2011年01月21日
大澤真幸『「正義」を考える』(NHK出版新書) 6点
見返しの内容紹介に「大澤社会学、至高の到達点!」とあるように、社会学者・大澤真幸の集大成的な本。
ただ、このように紹介しても大澤真幸のことを知らない人には伝わらないと思うので、とりあえず「サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』を社会学的に解体・再編成した本」とでもしておきましょうか。社会学者・大澤真幸がサンデルの正義論を援用しつつ、その弱点を指摘し、別の「正義」の可能性を追求しています。
この本では、まず角田光代の『八日目の蝉』のエピソードを手がかりに、現代社会の「生きづらさ」を「人生を物語化できないこと」に求め、次にサンデルの「正義」をめぐる議論を検討します。
功利主義、リベラリズム、コミュタリアニズムをそれぞれ検討していくわけですが、もし現代社会に足りないものが「物語」であるならば、正しい立場としてコミュタリアニズムが導かれそうなものです。けれど、大澤真幸はコミュタリアニズム、そしてその思想の源泉となったいるアリストテレスの考えが、<資本>という現代社会の現象を捉え損ねている点を指摘して、コミュタリアニズムを退けます。
このあたりまでの議論はまあ細かいところでは異論もあるでしょうが、個人的にはそこそこ納得出来る考えです。コミュタリアンが「資本主義以前のシステム、<資本>が一般化する前の社会システムを前提にものを考えている」(158p)というのは有効な批判だと思います。
が、ここから先の議論はアクロバティックすぎる、というか否定神学的すぎるもので、最終的にはかなり問題のある理論を導きだしてしまっていると思う。
議論をすべてたどる事はできないので、結論的な部分だけを取り出すと、おそらく次のようなものになる。
1,超越性が失われ、「普遍」というものが成立しがたい現代社会では人びとは「普遍性」を求めつつもそれが得られずに「生きづらさ」がつのる。
2,しかし、「普遍性」は共通にではなく、逆説的に「特殊」なものに宿ることもある。例えば、違う文化の間であっても、そこで抑圧されている人々の間には何らかの共通するものがあり、それが「普遍性」に通じるのではないか?
3,そして、おそらくこれがイエスの教えでもある。
4,というわけで否定性の水準で「普遍性」が成り立ち、そこに連帯の根拠が見いだせる。
5,人びとの生きる「物語」としては、破局(終末)を仮定してそこから成り立つ「物語」、つまり破局が起きるものと仮定してそれを避けるための「物語」を生きるという道も可能で、そこにある意味で「自由」が存在する。
6,このような否定性を媒介にして人びとは解放されるかもしれない。「傷を負うということは、共同体が自分に付与するアイデンティティに還元できない否定性を、自分の中に刻み付けるということです。そのことで外へと開かれる可能性が宿る」(282p)
かなり荒っぽい要約なのですが、大澤真幸が「傷」や「抑圧」、あるいは「破局」といった否定性を媒介にした「連帯」や「共同体」の可能性を見ていることはわかると思います。
確かにこういった否定性を媒介にした考えというのは、現代思想ではおなじみのもので、これに説得力を感じる人もいるでしょう。
けれども、これはヨハネ黙示録を含んだキリスト教そのもの(ヨハネ黙示録は他の福音書にくらべてあとの時代に成立したと言われています)、あるいはカルヴァン派の考えそのもののようです。そして、さらには大澤真幸が『虚構の時代の果て』でとりあげたオウム真理教的なものにも限り無く近いのではないでしょうか?
共同体において抑圧された者が、「破局」あるいは「最後の審判」を想定して生きる、これはカルト教団に共通すると言ってもいいストーリーです。大澤真幸の議論はこのありふれたストーリーを、華麗に語り直しただけのようにも思えます。
もちろん「抑圧された者同士の共同体」というのは一つの共同体のあり方ですし、「連帯」の一つの可能性ではありますが、それを「終末論」によって全世界的に拡大させようとするのは筋が悪すぎる。「オウム事件から一体何を学んだんだ?」と言いたいですね。
マルクスとアイン・ランドのパラレルな関係の説明など、「なるほど」と思わせる議論もあって、面白く読める本ではありますが、結論は正直いただけないですね。
「正義」を考える―生きづらさと向き合う社会学 (NHK出版新書 339)
大澤 真幸

このブログはこれ最後の更新になります。
今後は以下の移転先を御覧ください。
山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/
ただ、このように紹介しても大澤真幸のことを知らない人には伝わらないと思うので、とりあえず「サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』を社会学的に解体・再編成した本」とでもしておきましょうか。社会学者・大澤真幸がサンデルの正義論を援用しつつ、その弱点を指摘し、別の「正義」の可能性を追求しています。
この本では、まず角田光代の『八日目の蝉』のエピソードを手がかりに、現代社会の「生きづらさ」を「人生を物語化できないこと」に求め、次にサンデルの「正義」をめぐる議論を検討します。
功利主義、リベラリズム、コミュタリアニズムをそれぞれ検討していくわけですが、もし現代社会に足りないものが「物語」であるならば、正しい立場としてコミュタリアニズムが導かれそうなものです。けれど、大澤真幸はコミュタリアニズム、そしてその思想の源泉となったいるアリストテレスの考えが、<資本>という現代社会の現象を捉え損ねている点を指摘して、コミュタリアニズムを退けます。
このあたりまでの議論はまあ細かいところでは異論もあるでしょうが、個人的にはそこそこ納得出来る考えです。コミュタリアンが「資本主義以前のシステム、<資本>が一般化する前の社会システムを前提にものを考えている」(158p)というのは有効な批判だと思います。
が、ここから先の議論はアクロバティックすぎる、というか否定神学的すぎるもので、最終的にはかなり問題のある理論を導きだしてしまっていると思う。
議論をすべてたどる事はできないので、結論的な部分だけを取り出すと、おそらく次のようなものになる。
1,超越性が失われ、「普遍」というものが成立しがたい現代社会では人びとは「普遍性」を求めつつもそれが得られずに「生きづらさ」がつのる。
2,しかし、「普遍性」は共通にではなく、逆説的に「特殊」なものに宿ることもある。例えば、違う文化の間であっても、そこで抑圧されている人々の間には何らかの共通するものがあり、それが「普遍性」に通じるのではないか?
3,そして、おそらくこれがイエスの教えでもある。
4,というわけで否定性の水準で「普遍性」が成り立ち、そこに連帯の根拠が見いだせる。
5,人びとの生きる「物語」としては、破局(終末)を仮定してそこから成り立つ「物語」、つまり破局が起きるものと仮定してそれを避けるための「物語」を生きるという道も可能で、そこにある意味で「自由」が存在する。
6,このような否定性を媒介にして人びとは解放されるかもしれない。「傷を負うということは、共同体が自分に付与するアイデンティティに還元できない否定性を、自分の中に刻み付けるということです。そのことで外へと開かれる可能性が宿る」(282p)
かなり荒っぽい要約なのですが、大澤真幸が「傷」や「抑圧」、あるいは「破局」といった否定性を媒介にした「連帯」や「共同体」の可能性を見ていることはわかると思います。
確かにこういった否定性を媒介にした考えというのは、現代思想ではおなじみのもので、これに説得力を感じる人もいるでしょう。
けれども、これはヨハネ黙示録を含んだキリスト教そのもの(ヨハネ黙示録は他の福音書にくらべてあとの時代に成立したと言われています)、あるいはカルヴァン派の考えそのもののようです。そして、さらには大澤真幸が『虚構の時代の果て』でとりあげたオウム真理教的なものにも限り無く近いのではないでしょうか?
共同体において抑圧された者が、「破局」あるいは「最後の審判」を想定して生きる、これはカルト教団に共通すると言ってもいいストーリーです。大澤真幸の議論はこのありふれたストーリーを、華麗に語り直しただけのようにも思えます。
もちろん「抑圧された者同士の共同体」というのは一つの共同体のあり方ですし、「連帯」の一つの可能性ではありますが、それを「終末論」によって全世界的に拡大させようとするのは筋が悪すぎる。「オウム事件から一体何を学んだんだ?」と言いたいですね。
マルクスとアイン・ランドのパラレルな関係の説明など、「なるほど」と思わせる議論もあって、面白く読める本ではありますが、結論は正直いただけないですね。
「正義」を考える―生きづらさと向き合う社会学 (NHK出版新書 339)
大澤 真幸

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2011年01月14日
小林美希『看護崩壊』(アスキー新書) 5点
長時間労働と夜勤、そして仕事の責任の重さから毎年10万人近くが離職している看護職(ただしそのうち約6.9万人程は再就職)。過労死と隣合わせで働く人、新人看護師としてキャリアをスタートさせたものの、あまりの忙しさにバーンアウトしてしまう人など、現在、看護の現場は大きな問題を抱えています。
この本は、そんな看護の現場の現状と、これからの状況に警鐘を鳴らしています。
ただ、著者の問題意識や取材量は十分なのですが、残念ながら分析が甘く。非常に混乱した内容になっています。
例えば、看護の現場の状況について述べたあとに次のように続けています。
このうち確かに1と4に関しては看護師の労働環境をさらに悪化させる危険性であることはわかります。けれども2の「特定看護師」の創設や、3の「5対1」の新設はそれがそのまま看護現場の労働環境の悪化へとつながるのでしょうか?
まず、「5対1」から取り上げますが、これは患者に対する看護師の配置基準のことで、2006年改正の診療報酬では患者7人に対して看護師1人を配置する「7対1」をクリアーすると診療報酬の加算が受けられる「7対1」が新設され、各地で病院同士の看護師争奪戦が起きました。
この「7対1」をさらに進めたのが「5対1」。「7対1」導入時には激しい看護師争奪戦の結果、大病院に看護師が集中し、中小や地方の病院では看護師不足が顕在化するという問題が起きました。また、新人が増えたために中堅の看護師がかえって仕事に忙殺されることとなったとこの本では報告しています。
しかし、担当数患者数が減るというのは看護師にとって基本的にはいいことのはずで、導入の仕方さえ間違わなければ看護師の労働環境を向上させる改革になるのではないでしょうか?
次に「特定看護師」についてですが、これは医師にかわって一定の診療行為を行う看護師のことで、アメリカのナース・プラクティショナー制度が一つのモデルになっています。これについても著者は否定的で羽生田俊日本医師会副会長から「特定看護師でチーム医療が崩壊する」といった言葉を引き出しているわけですが、医師が看護師業務拡大に反対するのは当然ではないですか。医師が自らの業務を脅かすような職種に理解を示すはずはないです。
「特定看護師」制度が現場にどのような影響をあたえるのかは正直わかりませんが、うまくいけば看護師の地位向上につながりますし、第4章で著者が指摘している看護師の生涯賃金が低さを解決する一つの手段ともなるはずです。
全体的に看護の現場の問題を訴えたいばかりに、トータルでのメリット・デメリットの判断が疎かになっているケースが目立ちます。
介護職との役割分担についても、ある程度必要だとの認識はあるのでしょうが、介護職による痰の吸引を認める政府の方針については「より人件費のかからない者への押し付けでしかない」(242p)と否定的。正直、これでは話が進まないでしょう。
ちなみに、この問題についてはこの本でインタビューされている日本看護協会の常任理事・小川忍氏は反対。ここでも「特定看護師」と医師の問題と同じ構図が反復されています。
こういった政治的な立ち位置を理解した上で議論を整理しないと、看護の未来は開けてこないでしょう。
後半の、濱口桂一郎などの意見を紹介して看護師の問題を労働問題として考えている部分はいい視点だと思いますし、看護職での流産の多さなどのショッキングな報告はルポとして意義があるものですが、もう少し広い視野を持って本としてまとめて欲しかったです。
看護崩壊 病院から看護師が消えてゆく (アスキー新書)
小林美希 著

先日のエントリーでもお知らせしたとおり、このブログは移転します、というかしました。
しばらくしたらこちらの更新はなくなりますので、以下のサイトを御覧ください。
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http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/
この本は、そんな看護の現場の現状と、これからの状況に警鐘を鳴らしています。
ただ、著者の問題意識や取材量は十分なのですが、残念ながら分析が甘く。非常に混乱した内容になっています。
例えば、看護の現場の状況について述べたあとに次のように続けています。
そうした、いつ病棟で看護師が過労死するかもわからないような状況下で、今、さらに看護師に負荷を強い、労働環境を激変させようとする制度の改正が行われようとしている。
具体的には、1・夜勤の規制緩和、2・看護師の業務を拡大する「特定看護師」の創設、3・看護配置基準を引き上げる「5対1」の新設、4・労働者派遣の解禁 ーとなる。
このうち確かに1と4に関しては看護師の労働環境をさらに悪化させる危険性であることはわかります。けれども2の「特定看護師」の創設や、3の「5対1」の新設はそれがそのまま看護現場の労働環境の悪化へとつながるのでしょうか?
まず、「5対1」から取り上げますが、これは患者に対する看護師の配置基準のことで、2006年改正の診療報酬では患者7人に対して看護師1人を配置する「7対1」をクリアーすると診療報酬の加算が受けられる「7対1」が新設され、各地で病院同士の看護師争奪戦が起きました。
この「7対1」をさらに進めたのが「5対1」。「7対1」導入時には激しい看護師争奪戦の結果、大病院に看護師が集中し、中小や地方の病院では看護師不足が顕在化するという問題が起きました。また、新人が増えたために中堅の看護師がかえって仕事に忙殺されることとなったとこの本では報告しています。
しかし、担当数患者数が減るというのは看護師にとって基本的にはいいことのはずで、導入の仕方さえ間違わなければ看護師の労働環境を向上させる改革になるのではないでしょうか?
次に「特定看護師」についてですが、これは医師にかわって一定の診療行為を行う看護師のことで、アメリカのナース・プラクティショナー制度が一つのモデルになっています。これについても著者は否定的で羽生田俊日本医師会副会長から「特定看護師でチーム医療が崩壊する」といった言葉を引き出しているわけですが、医師が看護師業務拡大に反対するのは当然ではないですか。医師が自らの業務を脅かすような職種に理解を示すはずはないです。
「特定看護師」制度が現場にどのような影響をあたえるのかは正直わかりませんが、うまくいけば看護師の地位向上につながりますし、第4章で著者が指摘している看護師の生涯賃金が低さを解決する一つの手段ともなるはずです。
全体的に看護の現場の問題を訴えたいばかりに、トータルでのメリット・デメリットの判断が疎かになっているケースが目立ちます。
介護職との役割分担についても、ある程度必要だとの認識はあるのでしょうが、介護職による痰の吸引を認める政府の方針については「より人件費のかからない者への押し付けでしかない」(242p)と否定的。正直、これでは話が進まないでしょう。
ちなみに、この問題についてはこの本でインタビューされている日本看護協会の常任理事・小川忍氏は反対。ここでも「特定看護師」と医師の問題と同じ構図が反復されています。
こういった政治的な立ち位置を理解した上で議論を整理しないと、看護の未来は開けてこないでしょう。
後半の、濱口桂一郎などの意見を紹介して看護師の問題を労働問題として考えている部分はいい視点だと思いますし、看護職での流産の多さなどのショッキングな報告はルポとして意義があるものですが、もう少し広い視野を持って本としてまとめて欲しかったです。
看護崩壊 病院から看護師が消えてゆく (アスキー新書)
小林美希 著

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2011年01月11日
古田亮『俵屋宗達』(平凡社新書) 8点
第32回サントリー学芸賞受賞の新書。
「風神雷神図屏風」などで有名ながらも、その生涯や作風の変遷が謎に包まれている江戸時代初期の画家・俵屋宗達。宗達はまた尾形光琳などにも影響を与えた「琳派の祖」とも位置づけられています。
こうした今までの宗達像に対して、琳派と宗達の違いを指摘し、近代絵画やクリムトやマチスとの対比によって、宗達の独自性を論じようとしたのがこの本。
読み応えのある宗達論、そして絵画論になっています。
特に尾形光琳らの琳派と宗達を比較した部分は面白いです。
尾形光琳・酒井抱一は宗達の「風神雷神図屏風」をモデルにしてそれぞれ「風神雷神図屏風」を描いていますが、ほぼトレースしたと思われる光琳の「風神雷神図屏風」においても、細かい部分を見ることで宗達との違いが浮き上がってきます。
宗達の絵にあった奥行きや動きが消え、よりフラットでデザイン的な絵になっています。さらに抱一となると完全に装飾的です。
宗達の絵も「装飾的」と呼ばれ、それが「琳派の祖」とされる一つの要因なのでしょうが、い同じ「装飾性」でも、宗達と光琳の間には、動きの有無などの違いがあることを、宗達、光琳それぞれの絵の分析を通じてこの本は教えてくれます。
この本はもちろん宗達を分析した本なのですが、光琳や抱一、さらには鈴木其一といったその後の琳派の展開もフォローしており、宗達を琳派から切り離す意図を持ちつつも、琳派の流れをたどる本としても楽しめます。
クリムトやマチスとの対比に関してはあくまでも著者の主観ではあるのですが、宗達の「伊勢物語色紙・芥川」とクリムトの「接吻」、宗達の「舞楽図屏風」とマチスの「ダンス」を並べて見せられると「なるほど」と思うところがあります。
この本を読むと宗達のモダンさというのがよくわかります。
あと、村上隆の「スーパーフラット」概念との類似に関しては、類似を認めつつも、「宗達の芸術には、スーパーフラットではない、精神の自由と深さがある」(78p)としており、村上隆って日本のアカデミズムでは好かれていないだなってことを改めて認識しました。
俵屋宗達 琳派の祖の真実 (平凡社新書)
古田 亮

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「風神雷神図屏風」などで有名ながらも、その生涯や作風の変遷が謎に包まれている江戸時代初期の画家・俵屋宗達。宗達はまた尾形光琳などにも影響を与えた「琳派の祖」とも位置づけられています。
こうした今までの宗達像に対して、琳派と宗達の違いを指摘し、近代絵画やクリムトやマチスとの対比によって、宗達の独自性を論じようとしたのがこの本。
読み応えのある宗達論、そして絵画論になっています。
特に尾形光琳らの琳派と宗達を比較した部分は面白いです。
尾形光琳・酒井抱一は宗達の「風神雷神図屏風」をモデルにしてそれぞれ「風神雷神図屏風」を描いていますが、ほぼトレースしたと思われる光琳の「風神雷神図屏風」においても、細かい部分を見ることで宗達との違いが浮き上がってきます。
宗達の絵にあった奥行きや動きが消え、よりフラットでデザイン的な絵になっています。さらに抱一となると完全に装飾的です。
宗達の絵も「装飾的」と呼ばれ、それが「琳派の祖」とされる一つの要因なのでしょうが、い同じ「装飾性」でも、宗達と光琳の間には、動きの有無などの違いがあることを、宗達、光琳それぞれの絵の分析を通じてこの本は教えてくれます。
この本はもちろん宗達を分析した本なのですが、光琳や抱一、さらには鈴木其一といったその後の琳派の展開もフォローしており、宗達を琳派から切り離す意図を持ちつつも、琳派の流れをたどる本としても楽しめます。
クリムトやマチスとの対比に関してはあくまでも著者の主観ではあるのですが、宗達の「伊勢物語色紙・芥川」とクリムトの「接吻」、宗達の「舞楽図屏風」とマチスの「ダンス」を並べて見せられると「なるほど」と思うところがあります。
この本を読むと宗達のモダンさというのがよくわかります。
あと、村上隆の「スーパーフラット」概念との類似に関しては、類似を認めつつも、「宗達の芸術には、スーパーフラットではない、精神の自由と深さがある」(78p)としており、村上隆って日本のアカデミズムでは好かれていないだなってことを改めて認識しました。
俵屋宗達 琳派の祖の真実 (平凡社新書)
古田 亮

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山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
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2011年01月08日
移転のお知らせ
ずっとこのLOVELOGという場所でやってきた「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル」ですが、諸処の事情により下記のサイトに移転しようと考えています。
山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/
とりあえず過去の記事は移転させました。
しばらくはこちらも更新しつつ、問題がないようであればこちらを閉鎖して向こうに完全に移転しようと思います。
どうぞよろしくお願いします。
山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/
とりあえず過去の記事は移転させました。
しばらくはこちらも更新しつつ、問題がないようであればこちらを閉鎖して向こうに完全に移転しようと思います。
どうぞよろしくお願いします。
2011年01月05日
宮下規久朗『裏側からみた美術史』(日経プレミア) 6点
『食べる西洋美術史』、『ウォーホルの芸術』が共に非常に面白かった宮下規久朗の美術エッセイ。全部で20のエピソードが取り上げられていて内容は次のとおり。
もともとは、資生堂の『花椿』で連載されていた美術に関しての軽い読み物で、1話がだいたい6〜10ページほど。どこからでも拾い読みすることができます。
ただ、軽い読み物といっても、宮下規久朗だけあって、死刑と絵の関係を語った「死刑囚と美術」、ウォーホルの「13人の凶悪指名手配犯」とからめて人を貶めるために描かれた肖像画についての「誹謗の肖像」、刺青という本人の死と共に消え失せてしまう美術を語った「究極の身体芸術」など、面白いエピソードが詰まっています(ちなみに、東大医学部の標本室に日本最大の刺青標本のコレクションがあるとか…)。
また、芸術家の晩年の作品について語った「芸術家の晩年と絶筆」では、「次第にマンネリに陥り、〜気の抜けた作品のうちのひとつが、たまたま絶筆となるだけである」と手厳しく批評するなど、歯に衣を着せぬ語り口も楽しめます。
というわけで軽い読み物としては十分な出来ですが、あくまでも軽いエッセイですし、本文170ページにカラー口絵が6ページで850円というのは少し高いのでは?
日経プレミアの価格設定がやや高いのは知っていますが、それならもう少しカラー口絵で頑張ってくれてもよかったと思います。
裏側からみた美術史 (日経プレミアシリーズ)
宮下 規久朗

第1話 天才の嫉妬
第2話 不良か優等生か
第3話 ヌードが取り締まられるとき
第4話 肖像と権力
第5話 死刑囚と美術
第6話 誹謗の肖像
第7話 危険な食物
第8話 究極の身体芸術
第9話 天国への階段
第10話 本物と偽物のあいだ
第11話 聖像が隠されるとき
第12話 社会不安は美術を変え得るか
第13話 芸術家の晩年と絶筆
第14話 語ることができることとできないこと
第15話 記録と追悼
第16話 映画になった画家たち
第17話 医学と美術のあいだ
第18話 聖人の力と呪い
第19話 戦争と美術
第20話 回顧展の流行
もともとは、資生堂の『花椿』で連載されていた美術に関しての軽い読み物で、1話がだいたい6〜10ページほど。どこからでも拾い読みすることができます。
ただ、軽い読み物といっても、宮下規久朗だけあって、死刑と絵の関係を語った「死刑囚と美術」、ウォーホルの「13人の凶悪指名手配犯」とからめて人を貶めるために描かれた肖像画についての「誹謗の肖像」、刺青という本人の死と共に消え失せてしまう美術を語った「究極の身体芸術」など、面白いエピソードが詰まっています(ちなみに、東大医学部の標本室に日本最大の刺青標本のコレクションがあるとか…)。
また、芸術家の晩年の作品について語った「芸術家の晩年と絶筆」では、「次第にマンネリに陥り、〜気の抜けた作品のうちのひとつが、たまたま絶筆となるだけである」と手厳しく批評するなど、歯に衣を着せぬ語り口も楽しめます。
というわけで軽い読み物としては十分な出来ですが、あくまでも軽いエッセイですし、本文170ページにカラー口絵が6ページで850円というのは少し高いのでは?
日経プレミアの価格設定がやや高いのは知っていますが、それならもう少しカラー口絵で頑張ってくれてもよかったと思います。
裏側からみた美術史 (日経プレミアシリーズ)
宮下 規久朗

2010年12月31日
武田尚子『チョコレートの世界史』(中公新書) 7点
川北稔は『イギリス近代史講義』で、生産地と消費地が離れている砂糖を題材にした世界システム論の本は書けるが、生産地と消費地がほぼ同じジャガイモでは書けない、有望なのはコーヒーだろうという話をしていましたが、チョコレートの原料のカカオも、世界システム論的に記述できるものでしょう。
この本では、中南米で「神々の食べ物」とされ、貨幣の役割まで果たしていたカカオが、ヨーロッパに到来し、普及していく様子が描かれています。
薬品、あるいは貴族たちの嗜好品としてヨーロッパに登場したココアは、スペインのバスク地方でポルトガルから亡命してきたユダヤ人達によって市民層に提供されるようになり、さらにはオランダ、イギリスといった国々で大々的に普及していくようになります。
18〜19世紀にかけてのイギリスの自由貿易の普及と砂糖の輸入量の伸び、そしてそれと共に起こるカカオの生産の拡大。このあたりはカカオ豆を通してダイナミックな世界史の動きが見える部分です。
また、アルコールに変わる労働者のエネルギー補給物としてココアやチョコレートが普及していった過程というのも興味深いです。
ただ、著者が社会学者ということもあって、後半はイギリスの「キットカット」を生み出したロウントリー社の歴史を中心に製品としてのチョコレートの変遷、そしてクエーカー教徒の実業家として社会問題にも関心を持ち理想の工場などを模索したロウントリー社の試みが記述の中心になります。
心理学などを用いて理想の職場環境を考え、工場で様々なレクリエーションを行ったロウントリー社の模索は面白いですし、クエーカー教徒がイギリスの産業社会や社会福祉に与えた影響というのも興味深いですが、世界史的な部分がバッサリ切られてしまったのはちょっと残念。
例えば、ガーナやコートジボワールでのカカオ栽培の歴史など、少しは触れてくれてもよかったと思います。
また、ロウントリー社は現在、ネスレに買収されたわけですが、理想の工場はその後どうなっていったのかということも気になります。
ただ、キットカットだけではなく、ヴァンホーテン、リンツなどの起源を知ることができますし、ゴディバが、ウォーホルの絵で有名なキャンベル・スープのキャンベル社に買収されたことで世界的なブランドになったことなど、トリビア的なネタも楽しめる本ではあります。
チョコレートの世界史―近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石 (中公新書 2088)
武田 尚子

この本では、中南米で「神々の食べ物」とされ、貨幣の役割まで果たしていたカカオが、ヨーロッパに到来し、普及していく様子が描かれています。
薬品、あるいは貴族たちの嗜好品としてヨーロッパに登場したココアは、スペインのバスク地方でポルトガルから亡命してきたユダヤ人達によって市民層に提供されるようになり、さらにはオランダ、イギリスといった国々で大々的に普及していくようになります。
18〜19世紀にかけてのイギリスの自由貿易の普及と砂糖の輸入量の伸び、そしてそれと共に起こるカカオの生産の拡大。このあたりはカカオ豆を通してダイナミックな世界史の動きが見える部分です。
また、アルコールに変わる労働者のエネルギー補給物としてココアやチョコレートが普及していった過程というのも興味深いです。
ただ、著者が社会学者ということもあって、後半はイギリスの「キットカット」を生み出したロウントリー社の歴史を中心に製品としてのチョコレートの変遷、そしてクエーカー教徒の実業家として社会問題にも関心を持ち理想の工場などを模索したロウントリー社の試みが記述の中心になります。
心理学などを用いて理想の職場環境を考え、工場で様々なレクリエーションを行ったロウントリー社の模索は面白いですし、クエーカー教徒がイギリスの産業社会や社会福祉に与えた影響というのも興味深いですが、世界史的な部分がバッサリ切られてしまったのはちょっと残念。
例えば、ガーナやコートジボワールでのカカオ栽培の歴史など、少しは触れてくれてもよかったと思います。
また、ロウントリー社は現在、ネスレに買収されたわけですが、理想の工場はその後どうなっていったのかということも気になります。
ただ、キットカットだけではなく、ヴァンホーテン、リンツなどの起源を知ることができますし、ゴディバが、ウォーホルの絵で有名なキャンベル・スープのキャンベル社に買収されたことで世界的なブランドになったことなど、トリビア的なネタも楽しめる本ではあります。
チョコレートの世界史―近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石 (中公新書 2088)
武田 尚子

2010年12月29日
2010年の新書
今年は77冊新書を読みました。
ただ、仕事の関係で新刊だけでなく歴史関係を中心に過去の新書をけっこう読んだような気がします。
今谷明『室町の王権』とか熊野純彦『西洋哲学史―古代から中世へ』とか読み落とした傑作が読めたのはよかったのですが、そのせいか新刊に対する点数はやや辛かったかもしれません。
そんな中でもベスト5を。
父として考える (生活人新書)
東 浩紀 宮台 真司

日本放送出版協会 2010-07-10
売り上げランキング : 38463
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対談本ですし、学問的な厳密さはないのですが、今年もっとも刺激を受けた新書がこれ。今まで何度か行われてきた東浩紀・宮台真司の対談の中でもベストの出来で、宮台真司の剥き出しのエリート主義に東浩紀がヘタレ的な立場からうまく疑問を差し挟んでいます。
さよならニッポン農業(生活人新書321)
神門 善久

日本放送出版協会 2010-06-10
売り上げランキング : 9808
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「農地転用」の問題に焦点をあて、日本農業の問題点をえぐり出した本。 経済学的な見方を維持しながら、たんなる自由化ではない独自のニッポン農業救済策を打ち出しています。
イギリス近代史講義 (講談社現代新書)
川北 稔

講談社 2010-10-16
売り上げランキング : 13506
Amazonで詳しく見る by G-Tools
イギリス近代の家族形態から、都市やスラムの成立、産業革命における消費者の存在など、ミクロ的な事象から、「近代の成立」というマクロ的な社会構造の変化を描いて見せた本。著者の言う「成長パラノイア」に取り憑かれた「近代」そのものを考える上で刺激に満ちた本だと思います。
ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡 (光文社新書)
宮下規久朗

光文社 2010-04-16
売り上げランキング : 58741
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ウォーホル財団の許可が下りなかったためカラーの口絵がないという大きな欠点はあるのですが、それを補って余りある面白さでした。個人的にこの本によって、今まで興味のなかった現代アートに、ポップアートに、そして何よりもアンディ・ウォーホルに興味を持ちましたし、ウォーホルの作品の魅力に気づくことができました。
創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
輪島 裕介

光文社 2010-10-15
売り上げランキング : 16447
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「演歌」という「伝統的」と思われているジャンルが、1960年代に成立し、そして70年代から80年代にかけて「日本の心」となっていった過程を丁寧に論じた本。あまりにも多くの要素がありすぎて、もうちょっとすっきりとした見取り図は描けなかったのか?とも思いますが、このあまりにも雑多な要素から「政治性」が見えてくる所が面白かったです。
これ以外だと、本田良一『ルポ 生活保護』(中公新書)、大竹文雄『競争と公平感』(中公新書)、古市憲寿『希望難民ご一行様』(光文社新書)、明石康『「独裁者」との交渉術』(集英社新書)、山口誠『ニッポンの海外旅行』といったところでしょうか。
今年目立ったのはNHK生活人新書。どうやら1月からNHK出版新書となって、今年から目立ってきた教養新書路線を強化するみたいです。
あと、細かい変更ですが美川圭『院政』(中公新書)を6点から7点に変更します。
記述がわかりにくいというのはあるのですが、平安時代後期の政治史のネタを提供する本として非常に役に立ちました。
ただ、仕事の関係で新刊だけでなく歴史関係を中心に過去の新書をけっこう読んだような気がします。
今谷明『室町の王権』とか熊野純彦『西洋哲学史―古代から中世へ』とか読み落とした傑作が読めたのはよかったのですが、そのせいか新刊に対する点数はやや辛かったかもしれません。
そんな中でもベスト5を。
父として考える (生活人新書)
東 浩紀 宮台 真司

日本放送出版協会 2010-07-10
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対談本ですし、学問的な厳密さはないのですが、今年もっとも刺激を受けた新書がこれ。今まで何度か行われてきた東浩紀・宮台真司の対談の中でもベストの出来で、宮台真司の剥き出しのエリート主義に東浩紀がヘタレ的な立場からうまく疑問を差し挟んでいます。
さよならニッポン農業(生活人新書321)
神門 善久

日本放送出版協会 2010-06-10
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「農地転用」の問題に焦点をあて、日本農業の問題点をえぐり出した本。 経済学的な見方を維持しながら、たんなる自由化ではない独自のニッポン農業救済策を打ち出しています。
イギリス近代史講義 (講談社現代新書)
川北 稔

講談社 2010-10-16
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イギリス近代の家族形態から、都市やスラムの成立、産業革命における消費者の存在など、ミクロ的な事象から、「近代の成立」というマクロ的な社会構造の変化を描いて見せた本。著者の言う「成長パラノイア」に取り憑かれた「近代」そのものを考える上で刺激に満ちた本だと思います。
ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡 (光文社新書)
宮下規久朗

光文社 2010-04-16
売り上げランキング : 58741
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ウォーホル財団の許可が下りなかったためカラーの口絵がないという大きな欠点はあるのですが、それを補って余りある面白さでした。個人的にこの本によって、今まで興味のなかった現代アートに、ポップアートに、そして何よりもアンディ・ウォーホルに興味を持ちましたし、ウォーホルの作品の魅力に気づくことができました。
創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
輪島 裕介

光文社 2010-10-15
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「演歌」という「伝統的」と思われているジャンルが、1960年代に成立し、そして70年代から80年代にかけて「日本の心」となっていった過程を丁寧に論じた本。あまりにも多くの要素がありすぎて、もうちょっとすっきりとした見取り図は描けなかったのか?とも思いますが、このあまりにも雑多な要素から「政治性」が見えてくる所が面白かったです。
これ以外だと、本田良一『ルポ 生活保護』(中公新書)、大竹文雄『競争と公平感』(中公新書)、古市憲寿『希望難民ご一行様』(光文社新書)、明石康『「独裁者」との交渉術』(集英社新書)、山口誠『ニッポンの海外旅行』といったところでしょうか。
今年目立ったのはNHK生活人新書。どうやら1月からNHK出版新書となって、今年から目立ってきた教養新書路線を強化するみたいです。
あと、細かい変更ですが美川圭『院政』(中公新書)を6点から7点に変更します。
記述がわかりにくいというのはあるのですが、平安時代後期の政治史のネタを提供する本として非常に役に立ちました。
2010年12月25日
小林正弥『サンデルの政治哲学』(平凡社新書) 7点
「ハーバード白熱教室」で一躍時の人となったサンデルの入門書。著者の小林正弥はTVで解説を行っていた人で、覚えている人も多いかと思います。
その小林正弥が、『これから「正義」の話をしよう』、『リベラリズムと正義の限界』、『民主政の不満』、『完全な人間を目指さなくても良い理由』(小林正弥はこの邦訳タイトルには不満らしいですが…)、『公共哲学』と、サンデルの主要な著作のすべてを解説してくれるのがこの本です。
ただ、「ハーバード白熱教室」や『これから「正義」の話をしよう』を、見たこと、読んだことがないという人には、この本を通してではなく直接、サンデルの本を読むなりTVを見るなりすることをお薦めします。
もともとわかりやすい内容ですし、要約が意味を持つものでもありません。
ということで、この本も第一講の「「ハーバード講義」の思想的エッセンス」については、個人的にあまり意味が無いと思いますし、『これから「正義」の話をしよう』を読んだ人は飛ばしてもいいと思います。
けれども、「ハーバード白熱教室」や『これから「正義」の話をしよう』を、見ただけ、読んだけという人には、この本はおすすめです。
サンデルは講義の中では、あまり自分の意見を積極的に主張しておらず、学生のナビゲーターのような役割を果たしていますが、ある程度、政治思想の知識がある人が見ると、彼がいわゆる「コミュタリアニズム」の考えに議論を誘導していることがわかります(あるいは、「コミュタリアニズム」という言葉にイメージを持ちにくいならば、「アリストテレス的な倫理」と言ってもいいもので、倫理や道徳において共同体の存在や共同体の中での個人という立場を重視するタイプ)。
そうした講義の背後にあるサンデルの思想を分かりやすく教えてくれるのがこの本。この本を読めば、サンデルの講義に隠された意図も分かってくると思います。
またコミュタリアニズムの入門書としても、以前新書で出た
菊池理夫『日本を甦らせる政治思想』が全く良くなかっただけに、手軽なものとしておすすめできます。
もっとも入門書と考えると、ここまで全著作を網羅する解説にする必要があったのかとも思います。『公共哲学』のようなエッセイ集の解説は、「ここまでしなくても」、と思いました。
ただし、ある程度、政治哲学に詳しい人にとっては詳しすぎる解説が逆に興味深いという面もあります。
特に一般には保守的と考えられることの多いコミュタリアンでありながら民主党を支持するサンデルのロジック、同じユダヤ系のコミュタリアンであるウォルツァーとの違いなどはなかなか興味深く読めました。
あと蛇足ですが、次の部分は日本の昨今の青少年育成条例なんかにもあてはまる現象だと思いました。
具体的にはVチップの導入や門限や学校の制服の奨励とかなんだけど、これをサンデルが肯定的に捉えているところに、個人的にコミュタリアニズムへの違和感があります。
つまり、コミュタリアニズム的な共同体の「善」なんて、現実の大人が守れない幻想に過ぎないのではないかとも思うのです。
サンデルの政治哲学 (平凡社新書)
小林 正弥

その小林正弥が、『これから「正義」の話をしよう』、『リベラリズムと正義の限界』、『民主政の不満』、『完全な人間を目指さなくても良い理由』(小林正弥はこの邦訳タイトルには不満らしいですが…)、『公共哲学』と、サンデルの主要な著作のすべてを解説してくれるのがこの本です。
ただ、「ハーバード白熱教室」や『これから「正義」の話をしよう』を、見たこと、読んだことがないという人には、この本を通してではなく直接、サンデルの本を読むなりTVを見るなりすることをお薦めします。
もともとわかりやすい内容ですし、要約が意味を持つものでもありません。
ということで、この本も第一講の「「ハーバード講義」の思想的エッセンス」については、個人的にあまり意味が無いと思いますし、『これから「正義」の話をしよう』を読んだ人は飛ばしてもいいと思います。
けれども、「ハーバード白熱教室」や『これから「正義」の話をしよう』を、見ただけ、読んだけという人には、この本はおすすめです。
サンデルは講義の中では、あまり自分の意見を積極的に主張しておらず、学生のナビゲーターのような役割を果たしていますが、ある程度、政治思想の知識がある人が見ると、彼がいわゆる「コミュタリアニズム」の考えに議論を誘導していることがわかります(あるいは、「コミュタリアニズム」という言葉にイメージを持ちにくいならば、「アリストテレス的な倫理」と言ってもいいもので、倫理や道徳において共同体の存在や共同体の中での個人という立場を重視するタイプ)。
そうした講義の背後にあるサンデルの思想を分かりやすく教えてくれるのがこの本。この本を読めば、サンデルの講義に隠された意図も分かってくると思います。
またコミュタリアニズムの入門書としても、以前新書で出た
菊池理夫『日本を甦らせる政治思想』が全く良くなかっただけに、手軽なものとしておすすめできます。
もっとも入門書と考えると、ここまで全著作を網羅する解説にする必要があったのかとも思います。『公共哲学』のようなエッセイ集の解説は、「ここまでしなくても」、と思いました。
ただし、ある程度、政治哲学に詳しい人にとっては詳しすぎる解説が逆に興味深いという面もあります。
特に一般には保守的と考えられることの多いコミュタリアンでありながら民主党を支持するサンデルのロジック、同じユダヤ系のコミュタリアンであるウォルツァーとの違いなどはなかなか興味深く読めました。
あと蛇足ですが、次の部分は日本の昨今の青少年育成条例なんかにもあてはまる現象だと思いました。
過去の大統領たちは、同朋市民に対して、戦争や福祉のために大きな犠牲を求めた。しかし、当時のアメリカ(クリントン大統領のとき)では、コミュニティや道徳目的は求めても、抑制や犠牲は望まない人が多かった。そこで、クリントンは、大人に道徳的抑制を求めずに、子どもにそれを課したのである。(285p)
具体的にはVチップの導入や門限や学校の制服の奨励とかなんだけど、これをサンデルが肯定的に捉えているところに、個人的にコミュタリアニズムへの違和感があります。
つまり、コミュタリアニズム的な共同体の「善」なんて、現実の大人が守れない幻想に過ぎないのではないかとも思うのです。
サンデルの政治哲学 (平凡社新書)
小林 正弥

2010年12月17日
山崎元・水瀬ケンイチ『ほったらかし投資術』(朝日新書) 7点
サブタイトルが「インデックス運用実践ガイド」。いわゆるインデックス型の投資信託やETFによって資産運用を行うための入門書です。
著者はエコノミストの山崎元と、投資ブログ「梅屋敷商店街のランダムウォーカー」を書いている水瀬ケンイチ。
水瀬ケンイチの書いている部分では「インデックス投資がどのようなものであるか?」「どうやって買えばいいか?」、運用の心得といった基本的な部分を解説していて、山崎元がインデックス投資の理論的な優位、「どのインデックスに投資すべきか?」、金融機関との付き合い方などの理論的・実践的な部分を解説しています。
インデックス投資とは、株で言えば個々の銘柄ではなく「日経平均」や「TOPIX」といった株価指数に連動して投資している投資信託や連動して動くETFに投資するものです。
この指数に連動して投資する投資信託をインデックス・ファンドと言い、個々の株式の値上がり・値下がりを読みながら投資するファンドがアクティブ・ファンドです。
普通に考えれば、インデックス・ファンドよりもプロが考えて投資するアクティブ・ファンドのほうが良い成績を上げそうですが、実は成績的には大して変わらず、手数料や信託報酬などの面でインデックス・ファンドのほうがだいたいにおいて有利なのです。
こんなインデックス・ファンドの強みを身も蓋もなく解説してくれる山崎元の執筆部分は刺激的で「インデックス・ファンドに勝っているアクティブ・ファンドは全体の3割前後に過ぎない」(32p)、アクティブ・ファンドについて「信託報酬が1.5%という段階で、運用商品としては「論外」」(63p)、資産運用に関して「金融機関のアドバイスに基づいて行うのは不適切です。はっきり言って、銀行にせよ、生命保険会社や証券会社にせよ、相談の担当者の使命は自社の手数料をなるべく多く上げることであって、顧客にとってベストな運用計画を作ることではありません」(71p)、「運用期間の長短とその投資家が取るべきリスクの大きさは無関係です」(75p)など、大胆かつ鋭い指摘がいくつもあります。
ただ、かなり専門用語なども交えているので、水瀬ケンイチの執筆部分とはちょっとレベルの差があって、初心者には難しいところがあるかもしれません。
投資の初心者よりは中級者程度の人が読むべき本になっていると言えるでしょう。
このようにパフォーマンスも良く、手もかからないインデックス投資なのですが、1つ疑問として残ったのは、現在の日本のようなデフレ状況の中で「日本株式のインデックス投資をする意味はあるのか?」ということ。
株式投資にはインフレのヘッジとして意味もあると思うのですが、ここまでデフレが続いてその状態を日銀が追認してるとなると、インデックス投資へのためらいが生じます。もちろん、外国株式のインデックスに投資すればいいわけですけど、それだけだと為替のリスクもありますし…。
ほったらかし投資術 インデックス運用実践ガイド (朝日新書)
山崎 元 水瀬ケンイチ

著者はエコノミストの山崎元と、投資ブログ「梅屋敷商店街のランダムウォーカー」を書いている水瀬ケンイチ。
水瀬ケンイチの書いている部分では「インデックス投資がどのようなものであるか?」「どうやって買えばいいか?」、運用の心得といった基本的な部分を解説していて、山崎元がインデックス投資の理論的な優位、「どのインデックスに投資すべきか?」、金融機関との付き合い方などの理論的・実践的な部分を解説しています。
インデックス投資とは、株で言えば個々の銘柄ではなく「日経平均」や「TOPIX」といった株価指数に連動して投資している投資信託や連動して動くETFに投資するものです。
この指数に連動して投資する投資信託をインデックス・ファンドと言い、個々の株式の値上がり・値下がりを読みながら投資するファンドがアクティブ・ファンドです。
普通に考えれば、インデックス・ファンドよりもプロが考えて投資するアクティブ・ファンドのほうが良い成績を上げそうですが、実は成績的には大して変わらず、手数料や信託報酬などの面でインデックス・ファンドのほうがだいたいにおいて有利なのです。
こんなインデックス・ファンドの強みを身も蓋もなく解説してくれる山崎元の執筆部分は刺激的で「インデックス・ファンドに勝っているアクティブ・ファンドは全体の3割前後に過ぎない」(32p)、アクティブ・ファンドについて「信託報酬が1.5%という段階で、運用商品としては「論外」」(63p)、資産運用に関して「金融機関のアドバイスに基づいて行うのは不適切です。はっきり言って、銀行にせよ、生命保険会社や証券会社にせよ、相談の担当者の使命は自社の手数料をなるべく多く上げることであって、顧客にとってベストな運用計画を作ることではありません」(71p)、「運用期間の長短とその投資家が取るべきリスクの大きさは無関係です」(75p)など、大胆かつ鋭い指摘がいくつもあります。
ただ、かなり専門用語なども交えているので、水瀬ケンイチの執筆部分とはちょっとレベルの差があって、初心者には難しいところがあるかもしれません。
投資の初心者よりは中級者程度の人が読むべき本になっていると言えるでしょう。
このようにパフォーマンスも良く、手もかからないインデックス投資なのですが、1つ疑問として残ったのは、現在の日本のようなデフレ状況の中で「日本株式のインデックス投資をする意味はあるのか?」ということ。
株式投資にはインフレのヘッジとして意味もあると思うのですが、ここまでデフレが続いてその状態を日銀が追認してるとなると、インデックス投資へのためらいが生じます。もちろん、外国株式のインデックスに投資すればいいわけですけど、それだけだと為替のリスクもありますし…。
ほったらかし投資術 インデックス運用実践ガイド (朝日新書)
山崎 元 水瀬ケンイチ

2010年12月10日
菅原健介+COCOROS研究会『下着の社会心理学』(朝日新書) 6点
「バレンタインにダークレッドのブラをつけて、気持ちが浮き立ちました(29歳)」「下着ひとつで気分が安らぐのか、気持ちが落ち着くのか、周りの人に"優しくなったね"と言われた(57歳)」、「大事な場面に着用するとパワーが溢れて自信が出る(52歳)」、「気分が落ち込んだ日に着ると安心できる(24歳)」、「ステキな下着を身につけたときは、母から女になれます(47歳)」、「お気に入り(の下着)で過ごすオフは最高に癒されます(31歳)」
と、いきなり「スイーツ」な引用をしてしまいましたが、これはすべて本書の49ページで紹介されている女性の下着に関するコメントです。
この本は社会心理学の菅原健介が、下着メーカー・ワコールの研究部との共同研究によって女性と下着の関係を探ったもので、女性が下着に求めるもの、肌見せファッションと羞恥心などさまざまなトピックが取り上げられています。
18〜59歳までの女性の88%が「お気に入りの下着」を持ち、4割ほどの人が「下着には夢がある」と答えています(本書38pより)。
このように男性にはうかがい知れない女性の下着へのこだわり。この本では、そのこだわりを「アピール」「気合」「安心感」という要因に分けて分析しています。
このうち「気合」「安心感」は自己への働きかけであり、ここにはネイルアートとかアロマテラピーなどにも共通する、女性の自己コントロールへの欲求みたいなものが見て取れます。
また、第3章では女性下着の歴史についても書かれており、下着がどのように普及し、そして「男性目線」との摩擦の中で進化してきたことがわかって面白いです。
そして第4章から6章では、下着のアウター化、「肌見せファッション」と羞恥心の関係が取り上がられています。
ここでは、「肌見せファッション」、あるいは下着の一部を見せるようなファッションを着る人は別に羞恥心がないわけではなく、意図しない露出にはやはり羞恥心を覚えるというところから、社会心理学における羞恥心の研究などを紹介しています。
このあたりも興味深いのですが、この肌見せファッションや下着のアウター化に関してはもうちょっと具体的な変化を追って欲しかった気がします。
個人的にはファッション面からの分析も欲しかったです。
というわけで全体的にもうちょっと踏み込んで欲しい感もあるのですが、読み物として面白いですし、女性の心理を垣間見ることの出来る本です。
下着の社会心理学 洋服の下のファッション感覚 (朝日新書)
菅原健介+cocoros研究会

と、いきなり「スイーツ」な引用をしてしまいましたが、これはすべて本書の49ページで紹介されている女性の下着に関するコメントです。
この本は社会心理学の菅原健介が、下着メーカー・ワコールの研究部との共同研究によって女性と下着の関係を探ったもので、女性が下着に求めるもの、肌見せファッションと羞恥心などさまざまなトピックが取り上げられています。
18〜59歳までの女性の88%が「お気に入りの下着」を持ち、4割ほどの人が「下着には夢がある」と答えています(本書38pより)。
このように男性にはうかがい知れない女性の下着へのこだわり。この本では、そのこだわりを「アピール」「気合」「安心感」という要因に分けて分析しています。
このうち「気合」「安心感」は自己への働きかけであり、ここにはネイルアートとかアロマテラピーなどにも共通する、女性の自己コントロールへの欲求みたいなものが見て取れます。
また、第3章では女性下着の歴史についても書かれており、下着がどのように普及し、そして「男性目線」との摩擦の中で進化してきたことがわかって面白いです。
そして第4章から6章では、下着のアウター化、「肌見せファッション」と羞恥心の関係が取り上がられています。
ここでは、「肌見せファッション」、あるいは下着の一部を見せるようなファッションを着る人は別に羞恥心がないわけではなく、意図しない露出にはやはり羞恥心を覚えるというところから、社会心理学における羞恥心の研究などを紹介しています。
このあたりも興味深いのですが、この肌見せファッションや下着のアウター化に関してはもうちょっと具体的な変化を追って欲しかった気がします。
個人的にはファッション面からの分析も欲しかったです。
というわけで全体的にもうちょっと踏み込んで欲しい感もあるのですが、読み物として面白いですし、女性の心理を垣間見ることの出来る本です。
下着の社会心理学 洋服の下のファッション感覚 (朝日新書)
菅原健介+cocoros研究会

2010年12月06日
蟹澤聰史『石と人間の歴史』(中公新書) 7点
一応、カテゴリーは「歴史・宗教」にしましたが、著者は地質学者で岩石学や地球化学を専攻した人物。歴史学者が人間と石の関わりを叙述したのではなく、地質学者が石と人間の関わりを叙述したところにこの本の最大の特徴があります。
個人的に、石器時代の石の材質に関する記述とかは正直、楽しいものではありませんでした。いくら石器時代とはいえ、別に石の性質なんかどうでもいいじゃないかと思ったものです。
ところが、この本を読んで世界各地の石の性質とそこに建てられた建造物や、文化を見てみると石の性質の重要性というものがわかってきます。
地中海の建築物に石灰岩や大理石は欠かせませんし、イギリスでは岩石が露出している部分が多く表土が薄いために材木となるような樹木は少ないなど、文明の姿を決める一つの要素が地質や石の性質だということがわかります。
また日本でのヒスイ輝石に関しても、昭和初期までは今のミャンマーから何らかのルートで日本に伝わってきたのかと思われていたけど、実は新潟県の糸魚川市で産出することが明らかになったなど、地質学が歴史学に与える影響というのも見て取れます。
さらにフリーメイソンが元は石工たちの団体から発生していることとか、ゲーテや宮沢賢治の石との関わりといった雑学的な知識も知ることができますし、歴史を別な観点からみるという点で面白い本だと思います。
石と人間の歴史―地の恵みと文化 (中公新書)
蟹澤 聰史

個人的に、石器時代の石の材質に関する記述とかは正直、楽しいものではありませんでした。いくら石器時代とはいえ、別に石の性質なんかどうでもいいじゃないかと思ったものです。
ところが、この本を読んで世界各地の石の性質とそこに建てられた建造物や、文化を見てみると石の性質の重要性というものがわかってきます。
地中海の建築物に石灰岩や大理石は欠かせませんし、イギリスでは岩石が露出している部分が多く表土が薄いために材木となるような樹木は少ないなど、文明の姿を決める一つの要素が地質や石の性質だということがわかります。
また日本でのヒスイ輝石に関しても、昭和初期までは今のミャンマーから何らかのルートで日本に伝わってきたのかと思われていたけど、実は新潟県の糸魚川市で産出することが明らかになったなど、地質学が歴史学に与える影響というのも見て取れます。
さらにフリーメイソンが元は石工たちの団体から発生していることとか、ゲーテや宮沢賢治の石との関わりといった雑学的な知識も知ることができますし、歴史を別な観点からみるという点で面白い本だと思います。
石と人間の歴史―地の恵みと文化 (中公新書)
蟹澤 聰史

2010年12月02日
木村泰司『美女たちの西洋美術史』(光文社新書) 6点
宮下規久朗『食べる西洋美術史』、池上英洋『恋する西洋美術史』に続く、光文社新書「西洋美術史」シリーズの第3弾。今作はマリー・ド・ブルゴーニュからジャクリーン・ケネディまで歴史上の美女の肖像画を読み解いています。
そして、全ページがカラー化。絵はたっぷりと引用してあり、そこの部分では前2作よりも進化しています。
アン・ブーリン、エリザベス1世、メアリー・スチュアート、ポンパドゥール夫人、マリー・アントワネットといった有名な人物から、それほど知られていない人物まで15世紀から20世紀までの美女たちが取り上げられていますが、そのエピソードは面白い!
美しい胸が自慢のあまり胸を強調するだけでは者足りずに片方の乳房をむき出しにしていたというフランスのシャルル7世の寵姫アニエス・ソレル。そのエピソード共に実際に片方の乳房がむき出しになっているまるでサイボーグのようなジャンフーケの肖像画はインパクトがあります。
また、アンリ2世の公認の寵姫として王の愛を一身に集めたディアーヌ・ド・ポアティエ。彼女はアンリよりも20歳も年上ながら、たくみに王を操縦しました。魅力的でなかった正妻カトリーヌとアンリを別れさせないために(別れたら美人の正妻を娶る可能性がある)、アンリの気分を盛り上げたあとにアンリをカトリーヌの寝室に送り出していたというエピソードとかはすごいです。
この手の歴史の裏話が好きな人には楽しめる内容になっていると思います。
ただ、歴史上の美女たちをめぐるエピソードは豊富ですが、「西洋美術史」としての側面は弱い。個々の画家や技法に関する掘り下げ方はいまいちです。
また、絵画としてうもれていた名作を発掘しているわけでもないので、新しい絵に出会うといった楽しみはあまりないです。
内容的には『西洋絵画の中の美女たち』というタイトルが適切かもしれません。
歴史の本としては楽しめるけど、美術の本としては物足りないといったところでしょうか。
美女たちの西洋美術史 肖像画は語る (光文社新書)
木村泰司

そして、全ページがカラー化。絵はたっぷりと引用してあり、そこの部分では前2作よりも進化しています。
アン・ブーリン、エリザベス1世、メアリー・スチュアート、ポンパドゥール夫人、マリー・アントワネットといった有名な人物から、それほど知られていない人物まで15世紀から20世紀までの美女たちが取り上げられていますが、そのエピソードは面白い!
美しい胸が自慢のあまり胸を強調するだけでは者足りずに片方の乳房をむき出しにしていたというフランスのシャルル7世の寵姫アニエス・ソレル。そのエピソード共に実際に片方の乳房がむき出しになっているまるでサイボーグのようなジャンフーケの肖像画はインパクトがあります。
また、アンリ2世の公認の寵姫として王の愛を一身に集めたディアーヌ・ド・ポアティエ。彼女はアンリよりも20歳も年上ながら、たくみに王を操縦しました。魅力的でなかった正妻カトリーヌとアンリを別れさせないために(別れたら美人の正妻を娶る可能性がある)、アンリの気分を盛り上げたあとにアンリをカトリーヌの寝室に送り出していたというエピソードとかはすごいです。
この手の歴史の裏話が好きな人には楽しめる内容になっていると思います。
ただ、歴史上の美女たちをめぐるエピソードは豊富ですが、「西洋美術史」としての側面は弱い。個々の画家や技法に関する掘り下げ方はいまいちです。
また、絵画としてうもれていた名作を発掘しているわけでもないので、新しい絵に出会うといった楽しみはあまりないです。
内容的には『西洋絵画の中の美女たち』というタイトルが適切かもしれません。
歴史の本としては楽しめるけど、美術の本としては物足りないといったところでしょうか。
美女たちの西洋美術史 肖像画は語る (光文社新書)
木村泰司

2010年11月29日
飯田泰之『ゼロから学ぶ経済政策』(角川ONEテーマ21) 8点
わかりやすく、なおかつスキのない経済政策の入門書。
この本は経済政策の必要性を示した上で、経済政策の3つの柱、「成長政策」、「安定化政策」、「再分配政策」についてその必要性と働きを丁寧に説いてくれます。
日本のように経済学者の地位が確立されておらず、「エコノミスト」という経済学者なんだか、たんなるアナリストみたないものかよくわからない人が幅を効かせているような状況では、経済政策といってもやたらに極端な意見が主張されたり、あるいは「さらば、GDP!」的な無責任な夢物語が主張されがちです。
そんな中でこの本は、「幸福」の分析からGDPという指標の有効性を語り、まずは「さらば、GDP!」的な議論を退けた上で、経済政策の説明に入ります。
経済学にそれなりに親しんでいる者からすると丁寧すぎる気もしますが、この丁寧さこそこの本の最大の売りでしょう。
そして、各論のところでも丁寧に俗論を退けています。
「成長政策」ではまずはじめに旧通産省的な「産業政策」が退けられていますし、「安定政策」の部分では、不況こそが新しい産業を生み出すというネオ・シュンペーテリアン流の解釈(日本だと構造改革万能論にあたるのかな?)が、一国の経済では完全に当てはまるものではないとされています。
また、「再分配政策」ではハルサーニの「公平観察者」の概念などを持ち出して、その必要性を原理の面から説明しています。
このように経済学を知らない人、経済学に不信感を持っている人には非常にいい本だと思います。また、経済学をある程度知っている人にとっても、議論の仕方などは非常に参考になると思います。
ただ、一点だけ気になったのは、政府の価格統制が経済の足を引っ張る例として最低賃金制度を挙げているところ。
確かに、高すぎる最低賃金は雇用にマイナスなのは確かでしょうが、最低賃金制度が単純に有害であるような書き方は経済学に対する警戒心を強めてしまうだけのような気がします。
ゼロから学ぶ経済政策 日本を幸福にする経済政策のつくり方 (角川oneテーマ21)
飯田 泰之

この本は経済政策の必要性を示した上で、経済政策の3つの柱、「成長政策」、「安定化政策」、「再分配政策」についてその必要性と働きを丁寧に説いてくれます。
日本のように経済学者の地位が確立されておらず、「エコノミスト」という経済学者なんだか、たんなるアナリストみたないものかよくわからない人が幅を効かせているような状況では、経済政策といってもやたらに極端な意見が主張されたり、あるいは「さらば、GDP!」的な無責任な夢物語が主張されがちです。
そんな中でこの本は、「幸福」の分析からGDPという指標の有効性を語り、まずは「さらば、GDP!」的な議論を退けた上で、経済政策の説明に入ります。
経済学にそれなりに親しんでいる者からすると丁寧すぎる気もしますが、この丁寧さこそこの本の最大の売りでしょう。
そして、各論のところでも丁寧に俗論を退けています。
「成長政策」ではまずはじめに旧通産省的な「産業政策」が退けられていますし、「安定政策」の部分では、不況こそが新しい産業を生み出すというネオ・シュンペーテリアン流の解釈(日本だと構造改革万能論にあたるのかな?)が、一国の経済では完全に当てはまるものではないとされています。
また、「再分配政策」ではハルサーニの「公平観察者」の概念などを持ち出して、その必要性を原理の面から説明しています。
このように経済学を知らない人、経済学に不信感を持っている人には非常にいい本だと思います。また、経済学をある程度知っている人にとっても、議論の仕方などは非常に参考になると思います。
ただ、一点だけ気になったのは、政府の価格統制が経済の足を引っ張る例として最低賃金制度を挙げているところ。
確かに、高すぎる最低賃金は雇用にマイナスなのは確かでしょうが、最低賃金制度が単純に有害であるような書き方は経済学に対する警戒心を強めてしまうだけのような気がします。
ゼロから学ぶ経済政策 日本を幸福にする経済政策のつくり方 (角川oneテーマ21)
飯田 泰之

2010年11月23日
長岡義幸『マンガはなぜ規制されるのか』(平凡社新書) 6点
東京都青少年条例の「非実在少年」問題など、マンガ表現への規制が大きな問題となった2010年。この本はそうしたマンガ規制の半世紀にも及ぶ歴史を検証したものです。
手塚治虫のデビューと共に始まった赤本マンガのブーム。マンガ規制の歴史もそれと同じくして始まっています。
「良識がない」、「暴力的だ」、「子どもが犯罪に走る」など、今とほとんど変わらないような批判がマンガの勃興と共に生まれています。
ただ、今の規制がもっぱら性的な表現に向けられているのに対して、当時の批判は「太平洋戦争前後の日本の世相をしのばせる好戦もの、燃える大空、血に染む日の丸など、ひどいのは「国連の艦隊も滅茶苦茶だ」という国連否認思想」(99p)などに見られるように、暴力や軍国主義的なものへの批判に力点が置かれています。
それが60年代になると、そのターゲットを性的な表現にも写していきます。「東京母の会連合会」が悪書追放のために「白ポスト」(子どもに見せたくない雑誌を捨てるためのもの)を設置したりしたのもこのころで、母親たちが政治家に訴える→政治家が議会で取り上げる→規制のための条例や出版社の自主規制、という動きが繰り返されるようになります。
この本では90年代なかばに和歌山で規制運動が盛り上がり、その背後に「念法眞教」という宗教団体があったことを明らかにしていますが、ある種の母親たちを動員する手段としてマンガ規制が持ち出されていたことがうかがえて興味深いです。
けれども、現在の規制運動は母親たちの突き上げというよりも、警察などの治安機関がリードして行われている側面が強く、著者はそのことに警鐘を鳴らしています。
このようにマンガ規制の流れと背景、そしてマンガ規制の手続きなど、マンガ規制に関する網羅的な知識を提供してくれる本です。
ただ、マンガ規制の歴史を時系列的に追うのが記述の中心になっているので、読み物として面白いものではないです。
個人的には、もう少し各時代の規制の違いや、ビデ倫など自主検閲的な組織と警察の関係などをわかりやすく書いてくれるとよかったと感じました。
それでも、現在のマンガ規制の問題を真摯に考えようとする人にとっては有益な本でしょう。
マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書)
長岡 義幸

手塚治虫のデビューと共に始まった赤本マンガのブーム。マンガ規制の歴史もそれと同じくして始まっています。
「良識がない」、「暴力的だ」、「子どもが犯罪に走る」など、今とほとんど変わらないような批判がマンガの勃興と共に生まれています。
ただ、今の規制がもっぱら性的な表現に向けられているのに対して、当時の批判は「太平洋戦争前後の日本の世相をしのばせる好戦もの、燃える大空、血に染む日の丸など、ひどいのは「国連の艦隊も滅茶苦茶だ」という国連否認思想」(99p)などに見られるように、暴力や軍国主義的なものへの批判に力点が置かれています。
それが60年代になると、そのターゲットを性的な表現にも写していきます。「東京母の会連合会」が悪書追放のために「白ポスト」(子どもに見せたくない雑誌を捨てるためのもの)を設置したりしたのもこのころで、母親たちが政治家に訴える→政治家が議会で取り上げる→規制のための条例や出版社の自主規制、という動きが繰り返されるようになります。
この本では90年代なかばに和歌山で規制運動が盛り上がり、その背後に「念法眞教」という宗教団体があったことを明らかにしていますが、ある種の母親たちを動員する手段としてマンガ規制が持ち出されていたことがうかがえて興味深いです。
けれども、現在の規制運動は母親たちの突き上げというよりも、警察などの治安機関がリードして行われている側面が強く、著者はそのことに警鐘を鳴らしています。
このようにマンガ規制の流れと背景、そしてマンガ規制の手続きなど、マンガ規制に関する網羅的な知識を提供してくれる本です。
ただ、マンガ規制の歴史を時系列的に追うのが記述の中心になっているので、読み物として面白いものではないです。
個人的には、もう少し各時代の規制の違いや、ビデ倫など自主検閲的な組織と警察の関係などをわかりやすく書いてくれるとよかったと感じました。
それでも、現在のマンガ規制の問題を真摯に考えようとする人にとっては有益な本でしょう。
マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書)
長岡 義幸

2010年11月18日
津田大介+牧村憲一『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ) 7点
98年のピークにはオーディオレコード(CD、レコード、カセットテープの合計)の売上は約6075億円。それが09年には約2496億円。半分以下に縮小したCD不況の中で、どうやって新しい音楽を産み出していくかということを、メディアジャーナリストで最近では「Twitterの伝道師」として有名な津田大介と、「渋谷系」の有名レーベルTRATTORIAなどを設立した牧村憲一が探った本。
本のもとになっているのはは二人が行ったセミナーなのですが、本自体は二人の対談とそれぞれの講義的なもので構成されており、非常に読みやすい内容になっています。
津田氏がTwitterだ、YouTubeだ、Ustreamだ、というだけの本であれば、「それって一時期の流行じゃない?」「そもそもビジネスになるの?」ということで終わってしまう危険性もありますが、この本は実際にレーベル経営に携わり、また音楽業界のことを深く知っている牧村氏が加わることで、音楽産業論としても興味深いものになっていると思います。
ネットにおける様々な技術の発達は、素人でもレーベルを立ち上げることを可能にしており、まさに牧村氏の言う「一人1レーベル」ということが可能になるかもしれません。
牧村氏の語る「レーベル」というものの理念と、津田氏の紹介するさまざまなネットの技術やマネタイズの可能性は、音楽だけにとどまらず、ネット時代の創作活動に大きなヒントを与えるものになっていると思います。
ただ個人的に思ったのは、津田氏や牧村氏の視界に入っている音楽、対象とする音楽がややマニアックなものではないかということ。
自分の音楽の趣味もかなりマニアックな部分はあるので、だからダメだという気はありませんが、この本で語られているさまざまな可能性は、たとえ成功したとしても小さな成功にとどまるものだと思います。
津田氏は対談の中で、これからのアーティストは「コミュニケーションを売る」のだと述べていて、それは確かにあるとは思うのですが、それがアーティストの基本的な姿勢になれば、なにか寂しい気もします。
例えば、音楽の新しい収益源としてこの本ではフェスが取り上げられていますが、フェスのヘッドラーナーを務められるバンドは00年代に入って明らかに減少しており、このままでは衰退は避けられない状態です。
カリスマを待望しても仕方が無いのかもしれませんが、「コミュニケーションを売る」小さなアーティストが主役になる未来というのも少し寂しいと思いました。
未来型サバイバル音楽論―USTREAM、twitterは何を変えたのか (中公新書ラクレ)
津田 大介 牧村 憲一

本のもとになっているのはは二人が行ったセミナーなのですが、本自体は二人の対談とそれぞれの講義的なもので構成されており、非常に読みやすい内容になっています。
津田氏がTwitterだ、YouTubeだ、Ustreamだ、というだけの本であれば、「それって一時期の流行じゃない?」「そもそもビジネスになるの?」ということで終わってしまう危険性もありますが、この本は実際にレーベル経営に携わり、また音楽業界のことを深く知っている牧村氏が加わることで、音楽産業論としても興味深いものになっていると思います。
ネットにおける様々な技術の発達は、素人でもレーベルを立ち上げることを可能にしており、まさに牧村氏の言う「一人1レーベル」ということが可能になるかもしれません。
牧村氏の語る「レーベル」というものの理念と、津田氏の紹介するさまざまなネットの技術やマネタイズの可能性は、音楽だけにとどまらず、ネット時代の創作活動に大きなヒントを与えるものになっていると思います。
ただ個人的に思ったのは、津田氏や牧村氏の視界に入っている音楽、対象とする音楽がややマニアックなものではないかということ。
自分の音楽の趣味もかなりマニアックな部分はあるので、だからダメだという気はありませんが、この本で語られているさまざまな可能性は、たとえ成功したとしても小さな成功にとどまるものだと思います。
津田氏は対談の中で、これからのアーティストは「コミュニケーションを売る」のだと述べていて、それは確かにあるとは思うのですが、それがアーティストの基本的な姿勢になれば、なにか寂しい気もします。
例えば、音楽の新しい収益源としてこの本ではフェスが取り上げられていますが、フェスのヘッドラーナーを務められるバンドは00年代に入って明らかに減少しており、このままでは衰退は避けられない状態です。
カリスマを待望しても仕方が無いのかもしれませんが、「コミュニケーションを売る」小さなアーティストが主役になる未来というのも少し寂しいと思いました。
未来型サバイバル音楽論―USTREAM、twitterは何を変えたのか (中公新書ラクレ)
津田 大介 牧村 憲一






