2012年05月24日
今日の「み言」(2012.5.24)
今日の既成教徒たちは、「全知全能の神様は元から栄光の中の栄光の主体であり、幸福の中の幸福の主体であり、すべての愛と生命の主体なので、それによらないものがない」と大声を張り上げています。
しかし、いくら絶対者だとしても、絶対的な対象者をもたなければ、仕方なく不幸になるのです。
神様も絶対的な立場に立つことができる一つの対象を探せなければ、滅びるしかないのです。
いくら絶対者だとしても、絶対的な対象をもたなければ、やむを得ず不幸だというのです。
したがって、神様が滅びないためには、仕方なく相対的な存在を造らなければなりません。
しかし、いくら絶対者だとしても、絶対的な対象者をもたなければ、仕方なく不幸になるのです。
神様も絶対的な立場に立つことができる一つの対象を探せなければ、滅びるしかないのです。
いくら絶対者だとしても、絶対的な対象をもたなければ、やむを得ず不幸だというのです。
したがって、神様が滅びないためには、仕方なく相対的な存在を造らなければなりません。
2012年05月18日
今日の「み言」(2012.5.18)
調和というのもは、一人で展開する道理がありません。
楽しいということも、一人で展開する道理がありません。
幸福もまた、一人で展開する道理がありません。
絶対者だとしても、一人ではできないのです。
必ず、自分に対応することができる相対的な条件がなければなりません。
絶対者の前には絶対的な相対者がいなければならず、絶対的な主体の前には絶対的な対象がいてこそ、幸福や、調和や、喜びや、踊りや、歌というものがあるのです。
楽しいということも、一人で展開する道理がありません。
幸福もまた、一人で展開する道理がありません。
絶対者だとしても、一人ではできないのです。
必ず、自分に対応することができる相対的な条件がなければなりません。
絶対者の前には絶対的な相対者がいなければならず、絶対的な主体の前には絶対的な対象がいてこそ、幸福や、調和や、喜びや、踊りや、歌というものがあるのです。
2012年05月12日
今日の「み言」(2012.5.12)
自らの価値を自分から追及するよりも、相対から、すなわち相対的基準でその価値を追求できる道を探求する人は、不幸な人ではありません。
いつでもどこでも、心情の基台は相対圏をもつので、孤独ではなく、幸福になることができるのです。
いつでもどこでも、心情の基台は相対圏をもつので、孤独ではなく、幸福になることができるのです。
2012年05月06日
今日の「み言」(2012.5.6)
男性と女性が生まれたのは、男性は男性のために生まれたのではなく、女性のために生まれたのであり、女性は女性のために生まれたのではなく、男性のために生まれたのです。
生まれたのは、自分のために生まれたのではないのです。
自分のために生まれたのではないのに、自分を主張します。
「私」というこの思想を壊してしまわなければなりません。
これさえ壊してしまえば、統一の世界は展開するのです。
生まれたのは、自分のために生まれたのではないのです。
自分のために生まれたのではないのに、自分を主張します。
「私」というこの思想を壊してしまわなければなりません。
これさえ壊してしまえば、統一の世界は展開するのです。
2012年04月30日
今日の「み言」(2012.4.30)
一つになることができ、平和の起源になることができるその道はどこにあるのでしょうか。
神様御自身だけでなく、真の人間は、「ため」に生きる存在だという原則を立てざるを得なかったのです。
それゆえに、真の愛は「ため」に生きるところから、真の理想も「ため」に生きるところから、真の平和、真の幸福も「ため」に生きる位置で成立するのであって、「ため」に生きる位置を離れては探すことができないのです。
これが、天地創造の根本だということを私たち人間は知りませんでした。
神様御自身だけでなく、真の人間は、「ため」に生きる存在だという原則を立てざるを得なかったのです。
それゆえに、真の愛は「ため」に生きるところから、真の理想も「ため」に生きるところから、真の平和、真の幸福も「ため」に生きる位置で成立するのであって、「ため」に生きる位置を離れては探すことができないのです。
これが、天地創造の根本だということを私たち人間は知りませんでした。
2012年04月24日
今日の「み言」(2012.4.24)
知恵の王であられ、全体の中心であられる神様が、真の愛や、真の理想や、真の幸福や、真の平和の起源を、主体と対象、この両者の間のどちらに置かれるでしょうか。
これが問題にならざるを得ないのです。
主体がいる反面、対象がいるのですが、主体のために生きる道と対象のために生きる道、この二つの道の中で、理想の要件をどこに置くのかということが、創造主であられる神様として問題にならざるを得ないのです。
それで、真の理想、真の愛、真の平和において、主体を中心にして対象が主体のために生きるところに理想的起源を置くべきか、対象を中心にして主体が対象のために生きるところに理想的起源を置くべきかという問題を考えられた神様が、主体の前に対象が「ため」に生きなさいと言う立場にその理想的起源を立てるならば、神様がそのようにすると同時に、すべての人も、自分がある対象をもつことができる立場に立つならば、同じようにするというのです。
それでは、一つになる道がふさがってしまいます。
これを知らなければなりません。
これが問題にならざるを得ないのです。
主体がいる反面、対象がいるのですが、主体のために生きる道と対象のために生きる道、この二つの道の中で、理想の要件をどこに置くのかということが、創造主であられる神様として問題にならざるを得ないのです。
それで、真の理想、真の愛、真の平和において、主体を中心にして対象が主体のために生きるところに理想的起源を置くべきか、対象を中心にして主体が対象のために生きるところに理想的起源を置くべきかという問題を考えられた神様が、主体の前に対象が「ため」に生きなさいと言う立場にその理想的起源を立てるならば、神様がそのようにすると同時に、すべての人も、自分がある対象をもつことができる立場に立つならば、同じようにするというのです。
それでは、一つになる道がふさがってしまいます。
これを知らなければなりません。
2012年04月18日
今日の「み言」(2012.4.18)
神様のような心で自然を見ることができなければなりません。
そのような心をもたなければなりません。
洪水が起き、雷が鳴る時は、「ああ、私はあれが嫌いだ」と言うなというのです。
「神様は、ハハー、あれはキスして結婚しているのだなあ」とこのように考えるというのです。
そして、嫌いだと言う人々に「ハハハハ、こいつめ!悪いやつめ!」と言われるのです。
そのような心をもたなければなりません。
洪水が起き、雷が鳴る時は、「ああ、私はあれが嫌いだ」と言うなというのです。
「神様は、ハハー、あれはキスして結婚しているのだなあ」とこのように考えるというのです。
そして、嫌いだと言う人々に「ハハハハ、こいつめ!悪いやつめ!」と言われるのです。
2012年04月12日
今日の「み言」(2012.4.12)
私たちが自然を見て、「ああ、私には四季は必要ない。私は春だけが必要だ、夏や秋や冬は嫌いだ」と言うことができますが、神様に尋ねてみれば、「私は四季の全てが好きだ」と答えるというのです。
それゆえに、嫌いでも夏を好むことを学ばなければならず、秋と冬を好むことを学ばなければなりません。
雪が降る冬になれば、神様は、白い雪が世界的に積もったのを見る時に喜ばれるのです。
「ああ、私も良い」と言うのです。
そのように言わなければなりません。
それゆえに、嫌いでも夏を好むことを学ばなければならず、秋と冬を好むことを学ばなければなりません。
雪が降る冬になれば、神様は、白い雪が世界的に積もったのを見る時に喜ばれるのです。
「ああ、私も良い」と言うのです。
そのように言わなければなりません。
2012年04月06日
今日の「み言」(2012.4.6)
本性の心が行くべき道を行けば、宇宙が一つになるのです。
そのような何かがなければなりません。
そのような位置に入っていけば、自分の心と話すようになるのです。
そのような境地では心と話をします。
何かをしようと考えれば、すぐに答えが出てきます。
そのような境地まで行くのです。
そのような境地にいる人が、自分の行くべき道を知らないでしょうか。
既に行くべき道が明確で、宇宙におけるすべての作用の力が助けるようになります。
手を引っ張り、試験場に入っていくようになれば、すぐにすべてのものが協助します。
それでこそ大きなことができるのです。
そのような何かがなければなりません。
そのような位置に入っていけば、自分の心と話すようになるのです。
そのような境地では心と話をします。
何かをしようと考えれば、すぐに答えが出てきます。
そのような境地まで行くのです。
そのような境地にいる人が、自分の行くべき道を知らないでしょうか。
既に行くべき道が明確で、宇宙におけるすべての作用の力が助けるようになります。
手を引っ張り、試験場に入っていくようになれば、すぐにすべてのものが協助します。
それでこそ大きなことができるのです。
2012年03月30日
今日の「み言」(2012.3.30)
心身一体になれば、宇宙の力が保護してくれます。
宇宙の力が保護してくれる心と体になれば、父母も宇宙の因縁をもった父母、兄弟もそのような因縁をもった兄弟、このようにすべてが因縁を結んでいます。
民族、国が因縁を結ばなければならないのです。
素晴らしい結論です。
ですから、国を越えて他の国に行っても、そのような一体圏を成すようになれば、そこでも通じるのです。
どこにでも通じるのです。
サッカーをする時、ボールが転がっていって途中で止まれば、どのようになりますか。
その表面全体が一つになることができる所は、垂直線に通じるのです。
それで、球形体を理想的な存在だといいます。
表面のどのような所でもその垂直線が安着することができます。
それで、転がり回るのです。
どこでもすべて良いために、そうなるというのです。
それで、心身一体圏、90度になれば、どこでもすべて合います。
西洋人と東洋人、過去の人と現在の人、未来の人を問わず、どこでもすべて合うのです
宇宙の力が保護してくれる心と体になれば、父母も宇宙の因縁をもった父母、兄弟もそのような因縁をもった兄弟、このようにすべてが因縁を結んでいます。
民族、国が因縁を結ばなければならないのです。
素晴らしい結論です。
ですから、国を越えて他の国に行っても、そのような一体圏を成すようになれば、そこでも通じるのです。
どこにでも通じるのです。
サッカーをする時、ボールが転がっていって途中で止まれば、どのようになりますか。
その表面全体が一つになることができる所は、垂直線に通じるのです。
それで、球形体を理想的な存在だといいます。
表面のどのような所でもその垂直線が安着することができます。
それで、転がり回るのです。
どこでもすべて良いために、そうなるというのです。
それで、心身一体圏、90度になれば、どこでもすべて合います。
西洋人と東洋人、過去の人と現在の人、未来の人を問わず、どこでもすべて合うのです
2012年03月25日
今日の「み言」(2012.3.25)
神様がお父様になり、人間は神様の息子になったとしても、お父様は上にいて息子は下にいる、上下関係のような気分がするというのです。
その時に、私たち人間はどのように考えるのでしょうか。
「お父様、お父様が座っていらっしゃるその席を私に一度ください。私もお父様の位置に座ってみたいのです」という欲望が私たち人間にはあるというのです。
ここで神様が「なんだこいつ、駄目だ」と言えば、すべて壊れるのです。
しかし、神様は、そのようにはできないのです。
むしろ神様は、私たち人間がそのような欲望をもっていることを知っていらっしゃるので、「早くそう言いなさい、早くそう言いなさい」と言われながら、その席までも私たち人間に下さるのです。
その席まで人間に与えて、神様は、私たちの心に臨在なされ、私たちの心を聖殿として定めていらっしゃるというのです。
その時に、私たち人間はどのように考えるのでしょうか。
「お父様、お父様が座っていらっしゃるその席を私に一度ください。私もお父様の位置に座ってみたいのです」という欲望が私たち人間にはあるというのです。
ここで神様が「なんだこいつ、駄目だ」と言えば、すべて壊れるのです。
しかし、神様は、そのようにはできないのです。
むしろ神様は、私たち人間がそのような欲望をもっていることを知っていらっしゃるので、「早くそう言いなさい、早くそう言いなさい」と言われながら、その席までも私たち人間に下さるのです。
その席まで人間に与えて、神様は、私たちの心に臨在なされ、私たちの心を聖殿として定めていらっしゃるというのです。


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