2004年08月31日

新尾張橋:東京散歩



2004-0831-1213.jpg汐留から築地の朝日新聞社へと至る地には尾張徳川家の築地下屋敷があった。
築地下屋敷では湾からの引込みを設けていたという。
そこに架けられたのが尾張橋。時代は移り橋も少し位置を変えて今に名を残す。
 

ルオー版画展



2004-0831-1221.jpg汐留の松下電工の美術館で開催されています。
私は「美と歴史」というサイトの主催者ですしチェック、チェック。
おぉと、「美と歴史」を整理せねば。
 

武蔵国村山地方


武蔵村山は、しばしばというか必ず東村山と間違われます。
武蔵村山の市制施行は昭和45(1970)年11月3日、東村山の市制施行は昭和39(1964)年4月。この点では東村山が先行しています。
村山という名前が自治体名に付いた時点を見ても、村山村が大正6(1917)年に対して東村山村は明治22(1889)年。
しかしです。
東村山は以上のように最初から東村山だったわけです。これは平安時代末期に名を馳せた武蔵七党の一つ村山党が現在の武蔵村山をほぼ中心として瑞穂町、入間市(埼玉県)、所沢市(埼玉県)、東大和市、東村山市一帯に勢力を張っていたことに由来します。武蔵村山が村山党の中心地であったということは現在も残る村山党の「中の党」に由来するとされる中藤という地名にも表れています。
そこで、東村山では発足に当って下村山という通称を用いることも検討されたということが知られています。
そして、武蔵村山も市制施行の際に村山市としたいところだったのですが、既に山形県に村山市(市制施行昭和29[1954]年)があったために泣く泣く旧国名である武蔵を冠したわけです。
 

浜離宮前踏切:東京遺跡



2004-0831-1210.jpg昭和6年から昭和62年まで汐留・築地市場間で使用された信号機。
 

ござる


三重県出身の方と話していたら、三重県では「言う」の尊敬語「おっしゃる」を「言うてござる」というとのこと。
「店長が言うてござる」
とか言うようです。
これでは、忍者ハットリ君ではないかと衝撃を受ける。と同時に、実際に三重県に行ったら使ってみたいという衝動にかられた。
おそらくは、古い言葉が残っているということなのだろう。そこが魅力的。常日頃から標準語というか東京の言葉は味気ないと感じている。だから余計に魅力的。
武蔵村山を含む多摩弁では
「店長がこく」
となる。これと比較すると「ござる」の何と奥ゆかしいことか!
 

丸高前交差点:武蔵村山的情景



2004-0830-0537.jpg大南通りと七小通りとの交差点。
正面にかすかに見えるのが七小。
七小の西隣には四中がある。
 

16号、村山に風を吹く



2004-0831-0508.jpg荒れ狂う空

薙ぎ倒す風

地を揺さ振る鳴動
 

2004年08月30日

鳩の北斗七星



2004-0830-1211.jpg天空の星座を写し取る

数の欠けたる鳩の群れ

欠けたるところは見るものの
補うことで一完成

手の届かない彼方のものも

気付いてみれば目の前に

必要なのは思いだけ
 

バンジー中 at 汐留



2004-0830-1225.jpgジャンプ
 

ステータス


1週間の夏休みを終えて今日から仕事に復帰。
実は、昨日も仕事はしたのだけれど午前中だけ。昨日の午後は立川に戻ってSさんと打ち合わせ。1時間程度で切り上げる予定が話しが盛り上がって3時間も一緒に。
話しが盛り上がって、そのことを後から思い起こしてみると、何を一体それだけの時間で話していたんだろうということが、ままある。
多分、同じ話をあぁでもない、こうでもないという、その繰り返しなのだろう。
もちろん、主要な話題、何をメインに話したのかということはきちんと覚えている。
そこまで忘れるようになると若年性痴呆を疑わなくてはならないから。
全くひょんなことから、話題は巡り巡って、生活していく上で資格というのか、公式に認知されたステータスが必要かどうかという、そういう話題になった。その公式に認知されたステータスが自然にくっ付いてくるなら言うことはない。
そうではなくて、一定のものを犠牲にして努力をしなければステータスを得ることが出来ないという場合はどうしたものか。そこで、話がグルグルと巡った。
僕は、そういう公式に認知されたステータスとか資格とかは拘るべきではないのではないかと考える立場。
例えば、医者だと医者の資格が必要なわけだけど、資格があればそれでお終いということはないだろうと。さらに、医者の資格が無くても、人の病気を治したい、多くの人の命を救いたいということならば、他にも色々な職業があると。
だから、人の命を救うという仕事をしたい、でも医者になるのはどうも向いていないという人も居てもいいわけだし、実際にいると思う。そういう人が医者の資格を持っていないからといって自分の道を閉ざすことはないと。
医者だと喩えが適切じゃないかもしれない。
言いたいことは、世の中にはそうした関門としての資格が必要ではない職業が山ほどある。資格が必要な職業とそうではない職業とを公式な資格の認定があるかどうかという一点だけで優劣を付けて判断してしまうというのは如何なものかということ。
補足しておくと、資格を持つということを否定しているわけではもちろんない。キャリアアップにもなるし。
でも、そこからがスタートだと思うし、自分が向いていないにも関わらず資格試験があるからということだけで、その道を選択してしまうのは自分の持っている可能性の幾つかを摘み取ってしまうような気がしている。

そうそう、昨日は昭和記念公園で野外コンサートが行われるとかでモノレールの駅前から公園まで長い長い長蛇の列が出来ていた。立川を知っている人なら、モノレールの立川北駅から昭和記念公園までの距離が結構なものということは理解出来るだろう。
あんなに長い行列を見たのは初めてかもしれない。

夜は「とんでん」で食事。
 

見影橋から:武蔵村山近景



2004-0830-0544.jpg武蔵村山の南を流れる玉川上水を望む。
水量、平素よりは、やや多し。
 

2004年08月29日

夏休み最終バージョン



2004-0829-1244.jpg浴衣で豊かに過ごそうと誘うかのよう

思わず近寄る引力

ちょっぴり寒い今日だけど

浴衣姿はやっぱり魅力的

寒くても夏は夏らしく

そういうところが魅力的
 

ゴーゴー汐留



2004-0829-0926.jpg日曜だけど午前中だけ仕事。

10時前なのに家族連れがちらほらいる。

さぁて、一踏ん張りするとしますか。
 

雨の朝の武蔵村山



2004-0829-0735.jpg昨日からずっとしとしとと
 

2004年08月28日

花を見て



2004-0828-1711.jpg雨に咲く花を見た

誰に見られるでもなく咲く花を

曇天に咲く花がある

だから
悲しみのなかにも希望は ある
 

武蔵村山雨情



2004-0828-1710.jpg雨の日でも、風の日でも、台風の日でも村山に居る時は続けます武蔵村山的情景。
継続は力なり。なりたいのは思いやりのある人だったね、あっちゃん!
 

ゴーヤ三兄弟



2004-0827-1828.jpg朝から雨で寒いくらい。
暑かったときの反動か体調もどんより。
こういう日々にはゴーヤを食するとしますか。
これ、今朝、庭で収穫したもの。
 




いつか歩いた路

長くてもあっという間の

見通せるほどまっすぐなのに

通る度に変わっていた気がした

あの道は確かに

今でもそのままに

ひと(他人)が行き交う

曲がることもなく

短いと気を揉むこともない

あの頃の路は未知の充ちた路

通ることの無くなった先の見えない曲がり路

春の風に吹かれ君を聞く

もう一度歩いてみようか

見えない明日を感じることの出来る路
 
Posted by mm2 at 13:29  |TrackBack(0)

2004年08月27日

ただ君にだけ



2004-0824-1058.jpg奥山のおどろが下も踏み分けて

道ある世ぞと人に知らせむ

-承久の乱直前に、住吉社歌合にて後鳥羽上皇

想い深まる緑の尾根に

他人(ひと)知らずとも唯(ただ)君にだけ

-若狭小浜の明通寺門前にて
 

遠い所へと行ってしまった君へ



2004-0824-1059.jpgたれもこのあはれ短き玉の緒に

乱れて物を思わずもがな

京極中納言 藤原定家
『家集下巻 部類歌・恋の部』、『新勅撰集』

離れていても、乱れても

生きていればこそ