2011年05月23日
【一日一言】2011.5.23
全体を糾合して一つの原則的な基本を明らかにしてみれば、主体と対象の関係、ここから存在と作用を起こすのです。
主体と対象によって存在し作用すると見るのです。
私たち統一教会は、これを中心として二性性相という概念をキャッチしました。
それでは、二性性相がただそのままいるのでしょうか。
ストップしているのでしょうか、動いているのでしょうか。
ではどうして動くのでしょうか。
なぜ動くのかというのです。
損をするために動くのでしょうか、利益を得るために動くのでしょうか。
作用して運動するのに、損をするために運動するという法則があるならば、私たちの理想の作用や希望に向かって前進する作用はあり得ないのです。
損をするならば、これがますます小さくなっていくというのです。
小さくなってストップしてしまうというのです。
しかし、この小さいものが利益のために動くならば、ますます大きくなっていきます。
主体と対象によって存在し作用すると見るのです。
私たち統一教会は、これを中心として二性性相という概念をキャッチしました。
それでは、二性性相がただそのままいるのでしょうか。
ストップしているのでしょうか、動いているのでしょうか。
ではどうして動くのでしょうか。
なぜ動くのかというのです。
損をするために動くのでしょうか、利益を得るために動くのでしょうか。
作用して運動するのに、損をするために運動するという法則があるならば、私たちの理想の作用や希望に向かって前進する作用はあり得ないのです。
損をするならば、これがますます小さくなっていくというのです。
小さくなってストップしてしまうというのです。
しかし、この小さいものが利益のために動くならば、ますます大きくなっていきます。
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