2009年02月09日
ブログのお引越し
以前から気になっていたブログの容量、ぎりぎりになってからでは遅いかとも思い、
本日、意を決してお引越しをしました。
永らくLovelogにてかわいがっていただきました皆さんには心から感謝しております。
引越し先はアトリエMUQ日誌Vol,2です。
引き続きよろしくお願いいたします。
本日、意を決してお引越しをしました。
永らくLovelogにてかわいがっていただきました皆さんには心から感謝しております。
引越し先はアトリエMUQ日誌Vol,2です。
引き続きよろしくお願いいたします。
2009年02月08日
Under40展
近所にあるギャラリー「モンネ・ポルト」で、県内在住若手作家たちの美術展が開催されているということだったので、買い物のついでに覗いてみようと出かけました。お知らせメールに今日が入れ替え日であると記載されていたことはおぼろげに覚えていたものの、会場の入口付近の大きな荷物とざわついた雰囲気、最悪のタイミングだったようです。
1月26日から始まった「Under20」というこの企画、今回が第3回目で、テーマが「Point」ですが、前期を抽象作品、後期が具象作品と2部に分けて開催され、合計24名の力作が並びます。
はっきりした時間を確かめないまま出かけるのは私の悪い癖、入口の陽だまりに座っていたギャラリーのJさんに照れ笑いをしながら「大失敗!」と話しかけると、「どうぞ覗いていってください」といわれるので、お言葉に甘え、関係者に混じって潜り込んでみました。係の方が「具象の方、ちょっと集まって!」と叫んでいるところを見ると、どうやら前期の抽象作品もまだ残っているようです。展示作品は絵画が中心ですが、彫塑、陶芸、エトセトラ・・・感想をひとくくりに言うのは難しいけれど、今どきの若い人というような違和感は全く無く、誠実な印象の作品はどれも素直に気持ちが溶け込めて、生真面目さすら感じさせる展覧会です。
30年ほど前、私がこの地で暮らし始めた頃は、図書館も美術館もコンサートホールも無く、ただパチンコ屋の明かりのみが煌々と輝いて、「文化果つる地に来てしまった・・」とため息の一つも出るほどでしたが、波佐見の町はあれからどんどん「文明開化」を遂げて、今では陶芸関係のみならず、上質のクラシックコンサートも展覧会もこの町から発信されている・・・つくづく感慨深いものがあります。
展覧会は水曜日がお休みですが時間は11:30〜19:30、今月の22日まで開催されていますので、お近くの方はぜひご覧ください。
1月26日から始まった「Under20」というこの企画、今回が第3回目で、テーマが「Point」ですが、前期を抽象作品、後期が具象作品と2部に分けて開催され、合計24名の力作が並びます。
はっきりした時間を確かめないまま出かけるのは私の悪い癖、入口の陽だまりに座っていたギャラリーのJさんに照れ笑いをしながら「大失敗!」と話しかけると、「どうぞ覗いていってください」といわれるので、お言葉に甘え、関係者に混じって潜り込んでみました。係の方が「具象の方、ちょっと集まって!」と叫んでいるところを見ると、どうやら前期の抽象作品もまだ残っているようです。展示作品は絵画が中心ですが、彫塑、陶芸、エトセトラ・・・感想をひとくくりに言うのは難しいけれど、今どきの若い人というような違和感は全く無く、誠実な印象の作品はどれも素直に気持ちが溶け込めて、生真面目さすら感じさせる展覧会です。
30年ほど前、私がこの地で暮らし始めた頃は、図書館も美術館もコンサートホールも無く、ただパチンコ屋の明かりのみが煌々と輝いて、「文化果つる地に来てしまった・・」とため息の一つも出るほどでしたが、波佐見の町はあれからどんどん「文明開化」を遂げて、今では陶芸関係のみならず、上質のクラシックコンサートも展覧会もこの町から発信されている・・・つくづく感慨深いものがあります。
展覧会は水曜日がお休みですが時間は11:30〜19:30、今月の22日まで開催されていますので、お近くの方はぜひご覧ください。
2009年02月07日
フォトグラフ
冬ごもりにはうってつけの仕事として、ここのところアルバムの整理に取り掛かっています。
私が小さかったころは、まだ今のようにカメラがどの家にもあったわけではなく、我が家ではたまたま父が写真好きであったことから、スナップ写真のようなものもたくさん残っていますが、普通は七五三とか入学式とかに写真館で損ってもらうくらいで、今のように頻繁に被写体になることも少なかったようでした。もちろんカラー写真というものは高校生になるころようやく一般的になってきたもので、当時はモノクロしかありませんでしたし、プリントの大きさも、たしか弟が小学校入学の頃父が一眼レフを買うまでは、6×6というサイズのフィルムをべた焼した、小さいサイズのものでしたが、今も色褪せることなくなかなか良い仕上がりです。
それにひきかえ我が家の子どもたちの時代ときたら、もちろん生まれたときからカラー写真が当たり前だし、カメラ片手に育児する母親からは逃れようも無く、広角レンズと望遠レンズを駆使した膨大な量のスナップ写真がストックしてあります。特に長男の乳幼児期には物珍しさもあり、一瞬の愛らしさも逃すまいと、他の子がひがむほどの量です。ただ、まだデジタルではなかったので、無駄なショットは少なく、シャッターチャンスを辛抱強く待ち構えた形跡もあります。

年代順に並べていくと、その時々の家族のありようや楽しかった数々の場面が思い出され、小さくあどけない彼らの顔と、大きく育った今の息子たちの顔とを頭の中で並べてみては、よくも無事に育ってくれたものだと、なんともありがたい気損ちでいっぱいになるのです。今でこそ3人の男の子たちの怪我や病気もイタズラの数々も、微笑んで思い出話にできるけれど、あの頃は毎日が必死で、小さなことにくよくよしたり心配したりで全く気の休まる時がなかったし、先のことなど想像する余裕もなかったのですが、なんとか3人とも道を外れることなく成長し、それぞれの個性を活かした仕事にも就くことができたという一つの「結果」を、あの、不安でいっぱいだった頃の自分に知らせてやりたいような気がします。
私が小さかったころは、まだ今のようにカメラがどの家にもあったわけではなく、我が家ではたまたま父が写真好きであったことから、スナップ写真のようなものもたくさん残っていますが、普通は七五三とか入学式とかに写真館で損ってもらうくらいで、今のように頻繁に被写体になることも少なかったようでした。もちろんカラー写真というものは高校生になるころようやく一般的になってきたもので、当時はモノクロしかありませんでしたし、プリントの大きさも、たしか弟が小学校入学の頃父が一眼レフを買うまでは、6×6というサイズのフィルムをべた焼した、小さいサイズのものでしたが、今も色褪せることなくなかなか良い仕上がりです。
それにひきかえ我が家の子どもたちの時代ときたら、もちろん生まれたときからカラー写真が当たり前だし、カメラ片手に育児する母親からは逃れようも無く、広角レンズと望遠レンズを駆使した膨大な量のスナップ写真がストックしてあります。特に長男の乳幼児期には物珍しさもあり、一瞬の愛らしさも逃すまいと、他の子がひがむほどの量です。ただ、まだデジタルではなかったので、無駄なショットは少なく、シャッターチャンスを辛抱強く待ち構えた形跡もあります。
年代順に並べていくと、その時々の家族のありようや楽しかった数々の場面が思い出され、小さくあどけない彼らの顔と、大きく育った今の息子たちの顔とを頭の中で並べてみては、よくも無事に育ってくれたものだと、なんともありがたい気損ちでいっぱいになるのです。今でこそ3人の男の子たちの怪我や病気もイタズラの数々も、微笑んで思い出話にできるけれど、あの頃は毎日が必死で、小さなことにくよくよしたり心配したりで全く気の休まる時がなかったし、先のことなど想像する余裕もなかったのですが、なんとか3人とも道を外れることなく成長し、それぞれの個性を活かした仕事にも就くことができたという一つの「結果」を、あの、不安でいっぱいだった頃の自分に知らせてやりたいような気がします。
2009年02月06日
ジンジャージャム
息子からのリクエストでジンジャージャムをこしらえました。
一昨年の秋に初めて作ってみたのが評判がよく、その後も幾度か作ったものです。特に生姜は抗菌作用があるとかで、かかりつけのお医者さまが漢方薬を処方する時に「お湯に溶かして生姜の絞り汁を必ず入れて飲んでね」とおっしゃるほどです。風邪のひき始めなど背中がぞくぞくするような時には、このジンジャージャムをお湯に溶かして飲むと、蜂蜜がたっぷり入っているうえに生姜ときていますから、喉にはもちろん良いし、ポカポカと体の中から暖まってすっと寒気がおさまるので、合唱団仲間にも好評だったし、最近我が家では冬の必需品となっています。

作り方はいたって簡単で、生姜をよく洗って皮をこそげてすりおろし、蜂蜜を加えて火にかけ、煮詰めていくだけです。最後にレモンを入れても良いのですが、今回はそれも省略して、その代わり生姜の長い繊維が気になるので、あまり荒いようなところは絞り汁だけにして繊維を少し取り除いてみました。
最近はすっかりジャムおじさんとして台所に入り浸りだというコピーライターのイトイさんも、このジンジャージャムをお作りになっていたようですし、調べてみたらけっこうあちこちで古くから作られていて、ヨーロッパでは炭酸水に溶かしてお馴染みのジンジャーエールにしたり、トルコでは冬場、ミルクと混ぜて飲むサーラップというホットドリンクがあるそうです。
今日の出来具合は・・・パンに塗るにはちょっとゆるめだけど、ドリンクにするのならこれくらいでもいいかなと、ちょっぴり時間短縮&手抜き仕上げになりました。
一昨年の秋に初めて作ってみたのが評判がよく、その後も幾度か作ったものです。特に生姜は抗菌作用があるとかで、かかりつけのお医者さまが漢方薬を処方する時に「お湯に溶かして生姜の絞り汁を必ず入れて飲んでね」とおっしゃるほどです。風邪のひき始めなど背中がぞくぞくするような時には、このジンジャージャムをお湯に溶かして飲むと、蜂蜜がたっぷり入っているうえに生姜ときていますから、喉にはもちろん良いし、ポカポカと体の中から暖まってすっと寒気がおさまるので、合唱団仲間にも好評だったし、最近我が家では冬の必需品となっています。
作り方はいたって簡単で、生姜をよく洗って皮をこそげてすりおろし、蜂蜜を加えて火にかけ、煮詰めていくだけです。最後にレモンを入れても良いのですが、今回はそれも省略して、その代わり生姜の長い繊維が気になるので、あまり荒いようなところは絞り汁だけにして繊維を少し取り除いてみました。
最近はすっかりジャムおじさんとして台所に入り浸りだというコピーライターのイトイさんも、このジンジャージャムをお作りになっていたようですし、調べてみたらけっこうあちこちで古くから作られていて、ヨーロッパでは炭酸水に溶かしてお馴染みのジンジャーエールにしたり、トルコでは冬場、ミルクと混ぜて飲むサーラップというホットドリンクがあるそうです。
今日の出来具合は・・・パンに塗るにはちょっとゆるめだけど、ドリンクにするのならこれくらいでもいいかなと、ちょっぴり時間短縮&手抜き仕上げになりました。
2009年02月05日
犬の生活
立春を過ぎ、寒さも緩んで、やわらかな陽が差した庭で洗濯物を干していると、バサバサっと庭の落ち葉を蹴散らして突進してくるものがありました。思わず身構えると、その白っぽい生き物はまたたく間に庭で一番高い椋の木に爪を立ててよじ登り、剪定されて恰好の止まり木となったその木の一番てっぺんに身の置き所を定め、ようやくひと安心といったところ、尻尾だけ薄茶であとは真っ白の、近所に住むおしゃれな猫でした。
いったい何に追われてあのように慌てふためいていたのだろうと辺りを見ていたところへ、普段あまり見かけない一匹の中型犬がやってきました。茶色の毛の体には手編みらしい黄色に緑の配色のチョッキを羽織り、赤い首輪に青いロープのリードを引きずって、悪戯っぽい目をくりくりさせてしばらく獲物(?)を探していましたが、ようやく頭上を見上げて木のてっぺんで怯える猫を発見し、得意げに尻尾を振って吠え始めました。誰が離したか知らないけれど、飼い主とはぐれて迷子になっていたら厄介だなと思い始めたところへ、裏手の墓地の方から探しにやってきたらしい女性が、犬に小言を言いながら近づいてきたので、ちょっとホッとして、なおも手柄顔で吠え続けている犬の青いリードを恐る恐る確保して表の方に連れて行き、先に受け取りに来られた男性に手渡しますと、その男性、「どうも」と受け取るや否や、いきなり犬を平手で何度も殴りつけ、大声で叱り始めました。犬の躾が大切だとは聞いているけれど、犬にとっては楽しみの外出、ちょっとした遊び心をああまで叱らなくても・・と、居たたまれない気持ちでその場を去りましたが、後ろの方でさっきの女性が「あんたが放すけん・・・」と今度は男性をなじります。
手編みのチョッキと体罰、溺愛と暴力のはざまで、あの犬の心の中はずいぶん混乱しているのではないだろうかと、ちょっと気の毒になりました。
いったい何に追われてあのように慌てふためいていたのだろうと辺りを見ていたところへ、普段あまり見かけない一匹の中型犬がやってきました。茶色の毛の体には手編みらしい黄色に緑の配色のチョッキを羽織り、赤い首輪に青いロープのリードを引きずって、悪戯っぽい目をくりくりさせてしばらく獲物(?)を探していましたが、ようやく頭上を見上げて木のてっぺんで怯える猫を発見し、得意げに尻尾を振って吠え始めました。誰が離したか知らないけれど、飼い主とはぐれて迷子になっていたら厄介だなと思い始めたところへ、裏手の墓地の方から探しにやってきたらしい女性が、犬に小言を言いながら近づいてきたので、ちょっとホッとして、なおも手柄顔で吠え続けている犬の青いリードを恐る恐る確保して表の方に連れて行き、先に受け取りに来られた男性に手渡しますと、その男性、「どうも」と受け取るや否や、いきなり犬を平手で何度も殴りつけ、大声で叱り始めました。犬の躾が大切だとは聞いているけれど、犬にとっては楽しみの外出、ちょっとした遊び心をああまで叱らなくても・・と、居たたまれない気持ちでその場を去りましたが、後ろの方でさっきの女性が「あんたが放すけん・・・」と今度は男性をなじります。
手編みのチョッキと体罰、溺愛と暴力のはざまで、あの犬の心の中はずいぶん混乱しているのではないだろうかと、ちょっと気の毒になりました。
2009年02月04日
韓国の男声コーラス
嬉野にあるキリスト教会に韓国の男声合唱団が来てコンサートをするというので、昨夜出掛けてみました。この教会は一昨年、私たちも出演させていただき、クリスマスソングやハレルヤなどを歌った懐かしいステージです。

武雄の教会に所属する聖歌隊の演奏に続き、合唱団「プラッテリ」の皆さん9名と、伴奏としてピアノ、ホルン、チェロを担当する女性3名がステージに登場、賛美歌を中心に次々に合唱を披露されましたが、この賛美歌、通常の賛美歌とはちがって、ポップ調で今の人々が違和感なく聴けるメロディーラインであることに少々驚きました。また、歌詞も半分以上は日本語で歌われ、多くの人に受け入れられることをとても大切にしていらっしゃることが分かります。指揮は前に立つのではなく、共に歌いながらアイコンタクトでお互いが呼吸を合わせる方法がとられていて、場所が離れている伴奏者たちも巧みにその呼吸を聴き取って合わせていました。この合唱団の指揮者でもあるチョン・シンイク氏は、電子工学博士でありながら神学科の大学院の学生で、しかも伝道師でもあり、コンサートの半ばでは15分ほどの「メッセージ」も受け持たれました。
私自身、現在は積極的無神論者なのですが、かつては熱心にキリスト教会に通ったこともあり(・・と言っても小学生〜中学生の頃)聖書の知識も少しはあるし、通常の賛美歌なら幾つも覚えているので、最後に全員で歌った「神ともにいまして」はたいへん懐かしく、一緒に歌うことが出来ました。
せっかく習っているハングルで話しかけてみようかと思ったものの、自己紹介のあとに続く言葉が何も浮かばず、断念してしまったのは心残りでしたが、霧がかかり始めた夜の山道を、賛美歌を口ずさみながら晴れやかに帰路につきました。
武雄の教会に所属する聖歌隊の演奏に続き、合唱団「プラッテリ」の皆さん9名と、伴奏としてピアノ、ホルン、チェロを担当する女性3名がステージに登場、賛美歌を中心に次々に合唱を披露されましたが、この賛美歌、通常の賛美歌とはちがって、ポップ調で今の人々が違和感なく聴けるメロディーラインであることに少々驚きました。また、歌詞も半分以上は日本語で歌われ、多くの人に受け入れられることをとても大切にしていらっしゃることが分かります。指揮は前に立つのではなく、共に歌いながらアイコンタクトでお互いが呼吸を合わせる方法がとられていて、場所が離れている伴奏者たちも巧みにその呼吸を聴き取って合わせていました。この合唱団の指揮者でもあるチョン・シンイク氏は、電子工学博士でありながら神学科の大学院の学生で、しかも伝道師でもあり、コンサートの半ばでは15分ほどの「メッセージ」も受け持たれました。
私自身、現在は積極的無神論者なのですが、かつては熱心にキリスト教会に通ったこともあり(・・と言っても小学生〜中学生の頃)聖書の知識も少しはあるし、通常の賛美歌なら幾つも覚えているので、最後に全員で歌った「神ともにいまして」はたいへん懐かしく、一緒に歌うことが出来ました。
せっかく習っているハングルで話しかけてみようかと思ったものの、自己紹介のあとに続く言葉が何も浮かばず、断念してしまったのは心残りでしたが、霧がかかり始めた夜の山道を、賛美歌を口ずさみながら晴れやかに帰路につきました。
2009年02月03日
柄入り折り紙
しばらく東京に出張していた家人がオミヤゲにと買ってきてくれたのが、あらかじめ折り線や柄などが刷り込まれている折り紙です。よく子ども向けの本等に付けられているのは、キャラクターものやポップなカラーがいかにも楽しげなものが多いのですが、これは色も柄も渋く古典的な感じで、折る前の絵柄だけでも現代アート風な趣があって、壁にでも飾りたいほどおしゃれです。

さて、折ったらどんな風になるのでしょう?
いちおう製品にも出来上がり図があるのですが、やはり自分で折って確かめずにはいられません。まずは怪しい顔があちこちにのぞいている奴さんから、さっそく折ってみました。折っている途中に大きめの、福笑いのおたふくみたいな顔が出てきて、これが顔?・・と思っていましたら、くるりと折り返すとまるでからくりのように別の顔が現れ、なるほど座ったカタチの奴さんが出来上がりました。さっき出てきたおたふくさんはどうやら奴さんの胸の中に隠されてしまったようです。
次にお馴染みの兜を折ってみました。
こちらも折っていく過程でいろいろな家紋が現れては隠れして、結果的に兜の中央を飾ったのはひし形が二つ合わさったような家紋でしたが、最初の折り方を変えるともうひとつの家紋とデザインが現れるようになっています。
小さいコドモでも気軽に楽しむことができる折り紙ですが、祝儀袋や各種のペーパークラフトなど、古くから生活の中にも取り入れられている手法、知的な遊びとしてオトナも大いに楽しみましょう。
さて、折ったらどんな風になるのでしょう?
いちおう製品にも出来上がり図があるのですが、やはり自分で折って確かめずにはいられません。まずは怪しい顔があちこちにのぞいている奴さんから、さっそく折ってみました。折っている途中に大きめの、福笑いのおたふくみたいな顔が出てきて、これが顔?・・と思っていましたら、くるりと折り返すとまるでからくりのように別の顔が現れ、なるほど座ったカタチの奴さんが出来上がりました。さっき出てきたおたふくさんはどうやら奴さんの胸の中に隠されてしまったようです。
次にお馴染みの兜を折ってみました。
こちらも折っていく過程でいろいろな家紋が現れては隠れして、結果的に兜の中央を飾ったのはひし形が二つ合わさったような家紋でしたが、最初の折り方を変えるともうひとつの家紋とデザインが現れるようになっています。
小さいコドモでも気軽に楽しむことができる折り紙ですが、祝儀袋や各種のペーパークラフトなど、古くから生活の中にも取り入れられている手法、知的な遊びとしてオトナも大いに楽しみましょう。
2009年02月02日
フルーツか野菜か・・
知人より大きなパパイアをいただきました。

トロピカルフルーツとして名前は知っていても、実際に目にする機会はまだあまりない、どちらかといえば珍しい果物といえましょうが、このあたりでも作っておられるところがあるらしく、そこでは一年中随時収穫ができるのだそうです。パパイアはメキシコ南部原産の多年生草木ですが、背が高くなり、しかも次第に茎が太くなるので、まるで樹木のようでもあります。沖縄などではどの家にもたいてい植えられていて、フルーツというより野菜として利用されることが多いようで、以前、沖永良部に行った時にも、味噌漬けや炒め物で出てきたのでびっくりした覚えがあります。
ビタミンCやタンパク質分解酵素(パパイン)が豊富に含まれているため、お肉を柔らかくしたり消化を助け、また美容にたいへん効果があるのだそうです。
調理法としては、まだ青いものの皮を剥いて実を千切りにして炒めたり、おでんのように煮物に使うことも出来るそうですが、皮の表面を切った時に出る乳液は、稀にかぶれる事があるようです。
それにしてもこの堂々たる大きさ、存在感はさすが熱帯の植物という気がします。
パパイヤといえば、バラエティー番組やNHK教育テレビなどに出没しているアヤシイおじさんダンサーのパパイヤ鈴木さん、大河ドラマ「天地人」に、兼続の小姓仲間であり上杉家家臣のひとりである甘糟景継役を演じているのですが、異様に大きな髪型でいささか浮き気味、やっぱりどう見ても「おやじダンサーズ」です。
トロピカルフルーツとして名前は知っていても、実際に目にする機会はまだあまりない、どちらかといえば珍しい果物といえましょうが、このあたりでも作っておられるところがあるらしく、そこでは一年中随時収穫ができるのだそうです。パパイアはメキシコ南部原産の多年生草木ですが、背が高くなり、しかも次第に茎が太くなるので、まるで樹木のようでもあります。沖縄などではどの家にもたいてい植えられていて、フルーツというより野菜として利用されることが多いようで、以前、沖永良部に行った時にも、味噌漬けや炒め物で出てきたのでびっくりした覚えがあります。
ビタミンCやタンパク質分解酵素(パパイン)が豊富に含まれているため、お肉を柔らかくしたり消化を助け、また美容にたいへん効果があるのだそうです。
調理法としては、まだ青いものの皮を剥いて実を千切りにして炒めたり、おでんのように煮物に使うことも出来るそうですが、皮の表面を切った時に出る乳液は、稀にかぶれる事があるようです。
それにしてもこの堂々たる大きさ、存在感はさすが熱帯の植物という気がします。
パパイヤといえば、バラエティー番組やNHK教育テレビなどに出没しているアヤシイおじさんダンサーのパパイヤ鈴木さん、大河ドラマ「天地人」に、兼続の小姓仲間であり上杉家家臣のひとりである甘糟景継役を演じているのですが、異様に大きな髪型でいささか浮き気味、やっぱりどう見ても「おやじダンサーズ」です。
2009年02月01日
セミナー同窓会?
昨年、縁あって受講した「次世代リーダーステップアップ講座」、次世代でもなく、またリーダーを目指すというほどの器でもない私は、参加メンバーの勢いに圧倒され、皆さんの志の大きさに驚愕しつつも、黙って家にいたら絶対に体験できなかったであろう貴重な体験を通じて、僅かではありましょうが成長することができたことを実感しています。
今回は1年ぶりにそのセミナーの受講者と再会できることを楽しみの一つとして、地域づくりネットワーク協議会の交流研修会に出席し、定演のあとすっかり怠けていた脳みそを叱咤激励しつつ、皆さんに後れを取るまいと精一杯背伸びをしながらの受講でした。今回波佐見からは私一人だったので少々心細かったのですが、波佐見のことが話題に上るたびに「元気だよね、頑張ってるよね」とか「○○に行ってとてもよかったよ!」という声が聞かれ、我が事のように嬉しく、胸を張ったものでした。

昨日の午後いっぱいの研修「実践ファシリテーション」のあとはお楽しみの交流会・・つまりは飲み会です。元々人見知りな性格なので、知らない人と話をするのは大きなチャレンジですが、勇気を出して話をしてみると意外な共通点が見つかったり、何かが繋がっていたりする楽しさに、いつの間にかずいぶんと積極的になっているなぁと我ながら呆れるほどです。
広間での宴会は2時間ほどで終了ですが、これからがセミナー名物「夜なべ談義」。
今回は別の広間を借りていただいていたので、話し足りなかった人たちが集まってあちこち円陣を組んでは、思い思いに飲み物片手に話が弾み、そのうち参加者の一人がサンシンを取り出して弾き語り始めました。広間が11時でお開きになると、今度は一つ二つの部屋を指定して集まり、話の続きを・・・年齢も職業も経歴も出身地も実に多種多様な人たちが、地域を元気にしたいという一心で集まって熱く語る内容はどれも素晴らしく、話は尽きないのでした。
そして翌朝は6時半頃から朝風呂、トロン温泉でゆっくりと体をほぐしたあと、有明海に昇る朝日に照らされながら朝の散歩・・・なんとも贅沢です。
朝食のあとは菊森氏による「リーダーに時代が求めるもの」という演題での講義のあと、小関君が小値賀での素晴らしい実践例を発表し、夢を誠実に追えば必ず実現するものだという希望を参加者に抱かせてくれました。

今回も「お腹いっぱい」の研修でしたが、臆病で引っ込み思案な性格の私が、こんなに多くの初対面の人たちと深く心を通わせることができたというのは、大きな収穫でした。
今回は1年ぶりにそのセミナーの受講者と再会できることを楽しみの一つとして、地域づくりネットワーク協議会の交流研修会に出席し、定演のあとすっかり怠けていた脳みそを叱咤激励しつつ、皆さんに後れを取るまいと精一杯背伸びをしながらの受講でした。今回波佐見からは私一人だったので少々心細かったのですが、波佐見のことが話題に上るたびに「元気だよね、頑張ってるよね」とか「○○に行ってとてもよかったよ!」という声が聞かれ、我が事のように嬉しく、胸を張ったものでした。
昨日の午後いっぱいの研修「実践ファシリテーション」のあとはお楽しみの交流会・・つまりは飲み会です。元々人見知りな性格なので、知らない人と話をするのは大きなチャレンジですが、勇気を出して話をしてみると意外な共通点が見つかったり、何かが繋がっていたりする楽しさに、いつの間にかずいぶんと積極的になっているなぁと我ながら呆れるほどです。
広間での宴会は2時間ほどで終了ですが、これからがセミナー名物「夜なべ談義」。
今回は別の広間を借りていただいていたので、話し足りなかった人たちが集まってあちこち円陣を組んでは、思い思いに飲み物片手に話が弾み、そのうち参加者の一人がサンシンを取り出して弾き語り始めました。広間が11時でお開きになると、今度は一つ二つの部屋を指定して集まり、話の続きを・・・年齢も職業も経歴も出身地も実に多種多様な人たちが、地域を元気にしたいという一心で集まって熱く語る内容はどれも素晴らしく、話は尽きないのでした。
そして翌朝は6時半頃から朝風呂、トロン温泉でゆっくりと体をほぐしたあと、有明海に昇る朝日に照らされながら朝の散歩・・・なんとも贅沢です。
朝食のあとは菊森氏による「リーダーに時代が求めるもの」という演題での講義のあと、小関君が小値賀での素晴らしい実践例を発表し、夢を誠実に追えば必ず実現するものだという希望を参加者に抱かせてくれました。
今回も「お腹いっぱい」の研修でしたが、臆病で引っ込み思案な性格の私が、こんなに多くの初対面の人たちと深く心を通わせることができたというのは、大きな収穫でした。
2009年01月31日
長崎ランタン
古くから中国の伝統が深く根付いている長崎市では、毎年旧正月から2週間ほどの間、「ランタンフェスティバル」というのを開催していて、年々多くの観光客が訪れているようです。もともと長崎在住の華僑の人々が、中国の旧正月(春節)をお祝いする行事として始めたもので、以前は「春節祭」として長崎新地中華街を中心に華僑関係者のみで行なわれていましたが、平成6年から規模を拡大して開催されるようになり、今年は混雑を緩和するために会場を分散しているので、さらに範囲も大きくなっているようです。
今年は1月26日からの開催で、1万5千個の中国提灯(ランタン)が会場に灯るほか、青森のねぶたのような大きなランタンオブジェもあちこちに飾られていて、メイン会場である湊公園会場には、今年の干支に因んで大きな金牛(キンギュウ)のランタンが飾られるとのことですが、この金の牛の背には、激流を登っていく鯉(登竜門)と、中国の高級官僚登用試験(科挙)に筆頭で合格した貴士がまたがり、高い目標をに向かって力を出しきって進めば、天と地をもひっくり返すことができることを表したという、たいへんおめでたいもので、これから受験を目指すという学生さんや、いっちょうこの腐った世の中をひっくり返そうという野望をお持ちの政治家さんなど、大いなる御利益があるやもしれません。また、期間中の土曜日は、清朝時代に皇帝・皇后が民衆と一緒に新年を祝う様子をイメージした皇帝パレード、日曜日は唐船の航海安全の神様「媽祖」を唐寺へ安置する様子を再現した媽祖行列があるほか、おくんちでも大人気の龍踊りや、中国雑技、中国獅子舞なども見ることができ、中国提灯のエキゾチックな明かりに照らされて、いっそう異国ムードを楽しめそうです。・・・とは言っても、この私、実は人込みが苦手なのでまだ一度も行く勇気がなく、この時期、別な用事で長崎市を訪れても、車窓から遠くに灯るランタンの明かりをチラッと見ながら家路を急ぐのみです。しかしまあ、祭りに混雑はつきもので、行けばきっと楽しめることでしょうし、大好きな長崎のお祭りですから、機会があればぜひ行ってみたいものです。
今年は1月26日からの開催で、1万5千個の中国提灯(ランタン)が会場に灯るほか、青森のねぶたのような大きなランタンオブジェもあちこちに飾られていて、メイン会場である湊公園会場には、今年の干支に因んで大きな金牛(キンギュウ)のランタンが飾られるとのことですが、この金の牛の背には、激流を登っていく鯉(登竜門)と、中国の高級官僚登用試験(科挙)に筆頭で合格した貴士がまたがり、高い目標をに向かって力を出しきって進めば、天と地をもひっくり返すことができることを表したという、たいへんおめでたいもので、これから受験を目指すという学生さんや、いっちょうこの腐った世の中をひっくり返そうという野望をお持ちの政治家さんなど、大いなる御利益があるやもしれません。また、期間中の土曜日は、清朝時代に皇帝・皇后が民衆と一緒に新年を祝う様子をイメージした皇帝パレード、日曜日は唐船の航海安全の神様「媽祖」を唐寺へ安置する様子を再現した媽祖行列があるほか、おくんちでも大人気の龍踊りや、中国雑技、中国獅子舞なども見ることができ、中国提灯のエキゾチックな明かりに照らされて、いっそう異国ムードを楽しめそうです。・・・とは言っても、この私、実は人込みが苦手なのでまだ一度も行く勇気がなく、この時期、別な用事で長崎市を訪れても、車窓から遠くに灯るランタンの明かりをチラッと見ながら家路を急ぐのみです。しかしまあ、祭りに混雑はつきもので、行けばきっと楽しめることでしょうし、大好きな長崎のお祭りですから、機会があればぜひ行ってみたいものです。
2009年01月30日
一人称
小学校の作文から始まり、数々の手紙類、リポート、エッセイのようなものまで、日本語の文章を書く機会はこれまで数多くありましたが、その中で私が使ってきた「私」という漢字は、基本的に「わたし」という読みで綴ってきたつもりでした。しかし、実はこれを正しく読めば、すべて「わたくし」であるとは、ごく最近まで気付かず、なんとも迂闊なことでした。最近の国語審議会での常用漢字の追加候補という中に、私(わたし)という読みが加わったというニュースで、そのことに初めて気付いたというしだいですが、これまでの「正しい読み」で読むと、文中の「私」って何だかずいぶんとお高くとまっているような、高飛車な印象になって、ちょっと心外です。
考えてみるに英語の一人称は「I」ただ一つであるのに対し、日本語で一人称を表す言葉は実に多岐多様で、ざっと数えただけでも20くらいはすぐに思いつくほどです。男女で使い分けるほか、一人の人物がその人の性別や立場、使われる場面によって様々に使い分けているし、地域によってもかなり違いがあります。関西から九州にかけて、女性は「うち」というのが多いようで、私も小さい頃は「うち」を使っていた記憶があります。金沢に転校した時、男の子が自分を指して「わし」と言っているのを聞いて、ずいぶんオヤジ臭いことを言うなぁとびっくりしましたが、大阪や広島あたりでも普通に使うようですね。
長崎では「おい」でしょうか・・・息子たちが幼稚園へ通い始めると、「○○ちゃん」と自分の愛称を使うのをやめて「おい」とか、相手を「わい」などと呼ぶようになり、ちょっとガッカリでしたが、あれも社会性を身につける重要な言語アイテムの一つだったのでしょう。
書き言葉としての一人称はさらに複雑になり、「僕」と「ボク」あるいは「ぼく」では全く違った印象になりますし、「わたし」より「ワタシ」の方がとんがって無機質な感じが漂います。詩人や小説家などはもちろんそのあたりを熟慮して言葉を選ぶのでしょう、一人称の表記だけでその人物の輪郭が見えてくるように思いますが、こと「私」に関してはどちらの読みを選ぶべきか、朗読ボランティアの皆さんなど戸惑われるのではないでしょうか?
いやはや・・・ニホンゴムズカシイ〜!
考えてみるに英語の一人称は「I」ただ一つであるのに対し、日本語で一人称を表す言葉は実に多岐多様で、ざっと数えただけでも20くらいはすぐに思いつくほどです。男女で使い分けるほか、一人の人物がその人の性別や立場、使われる場面によって様々に使い分けているし、地域によってもかなり違いがあります。関西から九州にかけて、女性は「うち」というのが多いようで、私も小さい頃は「うち」を使っていた記憶があります。金沢に転校した時、男の子が自分を指して「わし」と言っているのを聞いて、ずいぶんオヤジ臭いことを言うなぁとびっくりしましたが、大阪や広島あたりでも普通に使うようですね。
長崎では「おい」でしょうか・・・息子たちが幼稚園へ通い始めると、「○○ちゃん」と自分の愛称を使うのをやめて「おい」とか、相手を「わい」などと呼ぶようになり、ちょっとガッカリでしたが、あれも社会性を身につける重要な言語アイテムの一つだったのでしょう。
書き言葉としての一人称はさらに複雑になり、「僕」と「ボク」あるいは「ぼく」では全く違った印象になりますし、「わたし」より「ワタシ」の方がとんがって無機質な感じが漂います。詩人や小説家などはもちろんそのあたりを熟慮して言葉を選ぶのでしょう、一人称の表記だけでその人物の輪郭が見えてくるように思いますが、こと「私」に関してはどちらの読みを選ぶべきか、朗読ボランティアの皆さんなど戸惑われるのではないでしょうか?
いやはや・・・ニホンゴムズカシイ〜!
2009年01月29日
修理屋
行きつけの美容室の隣にオープンしたお店。
雑貨店と書かれているけれど、その下に「修理」の文字もあり、いったいどんな店なのか、外見だけでは判断がつきません。人に聞くと「何でも修理するらしいよ〜」とのことでしたが、何でもと言われても専門とかあるだろうに・・と思いつつ、美容室に行った時に聞いてみたら、どうやら専門は楽器らしいというあたりまでの情報を掴みましたが、それ以上のことは謎のままです。しかし、先日雪解けの道を歩いていて、皮革製のハーフブーツの底から水がしみ込んできた時に、ふとそのお店のことが頭に浮かび、「何でも修理」なら靴だって修理するかも!・・と思い切って年季の入ったおんぼろブーツを持ってお店に入ってみたのです。
このブーツ、まだ独身だった頃、京都で買ったものですから、ゆうに30年以上は履き続けていることになります。まあ防寒用ですから、それほど頻繁に使ってはいませんが、もう素材自体がかなり劣化しているであろうことは確かです。
ゆるめのダンスミュージックがかかった店内に人影はないので一応声をかけてみると、「いらっしゃい」と言って出てきたのは、ちょっと明るめの長い髪が華奢なイメージの青年です。
「靴の修理ができますか?」と聞くと「できます」とのことだったので、おもむろにくたびれた穴あきブーツを差し出すと、しばらくそれをじっくり観察したあと「足を見せてください」とおっしゃるので、ちょっとうろたえつつ靴を脱ぐと、今度はかがみこんで私の足を凝視し、履いてきた靴と見比べたり、踵の下に手を入れて体重のかかり具合を確かめたりして、本職の靴屋でもここまではしないというほど念入りに検分していましたが、やがて「これなら部分的に張り替えるだけで大丈夫でしょう」と診断を下し、およその料金と修理にかかる時間を示してくれました。
そういえば最近の傾向として、不況で物が売れなくなった一方で、今持っているものを修理して大切に使おうという気運が高まっていると聞きます。この若い修理屋さんを見ていると、そもそもこれがまっとうなやり方で、これまでの「買ったほうが安い」という、大量廃棄・大量消費生活は、誰かの仕掛けた粉飾景気に踊らされていただけなのだと思い当たるのでした。
こんな修理屋さんがどの町にもできて、衣類のリフォームをしたり、壊れたものも出来るだけ修理して使うなどすれば・・・「それじゃモノが売れないよ!」という政治屋おじさんたちの声が聞こえそうですが、いくら経済がうまく回っても肝心の環境がぐちゃぐちゃではどうにもなりません。壊れかけた地球を救うには、まずそれぞれが手の届くところから修理に着手してみたらどうでしょう。
雑貨店と書かれているけれど、その下に「修理」の文字もあり、いったいどんな店なのか、外見だけでは判断がつきません。人に聞くと「何でも修理するらしいよ〜」とのことでしたが、何でもと言われても専門とかあるだろうに・・と思いつつ、美容室に行った時に聞いてみたら、どうやら専門は楽器らしいというあたりまでの情報を掴みましたが、それ以上のことは謎のままです。しかし、先日雪解けの道を歩いていて、皮革製のハーフブーツの底から水がしみ込んできた時に、ふとそのお店のことが頭に浮かび、「何でも修理」なら靴だって修理するかも!・・と思い切って年季の入ったおんぼろブーツを持ってお店に入ってみたのです。
このブーツ、まだ独身だった頃、京都で買ったものですから、ゆうに30年以上は履き続けていることになります。まあ防寒用ですから、それほど頻繁に使ってはいませんが、もう素材自体がかなり劣化しているであろうことは確かです。
ゆるめのダンスミュージックがかかった店内に人影はないので一応声をかけてみると、「いらっしゃい」と言って出てきたのは、ちょっと明るめの長い髪が華奢なイメージの青年です。
「靴の修理ができますか?」と聞くと「できます」とのことだったので、おもむろにくたびれた穴あきブーツを差し出すと、しばらくそれをじっくり観察したあと「足を見せてください」とおっしゃるので、ちょっとうろたえつつ靴を脱ぐと、今度はかがみこんで私の足を凝視し、履いてきた靴と見比べたり、踵の下に手を入れて体重のかかり具合を確かめたりして、本職の靴屋でもここまではしないというほど念入りに検分していましたが、やがて「これなら部分的に張り替えるだけで大丈夫でしょう」と診断を下し、およその料金と修理にかかる時間を示してくれました。
そういえば最近の傾向として、不況で物が売れなくなった一方で、今持っているものを修理して大切に使おうという気運が高まっていると聞きます。この若い修理屋さんを見ていると、そもそもこれがまっとうなやり方で、これまでの「買ったほうが安い」という、大量廃棄・大量消費生活は、誰かの仕掛けた粉飾景気に踊らされていただけなのだと思い当たるのでした。
こんな修理屋さんがどの町にもできて、衣類のリフォームをしたり、壊れたものも出来るだけ修理して使うなどすれば・・・「それじゃモノが売れないよ!」という政治屋おじさんたちの声が聞こえそうですが、いくら経済がうまく回っても肝心の環境がぐちゃぐちゃではどうにもなりません。壊れかけた地球を救うには、まずそれぞれが手の届くところから修理に着手してみたらどうでしょう。
2009年01月28日
火
「たきび」という唱歌があります。
「かきねのかきねの まがりかど・・」
垣根を曲がると落ち葉や枯れ枝を集めて燃やす焚き火があって、子どもたちが小さな手をかざしたり、こっそりお芋を忍ばせておやつにしたり・・・一昔前ならどこの街角でも見られる、冬の平和な風物詩でした。ただ、子供心に「木枯らし 木枯らし」と言うほど強い風が吹いていては、焚き火は危なかろうと思ったものですが・・・
この焚き火が数年前から原則禁止になってしまい、室内で使う調理器具や暖房器具も、炎の出るガスやストーブから電磁調理器やエアコンに変りつつある現在、人がじかに火と触れ合うことがずいぶん減ってきたように思います。もちろんそのほうが安全であることは確かだし、物を燃やせば二酸化炭素が排出され、地球の温暖化に繋がるということも分かってはいるのですが、何だか物足りない気がします。
原始時代、人と動物の境界線が、この火を制御できるか否かというところにあったと何かの本で読んだことがあります。野生動物が火をとても恐れるのも、本能的に火の恐ろしさを知っているからなのでしょう。その火を自由自在に操れる人類だけが、急速に文明を発達させることができたということですが、それでもやはり火に神秘的な力が宿っていることはどの人種も同様に認めているとみえて、あらゆる宗教の儀式に火は欠かすことができません。若い頃よく仲間と出かけたキャンプでは、上手に火をおこす者がヒーロー(ヒロイン)でしたし、夜更けのキャンプファイヤーでは異様に気分が高揚して、奇声を上げる輩が居たり、普段とても口にできないことを告白したり、ドラマチックな展開もあったようです。
木工を生業としていて燃料の薪に事欠かない友人の家では、鋳物の薪ストーブを使っていて、ぱちぱちと音を立てて燃える火の傍に居ると、心の底からリラックスしてしまい、いつまでもそこを離れたくないような気分に陥ります。
スイッチ一つですぐに温かくなるエアコンはクリーンでしかも便利だけど、やっぱり私は多少不便でもナマの炎が揺らめくストーブの方に魅力を感じてしまいます。
これって地球に優しくないのかしら?
「かきねのかきねの まがりかど・・」
垣根を曲がると落ち葉や枯れ枝を集めて燃やす焚き火があって、子どもたちが小さな手をかざしたり、こっそりお芋を忍ばせておやつにしたり・・・一昔前ならどこの街角でも見られる、冬の平和な風物詩でした。ただ、子供心に「木枯らし 木枯らし」と言うほど強い風が吹いていては、焚き火は危なかろうと思ったものですが・・・
この焚き火が数年前から原則禁止になってしまい、室内で使う調理器具や暖房器具も、炎の出るガスやストーブから電磁調理器やエアコンに変りつつある現在、人がじかに火と触れ合うことがずいぶん減ってきたように思います。もちろんそのほうが安全であることは確かだし、物を燃やせば二酸化炭素が排出され、地球の温暖化に繋がるということも分かってはいるのですが、何だか物足りない気がします。
原始時代、人と動物の境界線が、この火を制御できるか否かというところにあったと何かの本で読んだことがあります。野生動物が火をとても恐れるのも、本能的に火の恐ろしさを知っているからなのでしょう。その火を自由自在に操れる人類だけが、急速に文明を発達させることができたということですが、それでもやはり火に神秘的な力が宿っていることはどの人種も同様に認めているとみえて、あらゆる宗教の儀式に火は欠かすことができません。若い頃よく仲間と出かけたキャンプでは、上手に火をおこす者がヒーロー(ヒロイン)でしたし、夜更けのキャンプファイヤーでは異様に気分が高揚して、奇声を上げる輩が居たり、普段とても口にできないことを告白したり、ドラマチックな展開もあったようです。
木工を生業としていて燃料の薪に事欠かない友人の家では、鋳物の薪ストーブを使っていて、ぱちぱちと音を立てて燃える火の傍に居ると、心の底からリラックスしてしまい、いつまでもそこを離れたくないような気分に陥ります。
スイッチ一つですぐに温かくなるエアコンはクリーンでしかも便利だけど、やっぱり私は多少不便でもナマの炎が揺らめくストーブの方に魅力を感じてしまいます。
これって地球に優しくないのかしら?
2009年01月27日
戦争体験のテープ
先日・・日曜日の夜、NHKのETV特集「女たちの地上戦 −沖縄 録音テープに残された証言−」というのを見ました。これは今から50年近く前、本土復帰直前の頃に収録された証言の録音テープを修復し、デジタル技術で再現することに成功したもので、1960年代といいますから、戦争が終わって15年ほどの頃に収録されたものですが、日本で唯一地上戦になった沖縄の悲惨な様子の生々しい証言は衝撃的でした。
戦争当時沖縄本島に住んでいたのはほとんどが非戦闘員である年寄りと女性、それに子どもたちでしたが、アメリカ軍の上陸に備えて日本軍の部隊も集結していたようです。地上戦が始まり、島の住民は着の身着のままでジャングルの奥や鍾乳洞のような所に身を隠しながらの逃避行でしたが、せっかく見つけた防空壕も日本軍に「占領」され、作戦の邪魔になると追い出され、挙句の果ては国民を守るはずの軍人に殺されるというありさまで、食糧も医薬品も何も持たず逃げ惑う女子どもたちにとっては、地獄以上の苦しみであったと思われます。戦いが終わり、長い逃避行の末にアメリカ軍に「保護」された住民たちの映像を見ると、やせ細って疲労困憊した人々が、それでもようやく終わったという安堵の色を見せていました。
真っ暗な壕の中で出産したものの、飢えた母親には母乳を出す力もなく、しだいに鳴き声がか細くなって亡くなってしまった赤ちゃんのことや、目の前で日本軍の兵隊に母親の首をはねられ、兄弟を殺された女の子の証言には、あまりの酷さに声を失います。証言をした女性たちの何人かはまだ健在で、悲惨な体験を語り継ぐ活動をされている方もいらっしゃるそうです。語ればそのたびに辛い体験が脳裏に甦り、さらに辛いはずですが、次の世に同じ過ちを繰り返させないためにと、老体に鞭打ち、語り続けていらっしゃる様子には頭が下がります。
戦争を二度としないと誓ったこの国ですが、辛い記憶が風化してしまわぬよう、このような体験談は本当に貴重です。今のうちに身近な戦争体験者からしっかりと話を聞き、戦争がいかに愚かなものなのかということを忘れないようにしたいものです。
戦争当時沖縄本島に住んでいたのはほとんどが非戦闘員である年寄りと女性、それに子どもたちでしたが、アメリカ軍の上陸に備えて日本軍の部隊も集結していたようです。地上戦が始まり、島の住民は着の身着のままでジャングルの奥や鍾乳洞のような所に身を隠しながらの逃避行でしたが、せっかく見つけた防空壕も日本軍に「占領」され、作戦の邪魔になると追い出され、挙句の果ては国民を守るはずの軍人に殺されるというありさまで、食糧も医薬品も何も持たず逃げ惑う女子どもたちにとっては、地獄以上の苦しみであったと思われます。戦いが終わり、長い逃避行の末にアメリカ軍に「保護」された住民たちの映像を見ると、やせ細って疲労困憊した人々が、それでもようやく終わったという安堵の色を見せていました。
真っ暗な壕の中で出産したものの、飢えた母親には母乳を出す力もなく、しだいに鳴き声がか細くなって亡くなってしまった赤ちゃんのことや、目の前で日本軍の兵隊に母親の首をはねられ、兄弟を殺された女の子の証言には、あまりの酷さに声を失います。証言をした女性たちの何人かはまだ健在で、悲惨な体験を語り継ぐ活動をされている方もいらっしゃるそうです。語ればそのたびに辛い体験が脳裏に甦り、さらに辛いはずですが、次の世に同じ過ちを繰り返させないためにと、老体に鞭打ち、語り続けていらっしゃる様子には頭が下がります。
戦争を二度としないと誓ったこの国ですが、辛い記憶が風化してしまわぬよう、このような体験談は本当に貴重です。今のうちに身近な戦争体験者からしっかりと話を聞き、戦争がいかに愚かなものなのかということを忘れないようにしたいものです。
2009年01月26日
お風呂と温泉
こんな寒い日には温かいお風呂が何よりのご馳走かもしれませんね。しかし私が小さい頃は、どんなに寒くてもお風呂といえば共同浴場でしたから、いくら長湯をしてのぼせるほどに暖まったところで、家にたどり着くまでには冷え切ってしまうもので、まだ小さかったせいもあり、今日はお風呂よといわれてもそれほどありがたくもなかったような気がします。
父の転勤のため転居した金沢での住まいも家にお風呂がなく、しばらくは銭湯に通ったのですが、冬は積雪のために頻繁に行けないのが常のようで、父が会社に頼んで急遽お風呂を設置してもらったことを覚えています。何しろ地元の皆さんは1週間分の垢を落とすために、絹の垢すり布で長い時間かけて全身くまなく念入りに擦るので、お風呂場の溝には目に見えるほどの垢が流れていたものです。それ以降の社宅ではどこもお風呂が付いていたので、年頃の乙女としては(?)ずいぶんと嬉しかったものでした。今はどの家にも当たり前のようにお風呂があり、学生のアパートだってシャワーがふつうに付いている・・・なんとも贅沢になったものです。
そういえば私が学生の頃住んでいた別府というところは、日本でも指折りの温泉地で、町のあちこちにある銭湯もすべて温泉が引かれていますし、私の住んでいたアパートなどは、部屋はかなりみすぼらしかったものの、温泉の共同浴場が付いていて、もちろんただで、ふつうの時間ならいつでも入ることができるのでした。泉質がどんなものであったかは定かではありませんが、かなりいいお湯であったようで、石鹸の泡立ちこそ悪いものの、そこに住んでいた間にずいぶんと肌がきれいになった(ような気がします)。
そんな風にふんだんに温泉を使ったせいか、世間の皆様のようにことさら温泉旅行というものに魅力を感じることがなかったのですが、最近、旅番組などで趣のある露天風呂などの温泉に入ってゆったりと寛ぎ、贅を尽くした料理を味わっている様子などを見ると、やっぱりちょっと惹かれます。
波佐見町でも昔から温泉の泉脈があり、このたび町で新たに良質の温泉を掘り当てたそうですから、そのうちすてきな温泉施設ができることを楽しみに待っているところです。
父の転勤のため転居した金沢での住まいも家にお風呂がなく、しばらくは銭湯に通ったのですが、冬は積雪のために頻繁に行けないのが常のようで、父が会社に頼んで急遽お風呂を設置してもらったことを覚えています。何しろ地元の皆さんは1週間分の垢を落とすために、絹の垢すり布で長い時間かけて全身くまなく念入りに擦るので、お風呂場の溝には目に見えるほどの垢が流れていたものです。それ以降の社宅ではどこもお風呂が付いていたので、年頃の乙女としては(?)ずいぶんと嬉しかったものでした。今はどの家にも当たり前のようにお風呂があり、学生のアパートだってシャワーがふつうに付いている・・・なんとも贅沢になったものです。
そういえば私が学生の頃住んでいた別府というところは、日本でも指折りの温泉地で、町のあちこちにある銭湯もすべて温泉が引かれていますし、私の住んでいたアパートなどは、部屋はかなりみすぼらしかったものの、温泉の共同浴場が付いていて、もちろんただで、ふつうの時間ならいつでも入ることができるのでした。泉質がどんなものであったかは定かではありませんが、かなりいいお湯であったようで、石鹸の泡立ちこそ悪いものの、そこに住んでいた間にずいぶんと肌がきれいになった(ような気がします)。
そんな風にふんだんに温泉を使ったせいか、世間の皆様のようにことさら温泉旅行というものに魅力を感じることがなかったのですが、最近、旅番組などで趣のある露天風呂などの温泉に入ってゆったりと寛ぎ、贅を尽くした料理を味わっている様子などを見ると、やっぱりちょっと惹かれます。
波佐見町でも昔から温泉の泉脈があり、このたび町で新たに良質の温泉を掘り当てたそうですから、そのうちすてきな温泉施設ができることを楽しみに待っているところです。
2009年01月25日
銀世界なり
昨日から降り続いていた雪は夜中も降ったりやんだりしながら積もり続け、今朝は昨日よりさらにバージョンアップして、じつに見事な雪国風景です。昨日の冷え込みはさすがに半端じゃなくて、こりゃあしばらく冬ごもりだわと思っていたのですが、朝日にキラキラ輝く雪原に魅せられては我慢できず、思い切って長靴を引っぱり出し、久しぶりに雪の中を歩いてみました。

雪が騒音を吸収するのか、しんと静まり返った静謐な空気の中で、世界中の宝石を集めてもこれほどではなかろうと思うほどまぶしく輝いていている雪、その一つひとつがあの幾何学的な結晶の形をしていながら、すべてのものをなだらかな曲線で覆いつくしています。思わず素手のままで掬ってみてはその柔らかさに感動し、まだ誰も踏み入れていない雪を踏みしめては心地良い音を楽しみ、その冷たさも忘れて雪玉を転がしてみたり、いい年をして・・・と、人が見たら笑われそうですが、雪が珍しい九州のこと、しばし童心に帰るのもわるくないと思うのです。
しかし雪国では何ヶ月もの間、解けない雪に閉ざされては不便この上なく、道の除雪や屋根の雪下ろしに大変な労力を使い、老人ばかりの世帯では人を頼まねばならないとも聞きます。そういった地域の作業を担う除雪お助け隊とか買い物代行屋とかを、例の定額給付金を配るくらいの予算で組織してみたらどうなんでしょう。年寄りの多い過疎地域であっても、ちょっとの手助けがあれば何とか自立の道は開けるわけで、ただ現金をばら撒くだけでは、成金の宴会と同じで、決して景気回復にも雇用対策にも繋がらないくらい素人にだって分かります。
ああ、そんな情けないこの国の政治のことを思うより、せめて今日はこの天からの贈り物、白銀の世界の美しさに浸りたいと思います。
雪が騒音を吸収するのか、しんと静まり返った静謐な空気の中で、世界中の宝石を集めてもこれほどではなかろうと思うほどまぶしく輝いていている雪、その一つひとつがあの幾何学的な結晶の形をしていながら、すべてのものをなだらかな曲線で覆いつくしています。思わず素手のままで掬ってみてはその柔らかさに感動し、まだ誰も踏み入れていない雪を踏みしめては心地良い音を楽しみ、その冷たさも忘れて雪玉を転がしてみたり、いい年をして・・・と、人が見たら笑われそうですが、雪が珍しい九州のこと、しばし童心に帰るのもわるくないと思うのです。
しかし雪国では何ヶ月もの間、解けない雪に閉ざされては不便この上なく、道の除雪や屋根の雪下ろしに大変な労力を使い、老人ばかりの世帯では人を頼まねばならないとも聞きます。そういった地域の作業を担う除雪お助け隊とか買い物代行屋とかを、例の定額給付金を配るくらいの予算で組織してみたらどうなんでしょう。年寄りの多い過疎地域であっても、ちょっとの手助けがあれば何とか自立の道は開けるわけで、ただ現金をばら撒くだけでは、成金の宴会と同じで、決して景気回復にも雇用対策にも繋がらないくらい素人にだって分かります。
ああ、そんな情けないこの国の政治のことを思うより、せめて今日はこの天からの贈り物、白銀の世界の美しさに浸りたいと思います。
2009年01月24日
雪景色
この冬一番の寒波がやってきた波佐見は朝から雪です。

雪景色を見るのはこの冬になって3度目くらいでしょうか、これまでのはほんのり薄化粧というほどで、それほど不便も感じなかったのですが、今回のはちょっとばかり手ごわそうです。まあそうはいっても雪国の雪と比べると軽いものですが、普段積雪に慣れていない地域なので、スノータイヤもチェーンも持ち合わせず、どのくらいで滑るのかというような勘も働かず、雪の朝には車が立ち往生することが多いものです。
今日も昼間には一旦陽が差したりして、道の雪は解けてしまっていたのですが、夕方になってふと外を見ると、黙ったまま雪はしんしんと降り積もっているのでした。あとからあとから降ってくる雪を見ていると、草野心平の「ゆき」という詩が頭の中をめぐります。
「しんしんしんしん・・」の繰り返しが効果的で、静かに絶え間なく降り積む冷たい雪の情景が、雪を見たことのない人の脳裏にも思い浮かんできます。
もうひとつ、雪の詩に、三好達治の「雪」というのがありますが、これはたった2行で
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
・・というのですが、誰の上にも同じように降り積む雪の優しさとか自然の雄大さが歌われているようです。
そしてもうひとつ、金子みすずの「つもった雪」は
上の雪 さむかろな。
つめたい月がさしていて
下の雪 重かろな。
何百人ものせていて
中の雪 さみしかろな
空も地面(じべた)もみえないで
今夜中降ったとしたら「中の雪」や「下の雪」もあるのでしょうが、さっき灯油を入れるために外に出てみましたら、ピンと引き締まった空に満天の星が輝いていましたから、きっと夜中じゅう雪の結晶をキラキラ照らして、外はまるで宝石箱みたいに美しいことでしょう。
雪景色を見るのはこの冬になって3度目くらいでしょうか、これまでのはほんのり薄化粧というほどで、それほど不便も感じなかったのですが、今回のはちょっとばかり手ごわそうです。まあそうはいっても雪国の雪と比べると軽いものですが、普段積雪に慣れていない地域なので、スノータイヤもチェーンも持ち合わせず、どのくらいで滑るのかというような勘も働かず、雪の朝には車が立ち往生することが多いものです。
今日も昼間には一旦陽が差したりして、道の雪は解けてしまっていたのですが、夕方になってふと外を見ると、黙ったまま雪はしんしんと降り積もっているのでした。あとからあとから降ってくる雪を見ていると、草野心平の「ゆき」という詩が頭の中をめぐります。
「しんしんしんしん・・」の繰り返しが効果的で、静かに絶え間なく降り積む冷たい雪の情景が、雪を見たことのない人の脳裏にも思い浮かんできます。
もうひとつ、雪の詩に、三好達治の「雪」というのがありますが、これはたった2行で
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
・・というのですが、誰の上にも同じように降り積む雪の優しさとか自然の雄大さが歌われているようです。
そしてもうひとつ、金子みすずの「つもった雪」は
上の雪 さむかろな。
つめたい月がさしていて
下の雪 重かろな。
何百人ものせていて
中の雪 さみしかろな
空も地面(じべた)もみえないで
今夜中降ったとしたら「中の雪」や「下の雪」もあるのでしょうが、さっき灯油を入れるために外に出てみましたら、ピンと引き締まった空に満天の星が輝いていましたから、きっと夜中じゅう雪の結晶をキラキラ照らして、外はまるで宝石箱みたいに美しいことでしょう。
2009年01月23日
社会科見学ガイド
今日は県内の小学校から依頼され、4年生の社会科見学のために製陶所のガイドをしました。
この工場見学のガイド、これまで何回か経験はあるものの、多くの職人さんたちが立ち働く工場を、40人以上の子どもたちを引き連れてガイドするというのはたいへん気を使いますし、子どもが相手だと言葉も噛み砕いて説明しなければならず、意外に気苦労が多いものです。また、ひととおり見学が終わると、先生に提出するレポートを書くために、いくつかの質問に答えなければなりませんが、何人もの子どもがいっせいに手を上げ、いかにも子どもらしい、時には思わず噴き出しそうな突飛な質問を受けるのは楽しみでもあります。子どもたちは事前にやきものの歴史や製作過程などをひととおり学習し、質問もいくつか考えてきているようで「陶石はどうやって砕くの?」とか「波佐見焼の特徴は?」などと、気の利いた質問を投げかけてくれる子も居ますが、中には「一つのやきものが出来上がるのに何時間かかりますか?」とか「波佐見で一日にお皿を何枚焼きますか?」といった、実に難しい質問をする子も居て、答えに窮することもしばしばです。また、質問の時間まで待ちきれず、工場の中であれこれ質問したり、絵付け職人の間を回るベルトコンベアを見て「回転寿司みたい!」など、初対面の私たちガイドにも気軽に話をしてくれる率直さや明るさは、私たち自身が子どもだった時にはあまり持ち合わせていなかったように思い、ちょっと羨ましくなりました。
引率された先生が、帰りがけに一度中尾山界隈を見てみたいとおっしゃるので、バスに乗り込んで鬼木から中尾山に抜ける道をマイク片手にバスガイドよろしく案内し、普段より盛りだくさんの社会科見学になりました。
この工場見学のガイド、これまで何回か経験はあるものの、多くの職人さんたちが立ち働く工場を、40人以上の子どもたちを引き連れてガイドするというのはたいへん気を使いますし、子どもが相手だと言葉も噛み砕いて説明しなければならず、意外に気苦労が多いものです。また、ひととおり見学が終わると、先生に提出するレポートを書くために、いくつかの質問に答えなければなりませんが、何人もの子どもがいっせいに手を上げ、いかにも子どもらしい、時には思わず噴き出しそうな突飛な質問を受けるのは楽しみでもあります。子どもたちは事前にやきものの歴史や製作過程などをひととおり学習し、質問もいくつか考えてきているようで「陶石はどうやって砕くの?」とか「波佐見焼の特徴は?」などと、気の利いた質問を投げかけてくれる子も居ますが、中には「一つのやきものが出来上がるのに何時間かかりますか?」とか「波佐見で一日にお皿を何枚焼きますか?」といった、実に難しい質問をする子も居て、答えに窮することもしばしばです。また、質問の時間まで待ちきれず、工場の中であれこれ質問したり、絵付け職人の間を回るベルトコンベアを見て「回転寿司みたい!」など、初対面の私たちガイドにも気軽に話をしてくれる率直さや明るさは、私たち自身が子どもだった時にはあまり持ち合わせていなかったように思い、ちょっと羨ましくなりました。
引率された先生が、帰りがけに一度中尾山界隈を見てみたいとおっしゃるので、バスに乗り込んで鬼木から中尾山に抜ける道をマイク片手にバスガイドよろしく案内し、普段より盛りだくさんの社会科見学になりました。
2009年01月22日
電動自転車
自転車とは「自分で転がす車」と書き、究極の省エネルギー車だとばかり思っていましたが、最近はバッテリー搭載の電動自転車というのが増えつつあるのだそうで、人間はどこまで楽をするのかと呆れつつ、それならウチの坂もクリアできるかも・・・と、購買意欲がわいてくるから困ったものです。
運動神経の無さでは右に出るものが無いというほど「どんくさい」私が、自転車には乗れるというのもちょっと意外かも知れませんが、これには深い訳があります。私の高校生活は、勉強よりも絵、クラスに居るより美術室に居る時間が長いのではないかと思われるほど絵に打ち込んでいました。学校までの距離はおよそ5〜6キロあり、もちろんバス通学という手も無いわけではありませんでしたが、本数が限られていて、クラブ活動に参加するならどうしても自転車で通わねばなりません。当時の友人たちはたいてい小学生の頃からスイスイ乗れていたのですが、私は父の許可が下りずに、練習すらしたことがありません。しかしクラブ活動を諦めるというのはとうていできないことで、こうなったら何が何でも自転車で通学しなくちゃと、固い決意の元に、合格発表の翌日から父の大きな自転車を借りて特訓を始め、初めのうちは「なぜたった2本のタイヤで立てるのか?」と絶望的になるほど下手くそでしたが、1週間ほどするとどうにか乗れるようになり、父の許しが出て、通学用の自転車を買ってもらうに至りました。
延岡というところは大きな川のほとりは少し高くなっているものの、ほぼ平野で、自転車人口はとても多いのですが、冬になると九州山脈から吹き降ろす風が強く、吹きっさらしの田園地帯にさしかかるとペダルを踏めどもちっとも進まず、たいへん苦労したものです。夏場は南国の太陽に照らされて腕が真っ黒、冬は手袋を2枚重ねにして、もちろん雨が降れば合羽を着用して、丸々3年間通いました。台風の日にも暗くなるまで美術室に残り、激しい風雨で何も見えなくなった道を、合羽の中までびっしょり濡れながら帰ったときには、我ながらよくやるもんだと呆れたものでした。
次男が高校時代、自転車による九州一周を試みた時には、そんな自分の高校時代を思い出して心配しつつ送り出しました。彼にとっても自分の足の力だけで長い道程を旅したのだということは、大きな自信になっていることと思われますが、これがもし電動自転車だったらどうなのでしょう・・・ちょっと興ざめかもしれません。
年配の人なら仕方がないとしても、若い人なら「おいおい、自分でこげよ!」と叱りたくなるのです。
運動神経の無さでは右に出るものが無いというほど「どんくさい」私が、自転車には乗れるというのもちょっと意外かも知れませんが、これには深い訳があります。私の高校生活は、勉強よりも絵、クラスに居るより美術室に居る時間が長いのではないかと思われるほど絵に打ち込んでいました。学校までの距離はおよそ5〜6キロあり、もちろんバス通学という手も無いわけではありませんでしたが、本数が限られていて、クラブ活動に参加するならどうしても自転車で通わねばなりません。当時の友人たちはたいてい小学生の頃からスイスイ乗れていたのですが、私は父の許可が下りずに、練習すらしたことがありません。しかしクラブ活動を諦めるというのはとうていできないことで、こうなったら何が何でも自転車で通学しなくちゃと、固い決意の元に、合格発表の翌日から父の大きな自転車を借りて特訓を始め、初めのうちは「なぜたった2本のタイヤで立てるのか?」と絶望的になるほど下手くそでしたが、1週間ほどするとどうにか乗れるようになり、父の許しが出て、通学用の自転車を買ってもらうに至りました。
延岡というところは大きな川のほとりは少し高くなっているものの、ほぼ平野で、自転車人口はとても多いのですが、冬になると九州山脈から吹き降ろす風が強く、吹きっさらしの田園地帯にさしかかるとペダルを踏めどもちっとも進まず、たいへん苦労したものです。夏場は南国の太陽に照らされて腕が真っ黒、冬は手袋を2枚重ねにして、もちろん雨が降れば合羽を着用して、丸々3年間通いました。台風の日にも暗くなるまで美術室に残り、激しい風雨で何も見えなくなった道を、合羽の中までびっしょり濡れながら帰ったときには、我ながらよくやるもんだと呆れたものでした。
次男が高校時代、自転車による九州一周を試みた時には、そんな自分の高校時代を思い出して心配しつつ送り出しました。彼にとっても自分の足の力だけで長い道程を旅したのだということは、大きな自信になっていることと思われますが、これがもし電動自転車だったらどうなのでしょう・・・ちょっと興ざめかもしれません。
年配の人なら仕方がないとしても、若い人なら「おいおい、自分でこげよ!」と叱りたくなるのです。
2009年01月21日
ジグソーパズル
知人のブログに自作のジグソーパズルが掲載されていたので、久しぶりに遊びたくなってしまいました。
ジグソーパズル、元々は、ロンドンの地図職人が子供たちの教育のためにと、完成すると地図の形が現れるパズルを作ったのが最初といわれ、名前の由来も板に描かれた一枚の絵をジグソー(糸鋸)で縦横無尽に切り刻んだことからきています。現在はほとんどが厚紙で作られていて、大きなものでは1万ピースを越えるものもあり、出来上がるまでにけっこうな時間を要しますから、一度完成すれば二度と崩す勇気が起きないらしく、たいていは固定され、額に入れて飾られます。広いスペースと潤沢な時間が必要な遊びなので、私たちの世代でこれに嵌っている人はあまり見かけません。私自身もそんな優雅な身分には程遠く、以前、パソコン講師としての仕事で多忙な頃、初心者の方がマウスの扱いに慣れる為の簡単なゲームを探していた時に、同僚の若い女性講師が教えてくれた、ネットゲームの専門ページにある、バーチャルのパズルに興じるが関の山です。
くねくねと巧妙にでこぼこがついたピースの一つひとつは、空や海などの広い部分になるとどれも似たような色合いですが、どのピースにもそれぞれ納まるべき場所があるはずで、不要な物は一つもなく、また違うピースではどうしても埋めることができません。バーチャルの方はピースが回転しないのでまだ易しいのですが、現実のジグソーだと、どの向きにすれば合うのかも考慮しなければならないのでいっそう難しくなります。そんなふうに、同じように見えて実は微妙に違っている一つひとつのピースを眺めていると、この微妙に違ったものが集まってこそ、深い色合いや豊かな表現になるのだと思い当たるのです。
さて、久しぶりにそのShockwaveという、ジグソーはじめ多くのネットゲームが無料で楽しめるページを開いてみると、上のほうに「終了のお知らせ」という不吉な文字、急いでクリックしてみたら、1月いっぱいでサービスが終了するとのことでした。
あぁら、残念!
ジグソーパズル、元々は、ロンドンの地図職人が子供たちの教育のためにと、完成すると地図の形が現れるパズルを作ったのが最初といわれ、名前の由来も板に描かれた一枚の絵をジグソー(糸鋸)で縦横無尽に切り刻んだことからきています。現在はほとんどが厚紙で作られていて、大きなものでは1万ピースを越えるものもあり、出来上がるまでにけっこうな時間を要しますから、一度完成すれば二度と崩す勇気が起きないらしく、たいていは固定され、額に入れて飾られます。広いスペースと潤沢な時間が必要な遊びなので、私たちの世代でこれに嵌っている人はあまり見かけません。私自身もそんな優雅な身分には程遠く、以前、パソコン講師としての仕事で多忙な頃、初心者の方がマウスの扱いに慣れる為の簡単なゲームを探していた時に、同僚の若い女性講師が教えてくれた、ネットゲームの専門ページにある、バーチャルのパズルに興じるが関の山です。
くねくねと巧妙にでこぼこがついたピースの一つひとつは、空や海などの広い部分になるとどれも似たような色合いですが、どのピースにもそれぞれ納まるべき場所があるはずで、不要な物は一つもなく、また違うピースではどうしても埋めることができません。バーチャルの方はピースが回転しないのでまだ易しいのですが、現実のジグソーだと、どの向きにすれば合うのかも考慮しなければならないのでいっそう難しくなります。そんなふうに、同じように見えて実は微妙に違っている一つひとつのピースを眺めていると、この微妙に違ったものが集まってこそ、深い色合いや豊かな表現になるのだと思い当たるのです。
さて、久しぶりにそのShockwaveという、ジグソーはじめ多くのネットゲームが無料で楽しめるページを開いてみると、上のほうに「終了のお知らせ」という不吉な文字、急いでクリックしてみたら、1月いっぱいでサービスが終了するとのことでした。
あぁら、残念!


