
ニキ・ド・サン・ファールによる1985年の作品。ベラルド・コレクション美術館所蔵。

亀城との異名を持つ茨城の土浦城。室町後期の永享年間に若泉三郎が築城。この若泉氏は鎌倉公方足利満兼が定めた関東八屋形家の一つ常陸小田氏の家臣だったとも。
城主は同じく小田氏の家臣・菅谷勝貞、信太範貞と代わる。
後、同じく関東八屋形家の佐竹氏によって小田氏の小田城が落城すると土浦城が小田軍の対佐竹軍の拠点に。
しかし、豊臣秀吉の小田原征伐時に小田氏は北条軍に与し、豊臣軍の佐竹・徳川連合軍の猛攻を受け土浦城は落城。徳川家康の子で同じく関東八屋形家の結城家の養子となった結城秀康が土浦城主に。
その後、城主は幾度も代わり、結局、武田遺臣で家康に召し抱えられた土屋家が明治維新まで城の主として落ち着いた。この城、かなり大きく、城下町を堀で囲む総構えの構造になっている。
つまり、江戸城や小田原城と同じく現在の市街地全体が丸ごと城内。


美と歴史の旅。本日は千葉県の東葛地方。松戸市の小金城(大谷口城)へ足を向ける。

千葉氏の家老・小弓城原氏の流れを汲む高城氏によって1508年に築城された小金城。本丸相当部分は宅地となっているが一部は公園として保存されている。
小弓原氏は古河公方一族の足利義明(小弓公方)によって小弓城を攻略された後に高城氏の小金城に落ち延び、高城氏とともに小田原北条氏の傘下に。
以降、小金城が西下総における北条氏の拠点となる。
という次第で、この見事な畝堀は北条系城郭の特徴でもある。
ちなみに、高城氏は豊臣秀吉の小田原攻めの際には北条軍の一員として戦うが、後に豊臣秀吉軍の浅野長政の軍門に下り、所領没収、蒲生家預かりを経て徳川幕府の旗本として存続する。