2005年05月27日
大災害
そういえば、昨日があの日だったんだ。
22年も経ったのだなあ。
ダンナのブログを読んでしみじみ思い出した。
当時私は3歳でした。今の私の子供と同い年です。
それでもはっきりと覚えています。
そのとき私は一人、居間で絵本を読んでいました。
そろそろお昼だ。おなかすいたな。
と、時計を見ていたときです。
後に「日本海中部地震」と名づけられたその地震は
私の空腹も
楽しい読書の時間も
一瞬で吹き飛ばしました。
突然の激しい揺れに
ただただ驚いていると、
外で畑仕事をしていた母が窓を叩きます。
「開けて!」
あわてて窓を開け、私は母に飛びつきました。
家の前の畑にしゃがみこみ、
揺れが収まるのを待ちます。
私は母にしがみつき、震えていました。
家がギシギシと音をたてて、左右に揺れています。
なかなか揺れは収まりません。
実際には3〜4分くらいだったのかもしれません。
しかしとても長い時間に感じられました。
ようやく揺れが収まり、
私は呆然と家に戻ります。
母がテレビをつけると、
さっそく地震速報が流れています。
アナウンサーが
「ツナミ」
というなにか聞きなれない事を言っています。
母が、家の海側の窓を開け
何か叫びました。
どうしたのかな?
と思う間もなく、
母は私をかかえ、また家を飛び出しました。
「津波がくる」
そう言いながら、
母はひたすら山の方へ、高い所へ走ります。
周りを見ると、近所の人も皆
山に向い走っています。
後ろから
ザーザーという激しい波の音が
追いかけてきます。
田を越え、土手を登って、線路の上に立ちます。
そこからは
私の住む地区が一望できました。
「ここまで来れば・・・」
そこから先の記憶はありません。
ただ、激しい波の音だけは
覚えています。
後で知った事です。
結局、私の家では
海から離れていたため床下浸水程度ですんだようでしたが、
地震によって家が土台からずれる等の被害をうけました。
しかし、海沿いの家の被害は甚大です。
津波の破壊力はすさまじく、
川に掛かる橋の下に、
押し流された何台もの自動車が挟まっていたり、
海の中に山と積まれていた波消しブロック(浜から50mくらい離れていた)が、
全て浜に打ち上げられたり、
港に停めていた漁船は、
陸に持ち上げられたり、
海辺にある
ありとあらゆる物を
破壊しつくしました。
この地震と津波で
秋田県内では
80人を超える方々が
犠牲になりました。
私の心にもすっかり
トラウマが残りました。
この文を打っている今、
手の震えが止まりません。
何度打ち損じたことでしょう(笑)
でも、海の近くの小学校に通っていた姉や、
幼稚園に通っていた友人らは
もっと恐ろしい思いをしたことでしょう。
そして
火力発電所の建設作業員。
男鹿に遠足に行った小学生。
彼らのことを思うたびに胸が痛みます。
思い出したくない。
でも
忘れてはいけない。
万が一のために
日頃から備えておきたいものです。
※追記2011年11月
今年3月発生しました東日本大震災においては、多大な被害が出ました。
上記の被害など及ばないほど、広範囲かつ大規模で、死者行方不明者も2万人を越えています。
犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、早急な被災地の復興を願います。
いちおー、wikiのコピペでも参考までに貼っておきましょうか。
最大震度5なんつってますけど、当時の震度計の精度ではそれが限界だったんだろうね。
今の震度計で計ったらきっとそれ以上の数値が出ていたことでしょう・・・。
↓
日本海中部地震
東北地方太平洋沖地震
これ実家の近所の写真。
重機が波を受けているこの辺は小さい漁港で、漁師小屋が立ち並んでいたのだが、今は見る影も無い。
撮影者は漁港のすぐ脇の高台にいる。
奥に河口があり、津波が逆流しているのが分るだろうか。
22年も経ったのだなあ。
ダンナのブログを読んでしみじみ思い出した。
当時私は3歳でした。今の私の子供と同い年です。
それでもはっきりと覚えています。
そのとき私は一人、居間で絵本を読んでいました。
そろそろお昼だ。おなかすいたな。
と、時計を見ていたときです。
後に「日本海中部地震」と名づけられたその地震は
私の空腹も
楽しい読書の時間も
一瞬で吹き飛ばしました。
突然の激しい揺れに
ただただ驚いていると、
外で畑仕事をしていた母が窓を叩きます。
「開けて!」
あわてて窓を開け、私は母に飛びつきました。
家の前の畑にしゃがみこみ、
揺れが収まるのを待ちます。
私は母にしがみつき、震えていました。
家がギシギシと音をたてて、左右に揺れています。
なかなか揺れは収まりません。
実際には3〜4分くらいだったのかもしれません。
しかしとても長い時間に感じられました。
ようやく揺れが収まり、
私は呆然と家に戻ります。
母がテレビをつけると、
さっそく地震速報が流れています。
アナウンサーが
「ツナミ」
というなにか聞きなれない事を言っています。
母が、家の海側の窓を開け
何か叫びました。
どうしたのかな?
と思う間もなく、
母は私をかかえ、また家を飛び出しました。
「津波がくる」
そう言いながら、
母はひたすら山の方へ、高い所へ走ります。
周りを見ると、近所の人も皆
山に向い走っています。
後ろから
ザーザーという激しい波の音が
追いかけてきます。
田を越え、土手を登って、線路の上に立ちます。
そこからは
私の住む地区が一望できました。
「ここまで来れば・・・」
そこから先の記憶はありません。
ただ、激しい波の音だけは
覚えています。
後で知った事です。
結局、私の家では
海から離れていたため床下浸水程度ですんだようでしたが、
地震によって家が土台からずれる等の被害をうけました。
しかし、海沿いの家の被害は甚大です。
津波の破壊力はすさまじく、
川に掛かる橋の下に、
押し流された何台もの自動車が挟まっていたり、
海の中に山と積まれていた波消しブロック(浜から50mくらい離れていた)が、
全て浜に打ち上げられたり、
港に停めていた漁船は、
陸に持ち上げられたり、
海辺にある
ありとあらゆる物を
破壊しつくしました。
この地震と津波で
秋田県内では
80人を超える方々が
犠牲になりました。
私の心にもすっかり
トラウマが残りました。
この文を打っている今、
手の震えが止まりません。
何度打ち損じたことでしょう(笑)
でも、海の近くの小学校に通っていた姉や、
幼稚園に通っていた友人らは
もっと恐ろしい思いをしたことでしょう。
そして
火力発電所の建設作業員。
男鹿に遠足に行った小学生。
彼らのことを思うたびに胸が痛みます。
思い出したくない。
でも
忘れてはいけない。
万が一のために
日頃から備えておきたいものです。
※追記2011年11月
今年3月発生しました東日本大震災においては、多大な被害が出ました。
上記の被害など及ばないほど、広範囲かつ大規模で、死者行方不明者も2万人を越えています。
犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、早急な被災地の復興を願います。
いちおー、wikiのコピペでも参考までに貼っておきましょうか。
最大震度5なんつってますけど、当時の震度計の精度ではそれが限界だったんだろうね。
今の震度計で計ったらきっとそれ以上の数値が出ていたことでしょう・・・。
↓
日本海中部地震
東北地方太平洋沖地震
重機が波を受けているこの辺は小さい漁港で、漁師小屋が立ち並んでいたのだが、今は見る影も無い。
撮影者は漁港のすぐ脇の高台にいる。
奥に河口があり、津波が逆流しているのが分るだろうか。
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