2012年05月15日

有馬晴信公没後400年記念祭に行きました。

キリシタン大名のひとり、有馬晴信の没後400年にあたる5月6日、その記念祭が山梨県甲斐大和において行われました。
約80人ほどの人がこのささやかな集いに参加しました。わたしも主催者の千葉さんから誘われて参加したのですが、ビデオ撮影を頼まれたので、SIGNIS のもうひとりとともにビデオ撮影をいたしました。近いうちにその時に撮影した映像を YouTube にでもアップする予定です。

有馬晴信は、大村純忠、大友宗麟とともに九州のキリシタン大名で、特に天正遣欧使節を派遣した大名として歴史にその名を残しています。
しかし、岡本大八事件に巻き込まれ、この地に流讁の身となり、更に処刑されてしまいます。キリシタンであったことで切腹を拒否し、最期は打ち首となってその生涯を閉じます。最期まで信仰を貫いた一人であったといえましょう。
この式典には、有馬家の末裔にあたる有馬家当主の方、妻の菊亭ジュスタのご子孫にあたるかた、さらにこの有馬家最期の地を守られてこられた方や甲州市教育委員会の方も参加していました。
司式はパウロ会の山内神父、このあたりを司牧されている横浜教区の田代神父も参加されていました。

式の開始のころ激しい雨と風が会場を襲いましたが、やがてそれも上がり、なんとか無事に式典を終了しました。
式典の中で、コウロス神父が書いたイエズス会の報告書のなかの、有馬晴信公の最期の様子の場面を描いた部分も朗読されました。

式後に、甲斐大和市の自然教育センターに会場をうつし、そこで懇親会が催されました。懇親会では有馬晴信を偲ぶスピーチがいくつか用意されていました。特に印象に残ったのは「岡本大八事件」について述べられた話しでした。さらに日本キリスト教史の五野井隆史氏の話も面白かったです。

この催しに参加してもっとも感動したのは、この催しを主催した人たちが高輪教会の婦人会有志の方たちであったということでした。高輪教会は江戸の殉教者とくに原主水ゆかりの教会だったということもあるのでしょうが、それにしてもよくぞここまで作りあげられたことに驚嘆しております。

有馬晴信というキリシタン大名はどういう人物だったのか、もうすこし調べてみたくなりましたが、なかなか人柄と信仰を偲ばせるものが残っていないのが残念です。

こちらもどうぞ

2012年04月30日

天正遣欧少年使節の歌の「吃驚仰天」

友人がこんな歌を見つけて紹介してくれました。吃驚仰天です。
中高生はこれをどのくらい知っているのかな?



ザビエルや高山右近やペトロ岐部、金鍔次兵衛の歌もないかな?

こちらもどうぞ

2012年04月07日

秦恒平「親指のマリア」に見るシドッチと新井白石

 最後の潜入宣教師シドッチが所持していた聖母画像「親指のマリア」と「大世界地図」をシンボルに、『西洋紀聞』の背後の闇に光を当てる、著者渾身の長編小説。


 こう解説のある秦恒平著「親指のマリア」(筑摩書房 1990年)を大学図書館で借りて読みました。借りたときから読み終わるまで半年をかけてしまったなかなか読み応えのある本でとても面白かったです。

 この本は次のような構成になっています。
 聖母の章(ヨワン1)ここではシドッチがなぜ迫害うち続く日本に行くことを決意したかといういきさつが書かれています。
 潜入の章(勘解由1)種子島でつかまって、江戸に護送され、キリシタン屋敷で新井勘解由(白石の別名)と出会うところまでが書かれています。
 審問の章(ヨワン供亡解由との応酬について、書かれています。でもここは世界情勢についての話しが中心。
 福音の章(勘解由兇海海任牢解由とのキリスト教についての説明が始まります。
 洗礼の章(ヨワン掘縫轡疋奪舛寮は辰鬚靴芯構とはるという「兄妹」が牢にいたシドッチから洗礼を受けるまでを書いています。
 殉教の章(勘解由掘膨構とはるの洗礼を知った勘解由とシドッチの対面、そしてシドッチが土牢に閉じ込められて死に至り、剥製は「西洋事情」を書き出す。

 やはりこの著のハイライトはシドッチと白石との対話の内容にあると言えましょう。最初は世界情勢や西洋の話を聞き出していたのですが、ついにはキリスト教について説明をはじめます。
 ここを書ききるのは、キリスト教の歴史と聖書に対する深い知識が必要になります。著者は別にクリスチャンではないようですが、驚くほど正確にキリスト教の理解を表現しています。

 私が特に気に入ったのは次のような箇所でした。
 シドッチは、ローマ帝国の賢帝アルクス・アウレリウスの「自省録」を愛読していた。
 そして15世紀カトリック教会の枢機卿で教皇代理を務めたことのあるニコラウス・クザーヌスを尊敬していた。

 
人は−とクザーヌスはといていた。自分の知識を絶対のものと思い込むときとかく他人の立場が理解できず、独善に陥る。そして平気で他人の振る舞いを責め立て断罪し、聖戦という勝手な名分で他人への過酷な攻撃に走る。真のカトリック教徒は、だが、キリスト教の愛にならって他の宗教の人びとを宗教上の立場が違うという理由で迫害も侮辱もしてはならない。異なる習慣や伝統に生きている民族や国家を寛容にキリストの愛へ誘わねばならない。と。
 ローマ教会にしたがう誰もがカトリックのために異端者・異教徒を殺戮し、掃滅する神への奉仕と考えていた時代に、クザーヌスは一人そう唱えていた。「戦争とはこれほど不幸なことか」というつぶやきを、58歳最期の反省として戦陣に死んだマルクス・アウレリウス帝は異教のローマ皇帝の人間像と「健康なカトリック」を心から望んだクザーヌスの御主への愛とは彼シドッチの思いの底でいつとはなく豊かに一つの重ねられていた。


  ルカ伝とマタイ伝とを読んでいたときに、かれの二人の弟子ーヨセフ長助とマリアはるがーもっとも感動したのは、こういう点だった。
 イエズスが、神の子として世に現れるために、またダビデの家系に名を連ねるために、大きな二つの承諾、深い信仰からの承諾が必要だった。
 一つは、マリアが、神と聖霊とにより処女の身でみ子を孕したと天使に告げられた際に「み心のままになりますように」と受け入れていた。
 今ひとつは、神に愛されたアブラハムの子孫、ダビデの子孫のヨゼフが、すでに身籠もった処女マリアを、神の望まれるままに妻として受け入れていた。キリスト教の成るこの二つの承諾はかけがえのない信仰の証しだった。


 この書のタイトルになった「親指のマリア」の絵について、前にも書いたことがある。カルロ・ドルチェの描いたマリアには「悲しみの聖母(マリア)」と「親指のマリア」という二つのよく似た絵が存在する。
 一つは、青いマントから手を出して組んでいる「悲しみの聖母」像で日本には国立西洋美術館の常設展にある。



 もう一つはシドッチが持ってきた「親指のマリア」像で、マントから親指をちょこんと出しているマリアである。こちらは国立博物館にあるが、常設ではないので、なかなか見る機会がないとのことである。この絵にシドッチがどれだけ慰められたことか………。

こちらにもどうぞ




2012年03月27日

高山右近列福祈願溝部司教講演10分短縮バージョン

2012年2月5日に大阪玉造教会で行われた『ユスト高山右近列福祈願シンポジウム』から溝部脩司教の基調講演『現代に響く高山右近の霊性』を10分にまとめたものです。
主催企画 大阪教区高山右近列福推進委員会 撮影編集 SNN(SIGNIS GOODNEWS NETWORK)です。



私もこの講演会を取材・撮影しに大阪に行き。実際にビデオで講演を撮影に預かりました。溝部司教さんの話はなかなか内容が豊かで充実した講演でした。
この10分バージョンもなかなかみごとな出来映えです。よくぞコンパクトにまとめてくれました。SNN に感謝です。
個人的に、荒木村重事件の時の右近のとった態度についてお話しされたところがとてもよかったです。
ちょっと心配なのは、あまりにコンパクトにまとめられているので、1時間版を見なくてもいいと思ってしまいそうなことです。もっともっとたくさんいいことを話されているから、ぜひ1時間バージョンも見てほしいのですが、そこまで導かれるかどうか?

こちらもどうぞ

2012年03月02日

「生きた、愛した フランシスコ・ザビエルの冒険」を読んだ

「生きた、愛した フランシスコ・ザビエルの冒険」(矢代静一著 角川春樹事務所刊 1996年)を大学の図書館から借りて読んだ。なかなか読み応えのある作品だった。

「Book」データベースには以下のような紹介が載っている。

 人間、ザビエルの波瀾万丈の生涯。バスク、ローマ、パリ、リスボン、ゴア、マラッカを経て鹿児島へ。16世紀の大航海時代にたった一人で西洋の「心」を東洋へ運んだ男の生涯を描く、渾身の書き下ろし。


 著者は、最初ザビエルを日本に連れてきたアンジェローという日本人が気になり、彼を主人公にして戯曲を書こうとしたという。このアンジェローはヤジローともアンジローともいわれ、鹿児島で人殺しをして逃亡のために日本を脱出した男である。しかし、アンジローを描こうとすると当然ザビエルも描かねばならない。最初は聖人は苦手だと思っていたが、書いているうちにザビエルの個性にひかれていき、ザビエルを訪ねる旅に出た。そしてすっかりザビエルの虜になって、書いた小説であるという。

 ザビエルはここでは、純朴でガンコでカタブツではあるが、俗っぽいところがほとんどない人物として描かれている。そしてその周辺にいる人物もそれぞれ個性が浮き彫りにされる。いずれもザビエルと出会わなかったら、どうということのない人生であったにちがいない。ちょうどイエスを囲む弟子たちみたいな存在がザビエルの周辺にいるような感じである。

 私がこの本で興味を持ったところは、やはりイグナチオ・ロヨラとの出会いとイエズス会の結成、そして「イグナチオの霊操」について書かれたところであった。
 「霊操」についてこの書ではなんとミケランジェロにかたっているのである。

「尊敬する友人、イグナチオ・ロヨラに導かれて。僕は『霊操』を行っています。3年前からです。」
「霊操とはなんのこった。耳馴れない言葉だ。」
「スピリチュアル・エクササイズ。霊的練習のことです。ま、祈りの手引き書と言ってもいいと思います。ロヨラは軍人であることをやめたのち、マンレサの村はずれの洞窟でなんと1年も祈りと苦行に徹し、ついに神秘的体験をし、霊操を編み出したのです。」
「具体的に頼む。」
………………………………
「まず、第1週。邪悪な欲望を取り除くため、これから生活の反省をします。第2週、清められた心で貧しいキリストに倣うことを誓います。次に王たるキリストに従う私たち兵士は、第一にこの世の富に対しての、清貧、第2に現世の空しい名誉に対しての軽蔑、第3に傲慢に対して謙遜を武器として団結し、「悪霊の国」と戦う決意をします。そして第3週、キリストが生涯、とくに受難に際して、清貧、軽蔑、謙遜の道をどのように歩み、十字架上で死去なさったのかを黙想します。最後の第4週では、キリストの復活を黙想し、永遠の国をめざして旅立つので、以上であります。」
 ミケランジェロは子どものように手を挙げた。
「よく飲み込めませんが、それで、先生はその1か月の修行のあと、キリストの兵士になれたのでしょうか?」
 ザビエルはつらそうな表情になって、首をゆるやかに横に振った。
「おやおあ、正直なお坊ちゃんだ」
 軽口こそたたいたが、さびしい表情でザビエルを見つめた。
「いずれにせよ、聖書を直い心で読んで、ルカ伝ならルカ伝の第1章を読み終えたら、いろいろと思い巡らすことだと思います。そして、書かれている背後に映る神の愛、寛大さなどを心の目で見る。いいえ、神に見せていただく、これが観想ではないでしょうか。僕はまだ迷える小羊ですから、霊操の神秘性についてはこれ以上のことは申し上げられません。」


 ザビエル(1506〜1552)はミケランジェロ(1475〜1564)と同時代人だから、ローマにいたときに交わりがあっても不思議ではない。この小説ではミケランジェロとザビエルとが不思議な縁で結びつく。
 娼婦マリーとの会話の部分もザビエルらしい。

「あたいは神様のことなんか教えてもらいたくないね。教えてもらいたいのは、あんたの心だ。いや、体だ。売ってくれるのかい、あんたのからだをあたいに!」
 必死になって返事を求めているのが、彼女の息遣いから分かった。沈黙。サビエルはやっと答えた。
「………あのね、僕の君に対する愛情はアガペなんです。」
「アガペ? 何語よ。スペイン語?」
「ギリシャ語です。献身的な藍というか、賛美というか、謙虚というか、無償というか、つまり自分で言うのはおかしいけれど、自分を低くして、君に対してすべてを奉仕しようとする純白の愛情です」
「むずかしくてよく分かんない」
「つまり、あくまで形而上的な愛情なのです」
「要するに抱いてくれないっていうわけね」
「………うん、まあ、そうだと思いますが、………分からない」
 それは23歳のうぶな若者の本心だった。
「あんた、あたいのこの気持ち、まるで分かろうとしない。自分のことしか考えていないんだ。こんな煮え切らない男って大嫌い、弱虫!」
 マリーは平手打ちをザビエルの頬に何遍もくれた。ザビエルは目をとじた。耐えた。痛みに対してではなく、おのれの優柔不断についてだ。
 マリーのすすり泣きが聞こえる。やがてそれも終わった。


 私は、その場面が入門講座や授業などでそのままプリントにできるようにと、できるだけ原文の味を損なわないように引用している。それで引用が若干長くなることがある。これも2度入力しなくてもすむようにするサービスのつもりである。

こちらの方もどうぞ。


 

2012年03月01日

「ハビアン ー藍は藍より出でて」を読む

 前に「不干斎ハビアン−神も仏も棄てた宗教者」(釈徹宗著 新潮社刊 2009年1月刊)を紹介した。この人物には興味を持っていたので、大学図書館で見つけた「ハビアン ー藍は藍より出でて」(千草子著 清文堂 1991年刊)を見つけたときはうれしかった。

 『天草版平家物語』の作者である不干ハビアンは、“転びイルマン”の烙印をおされ数奇な運命を辿ったというということは前述のブログを見てほしい。
 この書の物語は、彼が著すキリシタン護教書『妙貞問答』に資料を提供する清原枝賢の娘「雪」を軸に展開する中で彼の人生を解き明かす。
 ただし、この書はハビアンが「妙貞問答」を書き上げるまでで終わっている。つまり彼がキリスト教をすてる場面はここにはない。

 この書の副題「藍は藍より出でて」は「妙貞問答」の「神道之事」に出てくる言葉から取ったものである。普通は「青は藍より出でてて藍より青し」であるのだが、作者は原文のままを使っている。「藍」は「愛」に通じると思ったからであると述べている。
 著者は国語学者。国語学的に「妙貞問答」を研究しているうちにハビアンに引かれて小説を書きたくなったということである。

 ともかく、この書は続きが書かれなければならない本である。ハビアンがなぜキリスト教を捨てたのかというのが私の最大の関心だったのだから………。いつまでもこの本だけだと欲求不満に陥りそうである。

こちらもどうぞ

2012年02月28日

小田原教会のホームページ作成支援にいきました



2月26日にカトリック小田原教会に「教会ホームページ説明会」にSIGNIS のなかまと二人で行ってきました。
友人のKさんをとおして、小田原教会の信徒会長さんよりSIGNIS に依頼があったものです。

10時のミサの後、11時半くらいから教会の聖堂で説明会が行われ、参加者は15名くらいだったか。
後半には主任司祭の岡村神父様も参加されました。

ひとりがPCで教会横の幼稚園から借りてきたプロジェクターに PowerPoint を投影しながら私が説明しました。

それから、
教会ホームページは福音宣教のためのホームページであること
教会で個性あるおもしろいホームページを作るために
信徒の信仰をもって生きる生き方を紹介すること
「地域と教会」について情報発信できること
女性のセンスが活かされること
YouTube 映像などの動画を取り込んで、福音情報を発信できること


などを強調しながら、

SNN の作ったホームページや Wordpress で作った多摩教会FMM などのホームページ
百合ヶ丘教会の「ゆり子さんシリーズ」


を紹介しました。
また、説明の中で、教会ホームページの進化の3つのステージがあるという話しをしました。

第1ステージは、教会内のコンピューターやインターネットの技術者が先進的に立ち上げ、制作者の個性や考え方が色濃く反映されている
第2ステージは、公式ホームページがつくられ製作ならびに運営・保守は業者に発注。見栄えはいいが中味がない。
第3ステージは、初期設定は専門家が行うが、ホームページの作成・更新は Wordpress を使って教会の広報部で行う。信徒自らが更新できるようになる。
「小田原教会は、いきなり第3ステージです。こういうのがあとから来たものが先になるという例です。」といいました。


できるだけわかりやすく説明したつもりですが、それでもどこまで分かっていただけたか、ちょっと不安です。
1時間くらいの説明を終えたあとに、いくつかの質問がありました。
ほとんどがセキュリティとかプライバシーの保護に関する質問でした。

私は首から上が写っていない写真や顔がぼやけた写真なんかつかわずに、笑顔と喜びのあふれた表情がいっぱいあふれているホームページであってくださいとあえて言いました。

あとで、主任司祭の岡村神父さんや何名かの信徒の方たちと一緒にランチを取りながら、懇談しましたが、説明会の内容はおおむね好評だったようです。
3月に信徒総会があるので、そこで正式に決定して発注ということになるそうです。

こちらにもあります

2012年02月24日

「アルペ神父とともに祈る」から「お話しください、主よ」

いま鎌倉十二所のイエズス会修道院黙想の家にいます。そこで宿直の当番をしています。
そこの売店に「アルぺ神父とともに祈る」という本がありました。アルぺ神父の祈り集です。
ナカナカ素敵な本です。こんな祈りが目に留まりました。



18.お話しください、主よ。

私は信じます、主よ!
あなたが私という存在の最も奥ふかいところにおられるのを信じます。
お話しください、主よ。そのお言葉をあなたのしもべが聴いております。
あなたのしもべが聴いておりますので、どうかお話しください、主よ。

お話しください。
創造力のある御言葉を、
そのお言葉通りになる御言葉を、
この世を想像した御言葉を、
肉となりこの世を救った御言葉をお話しください。
私の魂の底にある同じ御言葉はあまりにも静かなのです。
何故かというと、私はそれを聞く価値がないからです。
しかし、御言葉の方が私に語りたがっているのです。
主よ、あなたによってすべてのものが創造されました。
私はあなたのことに耳を傾けたいのです。
世の始まりから存在した御言葉を聴きたいのです。

御言葉をおっしゃってください。
あなたを感じさせてください。あなたのしもべは聴いております。
あなたを聴きたいのです。どうかお話しください。

御言葉は聖霊に満ちています。
その聖霊は人に愛を吹き込みます。
愛は人の心の中に移っていきます。
なぜならば、愛は無限だからです。
私の心のように石のような硬く冷たい心から、
血の通った肉の心に変えてくださることを知っています。
それはイグナチオやザビエル、そしてテレサのこころのように、燃える心なのです。
今日の世界はこのような心を必要としています。
愛を求めているのです。

主よ、お話しください。
力に満ちた御言葉を。
それは私の内面を作り、
また、私の唇や良心にやってきて、私の存在のすべてを変質させ続けるものです。
それは間違いなく唸り声なのですが、同時に静寂にもなる御言葉です。
情熱的な激しいノイズを持つ者にとっても、内面世界が不調和な私のようなものにとっても聞こえるはずがないのですが、
それは非常に力強いものであり、その意味するものを形作り、私の内面に語ってくるのです。
ひとたび心と口を出た御言葉は、
魂たちを変質させ、人間の心に灯をともし、
「予想していたよりもはるかに多くの」作業を遂行させます。
また、力もなくだれからも助けを受けられないがゆえに
自分自身で動けない者たちに、新たな力を吹き込むのです。
御言葉は重い皮膚病のものの体を、生まれたばかりの赤ん坊のような新鮮な肉体に変えますし、
盲人が決して失うことのない光によって「見えます」と言ったことも、適切に説明するのです。
それはあなたの御言葉、あなたによって命を与えられた御言葉が耳には作用せず、心の内側に作用するからです。
そしてあなたご自身が、御言葉を聴こうとする者の中におられのです。
あなたは御言葉をどのように聞いたらよいのかを迷っているものや、あるいは聞くことを望まない者に対して、話そうとされるお方なのです。
私は創造的な効果を出すには年を取ってきましたが、私の奏でる声や耳にある鼓膜は、よく聞き取れなかったあなたの御言葉を、はっきり聴き取り伝える道具とされるのです。
主よ、私たちにお話しください。なぜならば、私たちはあなたの御言葉を聴くことを必要としているからです。
私たちにお話しください。あなたのしもべが耳を傾けています。


ペトロアルペ神父は前の前のイエズス会総長でした。終戦を広島で迎えられ、被爆した人たちを長束の修道院で手厚く看護されたという話も聞いております。
私はローマで1979年にペトロアルペ神父とお会いしたことがあります。CLCの世界大会の時でした。
日本語で語りかけてくれました。とても優しい方でした。
いま広島教区ではペトロアルペ神父の列福運動が始まっているそうです。

この本にはまだ素敵な祈りがのっています。
また紹介しましょう。

こちらもどうぞ
Posted by mrgoodnews at 23:33  |Comments(0) | 詩、歌、祈り , キリスト教の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月28日

情報化が教会にもたらす危機 Church's Crisis by Information Technology

IC2012の基調講演の中で、ライス神父(パウロ会)は、急速なる情報化の進展についていけない教会の危機を次のように指摘していました。

その「危機(crisis)」とは次のような性質を持っています。

Boiled Frog Problem
「Boiled Frog Problem」とは「カエルは熱湯に入れられるとすぐに死んでしまうが、水から徐々に温めていくといい気持ちになってでもそのまま茹で上がって料理になってしまう」ということを言います。「真綿で首を締める」みたいなことをいうのでしょう。
The far horizon problem
これはまだまだ遠くの世界で起こっていることで自分には関係ないと思っていることでしょう。
The Pace of change Problem
一方でこれは変化が速すぎてとてもついていけない問題ということです。

そもそも最大の危機は
Are we in crisis?
つまり、その危機に気づいていないことにあると言えるでしょう。

その「危機」とは次のように表現していました。

●Sexual abuse Crisis 性的濫用の危機?
  Loss of trust
  Loss of credibility
  Loss of resources bankruptcy 資源の破産状態?
●Vocational Crisis 使命感の危機
  precipitous drop in numbers of priest and religious
  Inability in stuff schools,parishner,hospital
  教会や学校や施設で働く司祭や修道者がこれについていけない
●Catechesical crisis 教えを伝えていく上での危機
  We have largely failed to pass on our faith
  Faith seems irrelevant
  Faith seems shallow
  信仰が浅く、現実離れしていく
●Attrition crisis 衰退の危機
  not became angry but became boring
  怒るのではなく退屈になる
●Leadership crisis リーダーシップの効き
  Shifting roles for bishops,clergy,laity
  司教、司祭、信徒の役割の変化
●Disunity crisis バラバラの危機
  We are no longer one church?
  Who's really Catholic?
  Ideology has replaced mission
  もはや一つの教会とは言い難い。誰がほんもののカトリックなのか?
●Victimology crisis 迫害と殉教の危機
  We are under attack by the media, the liberals, the government
  メディアや自由主義者や政府からの迫害を受けている?
●Resources management crisis 資源管理危機?
  Consolidation,redistribution
  Empty urban churches
  Encumbered by useless facilities
  意味のない道具で足手まといになっている


雰囲気がわかるでしょうか。ライス神父の話はとてもユーモラスで笑に満ちていました。
そのユーモアの意味はなかなかわからずに、疎外感に襲われるのですが、その雰囲気はわかるような気がします。
ただし、この話は次のように終わりました。

Even if true,so what?
Diminishes our responsibility


もしそれが本当だとしても、それがどうなんだ。
そういう問いに答えるかのごとく、かれはこう言って、話を明日につなぎました。

Crisis = danger plus opportunity
Why do we see only danger.


こちらもどうぞ




2012年01月22日

Interactive Connection 2012 に出発します。

今日22日午後7時の飛行機でアメリカに行きます。フロリダ州オーランドで1/22〜26日に開かれる Interactive Connection 2012 という集会に出てきます。Interactive Connection とは「双方向の交わり」とでも訳したらいいでしょうか。
今回のテーマは前にもお知らせしたとおり、"Incarnating Gospel into the Digital World" です。私の関心にぴったりのテーマです。
この集まりのなかでどんな Learning Session があるか、ちょっと紹介しましょう。スミマセン。英語で。

Technology at the Service of Catechesis
Zingers! 7 Free Resources to Catch Your Students Attention
Mobile Technologies In Your Ministry and Church
Teaching Social Justice Interactively Using the Internet

Putting the TECH into CaTECHesis
21st Century Catechists: Sharing the Faith in a Digital World
What Makes a Great Church Website
Discovering Who Your Organization is Online

Digital Storytelling and Marketing Techniques
Parish Websites: Tools of Evangelization
The Parish – A Social Network
Technology in Catechesis: What’s Going On?


4つのセッションが併行して同時に行われます。ということは4つのうちの一つを選ばなければなりません。どれに出席するか、悩んでいます。
向こうに行って余裕があれば、レポートすることにしましょう。

こちらもどうぞ

2011年12月22日

「鎌倉市民クリスマス」に行きました

カトリック雪の下教会の友人に頼まれて、雪の下教会で行われる「市民クリスマス」をビデオ撮影しに行きました。
12月10日(土)午後3時から、鎌倉市内のカトリック教会、聖公会、プロテスタント教会など4つの教会が教派を越えて、市民を対象として行うクリスマス行事でした。
私たちは午後1時くらいから参加しました。少し時間があったので、教会の前をとおる観光客相手に呼び込みを行いました。あまり効果はありませんでしたが……。

まず、子どもたちのキャロルが、道路に面した教会入り口で行われました。ガールスカウトの制服を着た女の子たちが目立ちました。
そのあと、聖堂内で合同の祈祷会。4つの教会の司祭と牧師たちの祈祷の間に、被災地にボランティアとして派遣された青年の報告もありました。ハンドベルの演奏もなかなかよかったです。
それが終わると、外はだんだんくらくなってきて、また再び道路に面した階段でキャンドルサービスとクリスマスキャロルが歌われました。
これには道行く観光客もデジカメで写真を撮ったり、聞いていたりしました。

この鎌倉市民クリスマスも伝統となっているそうです。エキュメニカルなかたちで行われているのもいいですね。八幡様の通りに面した抜群の立地条件をもっている雪の下教会ならではの活動だと思います。

こちらにもあります

2011年12月12日

ほほえみの使徒職

古い手帳を探していたら、こんなリーフレットが見つかった。
タイトルは「ほほえみの使徒職」。発行は桐生の聖フランシスコ修道院。
何年か前にここを訪問した時にもらったものかもしれない。



ほほえみの使徒職

あなたの唇に浮かぶほほえみが
あなたの心をうきたたせ
明るくし
平安を与え
健康を増し
顔に輝きを与え思いやりのある心を育てます。
いつものまじめくさった、あるいは渋い表情がきえてしまったと思うようになるまで。

自分にほほえみかけましょう。
陽気な顔の輝きで自分の心が温かくなるまで

自分にほほえみかけましょう。
そして
外に出て、あなたのそのほほえみを人々にまき散らすのです。

このほほえみの役割
それは神のために働くことです。
今からあなたは使徒であり、あなたのほほえみは人々の心をとらえる道具となります。
あなたの魂に宿る紙の愛によって、あなたのほほえみは特別な魅力を増したくさんの善を生み出すようになるでしょう。

さみしそうな顔
おどおどした顔
悲しみに沈んだ顔
陰気くさい顔
元気のよい若者の顔
しわの多い年老いた顔
家族や友人のなじみ深い顔に
ほほえみかけましょう。
あなたのその美しい笑顔で人びとを喜ばせ、楽しませましょう。
一日にどれだけの人があなたの笑顔につられてほほえむようになったか、数えてごらんなさい。
その数は、あなたが何回人々の心に満足や喜び、勇気、安心を起こさせたかを示すものです。
こうした心がけは、常に利己的でない、立派な行為を生む源になります。
いつもめざましい成果があらわれるというわけではありませんが、あなたのほほえみの持つ影響力は大きく広がっているのです。

あなたのほほえみは
疲れた人、重荷を負うている人、失意の底にある人、試練に立たされている人、絶望している人びとの心に、新しいいのちと希望と勇気をもたらします。
あなたのほほえみは
人びとの心に希望と信頼を起こさせる助けとなります。
あなたのほほえみは
闇の中で迷っている人々を光のもとに導く助けとなります。
あなたのほほえみは
たくさんの忠実な友人を得ることができます。

神にもほほえみを
自分の人生に何が起ころうとも、それを愛の心からうけいれつつ、神にほほえみかけましょう。
そうすれば、輝くような笑みをたたえたキリストの御顔が、いつの世にもかわらぬ特別な愛のまなざしをあなたにそそいでくださるでしょう。


発想もいいし、その一文一文が述べていることはまったくもって正しく反論の余地などないのですが、ただちょっとくどい文章です。
もう少し短く簡潔に表現できたら申し分ないのにと思いました。
表はだれかさんの素敵なほほえみの写真にして、うらに詩のような祈りのような文章をかけたらいいですね。
他にする人がいなければいよさんの写真と私の言葉で「ほほえみの使徒職」というカードを作ってみましょうか。

こちらもどうぞ

Posted by mrgoodnews at 20:44  |Comments(0) | キリスト教の歴史 , ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月28日

アドベント・ボックスと待降節

品川の KALDI で「アドベント・カレンダー ウッドボックスタイプ」なるものを見つけたので買ってしまった。確か1980円であった。ボックスは中国製である。ここにはこう書いてあった。

adventbox

24個の扉がついたアドベントウッドボックス。扉を開けると中にはチョコレートやキャンディが! 中のお菓子を一つずつ食べながら、クリスマスイブまでの24日間を楽しんで!


アドベントカレンダーとは、12月1日から24日まで窓がついているカレンダーで、一日一つの窓を開けるとそこに何か絵が描いてあったり、メッセージが書かれていたりするカレンダーである。
最近は、そこにお菓子やキャンディが隠されているものが目立つ。
クリスマスを待ち望む気持ちをそういうふうに表現していたわけである。
このウッドボックスタイプはお菓子さえ買えれば翌年もまた使えるということでなかなかスグレモノであると思う。

そういえば、教会の暦では昨日11月27日から待降節にはいった。新しい年が始まったことになる。この日からクリスマスまでの4週間を待降節(アドベント)と呼んでいる。
聖アンデレの日である11月30日に最も近い日曜日が待降節第1主日となる。最も早いときで11月27日、もっとも遅い年は12月3日となり、今年は最も早い年にあたる。

アドベントとは、もともとは「到来」を意味するラテン語 adventus からきた言葉である。つまり「突然やって来る、思いもかけないことが目の前で起こる」それがアドベントの本来の意味である。
英語のアドベンチャー(冒険)の語源でもあるが、冒険とは本来、誰も行ったことのない新しい土地へ行くことでも、誰もやったことのない新しいことに挑戦することでもなく、突然目の前に起こった予期せぬことを受け止め、自分自身を変革させること、またその経験を通して新しい人間になるということを意味していた。

そういう意味ではマリアもそして3人の東方の博士たちも、この予期せぬ出来事を受けとめて新しい人間となった本当の意味でのアドベンチャーであったのであろう。

こちらもどうぞ

Posted by mrgoodnews at 11:15  |Comments(1) | キリスト教の歴史 , おもちゃ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

安土往還記にみる信長とキリシタン宣教師たち

aduchioukanki

辻邦生の「安土往還記」という短編小説がある。
この文庫本の裏表紙には次のような紹介があった。

争乱渦巻く戦国時代、宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさ中にあって、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長一代の栄華を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追究した長編。文部省芸術選奨新人賞を受けた力作である。


この小説に信長がなぜキリシタン宣教師たちに好意を寄せていたのかという心情がみごとに描かれているところがあった。

大殿(シニョーレ)はこうした現実の問題を処理する立場の人間として、tらえず「事が成る」ための力を必要としていた。事を成就せしめぬような知識はがらくたに過ぎなかった。彼は目を光らせ、渇いた人のように、事を成就させる知識を求めたが、同時にそうした知識を造り出す態度の厳しさに関心を持ったのだ。
「キリシタンの僧たちが大海に乗り出すように、その同じ勇気をもって、仕事に当たれ」
大殿は近習たちと雑談の折、そんな言葉を漏らしたと伝えられている。確かにオルガンチノをつかまえて、大殿は「あなたはなぜこのような遠くの国まで、危険な大海を渡って航海してくるのか、それが知りたい」とよく言っていた。彼は布教のためであれ、その他の目的であれ、生死のぎりぎりの地点にたち「事が成る」というただそのことに力を集中して生きるその厳しさ、緊張、生命の燃焼に強い共感を持っていたのだ。
大殿は「事が成る」ために目的のすべてを−自分の思惑、感情、惰性、習慣、威信、自尊心までを犠牲にした。そしてそうした態度をあえて他の武将、将軍、大名にも要求した。このことに関しては大殿は徹底的な献身を要求した。「事が成る」ために誰もが自分を殺し、自分を乗り越え、「理にかなう」方法を遂行しなければならなかった。


なるほど。信長は「事が成る」ための不屈な精神とおなじものを宣教師たちの中に認めていたわけである。秀吉はそれを怖れていたのだが………。

こちらもどうぞ

2011年09月26日

「海鳴りの底から」にみる島原の乱の「パライソとインヘルノ」

この小説は堀田善衛が60年安保のころに「朝日ジャーナル」に書き下ろしたものである。
この本の表紙に書かれているこの小説の紹介である。

生きるか死ぬか、死ぬのが吉利支丹じゃろうか?幕府のキリシタン弾圧と藩の圧政に3万7千人の老若男女は島原の小さな城に立て篭もった。時に寛永14年11月。それに対して幕府連合軍は総勢12万5千。城の内と外で繰り広げられるハライソ=天国とインヘルノ=地獄。


島原の乱を舞台とする小説には「出星前夜」(飯嶋和一著 小学館刊)がある。この小説にも描かれていたが、「海鳴りの底から」にも同じようなテーマが浮かび上がる。つまり「地獄の中に天国がたちあがる」である。このテーマは、「災害ユートピア」で紹介した。

この小説の中で私が興味を持ったのはいくつかあるのですが、その中の一つは農民たちがなぜこの反乱をおこしたのかということを語るところです。

二ノ丸指揮者である山善右衛門は、まことにじっとしていられないふうで、しばしば軍奉行のかねての命に反して二の丸の持ち場持ち場へ出張っていき
「ほい、敵は大日本じゃ。おいたちはここにかとりかのれぷぶりかをおしたてるじゃぞぉ」
かとりかのれぷぶりかとはなんのことじゃ、ととわれれば、
「かとりかと申すは、世間は広いという意味で、れぷぶりかと申すは、国ということじゃ。国と言うてもな、天地同根、万物一体、一切衆生貴賎を撰ばずちゅう国柄のことじゃ。」ときれいさっぱり、応えていた。

申し分があるなら言えということであるから申し上げるが、今回、われわれが下々として一揆に立ち上がったのは、なにも国郡などを望んでのことではない。われらの宗門について自由が許されるならば、そのほかに存念とてはないのである。


次に興味を持ったのは、原城の陣中旗のことである。これを描いたのはこの小説の主人公の一人である絵師山田右衛門作である。かれはリーダーでありながら、敵がたに内通し、原城の戦いで唯一生き残ったリーダーであった。
この小説の初めの方に山田右衛門作がこの陣中旗を描くシーンがある。

一揆衆の中心になるものは何か、十字架の立つ聖餅と聖体秘蹟盃、つまりはぜずす・きりしとそのものを授かるという聖体の秘蹟、この二つ以外はありえない。それが羅馬公教会の中信思想である。聖杯には淡黄色をほどこし、銅板画の手法を用いて滑筆による陰影をつけた。この聖盃に侍して拝する二天使は、蘆筆を用いて飛翔の力感がでるように素描のあとをあらわにのこし、暗部は綾描によった。彩具は膠画用のものを使った。
描き終わって、上部に LOUVAD SELAO SANTISSIM SACRAMENT(いととうとき聖体の秘蹟は賛美せられさせたまえ」とのポルトガル語の賛をいれた。


この時代、司祭はいないのでミサは上げられない。だから聖体の秘跡には預かれないのである。なぜこのような絵になったのか、とても唐突な感じがするのだが、このしょうせつではそこはときあかされない。

もうひとつある。それはこの小説の中にしばしば「こんてむつすむん地」が読まれる場面が出てくる。

「こんてむつすむん地というのは、むずかしく言えば、すべて世俗の虚栄を蔑視する、ということじゃ。むんぢというのは、この世の中ということ、世界ということじゃから、地の字をしまいにあてた。その本は知ってのようにぜずす・きりしとにならうためのもの。初めから読んでみてくれ。」
和作は、火にこの木活字による、ほとんどが平仮名ばかりの活字本をあらためてかざした。
「御あるじのたまはく、われをしたふものはやみ(闇)をゆかず、ただ命のひかりをもつべしと……。」
右衛門作は、和作が読み下していく文章を耳にききながら、旨に誇らしい気持ちが湧いてくるのをおさえかねた。七面倒な漢文などではなくて、平仮名で見事な国語が連ねられている。慶長8年に長崎で印行されたものであった。その平俗な日本語にこめられている情と熱の深さに高さにはいつ耳にしても右衛門作はうたれた。仏教経典のあのわけのわからなさにくらべれば、よくもこんなにやさしくて耳に入りやすく、しかも美しい日本語に外国の経文がなったものだ、と感心した。
それは第1章、De Imitatione Christi et Comtemptu Omnium Vanitatum Mundi  という章名を「世界の実もなきことをいとひ、ぜずすきりしとを学び奉ること」と、素直に訳していた。この素直で情け深い国語の書き手として、細川ガラシャおたまの方、あるいはガラシャ夫人周辺の人々を彼は空想裡に描いている。西海の果てから伝わって来た経文が、美しい日本語を生む機縁になったということが、右衛門作にはえもいわず面白く感じられた。それはおのれ自身の画業にも通じてくる何ものかをもっているはずである。


この「こんてむつすむん地」はトマス・ア・ケンピス著の「イミタチオ・クリステ(キリストにならいて)」という書で私も昔読んだ本である。
そんなに美しい日本語なのか、あらためて読んでみなければならないなと思われた。

こちらは画像付きです


Posted by mrgoodnews at 22:51  |Comments(0) | 歴史のおもしろさ , キリスト教の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月09日

キリシタンをまつった神社 枯松神社

長崎市外海町に枯松神社というキリシタンをまつった神社がある。今年の夏にそこに行った。
この神社は、バスチアンの師であったサン・ジワンというキリシタン・バテレンをまつった神社である。当時のキリシタンたちが神社にカモフラージュして祈りを捧げた場所ということになる。

毎年ここで旧信者(カクレキリシタンの末裔)・カトリック教会・そして仏教の3教派が合同で祈祷集会を開くという。
仏教が参加するのは、この地の寺であった天福寺が、キリシタンであることを知りながら、キリシタンを守ったということから参加しているという。

その近くに大きな岩があった。この岩の下キリシタンたちがオラショをとなえていたといわれている。

前にやはり迫害で殺されたキリシタンの霊を弔うためにつくられた名古屋の栄国寺を紹介した。こんどは神社である。
これらは例外であるにせよ、こういう寺や神社があることは日本人の宗教の寛容性や奥深さを示しているのかもしれない。

写真付きはこちら

2011年08月12日

伝道師バスチアンの典礼暦と予言

外海地区の巡礼で「バスチアン屋敷跡」を訪れた。雷が鳴って雨が降ってきそうだったので、ゆっくり見学するまもなくあわてて引き返してきた。
そこにおいてあった印刷物をもとに、伝道師バスチアンの生涯を紹介しよう。

禁教令により外海地方の神父がすべて追放されたあとに、日本人で洗礼名がバスチアンという伝道者が、この地方のキリシタンたちを指導した。バスチアンは追っ手を逃れるために隠れ家を転々とした。ここはその隠れ家の一つである。

1610年ジョワン神父がこの地方で布教を開始。バスチアンはこのジョワン神父から、1634年ころ教えを受け、とくに典礼暦の見方を教わった。キリシタンの守るべき祝日(特にイースター)がいつなのかを記したこの暦は潜伏したキリシタンたちに言い伝えられた。
1657年大村で「郡崩れ」といわれる迫害がおこった。600人余のキリシタンたちが捕らわれ殺された。行きながらむしろに包まれて大村湾に投げ込まれたが、その供養をしたのがバスチアンであった。
しかしバスチアン自身もついに密告によって捕らわれ、長崎の監獄に3年3か月、囚人として78回の拷問をうけたが屈せず、最期は首を切られて天に召される。
バスチアンは死ぬ前に4つのことを言い渡した。これが「バスチアンの予言」と呼ばれるもので、潜伏したキリシタンたちの希望となった言い伝えである。
1.汝らは7代までは、わが子と見なすがそれ以後は救霊が難しくなる。
2.コンエソーロ(聴罪司祭)が大きな黒船に乗ってくる。毎週でもコンヒサン(ゆるしの秘蹟)が申される。
3.どこでもキリシタンの教えを広めることができる。
4.途中で異教徒に出会っても、こちらから道を譲らぬ前に先から避けるであろう。

この予言どおりに約200年後に黒船に乗って宣教師たちがアメリカからやってくることになるのである。

こちらは写真付き

2011年08月11日

「次兵衛岩」に再びいきました。

8月2〜5日の長崎での「宗教倫理教育ワークショップ」のあとオプションツアーで外海地区を巡礼しました。5日に黒崎教会、枯松神社、遠藤周作記念館、ドロ神父墓地、バスチアン屋敷あと、出津救護院あと、大野教会などをまわりました。そして6日の日は「次兵衛岩」です。

長崎市外海町から車で20分ほどいったところに、「次兵衛岩入り口」の看板がありました。そこから10分ほど下って、神浦川ぞいにいくこと約1時間。川沿いにマリア像が見­えてきました。
そこから急坂を10分ほどよじ登ったところに「次兵衛岩」がありました。

ここは1630年頃、キリシタン・伴天連の金鍔次兵衛神父が潜んでいたといわれる洞窟です。
金鍔次兵衛神父は「魔法使いの伴天連」といわれていたほどに神出鬼没で、あるときは長崎奉行所の馬丁となって、牢につながれていた宣教師や切支丹信徒たちを励まし、あると­きは江戸に行って家光将軍の小姓たちに洗礼を授けるということをします。
何度も山狩りをしてもつかまらずに奉行所の役人を悔しがらせるのですが、ついに密告によってつかまってしまいます。すさまじい拷問にも屈せずについに殉教死します。163­7年、次兵衛神父37歳の時でした。

川沿いに登っていくときにマムシに会いました。この時期はここはマムシがおってねという言葉に一瞬ひるんだ私たちですが、ガイドの方がマムシ退治をしてくれてなんとかこの­巡礼を成し遂げました。

私はここを訪れること2度目ですが、もう一度いってみたいと思わせる不思議な聖地です。ここに来るとなぜか大きな力をもらえるような気がするのです。

映像を見る

2011年07月04日

司馬遼太郎「街道を行く−南蛮の道」にみるイグナチオとザビエルと「霊操」

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの「南蛮の道 1」はバスク地方にフランシスコ・ザビエルの足跡を尋ねる旅を描いた。


1982年、筆者はフランス,スペイン、ポルトガルの旅に出る。「街道」シリーズ初のヨーロッパ行きで、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの人生をたどっていく。学んだパリ大学、イエズス会の血盟を誓ったモンマルトルの丘を訪ね、バスクの地へ。生誕地のザビエル城では自分を「オバケ」と呼ぶ修道士が現れる。濃厚なバスク人の世界へ包まれていく。



この紀行文のハイライトのひとつは、イグナチオ・ロヨラがフランシスコ・ザビエルを口説いて、イエズス会を結成する場面にあるだろう。嫌がるザビエルをイグナチオとその仲間たちがどのように説得したのか、いろいろと興味深く描かれている。

続きを読む

2011年05月18日

「かるさん屋敷」井伏鱒二作を読んだ

井伏鱒二がキリシタン小説を書いているところが意外である。しかもそれは殉教の時代ではない。信長が溌剌と活躍していたときの安土のセミナリオが舞台である。九州有馬に作られたセミナリオとこの安土に作られたセミナリオの特徴をよく描いている。安土セミナリオの日常生活は興味深い。

本の裏表紙にある紹介文である

「かるさん」はポルトガル語の軽袗です。モンペの一種です。戦国のころ、ポルトガル人によって将来されました。当時の絵図で見るとモンペよりも仕立てがふっくらとしてなんとなく典雅です。……近江の安土城下に所在した学問所の門前にあった屋敷には、いつも軽袗をはいた人たちがいて、それで「かるさん屋敷」と呼ばれていた。


帯にはこんな風にこの本の紹介がある。

井伏氏の豊かな詩情のうちにユーモアとペーソスをたたえた独自の作風はすでに定評のあるところで「かるさん屋敷」は戦国時代安土城下のセミナリオに材をとり、当時信長が全国から集めたキリシタン学とのはつらつたる姿を描き、恋と夢と冒険にみちた青春物語です。


安土セミナリオにいた人々は、オルガンチノ神父、イルマンロレンソ了斉、漢文の教師碌々軒、国語の先生ビセンテ桐院、そして学生としては後の26聖人のひとりとなるパウロ三木、そして伊東マンショの兄伊東ジェロニモ義勝などが登場する。

続きを読む
Posted by mrgoodnews at 21:43  |Comments(0) | 歴史のおもしろさ , キリスト教の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする