2011年01月21日

大澤真幸『「正義」を考える』(NHK出版新書) 6点

 見返しの内容紹介に「大澤社会学、至高の到達点!」とあるように、社会学者・大澤真幸の集大成的な本。
 ただ、このように紹介しても大澤真幸のことを知らない人には伝わらないと思うので、とりあえず「サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』を社会学的に解体・再編成した本」とでもしておきましょうか。社会学者・大澤真幸がサンデルの正義論を援用しつつ、その弱点を指摘し、別の「正義」の可能性を追求しています。

 この本では、まず角田光代の『八日目の蝉』のエピソードを手がかりに、現代社会の「生きづらさ」を「人生を物語化できないこと」に求め、次にサンデルの「正義」をめぐる議論を検討します。
 功利主義、リベラリズム、コミュタリアニズムをそれぞれ検討していくわけですが、もし現代社会に足りないものが「物語」であるならば、正しい立場としてコミュタリアニズムが導かれそうなものです。けれど、大澤真幸はコミュタリアニズム、そしてその思想の源泉となったいるアリストテレスの考えが、<資本>という現代社会の現象を捉え損ねている点を指摘して、コミュタリアニズムを退けます。
 このあたりまでの議論はまあ細かいところでは異論もあるでしょうが、個人的にはそこそこ納得出来る考えです。コミュタリアンが「資本主義以前のシステム、<資本>が一般化する前の社会システムを前提にものを考えている」(158p)というのは有効な批判だと思います。

 が、ここから先の議論はアクロバティックすぎる、というか否定神学的すぎるもので、最終的にはかなり問題のある理論を導きだしてしまっていると思う。
 議論をすべてたどる事はできないので、結論的な部分だけを取り出すと、おそらく次のようなものになる。

1,超越性が失われ、「普遍」というものが成立しがたい現代社会では人びとは「普遍性」を求めつつもそれが得られずに「生きづらさ」がつのる。
2,しかし、「普遍性」は共通にではなく、逆説的に「特殊」なものに宿ることもある。例えば、違う文化の間であっても、そこで抑圧されている人々の間には何らかの共通するものがあり、それが「普遍性」に通じるのではないか?
3,そして、おそらくこれがイエスの教えでもある。
4,というわけで否定性の水準で「普遍性」が成り立ち、そこに連帯の根拠が見いだせる。
5,人びとの生きる「物語」としては、破局(終末)を仮定してそこから成り立つ「物語」、つまり破局が起きるものと仮定してそれを避けるための「物語」を生きるという道も可能で、そこにある意味で「自由」が存在する。
6,このような否定性を媒介にして人びとは解放されるかもしれない。「傷を負うということは、共同体が自分に付与するアイデンティティに還元できない否定性を、自分の中に刻み付けるということです。そのことで外へと開かれる可能性が宿る」(282p)

 かなり荒っぽい要約なのですが、大澤真幸が「傷」や「抑圧」、あるいは「破局」といった否定性を媒介にした「連帯」や「共同体」の可能性を見ていることはわかると思います。
 確かにこういった否定性を媒介にした考えというのは、現代思想ではおなじみのもので、これに説得力を感じる人もいるでしょう。
 
 けれども、これはヨハネ黙示録を含んだキリスト教そのもの(ヨハネ黙示録は他の福音書にくらべてあとの時代に成立したと言われています)、あるいはカルヴァン派の考えそのもののようです。そして、さらには大澤真幸が『虚構の時代の果て』でとりあげたオウム真理教的なものにも限り無く近いのではないでしょうか?
 共同体において抑圧された者が、「破局」あるいは「最後の審判」を想定して生きる、これはカルト教団に共通すると言ってもいいストーリーです。大澤真幸の議論はこのありふれたストーリーを、華麗に語り直しただけのようにも思えます。
 もちろん「抑圧された者同士の共同体」というのは一つの共同体のあり方ですし、「連帯」の一つの可能性ではありますが、それを「終末論」によって全世界的に拡大させようとするのは筋が悪すぎる。「オウム事件から一体何を学んだんだ?」と言いたいですね。

 マルクスとアイン・ランドのパラレルな関係の説明など、「なるほど」と思わせる議論もあって、面白く読める本ではありますが、結論は正直いただけないですね。

「正義」を考える―生きづらさと向き合う社会学 (NHK出版新書 339)
大澤 真幸
4140883391



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2011年01月14日

小林美希『看護崩壊』(アスキー新書) 5点

長時間労働と夜勤、そして仕事の責任の重さから毎年10万人近くが離職している看護職(ただしそのうち約6.9万人程は再就職)。過労死と隣合わせで働く人、新人看護師としてキャリアをスタートさせたものの、あまりの忙しさにバーンアウトしてしまう人など、現在、看護の現場は大きな問題を抱えています。
 この本は、そんな看護の現場の現状と、これからの状況に警鐘を鳴らしています。
 ただ、著者の問題意識や取材量は十分なのですが、残念ながら分析が甘く。非常に混乱した内容になっています。

 例えば、看護の現場の状況について述べたあとに次のように続けています。

そうした、いつ病棟で看護師が過労死するかもわからないような状況下で、今、さらに看護師に負荷を強い、労働環境を激変させようとする制度の改正が行われようとしている。
具体的には、1・夜勤の規制緩和、2・看護師の業務を拡大する「特定看護師」の創設、3・看護配置基準を引き上げる「5対1」の新設、4・労働者派遣の解禁 ーとなる。


 このうち確かに1と4に関しては看護師の労働環境をさらに悪化させる危険性であることはわかります。けれども2の「特定看護師」の創設や、3の「5対1」の新設はそれがそのまま看護現場の労働環境の悪化へとつながるのでしょうか?

 まず、「5対1」から取り上げますが、これは患者に対する看護師の配置基準のことで、2006年改正の診療報酬では患者7人に対して看護師1人を配置する「7対1」をクリアーすると診療報酬の加算が受けられる「7対1」が新設され、各地で病院同士の看護師争奪戦が起きました。
 この「7対1」をさらに進めたのが「5対1」。「7対1」導入時には激しい看護師争奪戦の結果、大病院に看護師が集中し、中小や地方の病院では看護師不足が顕在化するという問題が起きました。また、新人が増えたために中堅の看護師がかえって仕事に忙殺されることとなったとこの本では報告しています。
 しかし、担当数患者数が減るというのは看護師にとって基本的にはいいことのはずで、導入の仕方さえ間違わなければ看護師の労働環境を向上させる改革になるのではないでしょうか?

 次に「特定看護師」についてですが、これは医師にかわって一定の診療行為を行う看護師のことで、アメリカのナース・プラクティショナー制度が一つのモデルになっています。これについても著者は否定的で羽生田俊日本医師会副会長から「特定看護師でチーム医療が崩壊する」といった言葉を引き出しているわけですが、医師が看護師業務拡大に反対するのは当然ではないですか。医師が自らの業務を脅かすような職種に理解を示すはずはないです。
 「特定看護師」制度が現場にどのような影響をあたえるのかは正直わかりませんが、うまくいけば看護師の地位向上につながりますし、第4章で著者が指摘している看護師の生涯賃金が低さを解決する一つの手段ともなるはずです。

 全体的に看護の現場の問題を訴えたいばかりに、トータルでのメリット・デメリットの判断が疎かになっているケースが目立ちます。
 介護職との役割分担についても、ある程度必要だとの認識はあるのでしょうが、介護職による痰の吸引を認める政府の方針については「より人件費のかからない者への押し付けでしかない」(242p)と否定的。正直、これでは話が進まないでしょう。
 ちなみに、この問題についてはこの本でインタビューされている日本看護協会の常任理事・小川忍氏は反対。ここでも「特定看護師」と医師の問題と同じ構図が反復されています。
 こういった政治的な立ち位置を理解した上で議論を整理しないと、看護の未来は開けてこないでしょう。

 後半の、濱口桂一郎などの意見を紹介して看護師の問題を労働問題として考えている部分はいい視点だと思いますし、看護職での流産の多さなどのショッキングな報告はルポとして意義があるものですが、もう少し広い視野を持って本としてまとめて欲しかったです。

看護崩壊 病院から看護師が消えてゆく (アスキー新書)
小林美希 著
4048700871


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2011年01月11日

古田亮『俵屋宗達』(平凡社新書) 8点

 第32回サントリー学芸賞受賞の新書。
 「風神雷神図屏風」などで有名ながらも、その生涯や作風の変遷が謎に包まれている江戸時代初期の画家・俵屋宗達。宗達はまた尾形光琳などにも影響を与えた「琳派の祖」とも位置づけられています。
 こうした今までの宗達像に対して、琳派と宗達の違いを指摘し、近代絵画やクリムトやマチスとの対比によって、宗達の独自性を論じようとしたのがこの本。
 読み応えのある宗達論、そして絵画論になっています。

 特に尾形光琳らの琳派と宗達を比較した部分は面白いです。
 尾形光琳・酒井抱一は宗達の「風神雷神図屏風」をモデルにしてそれぞれ「風神雷神図屏風」を描いていますが、ほぼトレースしたと思われる光琳の「風神雷神図屏風」においても、細かい部分を見ることで宗達との違いが浮き上がってきます。
 宗達の絵にあった奥行きや動きが消え、よりフラットでデザイン的な絵になっています。さらに抱一となると完全に装飾的です。

 宗達の絵も「装飾的」と呼ばれ、それが「琳派の祖」とされる一つの要因なのでしょうが、い同じ「装飾性」でも、宗達と光琳の間には、動きの有無などの違いがあることを、宗達、光琳それぞれの絵の分析を通じてこの本は教えてくれます。
 
 この本はもちろん宗達を分析した本なのですが、光琳や抱一、さらには鈴木其一といったその後の琳派の展開もフォローしており、宗達を琳派から切り離す意図を持ちつつも、琳派の流れをたどる本としても楽しめます。

 クリムトやマチスとの対比に関してはあくまでも著者の主観ではあるのですが、宗達の「伊勢物語色紙・芥川」とクリムトの「接吻」、宗達の「舞楽図屏風」とマチスの「ダンス」を並べて見せられると「なるほど」と思うところがあります。
 この本を読むと宗達のモダンさというのがよくわかります。

 あと、村上隆の「スーパーフラット」概念との類似に関しては、類似を認めつつも、「宗達の芸術には、スーパーフラットではない、精神の自由と深さがある」(78p)としており、村上隆って日本のアカデミズムでは好かれていないだなってことを改めて認識しました。
 
俵屋宗達 琳派の祖の真実 (平凡社新書)
古田 亮
4582855180



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2011年01月08日

移転のお知らせ

 ずっとこのLOVELOGという場所でやってきた「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル」ですが、諸処の事情により下記のサイトに移転しようと考えています。 

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 とりあえず過去の記事は移転させました。
 しばらくはこちらも更新しつつ、問題がないようであればこちらを閉鎖して向こうに完全に移転しようと思います。
 どうぞよろしくお願いします。


 
Posted by morningrain at 22:39  |Comments(5)TrackBack(0) | その他

2011年01月05日

宮下規久朗『裏側からみた美術史』(日経プレミア) 6点

 『食べる西洋美術史』『ウォーホルの芸術』が共に非常に面白かった宮下規久朗の美術エッセイ。全部で20のエピソードが取り上げられていて内容は次のとおり。

第1話 天才の嫉妬 
第2話 不良か優等生か
第3話 ヌードが取り締まられるとき
第4話 肖像と権力
第5話 死刑囚と美術 
第6話 誹謗の肖像
第7話 危険な食物 
第8話 究極の身体芸術 
第9話 天国への階段
第10話 本物と偽物のあいだ
第11話 聖像が隠されるとき 
第12話 社会不安は美術を変え得るか
第13話 芸術家の晩年と絶筆
第14話 語ることができることとできないこと
第15話 記録と追悼
第16話 映画になった画家たち 
第17話 医学と美術のあいだ
第18話 聖人の力と呪い
第19話 戦争と美術
第20話 回顧展の流行 

 もともとは、資生堂の『花椿』で連載されていた美術に関しての軽い読み物で、1話がだいたい6〜10ページほど。どこからでも拾い読みすることができます。

 ただ、軽い読み物といっても、宮下規久朗だけあって、死刑と絵の関係を語った「死刑囚と美術」、ウォーホルの「13人の凶悪指名手配犯」とからめて人を貶めるために描かれた肖像画についての「誹謗の肖像」、刺青という本人の死と共に消え失せてしまう美術を語った「究極の身体芸術」など、面白いエピソードが詰まっています(ちなみに、東大医学部の標本室に日本最大の刺青標本のコレクションがあるとか…)。

 また、芸術家の晩年の作品について語った「芸術家の晩年と絶筆」では、「次第にマンネリに陥り、〜気の抜けた作品のうちのひとつが、たまたま絶筆となるだけである」と手厳しく批評するなど、歯に衣を着せぬ語り口も楽しめます。

 というわけで軽い読み物としては十分な出来ですが、あくまでも軽いエッセイですし、本文170ページにカラー口絵が6ページで850円というのは少し高いのでは?
 日経プレミアの価格設定がやや高いのは知っていますが、それならもう少しカラー口絵で頑張ってくれてもよかったと思います。

裏側からみた美術史 (日経プレミアシリーズ)
宮下 規久朗
4532260965


 
Posted by morningrain at 22:01  |Comments(1)TrackBack(0) | 芸術・文学 , 6点