2009年02月09日
ブログのお引越し
以前から気になっていたブログの容量、ぎりぎりになってからでは遅いかとも思い、
本日、意を決してお引越しをしました。
永らくLovelogにてかわいがっていただきました皆さんには心から感謝しております。
引越し先はアトリエMUQ日誌Vol,2です。
引き続きよろしくお願いいたします。
本日、意を決してお引越しをしました。
永らくLovelogにてかわいがっていただきました皆さんには心から感謝しております。
引越し先はアトリエMUQ日誌Vol,2です。
引き続きよろしくお願いいたします。
2009年02月07日
フォトグラフ
冬ごもりにはうってつけの仕事として、ここのところアルバムの整理に取り掛かっています。
私が小さかったころは、まだ今のようにカメラがどの家にもあったわけではなく、我が家ではたまたま父が写真好きであったことから、スナップ写真のようなものもたくさん残っていますが、普通は七五三とか入学式とかに写真館で損ってもらうくらいで、今のように頻繁に被写体になることも少なかったようでした。もちろんカラー写真というものは高校生になるころようやく一般的になってきたもので、当時はモノクロしかありませんでしたし、プリントの大きさも、たしか弟が小学校入学の頃父が一眼レフを買うまでは、6×6というサイズのフィルムをべた焼した、小さいサイズのものでしたが、今も色褪せることなくなかなか良い仕上がりです。
それにひきかえ我が家の子どもたちの時代ときたら、もちろん生まれたときからカラー写真が当たり前だし、カメラ片手に育児する母親からは逃れようも無く、広角レンズと望遠レンズを駆使した膨大な量のスナップ写真がストックしてあります。特に長男の乳幼児期には物珍しさもあり、一瞬の愛らしさも逃すまいと、他の子がひがむほどの量です。ただ、まだデジタルではなかったので、無駄なショットは少なく、シャッターチャンスを辛抱強く待ち構えた形跡もあります。

年代順に並べていくと、その時々の家族のありようや楽しかった数々の場面が思い出され、小さくあどけない彼らの顔と、大きく育った今の息子たちの顔とを頭の中で並べてみては、よくも無事に育ってくれたものだと、なんともありがたい気損ちでいっぱいになるのです。今でこそ3人の男の子たちの怪我や病気もイタズラの数々も、微笑んで思い出話にできるけれど、あの頃は毎日が必死で、小さなことにくよくよしたり心配したりで全く気の休まる時がなかったし、先のことなど想像する余裕もなかったのですが、なんとか3人とも道を外れることなく成長し、それぞれの個性を活かした仕事にも就くことができたという一つの「結果」を、あの、不安でいっぱいだった頃の自分に知らせてやりたいような気がします。
私が小さかったころは、まだ今のようにカメラがどの家にもあったわけではなく、我が家ではたまたま父が写真好きであったことから、スナップ写真のようなものもたくさん残っていますが、普通は七五三とか入学式とかに写真館で損ってもらうくらいで、今のように頻繁に被写体になることも少なかったようでした。もちろんカラー写真というものは高校生になるころようやく一般的になってきたもので、当時はモノクロしかありませんでしたし、プリントの大きさも、たしか弟が小学校入学の頃父が一眼レフを買うまでは、6×6というサイズのフィルムをべた焼した、小さいサイズのものでしたが、今も色褪せることなくなかなか良い仕上がりです。
それにひきかえ我が家の子どもたちの時代ときたら、もちろん生まれたときからカラー写真が当たり前だし、カメラ片手に育児する母親からは逃れようも無く、広角レンズと望遠レンズを駆使した膨大な量のスナップ写真がストックしてあります。特に長男の乳幼児期には物珍しさもあり、一瞬の愛らしさも逃すまいと、他の子がひがむほどの量です。ただ、まだデジタルではなかったので、無駄なショットは少なく、シャッターチャンスを辛抱強く待ち構えた形跡もあります。
年代順に並べていくと、その時々の家族のありようや楽しかった数々の場面が思い出され、小さくあどけない彼らの顔と、大きく育った今の息子たちの顔とを頭の中で並べてみては、よくも無事に育ってくれたものだと、なんともありがたい気損ちでいっぱいになるのです。今でこそ3人の男の子たちの怪我や病気もイタズラの数々も、微笑んで思い出話にできるけれど、あの頃は毎日が必死で、小さなことにくよくよしたり心配したりで全く気の休まる時がなかったし、先のことなど想像する余裕もなかったのですが、なんとか3人とも道を外れることなく成長し、それぞれの個性を活かした仕事にも就くことができたという一つの「結果」を、あの、不安でいっぱいだった頃の自分に知らせてやりたいような気がします。
2009年01月30日
一人称
小学校の作文から始まり、数々の手紙類、リポート、エッセイのようなものまで、日本語の文章を書く機会はこれまで数多くありましたが、その中で私が使ってきた「私」という漢字は、基本的に「わたし」という読みで綴ってきたつもりでした。しかし、実はこれを正しく読めば、すべて「わたくし」であるとは、ごく最近まで気付かず、なんとも迂闊なことでした。最近の国語審議会での常用漢字の追加候補という中に、私(わたし)という読みが加わったというニュースで、そのことに初めて気付いたというしだいですが、これまでの「正しい読み」で読むと、文中の「私」って何だかずいぶんとお高くとまっているような、高飛車な印象になって、ちょっと心外です。
考えてみるに英語の一人称は「I」ただ一つであるのに対し、日本語で一人称を表す言葉は実に多岐多様で、ざっと数えただけでも20くらいはすぐに思いつくほどです。男女で使い分けるほか、一人の人物がその人の性別や立場、使われる場面によって様々に使い分けているし、地域によってもかなり違いがあります。関西から九州にかけて、女性は「うち」というのが多いようで、私も小さい頃は「うち」を使っていた記憶があります。金沢に転校した時、男の子が自分を指して「わし」と言っているのを聞いて、ずいぶんオヤジ臭いことを言うなぁとびっくりしましたが、大阪や広島あたりでも普通に使うようですね。
長崎では「おい」でしょうか・・・息子たちが幼稚園へ通い始めると、「○○ちゃん」と自分の愛称を使うのをやめて「おい」とか、相手を「わい」などと呼ぶようになり、ちょっとガッカリでしたが、あれも社会性を身につける重要な言語アイテムの一つだったのでしょう。
書き言葉としての一人称はさらに複雑になり、「僕」と「ボク」あるいは「ぼく」では全く違った印象になりますし、「わたし」より「ワタシ」の方がとんがって無機質な感じが漂います。詩人や小説家などはもちろんそのあたりを熟慮して言葉を選ぶのでしょう、一人称の表記だけでその人物の輪郭が見えてくるように思いますが、こと「私」に関してはどちらの読みを選ぶべきか、朗読ボランティアの皆さんなど戸惑われるのではないでしょうか?
いやはや・・・ニホンゴムズカシイ〜!
考えてみるに英語の一人称は「I」ただ一つであるのに対し、日本語で一人称を表す言葉は実に多岐多様で、ざっと数えただけでも20くらいはすぐに思いつくほどです。男女で使い分けるほか、一人の人物がその人の性別や立場、使われる場面によって様々に使い分けているし、地域によってもかなり違いがあります。関西から九州にかけて、女性は「うち」というのが多いようで、私も小さい頃は「うち」を使っていた記憶があります。金沢に転校した時、男の子が自分を指して「わし」と言っているのを聞いて、ずいぶんオヤジ臭いことを言うなぁとびっくりしましたが、大阪や広島あたりでも普通に使うようですね。
長崎では「おい」でしょうか・・・息子たちが幼稚園へ通い始めると、「○○ちゃん」と自分の愛称を使うのをやめて「おい」とか、相手を「わい」などと呼ぶようになり、ちょっとガッカリでしたが、あれも社会性を身につける重要な言語アイテムの一つだったのでしょう。
書き言葉としての一人称はさらに複雑になり、「僕」と「ボク」あるいは「ぼく」では全く違った印象になりますし、「わたし」より「ワタシ」の方がとんがって無機質な感じが漂います。詩人や小説家などはもちろんそのあたりを熟慮して言葉を選ぶのでしょう、一人称の表記だけでその人物の輪郭が見えてくるように思いますが、こと「私」に関してはどちらの読みを選ぶべきか、朗読ボランティアの皆さんなど戸惑われるのではないでしょうか?
いやはや・・・ニホンゴムズカシイ〜!
2009年01月29日
修理屋
行きつけの美容室の隣にオープンしたお店。
雑貨店と書かれているけれど、その下に「修理」の文字もあり、いったいどんな店なのか、外見だけでは判断がつきません。人に聞くと「何でも修理するらしいよ〜」とのことでしたが、何でもと言われても専門とかあるだろうに・・と思いつつ、美容室に行った時に聞いてみたら、どうやら専門は楽器らしいというあたりまでの情報を掴みましたが、それ以上のことは謎のままです。しかし、先日雪解けの道を歩いていて、皮革製のハーフブーツの底から水がしみ込んできた時に、ふとそのお店のことが頭に浮かび、「何でも修理」なら靴だって修理するかも!・・と思い切って年季の入ったおんぼろブーツを持ってお店に入ってみたのです。
このブーツ、まだ独身だった頃、京都で買ったものですから、ゆうに30年以上は履き続けていることになります。まあ防寒用ですから、それほど頻繁に使ってはいませんが、もう素材自体がかなり劣化しているであろうことは確かです。
ゆるめのダンスミュージックがかかった店内に人影はないので一応声をかけてみると、「いらっしゃい」と言って出てきたのは、ちょっと明るめの長い髪が華奢なイメージの青年です。
「靴の修理ができますか?」と聞くと「できます」とのことだったので、おもむろにくたびれた穴あきブーツを差し出すと、しばらくそれをじっくり観察したあと「足を見せてください」とおっしゃるので、ちょっとうろたえつつ靴を脱ぐと、今度はかがみこんで私の足を凝視し、履いてきた靴と見比べたり、踵の下に手を入れて体重のかかり具合を確かめたりして、本職の靴屋でもここまではしないというほど念入りに検分していましたが、やがて「これなら部分的に張り替えるだけで大丈夫でしょう」と診断を下し、およその料金と修理にかかる時間を示してくれました。
そういえば最近の傾向として、不況で物が売れなくなった一方で、今持っているものを修理して大切に使おうという気運が高まっていると聞きます。この若い修理屋さんを見ていると、そもそもこれがまっとうなやり方で、これまでの「買ったほうが安い」という、大量廃棄・大量消費生活は、誰かの仕掛けた粉飾景気に踊らされていただけなのだと思い当たるのでした。
こんな修理屋さんがどの町にもできて、衣類のリフォームをしたり、壊れたものも出来るだけ修理して使うなどすれば・・・「それじゃモノが売れないよ!」という政治屋おじさんたちの声が聞こえそうですが、いくら経済がうまく回っても肝心の環境がぐちゃぐちゃではどうにもなりません。壊れかけた地球を救うには、まずそれぞれが手の届くところから修理に着手してみたらどうでしょう。
雑貨店と書かれているけれど、その下に「修理」の文字もあり、いったいどんな店なのか、外見だけでは判断がつきません。人に聞くと「何でも修理するらしいよ〜」とのことでしたが、何でもと言われても専門とかあるだろうに・・と思いつつ、美容室に行った時に聞いてみたら、どうやら専門は楽器らしいというあたりまでの情報を掴みましたが、それ以上のことは謎のままです。しかし、先日雪解けの道を歩いていて、皮革製のハーフブーツの底から水がしみ込んできた時に、ふとそのお店のことが頭に浮かび、「何でも修理」なら靴だって修理するかも!・・と思い切って年季の入ったおんぼろブーツを持ってお店に入ってみたのです。
このブーツ、まだ独身だった頃、京都で買ったものですから、ゆうに30年以上は履き続けていることになります。まあ防寒用ですから、それほど頻繁に使ってはいませんが、もう素材自体がかなり劣化しているであろうことは確かです。
ゆるめのダンスミュージックがかかった店内に人影はないので一応声をかけてみると、「いらっしゃい」と言って出てきたのは、ちょっと明るめの長い髪が華奢なイメージの青年です。
「靴の修理ができますか?」と聞くと「できます」とのことだったので、おもむろにくたびれた穴あきブーツを差し出すと、しばらくそれをじっくり観察したあと「足を見せてください」とおっしゃるので、ちょっとうろたえつつ靴を脱ぐと、今度はかがみこんで私の足を凝視し、履いてきた靴と見比べたり、踵の下に手を入れて体重のかかり具合を確かめたりして、本職の靴屋でもここまではしないというほど念入りに検分していましたが、やがて「これなら部分的に張り替えるだけで大丈夫でしょう」と診断を下し、およその料金と修理にかかる時間を示してくれました。
そういえば最近の傾向として、不況で物が売れなくなった一方で、今持っているものを修理して大切に使おうという気運が高まっていると聞きます。この若い修理屋さんを見ていると、そもそもこれがまっとうなやり方で、これまでの「買ったほうが安い」という、大量廃棄・大量消費生活は、誰かの仕掛けた粉飾景気に踊らされていただけなのだと思い当たるのでした。
こんな修理屋さんがどの町にもできて、衣類のリフォームをしたり、壊れたものも出来るだけ修理して使うなどすれば・・・「それじゃモノが売れないよ!」という政治屋おじさんたちの声が聞こえそうですが、いくら経済がうまく回っても肝心の環境がぐちゃぐちゃではどうにもなりません。壊れかけた地球を救うには、まずそれぞれが手の届くところから修理に着手してみたらどうでしょう。
2009年01月28日
火
「たきび」という唱歌があります。
「かきねのかきねの まがりかど・・」
垣根を曲がると落ち葉や枯れ枝を集めて燃やす焚き火があって、子どもたちが小さな手をかざしたり、こっそりお芋を忍ばせておやつにしたり・・・一昔前ならどこの街角でも見られる、冬の平和な風物詩でした。ただ、子供心に「木枯らし 木枯らし」と言うほど強い風が吹いていては、焚き火は危なかろうと思ったものですが・・・
この焚き火が数年前から原則禁止になってしまい、室内で使う調理器具や暖房器具も、炎の出るガスやストーブから電磁調理器やエアコンに変りつつある現在、人がじかに火と触れ合うことがずいぶん減ってきたように思います。もちろんそのほうが安全であることは確かだし、物を燃やせば二酸化炭素が排出され、地球の温暖化に繋がるということも分かってはいるのですが、何だか物足りない気がします。
原始時代、人と動物の境界線が、この火を制御できるか否かというところにあったと何かの本で読んだことがあります。野生動物が火をとても恐れるのも、本能的に火の恐ろしさを知っているからなのでしょう。その火を自由自在に操れる人類だけが、急速に文明を発達させることができたということですが、それでもやはり火に神秘的な力が宿っていることはどの人種も同様に認めているとみえて、あらゆる宗教の儀式に火は欠かすことができません。若い頃よく仲間と出かけたキャンプでは、上手に火をおこす者がヒーロー(ヒロイン)でしたし、夜更けのキャンプファイヤーでは異様に気分が高揚して、奇声を上げる輩が居たり、普段とても口にできないことを告白したり、ドラマチックな展開もあったようです。
木工を生業としていて燃料の薪に事欠かない友人の家では、鋳物の薪ストーブを使っていて、ぱちぱちと音を立てて燃える火の傍に居ると、心の底からリラックスしてしまい、いつまでもそこを離れたくないような気分に陥ります。
スイッチ一つですぐに温かくなるエアコンはクリーンでしかも便利だけど、やっぱり私は多少不便でもナマの炎が揺らめくストーブの方に魅力を感じてしまいます。
これって地球に優しくないのかしら?
「かきねのかきねの まがりかど・・」
垣根を曲がると落ち葉や枯れ枝を集めて燃やす焚き火があって、子どもたちが小さな手をかざしたり、こっそりお芋を忍ばせておやつにしたり・・・一昔前ならどこの街角でも見られる、冬の平和な風物詩でした。ただ、子供心に「木枯らし 木枯らし」と言うほど強い風が吹いていては、焚き火は危なかろうと思ったものですが・・・
この焚き火が数年前から原則禁止になってしまい、室内で使う調理器具や暖房器具も、炎の出るガスやストーブから電磁調理器やエアコンに変りつつある現在、人がじかに火と触れ合うことがずいぶん減ってきたように思います。もちろんそのほうが安全であることは確かだし、物を燃やせば二酸化炭素が排出され、地球の温暖化に繋がるということも分かってはいるのですが、何だか物足りない気がします。
原始時代、人と動物の境界線が、この火を制御できるか否かというところにあったと何かの本で読んだことがあります。野生動物が火をとても恐れるのも、本能的に火の恐ろしさを知っているからなのでしょう。その火を自由自在に操れる人類だけが、急速に文明を発達させることができたということですが、それでもやはり火に神秘的な力が宿っていることはどの人種も同様に認めているとみえて、あらゆる宗教の儀式に火は欠かすことができません。若い頃よく仲間と出かけたキャンプでは、上手に火をおこす者がヒーロー(ヒロイン)でしたし、夜更けのキャンプファイヤーでは異様に気分が高揚して、奇声を上げる輩が居たり、普段とても口にできないことを告白したり、ドラマチックな展開もあったようです。
木工を生業としていて燃料の薪に事欠かない友人の家では、鋳物の薪ストーブを使っていて、ぱちぱちと音を立てて燃える火の傍に居ると、心の底からリラックスしてしまい、いつまでもそこを離れたくないような気分に陥ります。
スイッチ一つですぐに温かくなるエアコンはクリーンでしかも便利だけど、やっぱり私は多少不便でもナマの炎が揺らめくストーブの方に魅力を感じてしまいます。
これって地球に優しくないのかしら?
2009年01月27日
戦争体験のテープ
先日・・日曜日の夜、NHKのETV特集「女たちの地上戦 −沖縄 録音テープに残された証言−」というのを見ました。これは今から50年近く前、本土復帰直前の頃に収録された証言の録音テープを修復し、デジタル技術で再現することに成功したもので、1960年代といいますから、戦争が終わって15年ほどの頃に収録されたものですが、日本で唯一地上戦になった沖縄の悲惨な様子の生々しい証言は衝撃的でした。
戦争当時沖縄本島に住んでいたのはほとんどが非戦闘員である年寄りと女性、それに子どもたちでしたが、アメリカ軍の上陸に備えて日本軍の部隊も集結していたようです。地上戦が始まり、島の住民は着の身着のままでジャングルの奥や鍾乳洞のような所に身を隠しながらの逃避行でしたが、せっかく見つけた防空壕も日本軍に「占領」され、作戦の邪魔になると追い出され、挙句の果ては国民を守るはずの軍人に殺されるというありさまで、食糧も医薬品も何も持たず逃げ惑う女子どもたちにとっては、地獄以上の苦しみであったと思われます。戦いが終わり、長い逃避行の末にアメリカ軍に「保護」された住民たちの映像を見ると、やせ細って疲労困憊した人々が、それでもようやく終わったという安堵の色を見せていました。
真っ暗な壕の中で出産したものの、飢えた母親には母乳を出す力もなく、しだいに鳴き声がか細くなって亡くなってしまった赤ちゃんのことや、目の前で日本軍の兵隊に母親の首をはねられ、兄弟を殺された女の子の証言には、あまりの酷さに声を失います。証言をした女性たちの何人かはまだ健在で、悲惨な体験を語り継ぐ活動をされている方もいらっしゃるそうです。語ればそのたびに辛い体験が脳裏に甦り、さらに辛いはずですが、次の世に同じ過ちを繰り返させないためにと、老体に鞭打ち、語り続けていらっしゃる様子には頭が下がります。
戦争を二度としないと誓ったこの国ですが、辛い記憶が風化してしまわぬよう、このような体験談は本当に貴重です。今のうちに身近な戦争体験者からしっかりと話を聞き、戦争がいかに愚かなものなのかということを忘れないようにしたいものです。
戦争当時沖縄本島に住んでいたのはほとんどが非戦闘員である年寄りと女性、それに子どもたちでしたが、アメリカ軍の上陸に備えて日本軍の部隊も集結していたようです。地上戦が始まり、島の住民は着の身着のままでジャングルの奥や鍾乳洞のような所に身を隠しながらの逃避行でしたが、せっかく見つけた防空壕も日本軍に「占領」され、作戦の邪魔になると追い出され、挙句の果ては国民を守るはずの軍人に殺されるというありさまで、食糧も医薬品も何も持たず逃げ惑う女子どもたちにとっては、地獄以上の苦しみであったと思われます。戦いが終わり、長い逃避行の末にアメリカ軍に「保護」された住民たちの映像を見ると、やせ細って疲労困憊した人々が、それでもようやく終わったという安堵の色を見せていました。
真っ暗な壕の中で出産したものの、飢えた母親には母乳を出す力もなく、しだいに鳴き声がか細くなって亡くなってしまった赤ちゃんのことや、目の前で日本軍の兵隊に母親の首をはねられ、兄弟を殺された女の子の証言には、あまりの酷さに声を失います。証言をした女性たちの何人かはまだ健在で、悲惨な体験を語り継ぐ活動をされている方もいらっしゃるそうです。語ればそのたびに辛い体験が脳裏に甦り、さらに辛いはずですが、次の世に同じ過ちを繰り返させないためにと、老体に鞭打ち、語り続けていらっしゃる様子には頭が下がります。
戦争を二度としないと誓ったこの国ですが、辛い記憶が風化してしまわぬよう、このような体験談は本当に貴重です。今のうちに身近な戦争体験者からしっかりと話を聞き、戦争がいかに愚かなものなのかということを忘れないようにしたいものです。
2009年01月26日
お風呂と温泉
こんな寒い日には温かいお風呂が何よりのご馳走かもしれませんね。しかし私が小さい頃は、どんなに寒くてもお風呂といえば共同浴場でしたから、いくら長湯をしてのぼせるほどに暖まったところで、家にたどり着くまでには冷え切ってしまうもので、まだ小さかったせいもあり、今日はお風呂よといわれてもそれほどありがたくもなかったような気がします。
父の転勤のため転居した金沢での住まいも家にお風呂がなく、しばらくは銭湯に通ったのですが、冬は積雪のために頻繁に行けないのが常のようで、父が会社に頼んで急遽お風呂を設置してもらったことを覚えています。何しろ地元の皆さんは1週間分の垢を落とすために、絹の垢すり布で長い時間かけて全身くまなく念入りに擦るので、お風呂場の溝には目に見えるほどの垢が流れていたものです。それ以降の社宅ではどこもお風呂が付いていたので、年頃の乙女としては(?)ずいぶんと嬉しかったものでした。今はどの家にも当たり前のようにお風呂があり、学生のアパートだってシャワーがふつうに付いている・・・なんとも贅沢になったものです。
そういえば私が学生の頃住んでいた別府というところは、日本でも指折りの温泉地で、町のあちこちにある銭湯もすべて温泉が引かれていますし、私の住んでいたアパートなどは、部屋はかなりみすぼらしかったものの、温泉の共同浴場が付いていて、もちろんただで、ふつうの時間ならいつでも入ることができるのでした。泉質がどんなものであったかは定かではありませんが、かなりいいお湯であったようで、石鹸の泡立ちこそ悪いものの、そこに住んでいた間にずいぶんと肌がきれいになった(ような気がします)。
そんな風にふんだんに温泉を使ったせいか、世間の皆様のようにことさら温泉旅行というものに魅力を感じることがなかったのですが、最近、旅番組などで趣のある露天風呂などの温泉に入ってゆったりと寛ぎ、贅を尽くした料理を味わっている様子などを見ると、やっぱりちょっと惹かれます。
波佐見町でも昔から温泉の泉脈があり、このたび町で新たに良質の温泉を掘り当てたそうですから、そのうちすてきな温泉施設ができることを楽しみに待っているところです。
父の転勤のため転居した金沢での住まいも家にお風呂がなく、しばらくは銭湯に通ったのですが、冬は積雪のために頻繁に行けないのが常のようで、父が会社に頼んで急遽お風呂を設置してもらったことを覚えています。何しろ地元の皆さんは1週間分の垢を落とすために、絹の垢すり布で長い時間かけて全身くまなく念入りに擦るので、お風呂場の溝には目に見えるほどの垢が流れていたものです。それ以降の社宅ではどこもお風呂が付いていたので、年頃の乙女としては(?)ずいぶんと嬉しかったものでした。今はどの家にも当たり前のようにお風呂があり、学生のアパートだってシャワーがふつうに付いている・・・なんとも贅沢になったものです。
そういえば私が学生の頃住んでいた別府というところは、日本でも指折りの温泉地で、町のあちこちにある銭湯もすべて温泉が引かれていますし、私の住んでいたアパートなどは、部屋はかなりみすぼらしかったものの、温泉の共同浴場が付いていて、もちろんただで、ふつうの時間ならいつでも入ることができるのでした。泉質がどんなものであったかは定かではありませんが、かなりいいお湯であったようで、石鹸の泡立ちこそ悪いものの、そこに住んでいた間にずいぶんと肌がきれいになった(ような気がします)。
そんな風にふんだんに温泉を使ったせいか、世間の皆様のようにことさら温泉旅行というものに魅力を感じることがなかったのですが、最近、旅番組などで趣のある露天風呂などの温泉に入ってゆったりと寛ぎ、贅を尽くした料理を味わっている様子などを見ると、やっぱりちょっと惹かれます。
波佐見町でも昔から温泉の泉脈があり、このたび町で新たに良質の温泉を掘り当てたそうですから、そのうちすてきな温泉施設ができることを楽しみに待っているところです。
2009年01月22日
電動自転車
自転車とは「自分で転がす車」と書き、究極の省エネルギー車だとばかり思っていましたが、最近はバッテリー搭載の電動自転車というのが増えつつあるのだそうで、人間はどこまで楽をするのかと呆れつつ、それならウチの坂もクリアできるかも・・・と、購買意欲がわいてくるから困ったものです。
運動神経の無さでは右に出るものが無いというほど「どんくさい」私が、自転車には乗れるというのもちょっと意外かも知れませんが、これには深い訳があります。私の高校生活は、勉強よりも絵、クラスに居るより美術室に居る時間が長いのではないかと思われるほど絵に打ち込んでいました。学校までの距離はおよそ5〜6キロあり、もちろんバス通学という手も無いわけではありませんでしたが、本数が限られていて、クラブ活動に参加するならどうしても自転車で通わねばなりません。当時の友人たちはたいてい小学生の頃からスイスイ乗れていたのですが、私は父の許可が下りずに、練習すらしたことがありません。しかしクラブ活動を諦めるというのはとうていできないことで、こうなったら何が何でも自転車で通学しなくちゃと、固い決意の元に、合格発表の翌日から父の大きな自転車を借りて特訓を始め、初めのうちは「なぜたった2本のタイヤで立てるのか?」と絶望的になるほど下手くそでしたが、1週間ほどするとどうにか乗れるようになり、父の許しが出て、通学用の自転車を買ってもらうに至りました。
延岡というところは大きな川のほとりは少し高くなっているものの、ほぼ平野で、自転車人口はとても多いのですが、冬になると九州山脈から吹き降ろす風が強く、吹きっさらしの田園地帯にさしかかるとペダルを踏めどもちっとも進まず、たいへん苦労したものです。夏場は南国の太陽に照らされて腕が真っ黒、冬は手袋を2枚重ねにして、もちろん雨が降れば合羽を着用して、丸々3年間通いました。台風の日にも暗くなるまで美術室に残り、激しい風雨で何も見えなくなった道を、合羽の中までびっしょり濡れながら帰ったときには、我ながらよくやるもんだと呆れたものでした。
次男が高校時代、自転車による九州一周を試みた時には、そんな自分の高校時代を思い出して心配しつつ送り出しました。彼にとっても自分の足の力だけで長い道程を旅したのだということは、大きな自信になっていることと思われますが、これがもし電動自転車だったらどうなのでしょう・・・ちょっと興ざめかもしれません。
年配の人なら仕方がないとしても、若い人なら「おいおい、自分でこげよ!」と叱りたくなるのです。
運動神経の無さでは右に出るものが無いというほど「どんくさい」私が、自転車には乗れるというのもちょっと意外かも知れませんが、これには深い訳があります。私の高校生活は、勉強よりも絵、クラスに居るより美術室に居る時間が長いのではないかと思われるほど絵に打ち込んでいました。学校までの距離はおよそ5〜6キロあり、もちろんバス通学という手も無いわけではありませんでしたが、本数が限られていて、クラブ活動に参加するならどうしても自転車で通わねばなりません。当時の友人たちはたいてい小学生の頃からスイスイ乗れていたのですが、私は父の許可が下りずに、練習すらしたことがありません。しかしクラブ活動を諦めるというのはとうていできないことで、こうなったら何が何でも自転車で通学しなくちゃと、固い決意の元に、合格発表の翌日から父の大きな自転車を借りて特訓を始め、初めのうちは「なぜたった2本のタイヤで立てるのか?」と絶望的になるほど下手くそでしたが、1週間ほどするとどうにか乗れるようになり、父の許しが出て、通学用の自転車を買ってもらうに至りました。
延岡というところは大きな川のほとりは少し高くなっているものの、ほぼ平野で、自転車人口はとても多いのですが、冬になると九州山脈から吹き降ろす風が強く、吹きっさらしの田園地帯にさしかかるとペダルを踏めどもちっとも進まず、たいへん苦労したものです。夏場は南国の太陽に照らされて腕が真っ黒、冬は手袋を2枚重ねにして、もちろん雨が降れば合羽を着用して、丸々3年間通いました。台風の日にも暗くなるまで美術室に残り、激しい風雨で何も見えなくなった道を、合羽の中までびっしょり濡れながら帰ったときには、我ながらよくやるもんだと呆れたものでした。
次男が高校時代、自転車による九州一周を試みた時には、そんな自分の高校時代を思い出して心配しつつ送り出しました。彼にとっても自分の足の力だけで長い道程を旅したのだということは、大きな自信になっていることと思われますが、これがもし電動自転車だったらどうなのでしょう・・・ちょっと興ざめかもしれません。
年配の人なら仕方がないとしても、若い人なら「おいおい、自分でこげよ!」と叱りたくなるのです。
2009年01月21日
ジグソーパズル
知人のブログに自作のジグソーパズルが掲載されていたので、久しぶりに遊びたくなってしまいました。
ジグソーパズル、元々は、ロンドンの地図職人が子供たちの教育のためにと、完成すると地図の形が現れるパズルを作ったのが最初といわれ、名前の由来も板に描かれた一枚の絵をジグソー(糸鋸)で縦横無尽に切り刻んだことからきています。現在はほとんどが厚紙で作られていて、大きなものでは1万ピースを越えるものもあり、出来上がるまでにけっこうな時間を要しますから、一度完成すれば二度と崩す勇気が起きないらしく、たいていは固定され、額に入れて飾られます。広いスペースと潤沢な時間が必要な遊びなので、私たちの世代でこれに嵌っている人はあまり見かけません。私自身もそんな優雅な身分には程遠く、以前、パソコン講師としての仕事で多忙な頃、初心者の方がマウスの扱いに慣れる為の簡単なゲームを探していた時に、同僚の若い女性講師が教えてくれた、ネットゲームの専門ページにある、バーチャルのパズルに興じるが関の山です。
くねくねと巧妙にでこぼこがついたピースの一つひとつは、空や海などの広い部分になるとどれも似たような色合いですが、どのピースにもそれぞれ納まるべき場所があるはずで、不要な物は一つもなく、また違うピースではどうしても埋めることができません。バーチャルの方はピースが回転しないのでまだ易しいのですが、現実のジグソーだと、どの向きにすれば合うのかも考慮しなければならないのでいっそう難しくなります。そんなふうに、同じように見えて実は微妙に違っている一つひとつのピースを眺めていると、この微妙に違ったものが集まってこそ、深い色合いや豊かな表現になるのだと思い当たるのです。
さて、久しぶりにそのShockwaveという、ジグソーはじめ多くのネットゲームが無料で楽しめるページを開いてみると、上のほうに「終了のお知らせ」という不吉な文字、急いでクリックしてみたら、1月いっぱいでサービスが終了するとのことでした。
あぁら、残念!
ジグソーパズル、元々は、ロンドンの地図職人が子供たちの教育のためにと、完成すると地図の形が現れるパズルを作ったのが最初といわれ、名前の由来も板に描かれた一枚の絵をジグソー(糸鋸)で縦横無尽に切り刻んだことからきています。現在はほとんどが厚紙で作られていて、大きなものでは1万ピースを越えるものもあり、出来上がるまでにけっこうな時間を要しますから、一度完成すれば二度と崩す勇気が起きないらしく、たいていは固定され、額に入れて飾られます。広いスペースと潤沢な時間が必要な遊びなので、私たちの世代でこれに嵌っている人はあまり見かけません。私自身もそんな優雅な身分には程遠く、以前、パソコン講師としての仕事で多忙な頃、初心者の方がマウスの扱いに慣れる為の簡単なゲームを探していた時に、同僚の若い女性講師が教えてくれた、ネットゲームの専門ページにある、バーチャルのパズルに興じるが関の山です。
くねくねと巧妙にでこぼこがついたピースの一つひとつは、空や海などの広い部分になるとどれも似たような色合いですが、どのピースにもそれぞれ納まるべき場所があるはずで、不要な物は一つもなく、また違うピースではどうしても埋めることができません。バーチャルの方はピースが回転しないのでまだ易しいのですが、現実のジグソーだと、どの向きにすれば合うのかも考慮しなければならないのでいっそう難しくなります。そんなふうに、同じように見えて実は微妙に違っている一つひとつのピースを眺めていると、この微妙に違ったものが集まってこそ、深い色合いや豊かな表現になるのだと思い当たるのです。
さて、久しぶりにそのShockwaveという、ジグソーはじめ多くのネットゲームが無料で楽しめるページを開いてみると、上のほうに「終了のお知らせ」という不吉な文字、急いでクリックしてみたら、1月いっぱいでサービスが終了するとのことでした。
あぁら、残念!
2009年01月18日
近所のお葬式
昨日の朝、近所のおじいさんが亡くなられたので、夕方お悔やみに行ったあと、音楽愛好会の新年会に出かけたのですが、帰宅後、近所の方からお葬式の手伝いが足りないので出て欲しいとの連絡があり、今日は早朝から炊き出しでした。
以前はお葬式のお家のお隣が台所や広間を開放して、お葬式に来たお客様のお昼ご飯を出すというしきたりがあり、それはもう大騒ぎで座敷や台所を片付け、前日から手分けして買出しをしたり畑から野菜を引っこ抜いてきたりして、当日は早朝から地域の長老の指示を仰ぎつつ、ご近所の奥さんたちで100人分を越える精進料理をこしらえたものでした。
町内に葬儀場ができてからは、だんだん自宅での葬儀は減ってきて、調理の場所も集会所を使うので近所の負担も軽くはなりましたが、最低限、ご家族の食事は近所のものでお世話しなければならないし、やはりお年寄りは昔ながらのしきたりを重んじるので、葬儀場の広間でお参りに見えた方々の昼食を出すために、近所総がかりでの炊き出しが必要となるのです。
メニューはお供え用の白玉団子に、夏場だとおにぎりと野菜のお煮しめ、酢の物、漬物程度ですが、今回は冬なのでこれに白和えと酢味噌和えが付きます。どれもそれほど難しいものではありませんが、普段と比べて桁外れに大量なので、調味料の加減が分かりにくく、皆で味見をしながら塩梅していきます。おにぎりも家庭にある炊飯器でそれぞれ一升ずつ炊いてきた上に、集会所のガス釜で3升ほど炊いて、熱いご飯で手のひらを真っ赤にしながら握ります。以前はお味噌汁と「にごみ」と呼ばれる、いろんな野菜を小さく角切りにして薄味で炊き合わせたものが出されたものでしたが、葬儀場を使うようになってからは割愛されるようになりました。
お葬式というのはもとより予定の立たないもので、平日に当たれば仕事を休まねばならず、仕事の段取りが狂って困ることも多いのですが、ご近所とはいえ、普段なかなか会うことも少ない人たちと力をあわせての作業は、地域の結束を深めるという点では悪くないしきたりかもしれません。とはいえ、最近はどうしても都合がつかないという人も増えてきて、地域によってはすべて業者に委託せざるを得なくなってきているようで、これも時代の流れで仕方のないことなのでしょう。
以前はお葬式のお家のお隣が台所や広間を開放して、お葬式に来たお客様のお昼ご飯を出すというしきたりがあり、それはもう大騒ぎで座敷や台所を片付け、前日から手分けして買出しをしたり畑から野菜を引っこ抜いてきたりして、当日は早朝から地域の長老の指示を仰ぎつつ、ご近所の奥さんたちで100人分を越える精進料理をこしらえたものでした。
町内に葬儀場ができてからは、だんだん自宅での葬儀は減ってきて、調理の場所も集会所を使うので近所の負担も軽くはなりましたが、最低限、ご家族の食事は近所のものでお世話しなければならないし、やはりお年寄りは昔ながらのしきたりを重んじるので、葬儀場の広間でお参りに見えた方々の昼食を出すために、近所総がかりでの炊き出しが必要となるのです。
メニューはお供え用の白玉団子に、夏場だとおにぎりと野菜のお煮しめ、酢の物、漬物程度ですが、今回は冬なのでこれに白和えと酢味噌和えが付きます。どれもそれほど難しいものではありませんが、普段と比べて桁外れに大量なので、調味料の加減が分かりにくく、皆で味見をしながら塩梅していきます。おにぎりも家庭にある炊飯器でそれぞれ一升ずつ炊いてきた上に、集会所のガス釜で3升ほど炊いて、熱いご飯で手のひらを真っ赤にしながら握ります。以前はお味噌汁と「にごみ」と呼ばれる、いろんな野菜を小さく角切りにして薄味で炊き合わせたものが出されたものでしたが、葬儀場を使うようになってからは割愛されるようになりました。
お葬式というのはもとより予定の立たないもので、平日に当たれば仕事を休まねばならず、仕事の段取りが狂って困ることも多いのですが、ご近所とはいえ、普段なかなか会うことも少ない人たちと力をあわせての作業は、地域の結束を深めるという点では悪くないしきたりかもしれません。とはいえ、最近はどうしても都合がつかないという人も増えてきて、地域によってはすべて業者に委託せざるを得なくなってきているようで、これも時代の流れで仕方のないことなのでしょう。
2009年01月17日
まとめ買いは卒業?
今日は新年会、男性の方なら「夕食は要らないよ」とひとこと言えば済むのでしょうが、一家の主婦ともなるとそう簡単ではなく、自分は食べない夕食を、温めればすぐ食べられる状態にして準備しておかなければなりません。もちろんイヤミのひとことを聞かないためには、普段よりご馳走を作るのがベターです。
そこで数あるご馳走メニューの中から「すき焼き」にしようと決心し、スーパーに牛肉を買いに出かけました。我が家で肉といえば豚か鶏肉で、牛肉はたまにシチュー用にすね肉を買って圧力鍋で軟らかく煮るくらいですから、すき焼きなら文句は出ないだろうと踏んだわけです。ところが・・・肉のコーナーに行きますと、私の目指すすき焼き用の薄切り牛肉はじめ、どのパックにも「3パック¥990!」というシールが貼ってあって、たった一つだけ買えばえらく損をする仕組みになっているのです。
さて困りました。
主婦心理としてはたとえ十円でも得をしたいし、かといって今夜は一人分なのだから、1パックでも余るお肉を3パックも買っては持て余すし、たとえ3パック分のお肉を買ったとしても、それだけのものを料理する時間も無いし、明日・あさってのメニューまで考えなければならないのは苦痛です。飛び切り高いステーキ肉にはシールが貼ってないので、それを買うかともちらっと考えましたが、その案は数秒で却下、結局、家の冷凍庫にストックしてある薄切り豚肉で代用するという結論で落ち着きました。ご馳走メニューに・・と張り切った割にはこんな結論で拍子抜けですが、まあ、貧乏性が染み付いている主婦にしてみればこれが妥当でしょう。
以前、食べ盛りの男の子が3人も居る頃なら、こんなセールも大歓迎だったのかもしれません。そういえばあの頃は日曜日になると大型スーパーに出かけて、カートに山盛りの買い物をしていましたっけ・・・。最近ではカートを使って買い物をすることもほとんどなく、小さなエコバッグにちんまりと買い物をする、なんとも小規模な世帯になったものです。
そこで数あるご馳走メニューの中から「すき焼き」にしようと決心し、スーパーに牛肉を買いに出かけました。我が家で肉といえば豚か鶏肉で、牛肉はたまにシチュー用にすね肉を買って圧力鍋で軟らかく煮るくらいですから、すき焼きなら文句は出ないだろうと踏んだわけです。ところが・・・肉のコーナーに行きますと、私の目指すすき焼き用の薄切り牛肉はじめ、どのパックにも「3パック¥990!」というシールが貼ってあって、たった一つだけ買えばえらく損をする仕組みになっているのです。
さて困りました。
主婦心理としてはたとえ十円でも得をしたいし、かといって今夜は一人分なのだから、1パックでも余るお肉を3パックも買っては持て余すし、たとえ3パック分のお肉を買ったとしても、それだけのものを料理する時間も無いし、明日・あさってのメニューまで考えなければならないのは苦痛です。飛び切り高いステーキ肉にはシールが貼ってないので、それを買うかともちらっと考えましたが、その案は数秒で却下、結局、家の冷凍庫にストックしてある薄切り豚肉で代用するという結論で落ち着きました。ご馳走メニューに・・と張り切った割にはこんな結論で拍子抜けですが、まあ、貧乏性が染み付いている主婦にしてみればこれが妥当でしょう。
以前、食べ盛りの男の子が3人も居る頃なら、こんなセールも大歓迎だったのかもしれません。そういえばあの頃は日曜日になると大型スーパーに出かけて、カートに山盛りの買い物をしていましたっけ・・・。最近ではカートを使って買い物をすることもほとんどなく、小さなエコバッグにちんまりと買い物をする、なんとも小規模な世帯になったものです。
2009年01月12日
成人式
世間では三連休らしいのですが、お正月休みが12月26日〜1月7日までと、まるで学校の冬休み並みに長かった代償なのか、夫の勤める会社は、先週の土曜日も祝日の今日も出勤で、こちらも何だか普通の日のような気がしていました。
カレンダーを見るとどうやら今日が成人の日のようです。そうは言っても成人式に出席したものがすべて大人と認められるわけではなく、やはりお誕生日を迎えて戸籍上(?)満20歳にならないと選挙権も無ければお酒も煙草も禁止なので、当然のことながら、式の後の同窓会とか2次会でもアルコールは御法度のはずですが・・・。
一時期、18歳成人論が取りざたされたことがありましたが、今の若い人たちを見ていると、たとえ満20歳になっていても、「こいつはまだコドモやろ!」と怒鳴りつけたくなるような幼稚な連中もかなり居ます。そもそも成人式という行事自体が形骸化し、意味の無いものになっているところが多いようだし、短期大学ではこの時期、卒業制作の準備などで寝る間もないような学生も少なくなく、ちなみに私自身も出席する余裕はまるで無く、お決まりの振袖はカメラに化けたし、どういう手違いだったのか式の招待状すら届かなかったというひがみもあるのかもしれませんが、地方自治体の負担軽減のためにも、いっそこのような式典は廃止した方がいいように思います。
そういえばちょうど10歳になる小学4年生のために「二分の一成人式」と称してお祝いをする小学校がちらほら見受けられますが、比較してみると10歳のほうが大人びて見えるのはなぜでしょうね。
こんなイジワルな意見は少数派だとは思いますが、ともあれ、成人式が決まった日でなくなってからこっち、全体的に薄味になった感は否めません。ついでに言えば、お年玉付き年賀ハガキの抽選日が同じく15日でなくなって、今年は何と25日とか・・・いつまでもハガキが片付けられないというのも困ったことの一つです。
カレンダーを見るとどうやら今日が成人の日のようです。そうは言っても成人式に出席したものがすべて大人と認められるわけではなく、やはりお誕生日を迎えて戸籍上(?)満20歳にならないと選挙権も無ければお酒も煙草も禁止なので、当然のことながら、式の後の同窓会とか2次会でもアルコールは御法度のはずですが・・・。
一時期、18歳成人論が取りざたされたことがありましたが、今の若い人たちを見ていると、たとえ満20歳になっていても、「こいつはまだコドモやろ!」と怒鳴りつけたくなるような幼稚な連中もかなり居ます。そもそも成人式という行事自体が形骸化し、意味の無いものになっているところが多いようだし、短期大学ではこの時期、卒業制作の準備などで寝る間もないような学生も少なくなく、ちなみに私自身も出席する余裕はまるで無く、お決まりの振袖はカメラに化けたし、どういう手違いだったのか式の招待状すら届かなかったというひがみもあるのかもしれませんが、地方自治体の負担軽減のためにも、いっそこのような式典は廃止した方がいいように思います。
そういえばちょうど10歳になる小学4年生のために「二分の一成人式」と称してお祝いをする小学校がちらほら見受けられますが、比較してみると10歳のほうが大人びて見えるのはなぜでしょうね。
こんなイジワルな意見は少数派だとは思いますが、ともあれ、成人式が決まった日でなくなってからこっち、全体的に薄味になった感は否めません。ついでに言えば、お年玉付き年賀ハガキの抽選日が同じく15日でなくなって、今年は何と25日とか・・・いつまでもハガキが片付けられないというのも困ったことの一つです。
2009年01月01日
2009年の幕開け
雪の元旦です。

それでも寒さがそれほど感じられないのは、5人家族が勢ぞろいした暖かさでしょうか。
今年のおせちも例年通りのメニュー、黒豆だけは生協の出来合いを頼みましたが、あとはほぼ手作りで仕上げることができました。
本来は重箱に詰めておくものなのでしょうが、冷蔵庫に納める関係もあって、実家で慣れ親しんだやり方の、あらかじめ取り分けて盛り付けておくカタチです。冷酒で乾杯し、お雑煮の温かさが嬉しい元旦の御膳をいただいたあとは、年賀状や新聞をてんでに見たり、カルタや三次元四目並べなどの素朴な遊びに興じたりしながらダラダラと過ごし、昼時になるとわいわい言いながらお餅を焼いて、ビールにとっておきのハムやチーズなど、あまり伝統的でない取り合わせの昼食、そして炬燵でテレビなど見ながらうたた寝・・・なんとも長閑なお正月です。
正月休み中に、皆それぞれ別の計画もあるらしく、明日には帰ってしまうので、時間が過ぎるのがもったいないような、それでいていつまでもただぼんやりと時間を過ごしたいような、いささか矛盾した気持ちですが、遠いところをいろいろやりくりして5人が顔を揃えることができただけでも嬉しいことです。

この先、息子たちが結婚してそれぞれ家族が増えれば、こうやって家族5人が集まることも難しくなるのかもしれません。
午前中うっすらと積もっていた雪はどうやら上がったようで、明日の出発がそれぞれ順調に行けば申し分ないというところです。
それでも寒さがそれほど感じられないのは、5人家族が勢ぞろいした暖かさでしょうか。
今年のおせちも例年通りのメニュー、黒豆だけは生協の出来合いを頼みましたが、あとはほぼ手作りで仕上げることができました。
本来は重箱に詰めておくものなのでしょうが、冷蔵庫に納める関係もあって、実家で慣れ親しんだやり方の、あらかじめ取り分けて盛り付けておくカタチです。冷酒で乾杯し、お雑煮の温かさが嬉しい元旦の御膳をいただいたあとは、年賀状や新聞をてんでに見たり、カルタや三次元四目並べなどの素朴な遊びに興じたりしながらダラダラと過ごし、昼時になるとわいわい言いながらお餅を焼いて、ビールにとっておきのハムやチーズなど、あまり伝統的でない取り合わせの昼食、そして炬燵でテレビなど見ながらうたた寝・・・なんとも長閑なお正月です。
正月休み中に、皆それぞれ別の計画もあるらしく、明日には帰ってしまうので、時間が過ぎるのがもったいないような、それでいていつまでもただぼんやりと時間を過ごしたいような、いささか矛盾した気持ちですが、遠いところをいろいろやりくりして5人が顔を揃えることができただけでも嬉しいことです。
この先、息子たちが結婚してそれぞれ家族が増えれば、こうやって家族5人が集まることも難しくなるのかもしれません。
午前中うっすらと積もっていた雪はどうやら上がったようで、明日の出発がそれぞれ順調に行けば申し分ないというところです。
2008年12月31日
大晦日の仕事
さていよいよ今年も終わりです。
毎年おせち料理と共に鍋にいっぱいのおでんを作るのが我が家の伝統となっていて、もうすでに大根や厚揚げなど味のしみ込みにくい具は鍋の中に沈んでいますが、今日は一番手のかかる巾着を仕上げました。
今日は息子たちも3人揃い、長男は台所を片付け、床をすっかり拭き上げてくれ、次男は昨日の洗車に続いてお風呂場の掃除もこなし、今朝、一番最後に到着の三男も、二日酔いを押して窓や網戸の掃除をしてくれました。
今年は上の二人が結婚相手を決めるという大きな出来事がありましたし、私自身の出来事としては、一時期に3つもの舞台の実行委員として企画を担当し、中でも年末に開催の混声合唱団の定期演奏会はかなりの大仕事でありましたから、つい家の仕事がおろそかになったりもしましたが、どうやら体調を崩すことも無く、大きな障害も無くやってこれたのは幸運でした。
世界的な不況や原油高などで経済的には楽ではなかったものの、子どもたちの学費で苦労した時期に比べれば楽なものです。
同じ年頃の女性たちを見ると、経済的にたいへんな状況であったり、親の介護で苦労したり、自分や配偶者の病気に悩んだりという、様々な悩みを抱えている方も多く、こんな風に好きなことに全力投球できる環境が与えられていることは、たいへんな幸運と言えましょう。

巾着の口を一つひとつ干瓢で括りながら、来年もこんな風に平和に心安らかに過ごすことが出来るよう祈りました。
毎年おせち料理と共に鍋にいっぱいのおでんを作るのが我が家の伝統となっていて、もうすでに大根や厚揚げなど味のしみ込みにくい具は鍋の中に沈んでいますが、今日は一番手のかかる巾着を仕上げました。
今日は息子たちも3人揃い、長男は台所を片付け、床をすっかり拭き上げてくれ、次男は昨日の洗車に続いてお風呂場の掃除もこなし、今朝、一番最後に到着の三男も、二日酔いを押して窓や網戸の掃除をしてくれました。
今年は上の二人が結婚相手を決めるという大きな出来事がありましたし、私自身の出来事としては、一時期に3つもの舞台の実行委員として企画を担当し、中でも年末に開催の混声合唱団の定期演奏会はかなりの大仕事でありましたから、つい家の仕事がおろそかになったりもしましたが、どうやら体調を崩すことも無く、大きな障害も無くやってこれたのは幸運でした。
世界的な不況や原油高などで経済的には楽ではなかったものの、子どもたちの学費で苦労した時期に比べれば楽なものです。
同じ年頃の女性たちを見ると、経済的にたいへんな状況であったり、親の介護で苦労したり、自分や配偶者の病気に悩んだりという、様々な悩みを抱えている方も多く、こんな風に好きなことに全力投球できる環境が与えられていることは、たいへんな幸運と言えましょう。
巾着の口を一つひとつ干瓢で括りながら、来年もこんな風に平和に心安らかに過ごすことが出来るよう祈りました。
2008年12月28日
篤姫
NHKの大河ドラマ、最近は潤沢な費用を惜しみなく使い、オールスター総出演の絢爛豪華・贅沢さばかりが鼻について、あまり見たいとも思わなかったのですが、今回の「篤姫」には嵌りました。両親とも鹿児島出身である私は、前半の薩摩を舞台にした部分では薩摩訛りが懐かしく、江戸に入った頃から後半あたりでは物語の面白さにぐいぐい引き込まれた感じでした。
今年3月に観光ボランティアガイドの九州大会では、篤姫人気で鹿児島のガイドさんたちがたいへん盛り上がっていたし、鹿児島市の港に近いドルフィンポートに開設された「篤姫館」では連日観光客が押し寄せ、11月で入場者が50万人を突破したとのことで、あまりの人気に、篤姫の実家に近い指宿にも温泉施設内に急遽「いぶすき篤姫館」を開設したほどだそうです。
大河ドラマの多くが男性中心の物語であったのに対し、江戸から明治にかけての激動の歴史の中で、篤姫という、これまであまり注目されてこなかったヒロインに光を当て、女性の視点から物語を構築しているあたり、今の時代にぴったりだったのでしょう。若い視聴者の興味をそそるためか、いやに現代風な物腰や話の作りに違和感を覚えるところも無きにしも非ずでしたが、これまで徳川十三代将軍家定については、人物評があまり芳しくなかったものを、堺雅人という魅力的な配役で、表向き無能な人物を装い、実はたいへん知的で素晴らしい人物という設定にしてあったのも興味深いところです。
本編は12月半ばで感動の最終回をビデオに録画して名残惜しく見た上に、今夜まで3夜連続で放映された「篤姫・総集編」、年末の忙しい折にもかかわらず、ついじっくりと見入ってしまいました。
今年3月に観光ボランティアガイドの九州大会では、篤姫人気で鹿児島のガイドさんたちがたいへん盛り上がっていたし、鹿児島市の港に近いドルフィンポートに開設された「篤姫館」では連日観光客が押し寄せ、11月で入場者が50万人を突破したとのことで、あまりの人気に、篤姫の実家に近い指宿にも温泉施設内に急遽「いぶすき篤姫館」を開設したほどだそうです。
大河ドラマの多くが男性中心の物語であったのに対し、江戸から明治にかけての激動の歴史の中で、篤姫という、これまであまり注目されてこなかったヒロインに光を当て、女性の視点から物語を構築しているあたり、今の時代にぴったりだったのでしょう。若い視聴者の興味をそそるためか、いやに現代風な物腰や話の作りに違和感を覚えるところも無きにしも非ずでしたが、これまで徳川十三代将軍家定については、人物評があまり芳しくなかったものを、堺雅人という魅力的な配役で、表向き無能な人物を装い、実はたいへん知的で素晴らしい人物という設定にしてあったのも興味深いところです。
本編は12月半ばで感動の最終回をビデオに録画して名残惜しく見た上に、今夜まで3夜連続で放映された「篤姫・総集編」、年末の忙しい折にもかかわらず、ついじっくりと見入ってしまいました。
2008年12月25日
戸棚の隅の宝物
人並みに年末の大掃除をしようと手を付けかけたのですが、何しろ普段の行いがすこぶるよろしくないもので、一つ所を片付けるのに別の場所を片付けねばならず、そちらに取り掛かるとまたさらに別の場所が塞がっていて・・・といった具合で、全く始末に負えません。
今日も溜まっていた古新聞を片付けたくらいで、あとは全く成果が見えないのですが、そうした中で一つ、宝物の発掘に至りました。天井へ通じる天袋にクリスマス用品の片づけをしようと思い、ついでに奥のほうにあった内容不明のクッキー缶を開けてみたところ、なんと箱いっぱいの大量の切手、埋蔵金ならぬ埋蔵切手とでも呼びましょうか。

子どもの頃から切手収集癖はありましたが、これは自分で集めたものではなく、おまけに半分以上は未使用です。年代も古く、封書が10円の時代のものや、復帰前の沖縄から送られたらしいセントという単位の切手まであり、これには63年5月12日、琉球・那覇の消印がアルファベットで押されて、裏面には文章が綴られているので、おそらく沖縄本島に住んでいた親戚からの簡易書簡のようなもののようです。それらを眺めながらつらつら考えてみると、これはおそらく母のコレクションで、もう邪魔だから貰ってくれとか何とか言われたものではないかと思われます。情けないことに全く記憶にはありませんが・・・。
新しいものでは皇太子ご成婚記念切手や「ふみの日」記念切手、それに歴代のお年玉切手がずらっと揃っていて壮観です。そしてどうやって紛れ込んだのか小さく折りたたまれた百円札が2枚、今ではすっかり値打ちを落とした百円も、板垣退助の肖像画入り紙幣となると多少なりとも威厳があります。しかしこれをどこかに持っていって換金したところでたいした財にもなるまいし、使うにしても7円とか41円、62円などという半端な額面の切手は使いづらいもので、いっそ社会福祉協議会の窓口に持っていって、少しばかりの役に立てていただこうかと思案中です。
今日も溜まっていた古新聞を片付けたくらいで、あとは全く成果が見えないのですが、そうした中で一つ、宝物の発掘に至りました。天井へ通じる天袋にクリスマス用品の片づけをしようと思い、ついでに奥のほうにあった内容不明のクッキー缶を開けてみたところ、なんと箱いっぱいの大量の切手、埋蔵金ならぬ埋蔵切手とでも呼びましょうか。
子どもの頃から切手収集癖はありましたが、これは自分で集めたものではなく、おまけに半分以上は未使用です。年代も古く、封書が10円の時代のものや、復帰前の沖縄から送られたらしいセントという単位の切手まであり、これには63年5月12日、琉球・那覇の消印がアルファベットで押されて、裏面には文章が綴られているので、おそらく沖縄本島に住んでいた親戚からの簡易書簡のようなもののようです。それらを眺めながらつらつら考えてみると、これはおそらく母のコレクションで、もう邪魔だから貰ってくれとか何とか言われたものではないかと思われます。情けないことに全く記憶にはありませんが・・・。
新しいものでは皇太子ご成婚記念切手や「ふみの日」記念切手、それに歴代のお年玉切手がずらっと揃っていて壮観です。そしてどうやって紛れ込んだのか小さく折りたたまれた百円札が2枚、今ではすっかり値打ちを落とした百円も、板垣退助の肖像画入り紙幣となると多少なりとも威厳があります。しかしこれをどこかに持っていって換金したところでたいした財にもなるまいし、使うにしても7円とか41円、62円などという半端な額面の切手は使いづらいもので、いっそ社会福祉協議会の窓口に持っていって、少しばかりの役に立てていただこうかと思案中です。
2008年12月24日
クリスマスからお正月へ
うかうかと日々を過ごすうちに今年もいよいよ大詰めとなってきました。
クリスマスも若い頃は何とはなしに華やいでウキウキとした気分だったのに、いつしか子どもたちのためのイベントの日となり、そのうちそんな時期も過ぎてしまい、今はほとんど「蚊帳の外」、何の関わりもなくなってしまったというのは寂しい気がします。
今日は前から頼まれていた羽子板の絵付けに精を出しました。これは毎年お正月の休みに、子どもたちには昭和のにおいたっぷりの素朴な遊びに興じてもらい、ついでに大人もノスタルジーに浸ってもらおうという「昭和おもしろ遊び塾」というイベントの中で、希望者を募って羽子板に絵付けをしてもらうためのサンプルです。昨年描いたネズミの絵柄は、他に描く柄が思い浮かばずに、それを真似して描いてしまう子供も何人かいて、下手にサンプルなんか置くとかえってまずいかなとも思ったのですが、色を塗る時の説明にも必要だし、他でも頼まれたので今年も準備しました。

丑、すなわち牛というのは実に地味な絵柄で、動きもいまいち鈍重な生き物ですから、擬人化してみてもあまり派手にはならないものです。体の色もモノクロであまりおめでたい色合いではないのですが、幸い昔から赤ベコという郷土玩具がありますので、そのあたりも参考にしてみました。
そうこうするうちに「年賀状は25日までに出しましょう」なんてコマーシャルでせっつかれて、我が家の年賀状のデザインも締め切りが迫っています。去年の暮れには「来年こそこんなに慌てなくて済むよう、早めにデザインを考えよう」と誓ったはずですが・・・こんな風にしてモタモタと人生は続くのでしょう。
クリスマスも若い頃は何とはなしに華やいでウキウキとした気分だったのに、いつしか子どもたちのためのイベントの日となり、そのうちそんな時期も過ぎてしまい、今はほとんど「蚊帳の外」、何の関わりもなくなってしまったというのは寂しい気がします。
今日は前から頼まれていた羽子板の絵付けに精を出しました。これは毎年お正月の休みに、子どもたちには昭和のにおいたっぷりの素朴な遊びに興じてもらい、ついでに大人もノスタルジーに浸ってもらおうという「昭和おもしろ遊び塾」というイベントの中で、希望者を募って羽子板に絵付けをしてもらうためのサンプルです。昨年描いたネズミの絵柄は、他に描く柄が思い浮かばずに、それを真似して描いてしまう子供も何人かいて、下手にサンプルなんか置くとかえってまずいかなとも思ったのですが、色を塗る時の説明にも必要だし、他でも頼まれたので今年も準備しました。
丑、すなわち牛というのは実に地味な絵柄で、動きもいまいち鈍重な生き物ですから、擬人化してみてもあまり派手にはならないものです。体の色もモノクロであまりおめでたい色合いではないのですが、幸い昔から赤ベコという郷土玩具がありますので、そのあたりも参考にしてみました。
そうこうするうちに「年賀状は25日までに出しましょう」なんてコマーシャルでせっつかれて、我が家の年賀状のデザインも締め切りが迫っています。去年の暮れには「来年こそこんなに慌てなくて済むよう、早めにデザインを考えよう」と誓ったはずですが・・・こんな風にしてモタモタと人生は続くのでしょう。
2008年12月18日
キヤノンショック
波佐見に出来つつある工業団地に世界的な精密機械メーカーであるキヤノンが来てくれるというのは、この不況時に願ってもない救世主と町民挙げて大喜びしたものでしたが、長引く世界的な不況で車や精密機械など高額な輸出品の売れ行きが鈍り、これまで優良であった大企業からさえ具体的な減産や人員削減などの数字が相次いで出されるに至り、この分では工業団地の話もそうトントン拍子には行かないのではという空気はあったので、キヤノン工場建設と操業開始の延期という衝撃的なニュースにも「やっぱり・・」と納得せざるを得ないといったところでしょうか。まあ、中止ではないということで、工業団地や周辺道路の整備などの工事は、まるで何事もなかったかのように、今日も槌音は続いているものの、雇用の人数も最初の計画から大幅に削減されることでしょうし、住宅建設や店舗の進出などにはかなり影響が出そうです。大分ではキヤノンを解雇された契約社員のために、自治体が一時的に雇用したり、社員寮を確保したりと、フォローに腐心しているようですが、この寒空に突然解雇された人たちは、どれほど心細いことでしょう。
一昔前は終身雇用が当たり前で、他にいい条件の仕事があるからといってそうやすやすと職場を変えるということはなかったように思いますが、バブルのあとあたりから、自分の能力を活かせる環境を求めて職場を気軽に渡り歩く、「派遣社員」という働き方がもてはやされたものでした。しかしこんなに不況が続くと、この派遣社員という立場はじつに不安定で、企業にとっては状況に応じて使い捨てしやすい便利なツールになってしまったようです。
波佐見の陶磁器業界も苦しい経営であることには変りありませんが、少なくとも突然の解雇はないだろうし、安くとも毎月の給料があるというのは、こんな時代の中では意外と幸せなことなのかもしれません。
一昔前は終身雇用が当たり前で、他にいい条件の仕事があるからといってそうやすやすと職場を変えるということはなかったように思いますが、バブルのあとあたりから、自分の能力を活かせる環境を求めて職場を気軽に渡り歩く、「派遣社員」という働き方がもてはやされたものでした。しかしこんなに不況が続くと、この派遣社員という立場はじつに不安定で、企業にとっては状況に応じて使い捨てしやすい便利なツールになってしまったようです。
波佐見の陶磁器業界も苦しい経営であることには変りありませんが、少なくとも突然の解雇はないだろうし、安くとも毎月の給料があるというのは、こんな時代の中では意外と幸せなことなのかもしれません。
2008年12月15日
旅の始まりは・・
たった二日間だけど、関東方面に所用で出かけました。
福岡空港までの高速バスは充分なゆとりを持とうと早めの時間を予約しておいたのですが、バスに乗り込むと「日中韓首脳会談のため、高速道路が封鎖になり、到着時間が遅れることが予想されます」とのアナウンスに、朝の新聞記事の見出しが頭に浮かびました。それでも空港での待ち時間は2時間以上見てあったから、多少遅れても影響はなかろうと高をくくっていたのですが、福岡県内に入ったあたりからパトカーや警察官らしき姿が見え始め、ひどく物々しい感じで、都市高速に入ろうかというところでちょうど交通規制が始まったらしく、警察官が都市高速入口に道路封鎖のバリケードを設置していて、車はすべて一般道に誘導され、それからは延々と、歩いた方が早いくらいのノロノロ運転、まるで駐車場のような状態になってきました。空港はもうそこまでなのに時間ばかりが過ぎてしまい、通常なら1時間15分ほどで着くはずが、2時間近くかかってようやくたどり着いたという具合です。高速バスは国際線ターミナルに到着するので、降りたあと急いでシャトルバスで国内線ターミナルまで移動して、同行する息子たちと落ち合い、何とか予約した便に滑り込みセーフでしたが、空港の片隅にはすでに、航空会社の名前の代わりに「日本国」と書かれた政府専用機が降り立ち、総理や中国、韓国の要人たちは会議の開かれる九州国立博物館に向かった後のようで、離陸したあと下を見ると、見事に何も走っていない空っぽの高速道路が長々と延びているのが見えました。
そんな旅の始まりで、どうなることかと先が案じられたものの、旅先では楽しいことばかりで、目まぐるしくもぎゅっと楽しさが凝縮されたよう、大切な人たちとのひとときもあり、貴重な経験もあり、素晴らしいものもたくさん目にしてきました。

これから少しずつそれらの思い出を希釈して、もういちどじっくり味わってみたいと思います。
ちなみに写真は空港ビルの蕎麦屋でYちゃんが食べた、その名も「羽田そば」です。
福岡空港までの高速バスは充分なゆとりを持とうと早めの時間を予約しておいたのですが、バスに乗り込むと「日中韓首脳会談のため、高速道路が封鎖になり、到着時間が遅れることが予想されます」とのアナウンスに、朝の新聞記事の見出しが頭に浮かびました。それでも空港での待ち時間は2時間以上見てあったから、多少遅れても影響はなかろうと高をくくっていたのですが、福岡県内に入ったあたりからパトカーや警察官らしき姿が見え始め、ひどく物々しい感じで、都市高速に入ろうかというところでちょうど交通規制が始まったらしく、警察官が都市高速入口に道路封鎖のバリケードを設置していて、車はすべて一般道に誘導され、それからは延々と、歩いた方が早いくらいのノロノロ運転、まるで駐車場のような状態になってきました。空港はもうそこまでなのに時間ばかりが過ぎてしまい、通常なら1時間15分ほどで着くはずが、2時間近くかかってようやくたどり着いたという具合です。高速バスは国際線ターミナルに到着するので、降りたあと急いでシャトルバスで国内線ターミナルまで移動して、同行する息子たちと落ち合い、何とか予約した便に滑り込みセーフでしたが、空港の片隅にはすでに、航空会社の名前の代わりに「日本国」と書かれた政府専用機が降り立ち、総理や中国、韓国の要人たちは会議の開かれる九州国立博物館に向かった後のようで、離陸したあと下を見ると、見事に何も走っていない空っぽの高速道路が長々と延びているのが見えました。
そんな旅の始まりで、どうなることかと先が案じられたものの、旅先では楽しいことばかりで、目まぐるしくもぎゅっと楽しさが凝縮されたよう、大切な人たちとのひとときもあり、貴重な経験もあり、素晴らしいものもたくさん目にしてきました。
これから少しずつそれらの思い出を希釈して、もういちどじっくり味わってみたいと思います。
ちなみに写真は空港ビルの蕎麦屋でYちゃんが食べた、その名も「羽田そば」です。
2008年12月08日
編み物
昼頃から降りだした冷たい雨が12月の寒さをいっそうつのらせ、できることなら外出は控えて、じっと家の中で過ごしたくなります。そんなとき、赤々と燃えるストーブの前に座り込んで、色とりどりの毛糸を編むというのは、昔から女性にとってたいへん楽しみな時間と言えましょう。
若い頃、手芸糸の販売会社に勤務していたこともあって、編み物は得意なのですが、それよりずっと前、まだ小さい子どもだった頃から、母が編み物をする傍で、残り毛糸をもらっては見よう見まねで編んでいたものです。一番初めに覚えたのが、編み棒の先に鉤が付いたかぎ針を使って鎖を編むこと。三つ編みのような形になった鎖が長く編めたら、今度はそこから目を拾って細編みというのを編んでゆくと、だんだん四角いモチーフが出来上がってきます。母のようにきれいに目が揃ってはいないものの、自分にも何かしら形になるものが編めるのだということが無性に嬉しかったものです。そのうちに丸く編むことや配色を変えること、模様編みなども覚えて、マフラーくらいなら作れるようになるとだんだん欲が出てきて、本格的な棒針編みやアフガン編みなどにも挑戦し、しまいには機械編みまでやってみたものでした。
しかし、まるで手編みのように見えても、実は機械で大量に作られるセーターなどが安く出回るようになってきて、一時は「もう手編みのセーターなんて流行らない」とかつての上司が嘆いていたほど手芸糸の売れ行きが落ち込んだこともありましたが、最近また手編みの素朴さが見直されてきたようで、特に素朴なかぎ針編みのモチーフつなぎが人気らしく、小物などの作り方が掲載された本もたくさん出回っています。
昔は毛糸も貴重でしたから、着なくなったセーターもほどいて編みなおしたもので、そんな時、編みぐせがついてインスタントラーメンみたいになった毛糸を、やかんの湯気で蒸らしてまっすぐにするための器具もあり、よく手伝いをさせられたものです。
今は流行おくれだとか、ちょっと虫食いの穴があいたとかで、あっさりと捨ててしまいますが、あんな風に素材を最後まで大切に使いきる暮らしというのは、つつましく美しいものです。
若い頃、手芸糸の販売会社に勤務していたこともあって、編み物は得意なのですが、それよりずっと前、まだ小さい子どもだった頃から、母が編み物をする傍で、残り毛糸をもらっては見よう見まねで編んでいたものです。一番初めに覚えたのが、編み棒の先に鉤が付いたかぎ針を使って鎖を編むこと。三つ編みのような形になった鎖が長く編めたら、今度はそこから目を拾って細編みというのを編んでゆくと、だんだん四角いモチーフが出来上がってきます。母のようにきれいに目が揃ってはいないものの、自分にも何かしら形になるものが編めるのだということが無性に嬉しかったものです。そのうちに丸く編むことや配色を変えること、模様編みなども覚えて、マフラーくらいなら作れるようになるとだんだん欲が出てきて、本格的な棒針編みやアフガン編みなどにも挑戦し、しまいには機械編みまでやってみたものでした。
しかし、まるで手編みのように見えても、実は機械で大量に作られるセーターなどが安く出回るようになってきて、一時は「もう手編みのセーターなんて流行らない」とかつての上司が嘆いていたほど手芸糸の売れ行きが落ち込んだこともありましたが、最近また手編みの素朴さが見直されてきたようで、特に素朴なかぎ針編みのモチーフつなぎが人気らしく、小物などの作り方が掲載された本もたくさん出回っています。
昔は毛糸も貴重でしたから、着なくなったセーターもほどいて編みなおしたもので、そんな時、編みぐせがついてインスタントラーメンみたいになった毛糸を、やかんの湯気で蒸らしてまっすぐにするための器具もあり、よく手伝いをさせられたものです。
今は流行おくれだとか、ちょっと虫食いの穴があいたとかで、あっさりと捨ててしまいますが、あんな風に素材を最後まで大切に使いきる暮らしというのは、つつましく美しいものです。

