2005年04月05日

本人から

全く久々これから携帯からの日記かけるとおもうので懲りずにつきあってね。

この記事へのコメント
またわからんので練習あっ!これでいいのかな?
Posted by ながつ at 2005年04月05日 06:42
昨日滝川という街に行った。なぜ行った?呼んでくれたから。春輝くんは滝川の方で地元のミュージシャンが立ち上がったんです。なんとか力なれないかなって。自分達できることないかって。それに参加させて貰いました。唄うことが精一杯なんですね。それが出来る事なんですね。いいと思った。人っていいなって思った。それでいいと思った。瀬戸口くん!最後まで打ち上げ居たかったよ。滝川は雪で松尾ジンギスカンが有名。お疲れさま。
Posted by 本人 at 2005年04月12日 05:43
14才だった。と思う。天塩町から10キロほど国道沿いに振老という土地がありそこの学校に転校することになった。小中学校全校生徒で60〜70人くらいだと思う。雪解け、春は心踊る。まして環境変わるのだから子供ながらなにかうきうきするわけです。グランドもぐしゃぐしゃなのに買ってもらったばかりの白い運動靴履いたりしてすぐよごすんです。ラジオがザーザーなる中かすかに聞こえる今まで聴いたことのないような唄流れてるのに気が付いたのはそれから一年後くらいかな。気が付いたらギターが欲しくてたまらくなっていた。
Posted by 1970年代 at 2005年04月18日 03:26
バレー部に入った。高校もバレー部だった。おりしもミュンヘン五輪日本バレーは金メダル。一年上はめっぽう強く、僕らの時代はだめだった。栄光はやってこなかった。フォークの時代は世の中のムーブメントである。吉田拓郎が世にでる。皆ギターでクラスのヒーロー気取り。軟派ぽくてかっこ悪いと思いながら部屋ではコードとにらめっこ。恋もした。それなりの青春を味わった天塩の五年間は1975年進学という次の出発へと矛先が変わる。やっぱり春。希望いだいて札幌へ住む。桑園予備校へ通うため。
Posted by 1970年代2 at 2005年04月18日 03:50
円山に間借り6畳一間数千円の家賃。ラジオ一台、ヤマハのギター一台、プロパンガス。蒲団そんなものです。西日の当たる木造の二階。テレビはなかった。受験生活。一人でいることは苦ではなく長い日人と話さないこともなんともなかった。同級生の純生がときどき遊びにくるくらい。毎日日記書いてつれづれに思うこと。予備校はいろんな土地から来てるらしい。何人かは知り合いもできるがあまり関係なかった。ただ季節感じながら窓から外みて歩く人みて。高校時代聴いたフォーク懐かしがって感傷にふけったり、奴を思い出したり。
Posted by 1970年代3 at 2005年04月18日 04:14
二年浪人をした。自分が何になるからあの学部目指すというものがなくただ大学行くことしか考えてなかった。漠然と何とかなるだろう。としか。蛍雪時代という大学紹介の本眺めてはウキウキする。だってキャンパスの向こうにはなんだってありそうだったから。五木寛之さんの青春の門がころがってると思い込んでいた。銭湯はいくらだったんだろう?100円以下なのは覚えてる。いつも早い時間行くと近くのちいさいスーパーの親父さんいてだらだらしゃべってたよ。二人で。
Posted by 1970年代4 at 2005年04月18日 04:32
田中角栄は1972総理大臣になったんだと思う。担任の江屋先生が中川一郎と同級生だったって言ってたきがする。北海の熊って呼ばれてた人 謎の死を今となっては闇のなか。18〜19 のコロ有名なロッキード事件あまり意味わからず友人とピーナッツは高いんだぜって知ったかぶり。それにしても何故 金沢大学受験したんだろう?白門にあこがれて 初めて瓦屋根のある風景観たとき 体武者震いしたのは何故だろう。野町という地名にどきどきしたのはなぜだろう。もちろん不合格あはは!そんなことばかり。
Posted by 1970年代5 at 2005年04月20日 02:17
浪人の冬ある日ぼけっと下向いてあるいてた帰り道。突然火花ガ散った。なっなにがおこったんだ?前頭部に激痛、しゃがみこんだ。イテテテッ。なんてことはない。停車中のライトバンの後ろの開いてるドアの角に頭ぶつける。ものすごい出血頭から噴き出る血。地面中俺の血で染まっていく。ショックのあまり貧血で倒れそう。とにかく家に帰りゃなきゃ。ああーついてねぇ。最悪 電気しかない部屋で頭かかえ悲しくなり いったい俺はなにしてるの?ってその日は泣いた。まだ傷のこったまま四センチのセンチメンタル。
Posted by 1970年代6 at 2005年04月20日 04:24
旺文社模試なるランクずけするテストに一喜一憂。赤本見ながら「傾向と対策」森一郎さんの単語覚え唄らしき英語の本まる暗記。色鉛筆で線ひきまくり。覚えたページは破って食べちゃえって?いくら飢えてもそれはなし。たばこの刻みくるんだ事はあるけど。信じてた。自分を。西日の当たる部屋ゆっくり円山の影に陽は沈む。ラジオからNSPの 夕暮れ時はさみしそう。が聞こえた。ひさびさにギターさわる。やっぱりAMから。なんかせつなくてまた奴をおもって壁にらみかえしたら金縛りにあった。
Posted by 1970年代7 at 2005年04月20日 04:40
貴ノ花が北の湖に勝って初めての優勝したのは春場所 何故か俺は弘前にいた。旅館の広場のテレビの前 人だかり。おばあちやん泣いてた。座布団飛びかうなんてその時初めて見た。彼は弘前出身なのだ。おばあちゃん興奮で後ろの人テレビみれないよ。弘前のどっかの旅館おそらく俺は明日受験。見のつく温泉旅館受験生が泊まる所。ボクは大の貴ノ花ファンで大感激。だけどやっぱりこれもサ・ク・ラ散る。 船は青函連絡船。甲板にでて 海みるの。それがでっかいのってそりゃあ。はんぱじゃないから。もうみれないのかな?
Posted by 1970年代7 at 2005年04月20日 05:00
気晴らしに友人が知ってるパブBAR SUN に時々いくようになる。乗りのいい店。ショウ?タイムもありキャンディズの曲で踊ったり ソウルドラキュラかかったり若者が男求めたり女探したりするような元気ある店だったの。働く人は同年代の男。ニッカのブラック50入れて月一に回かよったかな?ああ。ススキノだって思った。奴はどこでのんでるんだろうって考えながら。やがて二年目の秋がきて石油ストーブの匂いする部屋でどてら着て浪人生活も板につき近くの風景にも慣れました。さて俺はこのギターで何かおこるのか そんなことみじんたりとも。
Posted by 1970年代8 at 2005年04月20日 05:23
猪木さんがアリとたたかうからテレビ見たい。どこで見たのだろう?ロビ?確かに観た。試合覚えてるもの。わからないけどテレビあるところにその時いたんだよ。猪木さんカッコイイッテ思ったもの。フォークや喫茶店はやはり軟弱な奴らがやることだって勝手に思った(すみませんでした)落ちる数の方がおおかった浪人も間もなく終わりを告げる。東京に行くか札幌かはわからない。受かる大学行こう。
Posted by 1970年代9 at 2005年04月20日 05:46
背番号3は日本中のあこがれ。彼の引退セレモニーも浪人時代。やはり記憶にある。どこで観たのだろう。やはりホテルのロビーだったきがする。恐らく汚いまま何時間もいたんだろうな。好きでした我らがヒーロー。少年時代の自分想像したら毎日放課後ソフトボールやっていた陽がくれるまで。みんなそうだった。最後の受験東京の某大学合格、北大すべる最後は教育大札幌分校。晴れ晴れとした空ガ見えた。自分なりに過ごした二年は終わった。新しい世界に行ける。いいだろうこれだけやれば。東京かぁとおもいながら合格発表の日 あれ?名前が あった。
Posted by 1970年代10 at 2005年04月20日 20:23
安保闘争 秘密基地 安心 総括 日和見 三無主義 青年の主張 政治 大企業 資本 茶の間 アジア 極東 寒い北 北 北は 朝 新鮮日本 なったんだ。 わからなくて正門たたいた。札幌市電通り山鼻なのかな。古くさい建物こじをまりとしたキャンバス 夢とはちがう貧乏くさそうな校舎。中央ローンらしい。だがまぶしい。ういういしい連中が希望だ。昨日まで高校生ですた。大学は大学であるべし。蔦からまわない 校舎にからまない。違う人生おこるよきっと。まだ ギターならないのさ。知らないまだ チラチラ
Posted by 1970年代11 at 2005年04月21日 05:35


 
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