、ストレスを数えるバイオリズムによる「　時間の予想　」であり、「　記銘　」したり「　想起　」したりする瞬間に「　時間は無く　」、不連続の時間であり、虚数の時間であり、それに反して、①は、ストレスを作る「　関係　」として存在し、連続する実時間であると考える。<br /><br /><br />②の時間が不連続というのは、目で見ることができる出来事（一定の関係）の間（hazama)を計測することにより、「　時間意識　」が生まれ、出来事は連続であるが、間（hazana）を計測する限り不連続であると思う。<br /><br /><br />②は、文化的であり民族的であり、文化を生む情（zyou）であり、①は、情（zyou）の有無に関わらず気（ki）も情（zyou）も生むと思う。<br /><br /><br />「　うるう年　」の存在は、①と②に相違があることを証明していると思う。<br /><br /><br />②により、音楽や絵画や彫刻などの芸術が生まれるが、①を表現したとき、「　時代の先取り　」と呼ばれるのだろう。<br /><br /><br />②の中で①を捕らえるのがＣ１（夢）やＣ２（構想力）であると思う。<br /><br /><br />人間は、目に見える形の経過の変化で「　時間　」を知り、②の形で「　時間　」を把握し、不連続な「　時間意識　」であるが、「　時間を保持する　」とはバイオリズムが連続しているので、「　連続した時間　」だと感じるのだと思う。<br /><br /><br />「　連続した時間　」は天体の運動の関係として有るのだが、人間の場合は、映画を見るように不連続な場面を、感覚器官のバイオリズムにより連続していると思うのであり、感覚器官を使わない「　夢　」の中では「　時間　」を感じない。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/5/21、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />②の時間は、感覚器官の「　時間意識　」であり、バイオリズムによる情（zyou）であり、過去や未来を決める。<br /><br /><br />過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「　体験としての時間　」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。<br /><br /><br />①の「　時間　」は「　空間関係による時間　」であり、因果の時間であり、「　善因善果、悪因悪果　」として現実に具現化すると考える。<br /><br /><br />②の時間で①を測定することは出来ず、①の時間が、記憶による現実的な時間ではない。<br /><br /><br />①の時間は、「　原因と結果　」の間（hazama）であり、②の時間の間（hazama）のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間（hazama）であり、②の時間で測定不能の間（hazama）である。<br /><br /><br />人間は、この二つの時間で成立し、①の時間は細胞の生死の時間であり、②の時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。<br /><br /><br />①の時間が宇宙の時間であり、②は人間の時間意識であると思う。<br /><br /><br />果実が実る時間として「　桃栗三年、柿八年　」というが、人間のバイオリズムで、生物の生育を測定することは出来ず、「　三年と一日　」を経過した場合は、測定自体が間違いであったということだと思う。<br /><br /><br />自然が持つ原因と結果の間（hazama）が測定可能ならば、人間が死亡する時間も測定することが出来ることになると思う。<br /><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３６</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10761577.html</link>
      <title>2012/5/20、オカルト・思考エネルギー４・Ｍは人格</title>
      <pubDate>Sun, 20 May 2012 05:06:13 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/5/19、私の記事これは、私だけの考えであり、同調は求めない。私は、①時間を創る空間関係（因果の時間）と②人間が考える時間（時間意識）を分ける。①と②はバイオリズムやストレスで結ばれ、①は、出来事により脳にストレスを生じさせ（遠近でもストレスを生じる..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br />2012/5/19、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調は求めない。</strong><br /><br /><br />私は、①時間を創る空間関係（因果の時間）と<br /><br />②人間が考える時間（時間意識）を分ける。<br /><br /><br />①と②はバイオリズムやストレスで結ばれ、①は、出来事により脳にストレスを生じさせ（遠近でもストレスを生じる）、②は、①により生じたストレスとストレスの間（hazama）を数えることだと考え、①は連続した時間であり②は、脳の電磁波により不連続と考える。<br /><br /><br />①と②はバイオリズムやストレスで結ばれるとは、五感で感じる光や音は「　波動　」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「　記憶　」であり、「　波動　」がストレスという「　粒子　」に変換され、大脳は「　現時点での情（zyou）」で小脳のストレスを電磁波で「　記銘　」するのであり、体験したバイオリズムで「　記銘　」したものを、電磁波で「　想起　」すると考えると、②の一秒や一時間という「　時間意識　」は、ストレスの周期を数えているのであり、①の天体の関係からの、因果の「　時間　」とは相違すると思う。<br /><br /><br />②の「　時間意識　」はバオリズム（体内時計）であり、「　記銘　」と「　想起　」という記憶により「　時間がある　」と思うが、それは「　時間の保持　」ではなく、ストレスを数えるバイオリズムによる「　時間の予想　」であり、「　記銘　」したり「　想起　」したりする瞬間に「　時間は無く　」、不連続の時間であり、虚数の時間であり、それに反して、①は、ストレスを作る「　関係　」として存在し、連続する実時間であると考える。<br /><br /><br />②の時間が不連続というのは、目で見ることができる出来事（一定の関係）の間（hazama)を計測することにより、「　時間意識　」が生まれ、出来事は連続であるが、間（hazana）を計測する限り不連続であると思う。<br /><br /><br />②は、文化的であり民族的であり、文化を生む情（zyou）であり、①は、情（zyou）の有無に関わらず気（ki）も情（zyou）も生むと思う。<br /><br /><br />「　うるう年　」の存在は、①と②に相違があることを証明していると思う。<br /><br /><br />②により、音楽や絵画や彫刻などの芸術が生まれるが、①を表現したとき、「　時代の先取り　」と呼ばれるのだろう。<br /><br /><br />②の中で①を捕らえるのがＣ１（夢）やＣ２（構想力）であると思う。<br /><br /><br />人間は、目に見える形の経過の変化で「　時間　」を知り、②の形で「　時間　」を把握し、不連続な「　時間意識　」であるが、「　時間を保持する　」とはバイオリズムが連続しているので、「　連続した時間　」だと感じるのだと思う。<br /><br /><br />「　連続した時間　」は天体の運動の関係として有るのだが、人間の場合は、映画を見るように不連続な場面を、感覚器官のバイオリズムにより連続していると思うのであり、感覚器官を使わない「　夢　」の中では「　時間　」を感じない。<br /><br /><br />現時点では、Ｍは出来事（場面や音楽）の波動がストレスと記憶により粒子化し、情（zyou）の「　一定の関係　」として「　心的存在意識　」となるが、内容は波動であり、「　記銘　」と「　想起　」することにより実時間となって実体化すると考える。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/5/20、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは、私の考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br />私は、以前、Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２と書いた。<br /><br />Ｅは、思考エネルギーであり、人格形成のエネルギーであると思うからだ。<br /><br />そしてＭは情（zyou）であり、個人の意識や無意識や遺伝子情報や行為も含む全人格を形成する情報であると考える。<br /><br />これまで書いたように、なぜ「　時間　」を問題にするかと言えば、「　時間は生命である　」と思うからだ。<br /><br />①時間を創る空間関係（因果の時間）<br /><br />②人間が考える時間（時間意識）<br /><br /><br />①は人類が破滅しても存在するだろうが、②は人間だけにある事は、前述したとおりである。<br /><br />②は、地球上にいる限り空間関係による時間も違うし、私は、主観的時間はバイオリズムや無意識により決まるから、人類は全て、内面的にも「　時間　」は相違すると考える。<br /><br /><br />Ｍは情（zyou）であり、個人の意識や無意識や遺伝子情報や行為も含む全人格を形成する情報であると考えると、情（zyou）は全て、内面的に相違するし、すべてが時間的である。<br /><br /><br />小脳のストレスや大脳の記憶に関係するから「　時間　」は生命であり、「　時間意識　」は生命を感じることであり、感覚器官は、自分と違う動きをする（加速度運動）物体しか「　時間　」を感じることができず、自分と共変する物体は「　静止　」（連続）と考え、その「　静止　」（連続）から、「　無明　」という意識が生じると思う。<br /><br />その「　無明　」を形にしたのが「　心的存在意識　」であり、「　無常　」という意識が生じるだろうと思う。<br /><br />Ｍは情（zyou）であり、個人の意識や無意識や遺伝子情報や行為も含む全人格を形成する情報であり、時間的、文化的であり、個人のバイオリズムや無意識や記憶の「　塊　」（一定の関係）であると思う。<br /><br />Ｍの発生原因は「　波動　」であることは以前に書いた。<br /><br />Ｍは情（zyou）であるが、「　心　」でもあり、その表現である「　人格　」でもある。<br /><br />それは、繰り返し書いたことだが、「　可能性を考える　」とは、「　どんな人格になる　」かの選択である。<br /><br />人は、「　六道　」のひとつに投げいれられて、人格を向上するように創られているのであり、寿命という生命を通して、時間が生命であることに気づき、一瞬を輝いて生きることが「　生きること　」であると思う。<br /><br />そのエネルギーがＥ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２であるというのが私の考えである。<a name="more"></a>

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            <category>独り言　３６</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10760152.html</link>
      <title>2012/5/19、オカルト・思考エネルギー３・記憶と時間２</title>
      <pubDate>Sat, 19 May 2012 00:51:39 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/5/13、私の記事これは私の考えであり同調を求めない。「　時間意識　」とバイオリズムを考えるとき、「　記憶　」の問題に対する考えは不可欠だろう。私は心理学者や脳科学者ではないから、「　知識　」は持っていないので、「　知識　」を求める人はここを去って欲..</description>
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私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br />2012/5/13、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは私の考えであり同調を求めない。</strong><br /><br /><br />「　時間意識　」とバイオリズムを考えるとき、「　記憶　」の問題に対する考えは不可欠だろう。<br /><br /><br />私は心理学者や脳科学者ではないから、「　知識　」は持っていないので、「　知識　」を求める人はここを去って欲しい。<br /><br /><br />記憶の「　記銘　」や「　保持　」があると思うが、私は「　意識は電磁波に似たもの　」であると思うから、私の立場からの「　記銘　」や「　想起　」を考える。<br /><br /><br />前述のように、「　今　」「　現在　」の気（ki）の中でだけ、「　時間　」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「　体験上、時間が存在する　」ということだと思う。<br /><br /><br />五感で感じる光や音は「　波動　」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「　記憶　」であると思う。<br /><br /><br />「　波動　」がストレスという「　粒子　」に変換されると考える。<br /><br /><br />大脳は「　現時点での情（zyou）」で小脳のストレスを電磁波で「　記銘　」するのであり、体験したバイオリズムで「　記銘　」したものを、電磁波で「　想起　」すると思う。<br /><br /><br />「　時間　」も同様に考える。<br /><br /><br />「　時間意識　」は電磁波による「　記銘　」と「　想起　」であり、その記銘した時と時の「　間（hazama）　」は、個人のバイオリズムにより相違する。<br /><br /><br />スポーツの競技者やピアニストの時間意識が「　時計　」のように正確なのは、競技者やピアニストの中に習練で得たバイオリズム（体内時計）が正確であることだろう。<br /><br /><br />「　今　」「　現在　」の気（ki）の中でだけ、「　時間　」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「　体験上、時間が存在する　」ということだと思うから、「　時間　」は「　虚数　」として存在すると思う。<br /><br /><br />「　今　」「　現在　」の気（ki）の中でだけ、「　時間　」が存在し、大脳は「　現時点での情（zyou）」で小脳のストレスを電磁波で「　記銘　」するのであり、体験したバイオリズムで「　記銘　」したものを、電磁波で「　想起　」すると思うから、「　記銘　」した時点で「　時間は存在せず　」、想起や予想する「　時間も存在しない　」。<br /><br /><br />「　記銘すること　」と「　想起すること　」が複素数であり、それを乗じた時「　時間は存在する　」と考える。<br /><br /><br />過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「　体験上、時間が存在する　」ということだと思う。<br /><br /><br />「　記銘すること　」と「　想起すること　」が複素数であり、記憶は両者が一体となってバイオリズム上での「　実体　」を形成すると思う。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/5/19、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><span style="font-size:large;">これは、私だけの考えであり、同調は求めない。</span><br /><br />私は、①時間を創る空間関係（因果の時間）と<br /><br />②人間が考える時間（時間意識）を分ける。<br /><br /><br />①と②はバイオリズムやストレスで結ばれ、①は、出来事により脳にストレスを生じさせ（遠近でもストレスを生じる）、②は、①により生じたストレスとストレスの間（hazama）を数えることだと考え、①は連続した時間であり②は、脳の電磁波により不連続と考える。<br /><br /><br />①と②はバイオリズムやストレスで結ばれるとは、五感で感じる光や音は「　波動　」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「　記憶　」であり、「　波動　」がストレスという「　粒子　」に変換され、大脳は「　現時点での情（zyou）」で小脳のストレスを電磁波で「　記銘　」するのであり、体験したバイオリズムで「　記銘　」したものを、電磁波で「　想起　」すると考えると、②の一秒や一時間という「　時間意識　」は、ストレスの周期を数えているのであり、①の天体の関係からの、因果の「　時間　」とは相違すると思う。<br /><br /><br />②の「　時間意識　」はバオリズム（体内時計）であり、「　記銘　」と「　想起　」という記憶により「　時間がある　」と思うが、それは「　時間の保持　」ではなく、ストレスを数えるバイオリズムによる「　時間の予想　」であり、「　記銘　」したり「　想起　」したりする瞬間に「　時間は無く　」、不連続の時間であり、虚数の時間であり、それに反して、①は、ストレスを作る「　関係　」として存在し、連続する実時間であると考える。<br /><br /><br />②の時間が不連続というのは、目で見ることができる出来事（一定の関係）の間（hazama)を計測することにより、「　時間意識　」が生まれ、出来事は連続であるが、間（hazana）を計測する限り不連続であると思う。<br /><br /><br />②は、文化的であり民族的であり、文化を生む情（zyou）であり、①は、情（zyou）の有無に関わらず気（ki）も情（zyou）も生むと思う。<br /><br /><br />「　うるう年　」の存在は、①と②に相違があることを証明していると思う。<br /><br /><br />②により、音楽や絵画や彫刻などの芸術が生まれるが、①を表現したとき、「　時代の先取り　」と呼ばれるのだろう。<br /><br /><br />②の中で①を捕らえるのがＣ１（夢）やＣ２（構想力）であると思う。<br /><br /><br />人間は、目に見える形の経過の変化で「　時間　」を知り、②の形で「　時間　」を把握し、不連続な「　時間意識　」であるが、「　時間を保持する　」とはバイオリズムが連続しているので、「　連続した時間　」だと感じるのだと思う。<br /><br /><br />「　連続した時間　」は天体の運動の関係として有るのだが、人間の場合は、映画を見るように不連続な場面を、感覚器官のバイオリズムにより連続していると思うのであり、感覚器官を使わない「　夢　」の中では「　時間　」を感じない。<br /><br /><br />現時点では、Ｍは出来事（場面や音楽）の波動がストレスと記憶により粒子化し、情（zyou）の「　一定の関係　」として「　心的存在意識　」となるが、内容は波動であり、「　記銘　」と「　想起　」することにより実時間となって実体化すると考える。<br /><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３６</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10752531.html</link>
      <title>2012/5/13、オカルト・思考エネルギー２・Ｍ（記憶と時間）</title>
      <pubDate>Sun, 13 May 2012 08:31:03 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/5/9、私の記事これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであり、同意を求めない。Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２のＣ１は「　夢　」であり、Ｃ２は「　構想力　」であると書いたが、Ｍについては書いていない。Ｍについては次のように考える。Ｅ（..</description>
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私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br />2012/5/9、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであり、同意を求めない。</strong><br /><br /><br />Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２のＣ１は「　夢　」であり、Ｃ２は「　構想力　」であると書いたが、Ｍについては書いていない。<br /><br /><br />Ｍについては次のように考える。<br /><br /><br />Ｅ（人格形成のエネルギー）の全体が「　無明　」であり、気（ki）であり、Ｍは質量、即ち「　個人の習慣化した一定の関係　」であり、遺伝子情報や全ての物語である情（zyou）であり、常に変化するものであり「　無常　」を形成すると思う。<br /><br /><br />呼吸で決まる「　今　」「　現在　」という気（ki）は可能性が現実化したものであり、「　関係　」が「　実体　」となっているが、その中には情（zyou）という「　無常　」な「　関係　」を内包し、「　無明　」であると同時に「　無常　」であると思う。<br /><br /><br />Ｍが情（zyou）であるから、今まで考えた①関係と実体②無常と無明③情（zyou）と気（ki）④「　時間意識　」とバイオリズムなどの考えを内包し、前者が「　意識　」で「　大脳　」の問題、後者が「　無意識　」で「　小脳　」の問題になると思う。<br /><br /><br />この中で③の「　時間意識　」とバイオリズムに重点を置くことにする。<br /><br /><br />「　今　」「　現在　」の気（ki）の中でだけ、「　時間　」が存在すると思う。<br /><br /><br />過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「　体験上、時間が存在する　」ということだと思う。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/5/13、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは私の考えであり同調を求めない。</strong><br /><br /><br />「　時間意識　」とバイオリズムを考えるとき、「　記憶　」の問題に対する考えは不可欠だろう。<br /><br /><br />私は心理学者や脳科学者ではないから、「　知識　」は持っていないので、「　知識　」を求める人はここを去って欲しい。<br /><br /><br />記憶の「　記銘　」や「　保持　」があると思うが、私は「　意識は電磁波に似たもの　」であると思うから、私の立場からの「　記銘　」や「　想起　」を考える。<br /><br /><br />前述のように、「　今　」「　現在　」の気（ki）の中でだけ、「　時間　」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「　体験上、時間が存在する　」ということだと思う。<br /><br /><br />五感で感じる光や音は「　波動　」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「　記憶　」であると思う。<br /><br /><br />「　波動　」がストレスという「　粒子　」に変換されると考える。<br /><br /><br />大脳は「　現時点での情（zyou）」で小脳のストレスを電磁波で「　記銘　」するのであり、体験したバイオリズムで「　記銘　」したものを、電磁波で「　想起　」すると思う。<br /><br /><br />「　時間　」も同様に考える。<br /><br /><br />「　時間意識　」は電磁波による「　記銘　」と「　想起　」であり、その記銘した時と時の「　間（hazama）　」は、個人のバイオリズムにより相違する。<br /><br /><br />スポーツの競技者やピアニストの時間意識が「　時計　」のように正確なのは、競技者やピアニストの中に習練で得たバイオリズム（体内時計）が正確であることだろう。<br /><br /><br />「　今　」「　現在　」の気（ki）の中でだけ、「　時間　」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「　体験上、時間が存在する　」ということだと思うから、「　時間　」は「　虚数　」として存在すると思う。<br /><br /><br />「　今　」「　現在　」の気（ki）の中でだけ、「　時間　」が存在し、大脳は「　現時点での情（zyou）」で小脳のストレスを電磁波で「　記銘　」するのであり、体験したバイオリズムで「　記銘　」したものを、電磁波で「　想起　」すると思うから、「　記銘　」した時点で「　時間は存在せず　」、想起や予想する「　時間も存在しない　」。<br /><br /><br />「　記銘すること　」と「　想起すること　」が複素数であり、それを乗じた時「　時間は存在する　」と考える。<br /><br /><br />過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「　体験上、時間が存在する　」ということだと思う。<br /><br /><br />「　記銘すること　」と「　想起すること　」が複素数であり、記憶は両者が一体となってバイオリズム上での「　実体　」を形成すると思う。<br /><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３６</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10747104.html</link>
      <title>2012/5/9、オカルト・思考エネルギー１・Ｍ１</title>
      <pubDate>Wed, 09 May 2012 05:42:36 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/4/28、私の記事これは、私だけの考えであり、同調を求めない。①「　夢　」は、睡眠中での脳の作用であり、それ自体を認識することは出来ない。②「　夢　」を語るのは、「　夢の記憶　」であり、それは、覚醒したときの「　構想力　」であるから、「　夢診断　」の..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br /><br />2012/4/28、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br />①「　夢　」は、睡眠中での脳の作用であり、それ自体を認識することは出来ない。<br /><br /><br />②「　夢　」を語るのは、「　夢の記憶　」であり、それは、覚醒したときの「　構想力　」であるから、「　夢診断　」の「　性衝動　」は「　構想力　」である。<br /><br /><br />③　①と②より、「　夢診断　」などは不可能であり、情（zyou）や記憶により思い出した「　夢　」を分析して過去や未来を決定し、予想するのは、現実の「　夢を利用した　」性格判断である。<br /><br /><br />この理由により、「　性衝動　」が無意識であり、生命であるとは思うが、私は賛成しない。<br /><br /><br />無意識は「　性衝動　」より範囲が広く、「　性　」だけでは判断することは出来ないと考えるし、「　意識　」も解明していないのに、「　性衝動　」だけが無意識であるとは思わない。<br /><br /><br /><br />④　私は、Ｅ（人格形成のエネルギー）は、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２と考え、「　Ｃ１（夢）　」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「　覚醒時の夢　」を考え、「　Ｃ１（夢）　」は「　大志　」と考え、その具現化が、現実の「　行為　」であるから、　Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２が具現化した行為は「　人格の表現　」であると思う。<br /><br /><br />Ｃ１（夢）を覚醒状態のとき見るとき、エネルギーとなると思う。<br /><br /><br />Ｃ１の「　夢　」あるいは「　大志や目的　」の方向に、「　プラス思考　」は、「　プラスの構想力　」、「　マイナス思考　」は「　マイナスの構想力　」が働き、行為が習慣的になり、Ｍの「　一定の関係・心的存在意識　」を作り、それが他人には「　物　」と見られ、「　その人の人格　」と判断されると思う。<br /><br /><br />Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２が具現化した行為は「　人格の表現　」で、Ｍ（一定の関係・心的存在意識）になったとき、「　人物　」となるが、他者が私を「　人物　」と認めたとき、私の中では「　さらなる人格の具現化　」が始まっている。<br /><br /><br />その構造が、「　志向性　」や「　指向性　」であると考える。<br /><br /><br />「　志向性　」とは、すべての意識が常にある何ものかについての意識であるという意識の特性をいい、物質的、自然的現象から区別された心的現象を分析するが、私は賛成しない。<br /><br /><br />「　何者かについての意識　」の「　何者　」とは、「　Ｃ１（夢）　」であり、「　志向性　」はＣ１（夢）の具現化に向かう（無意識の）エネルギーであると思う。<br /><br /><br />Ｃ１（夢）は、行為の可能性であり、一般的には過去に「　夢　」を見ると言うだろうが、私は、Ｃ１（夢）は、覚醒時のＣ２（想定）と同じだが、Ｃ２（想定）が因果関係などの合理的な関係に従うのに反し、Ｃ１（夢）は合理的な関係に従わないことが相違すると考える。<br /><br /><br />意識はＣ１（夢）や行為の可能性を具現化するため、即ち人格を形成するために「　志向性　」という特性を持つと思う。<br /><br /><br />意識の志向性を考えるとは、意識の対象の心的現象を考えることで止まらず、Ｃ１（夢）に向かって、行為し、人格の形成を考えることまで発展すると思う。<br /><br /><br />私は、Ｅ（人格形成のエネルギー）は、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２と考え、「　Ｃ１（夢）　」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「　覚醒時の夢　」を考え、「　Ｃ１（夢）　」は「　大志　」と考え、その具現化が、現実の「　行為　」であり、　Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２というエネルギーが「　心的現象　」であり、それが具現化した行為は「　人格の表現　」と思う。<br /><br /><br /><br />ここで、私だけの考えは、さらに続く。<br /><br /><br />Ｃ１（夢）は、バイオリズムなどの物質波で、Ｃ２（構想力）は、脳や心臓を動かす電磁波で、これがＭという遺伝子情報や知識など全ての情報を含む情（zyou）のバランスを変化させるとき、「　人格　」に大きなエネルギーを発生させると考える。<br /><br /><br />反対に「　人格　」が変化したときは、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２のバランスが変化したときと考える。<br /><br /><br />Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２という無意識の「　エネルギー　」を生むＣ１（夢）が「　志向性　」や「　指向性　」を生み、人格の形成に進むから、コンピューターにとって志向性というエネルギーが判断不能であることは言うまでもない。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/5/9、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであり、同意を求めない。</strong><br /><br /><br />Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２のＣ１は「　夢　」であり、Ｃ２は「　構想力　」であると書いたが、Ｍについては書いていない。<br /><br /><br />Ｍについては次のように考える。<br /><br /><br />Ｅ（人格形成のエネルギー）の全体が「　無明　」であり、気（ki）であり、Ｍは質量、即ち「　個人の習慣化した一定の関係　」であり、遺伝子情報や全ての物語である情（zyou）であり、常に変化するものであり「　無常　」を形成すると思う。<br /><br /><br />呼吸で決まる「　今　」「　現在　」という気（ki）は可能性が現実化したものであり、「　関係　」が「　実体　」となっているが、その中には情（zyou）という「　無常　」な「　関係　」を内包し、「　無明　」であると同時に「　無常　」であると思う。<br /><br /><br />Ｍが情（zyou）であるから、今まで考えた①関係と実体②無常と無明③情（zyou）と気（ki）④「　時間意識　」とバイオリズムなどの考えを内包し、前者が「　意識　」で「　大脳　」の問題、後者が「　無意識　」で「　小脳　」の問題になると思う。<br /><br /><br />この中で③の「　時間意識　」とバイオリズムに重点を置くことにする。<br /><br /><br />「　今　」「　現在　」の気（ki）の中でだけ、「　時間　」が存在すると思う。<br /><br /><br />過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「　体験上、時間が存在する　」ということだと思う。<br /><br /><br />「　無常　」も「　体験上、存在する　」ということであり、「　無常　」は「　体験　」の範囲内であり、身体の新陳代謝が無常であるが、それは「　体験　」の最先端であり、意識することは出来ないという意味で無明である。<br /><br /><br />「　時間　」は「　関係　」であり「　形式　」であり、全人類に共通であるが、バイオリズムが相違するため「　主観的時間意識　」は、全人類は相違し、「　同時　」は、個人の「　体験の最先端　」で存在し、全人類が相違するので、「　同時性　」は「　定義　」することしか出来ないと思う。<br /><br /><br />「　関係　」は「　定義　」することが出来ても、「　実体　」は、バイオリズムである無意識が決めるもので、「　定義　」することは出来ないと思う。<br /><br /><br />それが「　与件　」とか「　世界内存在　」というものだと思う。<br /><br /><br />「　関係　」はバイオリズムを内包するので、「　想定内　」の関係であり、過去から未来へ通じるが、「　現在　」の中では「　可能性　」として現れると思う。<br /><br /><br />「　関係　」を「　実体化　」するのは、可能性が現実となることだが、「　関係　」という形式をバイオリズムからの無意識が「　実体化　」するものであり、「　物体　」が変化する内容は「　人間という物体　」が変化する内容と、私は、同視する。<br /><br /><br />変化するエネルギーがＥ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２であると思う。<br /><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３６</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10731866.html</link>
      <title>2012/4/28、オカルト・私の思い２１・思考エネルギー３</title>
      <pubDate>Sat, 28 Apr 2012 05:12:15 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/4/21、私の記事これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであるから、同調を求めない。さて、以上のように、「　思うこと　」をエネルギーと考えるとき、私は次のような関係だろうと思う。「　思うこと　」のエネルギー（Ｅ）は、情（zyou）の一定の関係（..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br /><br />2012/4/21、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであるから、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />さて、以上のように、「　思うこと　」をエネルギーと考えるとき、私は次のような関係だろうと思う。<br /><br />「　思うこと　」のエネルギー（Ｅ）は、情（zyou）の一定の関係（Ｍ）に「　夢　」（Ｃ１）と「　構想力　」（Ｃ２）を乗じたものと考える。<br /><br /><br />Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２<br /><br /><br />「　Ｍ　」はバイオリズムや遺伝子情報などが習慣となった一定の関係（存在）であり、「　Ｃ１　」×「　Ｃ２　」は直感であり、関係から関係への飛躍を可能とするエネルギーであり、前者を精神状態の物質、後者を精神状態の「　電磁波　」で「　夢　」（Ｃ１）は無意識、「　構想力　」（Ｃ２）は意識の「　電磁波　」と考える。<br /><br /><br />「　乗じる　」とは、ひとつの項目が変化すれば、その変化が全体に及ぶことである。<br /><br /><br />「　夢　」を思い出すことは記憶であり、「　夢そのもの　」は認識することは出来ない。<br /><br />「　構想力　」も自覚することは出来ない。<br /><br /><br />しかし、両者は、情（zyou）の一定の関係（Ｍ）を組み替えて、現実の状況を作ることは出来ることで、同じ性質を持つと思う。<br /><br /><br />ＭとＣ１とＣ２は、人類全てが相違し、「　思う力　」（Ｅ）も人類全てが相違するが、共通なことは、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２であることだと思う。<br /><br /><br />Ｅが行為に具現化する力で、行為が「　人格の現れ　」であれば、その内面は、Ｍ×Ｃ１×Ｃ２であるだろう。<br /><br /><br />人格の変化を期待するなら、Ｍ×Ｃ１×Ｃ２を変化させる必要があると思う。<br /><br /><br /><br />2012/4/22、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、思考するモルモットであるから同調は求めない。</strong><br /><br /><br />Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２<br /><br /><br />これは、「　現在　」の気（ki）の中で、行為に現れるエネルギーであり、無意識の「　夢　」（Ｃ１）を含み、それが「　生命（時間）と共変する　」、言い換えると時間の変化が先験的に認識できないから、時間の経過が認識できず、直感（Ｃ１×Ｃ２）が突然、現れる場合もあれば、永遠に現れることを認識できない場合もあるだろう。<br /><br /><br />しかし、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２は、現在の行為の中で現れる共通のエネルギーだと思うから、Ｍ（一定の関係）で行われる行為の中に、常に現れていると思う。<br /><br /><br />行為は、「　過去や未来　」では不可能で、「　現在　」可能であるから、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２は「　現在　」に成り立つ関係だと思う。<br /><br /><br />「　常に現れる　」というから、行為の本質であり、人格の発露である行為の本質だと思うが、「　夢　」という無意識を必ず含み、その方向が「　生きる目的　」という生きがいに沿わない場合は、「　無明　」であると思う。<br /><br /><br />Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２は、「　無明　」の中でＭ（一定の関係）を行為に具現化（実体化）するためのエネルギーであると思う。<br /><br /><br />多くの場合、行為は「　無明　」の中の関係の「　実体　」であり、Ｅ（エネルギー）が完全に発揮されている場合は少ないだろう。<br /><br /><br />ＭとＣ１とＣ２を増加させるためには、外部のＭであり、変化を認識することが出来る「　無常　」である情（zyou）の援助が必要であると思う。<br /><br /><br />援助になる情（zyou）とは、Ｍには知識や情報だろうし、Ｃ１には「　夢　」でなく「　大志　」という目的だろうし、Ｃ２には、プラス思考（構想）やマイナス思考（構想）だろう。<br /><br /><br />私は、どんな情（zyou）の援助を受けるかで、現状が良くもなるし、悪くもなると思う。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/4/28、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br />①「　夢　」は、睡眠中での脳の作用であり、それ自体を認識することは出来ない。<br /><br /><br />②「　夢　」を語るのは、「　夢の記憶　」であり、それは、覚醒したときの「　構想力　」であるから、「　夢診断　」の「　性衝動　」は「　構想力　」である。<br /><br /><br />③　①と②より、「　夢診断　」などは不可能であり、情（zyou）や記憶により思い出した「　夢　」を分析して過去や未来を決定し、予想するのは、現実の「　夢を利用した　」性格判断である。<br /><br /><br />この理由により、「　性衝動　」が無意識であり、生命であるとは思うが、私は賛成しない。<br /><br /><br />無意識は「　性衝動　」より範囲が広く、「　性　」だけでは判断することは出来ないと考えるし、「　意識　」も解明していないのに、「　性衝動　」だけが無意識であるとは思わない。<br /><br /><br /><br />④　私は、Ｅ（人格形成のエネルギー）は、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２と考え、「　Ｃ１（夢）　」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「　覚醒時の夢　」を考え、「　Ｃ１（夢）　」は「　大志　」と考え、その具現化が、現実の「　行為　」であるから、　Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２が具現化した行為は「　人格の表現　」であると思う。<br /><br /><br />Ｃ１（夢）を覚醒状態のとき見るとき、エネルギーとなると思う。<br /><br /><br />Ｃ１の「　夢　」あるいは「　大志や目的　」の方向に、「　プラス思考　」は、「　プラスの構想力　」、「　マイナス思考　」は「　マイナスの構想力　」が働き、行為が習慣的になり、Ｍの「　一定の関係・心的存在意識　」を作り、それが他人には「　物　」と見られ、「　その人の人格　」と判断されると思う。<br /><br /><br />Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２が具現化した行為は「　人格の表現　」で、Ｍ（一定の関係・心的存在意識）になったとき、「　人物　」となるが、他者が私を「　人物　」と認めたとき、私の中では「　さらなる人格の具現化　」が始まっている。<br /><br /><br />その構造が、「　志向性　」や「　指向性　」であると考える。<br /><br /><br />「　志向性　」とは、すべての意識が常にある何ものかについての意識であるという意識の特性をいい、物質的、自然的現象から区別された心的現象を分析するが、私は賛成しない。<br /><br /><br />「　何者かについての意識　」の「　何者　」とは、「　Ｃ１（夢）　」であり、「　志向性　」はＣ１（夢）の具現化に向かう（無意識の）エネルギーであると思う。<br /><br /><br />Ｃ１（夢）は、行為の可能性であり、一般的には過去に「　夢　」を見ると言うだろうが、私は、Ｃ１（夢）は、覚醒時のＣ２（想定）と同じだが、Ｃ２（想定）が因果関係などの合理的な関係に従うのに反し、Ｃ１（夢）は合理的な関係に従わないことが相違すると考える。<br /><br /><br />意識はＣ１（夢）や行為の可能性を具現化するため、即ち人格を形成するために「　志向性　」という特性を持つと思う。<br /><br /><br />意識の志向性を考えるとは、意識の対象の心的現象を考えることで止まらず、Ｃ１（夢）に向かって、行為し、人格の形成を考えることまで発展すると思う。<br /><br /><br />私は、Ｅ（人格形成のエネルギー）は、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２と考え、「　Ｃ１（夢）　」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「　覚醒時の夢　」を考え、「　Ｃ１（夢）　」は「　大志　」と考え、その具現化が、現実の「　行為　」であり、　Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２というエネルギーが「　心的現象　」であり、それが具現化した行為は「　人格の表現　」と思う。<br /><br /><br /><br />ここで、私だけの考えは、さらに続く。<br /><br /><br />Ｃ１（夢）は、バイオリズムなどの物質波で、Ｃ２（構想力）は、脳や心臓を動かす電磁波で、これがＭという遺伝子情報や知識など全ての情報を含む情（zyou）のバランスを変化させるとき、「　人格　」に大きなエネルギーを発生させると考える。<br /><br /><br />反対に「　人格　」が変化したときは、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２のバランスが変化したときと考える。<br /><br /><br />Ｅ（人格形成のエネルギー）＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２という無意識の「　エネルギー　」を生むＣ１（夢）が「　志向性　」や「　指向性　」を生み、人格の形成に進むから、コンピューターにとって志向性というエネルギーが判断不能であることは言うまでもない。<br /><br /><br /><br />志向性（Wikipedia）<br /><br /><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%90%91%E6%80%A7" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%90%91%E6%80%A7</a><br /><br /><br />指向性（Wikipedia）<br /><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E5%90%91%E6%80%A7" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E5%90%91%E6%80%A7</a><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３５</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10724171.html</link>
      <title>2012/4/22、オカルト・私の思い２０・思考エネルギー２</title>
      <pubDate>Sun, 22 Apr 2012 04:02:44 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/4/21、私の記事これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであるから、同調を求めない。さて、以上のように、「　思うこと　」をエネルギーと考えるとき、私は次のような関係だろうと思う。「　思うこと　」のエネルギー（Ｅ）は、情（zyou）の一定の関係（..</description>
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私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br /><br />2012/4/21、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであるから、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />さて、以上のように、「　思うこと　」をエネルギーと考えるとき、私は次のような関係だろうと思う。<br /><br />「　思うこと　」のエネルギー（Ｅ）は、情（zyou）の一定の関係（Ｍ）に「　夢　」（Ｃ１）と「　構想力　」（Ｃ２）を乗じたものと考える。<br /><br /><br />Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２<br /><br /><br />「　Ｍ　」はバイオリズムや遺伝子情報などが習慣となった一定の関係（存在）であり、「　Ｃ１　」×「　Ｃ２　」は直感であり、関係から関係への飛躍を可能とするエネルギーであり、前者を精神状態の物質、後者を精神状態の「　電磁波　」で「　夢　」（Ｃ１）は無意識、「　構想力　」（Ｃ２）は意識の「　電磁波　」と考える。<br /><br /><br />「　乗じる　」とは、ひとつの項目が変化すれば、その変化が全体に及ぶことである。<br /><br /><br />「　夢　」を思い出すことは記憶であり、「　夢そのもの　」は認識することは出来ない。<br /><br />「　構想力　」も自覚することは出来ない。<br /><br /><br />しかし、両者は、情（zyou）の一定の関係（Ｍ）を組み替えて、現実の状況を作ることは出来ることで、同じ性質を持つと思う。<br /><br /><br />ＭとＣ１とＣ２は、人類全てが相違し、「　思う力　」（Ｅ）も人類全てが相違するが、共通なことは、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２であることだと思う。<br /><br /><br />Ｅが行為に具現化する力で、行為が「　人格の現れ　」であれば、その内面は、Ｍ×Ｃ１×Ｃ２であるだろう。<br /><br /><br />人格の変化を期待するなら、Ｍ×Ｃ１×Ｃ２を変化させる必要があると思う。<br /><br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/4/22、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、思考するモルモットであるから同調は求めない。</strong><br /><br /><br />Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２<br /><br /><br />これは、「　現在　」の気（ki）の中で、行為に現れるエネルギーであり、無意識の「　夢　」（Ｃ１）を含み、それが「　生命（時間）と共変する　」、言い換えると時間の変化が先験的に認識できないから、時間の経過が認識できず、直感（Ｃ１×Ｃ２）が突然、現れる場合もあれば、永遠に現れることを認識できない場合もあるだろう。<br /><br /><br />しかし、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２は、現在の行為の中で現れる共通のエネルギーだと思うから、Ｍ（一定の関係）で行われる行為の中に、常に現れていると思う。<br /><br /><br />行為は、「　過去や未来　」では不可能で、「　現在　」可能であるから、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２は「　現在　」に成り立つ関係だと思う。<br /><br /><br />「　常に現れる　」というから、行為の本質であり、人格の発露である行為の本質だと思うが、「　夢　」という無意識を必ず含み、その方向が「　生きる目的　」という生きがいに沿わない場合は、「　無明　」であると思う。<br /><br /><br />Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２は、「　無明　」の中でＭ（一定の関係）を行為に具現化（実体化）するためのエネルギーであると思う。<br /><br /><br />多くの場合、行為は「　無明　」の中の関係の「　実体　」であり、Ｅ（エネルギー）が完全に発揮されている場合は少ないだろう。<br /><br /><br />ＭとＣ１とＣ２を増加させるためには、外部のＭであり、変化を認識することが出来る「　無常　」である情（zyou）の援助が必要であると思う。<br /><br /><br />援助になる情（zyou）とは、Ｍには知識や情報だろうし、Ｃ１には「　夢　」でなく「　大志　」という目的だろうし、Ｃ２には、プラス思考（構想）やマイナス思考（構想）だろう。<br /><br /><br />私は、どんな情（zyou）の援助を受けるかで、現状が良くもなるし、悪くもなると思う。<br /><br /><br /><br /><br /><br />プラス思考（Wikipedia）<br /><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%80%9D%E8%80%83" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%80%9D%E8%80%83</a><br /><br /><br />マイナス思考(Wikipedia)<br /><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B9%E6%80%9D%E8%80%83" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B9%E6%80%9D%E8%80%83</a><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３５</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10722882.html</link>
      <title>2012/4/21、オカルト・私の思い１９・思考エネルギー</title>
      <pubDate>Sat, 21 Apr 2012 07:00:34 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/4/7、私の記事これは、私だけの考えであり、同調を求めない。以上のように、「　構想力　」と「　夢　」は、脳の覚醒したときか睡眠しているときかの違いであり、両者は同じ脳の働きであると思う。前者が、「　関係　」から「　関係　」へと意識的に「　因果　」を思..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br /><br />2012/4/7、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />以上のように、「　構想力　」と「　夢　」は、脳の覚醒したときか睡眠しているときかの違いであり、両者は同じ脳の働きであると思う。<br /><br /><br />前者が、「　関係　」から「　関係　」へと意識的に「　因果　」を思う力であり、後者は、前者の力から「　因果　」を除いた脳の力であるかも知れない。<br /><br /><br />両者は、気（ki）の領域であり、意識的にも無意識でも認識は不可能で、先験的であるが、気（ki）の領域の「　現在　」の「　行為　」（例えば、呼吸）への具現化により、認識される。<br /><br /><br />前者では、「　発明　」や「　発見　」したときに、呼吸や脈拍数が多くなるだろうし、後者は「　悪夢　」をみたとき、呼吸が乱れるだろう。<br /><br /><br />呼吸という「　行為　」による認識は情（zyou）であり、感情であり、過去や未来の「　因果　」へ連結する。<br /><br /><br />「　関係　」から「　関係　」へと意識的に「　因果　」を思う力は、過去の知識や遺伝情報などの情（zyou）から発生すると思うが、「　力そのもの　」は、情（zyou）ではなく、気（ki）であると考える。<br /><br /><br />それは、「　時間　」により自然に発生する「　力　」ではないことであり、「　今　」「　現在　」、思うことから生じる力であり、それゆえに「　構想力　」も「　夢　」も、無意識の「　エネルギー　」の領域であることである。<br /><br /><br />「　思うこと　」が「　エネルギー　」に変換されると、「　私は思う　」。<br /><br /><br />「　構想力　」や「　夢　」という「　思い　」は気（ki）という「　現在　」の「　行為　」に具現化する「　力　」、言い換えれば「　エネルギー　」であると思う。<br /><br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/4/21、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであるから、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />さて、以上のように、「　思うこと　」をエネルギーと考えるとき、私は次のような関係だろうと思う。<br /><br />「　思うこと　」のエネルギー（Ｅ）は、情（zyou）の一定の関係（Ｍ）に「　夢　」（Ｃ１）と「　構想力　」（Ｃ２）を乗じたものと考える。<br /><br /><br />Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２<br /><br /><br />「　Ｍ　」はバイオリズムや遺伝子情報などが習慣となった一定の関係（存在）であり、「　Ｃ１　」×「　Ｃ２　」は直感であり、関係から関係への飛躍を可能とするエネルギーであり、前者を精神状態の物質、後者を精神状態の「　電磁波　」で「　夢　」（Ｃ１）は無意識、「　構想力　」（Ｃ２）は意識の「　電磁波　」と考える。<br /><br /><br />「　乗じる　」とは、ひとつの項目が変化すれば、その変化が全体に及ぶことである。<br /><br /><br />「　夢　」を思い出すことは記憶であり、「　夢そのもの　」は認識することは出来ない。<br /><br />「　構想力　」も自覚することは出来ない。<br /><br /><br />しかし、両者は、情（zyou）の一定の関係（Ｍ）を組み替えて、現実の状況を作ることは出来ることで、同じ性質を持つと思う。<br /><br /><br />ＭとＣ１とＣ２は、人類全てが相違し、「　思う力　」（Ｅ）も人類全てが相違するが、共通なことは、Ｅ＝Ｍ×Ｃ１×Ｃ２であることだと思う。<br /><br /><br />Ｅが行為に具現化する力で、行為が「　人格の現れ　」であれば、その内面は、Ｍ×Ｃ１×Ｃ２であるだろう。<br /><br /><br />人格の変化を期待するなら、Ｍ×Ｃ１×Ｃ２を変化させる必要があると思う。<br /><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３５</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10713608.html</link>
      <title>2012/4/14、オカルト・私の思い１８・構想力と夢と直感</title>
      <pubDate>Sat, 14 Apr 2012 05:42:51 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/3/31、私の記事これは、私だけの考えであり、同調を求めない。「　構想力　」が、悟性と感性に共通した別物であるならば、悟性を意識、感性をバイオリズムや無意識、それに共通な別物として「　関係　」を考えたとき、「　構想力　」とは何だろうか？ネットで調べる..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br /><br />2012/3/31、私の記事<br /><br /><br />これは、私だけの考えであり、同調を求めない。<br /><br /><br />「　構想力　」が、悟性と感性に共通した別物であるならば、悟性を意識、感性をバイオリズムや無意識、それに共通な別物として「　関係　」を考えたとき、「　構想力　」とは何だろうか？<br /><br /><br />ネットで調べると、カントは、「　構想力　」は「　時間　」と考えたそうである。<br /><br /><br />「　時間　」は生命だと考えたのだろう。<br /><br /><br />「　無意識　」を考えたくない気持ちは理解できるが、私は、「　意識　」と「　無意識　」と一旦は分けて考え、前者は「　気（ki）」であり、「　無明　」の領域であり、後者は「　情（zyou）」であり、無明から生まれた「　一定の関係　」を相対化する「　無常　」の領域だと考える。<br /><br /><br />私は「　先験的　」で認識不可能なものとして、大脳の覚醒した「　意識　」では「　構想力　」であり、小脳の睡眠の「　無意識　」では「　夢　」であると考える。<br /><br /><br />覚醒した状態（意識）も睡眠した状態（無意識）でも、呼吸は続き、従って「　現在　」であるし、両者は「　今　」の中で働く、物語を結合させる「　力　」である。<br /><br /><br />覚醒した状態（意識）は、「　行動　」の可能性を目的とするから、「　関係　」という「　物語　」を「　一定の関係　」に変える「　力　」が「　構想力　」だと思う。<br /><br /><br />「　一定の関係　」から「　一定の関係　」を連想するのも「　構想力　」だろう。<br /><br /><br />睡眠した状態（無意識）では、「　行動　」の目的は無く、無作為に「　物語　」を結合するのが「　夢　」であるだろう。<br /><br /><br />「　構想力　」は何を「　一定の関係　」、即ち「　存在　」と認識したかで判断し、「　夢　」もどのような夢をみたのかは、記憶により思い出すだけで、働く「　力　」は認識不能である。<br /><br /><br />両者は、「　認識不能　」ということでは、「　先験的　」であり、生命の維持に必要であるから、生命と「　共変　」する、即ち「　構想力　」や「　夢　」が生命の一部であると考える。<br /><br /><br />2012/4/7、私の記事<br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />以上のように、「　構想力　」と「　夢　」は、脳の覚醒したときか睡眠しているときかの違いであり、両者は同じ脳の働きであると思う。<br /><br /><br />前者が、「　関係　」から「　関係　」へと意識的に「　因果　」を思う力であり、後者は、前者の力から「　因果　」を除いた脳の力であるかも知れない。<br /><br /><br />両者は、気（ki）の領域であり、意識的にも無意識でも認識は不可能で、先験的であるが、気（ki）の領域の「　現在　」の「　行為　」（例えば、呼吸）への具現化により、認識される。<br /><br /><br />前者では、「　発明　」や「　発見　」したときに、呼吸や脈拍数が多くなるだろうし、後者は「　悪夢　」をみたとき、呼吸が乱れるだろう。<br /><br /><br />呼吸という「　行為　」による認識は情（zyou）であり、感情であり、過去や未来の「　因果　」へ連結する。<br /><br /><br />「　関係　」から「　関係　」へと意識的に「　因果　」を思う力は、過去の知識や遺伝情報などの情（zyou）から発生すると思うが、「　力そのもの　」は、情（zyou）ではなく、気（ki）であると考える。<br /><br /><br />それは、「　時間　」により自然に発生する「　力　」ではないことであり、「　今　」「　現在　」、思うことから生じる力であり、それゆえに「　構想力　」も「　夢　」も、無意識の「　エネルギー　」の領域であることである。<br /><br /><br />「　思うこと　」が「　エネルギー　」に変換されると、「　私は思う　」。<br /><br /><br />「　構想力　」や「　夢　」という「　思い　」は気（ki）という「　現在　」の「　行為　」に具現化する「　力　」、言い換えれば「　エネルギー　」であると思う。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/4/14、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調は求めない。</strong><br /><br /><br />「　構想力　」と「　夢　」を以上のように考えるとき、「　直感　」は両者の混合であると思う。<br /><br /><br />「　直感　」は「　第六感　」とも言われるが、「　睡眠中　」では発揮できないし、覚醒中に論理を積み重ねても、発揮できないと思う。<br /><br /><br />論理の積み重ねはコンピューターが得意であるが、コンピューターが人工知能であっても「　直感　」は出来ない。<br /><br /><br />覚醒中に夢をみるというのは、「　関係　」や因果や論理を伴わないときは、「　空想　」であり、それらを伴うとき、「　直感　」というだろう。<br /><br /><br />それは「　関係　」から「　関係　」への飛躍であり、飛躍自体が「　夢を思う力　」、即ち「　思う力　」というエネルギーであり、気（ki）という現在で行われる行為に具現化すると思う。<br /><br /><br />「　直感　」が「　第六感　」というのは、感覚それ自体が「　心　」によるもので、認識不能であると同じ意味で、「　直感　」が「　構想力　」と「　夢　」の混合であり認識不能であるが、エネルギーとして持っているから、六番目の感覚というのだと思う。<br /><br /><br />論理の積み重ねはコンピューターが得意であるが、コンピューターが人工知能であっても「　直感　」することが出来ないのは、「　直感　」が生命に「　関係するもの　」であり、「　生きる過程　」が「　直感　」という無意識での行為であり「　直感　」である。<br /><br /><br />「　直感するコンピューター　」の下で働くというのも好きでない。<br /><br /><br />常識では考えられないことを結びつけることにより、発明や発見が生まれ、これが「　夢を実現した　」といわれるが、「　実現　」は構想が現実になることで、「　夢　」は「　構想力　」であると思う。<br /><br /><br />「　夢　」は無意識で、意識である「　構想　」を導き、気（ki）という現在の中で、「　思う力　」としてエネルギーになったとき、「　直感　」が働いたというのだと思う。<br /><br /><br /><br /><br /><br />直感（Wikipedia）<br /><br /><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3</a><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３５</category>
      <author>kandk</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10709277.html</link>
      <title>2012/4/10、近所の桜（夕暮れ）</title>
      <pubDate>Tue, 10 Apr 2012 20:36:13 +0900</pubDate>
      <description>夕暮れの近所の桜です</description>
            <content:encoded><![CDATA[
夕暮れの近所の桜です<br /><br /><br /><br /><a href="http://up.blogs.dion.ne.jp/m24658/image/P1010205.JPG" target="_blank"><img src="http://up.blogs.dion.ne.jp/m24658/image/P1010205-thumbnail2.JPG" width="480" height="640" border="0" align="" alt="sakura" onclick="location.href = 'http://blogs.dion.ne.jp/m24658/upload/detail/image/P1010205-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><a name="more"></a>

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            <category>2010年からの日記</category>
      <author>kandk</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10704261.html</link>
      <title>2012/4/7、オカルト・私の思い１７・構想力と夢</title>
      <pubDate>Sat, 07 Apr 2012 04:46:32 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/3/31、私の記事これは、私だけの考えであり、同調を求めない。「　構想力　」が、悟性と感性に共通した別物であるならば、悟性を意識、感性をバイオリズムや無意識、それに共通な別物として「　関係　」を考えたとき、「　構想力　」とは何だろうか？ネットで調べる..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br /><br />2012/3/31、私の記事<br /><br /><br />これは、私だけの考えであり、同調を求めない。<br /><br /><br />「　構想力　」が、悟性と感性に共通した別物であるならば、悟性を意識、感性をバイオリズムや無意識、それに共通な別物として「　関係　」を考えたとき、「　構想力　」とは何だろうか？<br /><br /><br />ネットで調べると、カントは、「　構想力　」は「　時間　」と考えたそうである。<br /><br /><br />「　時間　」は生命だと考えたのだろう。<br /><br /><br />「　無意識　」を考えたくない気持ちは理解できるが、私は、「　意識　」と「　無意識　」と一旦は分けて考え、前者は「　気（ki）」であり、「　無明　」の領域であり、後者は「　情（zyou）」であり、無明から生まれた「　一定の関係　」を相対化する「　無常　」の領域だと考える。<br /><br /><br />私は「　先験的　」で認識不可能なものとして、大脳の覚醒した「　意識　」では「　構想力　」であり、小脳の睡眠の「　無意識　」では「　夢　」であると考える。<br /><br /><br />覚醒した状態（意識）も睡眠した状態（無意識）でも、呼吸は続き、従って「　現在　」であるし、両者は「　今　」の中で働く、物語を結合させる「　力　」である。<br /><br /><br />覚醒した状態（意識）は、「　行動　」の可能性を目的とするから、「　関係　」という「　物語　」を「　一定の関係　」に変える「　力　」が「　構想力　」だと思う。<br /><br /><br />「　一定の関係　」から「　一定の関係　」を連想するのも「　構想力　」だろう。<br /><br /><br />睡眠した状態（無意識）では、「　行動　」の目的は無く、無作為に「　物語　」を結合するのが「　夢　」であるだろう。<br /><br /><br />「　構想力　」は何を「　一定の関係　」、即ち「　存在　」と認識したかで判断し、「　夢　」もどのような夢をみたのかは、記憶により思い出すだけで、働く「　力　」は認識不能である。<br /><br /><br />両者は、「　認識不能　」ということでは、「　先験的　」であり、生命の維持に必要であるから、生命と「　共変　」する、即ち「　構想力　」や「　夢　」が生命の一部であると考える。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/4/7、私の考え</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />以上のように、「　構想力　」と「　夢　」は、脳の覚醒したときか睡眠しているときかの違いであり、両者は同じ脳の働きであると思う。<br /><br /><br />前者が、「　関係　」から「　関係　」へと意識的に「　因果　」を思う力であり、後者は、前者の力から「　因果　」を除いた脳の力であるかも知れない。<br /><br /><br />両者は、気（ki）の領域であり、意識的にも無意識でも認識は不可能で、先験的であるが、気（ki）の領域の「　現在　」の「　行為　」（例えば、呼吸）への具現化により、認識される。<br /><br /><br />前者では、「　発明　」や「　発見　」したときに、呼吸や脈拍数が多くなるだろうし、後者は「　悪夢　」をみたとき、呼吸が乱れるだろう。<br /><br /><br />呼吸という「　行為　」による認識は情（zyou）であり、感情であり、過去や未来の「　因果　」へ連結する。<br /><br /><br />「　関係　」から「　関係　」へと意識的に「　因果　」を思う力は、過去の知識や遺伝情報などの情（zyou）から発生すると思うが、「　力そのもの　」は、情（zyou）ではなく、気（ki）であると考える。<br /><br /><br />それは、「　時間　」により自然に発生する「　力　」ではないことであり、「　今　」「　現在　」、思うことから生じる力であり、それゆえに「　構想力　」も「　夢　」も、無意識の「　エネルギー　」の領域であることである。<br /><br /><br />「　思うこと　」が「　エネルギー　」に変換されると、「　私は思う　」。<br /><br /><br />「　構想力　」や「　夢　」という「　思い　」は気（ki）という「　現在　」の「　行為　」に具現化する「　力　」、言い換えれば「　エネルギー　」であると思う。<br /><br /><br />人間は、みんな、「　思うとおりに　」生活しているのであり、「　思い　」が「　行為　」の「　エネルギー　」になって生活しているのであり、「　可能性　」は「　行為の可能性　」であり、新たな「　自分　」を発見する原動力は、「　構想力　」や「　夢　」という「　思い　」であると思う。<br /><br /><br />気（ki）という「　現在　」の呼吸の中で、「　構想力　」や「　夢　」という「　思い　」が原動力になって「　行為　」をしていると考える。<br /><br /><br />われ思う、ゆえにわれは生きる。<a name="more"></a>

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            <category>独り言　３５</category>
      <author>kandk</author>
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        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/10694501.html</link>
      <title>24/3/31、オカルト・私の思い１６・構想力と夢</title>
      <pubDate>Sat, 31 Mar 2012 06:40:12 +0900</pubDate>
      <description>私は仏教が好きだが、僧侶ではない。哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。物理の話をするが、物理を学んでいない。心理の話をするが、心理学を学んでいない。霊魂の話をするが、霊能力者ではない。私は、三流大学の法律科を卒業した。2012/1/14、私の記事「　万物は流転する　」が無常であり、「　我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか　」を無明と考え、前者が情（zyou）であり、肉体であり、後者は気（ki）であり、生命であると思うこれは、私の考えであり、同調を求めな..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
私は仏教が好きだが、僧侶ではない。<br />哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。<br />物理の話をするが、物理を学んでいない。<br />心理の話をするが、心理学を学んでいない。<br />霊魂の話をするが、霊能力者ではない。<br />私は、三流大学の法律科を卒業した。<br /><br /><br /><br /><br /><br />2012/1/14、私の記事<br /><br /><br />「　万物は流転する　」が無常であり、「　我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか　」を無明と考え、前者が情（zyou）であり、肉体であり、後者は気（ki）であり、生命であると思う<br /><br /><br /><strong>これは、私の考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />「　関係　」を知覚という「　気（ki）」により実体化することが、出来たり出来なかったりするのは、知覚と共変しないものが知覚により「　関係　」と認識され、知覚と共変するものは「　関係　」と認識されないと思う。<br /><br /><br />知覚も情（zyou）の一種だから、情（zyou）と共変する「　関係　」と、共変しない「　関係　」を考え、前者が認識不可能で後者が認識可能と考える。<br /><br /><br /><br />私は、上述したように、「　共変する関係は、認識不能である　」と思うが、これは、カントの「　先験的　」というのに似ていると思う。<br /><br /><br />前述したように、「　時間　」も「　無明　」だから「　時計　」で計測し、「　空間　」も、宇宙的規模で見れば常に動いていて「　無常　」で「　無明　」であるから、意識の思考上に「　絶対静止　」という概念を作り、これを基礎にして諸学問が成立している。<br /><br /><br />地球上で、宇宙時間も宇宙空間も、認識不能である。<br /><br /><br />この、根源的に認識不能であるのを、「　無明　」であり、「　先験的　」であると思うのだ。<br /><br /><br />以前書いたように、認識は、無意識の「　情（zyou）」と意識の「　気（ki）」で行われるが、前者は小脳中心で、後者は大脳中心で行われ、前者が「　過去と未来　」を、後者が「　現在　」を決めるが、「　現在　」は小脳の呼吸で決まるというのが私の考えである。<br /><br /><br />根源的に認識不能である、「　無明　」や「　先験的　」である「　時間　」と「　空間　」を、「　気（ki）」の中で「　時間意識　」と「　空間意識　」として電磁波的に認識するが、時空を超える「　直感　」などは、「　関係　」の力だろう。<br /><br /><br />時間や空間を測定可能とする「　存在　」は、存在論的には「　関係　」の習慣の結果の「　一定の関係　」であり、この「　一定の関係を作る力　」即ち「　存在を作る力　」が、カントの「　構想力　」であると思う。<br /><br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong><span style="color:#FF0000;">2012/3/31、私の記事</span></strong></span><br /><br /><br /><strong>これは、私だけの考えであり、同調を求めない。</strong><br /><br /><br />「　構想力　」が、悟性と感性に共通した別物であるならば、悟性を意識、感性をバイオリズムや無意識、それに共通な別物として「　関係　」を考えたとき、「　構想力　」とは何だろうか？<br /><br /><br />ネットで調べると、カントは、「　構想力　」は「　時間　」と考えたそうである。<br /><br /><br />「　時間　」は生命だと考えたのだろう。<br /><br /><br />「　無意識　」を考えたくない気持ちは理解できるが、私は、「　意識　」と「　無意識　」と一旦は分けて考え、前者は「　気（ki）」であり、「　無明　」の領域であり、後者は「　情（zyou）」であり、無明から生まれた「　一定の関係　」を相対化する「　無常　」の領域だと考える。<br /><br /><br />私は「　先験的　」で認識不可能なものとして、大脳の覚醒した「　意識　」では「　構想力　」であり、小脳の睡眠の「　無意識　」では「　夢　」であると考える。<br /><br /><br />覚醒した状態（意識）も睡眠した状態（無意識）でも、呼吸は続き、従って「　現在　」であるし、両者は「　今　」の中で働く、物語を結合させる「　力　」である。<br /><br /><br />覚醒した状態（意識）は、「　行動　」の可能性を目的とするから、「　関係　」という「　物語　」を「　一定の関係　」に変える「　力　」が「　構想力　」だと思う。<br /><br /><br />「　一定の関係　」から「　一定の関係　」を連想するのも「　構想力　」だろう。<br /><br /><br />睡眠した状態（無意識）では、「　行動　」の目的は無く、無作為に「　物語　」を結合するのが「　夢　」であるだろう。<br /><br /><br />「　構想力　」は何を「　一定の関係　」、即ち「　存在　」と認識したかで判断し、「　夢　」もどのような夢をみたのかは、記憶により思い出すだけで、働く「　力　」は認識不能である。<br /><br /><br />両者は、「　認識不能　」ということでは、「　先験的　」であり、生命の維持に必要であるから、生命と「　共変　」する、即ち「　構想力　」や「　夢　」が生命の一部であると考える。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>独り言　３５</category>
      <author>kandk</author>
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