対談 平川克美&内田樹LIVE
昨晩、新宿の朝日カルチャーセンターで”日本人の「無意識」を問う”というテーマで対談が行なわれた。
ブログや出版物でしか、つまり文字でしか知らない内田樹先生を初めて生で見たが、同じ内容を文字だけで知っているのと生身の身体を通して聴くのは、同じことのようだが随分と違うものなんだな、と思った。
文字だけだと、どうもわかりにくいな、すとんと落ちてこないなと思っても、顔を見ながら聴くと、ああ、なるほどと身体がまず反応し、コミュニケーションが成り立ちやすいのだと思う。
書かれたものは、何度でも書き直しが出来るわけで、その結果字義正しく論理的に破綻のないものになっても、決してそれがわかりやすいものになったか、というと必ずしもそうではないが、「しゃべる」、殊に対談というのはその場での言葉の積み重なりなので、大変にわかりやすく感じた。
対談の最初に話された、「WBCでは野球をとことん楽しんだ者が結果としてチャンピオンになれたんじゃないか」というテーマが、最後の質疑応答の「贈与」の解説で「やってること自体が楽しい」ことがすなわち「贈与」なんだ」に見事につながって、オチの決まった落語のように快かった。
等価交換ではなく、贈与が次のアクションを起動させる。
贈与=与えること、これは私がいつも考えさせられる事柄だ。自分は何か人に与えることが出来ているんだろうか。与えられることばかり求めていて…。
「戦争をしないためには、その国の人と友達になればいいんだね」と言った子供の話を以前聞いたことがあるが、友達になることの中味、一体どういうふうにして人間同士は友達になるのか、私はそういうことにとても無頓着に過ごして来てしまったように思う。
与えあうこと、そして互いにこれを価値あることにしようという合意が双方になされなければ、「友達」という関係は成り立ちにくい。その最初のアクションは等価ではなく「贈与」、与えること。
私は幸いなことに友達はたくさんいる方だと思うけど、特段その人たちのために何かした、って記憶がないんだよなあ。なんでみんな友達でいてくれるのかなあ。ちょっと謙虚に考えさせられるなあ。
というわけで、現に私が「考えさせられている」、どうして?という「謎」を与えられる良い機会であったことをご報告。
Posted by moriyoko at 10:30
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先日新宿で行われた、神戸女学院大学教授・内田樹氏(フランス現代思想、映画論、武道
内田樹VS平川克美「日本人の『無意識』を問う」【バツイチ父さんの子育て日記】 at 2006年03月25日 23:31
初めまして。
内田樹さんのブログからおじゃまいたします。
私もこの場におりました。
たしかに、「あ、それ、ブログで読みました」ということ、つまり知ってる内容でも、
文字を目で読むのと、声を耳で聞くのとはまたちがう体験ですね。
私もそう感じました。
「贈与」が隠れたキーワードであったということも、そうそう、そうでした。
ぼんやり聞いていた内容を、今度は文字で、わかりやすく復習させていただいたような感じです。
ありがとうございました。
ukiki01様
初めまして。コメントをありがとうございます。
お互いに「百聞は一見にしかず」を共有出来たこと、嬉しいです。
こういう試みはいいですね。一人の講演会よりも聴衆に届きやすい
形ではないでしょうか。
私は、自分自身を省みる時のテーマが「与える」ということなので、
それに引きつけて聞いていたのですが、聞く人それぞれに様々な
考える契機が与えられたのではないかと思います。
ukiki01さんが書かれている、「小泉総理のアメリカへの抑圧」なども
よ〜っく考えると結構深くてこわーいテーマでしょう。
ご本人たちも仰っていましたが、聴衆がいることによって「引き出される」somethingがあったと言う点では音楽のライブも全く同様で、
やはり、ライブは楽しいですよね。
よこよこ様
こんばんは。あたたかいレスをありがとうございます。
よこよこさんの文章は(記事も、コメントも)するすると入ってきます。
拝読しててとてもここちよいです。
移住されるのですね。楽しみですね。
また遊びにこさせてください。
こちらこそ、ありがとうございます。
これからもよろしく、です。