2012年02月03日
横濱2012年新春号「横浜の鉄道」
季刊「横濱」(神奈川新聞社発行)2012年新春号の特集は「横浜の鉄道」で、幾つも興味深い記事が載っています。
中でも出色だと思ったのが岡田直さん(横浜都市発展記念館調査研究員)が書かれた「もしもあのとき……」と言うもの。
横浜駅が開業時の場所から2度移転して現在の場所に落ち着いた事は良く知られていますが、この記事ではその経緯を周囲の事情まで含めて検証し、同駅に鉄道の路線が集中する今の状況は必ずしも必然的なものではなく、別の形となる可能性も十分有った事を示しています。
鉄道の路線は実現するまでには様々な要因に左右される事、逆に一旦実現すると都市の構造や性格をかなりの程度決めてしまう事などを改めて考えさせられました。
もう1つ、蜂谷あす美さん(慶応義塾大学鉄道研究会)が書かれた「鶴見線散歩」と言う記事も楽しく読めました。
こちらは前記のものとは全く違い、鶴見線沿線を歩いた私的な体験記となっています。
くだけてはいるけれども不真面目ではない文体が絶妙で、内容以上に感心させられました。
【交通の最新記事】
2012年01月31日
なるべく漢字で書こうとすると
前回「漢字が日本語をほろぼす」と言う本の事を書きましたが、自分の事を顧みると、普段文章を書く時にはなるべく漢字を使うようにしている事に気付きます。
しかしそうすると色々不都合を感じ、困る事が多いのです。
以下、具体的な例を幾つか挙げてみます。
2つの「辛い」
中国語でも韓国語でも大部分の漢字の読み方は1つなのに、日本語の場合は大抵何種類も読み方が有り、厄介です。
例えば、「辛い」には「からい」と「つらい」の両方の読み方が有り、意味は文脈から判断するしか有りません。
私は「からい」、「つらい」と平仮名で書いて区別しています。
中国語では、「からい」なら「辣(la)」、「つらい」なら「辛(xin)」か「苦(ku)」を使います。
「遅い」と「晩い」
逆の例で、「はやい」には時間を言う場合と速度を言う場合が有り、漢字で書く時にはそれを「早い」と「速い」と言うように使い分ける事になります。
しかし「おそい」となると、「晩い」が常用漢字の使い方として認められていないので、両方とも「遅い」になってしまいます。
私は時間の場合を「晩い」、速度の場合を「遅い」と書いて区別しています。
中国語では、時間なら「晩(wan)」、速度なら「慢(man)」か「遅(chi)」を使います。
「話」と「話し」
漢字に日本語本来の言い方を当て嵌める「訓読み」と言うやり方は、韓国語などには無いもので、色々と不都合を感じる事が有ります。
例えば同じ「話」の読み方が動詞であれば「はな」、名詞であれば「はなし」となってしまいます。
私は名詞についても動詞と同じように「話し」と書くようにしています。
「行って来る」、「うまく行く」、「やってみる」
漠然とした言葉や補助的な言葉に漢字を当て嵌めようとすると、迷う事が多く有ります。
例えば「いってくる」は、行った後で来る訳ですから、私は「行って来る」と漢字を使って書くようにしています。
「うまくいく」の場合、「うまく」を「上手く」と漢字で書く事には違和感が有るので平仮名とし、「いく」には「(事が)運ぶ」と言う意味を込めて「行く」と漢字で書き、全体としては「うまく行く」と書くようにしています。
「やってみる」の場合、「やって」には適当な漢字が無く、「みる」には「試す」と言う意味を込めて漢字で書きたい所ですが、「やって見る」は感覚的に不自然なので、「やってみる」と全て平仮名で書くようにしています。
しかし韓国語で考えると、「やる」の「ハダ」と「見る」の「ポダ」を合わせれば「やってみる」の「ヘボダ」となりますから、それを考えれば「やって見る」と書いてもおかしくはないと思います。
以上、4つの例を挙げましたが、似たような例はまだまだたくさん有るのです。
もし漢字を捨てる事でこのような煩わしさが無くなるのであれば、随分楽になるでしょう。
しかし自分としてはもう少し、漢字に拘ったまま文章を書いて行きたいと思っています。
しかしそうすると色々不都合を感じ、困る事が多いのです。
以下、具体的な例を幾つか挙げてみます。
2つの「辛い」
中国語でも韓国語でも大部分の漢字の読み方は1つなのに、日本語の場合は大抵何種類も読み方が有り、厄介です。
例えば、「辛い」には「からい」と「つらい」の両方の読み方が有り、意味は文脈から判断するしか有りません。
私は「からい」、「つらい」と平仮名で書いて区別しています。
中国語では、「からい」なら「辣(la)」、「つらい」なら「辛(xin)」か「苦(ku)」を使います。
「遅い」と「晩い」
逆の例で、「はやい」には時間を言う場合と速度を言う場合が有り、漢字で書く時にはそれを「早い」と「速い」と言うように使い分ける事になります。
しかし「おそい」となると、「晩い」が常用漢字の使い方として認められていないので、両方とも「遅い」になってしまいます。
私は時間の場合を「晩い」、速度の場合を「遅い」と書いて区別しています。
中国語では、時間なら「晩(wan)」、速度なら「慢(man)」か「遅(chi)」を使います。
「話」と「話し」
漢字に日本語本来の言い方を当て嵌める「訓読み」と言うやり方は、韓国語などには無いもので、色々と不都合を感じる事が有ります。
例えば同じ「話」の読み方が動詞であれば「はな」、名詞であれば「はなし」となってしまいます。
私は名詞についても動詞と同じように「話し」と書くようにしています。
「行って来る」、「うまく行く」、「やってみる」
漠然とした言葉や補助的な言葉に漢字を当て嵌めようとすると、迷う事が多く有ります。
例えば「いってくる」は、行った後で来る訳ですから、私は「行って来る」と漢字を使って書くようにしています。
「うまくいく」の場合、「うまく」を「上手く」と漢字で書く事には違和感が有るので平仮名とし、「いく」には「(事が)運ぶ」と言う意味を込めて「行く」と漢字で書き、全体としては「うまく行く」と書くようにしています。
「やってみる」の場合、「やって」には適当な漢字が無く、「みる」には「試す」と言う意味を込めて漢字で書きたい所ですが、「やって見る」は感覚的に不自然なので、「やってみる」と全て平仮名で書くようにしています。
しかし韓国語で考えると、「やる」の「ハダ」と「見る」の「ポダ」を合わせれば「やってみる」の「ヘボダ」となりますから、それを考えれば「やって見る」と書いてもおかしくはないと思います。
以上、4つの例を挙げましたが、似たような例はまだまだたくさん有るのです。
もし漢字を捨てる事でこのような煩わしさが無くなるのであれば、随分楽になるでしょう。
しかし自分としてはもう少し、漢字に拘ったまま文章を書いて行きたいと思っています。
2012年01月24日
漢字が日本語をほろぼす?
最近読んだ本で最も感心させられたのが、田中克彦さんが書いた「漢字が日本語をほろぼす」(角川SSC新書)と言うものです。
初め新聞でこの題名を見た時には、衝撃を受けると同時に疑念を持ちました。
自分の常識では、日本語にとって漢字は無くてはならないものであり、その使い方に注意し工夫する事はそのまま言葉を大切にする事になると思っていたからです。
しかしこの本によれば、漢字は日本語を不自由で解り難く、閉じたものにしているばかりか、差別を助長していると言うのです。
その考えの全てには賛成できませんが、無視できない貴重な視点が有ると思います。
例えば、モンゴルやベトナムなど中国に隣接した国では既に漢字を捨てていて、朝鮮半島でも半ばその道を辿っていると言う説明には説得力が有りますし、現代では外国人にとって解り難い言語は存在価値が低下してしまうと言う主張には強い共感を覚えます。
漢民族に対する警戒感が強過ぎると言う点は気になりますが、自分自身を振り返ってみて、逆に無意識の内に劣等感や憧れを抱いていたかも知れないと気が付いた時には、怖くなりました。
2012年01月20日
2012公共交通フォーラム
来週末の1月29日(日)、横浜で「2012公共交通フォーラム」と言う催しが開かれます。
私が関わっている「横浜にLRTを走らせる会」では以前から年に2回、幅広く市民の皆さんに参加して頂けるLRTフォーラムと言う催しを開催していましたが、去年からその内1回を「横浜の公共交通活性化をめざす会」との共催による交通フォーラムと言う形とし、より多くの皆さんに来て頂けるよう努めています。
今回は、昨年3月11日に起きた東日本大震災で公共交通機関が動かなくなり、多くの帰宅困難者が出た問題を取り上げて、報告や議論を行う予定です。
概要は以下の通りですが、詳しくは画像として載せたちらしまたは「横浜にLRTを走らせる会」のサイトをご参照下さい。
皆さんのご参加をお待ちしています。
2012公共交通フォーラム
災害と交通“帰宅困難者問題を考える”
日時:1月29日(日)午後1:30〜4:40(1:00開場)
会場:横浜情報文化センター6階、情文ホール
参加費:1000円(資料代)
横浜にLRTを走らせる会ウェブサイト:http://lrt.cocolog-nifty.com/yokohama/
2012年01月17日
2012年の年賀状
去年は喪中で年賀状を送れなかったので、今年2012年の年賀状は2年振りのもになりました。
葉書に印刷したのは画像の通りで、写っている建物は去年竣工した都筑が丘第二自治会館、撮影したのは友人の後藤武さんです。
建物は完成してしまえば設計者の手を離れてしまうのが常で、残るのは写真と図面位なものですから、どうしてもそれ等を大切にする事になります。
この建物の場合は竣工写真の他に友人や先輩、それに雑誌社の方に撮って貰ったものが有り、それぞれに違った魅力を捉えてくれているのですが、年賀状にはこの1枚を選びました。
自分ではなかなか良いものになったと思うものの、問題は、宛て名を含む手書きの字。
頂いた年賀状で立派な字や丁寧な字を見る度に、こちらももう少しきちんと書くべきだったと反省してしまいます。
2012年01月12日
壬辰試筆
今年も宜しくお願いします。
正月の試筆、つまり書き初めには何を書こうかと考えて、結局、自分が所属している書道団体の創始者である故阿部翠竹先生の書を参考にする事にしました。
古い会誌に載っている画像は小さく、印刷の状態も良くないのですが、やはり何かしら、訴えて来るものが有ると感じます。
何しろ子供の頃から馴染んで来た書きぶりなので、自分にとっては書を書く時だけでなく、見る時の拠り所になってもいるのでしょう。
画像に載せたのは、その中の1句を書き始めて10枚目のもの。
9枚目までは、翠竹先生の強さに少しでも近付こうとして、いつも以上に力んでしまっていたのですが、この1枚は少し力が抜けて、バランスが良くなりました。
展覧会に出す作品であれば、ここからまた工夫を加えて行かなければなりませんが、書き初めと言う事で、その後1、2枚を書いて終わりとしました。
2011年12月24日
坂本龍一音楽の学校
先週12月17日までNHK教育テレビで放送されていた「スコラ、坂本龍一音楽の学校」と言う番組を、毎回ではないですが、見ていました。
子供の頃、坂本さんは怖い人だと言う印象を持っていたのですが、この番組では優しくて物解りの良い紳士になっていて、易しく説明をしてくれていました。
内容は、去年2010年のJ.S.バッハから始まって、ジャズ、ドビュッシーを経て日本のロックまで。
そこから古典派を引いてボサノヴァを足せば、私が普段聞いている音楽はほとんどカバーされてしまう感じです。
音楽の好みはその人の性格や考え方までを表わしているように思っていましたが、案外それは時代の枠組みに納まり、その一面を反映しているだけなのかも知れません。
そして坂本さんのように成功する音楽家は、そうしたものを広く的確に捉えているのだろうと思います。
番組のサイトを記しておきます。
http://www.nhk.or.jp/schola/
子供の頃、坂本さんは怖い人だと言う印象を持っていたのですが、この番組では優しくて物解りの良い紳士になっていて、易しく説明をしてくれていました。
内容は、去年2010年のJ.S.バッハから始まって、ジャズ、ドビュッシーを経て日本のロックまで。
そこから古典派を引いてボサノヴァを足せば、私が普段聞いている音楽はほとんどカバーされてしまう感じです。
音楽の好みはその人の性格や考え方までを表わしているように思っていましたが、案外それは時代の枠組みに納まり、その一面を反映しているだけなのかも知れません。
そして坂本さんのように成功する音楽家は、そうしたものを広く的確に捉えているのだろうと思います。
番組のサイトを記しておきます。
http://www.nhk.or.jp/schola/
2011年12月15日
本当は難しい、住まいの解剖
これも少し前に、先輩建築家である増田奏(ますだすすむ)さんが書かれた「住まいの解剖図鑑」と言う本を読みました。
2年前の2009年11月に出版され、友人達の間で話題になったものです。
軽妙で味わい深い文章と的確で解り易いイラストを、全て1人でかかれたとの事。
内容は住宅に関わる36の話題で、どれも決して難しいものではないのですが、住まい手として読んでも建築家として読んでも面白く、色々な発見が有ります。
もし私が同じものを書くように言われたら、1つの項目だけでも苦労してしまうでしょう。
普段同世代の建築家達と話すと、作品としてのレベルはどうだとか批評性がどこに有るのかとか、ついつい気難しい話題になりがちですが、身近な所にもまだまだ考える事はたくさん有るのだと、改めて気付かせてくれたように思います。
ご本人によれば、後から似たような本が幾つも出て、中には盗作まがいのものも有るそうですが、それだけ元の本が支持されていると言う事なのでしょう。
2011年12月12日
メタボリズムの未来都市展
先日、六本木の森美術館で「メタボリズムの未来都市展」を見て来ました。
2時間半掛けても全ては見られない程の分量と密度で、同じ場所で4年前に見たル・コルビュジェ展よりも充実した内容だったと思います。
メタボリズムの思潮は1960年代を中心に日本の建築家やデザイナーから世界へ発信されたのですが、私はちょうどこの頃に生まれ、展示されていた内容の一部を子供向けの本で見た覚えが有ります。
そして学校を出た後の1990年代には、メンバーの一員とされている槇文彦の設計事務所で働きました。
しかし槇さん(私は今でもそう呼んでいます)は、少なくともその頃は同世代の菊竹清訓さんや黒川紀章さんに比べるとメタボリズムとは距離を取っていたようで、それが話題になる事はほとんど有りませんでした。
会場で放映されていたインタビューを聞くと、やはり何らかの繋がりは意識されていたようですが、あくまで自分が関心を持つ分野の1つとして相対化していたのだと思います。
2011年12月06日
NHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争」
12月3日と4日の夜、NHK総合テレビで放映されたNHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争」を見ました。
かなりつらかったですが、見て良かったし、見るべきだったと思います。
以前に習ったり本で読んだりしたような内容であっても、実際に経験した人達の証言として聞くと、やはりその重みが違います。
私の亡くなった父は番組に出ていた人達と同世代で、徴兵されて北支、つまり中国東北部へ行っていたのですが、生前あまりその時の話しをしようとはしませんでした。
正直に言えば、私の方も父がどんな事をしていたのかを聞くのが、怖かったのです。
しかし記憶に残る限り、父が話してくれた内容は、番組に出ていたどの人のそれとも違っていました。
おそらく、徴兵される前は街中に住んでいてそれなりに情報を得ていたと言う事も有るでしょうし、また体が弱く乙種合格の通信兵だったと言う事も有るのでしょう。
それに比べると内地、つまり日本国内に居た母が話していた事の方が、番組全体の調子、あるいは雰囲気に近いものだったように思います。
番組を紹介したNHKのサイトを記しておきます。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111203.html
かなりつらかったですが、見て良かったし、見るべきだったと思います。
以前に習ったり本で読んだりしたような内容であっても、実際に経験した人達の証言として聞くと、やはりその重みが違います。
私の亡くなった父は番組に出ていた人達と同世代で、徴兵されて北支、つまり中国東北部へ行っていたのですが、生前あまりその時の話しをしようとはしませんでした。
正直に言えば、私の方も父がどんな事をしていたのかを聞くのが、怖かったのです。
しかし記憶に残る限り、父が話してくれた内容は、番組に出ていたどの人のそれとも違っていました。
おそらく、徴兵される前は街中に住んでいてそれなりに情報を得ていたと言う事も有るでしょうし、また体が弱く乙種合格の通信兵だったと言う事も有るのでしょう。
それに比べると内地、つまり日本国内に居た母が話していた事の方が、番組全体の調子、あるいは雰囲気に近いものだったように思います。
番組を紹介したNHKのサイトを記しておきます。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111203.html
2011年11月30日
白州正子が書いた柿の事
少し前に、白州正子が書いた「木」と言う本を読みました。
檜から始まって桜で終わる、日本人に馴染みの深い20種類の木とそれにまつわる話題が書かれていて、田淵暁(たぶちさとる)と言う人が撮った美しい写真が挿入されています。
白州正子ファンの友人によれば、彼女が書いたものの中では特に面白いものではないそうですが、私としてはずっと飽きずに読めて、好感を持ちました。
中でも良かったのが、柿について書いた文章。
他の木の場合は各地の寺社や山中に有る名木を尋ねると言った話題が多いのに、ここでは自分達が住んでいた武相荘(ぶあいそう)の庭に有る木や、近くの王禅寺柿の事を書いていて、親しみ易さを感じます。
閑話休題と断わってから、熟した実を取り尽くさずに1つ残しておく事を、鶴川村に残る美しい習慣だと褒めていますが、私の家や川崎市北部に有る母の実家でも、以前から同じ事をしています。
2011年11月24日
熱海の石畳
先週末、建築士会の催しで熱海を訪れ、地元の方に石畳通りと呼ばれる場所を案内して頂きました。
ここが別荘地として開発されたのは戦前で、通称の由来となっている石畳は、かつて有った熱海ホテルが戦後占領軍に接収された際に敷かれたそうです。
この街に建っている建物は皆低層で落ち着きが有り、敷地には緑が多く見られます。
新しい道路ができたせいで海岸へ直接出られなくなったのは残念ですが、相模湾を望む景色は昔とそれ程変わらない事でしょう。
熱海にもこんなに良い所が有るのだな、と思い掛けない発見をした気持ちになりました。
一方で、熱海駅からこの街まで歩いた道のりは、車が多いのに歩道が狭く、周囲には高層マンションが建ち並んでいて、とても快適とは言えないものでした。
そして残念ながらその景色の方が、街全体の印象を決めてしまっているように思います。
2011年11月18日
石碑耐震対策
半年程前、両親の墓が有る寺のご住職から、寺の名前を記した石碑の耐震対策についてご相談を頂きました。
地震が起きた時に倒れて通行人に被害を与えないようにしたい、ただしなるべく見栄えを損なわないような形で、と言うご希望でした。
石碑は30年前に建てられた物で、高さが4m余り、重さは7ton以上有るだろうと思われます。
普段設計をしている建物とは勝手が違い、戸惑う事も有りましたが、構造が専門のKさんに手伝って貰って計画をまとめ、先月10月末に工事を完了する事ができました。
画像に載せたように、石碑の背後に4tonの重さを持つコンクリートの重りを設け、ステンレス製の鎖で石碑と繋ぐと言うものです。
この事で、震災に関連して多少でも世の中の役に立てたとすれば嬉しいですし、自分にとっては貴重な経験となりました。
2011年11月10日
横浜トリエンナーレ、尹秀珍の作品
先週末11月6日で横浜トリエンナーレは閉幕しました。
私は9月と11月の2回に分けて行きましたが、周囲の声からすると、全体の評判はあまり良くなかったようです。
しかし当然と言うべきか、個々の作品には素晴らしいものが幾つも有りました。
例えば、尹秀珍(YinXuZhen、インシュウヂェン)さんの「ワンセンテンス」。
1人の人が身に着けていた衣服全てを紐状にほぐして巻き取り、それを金属製の容器に収めて、108個並べたものです。
それ等はまるで骨壷、あるいは位牌のように感じられて、強く印象に残りました。
つい自分の経験を重ねてしまうのですが、親しい人が亡くなって壷に入った骨が残された時、それがその人の変わり果てた姿だとは、なかなか納得できないものです。
それに比べれば、このように衣服を集めたものの方がずっと、その人の事を思い出させてくれるでしょう。
そしてこの作品の場合は、その1つ1つ、また108個全体の姿が、とても美しいと感じられました。
2011年11月01日
久地円筒分水
前回書いた分譲住宅の敷地は川崎市内で、少し離れた所をニケ領用水が流れています。
それをきっかけにふと思い出して、高津区に有る久地円筒分水を見に行きました。
ニケ領用水ができたのは江戸時代の初めで、円筒分水ができたのは1941年。
用水はここで4つの堀に分かれるのですが、それまでは水の分配を巡って争いが絶えなかったので、この装置によって分水が耕地面積に応じた一定の比率で行われるようにしたそうです。
現在はニケ領用水自体があまり利用されていないのですが、桜の季節には大勢の人がここを訪れると聞きました。
機能的な理由からできたに違いないこの美しい形と水の流れが、装置がその役割を終えた現在、一種のオブジェとして存在感を持ち、人々を惹き付けるのでしょう。
2011年10月29日
線路際分譲住宅の現場
先に書いたプロポーザルの結果は惨敗で、日常の仕事に戻っています。
昨日は線路際の敷地に建設中の、分譲住宅の現場へ行きました。
上棟が終わり、これから仕上げの工事に進む所です。
この現場では監理を委託されていないので、訪れたのは久し振りでした。
でも一度行ってしまえば、すぐにいつも通りの気持ちになって、あちらこちら気にしながら少しでも良いものができるように、頑張る事になります。
そして大工さんや職人さんがこちらの意図を解って頑張ってくれるような時には、とても勇気付けられ、嬉しくなります。
建築家としての自分を育ててくれたのは、まさにこうした現場での経験だったのですから、その分今は、そこで積極的に役割を果たすべきなのだと思います。
帰りに線路の反対側から建物を見た時には、設計した時に考えていたよりも少し余計に、自分の色が出ているような気がしました。
2011年10月21日
Sparkling Days展、荒神明香の作品
先日横浜市民ギャラリーで”Sprkling Days”(スパークリングデイズ)展を見ました。
2007年と2008年にもここで同じ位置付けのニューアート展を見ましたが、今回は若い3人の個性が伸びやかに展開されていて、最もおもしろかったと思います。
中でも荒神明香(こうじんはるか)さんの唯一の作品、”pasta strata”(パスタストラータ)は強く印象に残りました。
画像が無いのが残念ですが、乾燥パスタを接着して形を作り糸で吊るす、と言う単純な方法で7m×20m程の1つの街を作り上げ、それを四周から見られるようにした作品です。
荒神さんはこの作品を作る前提として、震災の被災地である宮城県石巻市に9日間滞在し、ワークショップを行ったそうです。
おそらく、この作品が被災地の復興に直接役立つと言う事は無いでしょうし、被災した人達の心の支えになるかどうかも解りません。
それでもこの作品には、震災の後にこれができた事には何か積極的な意味が有ると思わせる強さと美しさが有り、同時に見る人に色々な事を考えさせる深さが有る、と思いました。
そして私自身にも、忘れかけていた建築の可能性を考える1つのきっかけを与えてくれたように思います。
展覧会は既に終わりましたが、横浜市民ギャラリーのサイトを記しておきます。
http://www.yaf.or.jp/ycag/
2011年10月19日
七ヶ浜町遠山保育園改築設計プロポーザルへの参加
一昨日10月17日は宮城県七ヶ浜町の遠山保育園改築設計プロポーザルの締め切り日で、私もそれに合わせて提案書を送りました。
3月11日の震災で使えなくなった保育園を建て替えるため、公募により提案を募り、設計者を選ぶのです。
9月21日に台風が接近している中を七ヶ浜町へ行ったのは、この保育園の敷地を見に行くためでした。
あの震災が起こってから後、自分も建築家として何らかの貢献をしたいと思い続けていたので、このプロポーザルは願ってもない機会だったのです。
当然、最終的に選ばれる1者になれなければ、設計者としての具体的な貢献はできないのですが、たとえ選ばれなかったとしても、自分にとっては大きな意味を持つ経験になると思います。
幸い今回は、ランドスケープや構造、設備などの面で協力してくれた人達との協同作業がうまく行って、提案書をとても充実したものにする事ができました。
そうした人達の貴重な努力が無駄にならないよう、良い審査結果が届く事を期待しています。
2011年10月10日
緑区で高い放射線量
10月7日の神奈川新聞24面に、文部科学省が公表した福島第1原子力発電所事故で放出された放射物質の測定結果に基づく放射線量の記事が有り、神奈川県内はほとんどが0.1マイクロシーベルト以下だったが、横浜市緑区と山北町の一部地域で0.1〜0.2マイクロシーベルトの地点が有った、と書いてありました。
横浜市緑区は、私の自宅と事務所が有る所です。
ああ、やはりそう言う事が有るのかと不安になり、インターネットで調べ始めたのですが、詳しい事は解らず、ただひょっとしたら緑区と有ったのは相模原市緑区の事かも知れないと思うようになりました。
翌日8日の新聞には案の定、その通りの訂正記事が載り、一瞬安心をしかけた訳ですが、その後でふと、そうした自分の気持ちがあまりにも浅はかで、かつ浅ましいものである事に気が付いて、愕然とする事になりました。
こうした状況を、早く変えて行かなければならないと思います。
横浜市緑区は、私の自宅と事務所が有る所です。
ああ、やはりそう言う事が有るのかと不安になり、インターネットで調べ始めたのですが、詳しい事は解らず、ただひょっとしたら緑区と有ったのは相模原市緑区の事かも知れないと思うようになりました。
翌日8日の新聞には案の定、その通りの訂正記事が載り、一瞬安心をしかけた訳ですが、その後でふと、そうした自分の気持ちがあまりにも浅はかで、かつ浅ましいものである事に気が付いて、愕然とする事になりました。
こうした状況を、早く変えて行かなければならないと思います。
2011年10月04日
閖上へ
名取市文化会館へ行った後、市内の閖上(ゆりあげ)と言う街を訪ねました。
15年程前、私が会館の建設現場に通っていた時には、昼休みによくここを訪れて、食事をしたり川辺でパンを食べながら本を読んだりしたものでした。
しかし報道で度々取り上げられたように、今回の震災では津波による甚大な被害が有り、住民約5600人の内約700人が犠牲になりました。
全てが無くなってしまったような街の中心部に立つと、そこにかつての風景を重ねる事は難しく、災害は確かに有ったのだと自分に言い聞かせる以外の事は、何もできませんでした。
そんな自分の行動が恥ずかしくなる位、意義が有ると思えたのが、10月2日にNHKテレビで放送された「巨大津波、その時ひとはどう動いたか」と言う番組です。
3月11日に閖上の街に何が起こり、そこに居た人々がどのような行動をしたか、丁寧に追跡してまとめたものでした。
もし自分がその時その場所に居たらどうしたか、どうするべきだったかと考えて、当然その答えは簡単には見つからないのですが、何度も考えて悩むに値する問題なのだと思います。
番組を紹介したNHKのサイトを記しておきます。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111002.html


