2011年06月21日

ゆく雲に

ゆく雲に光みえるや梅雨の朝
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2011年06月19日

神のふところのうち

ゆれにゆれ やまとのくにのかくれみの みまかるさきは神のふところのうち
Posted by miraiki at 20:55  |Comments(0)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

藤もかぐわし

たちばなの花の薫や奈良の地に 薄紫の藤もかぐわし
奈良 春日大社にて
Posted by miraiki at 17:07  |Comments(0)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月18日

山を越えてか

暗闇に光る夜半の月影や 多武峯の山を越えてか
奈良 談山神社にて
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2011年06月05日

闇晴れて

闇晴れて心の空に澄む月は 西の山辺や近くなるらん
西行
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2011年05月20日

薩摩の大将 肥後の中将

薩摩の大将、肥後の中将という言葉があります。
薩摩だと大将になれるが、肥後は中将でとまるという言葉です。
肥後では賢いというか、ひとをかきわけていこうして中将でとまるという。
薩摩だと、ひとにまかせて、その責任を負う。それに部下を信じて、責務を全うさせるという言葉ですね。
日露戦争では、薩摩の大将が戦場で部下を信じて行動したとされ、部下が戦場でも薩摩の大将の言動を信じて戦い、勝利したといいますね。
薩摩の大将を偲んで、ひとを信じて、流れにまかせたいと肝を練っています。
では、また。
Posted by miraiki at 21:14  |Comments(0)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月18日

愛を込めて

Bonjour.J'ai supporte deux mois d'un desastre du tremblement de terre.
 Le Japon est gai.
 Mettez l'amour au monde.Merci.
Posted by miraiki at 17:29  |Comments(0)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

第二の被爆国となる日本

広島 長崎の原爆により被爆国となる日本。
それから70年後に東日本大震災により再び被爆国となり、東北地方から中部地方までの広範囲が放射線の影響が懸念されています。
首都圏の電力をまかなっていた原発事故で、日本の科学技術、管理能力のなさが国際社会から非難というより、侮蔑されつつあります。
放射線の影響は首都圏を中心に今後懸念され、首都機能は名古屋、大阪にうつるかもしれませんね。
つまり、本来の首都である京都に奠都して、東京は本来の江戸にもどるかどうかですね。

ともあれ、本質を見定めること。
それが首都圏、東日本の再生につながるかもしれません。
Posted by miraiki at 17:00  |Comments(3)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月29日

MaKe it's happen!

How're you doing?
Let'you make it happen.
It's make up Japan!
Posted by miraiki at 23:25  |Comments(0)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

各員奮闘努力せよ

皇国の興廃 この一戦にあり 各員奮闘努力せよ
東郷平八郎
Posted by miraiki at 05:24  |Comments(0)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月25日

国家昏乱にして忠臣あり

大道廃れて 仁義あり 知恵いでて 大偽あり
六親不和にして 孝慈あり 国家昏乱にして 忠臣あり
老子
Posted by miraiki at 23:43  |Comments(0)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

2015〜 2016

大震災からひとつきたちました。
たくさんの犠牲をはらうことになり、いまだ前途はみえません。
そんななか厚生労働省の資料によると、近い将来に鳥インフルによる集団発生した場合に一日100000人の犠牲がでるとの試算がでています。
インフルvirusは、火山などの熱により変化することがわかり、さらに原発事故が重なり、日本での発生を国際社会が危惧しているようです。
ある関係者によると鳥インフルvirusは2015年秋から2016年冬に大発生すると予告しています。
いまから抗virusの食品を摂取している今日この頃です。
我が身を守るのはひとり、ひとりです。
情報を取捨選択していく参考にしてください。
では、また。
Posted by miraiki at 22:39  |Comments(0)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月11日

かはらぬ色に花の咲くらむ

時しらぬなげきのもとにいかにして かはらぬ色に花の咲くらむ
新待賢門院

Posted by miraiki at 00:38  |Comments(0)TrackBack(0) | はなころも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

風水としての東京。

 日本の東の首都である東京。
 かつて、「江戸」とよばれ、徳川幕府300年の拠点となった地です。
 江戸に城塞がつくられたのは戦国時代に太田資長(道潅)公によるとされています。
 豊臣秀吉公の命で関東に移った徳川家康公によって江戸城の規模が大きくなり、城下町として整備され、さらに徳川幕府の拠点として繁栄。
 多くの災害をうけながら、明治時代には「皇居」が京都から移り、明治政府の拠点として「首都」整備されてきました。

 江戸城とその周辺について書かれた本によると、京都の風水に準じて寺院、神社、街道、水路が整備されたとされ、徳川家の繁栄を願って完璧な風水が施されたとされます。
 しかし、関東、日本の中心としての風水からみると、「海外との摩擦、外交政策の失策」が予想されるといいます。
 事実、徳川幕府は、キリシタン政策の失敗から島原の乱が起こり、外交摩擦を防ぎ、それによって徳川幕府の失政、衰退を阻止するために「鎖国政策」を行い、江戸から西南の方角にある長崎にて「外交」を行なうとしました。

 歴史的には「黒船来航」による外交政策の混乱から徳川幕府は崩壊して「無政府状態」となり、明治維新となります。
 明治政府は、徳川幕府とはことなる風水を施したとされるのですが、昭和時代に外交政策の失敗から太平洋戦争となり、明治政府のあり方は崩壊。天皇象徴として民主国家となります。

 風水の本では、江戸の鬼門に当たる水戸、裏鬼門にあたる尾張、西の方角にあたる紀州に徳川家の分家をおき、京都の風水の流れを東海道、中仙道で江戸にいれたといいます。
 歴史的にいうと、裏鬼門の尾張ではなく西の方角の紀州から将軍をむかえて徳川幕府は再興していますが、鬼門の水戸から将軍をむかえて幕府はその役割を終えます・・・・・。
 現代でいうと東京の裏鬼門の名古屋で政治改革をさけぶ首長がでて、中央政界は混乱し、さらに鬼門の東北地方での大震災、原発事故で政府自体が崩壊の危機あるとみてとれます。
 運輸の面でみると東京の鬼門の成田から空港機能を南西の羽田に移したのは正解ですが、これもまた混乱していますね・・・・・。

 鬼門でおきた大震災によって東京の風水機能がよくない方向にいくと、おそらく皇居の京都還幸、首都機能の大阪、阪神地域への移転もいわれるかもしれないと想像してしまいます。
 政府機能は正しく機能しない現在、鳥インフルなどでパンデミックがおきたら数十万の方がわずか数日で亡くなり、社会は機能しなくなります。
 それを一新するためには首都機能移転、関西への奠都も視野にはいるかもしれませんね・・・・。
 そうなると、本来の日本の首都である京都、大阪、神戸、さらに広島、福岡なども注目されるかもしれません・・・・・・。
 
Posted by miraiki at 07:26  |Comments(2) | 江戸・東京 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月25日

「臣 既に不敏(をさな)し」

 日本書紀にあります・・・・。

 大化の改新で天智天皇ともに日本の国家整備に尽力した藤原鎌足公。
 晩年、病にふせっていた鎌足公を見舞った天智天皇。
 天皇に鎌足公は
 「臣 既に不敏し・・・」として
 「わたしはもう死ぬでしょう。もうなにもできません。葬儀、墓は簡素にしていただきたい。生きていて日本のためになにもできませんでした。多くの過ちを犯しています。死後も多くの人を困らせるような墓はいりません(大意)」とのべ、天智天皇はむなし帰ったといいます。
 国家になにも功績がないというのは、自信の裏返しでもあり、道未だ半ばということでしょうか。

 鎌足公の死後、天智天皇はみずからその葬列に並んだとされます。
 天智天皇、鎌足公の理想は、天武天皇にうけつがれますが、皇族中心の「皇親政治」は、藤原氏ら朝廷の官僚によって大きく揺るぎ、律令政治へと移行していきます・・・・・。

 藤原氏のひとたちは、鎌足公の遺言のとおりに墓は質素にされてきたようです。
 藤原氏の末裔である官僚、議員、経済界のみなさんに「国家にいまだ功績なく・・・」という志をもっているとは思いますが、みなさんには、ご先祖の鎌足公をしのんでいただきたいですね・・・・・。
Posted by miraiki at 19:09  |Comments(1) | 京都・奈良 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あまべは、鴨族です。

 当家の家紋は「葵紋」の略紋とされ、徳川吉宗公が好んだ紋ともいう。
 先祖は、藤原氏とされ、たどっていくと伊賀までいってしまうのです。
 戦国時代に伊賀から招かれて奥州にくだったようです。
 伊賀というと、服部氏などの地で「秦氏」ですね・・・・。
 秦氏というと鴨氏ともかかわりがあるそうです。(これは伝聞)

 おそらく当家は、鴨氏のながれもあるのでしょう・・・・。
 鴨族といっても「下鴨神社」ではなく「上賀茂神社」のながれとおもいますが・・・・。

 あまべ(海部)氏の宗家である海部氏が
 「海部氏は、鴨族ですから」と語ったらしく、あまべ氏と鴨氏も深い関わりがあるようです。

 鴨族の使命は「日本国(皇室)のご安泰をまもること」。
 日夜、皇室ご安泰と日本国安泰とこれからも祈っていきたいとおもいます。

 不死鳥(やたがらす)は、またはばたきますね・・・・。
Posted by miraiki at 18:48  |Comments(1) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月20日

あまべのつぶやき・・・。

 大震災から10日。電気が復旧してPC復興しました。
 名古屋の御方がいろいろと書いていたので、記憶をさかのぼってみます。

 幼いころ、母方に預けられて、母方の祖母にかわいがれていました。
 その祖母とその仲間たちがいわく、
 「つなみは金華山を拝んでいるうちはこねよ。もしかして松林をこえてつなみがくかもしんねさ。そんどきはたすかっかどうか・・・」というのをしっかりと記憶していました。
 松林?? 松林を見上げた当方は、畏れで足がすくんだのを覚えています。
 海ぞいの母方の生家の近くに「神社」があって、神社にいくとべっとさんに、
 「よくきたな〜」をいわれ、参詣しました。
 海の怖さを教え込まれた当方ですが、そのためかHNをあまべ(海部)としたのも、祖母たちの影響かもしれせん。

 飛鳥時代、平安時代の貞観大津波、江戸時代の慶長大津波で被害うけた東北地方ですが、津波をふせぐために「貞山堀」、松林、いぐねをつくることを奨励した伊達政宗公、忠宗公親子。さらに慶長大津波の復興に尽力した多くの先人でしたが、近年には松林、いぐねの多くは伐採され、今回の大津波の被害をもたらしたことは残念です。
 
 後年、ある集団にあって、自然災害、戦災で亡くなった方(三界有縁無縁萬霊)を回向しましょう・・と呼びかけましたが、多くの賛同を得ず、KさんとNさんのみが聞いてくれました。
 でも、回向に関する考え(方法)の違いから、袂をわかち、ある方とご縁ができて、その方式で回向の祈りはささげています・・・・。
 回向の祈りの原点は、祖母たちがいっていった「松林をこえる津波」だったことに思い至りました。
 バッパたちの遺言の通りになりました・・・・。
 祖母が亡くなって23回忌となり、母方の生家も思い出の神社も津波によって消え去りました。母方の親族は全員生存していました。
(以前、神社に参詣した帰り、神主の装束をきたべっとさんのまぼろしをみました、だれも参詣にいかなくなった神社をかなしんでる感じでした)

 Kさん、Nさんと三陸の海を回向の祈りで走っているとき
 「つなみはくっつぉ」といわれたのも思い出しました。
 とうとうきましたね。
 でも、これをどう解釈するかはしていません。
 「謙虚にうけとめる」として、これからの復興に尽力したいと思います。
Posted by miraiki at 17:26  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月18日

Humbled

Humbled.

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2011年03月06日

「元始 女性は太陽であった・・・」

 かつて、平塚らいちう女史は、
 「元始 女性は太陽であった・・」といい、女性解放運動を提唱されました。
 古来、日本は太陽を神として「女神」を太陽神としていました。
 「女性でないと、あけない国」ともいわれ、女性の地位は高いとされていました。
(美輪さんの本にもすこし書いてありますね)
 それがいまは、いかがでしょうか・・・・。
 太陽神を「男神」ということまでいって「太陽(女性)」に対する敬いはうすれてきています・・・・。

 さて、いまの日本国は、事実上の「無政府状態」となり、さまざまなことがブラックホールに吸収されていっています。
 税金もどんどん吸い取られていてどこにいくですか・・・とジギョウシワケの皆さんにお伺いしたいです。
 現在、TTPのことでも、東南アジアなど周辺国は、日本が関税撤廃に踏み切らないと「食糧」は売りませんとまでいってるようです。
 現在、政府主導で「デフレ経済」で安定していますが、それも限界にきていて、いつ「インフレ経済」になるか・・・というのが周辺諸国の一致した見解だそうです。
 旧ソビエト崩壊で、ロシア経済が大混乱になったようなことがおこるのでしょうか・・・・・。
 日本式社会主義経済は限界にはきているようです。

 日本国が「無政府状態」となったこの時期に、多くの日本におられる女性のご活躍と、
日本国を守護されている太陽の女神にご加護を祈りたいと思っているこの頃です。かしこ。
 
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2011年02月28日

崇源院さまのお厨子のこと

 先日まで、江戸 東京博物館で陳列されていた「崇源院さまのお厨子」。

 東京の祐天寺にあった品とされ、江戸 東京博物館で調べてみて、崇源院さまの供養のためにつくられたお厨子ということがわかったそうです。

 崇源院さまの子である駿河大納言 忠長公が生母の崇源院さまのために駿府(静岡)の宝台院に寄進したものではないか・・・ということでした。
 宝台院は、徳川秀忠公の生母の菩提寺であり、徳川家の菩提寺であったことから、忠長公が母の供養のために寄進した厨子らしいということがわかったそうです。
 駿府に崇源院さまの供養所を建てたことが徳川幕府に無断であったということから父である秀忠公、兄の将軍・徳川家光公の怒りをかい、江戸でおこなわれた崇源院さまの法要には参列はできなかったといいます・・・・。
 忠長公が駿府を追われ、追放の憂き目にあいます。その後も駿府に崇源院さまの供養所は残されますが、享保年間にとりこわされますが、今回みつかったお厨子のみが宝台院と宗旨がおなじ祐天寺にうつされたとされたらしいそうです。
 徳川吉宗公が徳川家の祭祀を大きく変え、諸事簡略して、経費削減をしたことが大きな原因といいます。
(いわゆる仕分けですね・・・)
 それ以後、崇源院さまの祭事は、江戸の増上寺にあった崇源院さまの霊拝所でおこなわれますが、先の戦災で霊拝所の建物は焼失し、墓塔がのこされます。
 現在、旧崇源院さまの墓塔が現在の秀忠公の墓塔となり、崇源院さまは、合祀塔におまつりされています。
 合祀塔には、天英院さま(6代将軍正室)、月光院さま(7代将軍生母)もおまつりされていています・・・・。
Posted by miraiki at 21:13  |Comments(2) | 江戸・東京 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする