2011年03月26日

丑寅うごく・・・。

 大震災から20日たちました。周囲はいまだ瓦礫ですが、健やかに過ごしております。
 今回の津波は、慶長大津波よりは規模が小さく、寛政大津波よりは規模が大きかったようです。
 
 伝聞では、地震当日に横浜から北東にピンクの雲がでたとかで、その20分後に地震がきたそうです。
 また、津波もピンク色をしていたそうです。
 丑寅の鬼門の東北地方で大地震、大津波が起きた後に「大化の改新」、「平城遷都」、徳川幕藩体制の確立、寛政の改革など日本史において歴史的大転換がおきたそうです。
 日本もこれから歴史的な大転換をむかえていくことでしょう・・・・。
 いまだ多くの知人が行方不明となり、その安否を心配しています。
 では、また、おみょうにち。
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2011年02月28日

春の予感

如月のつごもりに降る泡雪に 春の予感をしばし感じる

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2010年12月30日

またおらいねん

今年もお世話になりました。
いい年越しをしてくないん。
では、また、おらいねん。

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2010年10月26日

あれ、まぁ〜

 ようたしで市バスさのったのね。
 そしたら、市バスのなかに「仙台人物誌」の案内があったのしゃ。
 よぐみたら、観心院さんの肖像がのってたのね。
(右下のおひなさまのような女性の肖像です)
 観心院さんは、9代藩主の夫人で、雲州・松江藩主の松平不昧公の正室の実母なんだど。
 広瀬川の河川敷で、女子サッカーをしてんのみて、「モクリ コクリの碑」の案内をみて、八幡宮の前からまた、市バスさ乗ったら、観心院さんの肖像がある案内をみたのね。
 「仙台人物誌」は12月まで、仙台市博物館でごらんになれます。
 では、また、おみょうにち。
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2010年10月10日

あめのなか・・・。

 神無月だちゃね、また、ごめんしてくないん。

 先日、雨のなか、塩釜神社にてシュウバツをお願いいたしました。

 神社につくとあめ、アメ、雨・・・。
 神社の拝殿に昇殿して、御祓い。
(なぜか、安産祈願の方が両脇におられました)
 これまた、なぜか代表して「玉ぐし」を奉てんとなりました。
 神社をあとにすると、雨はあがりました。
(塩釜さんは、龍神さまの系統なのでしょうか・・・)
 あとで、塩釜さんは安産の神さまと思い出しました。
 
 雨あがり やしろをあとに石段を 一歩また一歩あゆむ 前をみすえて
 
 では、また、おみょうにち。
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2010年09月29日

蔵王山遠景

100929_1730.jpg 蔵王山遠景。

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2010年09月24日

上杉にて

100924_1325~001.jpg 仙台 上杉にて。

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2010年08月04日

大槻盤渓氏の話

 8月だちゃね。また、ごめんしてくないん。

 幕末の仙台藩士に大槻盤渓(おおつき・ばんけい、名を清崇)というひとがいたんだと。
 幕末の文人として仙台藩を代表する人物で、ペリーの黒船来航のときに黒船に近寄って、「漢詩」を渡したりしたの。
 長州の吉田松陰とも知り合いで、仙台でもあったりしたんだど。
 土佐の山内容堂公、越前の松平春嶽公とも知り合いで、容堂公とは酒をともに飲んだんだとさ。
 明治維新では、戊辰戦争の責任をとって投獄されて、晩年は東京に住んだんだと。
 福沢諭吉とは晩年まで仲がよくて、付き合ってたのね。
 東京・高幡不動に残る「近藤勇・土方歳三」の殉節両雄之碑は、盤渓氏が文章を書いたんだとさ。
 大槻盤渓氏の先祖は、葛西氏一族で戦国時代に伊達家によって討ち死にしたんだど。
 盤渓氏のご子息である大槻文彦氏が建てた「大槻但馬守の碑」が石巻市河南町に残っていんだとさ。
 では、また、おみょうにち。
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2010年07月09日

ねがいはとわの

ながれゆくあまのかわをおもいつつ ねがいはとわのよのしづかさや
もののふのまちにふるのはなつのよに いくさのつらきあめのしづくか
仙台空襲におもいをよせて

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2010年06月13日

慶長の大地震の話

 おひさしぶりだちゃね。また、ごめんしてくないん。

 むかし、伊達政宗公が駿府の徳川家康公のとこさいって話したことなんだど。
 「近頃、国許で大地震があって大津波が起こったのです。そのとき、ある家臣2人に
 「海に行ってこよ」と命じたところ、ある家臣は天候がよくないからといって海にでることをしなかったが、もうひとりの家臣は、
 「主命であるからいかにしてもいかねばなんねちゃ。」と海に出たという。
 その日に大地震が起こり、大津波が押し寄せて海にでなかった家臣はおぼれて死に、もうひとりの家臣は海にでて助かったのです。
 大津波は、領内の千貫にある大きな松の木まで達して松の木に船をとめて助かったともいいます。
 さても、伊達の領内はひどいありさまとなったようです。」と語ったんだど。
 慶長の大地震で現在の仙台湾沿岸に津波が押し寄せ、七北田川、名取川をさかのぼったんだど。
 むかしのお話でござりすた。

 宮城県地震、岩手・宮城の地震で亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。かしこ。
 では、また、おみょうにち。
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2010年05月15日

「青葉まつり」だちゃね

 青葉まつりの季節になってござりす。また、ごめんしてくないん。

 仙台の青葉まつりは、明治時代に青葉神社の祭礼として起こったといって、戦後に途絶えてまた復活したのね。
 山鉾は、江戸時代には東照宮の祭礼にご譜代町と呼ばれた町がだしたのが起こりともいうのね。
 いま、仙台の街には子すずめさんたちがすずめ踊りでにぎやかになっております。
 仙台でベガルタ元監督の清水さんに似たひとを見ました。
 んとにてだのね・・・・。
 では、また、おみょうにち。
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2010年04月13日

三輪氏族と名取氏

 姓氏家系大辞典のコピーを整理してると、「名取姓」について書いてあったのね。
 なかに「三輪氏族」の名取氏とあって、奈良の三輪氏族が名取姓を名乗ったとあった。
 これは甲斐(山梨県)の芦倉(いまの南アルプス市)の名取姓のことで、そこには「美和神社(甲斐国二宮)」があります。
 奈良の三輪山から移した神社で、そのゆかりの一族が三輪氏族であり、名取姓になったんだと。
 宮城の名取姓との関わりもありそうなので記事にしました。
 宮城の名取姓も「三輪氏族」かもしんねちゃね。
(ちなみに宮城郡誌に「大伴宮城連」は三輪氏族とあって大伴氏と名取氏、三輪氏族の関係もあっかもね)
 では、また、おみょうにち。 
Posted by natorigoro at 10:16  |Comments(0) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

名取入道と金剛坊秀綱

2月だちゃね。また、ごめんしてくないん。

藤原秀衡につかえたという金剛坊秀綱がいんのね。金剛坊秀綱は、名取別当として名取郡の熊野信仰の中心的なひとだったんだと。
源頼朝に藤原氏が敗れたとき降伏したともいうんだと。
藤原氏と源頼朝が戦った厚樫山(福島県)で金剛坊秀綱は、小山朝光に討たれたともいうんだと。
名取入道ともいうべき金剛坊秀綱の最期は哀しいことだっちゃね。
では、また、おみょうにち。

Posted by natorigoro at 21:24  |Comments(0) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月16日

河内守入道藤原国包

新年明けましておめでとうござりす。また、ごめんしてくないん。

むかし、河内守入道藤原国包という刀鍛冶がいたんだと。
刀には「奥州名取住河内守入道藤原国包」とあって名取郡にいた刀鍛冶だったんだど。
仙台藩のお抱えの刀鍛冶となって「大友姓」を名のっていたんだど。
名取郡の「大友姓」、「松浦姓」、「大久姓」は、九州からきた武士がルーツというのね。
鎌倉の北条氏が「元冦」の恩賞として名取郡の土地を与えたので九州から武士がきたともいうんだど。
では、また、おみょうにち。

Posted by natorigoro at 07:11  |Comments(3) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月01日

「ダルマ宰相」のこと

 12月だちゃね。また、ごめんしてくないん。
 「坂の上の雲」というドラマに高橋是清さん(たかはし・これきよ)というひとがでてくんのね。
 高橋家は、旧仙台藩士で、是清さんは、御用絵師の家から養子にきたんだど。
 養父母は、旧岸和田藩士で、仙台藩の足軽の株を買って仙台藩士となったんだど。
 是清さんが幼いころに仙台藩上屋敷に住んでいたんとき、屋敷のお稲荷さまに参詣にきた奥方さま(徳川斉昭公の息女で徳川慶喜公の妹らしい)のひざの上に乗ってしまったんだと。
 あとから奥方さまが是清さんを呼んで
 「かわいい子だこと」とお菓子をもらい、まわりから「高橋の子は運がいい」といわれたんだど。
 アメリカに留学して、奴隷に売られたこともあり、仙台藩が「朝敵」として明治維新で敗れたのを聞いてあわてて日本に戻ってきたともいうのね。
 これを聞いた勝海舟が
 「仙台は大藩だが、人材は少ない。留学の途中でなんで戻ってきたんだ」と怒ったんだど。
 その後、英語をいかして経済界に入り、大正時代に「首相」、「大蔵大臣」を歴任して、2・26事件で亡くなったのね。
 宮城県出身の首相は、是清さんだけなのね。
 仙台出身には日銀総裁になった富田鉄之助さんもいます。
 その容貌から「ダルマさん」と呼ばれ、経済の建て直しに力をふるった高橋是清さんの話でした。
 では、また、おみょうにち。
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2009年11月09日

霜月でござりす

 霜月だちゃね。また、ごめんしてくないん。

 むかし、伊達重村公が参勤交代で江戸から仙台さ戻ることになったんだど。
 んでも、使えるお金が足りなくて、困っていたんだど。
 幕府から借りることもできなくて、やむなく出発したんだど。
 やっぱり北千住あたりで、旅費がたんなくなって行列が止まったんだど。
 そしたら、重村公が
 「野宿でもして、仙台さいくべし。鳥でも鉄砲で撃っていくか」といったんだど。
 それを聞いた役人が
 「江戸の近くでそんなことされたら困る」と江戸の幕府に相談にいったんだど。
 幕府では、
 「野宿されるはいかんことじゃ」といって旅費を重村公のもとさ届けたんだと。
 その旅費で仙台までかえったんだど。
 その頃、仙台藩は、天明の飢饉のあとで、財政が苦しいころのことだったんだどさ。
 では、また、おみょうにち。
Posted by natorigoro at 14:21  |Comments(0) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月03日

世良修蔵の鞍の話

 幕末、仙台藩士によって命を失った世良修蔵の話でござりす。

 仙台の養賢堂(いまの宮城県庁付近)に官軍の総督府が置かれ、世良氏も仙台さきたんだど。
 仙台の立町に長州生まれの馬具屋がいて、世良氏をたずねて養賢堂さいったんだど。
 同郷のよしみで話がはずんで、そしたら世良氏が
 「わしゃ やまいで馬に乗れん。一生乗れんかもしれんから預かってくれ(いくさで死ぬかもしれん)」と西洋式の鞍を預けたんだど。
 馬具屋は、鞍を預かってけっていったんだど。
 馬具屋の知り合いで、大年寺(仙台藩主の菩提寺)に長州生まれの良完という僧がいて、世良のもとで働くことになったんだと。
(良完は、長州藩のスパイだったともいうのね。のちに萩野省一と名乗ったんだど)
 
 哀れ、世良氏は、福島で仙台藩士によってその命を失ったのね。
 そのくびば、白石にいた仙台藩の重臣のことさもっていったんだど。そしたら
 「めんどくせことになったな。脱藩ものがきったことにすっとおもっていたのや。仙台藩はもういくさしかねぐなった。それば傑山寺(片倉家の菩提寺)さいってうめどけ」といわれて、いったら
 「こっちゃもってきても困るちゃ。荒れ寺さでもうめっぺすぺ」といって世良氏とあと3人のくびばうめたんだど。
 明治になって、世良氏らの墓が改葬されて、立派になって、白石さのこってんだど。
 朝敵となった仙台藩は、藩の重臣の七人のくびをきって、何十人と処罰して、28万石となったのね。

 世良氏が預かってくれといった鞍は、いまは行方はわがんないのね。
 明治中期に第二師団の人(長州人)が馬具屋さいって見たという話はあったんだどさ。
 では、また、おみょうにち。
Posted by natorigoro at 20:54  |Comments(11) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

信州・諏訪 名取氏の話

 信州(長野県)に名取姓があんだど。
 伝承では、安部氏の末裔が名取姓をなのったんだど。
 武田勝頼の家臣に「安部五郎左衛門・あべごろうざえもん」という武士がいて、東北の安倍貞任の子孫といってたんだど。
 信州の名取姓は、「本姓藤原氏」となのっていて、東北のなとりから移住したともいうだどさ。
 では、また、おみょうにち。
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2009年09月20日

「鬼門の話・・・」

 郷土史家の飯沼勇義さんの本のなかに
「奈良の藤原京からみて、角度45度、鬼門の方角に郡山遺跡、多賀城跡がある」と書いてあります。
 奈良県橿原市に残る藤原京は、持統天皇の命で造営された日本として最初の中国式の首都というんだど。
 これには藤原不比等が大きくかかわったんだど。
(このころになとりの高舘山に熊野那智神社が創建されたのね)
 後に首都は、平城京(奈良市)に移ったんだけど、そこから角度45度の北東の方角に多賀城跡もあんだど。
 日本の律令制度がはじまった時代に奈良から鬼門の方角をみて、国府の造営するという大和朝廷の方位学(陰陽道)。
 当時の天文学、方位学のすごさだちゃね。
 では、また、おみょうにち。
Posted by natorigoro at 13:29  |Comments(0) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

「なとり音頭」聴きました・・・

 今夏、地元の夏祭りで「なとり音頭」を聴きました。
 あれま、なつかしいちゃね。
 むかし、盆踊りというと「なとり音頭」だったのね・・・・。
 ちょっとなつかしい感じがしました。
 では、また、おみょうにち。
Posted by natorigoro at 07:25  |Comments(0) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする