2010年01月31日

土曜の憂鬱

6.jpg  宜しくない・・・。 ここのところ、私生活の調子が、大変宜しくありません。 平日は仕事で、毎日3時間近い残業を喰らっているので、家に帰っても、≪風呂・飯・寝る≫以外に何もできないのですが、その分、土日を楽しもうと思っても、全然楽しめません。

  休みになると、掃除やら、布団干しやら、犬の散歩やら、亀の水換えやら、図書館通いやら、サイト・ブログの更新やら、映画鑑賞やら、読書やら、撮影行やら、やる事ばかり多くて、時間を有効に使えないのです。 まるで、強迫観念に取り付かれているかのよう。 休みなんだから、一日中寝ていてもいいはずなんですが、なんで、それが出来なくなってしまったんでしょうか。 出来ないと思い込んでいるだけで、やってみれば、簡単なのかもしれませんが。

  やっぱりねえ、次から次へやる事を増やしたのが、ここへ来てアップアップになったんでしょうねえ。 平日に時間のゆとりがあればこそ、やれる事がやれるのであって、休みだけで帳尻を合わせようとしても無理があるんですな。 うむむむむ、どうにかせねば。


  休みが楽しくない原因をいろいろ考えているんですが、最悪の元凶が、このブログなのではないかと思う事がしばしばあります。 私、このブログの記事を、土曜日に書いているんですが、この長さですから、最低でも3時間、長引けば5時間くらいはかかってしまい、朝から書き始めても、明るい内に書き終わる事はまずありません。 土曜は他にもやる事がいっぱいあるため、こんな事に割く時間がないのです。 大体、雨天やドス曇りならいざ知らず、天気が良い格好の外出日和に、家に籠もって、こんな文章カタカタ書いていたら、そりゃ病的でしょうが。

  で、夜は夜で、テレビを見たいじゃありませんか。 「土曜の夜は、街に繰り出すのが当たり前」という人もいるでしょうが、まあ、そういう人には好きにして貰うとして、家で過ごすタイプの人なら、土曜の夜が、テレビ鑑賞の書き入れ時だという事に、「うんうん」と納得していただけると思います。 「土曜のゴールデン・タイムにテレビを見ずして、一体いつ見るというのじゃね?」と、白髭に杖ついて、逆に問い返してもいいくらいです。

  夕食の後、居間の炬燵に入ってしまうと、もう9時までは、梃子でも動きませんね。 ここ数年は、バラエティーが地を這うつまらなさなので、昼間録画したサスペンスなどを見る事が多いのですが、何を見るかが重要なのではなく、土曜の夕方から9時まで、居間でテレビを見て過ごすという、そのシチュエーションに幸福を感じるのです。 こんな糞下らんブログを書くために、その貴重なひと時を潰してたまるもんですか。

  で、9時になると、自室に上がるわけですが、そこでも、やはりテレビは見続けます。 だって、地上波で、映画をやるでしょう。 昔に比べると頻度が落ちましたが、今でも、地上波で週末の夜9時から放送される映画には、話題作だった物が多く、見逃すわけにはいかんのですよ。 「地上波初放送!」なんて言われると、二流作品でも見てしまいます。 ただ、名作扱いされていても、二度目の放送だと、決して見ません。 いい作品ほど記憶に残り易いので、見直しても、覚えている部分が多く、時間の無駄になるからです。

  ああ、ちなみに、私は、相当な映画好きです。 DVDは買わぬ主義ですし、レンタルの習慣も絶えて久しいですが、それでも、平均して、二日に一本くらいは映画を見ています。 「買いもせず、借りもせずに、どうやって、そんなに見るねん?」と訝る方もいらっしゃるでしょうが、家がケーブル・テレビを入れているので、映画専門チャンネルもありますし、地上波だけでも、週末の深夜放送をチェックしていれば、二三本は未見の作品を録画できるのです。 時間さえあれば、毎日でも見れます。 嘘だと思ったら、試してみれば宜しい。

  そういえば、去年の4月から9月まで、仕事が暇で、毎日定時で帰って来ていた頃には、映画を録画しまくって、一日に二本くらい見ていました。 映画を見ると、必ず感想を書いて、個人サイトの方の日記にアップしているのですが、その頃のログを見返すと、映画評ばかりで埋まっています。 こちらにも、その文を持って来てしまえば安直に記事が埋まるのですが、映画評の厄介な所は、その映画を見た人でないと、何が何やらさっぱり分からないという点でして、なんとなく、ためらいを感じるのです。 もっとも、そんな事を言い出せば、こちらで時折やっている読書感想文の回なども、事情は同じなわけですが、映画の場合、写真でごまかせないのが、ちょっとねえ。 いや、いろいろと悩みつつ、運営しておるのですよ、こんなブログでも。

  話を戻しますが、土曜の夜9時から映画を見始めると、終わるのは11時前後。 それから、このブログの記事を書くと、書き終わるのが、夜中の1時になったり、2時になったりします。 もう地獄ですな。 私ゃ、受験生じゃないんですよ。 ただのオッサンなんです。 そんなに根を詰めても、何もいい事なんかありゃしないんですよ。 どーして、せっかくの土曜の夜を、こんな自主拷問で血塗らなきゃならんのよ? ブラッディー・サタデイだね。

  「日曜の朝に更新しているから、土曜の夜までに書き上げなければならなくなるのであって、更新を日曜の夜に変えれば、土曜が楽になるんじゃないの?」と思うでしょう? ふふふ、甘いな。 そんな事は、当の本人である私が、既に何度も検討しておるのですよ。 更新を日曜の夜にすると、今度は、日曜が潰れてしまうではありませんか。 日曜は日曜で、やる事が満載なのです。 午後は、週末恒例のイベント、撮影行があって、昼から出掛けると、夕方まで帰って来ませんから、ブログなんて書く余裕はとてもとても、捻り出せるもんじゃありやせん。

  夜は夜で、やはりテレビを見なければなりません。 日曜の夜は、テレビ鑑賞の書き入れ時なのであって、「日曜のゴールデン・タイムにテレビを見んで、一体いつ見れ言うんじゃい、われーっ!」と、こめかみに拳銃突き付けて、逆に問い返してもいいくらいです。 そもそも日曜の夜というのは、小学校の頃以来、「ああ、明日は学校だ。 嫌だよー。 行きたくないよー」と、鬱々とした気分に陥りがちなのであって、その心理は今でも、「ああ、明日は仕事だ。 嫌だよー。 行きたくないよー」てな具合に、全然変わっていないのです。 それでなくても気分が暗いのに、ブログなんか書いて、四苦八苦していられるかってんです。


  でねー、いっその事、このブログ、やめちまったらどうかと、最近つくづく思うのです。 現在の閲覧者数は、日当たり100人から150人くらいですから、勿体無いといえば勿体無いですが、どうせ、コメントとトラックバックはオフで、直接交友しているお客じゃありませんから、打ち切ったとしても、恨み言やら、苦情やらを言われる心配は無いわけです。 文章を盗みに来ている奴は困るでしょうけど、そんな不埒な奴らは、困っても一向に困りません。 困れ困れ! 困り死にしてしまえ。

  このブログをやめると、土曜が楽になる以外にも、大きな特典がありまして、プロバイダーの乗り換えができるのです。 同じフレッツでも、今の所より、800円も安くなるプロバイダーがあって、そーりゃ、ケチな私には大きな魅力ですわなあ。 私はメールをほとんど使わないので、メール・アドレスが変わる事で被る損はほとんどありません。 個人サイトは、アドレス変更を通知すればいいだけですから、問題無し。 つまり、このブログさえ諦められるのなら、乗り換えた方が断然お得というわけです。

  だけどねえ、人間、長く続けて来た習慣はなかなか変えられないのですよ。 歳を取って来ると、尚更その傾向が強まります。 このブログを書く事自体が、人生の意義と化している感すらあり、月々800円程度の得には代えられないような気もするのです。

  書く事自体は嫌いではないので、仕事が楽になって、平日の時間にゆとりが出来れば、今、土曜日にやっている事を平日に分散して、土曜を書き物に当てる事が出来るんですがねえ。 うーむ、結局そこへ戻ってしまいますか。 やれやれ、人生というのは、思うに任せないものですな。

  今回、いつもより短いですが、中身が無いただの愚痴ですから、致し方ありません。 そもそも、長く書こうとするから、どんどん負担が増えるのであって、短くすればいいのですよ。 でも、興が乗ると、自然にどんどん長くなるので、自分自身、長い記事の方が価値があるように感じられて、どうしても、そちらが主流になってしまうのです。 悪循環ですな。 どうにかならんかな、ほんとに。
 
Posted by mado at 07:10  | ブログ運営

2009年07月26日

出力より入力

3.jpg  前々から考え続けている、インターネットの有効な使い方ですが、最近思っているのは、「基本的な方向性として、≪出力≫より、≪入力≫を多くした方がよいのではないか」、という事です。 つまりその、自分の方から他者に働きかけるより、他者が出している情報を取り入れる方に重きを置くべきではないかと思い始めたわけです。

  インターネットを始めると、最初の半年くらいは閲覧ばかりしていますが、その内、他人のやっている個人サイトの掲示板などに書き込むようになり、徐々に話し相手が増えるに連れ、「自分にもできるかな」と思い始め、個人サイトを立ち上げたり、ブログを開設したりと、入力から、出力へ移行していきます。 一旦、出力を始めると、他者の反応が返ってくるのが面白くて、「出力こそ、インターネットの本領だ!」と信じ込み、がむしゃらに情報発信を続けますが、一人の人間が持っている情報量には限界があるので、やがて枯渇し、大勢いた閲覧者も減って行きます。 個人サイトでも、ブログでも、こういう経過を辿っている所は、非常に多いですな。

  最終的には、閲覧者はゼロになり、作った当人さえ滅多に覗かなくなり、サイトやブログの残骸だけが無残に晒されます。 これを読んでいる方々の中にも、同じコースを経験して、思い出すだに、心の傷が疼き、苦笑いで平静を装う以外ない人も多い事でしょう。 しかし、必要以上に自己嫌悪に浸る事はありません。 一度でも繁盛を味わっていれば、まだ幸せな方です。 最近ネットを始めた人達などは、否が応でも、ブログから始めざるを得ないわけですが、昨今のブログは、利用者数の肥大化が原因で、ブログ・センターの更新紹介機能が働かなくなり、新しく立ち上げても一人も見に来ないという悲惨極まりない状態に陥っています。 誰も見てくれないのは、哀しくも悲しいよねえ。

  たまにコメントが入っても、記事に対する感想などそっちのけで、「初訪問です。 僕のブログも宜しくお願いします」とだけ書いてあったりするから、鶏冠に来る。 何が、初訪問だよ。 それで、恩でも着せてるつもりか? おまえ、馬鹿じゃないの? そんなコメント打たれて、「はいはい、ありがとうございます。 ただちに、お礼のコメントを書かせて頂きに参上致しますでげすよ」なんて、揉み手で応じる人間がこの世にいると思ってんのかよ。 全くの見ず知らず、紛う方無き赤の他人の、スケベ根性丸出しの宣伝コメントに付き合ってやる義理なんぞ、金輪際あるものかね! KYどころの話ではなく、他人の心理をまるで読もうとしていない所が怖い。

  また、「どんなコメントでも、数の内」と割り切っているのか、宣伝コメントに対し、ご丁寧に返礼に行く人も、気が知れません。 そんなコメントを書く奴に限って、知能の低い半端人間でないはずがないのであって、つきあったって、何のプラスにもなりません。 むしろ、頭が腐ります。 時間の無駄、エネルギーの無駄。 あー、やだやだ、勿体ない。 人生の貴重な時間を、そっただバカタレの相手に費やすなど、もはや、自分に対する背徳行為ですな。

  それに、そういうコメントを打って来る奴をテキトーにあしらって無視していると、全く同じ文面で、何度でもやって来るから、始末に負えません。 更に悪質になると、文面は同じで、名前だけ変えたあったりします。 名前が違うから、別人かと思って、ブログを開いてみると、同じ所なのです。 閲覧者数を増やすのだけが目的なのか、相手に迷惑を掛けようが、何と思われようが、一向に気にしないようなのです。 こういう輩は、馬鹿といったら馬鹿に失礼で、スバリ、キチガイと呼ぶのが適切な表現でしょう。 一旦、取り憑かれたら、無視し続けて向こうが飽きるのを待つか、コメント欄をオフにしてしまうか、どちらかを選ぶしかありません。

  ブログは、簡単に作れるので、一人で何軒もやっている人が多いと思いますが、テキトーな内容の更新しかしていない場合、まーあ、客が来ないでしょ? 隠しても駄目よ。 私もさんざんやったんだから。 「閲覧者は一週間に2・3人、コメントは冷やかし以外来た事が無い」なんて状態で運営しているなら、即刻やめた方がいいですな。 「せっかく作ったんだし。 愛着があるから」と、閉鎖をためらう気持ちは分からんでもないですが、手間対効果的に見て、マイナスになっているのは確実なので、続ければ続けるほど損をする事になります。 そのブログは、作者にとっては、「ささやかな人生の記録」でも、他人から見れば、「閲覧価値ゼロ」なのであって、だからこそ、お客が来ないのです。 他に理由がありますまい。 やめちゃえ、やめちゃえ。 スッと肩の荷が下りますぜ。

  個人サイト全盛期に作ったサイトを、閲覧者がほとんどいなくなったにも関わらず、維持・更新し続けている人も結構いると思いますが、それも閉めちゃった方がいいと思いますぜ。 個人サイトの場合、ブログと違って、コンテンツのページがあるわけですが、それを消すのが惜しいと思ったら、ブログのサイドバーに、リンクとして残しておけば宜しい。 基本的に、客が来なくなったら、そのサイトの価値はゼロになったと見るべきで、一人で頑張ってたって虚しいだけ、傍から見れば滑稽なだけです。 「全盛期を知っている人が見に来た時、閉鎖した事が分かったら、馬鹿にされそうで、悔しい」なんて心配は、一切せんで宜しい。 却って、残骸を放置しておく方が馬鹿にされますし、それ以前に、一度来なくなった人は、大抵、二度と来ませんから。

  「いや、今でも、閲覧者が日当たり5・6人はいるから、その人達の為に閉められない」というケースもあると思いますが、アクセス・ログで何人か来ている事がわかっても、掲示板やコメント欄に書き込みが無い場合、その客は常連ではなく、単語検索で引っ掛かった所をたまたま開いた可能性が高いです。 当然の事ながら、一度は見ても、二度は来ません。 その種の、≪行きずりの客≫の為に、少なからぬ手間をかけて更新を続けるのは、愚かな努力というものでしよう。

  もう、時代が時代ですから、個人サイトは全面的にやめてしまって、ブログを一本だけ出力用に残しておくようにすれば、それで充分だと思います。 どうせ、まともな客なんて、永久に復活しませんよ。 百年河清を俟って、待ちぼうけを喰らうのがオチ。 まともな人間がこの世にいないとは言いませんが、ネット初期にいた比較的まともな人達は、早々にネットのネガティブな面を見抜いて、距離を置くようになってしまったんですな。 まともだからこそ、関わらなくなったわけです。

  かつて、個人サイトの掲示板で、3分の1近い勢力を誇っていた、専業主婦の方々が、軒並み姿を消してしまった事は、大変な地殻変動を引き起こしました。 彼女らは、多少の幅はあれ、良識を備えていたので、学生・フリーター・ひきこもりといったネットのゴロツキどもを牽制するのに大きな役割を果たしていたのですが、悪貨が良貨を駆逐する法則には勝てず、「こんな頭のおかしい人達とは話が出来ない」と、眉を顰めて、ネットへの出力をやめてしまったのです。 全く、惜しい。

  ちなみに、私の経験では、ネット上で出会った女性の中で、独身でまとも、という人は皆無でした。 ただ、既婚なら必ずまともというわけでもなく、オタク系や、鬱病系は、やはり話が通じませんでした。 女性の特徴としては、これといった前触れもなく、突然、サイトを閉めてしまったり、急に掲示板に顔を出さなくなったり、そういうパターンが非常に多かったです。 女性のいい所は、相手を馬鹿にしたり、見下したり、そういう態度を取らない事ですかね。 ネット交友に於いては、極めて重要な資質だと思うんですが、それを備えた人達がいなくなってしまったのですから、損失は計り知れません。

  一方、男ですが、全く、ほとほと、ろっくでもないよねー。 年下は馬鹿ばっかり。 知識も教養もサランラップ並みにペラッペラのくせこいて、どこで覚えたんだか、屁理屈ばかり一人前。 とりわけ、学生・フリーター・ひきこもりの三馬鹿には、まともな人間を一人も知りません。 世の中についてああだこうだ御託を並べる前に、まず自分の人生をどーにかせーよ。 誰が、己の食い扶持も稼げないような人間を、対等に見てくれるのだね?

  年上は数がぐっと少ないですが、こちらもこちらで、態度ばかりでかいです。 えっらそーに、何様のつもりだよ。 表面的に敬語体で書いていても、年下の相手を見下し、どうにかして、コケにしてやれないかと虎視眈々、言葉の端々に嫌味を盛り込む事だけに余念が無い。 あのなあ、年長・年少以前に、他人様なんだから、とりあえず、対等関係からスタートしろよ。 礼儀のかけらも知らんのか? 何を親に教わった? 年下を見たら、馬鹿にしろと教わったか? 親子揃って、恥を知れ。

  自分と同じ世代の人とは、割と良好な関係を築けますが、ネット上で同年代を探すのは、結構な骨です。 もし見つけたら、少々意見に違いがあっても、論戦などは厳に謹んで、大切に交友を続ける事ですな。 一度失うと、なかなか代わりが見つかりませんから。 子供の頃、同じテレビ番組を見ていたとか、同じマンガを読んでいたとか、それだけでも、ダイヤモンドより貴重な共通点です。


  出力を、ブログ一ヶ所だけに絞るとして、更新頻度ですが、せいぜい、一週間に一度くらいで充分だと思うのですよ。 何といっても、ブログ・センターがもう死んでいるわけですから、頻繁に更新したところで、それで客が増えるという事はありえません。 また、客を増やす事自体に意味が無い。 なにせ、今時、ネット上を遊弋しているのは、馬鹿やキチガイばっかりなわけですから。 週に一回更新して、後はうっちゃらかしておきましょうや。 トラックバックは言うに及ばず、コメントも受け付けなくて宜しい。 断言しますが、どうせ、ろくなコメントは来やしません。

  最大の眼目は、出力の為に投入するエネルギーを、極力減らす事にあります。 一日に、パソコンの前に座る時間は決まっていると思うので、出力にかける時間が減れば、その分、入力にかける時間を増やせるという計算になります。 現在、自分のサイト・ブログや、よそへの書き込みで、毎日、何らかの出力に明け暮れている方々、その時間がそっくり浮くと思えば、どれだけ、あちこち見て回れるか、想像するだけでも、目の前が薔薇色に変わる心地がしませんか?

  出力をいくらやったって、所詮、自分の頭の中から出て来るものですから、それが自分を成長させてくれる事はありませんが、入力は、信憑性の高い発信元でありさえすれば、確実に自分の知識・情報力を高めてくれます。 入力と言っても、他人のブログなんか見ても愚にもつかないのであって、国内外のニュース・サイトや、公共機関、企業、研究団体などのサイトを見れば、得るものは膨大にあっても、失うものは何も無いと思います。

  ネット歴の浅い人は、「そんな所を見ても、他人と話ができるわけじゃないから、面白くない」と思うかもしれませんが、もううんざりするほど長くやっている人なら、「話なんかしても、所詮、他人は他人だ。 現実世界のような友人になれるわけじゃない」という事を知っているので、軸足を閲覧の方に置く事に、「一理ある」と、納得してもらえるんじゃないかと思います。

  まず、自分がネットに対して費やしている時間と労力を観察し、出力と入力の割合がどくらいになっているかを見極める事から始めるべきですな。 更新や巡回書き込みにうんざりしているようなら、それは出力が多過ぎるのですから、少しずつ減らしてみて、どの辺りで楽になるか、試してみればよいと思います。 ネットは、本来、誰にやれと言われたわけではなく、自発的に楽しむ為に始めたのですから、苦しさを我慢する必要などありません。 嫌な事はさっさとやめ、新たな楽しみを見つける旅に出るのが、本道ではありますまいか。
 
Posted by mado at 06:01  | ネット観察 , ブログ運営

2009年06月21日

書きゃいいってもんじゃ

1.jpg  ここの所、このブログの文章が長過ぎるような気がしてなりません。 最初、個人サイトのコラムとして書き始めた時は、一回せいぜい50行くらいの短いものだったのに、いつの間にか、「行数を書かなければ、内容が薄くなってしまう」という強迫観念に取り付かれ、どんどん長くなってしまいました。 短い物なら、ネタはいくらでもあるのですが、ある程度の長さを確保する事が前提になると、テーマ選択の幅が限られ、回を追うごとに苦しくなる一方です。 所詮、一人の人間の頭の中から出ている物なので、やはり、限界はあります。

  世には、≪ブロガー≫と呼ばれている閑人達がいるそうで、時事ニュース・ネタを中心に、毎日のように長い文章を更新しているらしいですが、まあ、そういう連中をあんまり買い被らない方がいいですな。 それこそ、他人の書いた文章をパクりでもしない限り、ネタが続くわけがないのです。 一人の人間がいちどきに興味を持てる対象は限られていますし、そのテーマについて一文を物せるほど考えを深めるとなれば、時間的な制約も出て来ます。 テレビのニュース番組で、ポッと思いつきの戯言を並べている、キチガイ・コメンテーターのレベルまで落ちなければ、連日の更新なんて出来るわけがないではありませんか。

  新聞に載っている、記者が書いたと思われるコラムや論説記事を読むと、個人の能力の限界がよく顕われていて面白いです。 署名記事の名前をチェックしつつ読んでいると、同じ人が類似したテーマについて書いた物は、みんな同じような内容になっています。 具体的に言うと、エコ関係の記事なんか、毎回毎回、おんなし事ばっかり! 手帳に、≪正≫の字を書いて、何回同じ事を書いたか、記録しておいた方がいいんじゃないの? ≪水戸黄門≫の再放送より尚くどい。

  「馬鹿抜かせ! 同じテーマで書くとなれば、似たような内容になるのは、当たり前じゃないか! 同じ人間なんだから、そのつど意見が違っていたら、その方がおかしいだろう!」 うむ、確かにその通り! でもねえ、新聞は何の為にあるかっつったら、読者に読ませる為にあるんでしょう? 言わば、読者が主人なわけだ。 その読者側から見れば、同じような内容の文章を何回も読まされたら、「なんだ、この人、また同じこと書いてるよ」と、うんざりするなっつーほーが無理ですぜ。

  「じゃ、どーしろっつーねん?」 だからー、新聞は複数の人間で作っているのが最大の武器なんだから、手分けすりゃえーでしょう。 大丈夫! 同じ新聞社内で、同じテーマで書いても、書き手が違えば、かなり違った内容になります。 どうせ、今日日の一般向け新聞は、同じ紙面に正反対の意見が掲載されても、全く頓着しない傾向がありますから、読者の方も訝ったりしないでしょう。 少なくとも、同じ人の書いた同じ内容の文章を何度も読まされるよりは宜しい。

  しかし、つくづく思うんですが、新聞社として統一した主張が無いのであれば、記者がコラムや論説を書く意味は、かなり薄いですな。 記事以外の文章は、全て外部の専門家に任せてしまった方が、客観的な新聞になるのではありますまいか。 今の新聞に載っている文章で、真面目に全部読んでみようと思うのは、そういう本物の識者の書いたものだけですからのう。 記者という、≪オールラウンド素人≫の意見より、専門家の意見の方に含蓄があるのは、記者達自身も認めるのに吝かではないでしょう。

  ≪ニューヨーク・タイムス≫の≪Op-Ed欄≫みたいに、外部の人間にどんどん書かせりゃいいのよ。 自分の文章を新聞に載せて欲しい人はうじゃうじゃいますから、原稿料もかかりません。 記者の役割は、どの文章を載せるかを選ぶ事に特化すればいいではありませんか。 その方がずっと、読者の新聞社に対する尊敬度は上がると思います。 自分自身が前面に出て、あまり読者と親しみ過ぎるより、帳の向こうで高尚な議論をして、掲載する文書を選んでいるイメージの方が、どう考えてもかっこいい。

  いっそ、あの、≪社説≫という枠も廃止した方が、サバサバすると喪います。 ありゃ、コラム・論説どころの話ではなく、本当に、枠の中に文字を埋めているだけの、中身スッカラカン文章だものねえ。 中学・高校では、今でも教師達が、「世の中の流れを知る為に、新聞の社説をよく読むように」などと教えているんでしょうが、それでなくても活字離れが甚だしい昨今の学生に、新聞の一番中身が薄い所を薦めてどうすんねん? 大方、馬鹿教師ども、自分自身がコラム式の文章を書いた経験が無いものだから、社説程度の内容でも、大した文章だと思い込んで、ありがたがって拝んでおるのでしょう。 馬鹿か? よく、読み比べてみろっつーのよ。 社説にゃ、当たり障りの無いこと以外、一文字だって書いてないから。

  そういや、≪特派員コラム≫の低劣化には、困ったものですなあ。 特派員コラムというのは、国際面の隅っこに、枠で括って出ている短文で、その新聞社から外国へ派遣された記者が送ってくるものです。 私は、高校の頃は、特派員コラムが大好きで、毎日、首っ引きで読んでました。 今と違って、インターネットが無い頃でしたし、テレビの外国紹介番組では歴史・文化など、総括的な情報しか得られなかったので、時事的な情報や、現地で生活している者にしか分からない裏話が載る新聞の特派員報告は、宝の山だったのです。

  それが、どーだい、今の特派員は? 特派員という仕事を、「その国の欠点を探し出して、本社に報告する事」と履き違えているとしか思えません。 そりゃ、悪いところだけ探せば、どんな国にも悪い点はありますよ。 気に入らないとなれば、人々の顔つきも気に喰わない、言葉は雑音にしか聞こえない、街の匂いが臭くて息をするのも嫌になる、一歩歩くごとに体が腐るようだ、ってな具合に、悪い事だらけになってしまいます。 だけどねえ、外国から日本に来た人も、みんな、そう思ってるんだよ。

  温泉旅館に連れて行かれ、入りたくもないのに、小汚い風呂にぶち込まれて、全身に鳥肌立ててるんだ。 土足厳禁で強制的にスリッパに履き替えさせられるのも恐ろしい。 なんで、わざわざ高い金出して外国に来て、水虫うつされにゃならんのだ? 「日本料理の代表だから」と言って、必ず寿司を食わせようとするが、中国人は火が通っていない物を食べないという事を知ってるか? 欧米人が餡子が食えないのを知らずに、「おいしいですよ」と鯛焼きやドラ焼きを押し付けてないか? 中仏伊など、美食文化圏から来た人間を捕まえて、無理やり生ものを食わせるのはよせ。 拷問以外の何ものでもない。 刺身は、≪食べ物≫ではあるが、≪料理≫ではない。 そのくらいは分かるよな?

  とまあ、そんな具合に、日本に来た外国人も、習慣の違いを我慢しているわけだ。 いいか、文化というのは、民族によって、地域によって、みんな違うんだ。 違うからこそ価値がある。 ≪多文化主義≫という言葉を、聞いた事さえ無いのか? いやしくも、日本の全国紙の特派員たるもの、国で言えば、大使と同じだ。 大使が、派遣先の国の欠点ばかり口にしていて、仕事になるか? そんな馬鹿がいたら、すぐ召還だ。 大方、社会派を気取って、「この国の問題点を観察するのが、自分の仕事だ」と勘違いしこまし、せっせと送っている記事が、差別表現そのものになっているとは、思いもしないのだろう。 知性が欠けているにもほどがある。 お前らみたいに、外国に嫌悪感しか抱いていない人間ばかりになったら、世界はおしまいだわ。

  中には、「イスラム圏で、酒を飲む所が無い」だの、「テレビの映りが悪い」だのと、現地生活に於ける単なる個人的不満を並べただけの、最低の文章もあり、書いて送る奴も送る奴なら、そんな駄文を新聞に載せる奴も載せる奴だと、心底ほとほと呆れ果てます。 今は、もうネット時代で、外国の情報は、個人が直接手に入れられるようになり、特派員コラムの存在意義は薄くなりました。 もう廃止してしまってもいいんじゃないかと思います。 どうせ、読んだって、悪口でなければ、知ってるような事ばかりで、全然面白くないし。


  おや、ブロガーを扱き下ろすつもりで書き始めたのに、いつの間にか、新聞記者への攻撃になってしまいましたな。 しかし、文章の書き手として、新聞記者とブロガーの、どっちがマシかと言ったら、新聞記者の方が、ずっとマシです。 決定的な違いは、文章を公開する前に、他人が目を通す事。 ほとんど意見が違わないような相手であっても、他人の視点によるチェックは、やはり有効なのです。 「そんな事より、素人と記者では、知っている情報の量が違うだろう」と思うかもしれませんが、そんな事はありません。 記者といっても、自分で取材した事以外は、すべて、人から聞いた事、もしくは、他人が書いた物を読んで得た情報なのであって、その点で、素人と根本的には違いはありません。

  記者とブロガーの比較よりも、もっと、はっきり区別すべきなのは、書き手が専門知識を持っているか、持っていないか、その点でしょうな。 専門家が書いた文章と、新聞記者やブロガーが書いた文章では、信用度に桁違いの差があります。 これは、自分が詳しい分野の事について、自分よりもよく知らないと思われる他人が書いた文章を読むと、非常によく分かります。 「うわ、こいつ、いい加減な事を書いてるなあ。 いいのかよ、こんな大嘘を公開しちゃって・・・」と、背筋が寒くなる事が、ネット上ではしばしばあります。

  またまた、少々脱線しますが、≪教えて、○○≫系統の、質問掲示板でも、凄まじい光景が繰り広げられていますなあ。 専門的な知識を元に、的確な回答を寄せている人もいれば、徒手空拳というか無手勝流というか、質問の内容さえ理解していないと思われる、まるっきり的外れな答えや、誰でも分かるような当然以前の事を書いて、それが回答になると思っているらしい馬鹿もいます。 ほんっとに馬鹿だな。 別に、ご指名で答えてくれって言っているわけじゃないんだから、知らなきゃ何も書かなきゃいいのに、何で自分から恥を掻きにしゃしゃり出て来るかね? 分かるか? 馬鹿だと思われてるんだよ、おまえは! 質問者は勿論、そこを覗いたすべての人間から、「この馬鹿が・・・」と、嘲られているんだ。 悪い事は言わんから、何にでも首を突っ込みたがるな。 パソコンを押入れにしまって、布団被って寝てろ。 そうすりゃ、誰もお前を馬鹿にしたりはしない。


  つくづく思いますが、インターネットというのは、文系の人間にとって、両刃の剣なのかも知れませんなあ。 昔は、日記でしか書けなかったような事が、今では個人サイトやブログで、世間に公開する事が出来る。 自分自身が、執筆者であると同時に、校正者でもあり、編集者でもある。 書きたいテーマがありさえすれば、思うが侭に、どんな文章でも発表できます。 しかし、一方で、その文章に他人様に読んで貰えるほどの価値があるかどうかというと、大いに疑問です。

  そもそも、情報源のほとんどを、テレビ・新聞・雑誌など、既存のメディアから得ていて、自分で経験した事でもなければ、個人的な友人・知人から聞いた事でさえないのです。 新聞に書いてあった事を、そのままブログに書き写しても、何の意味も無いのは、言うまでもありません。 既存メディアから得た情報に関して、自分の意見を述べるという形なら、オリジナリティーが成立しますが、実際には、他人の意見をパクっている者の方が、圧倒的に多いです。 つまり、「私は、この人と同意見です」と言っているだけなのであって、それなら何も自分で文章を書かなくても、他人のブログへコメントを打っていた方がいいでしょう。

  簡単に自分の文章を公開できると思うから、一応文を書く能力がある文系人間が飛びつく。 しかし、大切なのは、書く事そのものではなく、文章の内容でしょう。 特に、コメント投稿やメール・アドレスをオープンにしていて、他人につっ込まれる可能性がある場合、自分が専門知識を持っている分野以外は、一切書かないというくらい警戒した方がいいと思います。 生半可な知識で、いい加減な事を書いていると、豺狼の如き下司どもに、すぐに吊るし上げられてしまいます。

  最後に、中学・高校生から大学生までを含めた、学生諸君に一言。 世の中に対する考えが固まらない内に、ブロガーなんぞには、絶対手を出してはいけませんよ。 一度書いてしまった事は、取り消せないですから、最悪の場合、一生、自分の叩いた軽口に苦しめられる事になります。 犬が西向きゃ尾は東な事ですが、知らない事は知らないのであって、知らない事について文章が書けるはずがないのです。 知らないのに書けるとしたら、それは嘘だけであり、「こいつは、嘘でも平気で書く」と思われたら、もう誰も相手にしてくれません。

  嘘を書く気が無くても、間違った事を書いてしまう事はあります。 学生時代には分かりませんが、社会人になれば、世の中の仕組みが、それまでとは全く違って見えて来ます。 学生時代に自信満々でブログに書いていた事が、間違っていた事に気付くケースも少なくありません。 いくら、世の中で話題になっているといっても、学生が年金問題について書くのは、無理があるでしょう? そういうものです。 環境問題など、いかにも食いつく学生が多そうですが、自分が車に乗り始めたり、電気製品を買う側に回ると、考え方が120度くらい変わる事がありますから、あまり調子に乗って大人を攻撃し過ぎない方がいいです。

  誰も、あなた方のブログ・デビューなど急かしていないのですから、ゆっくりと構えて、知識を蓄える一方、世間の観察を深める事です。 どうしても、学生の内にブログを始めたいのなら、自分の意見を控え目にした、日記のような物の方が無難でしょう。 身の周りの出来事を書くだけなら、他人につっ込まれる隙が生まれないからです。 一度、手ひどく突っ込まれて、傷つくと、二度と文章を書く気にならなくなる事もあるので、用心の上に用心を重ねるべきです。 他人は怖ぇぞ〜。
 
Posted by mado at 06:37  | ブログ運営 , 世上観察

2008年11月16日

三敗地に塗れる

3.jpg  困ったなあ。 それでなくても、ここ最近、休日の天気が極悪で、気が晴れない事が多いというのに、その上更に困った事にぶちあたるというのは、ほとほと普段の行ないが良くないと思われる次第。 まあ、生きるの死ぬのといった大した問題では全然ないんですが……。

  この夏頃から、コメントを打つようになったブログが、三軒ばかりあったんですが、まだ三ヶ月しか経っていないのに、すべて、ぽしゃってしまったのです。 別に喧嘩をしたわけではないんですが、コメントできなくなってしまったんですな。


  一ヶ所は、季節の花の写真をテーマにしているブログで、まあ、そういう所はたくさんあるんですが、その中の一つです。 花の特徴や、育て方、花言葉など、植物辞典風に紹介した文を添えてあり、そこそこ年配の真面目そうな作者だった事と、八月に開設されたばかりで、コメントを打つ人がほとんどいなかったので、応援するつもりで、当たり障りの無いコメントを打ち始めました。

  と・こ・ろ・が・だ〜・・・・、三ヶ月間、私以外にまともな客が一人も来なかったのです。 「すいてて、いいじゃないか」という見方も出来ますが、それも最初の内に限った事、たった一人の常連を演じていると、月日が経つに連れて、だんだん≪重く≫なってくるんですな。 花ブログによくある、自分のブログを宣伝する為のコメントなら、時々入るんですが、そこの作者の人が、「宣伝コメントには、返礼をしない主義」のようで、レスを書いたらそれでおしまいにしてしまうものだから、後が続きません。 いや、そういう主義は立派だと思うけどー、まだ立ち上げたばかりなんだから、付き合いの範囲を広げる為にも、返礼くらいはした方がいいですって。 社交辞令のやり取りから始まって、徐々に親しくなって行くケースもあるんだから。

  それと、そこのブログのシステムは、アクセス・ログ機能はもちろんの事、カウンターすら設置できないようで、私が初めて見に行った時など、作者自身が、「誰もコメントしてくれないけど、このブログ、見てくれてる人いるのかなあ?」などと、ボヤいていた始末。 だーからー、アクセス・ログを取らなければ、何人が見に来ているか、知りようがないでしょうが。 どーして、その事に気付いてくれんかなあ。 私の推測では、私以外、誰も来ていないと思うのですよ。 たまに入る宣伝コメントは、大方、単語検索で引っ掛かって来たものでしょう。

  涙ぐましい事に、「ブログは、更新頻度を上げれば、閲覧者が増える」という教条を墨守していて、一日に5件も記事をアップしているのですが、そんな法則が生きていたのは、もう大昔の話ですって。 今は、ブログ・センターをうろついている連中なんていないんだから、いくら更新しても、気付く人なんていやしません。 一件あたり、写真+10行前後の文章を、一日5件となれば、並々ならぬ労力と時間を割いているに違いないのですが、無駄この下無いです。 更新なんて一日一件どころか、一週間に一件でもいいのであって、余った時間を巡回に回した方が、閲覧者もコメントも遥かに多く獲得できるでしょう。 もう、やきもきイライラしちゃって、見てられませんや。

  だけど、こちらとしては、そういう事を指摘できないんですよ。 相手はネットを始めて間もない人ですが、年齢はかなり行っているようなので、差し出がましい口を利けんのです。 まして、サイトならいざ知らず、ブログでは、作者が書きたい事を書けるのが最大の特典ですから、他人があれこれ指図するのは、明らかに場違いな非礼行為となります。 サイトを≪店≫に譬えるなら、ブログは≪自室≫であって、自室の中をどう使おうが、当人の勝手ですからねえ。 コメントに、「それは違うと思いますね」なんて打たれただけでも、充分ムカッと来ますが、「ああしろこうしろ」と指図されたら、もうブチ切れるでしょう。 そんなのが何度もあるようなら、コメント機能オフにしますよ。

  ああ、せめて、アクセス・ログ機能があるサービスに移ってくれれば、作者当人にも現状が分かって、アドバイスのきっかけが出来るんですがねえ。 このまま、コメント無しで半年も続ければ、自ずと誰も読んでくれていない事を悟るでしょうが、その頃には更新に疲れて、すっかりやる気をなくしているから、アドバイスなどしても、聞いてくれんでしょう。 なまじ、悪い人でないだけに気の毒だなあ。


  次のブログ。 人形の服を作っている人の所です。 タカラ・トミーの≪ジェニー≫という着せ替え人形をモデルに、6分の1サイズの和風の服を仕立てて、ブログに公開していたのですが、その出来があまりにも素晴らしいので、私、人形趣味など全く無いにも拘らず、心惹かれて、賛美のコメントを打っていたのです。

  そうこうする内、その作者、6分の1サイズに飽き足りなくなって、≪ミニ・スーパー・ドルフィー≫という、4分の1サイズの人形に乗り換えを計りました。 ちなみに、3万円くらいするらしいです。 顔が描いていない状態で売られているそうで、「自分では描けないから、有料で描いてくれる人に依頼する」と言ったり、「髪が短くて服に合わないから、韓国から長髪用のカツラを通販で買う」と言ったり、野越え山越え、艱難辛苦を乗り越えて、ようやく人形と一着目の服が完成し、写真が公開されました。

  と・こ・ろ・が・だ〜・・・・、その人形が、キモいのですわ、あ〜た! まず、頭と胴体の比率が悪い。 頭ばかりドデかくて、まるで人間の体型をしていないのです。 3・4歳の子供なら、こういう体型もアリかもしれませんが、それにしても頭がでかすぎる。 それでいて、顔立ちは、やけに彫りが深く、日本人離れした立体造作。 しかも大人の女の化粧顔が描かれているわけですよ。 想像できますか? 3・4歳の子供の体に、25歳くらいの大人の女性の顔が載っている様子を。 キモい、キショい、グロテスク、怖気を振う、鳥肌立つ・・・、そんな形容しか思い浮かばぬ、途轍もなくひどい人形なのです。 いやあ、まいったなあ・・・。

  そこそこ人気があったブログで、それまで、更新があれば必ず何人かがコメントを打っていたのですが、一度その人形の写真が公開されるや、誰も何も言わなくなりました。 あまりの気持ち悪さに、逃げてしまったのは疑いありません。 私なんか、その写真を見たくないばかりに、そのブログを開く事さえ出来なくなってしまったのだから、その甚だしさが想像できるでしょう。 ところが、作者当人は、その人形のひどさに気付かないのか、お金と労力を投入しているから認めたくないのか、「なかなか、いいんじゃないの?」などと書いている始末。 「これからは、この人形をモデルに、衣装を作って行きます」などと抱負まで語られては、もうお手上げです。

  どーすりゃ、いいのよ、この私は! 「あなた、その人形は、キモいから、やめた方がいいですよ」と言ってやりたいんですが、上述したように、ブログとは個人の自室ですから、他人がどうこう言うのは掟破りです。 批判するくらいなら、コメントなど打たない方が良い。 「何でも言い合えるのが、本当の友人だ」などというのは、現実を知らぬ馬鹿の戯言で、どんな親友であっても、何でも言い合っていたら、果ては殺し合いの喧嘩になります。 況や、ネット交友で、しかも日も浅い相手では、何も言えないではありませんか。

  そもそも、私がその人のブログに行くようになったのは、作品のセンスが良いと思ったからであって、他に理由は無いのです。 今回の騒ぎで、センスが良いどころか、≪気持ち悪い≫と≪可愛い≫の区別もつかない事が判明したのだから、これ以上、交友しても、得る所はありますまい。 ちなみに、その作者、未婚女性なので、客の中には、明らかにスケコマシ目当てでやって来ていた野郎もいましたが、そいつでさえも、人形のキモさに耐えかねて、逃げて行きました。 うーむ、目覚しき虫除け効果!

  つまりその、私が最初、その人のセンスが良いと思い込んでいたのは、ほとんど、≪ジェニー≫という人形の完成度の高さに支えられていたんでしょうな。 ≪ジェニー≫は、顔は少女っぽいですが、体は完全に大人体型で、頭と胴体のバランスも、実際の人間と同じなのです。 リアルな服を着せて、後ろ姿を写真と撮ると、本物の人間と区別がつきません。 タカラ・トミーの研究レベルは高かったんですねえ。


  さて、三軒目ですが、これは写真ブログです。 街なかをフィールドにして、普段人が見ないような角度から風景を切り取る人で、私もそういう写真を撮るのが好きなものですから、つい惹かれて、コメントを打ち始めたのです。 技術がしっかりしている上に、感性が研ぎ澄まされていて、「ほお、こんな人がいるんだねえ」と、日頃、写真作品にはシビアな私が、感服仕った次第。

  と・こ・ろ・が・だ〜・・・・、やはり、一人の人間が撮る写真というのは、パターンが決まってしまうんですな。 二週間ごとに繰り返される、夕飯のおかずみたいに……。 二ヶ月もしたら、コメントに書く事がなくなってしまったのです。 「この写真は、○○がいいですね」の、○○の部分のパターンを書き尽くしてしまうと、それ以上、話が発展しないのですよ。 また、その人が、写真オンリーで、文章を添えないから、雑談へ逃げるという事もできません。 厳しいな〜。

  ちなみに、そこのブログも、コメント客は私一人でして、日に日に責任が重くなって来て、もうトンヅラ寸前の心境です。 作者は悪い人じゃないので、応援してやりたいんですが、私一人ではどうにもなりません。 当人が巡回してくれればいいんですが、そういう変わった写真を撮っている人は絶対数が少ないので、なかなか付き合う相手が見つからないんでしょうねえ。


  今のところ、人形の所以外は、まだ粘ってみようかなと思っているのですが、見通しは暗いです。 結局は、疎遠になって行きそうな予感がヒシヒシと感じ取れます。 やれやれ、ネット交友の難しさは、何年やっても克服できないものですな。 楽しみよりも苦労の方が多くなってしまったら、続ける意味はないですからねえ。
 
Posted by mado at 07:28  | ネット観察 , ブログ運営

2008年10月26日

ブログ繁盛記

7.jpg  そういえば、ここもブログですが、週に一度の更新以外、何の管理もしていない為に、すっかり打ち忘れていました。 最近では、アクセス・ログのチェックも滅多にしなくなり、「読むなり焼くなり、好きにしとくれ」という、ブログ作者としては、不謹慎極まりない心境に至っています。 だからねえ、私には、ここがブログだという認識が無いんですよ。 元々が、個人サイトの時事コラムからスタートしたので、未だにその延長のような気分なのです。

  昨今、何とかして、インターネットの世界から、もっと大きな利益を得られないかと模作しているのですが、なかなか有効な利用方法が見つかりません。 誤解が無いように言っておきますと、私が求めている利益とは、アフィリエイトによる収入といった金銭の事ではなく、幸福感や満足感の事です。 ネットで金を稼ごうとしている人達も、実際にいるようですが、とんでもないね。 そんないい加減な収入源に頼っているから、いつまでも生活が安定しないんですよ。 個人利用者にとってのネットとは、≪オフの場≫と考えるのが妥当でしょう。 心を豊かにする為に使うべきなのであって、金を儲ける所じゃありません。 そういえば、ネット・トレーダーを気取っていた連中は、今回の株価大暴落で、真っ青げっそりしてるんじゃないの? 遊びの道具で金を稼ごうとしたバチが当たったのですよ。

  おっと、早くも脱線しましたが、それでその、ネット上から幸福感や満足感を得るにはどうしたらいいかと、暇さえあれば考えているわけです。 今までのネット生活で、最も楽しかったのはどんな時かというと、初めて個人サイトを立ち上げた時でしょうな、やっぱり。 一日で思いついて、一晩で作ったペット・サイトでした。 当初のコンテンツは、写真と掲示板だけ。 同じペットを飼っている人達と話すのが面白くて、「掲示板こそ、ネットの醍醐味だ!」と思い、掲示板オンリーで始めたのです。 それ以前に、ゲストとして出入りしていた所が10ヶ所くらいあったので、その人達が来てくれて、結構繁盛しました。 思い返すと、ほんの半年ほどだったけど、あの時期は充実していました。 毎日、家に帰って、どんな書き込みが来ているか、確認するのが楽しくてねえ。

  ただ、日当たり5件前後の書き込みが入るようになると、レスを書くのが苦痛になってきました。 一人当たり、15行くらい書いて来るので、レスもほぼ同じ文量を返す事になり、それが5件も溜まってた日には、一日3時間書いてもおっつかないというわけです。 その上、更新もせにゃならんし、お礼の巡回にも行かなきゃならん。 もう、拷問ですな。 結局、疲れてしまい、人の癇に障る事を書き込んで来る奴ら(全員、若い男)に対し、何度かキレている内に、ゲストはほとんどいなくなってしまいました。 キレた事だけが原因ではなく、意見の相違が際立ってくると、こちらも相手のサイトに行かなくなるので、どうしても交際が細ってしまうんですな。

  お客が減った時は、寂しいな、惨めだなと思うと同時に、「これで、地獄の日々から解放された」とホッとしました。 いくらなんでも、レスを書くのに一日3時間も費やすのは異常な生活ですけんのう。 今、このブログは、コメント・トラックバック共に拒否していますが、過去の苦い経験から教訓を得ているという理由もあります。 コメントを貰う嬉しさより、レスを書く苦痛の方が上を行くと、ほとほと懲りたのです。

  よそのブログを見ると、一記事当たりのコメントが30件、レスを足すと、60件もコメント・カウントが行っているような所がざらにあって、他人事ながら心配になってしまいます。 掲示板の書きこみに比べ、ブログのコメントがいくら短いといっても、2・3行はあるわけで、一日に30件もレスを書いていたら、他に何もできますまい。 こういうブログを運営している人というのは、たぶん、フリーターとか、専業主婦とか、ひきこもりとか、そういう人達なんでしょうな。 勤め人が、そんなに時間が取れるかってーのよ。

  でもね、ネットから何かしら幸福感・満足感を得ようと思うと、いつも、その、サイト立ち上げ直後の、殺人的に忙しかった日々を思い出すのです。 苦しいと分かっている一方で、あの盛り上がりの高揚感を忘れられないんですな。 気がつくと、「もう一度、あんな日々を送ってみたいなあ」などと夢想している自分を発見し、慌てて打ち消したりしているのです。

  新しいサイトを立ち上げる気は、もはや毛頭ありませんが、ブログなら、直ぐに作れます。 無料サービスがいくらもありますから、選びたい放題。 ブログのテーマを何にするかなど、考える必要もありません。 ストックしている写真でもアップして、テケトーな文章を添えておけば、内容としては充分でしょう。 ブログ・サービスを探す所から初めて、初回の記事アップまで、二時間もあればお釣りが来そうです。

  ここ二三週間ほど、木曜金曜頃になると、新しいブログの構想を練り始め、「よし、週末になったら、ブログを開設しよう!」などと考えては、ささやかな希望にしている有様。 だけど、実際には、週末を迎えても、ブログを作ったりはしません。 いざ作る段になると、現実に引き戻されてしまって、「そんなもん作ったって、運営できるもんか!」と没にしてしまうのです。

  個人サイトでもブログでも、基本的に、お客が呼べないのでは、作る意味がありません。 ところが、現在のネット社会の状況では、来る客の質に期待が出来ないのです。 繁盛しているブログの客層を見ると、ホストと話をしに来ているのは、ほんの一握りに過ぎず、大部分が、自分のブログの宣伝に来ている連中です。 第一回目のコメントにしてからが、「初めまして」で始まるのではなく、どこに打ち込んでも通用するような適当な誉め言葉に、「私のブログにも遊びに来て下さい」という結句を添えたもので、純度100%の宣伝コメントなのだから呆れた話。

  また、ホストの方も、それが宣伝だと分かり切っていて、微塵も意に介さず、誰に対しても通用するような適当なレスを返しています。 そもそも、そこのホストにしてからが、自分のブログを宣伝する為に、閲覧者数が多い他のブログにコメントを打って回っているのであって、相互扶助で、訪問し合って、共存共栄しているという寸法なのです。

  見ていると、あざとい集客手法を使っているんですよ。 とある、花をテーマにした写真ブログですが、自分がアップした花の名前をネット検索し、同じ花について最近触れたブログを見つけて、同じ文面のコメントを片っ端からコピー貼付して行くのです。 初対面でも、お構いなし。 そういう場合、レスなんぞ期待しておらず、自分の所にコメントを打ち返してくれる事だけを狙っているわけです。 これならば、時間が許す限り、交際相手をいくらでも増やせますわなあ。

  しかし、そういうのをネット交友と言いますかね? 「まあ、綺麗な花ですね」って、書いてあっても、それは、実際にそう思って書いているのではなくて、元から用意されていた単なる修辞に過ぎないのです。 他人に送っているのと同じ文面のコメントを貰って、嬉しいですかね? そんなの、宣伝メールと変わらないじゃん。 悪意は無いかもしれませんが、そんな事は問題ではないのであって、善意が無いだけでも、ネット交友の相手としては、確実に不適格ではありますまいか?

  大体、ゲストが30人もいたのでは、誰がどんなブログをやっているのか、記憶し切れますまい。 コメントもレスも、言葉はあっても意思は無く、空虚な社交辞令のやり取りに過ぎません。 しかも、そんな意義の無い事をする為に、毎日毎日、殺人的に忙しいのです。 閲覧者が増えようが、ブログ・サービス内でのランキングが高くなろうが、苦しみが増すだけでは、何のため運営しているのか分からないではありませんか。 苦しいのにやめられないというのは、もはや、心の病ですな。

  そうそう、他にも、アクセス数を増やす手法があるらしいです。 ほとんどの不定期客は、検索で来るので、その時々の、≪検索ワード・ランキング≫を調べ、記事の中に、その言葉を入れるのだそうです。 たとえば、話題になっているニュース・ネタとか、アイドルの名前とかを。 すると、誰かがその言葉を検索した時に、自分のブログが引っ掛かり、見に来て貰えるという仕組み。 ああ、そりゃ、確かに来そうだよねえ。 極端に言えば、≪検索ワード・ランキング≫をテーマにしたブログを作り、毎日、ランキングの上位20語を、引用という形でアップして行けば、とてつもない数のアクセスが得られるという事に・・・・。

  おいこら、早速やろうとしているあなた、馬鹿な事はやめなされ。 そんな詐欺同然の手法で集めた客に何の価値があるんだね? そういう客と、何を話すんだね? ほとんど興味がないニュースや、顔も知らないアイドルの話題で、どうやって盛り上がろうというんだね? 君ゃあ、一体、何の為にブログをやっておるのだね? 同好の士との交友が目的ではなかったのかね?

  あ、ちなみに、アクセス数を増やす為に、頻繁に更新するという手法は、もはや、ほぼ完全に効力を失ったようです。 ブログ・センターを利用する人がいなくなっちゃったからねえ。 RSS機能も、使いこなしている人が、どの程度いる事やら。 トラックバックの概念すら理解できないのに、RSSが分かるとはとても思えません。 ごく最近ブログを始めた人には、頻繁更新がまだ効くと思っている人が多いようですが、一日に何回更新しても、大して閲覧者が増えないでしょう? 努力は涙ぐましいですが、そんな事にエネルギーを注ぐ暇があったら、他のブログを見て回り、話の合いそうな人の所にコメントを打った方が良いと思います。

  他人の事はさておき、私はどうすりゃいいんですかねえ。 今後も毎週、木金に新しいブログを構想し、土日に諦めるパターンを繰り返すしかないんでしょうか? 実際に作ったとしても、お客の相手をする気が無いので、誰も来ず、結局すぐに飽きてしまうと思うんですよ。 実は、そうやって、思いつきで作って、放り出したブログを、三つばかり持っているのです。 作った私が、中身に飽きてしまっているので、もはや、更新する気にもなりません。 新しいブログを作るにしても、その前に、この三つを処分せねばいかんなあ。

  しかし、考えてみると、この≪心中宵更新≫は、奇妙なブログといえば奇妙なブログですな。 お客は無視、しかも週一更新に過ぎないのに、日当たり50〜100人くらいの閲覧者が続いているのは、不思議を通り越して、不気味です。 一体、どんな人間が読んでいるんですかねえ? ≪リコーダー≫で検索して来る人が結構いるようですが、いざ来てみたら、廉価版ばかりなので、肩透かしを食らっているのではありますまいか? 期待外れで、申し訳ない。
 
Posted by mado at 06:49  | ブログ運営

2008年09月28日

ブログと写真

2804.jpg  ブログも、サービスによって、随分と能力が違うようですな。 特に差が際立つのが、最大容量でして、プロバイダーのホームページ提供サービスの中に繰り込まれていて、20メガしかないような所もあれば、無料で3ギガまで使えるような、太っ腹な所もあります。 文章は相当ぎっしり&しょっちゅう書いても、最大容量を気にするほどにはなりませんが、問題は画像ですな。 写真は重いので、20メガなんぞ、すぐに埋ってしまいます。

  ブログが流行り出した頃は、どこも容量が少なくて、文章中心が多かったんですが、今では、ギガ・クラスのサービスを利用して、写真サイトも顔負けの、膨大な数の写真をアップしているブログもあります。 モニターいっぱいに広がるくらいの大きな写真を、一回に20枚も入れて、それをほぼ毎日更新しても、一・二年は大丈夫というのだから凄い。

  いや、今回は、ブログ・サービスの話をしようってんじゃないんですよ。 ブログに大量の写真を出している人達の、写真の腕の方の話です。 ≪質より量≫という言葉がありますが、量が多いと、決まって、質の方は良くないのです。 あ、今までにも、写真に関する記事を何度か書いていて、それらと重複する内容が出て来るかも知れませんが、まあ気にせず、適当に読み流して下さい。

  フィルム時代に比べると、写真を撮る人が増えたのは確実です。 昔から好きな人はいたわけで、写真関係のマーケットはもともと大きかったですけど、デジカメ時代の特徴は、写真術を究めようと志したわけではない普通の人でも、≪芸術写真≫を撮るようになったという事ですな。 芸術写真と言うと誤解を招きそうですから、≪作品写真≫とでも言いましょうか。 家族の記念として撮る、≪家族写真≫と区別して、作品として他人に見せる事を前提にして撮る写真の事です。

  こういう写真は、フィルム時代には、写真趣味のある人しか撮りませんでした。 それが今は、サイトやブログを持っている人で、作品写真を撮った事がない人など、一人もいますまい。 時代は変わったんですねえ。 なぜ、作品写真を撮る人が増えたかというと、発表する場所が出来たからに外なりません。 フィルム時代には、自分が撮った写真を人様に見てもらおうと思ったら、雑誌のフォト・コンに望み無き投稿を繰り返すか、地元の写真クラブに入って、高い年会費と引き換えに、発表会の展示スペースを確保するしかありませんでした。 ネット時代になり、誰でも発表の場が持てるようになった事は、写真趣味に於ける最大の革新なんですな。

  デジカメも、2002年頃までは、メモリー・カードの容量が小さくて、一回の撮影行に、20枚くらいしか撮れず、「これじゃ、フィルムと変わらんな」と思っていたものですが、その後、大容量化したメモリー・カードが価格破壊し、100枚分くらい楽に入る物が千円そこらで手に入るようになると、使い勝手が格段に上がりました。 残りの枚数を気にしなくて良くなったのは、写真趣味に於ける二番目の大革新ではないかと思います。

  ところが、あまり急激に条件が改善されると、逆の弊害も出てくるわけですわ。 作品の質が落ちたのです。 ネット時代幕開けの頃、写真サイトを作っていたのは、程度の差はあれ、一度は写真術を究めようと志した事がある、そこそこ腕に覚えがある人達だったのですが、現在、大容量ブログに気軽に写真をアップしまくっているのは、そういう経歴の人達ではないのです。 「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」式に、手当たり次第に撮りまくった写真を、良いも悪いも選り分けず、「せっかく撮ったんだから、全部載せよう」という調子で、片っ端からアップしているのです。

  すっごいですよ。 ピンボケ・ブレボケ、当たり前。 水平・垂直、どうでもよい。 頭切れずに顎切れた。 露出は滅茶苦茶。 画面の半分が真っ白く飛んでいても、気にしない。 「夜景を撮ってみました」って、ブレブレで何が写っているか分からない。 手持ちで夜景が撮れるわけねーだろ。 はたまた、どでかい画面に、ちーいさい花が、ちんまり写っていたり、「花なら、何でも綺麗」と思っているのか、萎れて変色した花を撮ったり。 中でも、見ていて一番苦痛なのが、何を撮ろうとしたのか分からない写真でして、中心になる対象が無いのです。 もはや、芸術の冒涜以外の何ものでもない。

  この種の問題点ですが、写真の撮り方について書かれた本を一冊読むだけで、八割方は解消します。 本当に基本的な技術を知らない為に、起こっている失敗なんですな。 残りの二割は、プロやハイ・アマチュアが撮った写真をたくさん見る事によって、解決する事が出来ます。 いくら気軽に取れるようになったといっても、写真はやはり芸術ですから、まず審美眼を養わなければ、自分でも良い物が撮れるようにはなりません。 その時まずいのは、下手な人の作品ばかり見て、「ああ、この程度でいいのか」と思い込んでしまうことです。 「これくらいなら、自分にも撮れる」と自信を持つことは大切なんですが、その基準になっている作品のレベルがあまりに低いと、却って有害なのです。

  カメラの性能が上がっているので、下手な人でも、偶然うまい写真が撮れる事はあるわけですが、下手の下手たる所以は、うまく撮れた写真と、駄目な写真の判別が出来ない点にあります。 ブログに大量にアップしている写真の中に、しょーもない写真が混じっていて、「失敗写真ですが、ここで撮った物が他に無いので、やむなく載せます」といった、言い訳文がついてない場合、当人に判別眼が無い証拠ですから、その人と写真の話はしない方が良いと思います。 いや、その人が撮った写真も見ない方がよいくらい。 悪い手本ほど、上達の足を引っ張る要素もありません。

  なにが凄いって、マクロ・モードのまま風景を撮ってしまったとか、その逆とか、誰がどう見てもボケボケなのに、それを平気でアップする神経ですな。 これは、もはや、基礎技術がどうのこうのといった次元の問題ではなく、その人物の性格に重大な欠陥があると見るべきでしょう。 ボケ写真を見せて、誰にどんな感動を与えようというのか、一度、腹を割って訊いてみたいものです。 返答次第によっては、腹を切ってもらっても宜しい。 介錯仕る。

  わざとボカした写真が好きで、そんな作品ばかり出している人もいます。 確かに、高齢の女性を撮る時に、皺やシミが目立たないように、ボカす事はありますが、それはポートレートの話です。 風景でボカしを入れられると、見ている方が恥かしくなります。 プロの作品に先例が無いわけではありませんが、いわゆる、古い技法なんですな。

  あと、モノクロばかり並べている人。 モノクロ写真は、独特の雰囲気になりますが、はっきり言って、今モノクロ写真を作品としてネットに出している人達は、腕が悪いのをごまかす為の技法として使っています。 この人達、判別眼はあり、自分の撮った写真が良くない事はわかるのです。 それをある時、モノクロに変換してみたら、「おやおや、面白い雰囲気になった!」というので、それ以降、モノクロに嵌まってしまったわけですな。 何の感興も湧かないようなカラー写真でも、モノクロにすると、それなりに作品らしく見えるようになるからです。 だけど、それは、結局ごまかしですぜ。 そっちへ行ってはいかんなあ。 せっかく、判別眼があるのだから、カラーで良い写真が撮れるように、努力を重ねるべきでしょう。

  少し、レベルの高い話になりますが、実を言うと、ハイ・アマチュアの作品も、あまり持ち上げない方がいいです。 彼らは、プロの写真と見分けがつかないくらい高度な作品を撮りますが、なぜプロになれないのかというと、模倣の域から出ていないからです。 プロになるには、単にレベルの高い写真が撮れるだけでなく、その人にしか撮れない写真が撮れなければなりませんが、その独自性が欠けているわけですな。 ハイ・アマの中には、時折、報酬を貰って写真を売っている人がおり、こういう人達は、セミ・プロというカテゴリーになります。 写真で収入を得ているわけではないけれど、人様がお金を出して作品を買ってくれる、特別なレベルなわけです。 この人達の作品なら、手本にする価値があります。

  ネットを見ていると、「ハイ・アマの先生に弟子入りした」などと書いている人が、稀にいます。 本来は、作品を見て手本とすべきなんですが、「手っ取り早く、当人に教わってしまえ」というわけなんでしょう。 そして、そのハイ・アマの先生が教えてくれた撮影スポットへ行って、全く同じような写真を撮っているのです。 だけどねえ、芸術活動はそういうものじゃないと思いますよ。 模倣から始めるのはいいですけど、模倣で完成してしまうのはよろしくない。 それはあくまで模倣技術に過ぎません。 基本だけ習ったら、他人の作風を真似るのはやめて、自分の独自の世界を探求して行った方がいいでしょう。

  それにつけても、一日に20枚も、何が何だか分からん写真をアップされると、見る方には拷問ですな。 ブログの写真は、大抵、サムネイルで表示されているので、クリックして原寸大を確認せねばならんのが面倒臭いだけに、わざわざ拡大したのがクズ写真だと頭に来ます。 なめとんのか、われ。 


  貶してばかりもいるのも何なので、感心したブログについても触れておきましょうか。 目的意識があって写真を撮っている人は、うまい下手に関わりなく、作品に好感が持てます。 たとえば、いろいろな花の種類を撮り集めている人とか。 植物図鑑に近いようなブログを目指しているらしく、極力、標準的な外観の花を、分かり易く撮ろうとする為、破綻が少なく、結果的に良い写真になります。

  屋内で、ブツ撮りをする人も、かなりいい写真を撮ります。 部屋の中での撮影は、ライティングが難しいんですが、他人の目を意識せずに済む分、カッコよりも、実用的な工夫の方にエネルギーが回るのか、「へえ〜っ!」と驚くような、精緻な写真を撮っています。 風景ばかりが写真じゃないんですな。 おそらく、布や紙を使って、ミニ・スタジオを構築しているものと思われますが、やる人はやるんですねえ。 感服仕る。

  ところで、写真を撮り始めて間も無い人で、近所の児童公園などに出かけていって、他人の子供を撮っている人がいますが、そんな事していて、手が後ろに回っても知りませんぜ。 聞いた事くらいはあると思いますが、この世の中には、≪肖像権≫というものがありまして、他人を許可無く撮影すると、それを侵害してしまうケースがあります。 堂々とやっていても、盗撮と同じ扱いを受けかねません。 フォト・コンやハイ・アマの作品などで、人物を撮った写真が出ている場合、大概は、家族・親戚・友人など、撮ってもいい相手を撮っているのであって、勝手に撮影した他人ではないので、ご注意あれ。 だからねー、人間ていうのはなかなか撮る機会が無いのよ。

  観光地へ行けば、他人が入った写真を無許可で撮れますが、それとて、後姿や点景人物として撮るのがギリギリのラインでして、相手がこちらに気付いたら、ちょっと不穏な話になります。 カメラの方を見ている大人の男などがいたら、要注意であって、一旦カメラから体を離して、そやつが視線を逸らすのを待つか、もっと切迫している場合は、撮影を諦めて、慌てず騒がず、熊から逃げる時の要領で、静かにトンヅラした方が無難。 「おい、おまえ、何を撮ってる?」と寄ってきたら、もうアウトですな。 昔だったら、「フィルムを出せ!」でしたが、今は、「メモリー・カードを出せ!」となりますから、えらい損害になります。 カードなんぞ、パキッと割るくらいわけはない。 明らかに器物損壊ですが、警察を呼んで裁判沙汰など起こしても、こちらにも盗撮の容疑がありますから、さっぱりするような解決にはならんでしょう。 とにかく、悶着は避けるのが一番です。


  写真の話なので、ついでに書きますが、最近、ソニーの一眼レフのCMで、岡田准一さんが手持ち撮影をしている映像が流れています。 モニターの機能を説明する為に、ああいう使い方を見せているわけですが、実際には、一眼レフをあんな風に使うのはナンセンスなので、騙されてホイホイ買わないように。 安いものじゃないんだから。

  一眼レフをロー・アマが買う場合、大抵リーズナブルなレンズ・キットを選びますが、レンズ・キットのレンズは、ほとんどズーム・レンズなので、カメラ本体と合わせると、1キロ近い重さになります。 そんな物を片手で持っていたら、腱鞘炎になってしまいます。 CMをよくよく見れば、岡田さんの手が微妙に震えているのが分かりますが、重いのだから当然です。

  また、CMの舞台が、住宅地の中のような場所ですが、そんな所で一眼レフなんぞ持って撮影していたら、近所の人がどう思うか、ちいっと想像してみれば分かろうというものです。 コンパクト・デジカメどころか、カメラ付き携帯ですら、ヒヤヒヤするロケーションではありませんか。 あのCMを企画した連中、写真を撮りに行った事が全く無いのではありますまいか。

  もう、何度も何度も書いているんですが、一眼デジカメという機械は、ロー・アマでは使いこなせませんから、買っても無意味です。 ロー・アマが一眼デジカメで撮れる写真は、コンパクト・デジカメですべて撮れるばかりでなく、軽くて小さい分、コンパクト・デジカメの方が、ブレの少ない良い写真が撮れます。

  メーカーもメーカーですな。 合わないと分かっていて、知らぬ顔で売っているわけですが、先々の信用を考えず、目先の利益に囚われているとしか思えません。 背伸びして一眼デジカメを買っても、重い器材を持ち歩くのは大変ですから、だんだん出不精になって、その内、写真趣味そのものが嫌いになってしまいます。 それが、カメラ・メーカーの得になるとは到底思えないんですが、そこの所をどう思っているんでしょうねえ。

  また、デジカメの場合、最新機種を買っても、一年もしない内に次が出てしまうので、ほとんどの人がカタ落ちを使っている事になり、特定機種の良し悪しについての話題が、成立しなくなってしまいました。 値段が値段ですから、新型が出るたびに買い換えるわけにも行きますまい。

  一眼デジカメは、手持ちで使う機械ではなく、三脚必須だと思っているくらいがちょうどいいです。 三脚を使える場所は限られていて、街なかや住宅地は、全域不可。 郊外の農地とか、山の中とか、海辺とか、川岸とか、人が近くにいないような場所でしか堂々と据えられません。 テーマ・パークや景勝地などの観光地ならOKですが、やはり他人には気をつけないと、「おい、おまえ・・・」になります。

  最近は、植物園で、「三脚使用不可」という所が出てきました。 花壇の中に三脚の脚を突っ込んで、花をマクロ撮りする奴がいるので、他のお客からクレームがついたんでしょう。 三脚を実際に使ってみると、何かと制約が多過ぎて、撮りたい物の五分の一も撮れない事に気付きます。 三脚使用に制約が多いという事は、自動的に、一眼デジカメにも制約が多いというわけです。

  一眼デジカメを買うなとは言いませんが、まずコンパクト・デジカメで出来る事をすべて試してからにしても遅くはありますまい。 そして、一眼まで試した後、両者を比べてみれば、写真の出来にはほとんど差がない事が分かるはずです。 そうなれば、コンパクトの方が断然使い勝手がいいです。


  余談の余談ですが、一眼デジカメと交換レンズの組み合わせは、複雑過ぎて、当のメーカーですら、どう説明していいか分からなくなってしまっているようですな。 「このカメラに、このレンズを着けた場合、この機能は使えません」といった注意書きが、ずらりと並んでいると、頭がくらくらしてきます。 どうして、こんなに煩雑にする必要があるのか、必然性が思い当たりません。 合理的思考と、顧客に対する責任感があるなら、一眼デジカメは全廃し、高倍率ズーム機をフラッグ・シップに据えるべきでしょう。
 
Posted by mado at 06:24  | ブログ運営 , 趣味

2008年03月09日

末期ブログ時代

4.jpg  どうも今年に入った辺りから、閲覧者数が増えてしまって、気味が悪くて仕方ないです。 前にも書きましたが、ブログの閲覧者などという者は、100%が閑人です。 その内、まともな人物で、たまたま閑だから、「他人のブログでも読むか」と思い立った人は、せいぜい1割くらい。 残りの内、3割は主婦層で、この人達はまあいいとして、最後の6割は、≪ネットの三無能≫と私が呼んでいる、学生・フリーター・ひきこもりのクズどもです。 そんな連中に読んで貰ったって、ちっとも嬉しくないばかりか、はっきり言って迷惑です。

  ひきこもりは端から問題外として、学生やフリーターは、本分に励んでいるだけなら何ら問題は無いんですが、ネットにしゃしゃり出て来ると、自分が半端者である事を棚に上げて、ろくでもない事を書き捲り、他人を傷つける事にのみ無上の喜びを覚えるという、クズ中のクズと化します。 こういう連中に限って、政治発言が三度の飯より好きで、馬鹿丸出しの外国攻撃などやっている掲示板やブログに、うにょうにょ集まって来て、最低レベルの基礎知識も欠いているくせに、扇動漫画や新聞記事から拾い集めた稚拙な単語を、誤用だらけに並べ立て、一端の論客ぶって悦に入っているわけですが、書けば書くほど手前の馬鹿を宣伝しているようなもので、その醜態には吐き気すら覚えます。 大体、学生やひきこもりは、税金すら払っていない社会のお荷物なのであって、政治発言など、寝言以外では許されないような無資格者ではありませんか。 この馬鹿どもめ! 世間に何か言いたかったら、まず税金を払え!

  閲覧者というものは、少なければ少ないほど、まともな人間の割合が増える傾向があり、個人ブログなら、一日10人くらいが望ましいと思います。 「一度でいいから、炎上するほどお客に来て欲しい」などと望んでいるあなた、とんでもない料簡違いですよ、そんな欲望! 炎上ブログに集まっている客なんぞ、正真正銘の人間のクズです。 クズに来て貰ったって、何の価値やあらむ! 「つきあいが大切だ」などといって、コメントを受け入れにして、真面目にレスを書いているあなた、くっだらない! クズに返事を書くなど時間の無駄です。 人生の無駄です。 レスなど書く時間があったら、マスでも掻いていた方が、まだ有意義です。 いや、至って真面目な話。

  それが証拠に、トラックバックの使われ方を見れば分かるでしょう。 本来の用途など無視して、ほぼ全て、自分のブログを宣伝したいがために、一方的にリンクしているだけではありませんか。 本来の用途がちょっと複雑なので、論理が分からない日本人には理解できず、≪トラックバック=宣伝リンク≫と思い違いしているという可能性も濃厚ですが、いずれにせよ、クズか馬鹿かの違いに過ぎず、ありがたがるような客じゃありません。 宣伝リンクに利用されているだけなのに、「トラックバックしていただいて、ありがとうございます」などと礼を言っている人もいますが、ありゃ、やられた方もトラックバックが何なのか分かってないんでしょうな。 無知とは憐れなものです。

  だからよー、トラックバックが入ったら、入れた奴のブログへ行って、自分が書いた記事や自分のブログについて触れているかどうか、確認せえっつーのよ。 まーず、一言も触れていないから。 そんなのは宣伝リンクなんだから、にべもなく削除すべきなの。 ありがたがって、礼を述べている場合か! ・・・・と言っても、トラックバックの本来の用途が理解できないんだから、どうしょもないか。 ああ、理解力が足りないというのは、救い難い知能上の欠陥なのだなあ。 外国でも宣伝リンクは行なわれていますが、トラックバックではなく、コメントの方へ入れるのが普通です。 トラックバックと宣伝リンクを区別できないのは日本人だけ。 溜息が出るほど情けないのう。 とにかく、ブログ・サービスのセンターへ行けば、≪トラックバックとは≫という解説文が必ず載っていますから、それを読みなさい。 それでも分からなきゃ、もう諦めて、ずっと他人に利用されてなさい。

  おっ、何の話だったっけ? そうだ、このブログの閲覧者が増えすぎたという話でしたな。 でねー、本来、こういう随想型のブログに、そんなにお客が来るわけないんですよ。 他人が何を考えているかなんて、普通は興味持ちませんからね。 じゃ、どういう連中が来て閲覧数が増えたかと推測すると、たぶん、私がたまに書く、国際政治関連の話題に食いついてきていると思うんですよ。 もちろん、前述した通り、読んでいる人間の6割はクズですから、良い意味でではなく、悪い意味で興味を持っているに違いありません。 見ての通り、私はコメントもトラックバックもオフにしているので、直接の被害はなく、至って涼しい顔で運営しているわけですが、他のブログで、「≪心中宵更新≫というブログで、こんな事をほざいている奴がいる」と紹介して、吊るし上げる事なら出来ますから、大方それをやられているんじゃないかと思うんですな。 くっくっく・・・・・やりそうな事だよね、クズどもの。 頭が弱くて、自分じゃ何も思いつけないものだから、他人の吊るし上げに情熱を注ぐしかないという憐れさよ。

  また、逆方向ですが、私が書いた文章をパクっているパープーもいると思うんですよ。 私のところに限らず、他人の文章をコピー貼り付けして、自分のブログを更新している不埒者というのは、実際にたくさんいるようです。 ブログというのは、更新頻度が高ければ高いほど閲覧者が増える仕組みになっているので、更新する為なら、他人の書いた文章でも平気で利用するという泥棒野郎が出て来るんですな。 全くそのまんまコピーする低能な奴もいれば、≪しかしの所を、だがに変え≫式に、部分的に置換して偽装する、チンパンジー程度には知能のある奴もいます。 更に段階が上がると、元の文章のテーマや内容はそのままに、自分の文体で全面的に書き直すという奴も出て来ます。

  一口に文才といってもいろいろな段階がありまして、文章の内容は考えられないけれど、自分の文体だけは持っていて、人の書いた文章を自分風に書き直す事なら得意という半端な輩がいやがるのです。 画才の方でも、自分のオリジナルの絵は駄目だが、模写は得意とか、有名画家のタッチを真似て贋作を描けるとか、そんな才能だけある人がいますが、文才にも、似たような階層が見られるわけです。 こういう連中の困ったところは、盗作もしくは盗用しているという意識が希薄で、「アイデアのヒントを貰った」くらいの位置づけをしており、罪の認識を持っていない事です。 盗用を指摘されて、必ず言い返すセリフが、「どんな人でも、他人が書いた物を参考にして、そこから出発するんじゃないですか」という開き直り。

  だけどよー、「あ、これじゃあ、ほとんど内容丸写しだな・・・・」と、自分で分かるだろう? 分かった時点で筆を置けよ。 天はお前に文章を書く事を求めていないんだ。 他に自己主張の途が無いから、やるなと言ってもやるだろうが、お前のやっている事は、子供の塗り絵と同レベルだという事を、常に忘れないようにな。 どんなにうまく塗れても、それが芸術作品はもちろんの事、独自作品にもなり得ない事は分かるよな。

  そうそう、パクリ関係の余談ですが、とてつもなくひどい例になると、日記をコピー貼り付けでパクる馬鹿もいるようです。 他人の日記をですぜ。 「そんなのもはや、自分のブログでもなんでもないではないか!」と思うでしょう。 でも、やってる奴にはそんな事はどうでもいいらしんです。 とにかく、閲覧者数を増やしたいというその目的だけで視野狭窄に陥っていて、頻繁に更新する為なら何でもやるというのです。 こりゃもう、病気だね。

  そもそもブログが、個人サイトより受けたのは、ブログ・サービスがセンター・サイトを持っていて、そこへアクセスする利用者に、最近更新が行なわれたブログを自動的に紹介表示する機能があったからでした。 この機能がなければ、個人サイト同様、≪存在しているが、誰も知らないから、誰も来ない≫という憐れなブログが大半を占めて、ブログがこんなに増える事は無かったはずです。 この紹介機能を最も有効に活用する為には、頻繁に更新するのがベストだったわけですが、今は状況が変わりました。 ブログ・センターを利用する人間が極端に減ったのです。

  この≪心中宵更新≫にしても、ブログ・センターから来る人は、週にほんの数人です。 ほとんどの閲覧者は、単語検索や、上述した≪悪い噂≫を辿ってやって来るか、パクリ目的の常連です。 センターで紹介されたいが為に、中身も無いのに、更新を繰り返すやつらがうようよ出て来て、紹介機能を麻痺させてしまったのでしょう。 私もたまーに、センターの≪最近更新されたブログ≫を覗くんですが、題名につられて行ってみると、ほんの一二行、意味は分かるが意図不明の文が書いてあって、過去ログを遡ると、そんな記事ばかりが頻々と更新されているような所があり、一気にアホ臭くなってしまいます。 もちろん、読む価値などありません。 そんなのばかり増えて来れば、そりゃ誰もセンターを使わなくなるわなあ。

  4年くらい前、ブログが流行り出した時、「自己表現の手段として、個人サイトより遥かに大きな可能性がある」なんて褒めちぎられていたものですが、今となっては戯言もいい所ですな。 個人サイトの時は、コンテンツが必要だった為、みんな必死で、無い知恵絞って、お客が興味を示しそうなコンテンツを考えたものです。 一方、ブログでは、最初からそんな努力が不要だったから、どいつもこいつも、テケトーな記事書いて、だらりんだらりん更新し続けている内に、駄文の掃き溜めのようになってしまい、もはや個人サイト以上にゴースト化が進んでしまったわけです。

  そもそも、プロの作家ですら、編集者にせっつかれ、読者の反応に怯えつつ、毎回毎回キンキンに緊張しきって文章と格闘しているのに、名も無い素人がビロンビロンに弛緩しきって書いたような文章が、いつまでも人の興味を引き続けられるわけがないんですよ。 ブログなんて、長く続いている方が、おかしいのです。
 
Posted by mado at 08:22  | ブログ運営 , ネット観察

2006年10月22日

ブログの欠陥


2110.jpg  写真サイトの閲覧を続けている内に、ある事に気付きました。 サイトの運営を放棄して、ブログに主軸を移している管理人が尋常ならぬ割合で存在するのです。 写真を投稿するゲストとしては、管理人が画像掲示板を週に一度も確認しに来ないサイトというのは非常に気分が悪いです。 ネット活動をしていないわけではなく、ブログの方では毎日マメにコメントにレスを打っているから頭に来る。

  ホストからすると、サイトもブログも大差ないですが、ゲストにすると、ブログに送れるのはコメントだけですから、写真を送れる掲示板とは、全く質が違います。 ブログでの意見のやり取りは、ホストが完全に主導権を握っていて、ゲストは感想を述べるだけですから、至って地味。 画像掲示板の持つ双方向的な華やかさは微塵も感じられません。

  私自身ブログをいくつも持っていて、ブログの利点は承知していますが、こと写真の世界では、サイトのブログ化は退化以外の何ものでもありますまい。 ≪写真の見せっこ≫という、他のジャンルには無い特典を自ら捨てる事になるからです。 しかし、ブログ化の流れは本流のようで、とても食い止められるようなものではありません。 私が関わったのが遅すぎたか・・・・・。

  放棄同然のサイトがこう多くては、投稿して回っても、反応の悪さにイライラさせられるだけです。 今までに、五ヶ所投稿したんですが、その内の四人はブログを併設しています。 一人だけサイトのみですが、その人は打てば響くような早さでレスをくれます。 つまり、ホストがブログに傾倒すると、サイトなんぞ目もくれなくなるんですな。

  ブログの何が嫌だといって、ゲストが一生懸命コメントを書いても、所詮それはその記事限りの感想に過ぎず、次の記事がアップされれば何の価値も無くなってしまう事です。 記録としては残っていますが、ブログの過去記事のコメントを読んで、「すばらしい!」などと感心する人はいません。 私もよそのブログにコメントを書く時には、知識や情報など盛り込まず、どーでもいいような事をテキトーに書きます。 どうせ次の記事が出たら、沈没して誰も読まなくなりますから、凝った文章など書いても勿体ないだけ。 つまり、≪書き捨て≫であり、結果的に、≪書き損≫になってしまうのです。

  ブログ交際というのは、サイト交際に比べると、お話にならないほどいい加減なもので、同じ話をするといっても、友人と通りすがりの野次馬ほどの開きがあります。 逆に考えれば、そのいい加減さ故に気楽な書き込みが出来るとも言えますが、そういうコメントは、ホスト側から見て、どうなんでしょう? 気楽なコメントを書き込んで来る奴というと大抵若い男ですが、その主な動機は、≪同感≫よりも、≪揶揄≫の方が圧倒的に多いです。 「お、こいつ、面白い事書いてるな。 ちっと、からかってやれ」というノリで入ってくるのです。 そういうコメントを歓迎しますかね? 馬鹿にされてるんだよ。

  新聞の文化面など読むと、未だにブログが時代の寵児のように持ち上げられていますが、ブログの持つ欠陥はサイトよりも遥かに大きく、洋々たる未来などとても考えられません。 新聞記者というのは、本当に時代ズレしてるんですな。 自分でネット活動をしてないんでしょう? あんまり笑わせんなよ。 ブログは勝手放題な事を書けるので、サイトよりずっと自由度が高いように見えますが、勝手放題な事を書けるという事は、引っ繰り返せば、≪公論≫から遠ざかるという事です。 ブログは、作るのも、アップするのも簡単ですが、本来の目的である≪ネット交際≫には背を向けているのです。 これは明らかな矛盾であり、いずれ、ブログ社会は全面崩壊に向かうでしょう。
 
Posted by mado at 08:52  | ブログ運営 , ネット観察

2005年11月21日

お知らせ


2005112143af6ef8.jpg 作者の都合により、このブログは休止します。
 これまで訪問して下さった皆様に感謝いたします。

 尚、コラム 『心中宵更新』 は、最新記事のみ、サイト 『換水録』 で読む事が出来ます。
 
Posted by mado at 08:16  | ブログ運営

2005年11月02日

閑なればこそ 


200511021f494300.jpg  参りました。 仕事の方に波乱の気配があり、ネットに割く時間を減らざるを得なくなりそうです。 ああ、とうとう恐れていた時が来たか!

  思い起こせば、パソコンを買ってネットを始めたのは四年半前。 なぜ始めたかと言うと、他にやる事が無くなってしまったからです。 パソコンを買う前に私が何をやっていたか分かります? なんと、一年くらい、ジグソーパズルをやって無聊を紛らわしていたのです。 とことん、やる事がなかったんですねえ。 大の男が、ジグソーパズル以外やる事が無くなったら、もうおしまいです。

  ああ、そうそう、どうでもいい事ですが・・・・ジグソーパズルに入っている固定用の糊ですが、あんなもの、律儀に使うのはアホですぜ。 糊で固めなくても、千ピースくらいまでなら、フレームに入れておけば崩れません。 飽きたら崩してまたしまっておけばいいのです。 一度糊をつけてしまったら、おしまいですぜ。 おっと、本当にどうでもいい話をしてしまいました。

  それで、一年間ジグソーパズルをやっていたんですが、あんな物は出来ない人間の方がおかしいのであって、10個もやれば、直ぐに飽きます。 すっかり飽き切った私は、それまで禁じ手にしていたパソコンに、とうとう手を出したんですな。 なぜ、禁じ手にしていたかというと、その頃パソコンといえば、一財産潰してしまうような金の掛かる趣味と言われていたからです。 ケチが手を出す物ではないと思っていたのです。

  ああ、そうそう、どうでもいい事ですが・・・・今でもパソコンに莫大な金を投じている人はいると思いますが、アホな話ですぜ。 教科書通りに、様々な用途に使おうと思うから無限に金が掛かってしまうのであって、ネットだけならパソコン・セットと通信費以外掛かりません。 今パソコンと言えば、ネット専用機と考えるべきなのであって、オリジナルCDやDVD作りなんぞは、ガキのやる事です。 また、やたらとソフトを買いたがるのも馬鹿な傾向ですな。 何となくパソコン・ショップへは行きたいが、買うものが無いので、仕方なくソフトを買ってしまうんでしょうが、使いもせんものを買うのは、無駄遣いもいい所ですぜ。 そうそう、今でもパソコンでゲームをやってる、骨董品みたいな人がいるようですが、そんな暇があったら、ネットで世界へ羽ばたいた方がいいです。 ずーっと有意義ですから。 おっと、脱線しまくってますな。

  で、パソコンを買い、ネットを始めたのです。 最初は閲覧だけしていたんですが、少しずつ書き込みをするようになり、やがて、自分でサイトを作り、今年になってからはブログにまで手を出しました。 それもこれも、時間があったから出来た事です。 平社員の特権で、仕事が終わると何もせずに帰って来れたので、ネットに浸る時間が一日3〜4時間くらい取れたんですな。 この四年半の間に職場を一度移動しているんですが、移った先が古巣だったので、これまた勝手放題しまくって、仕事が終わると即座に帰って来ていたのです。

  それがここへ来て、工場長が変わり、あろう事か、QC活動が復活してしまいました。 あれは時間が掛かるんだ。 しかも月に一件がノルマですと。 出来るわけないだろ、そんなに! 毎日やらなければ追いつきません。 10年近くやっていなかったものが、どうして突然復活しやがるかね、まったく!

  時間が取れないのでは、サイト運営もブログ運営もとても手が回りません。 活動を縮小せざるを得なくなるでしょう。 正直言いますと、今までにも無理はしていたんですよ。 限界まで伸び切っていたゴムを更に引っ張る事になってしまったわけで、これはもう手を離すしかないというわけです。 どこを縮小するかは、なりゆき次第ですが、この心中宵更新も今まで通りというわけには行かないでしょう。

  ああ、何だか、働くのが嫌になってきますね。 いっそ会社なんぞ辞めてしまって、バイトでもして暮らしましょうか。 私の場合、世間体を保つために仕事をしているようなものなので、収入が半分になろうが、年金が減ろうが、そんな事はどうでもいいのです。 早く帰宅できないのが嫌で会社を辞めるというのも、随分と非常識な話ですが、別に今の会社で頑張ったって、誰が誉めてくれるわけでもないですけんの。 どうしたもんでしょうかね?
 
Posted by mado at 20:34  | ブログ運営

2005年08月28日

移転通知の取り消し

 ここは、一旦、閉鎖を決めたのですが、せっかく作ったブログですし、掲載する記事は同じなので、使い回す分には、大した手間にはなるまいと思い直し、しばらく続けることにしました。

 決断力不足で申し訳ありません。
 
Posted by mado at 22:25  | ブログ運営

2005年08月15日

移転通知

 開設間もないというのに、大変申し訳ありませんが、ブログ 『心中宵更新』 は、2005年8月15日をもって、下記のブログサービスへ移転しました。

http://mado0822.blogspot.com/

 随分、悪戦苦闘しましたが、文字コードの違いには勝てませんでした。 デザインとしては、ここの月夜が一番気に入っていたんですが、残念です。

 こちらは、閲覧者がゼロになりしだい、サービスを解約する予定です。
 
Posted by mado at 21:56  | ブログ運営

2005年08月14日

サービス乗り換え


2005081412a3d0e9.jpg
  私の夏休みも、もう終盤ですが、ブログとフランス語に振り回されています。

  私書箱代わりのブログを作り、コラムを使い回して、お気楽運営を始めたまではよかったんですが、そのブログが、肝心のフランス語に対応していない事が分かったのです。 フランス語は、母音の上にアクセント符号が付く場合があるんですが、その符号付き文字が全部文字化けしてしまうのです。 一度フランス語人の方にフランス語のコメントを打ってもらったんですが、表示がおかしくなっているのを見て、真っ青になりました。 返事を返すにしても、こちらの打つ文字も化けてしまうに決まってます。 さあ、困った。 これでは、『フランス語サイト・ブログ巡りの為の、私書箱代わり』 に作ったブログの存在意義がなくなってしまうではありませんか。

  エンコードをいろいろ変えて試してみましたが、すべて徒労。 『西ヨーロッパ言語』 にしても、『ユニコード』 にしても、もっとひどく化けるだけです。 ソースを変えれば、何とかなるものと思われますが、あいにく、ブログというのは、向こう任せに出来ているので、使用者側では、文字コードだけ変更するという事が出来ません。

  何がネックになっているかというと、ソースの冒頭の 『META・・・charset』 で指定してある文字コードが、日本語のサイトやブログでは、『shift_jis』 か 『EUC-JP』 になっているところがほとんどなんですが、フランス語を表示する為には、そこが 『UTF-8』 になっていないと駄目なのです。 一旦は、『DION』 のブログを諦め、『ヤフー』 の無料ブログに乗り換えようかと思ったんですが、念の為ソースを見てみたら、ヤフーも 『EUC-JP』 ではありませんか! うっわ、お先真っ暗だ・・・・。

  それから、ほとんど五里霧中・暗中模索という感じで、『UTF-8』 対応のブログサービスを探す旅に出ました。 在日フランス語人の人達は、軒並み、フランスやアメリカのブログサービスを使っていますが、料金が掛かる所がほとんどです。 由緒正しい吝嗇家である私としては、どうやって払ったらいいか分からないのもさる事ながら、私書箱代わりに使うブログの為に、百円だって払うのが惜しいので、そういう所は全部パスしました。

  「無料、無料・・・・」 と唱えながら、ようやく見つけたのが、『Blogger』 という所。 文字コードは、間違いなく 『UTF-8』! でも、アメリカのブログサービスなので、登録説明の九割が英語! ええい、そのくらいで負けるか! 読んでやろうじゃないか! という訳で、読んで読んで読みまくり、頭痛肩こり腰痛に見舞われつつも、何とかブログの立ち上げに成功しました。 中身は 『DION』 で作った物と全く同じです。 デザインも極力似せました。 しかし、些か難点もありました。

  まず、アメリカのブログサービスなので、当然ポータルセンターに来るのもアメリカ人が大多数なわけで、日本語の記事だけだと、読む人がいるかどうか大いに怪しいです。 次に、メニュー欄に 『最近のコメント』 が表示されません。 これは、前にも書きましたが、古い記事に付けられたコメントをチェックできないので、かなり不便です。 もしかしたら、表示させる方法があるのかもしれませんが、今の所見つかっていません。 そんなこんなで、何となく満足できないんですな。 できれば、日本のブログサービスがよいのですが・・・・。

  「日本のブログサービスで、『UTF-8』 を使っている所は無いのか?」 探した探した、一時間。 そしたら、ありましたよ。 『エキサイト』 という所が奇跡的に 『UTF-8』 だったのです。 試しにフランス語のコメントを打ってみると、ちゃんとアクセント記号が表示されます。 泣けましたね、この時は。 しかも、『最近のコメント』も表示されます。 捨てる神あれば、拾う神ありですねえ! 

  しかし、いい事ばかりではありません。 『エキサイト』 で用意しているページデザインがダサかったのには、げんなりしました。 ざっと100種類くらいあるんですが、みんな悪趣味で、ろくなのがありません。 黒一色さえ無いから頭に来ます。 仕方なく、紅葉の写真が入ったデザインに決めましたが、何度見ても、紅葉が邪魔な感じがします。 オマケに、掲載できる画像の最大容量も少ないです。 50メガまでなので、8×6センチくらいの画像なら1500枚は入りますが、『Blogger』 の方は10倍の500メガですから、この差は大きいです。

  どっちとも決めあぐね、現在、継続して検討中です。

『エキサイト』 http://mado0822.exblog.jp/
『Blogger』 http://mado0822.blogspot.com/

  デザインに固執しなければ、機能的には 『エキサイト』 の方が上ですが、本来の目的を考えると、『Blogger』 の方が、確実に他言語対応している分、安心かもしれません。 次回までには決定します。
 
Posted by mado at 03:56  | ブログ運営

2005年08月09日

観念的文章


20050809f3330b27.jpg  勢いでブログを作ったはいいけれど、運営方法の研究をほとんどしていなかったので、どうしたものかと、今頃になって思案投げ首しています。

  自分自身がよそのブログを見て回って、面白いと思う所の特徴というと、やはり内容の濃さでしょうか。 前にも書きましたが、ただの日記のような所は、どうにも興味が湧きません。 内容を吟味してある所は、やはり断然面白いです。 その代わり、ネタを探すのには苦労するでしょう。 週に二回程度の更新でも、かなりきついはずです。

  犬も歩けば棒に当たるくらいですから、どんな人でも数日に一回くらいは非日常的な出来事に遭遇するものですが、同じ事象を見ていても、観察眼がある人と無い人とでは、捉え方が全然違うんですな。 ブログの場合、サイトと違って、他のコンテンツが無いので、作者の観察力の違いがよりはっきり出てしまいます。 つまらないブログというのは、もう、とことんつまらないです。 読み手がどんな事を面白いと感じるかについて全く考えていないと思しき所も多く、そんな所を読み続けるのは拷問に近いです。

  文章が下手という人もいます。 私は普段、新聞や本など、プロの書いた文を多く読んでいるので、たまにド下手な文章を読むと、ムカムカして来ます。 長文を全く使わず、箇条書き風というか、ちょっとしたメモ風の文を繋げて文章にしている人がいますが、あれは携帯メールの作法なんでしょうか? 恐らく、携帯メールレベルの文しか書いた事がないのだと思われます。 文が書ける人は、「文章なんて、誰でも書けるのが当然」 と思い込んでいますが、実際には、「読めるけど、書けない」 という人は非常に多いです。 そういう人が、サイトやブログを作ってしまうと、悲惨な結果になるんですな。 携帯メールレベルの文で他人の興味を引こうと思ったら、内容が漫才のネタくらい面白くなければ、マイナス分を取り戻せないでしょう。

  ブログで割と強いのは、写真です。 これが入っているのといないのとでは大違い。 写真で文章の内容を補足しているとか、その写真に対する感想を伸べる形で文が書かれているとか、相関関係があるものが最も面白く、関係が薄くなるほどつまらなくなります。 写真撮影の腕の違いは、それほど響きませんが、うまい人の場合、やはり、コメントで誉められている事が多いです。 センスが無い人というのもいるもので、いくら素人写真とはいえ、他人に見せるのですから、最低限、水平くらいは取った方がいいです。 文章の内容と全く関係無い写真を添えてある所もありますが、まあ、何も無いよりはマシかも知れません。 市販の素材ソフトから取った写真でも、無いよりはいいです。 それほどまでに写真の無いブログは味気ないのです。

  訪問者のコメントの扱いですが、やはり返事は打った方がいいでしょう。 ブログの場合、コメントは一行でも失礼に当たらないので、返事も一行で済む事があり、その点はサイトの掲示板より気楽です。 でもそれは、裏返せば欠点にもなります。 掲示板と違って、突っ込んだ話ができないんですな。 古い話題を再度取り上げるのも、訪問者側からは出来ません。 掲示板の場合、最新コメントのあったスレッドが一番上に引き上げられるタイプの物が多いですが、ブログのコメントは記事にくっついているので、古い記事につけたコメントは埋没してしまいます。 『最近のコメント』 をサイドバーに表示するサービスがありますが、あの機能はあった方がいいでしょう。 コメントを無視されるのは、理由はどうあれ、あまり気分のいいものではありません。

  しかし・・・・自分でやるとなると、文章の内容に合った写真を用意するのは手間ですねえ。 というか、こんな観念的な文章に合った写真なんて存在しないでしょう。 どうしたもんかな? 全く無いよりはマシだから、動物写真か風景写真でも載せましょうか。 でも、その為にサイズの大きい写真を作るのは面倒臭いなあ。 まあ、アクセス数狙いで作ったわけじゃないから、どうでもいいか。 取り敢えず、画像を載せられるかどうか、手持ちの写真で実験してみます。
 
Posted by mado at 11:40  |Comments(2)TrackBack(0) | ブログ運営

2005年08月07日

急造ブログ人

  2005年8月7日の午前三時頃、ふと目を覚ましたら、ある事が思い浮かびました。

 「今時、大流行のブログなのだから、もしかしたら、DION(私のプロバイダー)でも、ブログサービスをやっているんじゃなかろうか?」

  知っている人は知っていますが、DIONは、この種のサービスの展開には消極的な事で有名です。 余りにもサービスがしょぼいので、利用者は最初から多くを期待しない癖が付いています。 それでも、一応調べてみると、果たして、やっていました! しかも、ホームページを持っている者なら、誰でも利用できるとの事。 何だ、やる事はやってるじゃないか、DION! 運営方針が変わったのか? もっとも、今頃になって、ブログサービスの有無を確認した私も、DIONに負けず劣らず消極的ですが・・・・。

  その時点では、単なる好奇心で調べてみただけで、ブログを作るつもりは全くなかったんですが、簡単に立ち上げられると思うと、ちょっと形だけでも作ってみようかなと思うのが人情というもの。 ホームページの登録パスワードを忘れていて、ちょっとてこずったりもしましたが、それ以外は割とすんなり作業が進みました。 ブログ用にわざわざ文章を書いていたのでは負担が増すので、『心中宵更新』のコラムを使い回す事にしました。 ブログの名前も『心中宵更新』。 サブタイトルに『換水録 別冊』と入れておきました。 背景の『月夜』は、DION側で用意している物をそのまま使いました。 黒い背景は陰湿な感じがして好きじゃなかったんですが、『心中宵更新』という名前にはよく合っていると思い、ゴーサインを出しました。

  文章が使い回しですから、手抜きといえば手抜き、いい加減といえばいい加減ですが、このブログ、使い道があるにはあるのです。 最近、在日外国人の方々が作っているブログを覗いているのですが、訪問先でコメントを書き込む時、自分のホームページURLを添えられなくて、味気なさを感じていたのです。 『換水録』は一応、亀サイトなので、亀と関係がない所へ紹介するには不適当でしょう? せめて、動物・ペットサイト同士であれば違和感が和らぎますが、全く無関係となると、向こうもたじろぐのではないかと思うのです。 こちらのURLを書かないという手もありますが、何だか『住所不定・無職』みたいで、格好がつきません。 その点、適当でも何でも、カテゴリー無色のブログを持っていれば、気楽にURLを書き込めます。 幸い、『心中宵更新』のネタは何でもありなので、ブログの記事としてはうってつけです。

  ブログなので、ポータルセンターに繋がっているわけですが、そちらから来る訪問者はほとんど期待していません。 というか、どこから来るかに拘らず、訪問者そのものを期待していません。 私は、サイトの運営をもう何年もやっているので、お客を呼び込んだり、再訪問してもらったりする事が、いかに大変な事であるか、よく知っているからです。 つまらない夢は見ないに越した事はないです。 この新設ブログは、あくまで仮の住所、郵便局の私書箱のような位置づけで使うつもりです。

  もっとも、まだ扱い方を全然知らないので、先にそちらを会得せねばなりませんが・・・・。
 
Posted by mado at 05:15  | ブログ運営