2010年10月26日

幕末の話・・・。

 幕末、勤皇の志士の多くは、時の幕府によって命を落とすのですが、生き残った志士の多くは明治政府の顕官として絶大な権勢を誇ります。
 土佐の郷士だった土方久元もそのひとりです。
 
 明治になり、江戸町奉行となった土方は、町奉行所に赴任します。
 門前には与力、同心が平伏するなかを進んだそうです。
 そのとき、太鼓とともに
 「(お奉行さまの)おなり〜」と声があがって土方は大いに動揺して、
 「なにが起こったか!!」と思ったそうです。
 なにしろ、幕府時代には、町奉行所から追われる身の上が追う側の町奉行(現在の警視総監にあたるのでしょうか)になったのですから、大変な時代の転換期でした・・・。

 土方氏は、伯爵となるのですが、ご子息が自害、直孫にあたる土方与志氏は、1930年代にソビエト政権時代のロシアに渡り、スターリンらの前で日本の社会主義活動の弾圧を非難したといいます。
 伯爵身分のソ連訪問、まして「日本政府批判」に日本中が大騒ぎとなり、宮内省(当時)は
 「伯爵身分のはく奪」を発表したほどだったといいます。
 まもなく、スターリンによってロシアを追われた土方氏は、ヨーロッパ経由で帰国、逮捕・収監されます・・・・。

 幕末、薩摩藩が「大政奉還」を知って、浪士に命じて江戸市中に窃盗、放火をおこさせたともいいます。
 薩摩藩のこの動きに怒った江戸見回り(現在でいう首都警備担当)の庄内藩(山形)が三田にあった薩摩藩邸を焼き討ちしたのはこのときでした。
 「薩摩藩邸焼き討ち」を知った薩摩藩士らが大砲を江戸城のお堀まで引っ張り、江戸城の西の丸を砲撃。
 西の丸が焼失したといいます。
 「江戸城砲撃」を大坂城で聞いた徳川慶喜らが激怒して兵を京都へ上らせて鳥羽・伏見の戦いが起こるのですね・・・・。
 
 2006・12・20 やまとこころ記事より
この記事へのコメント
ほとんど引用文でしょうから、出典を記してもらえると
助かります。
Posted by 幕府軍贔屓 at 2010年10月26日 20:29
こんにちは。
 「他人の・・・で相撲をとる」ということをおしゃっていると存じますので、今後気をつけたいと思います。かしこ。
Posted by はなかたみ at 2010年10月28日 09:26
 
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