武蔵村山は、しばしばというか必ず東村山と間違われます。
武蔵村山の市制施行は昭和45(1970)年11月3日、東村山の市制施行は昭和39(1964)年4月。この点では東村山が先行しています。
村山という名前が自治体名に付いた時点を見ても、村山村が大正6(1917)年に対して東村山村は明治22(1889)年。
しかしです。
東村山は以上のように最初から東村山だったわけです。これは平安時代末期に名を馳せた武蔵七党の一つ村山党が現在の武蔵村山をほぼ中心として瑞穂町、入間市(埼玉県)、所沢市(埼玉県)、東大和市、東村山市一帯に勢力を張っていたことに由来します。武蔵村山が村山党の中心地であったということは現在も残る村山党の「中の党」に由来するとされる中藤という地名にも表れています。
そこで、東村山では発足に当って下村山という通称を用いることも検討されたということが知られています。
そして、武蔵村山も市制施行の際に村山市としたいところだったのですが、既に山形県に
村山市(市制施行昭和29[1954]年)があったために泣く泣く旧国名である武蔵を冠したわけです。