2009年05月08日
さわやかな外国人
先日神宮外苑のレストランで友人と食事をした。何年も同じレストランだが、すっかり模様替えがしてあっていつもの席がない。話ができる場所を選んでテラスのテーブルへ座る。まもなく隣へ白人男性が来て座った。メニューを見て注文しているのは英語である。
私たちのテーブルにスープが来たので、濡れナプキンを使って入っていたポリ袋とともに置く。話をしている途中で、何気なくナプキンを手に取った途端、ポリ袋が風で飛んでテーブルの脇に落ちた。慌てて立ち上がって取ろうとしたら、それより早く隣の外人が立ち上がって拾い、にっこり笑いながら手渡してくれた。私は流暢な日本語で丁寧に礼を言って受け取った。スーツ姿の40代ぐらいの男性。さわやかな行動である。日本人だったら多分こんなことをしないかもしれない。漠然とだがそう思った。
この春、中央線特急あずさの指定席に座っていたときもこんなことがあった。途中駅で後方から乗って来た外国人が、後ろの席の私にまっすぐ向いて日本語で「席を少し倒してもいいですか」と聞いた。「ええ、どうぞ」と答えたら、にっこりして少しだけ傾けた。その後彼はパソコンをしていたようなので、ビジネスマンだったのだろう。
言っては悪いけれど、日本人にこんな風に言われた経験がない。多分気持ちはあっても照れがあるのだろう。席を譲る気持ちはあるがどうぞとさわやかに譲れない。先日も青年がもぞもぞと白髪の老人に席を譲っていた。
核家族の家庭と学校だけで育ち、地域や昔で言えばお寺、外国では教会など社会性を養う機会が少ない今の日本社会。一人ひとりの努力を超えた何かが不足している。人間の基本的な力を高める必要があるように思えてならない。
私たちのテーブルにスープが来たので、濡れナプキンを使って入っていたポリ袋とともに置く。話をしている途中で、何気なくナプキンを手に取った途端、ポリ袋が風で飛んでテーブルの脇に落ちた。慌てて立ち上がって取ろうとしたら、それより早く隣の外人が立ち上がって拾い、にっこり笑いながら手渡してくれた。私は流暢な日本語で丁寧に礼を言って受け取った。スーツ姿の40代ぐらいの男性。さわやかな行動である。日本人だったら多分こんなことをしないかもしれない。漠然とだがそう思った。
この春、中央線特急あずさの指定席に座っていたときもこんなことがあった。途中駅で後方から乗って来た外国人が、後ろの席の私にまっすぐ向いて日本語で「席を少し倒してもいいですか」と聞いた。「ええ、どうぞ」と答えたら、にっこりして少しだけ傾けた。その後彼はパソコンをしていたようなので、ビジネスマンだったのだろう。
言っては悪いけれど、日本人にこんな風に言われた経験がない。多分気持ちはあっても照れがあるのだろう。席を譲る気持ちはあるがどうぞとさわやかに譲れない。先日も青年がもぞもぞと白髪の老人に席を譲っていた。
核家族の家庭と学校だけで育ち、地域や昔で言えばお寺、外国では教会など社会性を養う機会が少ない今の日本社会。一人ひとりの努力を超えた何かが不足している。人間の基本的な力を高める必要があるように思えてならない。
2009年05月04日
伸び伸びと (アメリカの少年野球)
アメリカに住んでいた知人M氏のエッセイが素晴らしいので次に引用させていただく。子供をこんな風に育てるアメリカ社会は草の根から素晴らしい。
野球といえばアメリカが世界一である。
小学校に入っている男の子のすべてに、地域の野球チームへの誘いがあり、ほとんどの子供が入団する。
アメリカだから子供達もさぞ上手だろうと思っていたら、これがまあ下手。考えてみればアメリカ人だろうと日本人だろうと初めから上手なわけはない。
その年はじめて入ったらしい子など、ヘルメットに埋もれて身に余るバットを振り回している姿は可愛いが、どうなるかと思うばかりだ。
練習はほとんど試合形式。
ノック何回などというやり方は必要最低限。
おまけに何でも褒める。三振しても、振り方が素晴らしいとなる。
言われてみれば、振り方は悪くない・・・・あとは当てるだけだ。
試合ともなれば、まずアメリカ国歌が流れる。
応援は一家総出だ。
町々に野球場があり夜間照明つきで、かならずホットドック売り場がある。
ホットドックは父母が作り売る。
応援はホットドックを食べつつ、失敗しても、「次があるぞ」とか「気にするな」などと声をかけ、ホームランを打とうものなら「英雄だ」と声がかかり、口笛が吹かれる。
子供達はいつのまにか伸び伸びとおもしろいように上手になる。
細かいことは言わないのでそれぞれ投げ方も打ち方も個性的だ。
我が子が入ったチームはグラトー(葬儀屋の名前)。
わがグラトーもぐんぐん強くなり、宿敵ドナピザ(ピザ屋の名前)と優勝決定戦となる。
煌々と照明がつく中、延長また延長と戦ったが、ついに敗れた。
子供達は涙を流し来年こしそは「打倒 ドナピザ!」と誓いあった。
そして敗因はドナピザの練習後のピザにあるとくやしがったのだった。ちなみにドナピザのピザはなかなかの味。
ヤンキースの試合を見にゆけば、そのスピード、迫力、華麗な守備とさすが大リーグだった。
だが我が野球チーム、グラトーも野球の楽しさや熱の入れ方の迫力は同じ。
そしてグラトーのようなチームがアメリカの津津浦浦にあるからこそ、あの世界一の大リーグがあるのだと思う。
(M氏のアメリカ滞在は昭和61年からの2年間)
野球といえばアメリカが世界一である。小学校に入っている男の子のすべてに、地域の野球チームへの誘いがあり、ほとんどの子供が入団する。
アメリカだから子供達もさぞ上手だろうと思っていたら、これがまあ下手。考えてみればアメリカ人だろうと日本人だろうと初めから上手なわけはない。
その年はじめて入ったらしい子など、ヘルメットに埋もれて身に余るバットを振り回している姿は可愛いが、どうなるかと思うばかりだ。
練習はほとんど試合形式。
ノック何回などというやり方は必要最低限。
おまけに何でも褒める。三振しても、振り方が素晴らしいとなる。
言われてみれば、振り方は悪くない・・・・あとは当てるだけだ。
試合ともなれば、まずアメリカ国歌が流れる。
応援は一家総出だ。
町々に野球場があり夜間照明つきで、かならずホットドック売り場がある。
ホットドックは父母が作り売る。
応援はホットドックを食べつつ、失敗しても、「次があるぞ」とか「気にするな」などと声をかけ、ホームランを打とうものなら「英雄だ」と声がかかり、口笛が吹かれる。
子供達はいつのまにか伸び伸びとおもしろいように上手になる。
細かいことは言わないのでそれぞれ投げ方も打ち方も個性的だ。
我が子が入ったチームはグラトー(葬儀屋の名前)。
わがグラトーもぐんぐん強くなり、宿敵ドナピザ(ピザ屋の名前)と優勝決定戦となる。
煌々と照明がつく中、延長また延長と戦ったが、ついに敗れた。
子供達は涙を流し来年こしそは「打倒 ドナピザ!」と誓いあった。
そして敗因はドナピザの練習後のピザにあるとくやしがったのだった。ちなみにドナピザのピザはなかなかの味。
ヤンキースの試合を見にゆけば、そのスピード、迫力、華麗な守備とさすが大リーグだった。
だが我が野球チーム、グラトーも野球の楽しさや熱の入れ方の迫力は同じ。
そしてグラトーのようなチームがアメリカの津津浦浦にあるからこそ、あの世界一の大リーグがあるのだと思う。
(M氏のアメリカ滞在は昭和61年からの2年間)
2008年12月04日
赤ちゃんに手を添えて!
ここは比較的新しい町なので若い人が多く住み、小さい子を連れたり、赤ちゃんを抱いたお母さんとよく出会う。最近近くに、母と子の遊び場が行政によって作られ、そこへ来るお母さんたちも多い。こういう支援は以前は無かった。福祉が高齢者だけでなく子育て世代にも目を向けてきたのである。近所に住む若い人たちが家の中でひっそり子育てをしているのではなく、そこへ出て行き、仲間や子育ての専門家とも触れ合っていると思うだけでこちらも安心である。
ところで、最近は寒くなったのであまり目に付かないが、薄着の頃の赤ちゃんを抱っこするお母さんの様子に少し不安を覚えるのは私だけかしら。最近は抱っこスタイルもさまざまで、すっぽり布に入るようなスタイルもあり、また抱っこのための道具もいろいろ。それはいいのだが、抱っこのお母さんの手が赤ちゃんに添えられていないことがある。手を添えなくても大丈夫なようになっているとはいえ、添えているお母さんの手には赤ちゃんも安心するのではないだろうか。見る方も安心だ。上の子の手を引いたり、荷物があってできない場合もあるけれど、やはり手を添えたいものだと思う。
何事にも前向きで積極的な若い人たちにはいろいろ学ぶことが多く、子供の育て方にも感心することが多い。いざという時のことばかり思うのは年を取った証拠ではあるが、一言書いてみた次第。
ところで、最近は寒くなったのであまり目に付かないが、薄着の頃の赤ちゃんを抱っこするお母さんの様子に少し不安を覚えるのは私だけかしら。最近は抱っこスタイルもさまざまで、すっぽり布に入るようなスタイルもあり、また抱っこのための道具もいろいろ。それはいいのだが、抱っこのお母さんの手が赤ちゃんに添えられていないことがある。手を添えなくても大丈夫なようになっているとはいえ、添えているお母さんの手には赤ちゃんも安心するのではないだろうか。見る方も安心だ。上の子の手を引いたり、荷物があってできない場合もあるけれど、やはり手を添えたいものだと思う。
何事にも前向きで積極的な若い人たちにはいろいろ学ぶことが多く、子供の育て方にも感心することが多い。いざという時のことばかり思うのは年を取った証拠ではあるが、一言書いてみた次第。
2008年12月01日
「ご安心ください」の安心
息子達が結婚してからそれぞれの相手と私の間でメールのやり取りが多い。特に遠方の息子一家とは会う回数が少ない分、メールも手紙もよく貰う。そこによく書いてあるのが「・・さんは元気で働いていますのでご安心ください」という言葉。
彼女にしたら軽い気持ちで書いているのかもしれないのだが、この言葉に出会うと、初めて聞く言葉のようにいつもほっとする。
こんな言葉が書けるなんて若いのに彼女はなんて素敵なんだろうと感心してしまう。かつて同じように遠方だったつれあいの母親に、こんな言葉を書いたことがない私である。
若い人から教えられ、安心を貰っている日々に感謝である。

新しいブログを始め、このブログを閉じるつもりでした。でも更新しないのにもかかわらず、毎日沢山のアクセスをいただいています。写真の容量がいっぱい近くなりましたので、アップは難しいですが、日々の中で気がついたことを少しずつ書き続けたいと思います。またどうぞ宜しくお願いします。
(写真は横浜市金比羅大鳥神社の酉の市にて)
彼女にしたら軽い気持ちで書いているのかもしれないのだが、この言葉に出会うと、初めて聞く言葉のようにいつもほっとする。
こんな言葉が書けるなんて若いのに彼女はなんて素敵なんだろうと感心してしまう。かつて同じように遠方だったつれあいの母親に、こんな言葉を書いたことがない私である。
若い人から教えられ、安心を貰っている日々に感謝である。
新しいブログを始め、このブログを閉じるつもりでした。でも更新しないのにもかかわらず、毎日沢山のアクセスをいただいています。写真の容量がいっぱい近くなりましたので、アップは難しいですが、日々の中で気がついたことを少しずつ書き続けたいと思います。またどうぞ宜しくお願いします。
(写真は横浜市金比羅大鳥神社の酉の市にて)
2008年05月25日
薯苗植える
2008年05月23日
遠足は田んぼへ行こう
「ほら、見てごらん、アメンボがいるよ」
「ねえ、どうしてアメンボというか知ってる?それは飴の甘い匂いがするからアメンボなのよ」
近くを歩いていた夫婦が「そうなんだ、はじめて知ったわ」と感心している。私も数年前に知ったばかりだ。保育士さんは物知りである。
茅葺きの古い民家が残る庭で2,3歳の15人ぐらいの園児に保育士が二人ついている。
「さあ、これから家の中に入りますよ。この家はねえ・・・」といろいろ説明している。あちこち向いてちっとも話を聞いていない。わかったかなあと見ている方が心配。それが「さあ、お話わかりましたか?」と保育士さんが言うと「はあい」と返事の声が揃う。まるで条件反射である。それからも何度かかわいい声の「はあい」が聞こえてきた。
谷中の桐の花盛り。
2008年05月06日
コブクロ人気
昨夜テレビでスーパーライブコブクロを見た。彼らの人気の凄さが画面いっぱいに広がっていた。まだイントロでわかるほど聴きこんではいないが、素敵な歌声である。
実は今年の東京マラソンの日はコブクロコンサートのチケット発売の日だった。マラソンに出た息子から応援はいいからチケットを予約して欲しいと頼まれた。当日、受付時間に電話をかけはじめたが全くつながらない。短縮ダイヤルに登録し、家人にも協力してもらって携帯からもかけるが一度もつながらない。ようやくつながったと思ったら、チケットは完売しましたと言うアナウンスが流れてきた。
予想していたことではあるが、こんな電話をはじめてかけた家人の精神的な疲れは相当であった。そうしてはじめてコブクロ君の人気の凄さに目を開かれた我々である。その後、息子の車に乗せてもらうと流れてくる彼らの歌声に聞きほれている。コブクロ君これからも息長く歌い続けていってね。
実は今年の東京マラソンの日はコブクロコンサートのチケット発売の日だった。マラソンに出た息子から応援はいいからチケットを予約して欲しいと頼まれた。当日、受付時間に電話をかけはじめたが全くつながらない。短縮ダイヤルに登録し、家人にも協力してもらって携帯からもかけるが一度もつながらない。ようやくつながったと思ったら、チケットは完売しましたと言うアナウンスが流れてきた。
予想していたことではあるが、こんな電話をはじめてかけた家人の精神的な疲れは相当であった。そうしてはじめてコブクロ君の人気の凄さに目を開かれた我々である。その後、息子の車に乗せてもらうと流れてくる彼らの歌声に聞きほれている。コブクロ君これからも息長く歌い続けていってね。
2008年05月01日
版画美術館へ
「サイパンやパラオなど、今ではトロピカル・リゾートで人気の高いミクロネシアの島々に、大正から昭和初期にかけて、多くの日本人画家や彫刻家が訪れました。本展覧会はそうした美術家たちの作品を展示し、南洋の地で触発された表現の特質や、日本人の南への志向と美術や文化の形成との関わりなどについて探るものです。
日本は明治になると、「南進論」のかけ声とともにミクロネシアへと進出を開始します。やがてその広い海域を「南洋群島」と呼び、第一次世界大戦勃発と同時に占領、1921年には国際連盟の承認を得て統治し始めました。こうした南洋の島に、ゴーギャンのように文明からの解放を求めて、あるいは民族誌学的関心などから、多くの日本の画家や彫刻家が訪れています。」
ということで土方久功、杉浦佐助、儀間比呂志、赤松俊子(丸木俊 )や川端龍子の作品が展示されている。今まで殆ど知らないできた南洋群島のこと、そこでの創作活動について大変興味深い展覧会であった。原爆の図で知られる丸木俊(赤松俊子)の絵は後の美術活動へと発展していく精神性が既に内在している。
また出会いもあった。出品作品の最も多かったのは土方久功であるが、彼が挿絵を描いたという「ぶたぶたくんのおかいもの」(福音館)という絵本が展示してあった。これは息子達の小さい頃から我家にずっとあった絵本で、何度読んだことか。それをもとに学校で人形劇までしたことのある忘れもしない絵本だ。その挿絵が彼だったとは。目の前の南洋群島の絵とイメージが重ならないが、両方の底の方には細い糸が通じているのだろう。孫達にプレゼントしてしまったその絵本をもう一度読み返したくなった。
2008年04月18日
通院で思うこと
最近家人の整形外科通いに付き添っている。その日によって違うが先日ふと見た患者数は初診、再診とも200人弱、ほかに予約もある。家人は130番台だった。見ていると若い人や子供もいるがやはり高齢者が多い。いわゆる後期高齢者に該当する人が一番多いのではないだろうか。
今度の医療制度ではどうなるのだろう。かかりつけ医を決めても、内科で外科の診察はしてもらいたくないし、家人のように毎週している検査もどうなってしまうのだろうか。わからないことばかり。
今のように高齢者がすごい勢いで増え、多くの人が病院に通うようになれば、今の医療制度がやっていかれないのは目に見えている。若い世代に負担をかけ続けることはできない。やはり高齢者も経済面ばかりか、精神的にも何らかの負担をしなければならない時代が来たのだろう。
今、高齢社会の困難さがこうした形で我々に突きつけられているのである。何とかいい工夫がないものか国民全体で考えていかねばならない。もう少し前に考えねばならなかったのだろうが、将来までも見通し、提案するのはやはり政治であろう。今の困難を乗り越えるには、すべてに反対していても始まらない。お互いの持ついい智恵を出し合って欲しいものだ。いい政治家を育てるのは国民に突きつけられた大きな課題である。
今度の医療制度ではどうなるのだろう。かかりつけ医を決めても、内科で外科の診察はしてもらいたくないし、家人のように毎週している検査もどうなってしまうのだろうか。わからないことばかり。
今のように高齢者がすごい勢いで増え、多くの人が病院に通うようになれば、今の医療制度がやっていかれないのは目に見えている。若い世代に負担をかけ続けることはできない。やはり高齢者も経済面ばかりか、精神的にも何らかの負担をしなければならない時代が来たのだろう。
今、高齢社会の困難さがこうした形で我々に突きつけられているのである。何とかいい工夫がないものか国民全体で考えていかねばならない。もう少し前に考えねばならなかったのだろうが、将来までも見通し、提案するのはやはり政治であろう。今の困難を乗り越えるには、すべてに反対していても始まらない。お互いの持ついい智恵を出し合って欲しいものだ。いい政治家を育てるのは国民に突きつけられた大きな課題である。
2008年04月11日
「琥珀の中の昆虫」
森のどんぐり屋さんの奇蹟の出会い「琥珀の中の昆虫」という記事を見て驚いた。・・・樹木の樹脂の中に、長い長い時間を閉じ込められて、掘り起こされてこの世に再び姿を現した昆虫です。・・・がはっきりと見える。
我家にも友人のお母さんの形見としていただいた帯止めの琥珀がある。帯止めでは使わないのでペンダントに加工してもらって愛用している。どんぐり屋さんの記事を読んで、ルーペで覗いてみると昆虫らしきものが入っている。完全な形ではなく胴体と脚らしい。早速写真に撮ったが、接写が弱いのではっきりした写真をアップできない。
どんぐり屋さんは琥珀の中のみか、今回は浅蜊の中に入っていた小さなカニも見つけ出している。
昨日の桜ではないが、見えていながら観ていないことの多さに愕然とする私である。

我家にも友人のお母さんの形見としていただいた帯止めの琥珀がある。帯止めでは使わないのでペンダントに加工してもらって愛用している。どんぐり屋さんの記事を読んで、ルーペで覗いてみると昆虫らしきものが入っている。完全な形ではなく胴体と脚らしい。早速写真に撮ったが、接写が弱いのではっきりした写真をアップできない。
どんぐり屋さんは琥珀の中のみか、今回は浅蜊の中に入っていた小さなカニも見つけ出している。
昨日の桜ではないが、見えていながら観ていないことの多さに愕然とする私である。
2008年04月10日
自分の桜
我家から見える山桜が葉を出し始め、雨にけぶっている。これはまたなかなかの風情。
ところで以前、桜守り佐野藤右衛門さんの言葉「一本を自分の桜に決めて、花の時期だけやなしに見守ることや。それは人生を振り返る目安にもなる。」を取り上げたことがある。
それから私は毎日通る公園の枝垂桜を自分の桜と決めた。植えられたばかりの若木でこれからの成長が楽しみな桜だが、今年も見事な花を咲かせた。これが散るところも秋の紅葉も葉を落とした冬の木も見続けてきた。私は年をとるばかりだが、桜はこれから成長し、私がこの世から消えた後も毎年花を咲かせるに違いない。この若木を自分の桜と決めたことは良かったとつくづく思う。
動物園でも沢山の動物を漫然と見るのではなく、キリンなら沢山のうちから一頭に注目して見ると、今までよりもっとキリンがよく見えてきて楽しいと聞いたことがある。
一生で我々が見て触れる機会のあるものはそう多くないはずだ。佐野さんの言葉によりよく見る大切さを学んだ。
ところで以前、桜守り佐野藤右衛門さんの言葉「一本を自分の桜に決めて、花の時期だけやなしに見守ることや。それは人生を振り返る目安にもなる。」を取り上げたことがある。
それから私は毎日通る公園の枝垂桜を自分の桜と決めた。植えられたばかりの若木でこれからの成長が楽しみな桜だが、今年も見事な花を咲かせた。これが散るところも秋の紅葉も葉を落とした冬の木も見続けてきた。私は年をとるばかりだが、桜はこれから成長し、私がこの世から消えた後も毎年花を咲かせるに違いない。この若木を自分の桜と決めたことは良かったとつくづく思う。
動物園でも沢山の動物を漫然と見るのではなく、キリンなら沢山のうちから一頭に注目して見ると、今までよりもっとキリンがよく見えてきて楽しいと聞いたことがある。
一生で我々が見て触れる機会のあるものはそう多くないはずだ。佐野さんの言葉によりよく見る大切さを学んだ。
2008年04月06日
怪我の功名?
家人が体をいためて整形外科に行ったが、その混みようは大変なものである。初診の人もいるが再診が多い。だがここは予約を取らないので皆待つ。小耳に挟んだところでは3時間から6時間待つという。本日担当の医師も5,6人名前が出ているのに患者が多いということだろう。
朝から出かけて2度のX線撮影があって終わったら3時近かった。その間に医師たちは昼食をとりに行っている。だが彼らは忙しいにもかかわらず応対は丁寧でやさしく、話をよく聞いてくれ、治療も完璧。そこで家人は大変痛い思いもしたが、医師に褒められたのである。
「背中に随分筋肉がついていますね。何かスポーツをしていましたか」
「テニスをやっていました」
「やはり!とても○○才には見えません」(背中だけ)
「でも、年だから最近やめたのです」
「もったいない、続けられたらいいのに」
と看護師さんともども言うのである。
さすがプロの目である。家人はこんなことを言われたのは初めてとのことで、痛い思いをしながらも、医師の言葉に感激している。
この病院はスポーツによる外傷でも知られているらしく、プロ野球選手やラグビー選手なども見かける。我々が待っている間に力士が二人やってきた。
杖や車椅子の人も多い。それぞれに大変な待ち時間である。これから先我々もどれだけ病院通いをすることになるのだろうか。待合室で悠々と見える通院の先輩を見習って、ベンチで眠るぐらいの度胸を持たねばと思った次第である。
朝から出かけて2度のX線撮影があって終わったら3時近かった。その間に医師たちは昼食をとりに行っている。だが彼らは忙しいにもかかわらず応対は丁寧でやさしく、話をよく聞いてくれ、治療も完璧。そこで家人は大変痛い思いもしたが、医師に褒められたのである。
「背中に随分筋肉がついていますね。何かスポーツをしていましたか」
「テニスをやっていました」
「やはり!とても○○才には見えません」(背中だけ)
「でも、年だから最近やめたのです」
「もったいない、続けられたらいいのに」
と看護師さんともども言うのである。
さすがプロの目である。家人はこんなことを言われたのは初めてとのことで、痛い思いをしながらも、医師の言葉に感激している。
この病院はスポーツによる外傷でも知られているらしく、プロ野球選手やラグビー選手なども見かける。我々が待っている間に力士が二人やってきた。
杖や車椅子の人も多い。それぞれに大変な待ち時間である。これから先我々もどれだけ病院通いをすることになるのだろうか。待合室で悠々と見える通院の先輩を見習って、ベンチで眠るぐらいの度胸を持たねばと思った次第である。
2008年03月29日
民間外交官の素晴らしさ
ブルーなビッグママさんのブログが面白い。「私、外交官になって日韓外交やってきました!」
温泉で200人もの韓国の婦人たちに囲まれての民間外交である。日本でどこに住んでもすぐとけこめるチャーミングな彼女だが、海外でも大活躍である。私の桜の話より断然面白いので今日は彼女に譲りたい。
ここへは日本の花、鎌倉段葛の桜を一枚だけ。

温泉で200人もの韓国の婦人たちに囲まれての民間外交である。日本でどこに住んでもすぐとけこめるチャーミングな彼女だが、海外でも大活躍である。私の桜の話より断然面白いので今日は彼女に譲りたい。
ここへは日本の花、鎌倉段葛の桜を一枚だけ。

2008年03月25日
桜と一遍聖絵
桜が咲き始めた。花の中の花、桜は待ち遠しい花である。今年はどんな桜に出会うだろうかと楽しみなことである。
たまたま昨日は雨の中の遊行寺の桜だった。境内の桜は二分咲き。おりしも激しい雨の中を本堂に詣でる。堂内で若い僧たちが何というものだろうかわからないが板を鳴らしていた。こちこちと間遠に響くその音は雨に集った我々を安らかな気持ちにさせる。それから小栗判官と照手姫の墓に参る。途中、左手に枝垂桜が見える。雨にけぶるその桜は、雨でこそという風情があり見とれた。
折りよく宝物館で開かれている「一遍聖絵」−伝承された一遍上人の軌跡ー展を見る。(3月31日まで)伊予の国河野氏の末として生れた上人の生涯が絵巻物に描かれている。比較的大きな二河百道(にがびゃくどう)図もあり印象的であった。
一遍聖絵は今年の花のはじめに出会った忘れがたい絵巻となった。
魔女っ葉さんのブログ「花間に 隠れ居たるや」も桜が印象的である。
たまたま昨日は雨の中の遊行寺の桜だった。境内の桜は二分咲き。おりしも激しい雨の中を本堂に詣でる。堂内で若い僧たちが何というものだろうかわからないが板を鳴らしていた。こちこちと間遠に響くその音は雨に集った我々を安らかな気持ちにさせる。それから小栗判官と照手姫の墓に参る。途中、左手に枝垂桜が見える。雨にけぶるその桜は、雨でこそという風情があり見とれた。
折りよく宝物館で開かれている「一遍聖絵」−伝承された一遍上人の軌跡ー展を見る。(3月31日まで)伊予の国河野氏の末として生れた上人の生涯が絵巻物に描かれている。比較的大きな二河百道(にがびゃくどう)図もあり印象的であった。
一遍聖絵は今年の花のはじめに出会った忘れがたい絵巻となった。
魔女っ葉さんのブログ「花間に 隠れ居たるや」も桜が印象的である。
2008年03月23日
電車に乗る乳母車
先日外出した折、乗り換えのためホームに並んでいたら、隣の列の最後尾に乳母車を押したお母さんが並んだ。夜8時ごろなので勤めの帰りだろうか。ヨチヨチ歩きのこどもの手を引いて、大きな荷物を乳母車に乗せている。電車が着いた。見ているだけでも大変そうなので、私は列を離れて子供さんの手をひいて電車に乗るのを手伝った。列の最後尾であるので、殆どが乗り終えているころ。車掌が幼い子の足や乳母車の車輪を見落としてドアを閉めたらと思うとぞっとする。
もう少し小さければ抱っこをするかもしれないが、1才を過ぎると動きたいし、重いし、長い電車内で大人しく出来るかどうかもわからない。乳母車の方がお母さんも子供も楽なのだろう。
乗った電車の中では近くの若い男性が席を立ってくれ子供は座れた。その隣の人も立ち、お母さんも座れ、乳母車も近くへ寄せてこれで安心。私が降りた後もまだ先へ行くようだった。
これから帰って夕食を食べ、お風呂に入って寝かしつけるまでも大変そう。明日も勤めがあるのだろうか。最近勤務先の近くの保育園が増え、それなりに便利だということだが、こんな風に電車で通勤するのも大変だ。若いお母さんは「すみません。ありがとうございます。」と丁寧に挨拶したけれど、大丈夫よ。もっと皆が助け合ってこどもを育てる社会になるといいわね。
もう少し小さければ抱っこをするかもしれないが、1才を過ぎると動きたいし、重いし、長い電車内で大人しく出来るかどうかもわからない。乳母車の方がお母さんも子供も楽なのだろう。
乗った電車の中では近くの若い男性が席を立ってくれ子供は座れた。その隣の人も立ち、お母さんも座れ、乳母車も近くへ寄せてこれで安心。私が降りた後もまだ先へ行くようだった。
これから帰って夕食を食べ、お風呂に入って寝かしつけるまでも大変そう。明日も勤めがあるのだろうか。最近勤務先の近くの保育園が増え、それなりに便利だということだが、こんな風に電車で通勤するのも大変だ。若いお母さんは「すみません。ありがとうございます。」と丁寧に挨拶したけれど、大丈夫よ。もっと皆が助け合ってこどもを育てる社会になるといいわね。
2008年03月21日
運命に安んずる
わが家のどんぐりたちもそうだが、この時期、こども達は卒業や進学、就職で人生の岐路に立っている。自分の進む道が自分に一番いい道なのだと思えたら最高。
以前山田洋次監督が「プラスのカードは追わない」と書いていた。試験に落ちたお蔭で素晴らしい友人に出会った。就職がうまくいかなかったから脚本家になれたという内容だったように思う。
きっと過ぎてから思えば人生はそういうことだ。その岐路に立つときは皆迷い、悩みそして歓喜の道でもあるのだ。
俳人高浜虚子は娘立子の俳句雑誌「玉藻」の創刊号から30年間「立子へ」という文章を書き続けた。それが『立子へ抄』として岩波文庫になっている。俳句の話も多いが、人生を語る虚子の揺るがない姿勢が素晴らしい。
昭和5年11月の「運命に安んずる」は好きな箇所である。
「人間はその日その日の出来事で、だんだん運命づけられて来るものである。お前が「玉藻」を出すようになったのもやはりそういった経過を取って来たのだ。」
「姉は姉、妹は妹、世上の人は世上の人、皆それぞれの運命がある。そうしてその運命の上に安んずるか安んぜないかがその人の幸不幸の岐(わか)るるところである。
安んずるというのは安心して眠っておるという意味ではない。その境遇に立ってその境遇より来る幸福を出来るだけ意識することだ。」
以前山田洋次監督が「プラスのカードは追わない」と書いていた。試験に落ちたお蔭で素晴らしい友人に出会った。就職がうまくいかなかったから脚本家になれたという内容だったように思う。
きっと過ぎてから思えば人生はそういうことだ。その岐路に立つときは皆迷い、悩みそして歓喜の道でもあるのだ。
俳人高浜虚子は娘立子の俳句雑誌「玉藻」の創刊号から30年間「立子へ」という文章を書き続けた。それが『立子へ抄』として岩波文庫になっている。俳句の話も多いが、人生を語る虚子の揺るがない姿勢が素晴らしい。
昭和5年11月の「運命に安んずる」は好きな箇所である。
「人間はその日その日の出来事で、だんだん運命づけられて来るものである。お前が「玉藻」を出すようになったのもやはりそういった経過を取って来たのだ。」
「姉は姉、妹は妹、世上の人は世上の人、皆それぞれの運命がある。そうしてその運命の上に安んずるか安んぜないかがその人の幸不幸の岐(わか)るるところである。
安んずるというのは安心して眠っておるという意味ではない。その境遇に立ってその境遇より来る幸福を出来るだけ意識することだ。」
2008年03月19日
金沢文庫の浮世絵展へ
神奈川県立金沢文庫で「金沢文庫の浮世絵」展を見る。広重・豊国・貞秀らの金沢八景、東海道と宿場、相模の名所・旧跡、横浜開港などなかなか面白い。4月13日まで。そのあとトンネルをくぐったら称名寺の池に橋がかかっていた。傷みが激しく通行ができなかった橋だが、ようやく工事が始まったようだ。太鼓橋はまだこれからのようだが、なんだか嬉しい。
親子連れが池の鴨を見ていた。彼らと後先になって本堂に参拝したのだが、かわいい子供の声が聞こえてきてほほえましかった。
「お母さん、ほとけさまっていつ目を開けるの?」
としきりにたずねている。何度も聞いている様子から、母親もすぐに答えが見つからなかった様子だ。さあ、私も何と答えたらいいのだろうか。
次の声は男の子(拝むときは)「目をつぶるんだよ」と妹に言いながら合掌している。
こども達よ仏様は慈悲深く、その御前は限りなく広いのだよ。
ちなみに称名寺は真言律宗の寺。本尊は弥勒菩薩(重要文化財)。鎌倉時代、北条実時が開基した。隣接する金沢文庫には実時が収集した政治、歴史、文学、仏教などに関わる書籍が収められており、彼が文庫を創設した。文庫のある谷を文庫ヶ谷(ぶんこがやつ)と呼び、かつてここは鎌倉府内であったという。
2008年03月18日
辛夷満開の寺
向ヶ丘の桝形城址に出かけたのだが、そのコースにあるのが広福寺。ここは鎌倉時代の城主、稲毛三郎の菩提寺である。ちょうど彼岸の入りで墓参の人が絶えない。そして寺の大きな辛夷が咲いていた。ここには何度も来ているが、辛夷の花を見るのは初めて。堂守さんの話では今年は少し遅く、お彼岸に咲いてよかったということだ。辛夷、とりどりの椿、とさみずき、梅、桃、榊の花と春爛漫。
境内のベンチに三姉妹だという中年の女性たちが座っていた。生れた時からここに住んでいるそうだ。どの膝にも供花がのっていて墓参の様子。やがて親族と思われる人々が到着して一緒に墓地へ向った。
我々仲間は結婚したり、その後もいろいろな事情で移り住んでいるものばかり。生れたところで死ぬまで暮らすという三姉妹のゆったりとした様子にふるさとを思い出す。
桝形山に上った帰途、寺の裏道を通ったら、そこにも満開の辛夷。(写真)

境内のベンチに三姉妹だという中年の女性たちが座っていた。生れた時からここに住んでいるそうだ。どの膝にも供花がのっていて墓参の様子。やがて親族と思われる人々が到着して一緒に墓地へ向った。
我々仲間は結婚したり、その後もいろいろな事情で移り住んでいるものばかり。生れたところで死ぬまで暮らすという三姉妹のゆったりとした様子にふるさとを思い出す。
桝形山に上った帰途、寺の裏道を通ったら、そこにも満開の辛夷。(写真)

2008年03月14日
わが家のどんぐりたち(2)
昨日はこどもの思い出の作品をアップした。他にも思い出の箱から出てきたものはいろいろだが、小学校6年の息子が書いた卒業論文「チャーチルについて」がある。
原稿用紙30枚、最後に担任の先生の講評が書かれている。参考にした文献も記され、鉛筆ではなくボールペン書き。改めて読んで見てその長さにびっくり。先ず・テーマを決めた理由、次に内容で「世紀の偉人生れる」「ハロー校時代」というふうに進み、自分の「感想」で締めくくっている。私も記憶にないのだが、いつ書いていたものか、授業中に書いたものだろうか。先生の強力な指導の下に完成されたとしか思えない。クラス全員が取り組んだ論文だろう。当時の日本中の小学生が全部書いたとも思えない。きっと先生の独特の授業だったのではないだろうか。
先生は社会人から教師に転向した人で、授業中にギターを弾いてフォークソングを歌ってくれたり、とてもユニークな授業を展開した。それが学校内でどのような受け入れ方をされたのかわからなかったが、その頃「ぼくは十二歳」という本が出た頃で、悩み多き十二歳の子供たちの心を強力につかんでいたことは事実。息子はその後フォークやロックが大好きになり、コンサートにも出かけた。今でも音楽が欠かせない根っこはその辺かもしれない。
いろいろな先生に教えていただいたが、こうして出てきたものを見ながら、あの先生は忘れることの出来ないものを親にも子にも残してくれたのだと知る。先生は今どうしておられることだろう。
原稿用紙30枚、最後に担任の先生の講評が書かれている。参考にした文献も記され、鉛筆ではなくボールペン書き。改めて読んで見てその長さにびっくり。先ず・テーマを決めた理由、次に内容で「世紀の偉人生れる」「ハロー校時代」というふうに進み、自分の「感想」で締めくくっている。私も記憶にないのだが、いつ書いていたものか、授業中に書いたものだろうか。先生の強力な指導の下に完成されたとしか思えない。クラス全員が取り組んだ論文だろう。当時の日本中の小学生が全部書いたとも思えない。きっと先生の独特の授業だったのではないだろうか。
先生は社会人から教師に転向した人で、授業中にギターを弾いてフォークソングを歌ってくれたり、とてもユニークな授業を展開した。それが学校内でどのような受け入れ方をされたのかわからなかったが、その頃「ぼくは十二歳」という本が出た頃で、悩み多き十二歳の子供たちの心を強力につかんでいたことは事実。息子はその後フォークやロックが大好きになり、コンサートにも出かけた。今でも音楽が欠かせない根っこはその辺かもしれない。
いろいろな先生に教えていただいたが、こうして出てきたものを見ながら、あの先生は忘れることの出来ないものを親にも子にも残してくれたのだと知る。先生は今どうしておられることだろう。
2008年03月13日
わが家のどんぐりたち
昨日、どんぐりの芽をアップしたが、人間社会でも確実に世代交代が進む。やがてこの世から去る日のために、以前から持ち物を減らすように心がけてきた。それは自分の年齢もあるが、人の生き方にも随分影響を受ける。最近も知人からお母さんの使っていたという帯止めや抹茶碗をいただいた。持ち物を整理しているのだという。まだまだ元気だから出来るといい、縁のある人に貰ってもらえたら嬉しいという。本当に同感である。私の物の始末もピッチが上がる。
天袋から長い間開かなかった箱を出した。子ども達の書や絵や成績表、母子手帳まで出てくる。書を掛けて見る。今は亡き柳田泰雲先生の弟子の方から教えていただいた。わが子ながらうまい字だなあと親ばかになっている。考えてみれば親はわが子が一番と思うが、現在の子ども達を見ればその道で達人になったわけでもなく、どんぐりの背比べに過ぎなかったのは自明のこと。
きっと子ども達の身近にはもっと素晴らしい才能を持った子がいっぱいいたことだろう。それが子ども自身にもわかっていたに違いない。でも家で親が「うまい!うまい!」と褒めていればやはり嬉しかったのではないだろうか。それに父親は書道のお手本の字にほれ込んで自分も弟子になったくらいである。
ついでながらこれは上の子が幼稚園で描いてきた絵。
何号というのか普通の画用紙の倍はある。初期のモンテッソリー教育を実践していた幼稚園で、森の中の自然豊かな園舎だった。帰宅してからもう一度出かけ、暗くなる頃帰宅するような子ども達だった。とてもユニークで自由な子ども時代を経験できた。絵を見ていると昨日のことのように思い出す。デジカメで撮影したがやはり捨てられない。プリントしてブックカバーにでもしてやろうかしら。
天袋から長い間開かなかった箱を出した。子ども達の書や絵や成績表、母子手帳まで出てくる。書を掛けて見る。今は亡き柳田泰雲先生の弟子の方から教えていただいた。わが子ながらうまい字だなあと親ばかになっている。考えてみれば親はわが子が一番と思うが、現在の子ども達を見ればその道で達人になったわけでもなく、どんぐりの背比べに過ぎなかったのは自明のこと。きっと子ども達の身近にはもっと素晴らしい才能を持った子がいっぱいいたことだろう。それが子ども自身にもわかっていたに違いない。でも家で親が「うまい!うまい!」と褒めていればやはり嬉しかったのではないだろうか。それに父親は書道のお手本の字にほれ込んで自分も弟子になったくらいである。
ついでながらこれは上の子が幼稚園で描いてきた絵。
何号というのか普通の画用紙の倍はある。初期のモンテッソリー教育を実践していた幼稚園で、森の中の自然豊かな園舎だった。帰宅してからもう一度出かけ、暗くなる頃帰宅するような子ども達だった。とてもユニークで自由な子ども時代を経験できた。絵を見ていると昨日のことのように思い出す。デジカメで撮影したがやはり捨てられない。プリントしてブックカバーにでもしてやろうかしら。2008年03月11日
春の雑木林のどんぐりたち
多摩丘陵の雑木林で見つけたどんぐりたち。以前アップしたが、運よく葉っぱの下に落ちたものは既に緑色の芽が出ていた。これは道端に転げたどんぐり。春になってどんぐりの中の芽が動き始め、必死に生き延びる智恵を出すのだ。上に葉も土もないから、地面の方へ根を出し、そこから水分や栄養を得て芽を出すのだ。雑木林で楢やくぬぎ類だろうが、みんな違ってとてもきれいである。
人間社会よりも自然界の営みは次の世代を残すことにこんなに必死なのだ。友人宅で昨年ユーカリの木を途中から伐ったが、春、切り口から一斉に芽が出てその勢いに圧倒されると言っていた。自然は季節の変化に本当に敏感である。出歩いて学ぶこと多い春。
2008年03月09日
海索麺(うみぞうめん)
アメフラシはウミウシなどとともによく磯に転がっている。海鼠のようだが海鼠ではなく、殻のないカタツムリの大きいものと言ったらよいか。この卵塊の多さを見ると相当いると思うので、夜、活動するのかもしれない。潮に引き残されたアメフラシはやがて潮が戻るとまた海に戻っていくのだろう。なんだかユーモラスな海の生き物。
wikipediaよりアメフラシについて引いてみた。
アメフラシ(雨虎、雨降)は海産の軟体動物で、他の後鰓目と同様に外見上は貝殻は退化しているが、背中の外套膜の内部には変形した板状の殻をもつ。
地方によってはアメフラシをウミウシと呼ぶ地域もある。アメフラシの名前の由来は、海水中で紫色の液をだすとそれが雨雲がたちこめたように広がるからと言われる。また、雨の時に岩場に集まるからという説もある。これは、産卵のために磯に現われる時期が梅雨と重なるためではないかと考えられている。アメフラシの英名Sea hareは「海のウサギ」という意味で頭部の二本の突起をウサギの耳に見立てたもので、中国名も海兎という。・・・
普段は、水深1-3mほどの浅瀬を這い回り、海藻類を食べている。 雌雄同体で頭の方に雄の生殖器官を、背中に雌の生殖器官を持つ。・・・
一匹が生む卵は数万個で、卵は黄色く細長い麺のような卵塊状になり「海素麺」とよばれる。 卵は約2週間で孵化し、プランクトンとして海中を泳ぎ回った後に海底生活をする。 寿命は1-2年。
2008年03月08日
若布刈る海
流し雛の日、例年のように天神島に渡ろうと出かけたら月曜日で休みであった。マリーナの方には行かれるのだが、自然教育園の方は門が閉まっている。島に休みがあるとは知らなかった。佐島漁港に回る。若布干しもこれでおしまいだそうだ。
海には小舟が出て盛んに若布を採っている。箱眼鏡を覗きながら長い竿で刈り取っている。養殖若布は干しじまいだが、天然の若布の方はまだまだ採れるらしい。向こうは笠島。2008年03月07日
淡島様の子産石
流し雛の行われる淡島様に真ん丸い子産石が祀ってあった。両側にあるのは男性のシンボル。淡島様は安産・子授けを祈願に来る人が多いのである。子どもに恵まれない女性がこの石を撫でさすった手で自分のお腹を撫で、子どもが授かるように祈る石なのだという。石にも木にも神が宿るという信仰は太古からのものだ。ここの近くの秋谷というところにも大きな子産石が置かれていて、そちらにも子どもが欲しい人が出掛けるらしい。以前テレビで放映された後は大変な人出があったそうだ。この辺りの海辺には、海流や地形によるものかこのような丸い石が流れ着くのだという。近くの民家の庭先にも同じような石が置かれていて、なるほどと思わせる。
淡島様の近くの帯解地蔵尊にも同じような石が置いてあった。神社のいわれが知りたいと思ったが、隣に座って地蔵の番をしている男性ははっきり答えられなかった。素朴にただただ信仰してきたのだろう。我々のように何故?とか何という神様?などと頭から入ろうとするのはまことに浅はかで、信心が足りない。
淡島様から浜辺を見下ろした。右下が神事の行われる場所で青竹をたて綱がめぐらしてある。ここから雛の舟が出る。手前が神社への参道で両側にいろいろな屋台が並ぶ。左手の漁小屋の裏に若布が干してあるのが見える。尚、秋谷の子産石の記事は横須賀市のページがある。
2008年03月06日
淡島様の雛流し
三浦半島芦名海岸の流し雛の日は風がなく暖かい日だった。この流し雛は海岸の近くの小高い岡にある淡島神社の祭である。「あわせてください淡島様よ お礼参りは二人連れ。」と底抜け柄杓に麻の紐を結んで奉納する祭礼で、平安後期から続く伝統の行事という。祭神は少彦名尊 ( すくなひこなのみこと ) 。和歌山の加太神社から迎えて祀った。安産、縁結びの信仰と結びついており、子産石が神前に供えてある。
ここに飾られた小舟の雛が海に流される。境内の桃の花が咲き始め、うららかな雛流しの日である。
流し雛は三月三日午後三時三十分から行事が始まる。神官の乗る舟が待つ浜で子ども達が遊んでいた。当日は午後一時ごろが満潮で、ちょうど潮が引いている頃だが、春の波は勢いがある。返しの波がまだまだ大きく寄せていた。以前の関連記事 2006年 2007年
