2009年05月20日

「秦氏」の話

 むかし、秦氏(はたし)という一族がいたんだと。
 山背(いまの京都)に田んぼをこさえて、豊かな暮らしばしてたんだど。
 その長(おさ)の秦河勝(はたのかわかつ)が田んぼでできた餅を「的」にして弓矢をうったんだど。
 したらば、餅は白い鳥になって空さ飛んでいってしまったんだど。
 その白い鳥が止まった山に神社をこさえて、「稲荷山」と呼んだんだど。
 いまの京都の伏見稲荷のおこりなんだどさ。

 平安時代に京都から多賀城さ来たお公家さんが道中が無事であるように伏見稲荷に祈願していたんだど。
 そんとき、白狐がお供して多賀城の手前の武隈の森さ来た時に「一声」あげてきえたんだど。
 そこに社を建てて神社にしたんだど。
 竹駒さんの起こりはそこからきたんだどさ。
 では、また、おみょうにち。
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2009年05月17日

「仙台祭」のこと

 江戸時代に仙台市青葉区宮町に「東照宮」ができたんだと。
 むかし、徳川家康公が来たこといってできたんだと。それまであった「天満宮」は榴ヶ岡に移転させたというんだと。
 毎年、東照宮のお祭を行うようになって、「仙台祭・せんだいまつり」いって、町ごとに「山車」をだして、その豪華さを競ったんだと。
 もっとも豪華だったのが肴町の山車だったともいうのね。
 仙台藩の最大のおまつりだったんだど。

 明治になって「仙台祭」はなくなって、伊達政宗公をまつる「青葉神社」のおまつりがおこなわれるようになったんだと。
 それも明治末期から大正時代に「電柱」ができて電線が山車に引っかかるということで、山車はなくなって戦後すぐに「青葉神社のおまつり」もとだえたんだど。
 いまの「青葉まつり」は、江戸時代からの仙台祭、かつての青葉神社のおまつりを復興したのね。
 いまの「青葉まつり」は、東照宮の仙台祭がはじまりという話でした。
 では、また、おみょうにち。

2009年05月01日

萬寿院さまのこと

 五月だちゃね。また、ごめんしてくないん。

 仙台市・高松にむかし「萬寿院さま・まんじゅいんさま」のお墓があったんだど。
 萬寿院さまは、「仙姫・せんひめ」といって4代藩主の伊達綱村公の正室で、稲葉家からおこしいれしたんだと。
 春日局さまのひこまごにあたんだど。
 綱村公とは仲がよくで、男子がいたんだけど亡くなってしまい、萬寿院さまも綱村公より早くに亡くなったんだど。
 綱村公がお墓を高松にこさえて、お寺も建立したというのね。
 明治になって、お墓は、高松から榴ヶ岡に移転となって「三沢初子さま」のお墓のそばに移っています。
 御霊屋(おたまや)もあったというけど、こわされてしまったんだどさ。

 綱村公のお墓は、大年寺山にあって、萬寿院さまのお墓が大年寺山さ向いているんだどさ。
 では、また、おみょうにち。

2009年04月27日

泉区 実沢 熊野神社のこと

 仙台市泉区実沢に熊野神社があんだど。
 むかし、国分氏の家臣だった八乙女淡路(やおとめ・あわじ)という武士が実沢にいてこさえた神社なんだと。
 八乙女淡路は、江戸時代に七北田に移ったというんだと。
 地下鉄八乙女駅は、八乙女淡路が地名の由来なんだと。
 八乙女氏は、松森(泉区)から移ったともいって、松森にも熊野神社があんだど。
 実沢の熊野神社は、「いざなみのみこと」がまつられていて、これは熊野那智神とおんなじといって、なとりの熊野那智神社とおなじ神さんだちゃね。
 泉ヶ岳の山開きもあって、これから山登りにはいい時期だちゃね。
 では、また、おみょうにち。

2009年04月26日

登米・佐沼 「首檀」のこと

 登米市佐沼に「首檀・くびだん」というのがあんだと。
 戦国時代に起こった大崎・葛西一揆で、葛西氏と大崎氏の武士たちが鹿ヶ城(ししがじょう)にたてこもったんだと。
 葛西氏と大崎氏は、豊臣秀吉のもとにいがなかったから領地を追われて農民とされたんだと。
 上方(関西)の武士の風下にたつのがいやで、一揆をおこしたともいうんだと。
(一説には、伊達政宗公が葛西、大崎家の保護を約束してたんだけど、それができずに政宗公が一揆をするようにたきつけたともいうんだど。)
 一揆の鎮圧を政宗公が命じられて、多くは降伏したんだけど、佐沼の鹿ヶ城にこもったひとたちは激しい抵抗をしたんだと。
 ごっしゃいだ政宗公が
 「城さいるものどもは、なでぎりにしろや」といって千人以上のひとたちがみな切られたんだとさ。
 その首ば、埋めた地を「首檀」といったんだと。むかしは「胴檀・どうだん」というのもあったんだと。
 敗れた葛西、大崎の武士たちは、殿入沢(石巻市河南町須江山)さ集められて、そこでみんなきられたんだと。
 そんどきに伊達家の兵のなかに若き支倉常長もいたんだとさ。
 
 江戸時代、仙台藩は、武士の多くを帰農させて農業をさせたんだけど、「大崎・葛西一揆」にこりで刀をもたせないでいたんだと。
 幕末、ペリーがきたときに仙台藩であわてて帰農させていた武士を集めたんだと。そんどきに刀がなくてみんなであわててこさえだんとさ。

 いま、佐沼の鹿ヶ城跡には、照井太郎をまつる照井神社が残っていて、戦国の面影はあまりないんだとさ。
 では、また、おみょうにち。

2009年04月24日

「玉虫屋敷」の話

 むかし、なとりの下増田に「玉虫作左衛門」という武士のお屋敷があったんだと。
 「玉虫屋敷」ともいって、明治維新で玉虫家から塩釜からうつってきた阿刀田家にゆずられたんだと。
 それからは「阿刀田屋敷」といってたんだと。
 江戸時代には、あちこちの仙台藩士の領地があって、その屋敷が点在していたんだと。
 明治になって、お屋敷を手放した武士の家も多かったんだとさ。
 では、また、おみょうにち。
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2009年04月19日

岩切城と畠山氏の話

 仙台市・岩切に岩切城という城があったんだと。
 仙台市北部を治めていた留守氏が築城したともいうんだど。
 いまから600年も前に岩切城に畠山氏と言う武士が京都からきて、岩切城さこもったんだと。
 足利幕府内の内紛で足利尊氏に味方した留守氏、畠山氏と尊氏の弟に味方した吉良氏が戦ったんだど。
 留守氏と畠山氏は、敗れて塩釜神社に逃げ込んだけど、首をとられてしまったんだど。
 勝った吉良氏が味方した尊氏の弟が負けてしまって、吉良氏は大崎氏に敗れて逃げていったんだと。
 畠山氏の子孫は、二本松(福島)に移って、戦国時代に伊達輝宗公(伊達政宗公の父)をラチした畠山義継公の代で伊達家に滅ぼされたんだど。

 岩切城は、留守氏の拠点として続いたんだけど、戦国時代には利府城に拠点が移ってしまって、いまは跡ばりのこってんだど。
 では、また、おみょうにち。

2009年04月16日

栗原 桜田山神社のこと

 栗原市栗駒に桜田山神社があります。
 「イケメン〜」の方のご実家として有名になったちゃね。
 この神社は、由緒が古く1000年以上の歴史があんだと。
 ご祭神は、武烈天皇といって古代日本の天皇とされます。
 武烈天皇が栗駒まで来て、家来を栗駒にとどめて、天皇の死後に神社をこさえておまつりしたんだと。
 その家来のご子孫が「イケメン〜」さんだちゃね・・・・。
 「栗原郡誌」には、神社の宝物がいっぺあったんだけど、焼けてなくなってしまったんだど。

 武烈天皇の伝承は栗駒などみやぎ県内に残っていて、興味深いです。
 玉造郡の用明天皇伝承、黒川郡の淳和天皇伝承、伊具郡の後村上天皇伝承など・・・みやぎには「天皇の伝承」がいろいろと残ってんのね。
 武烈天皇には子がなく、遠縁の継体天皇が皇位をついだんだけど、継体天皇と武烈天皇の姉の子である欽明天皇がいまの皇室の祖先となっていんだと。
 では、また、おみょうにち。

「かみ」、「しも」、「まえ」、「うしろ」・・・

 むかしからなとりの海沿いでは「西」を「かみ」、「東」を「しも」といったんだと。
 「南」は「まえ」、「北」は「うしろ」ともいっていたのね。
 「いぃのめぇ」というと「家の南」という意味でつかってもいたんだど。
 むかし、増田村を分けて、西にあった増田村を「上増田・かみますだ」、東にある増田村ということで「下増田・しもますだ」といっていて、増田を東西にわけて呼んだ名残りみたいなのね。
 上増田村は、「増田村」となって旧増田町になり、下増田はそのまま残ったみたいなのね。
 京都では「北、南」を「上がる、下がる」、「東、西」を「入る、出る」というので、地域性があって面白いと思います。
 あまり記録にはでてこない「かみ、しも」、「まえ、うしろ」のことでした。
 では、また、おみょうにち。
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2009年04月14日

金華山 水晶石のはなし

 牡鹿半島の沖合いに浮かぶ金華山。
 むかしは、「黄金」がとれたという伝承もあって、金華山の海には「黄金のなまこ」もいるといわれたんだと。
 日本三大弁天のひとつともいって、多くのひとがお参りさくんだと。
 この金華山の山中に「水晶石」という大石があんだと。
 そのむかし、金華山の神さんがおりてきたとこなんだど。
 いまの倍の高さがあったんだけど、落雷で半分海さ落ちたんだとさ。
 江戸時代の書には
「金華山の沖からも光って見えた・・・」と書いてあんのね。
 これから金華山は、ハイキングにはとてもいい季節になるので、いかれる方はぜひにみてみてけさいん。
 では、また、おみょうにち。

2009年04月10日

安倍貞任公の太刀のこと

 大阪に「壷井八幡宮(つぼいはちまんぐう)」という神社があんだと。
 河内源氏の源頼信公が京都の石清水八幡宮から勧請してこさえたんだと。
 頼信公の子が源頼義(みなもとのよりよし)で、孫が八幡太郎義家にあたんだと。
 この神社に「安倍貞任公の太刀」というのが宝物として残されていんだと。
 安倍貞任公は、平安時代に源頼義に敗れた方だちゃね。
 源氏が安倍氏の太刀を神社に奉納したとされてんだと。
 安倍貞任公が奉納したという「かぶと」の一部も岩手の神社に残っていて、これも源氏の大将が奉納したといいつたえがあんだど。
 安倍貞任公は、源氏によって討たれたんだけど、いまも東北の地では「英雄」として語られていんだちゃね。
 
 河内源氏の一族が石川郡(いまの福島県)に移って「石川氏」となって、戦国時代に伊達家から養子を迎えたんだと。
 江戸時代には「伊達家一門筆頭」だった角田の石川家は、河内源氏・石川氏の末裔なんだど。
 なとりの高舘山にいた名取五郎も「福田五郎」といって、もともと石川氏の一族で清和源氏といってたんだとさ。
 みやぎには源氏の伝承が多くて、安倍氏の伝承が少ないのは源氏の子孫が多かったからかもしんないね。
 では、また、おみょうにち。
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2009年04月05日

桜のつぼみもふくらんでいます

 4月だちゃね。また、ごめんしてくないん。

 なとりの増田神社の桜のつぼみもふくらみ、もうそろそろ開花するようです。
 4月中旬から5月にかけて、みやぎでも桜の季節となり、多くの地で桜の花が見れます。
 季節柄、みなさまのご多幸をお祈りいたします。
 では、また、おみょうにち。
Posted by natorigoro at 19:45  |Comments(0) | 名取・増田地区の歴史物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

K先生のおもひで・・・

 先月末、K先生の訃報に接しました。
 ご生前、先生には教えを受け、いまだにご恩かえしもできないでおります。
 宮城県において先生の残された業績は、これからも多くの後学のみなさまの目標になると存じます。
 ご生前のご温容をしのびつつ、この場をお借りして御礼申し上げます。敬具
Posted by natorigoro at 19:41  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月31日

森田健作さん ご当選。

 俳優で元衆議院議員の森田健作さんが千葉県知事に当選されました。
 森田さんは、俳優として有名ですが、祖父にあたる方はみやぎ・亘理の出身と以前伺ったことがあります。
 みやぎゆかりの知事当選ということで祝意を申し上げます。
 がんばってけさいん。
 では、また、おみょうにち。
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2009年03月23日

「なで牛」の話

 なとりの館腰神社と弘誓寺の境内の境に「なで牛」という大石があんだと。
 むかしから祈願すると願いがかなうとして、多くのひとたちがなでていたんだと。
 江戸時代には牛の姿だったんだけど、いまは大きな石の姿になってしまったんだと。
 そこで、江戸時代の姿そのままに「なで牛」の石像をこさえておまつりしていんだとさ。
 では、また、おみょうにち。

栄存法印の伝説

 むかし、栄存という法印さんがいたんだと。
 豊臣家に仕えた片桐且元の弟で、出家して石巻の牧山のお寺さ住んで、みんなに慕われていたんだと。
 あるとき、石巻にいた笹町頼重という武士が栄存法印をねたんで江ノ島さ流してしまったんだと。
 笹町頼重は、じゃまものがいねぐなったといって、喜んでいたんだと。
 江ノ島さ流された栄存さんは、島のひとたちのためにいろいろ尽くして慕われたんだと。
 栄存法印さんは、無実の罪で流されたのをうらんで、
 「死んだら逆さまにして石巻さむけてうめてけろ」といって亡くなったんだと。
 その後、石巻に火災が起こったり、笹町頼重が気がふれたりして笹町家はなくなってしまったんだと。
 これを「栄存さんのおさわり」といってたんだけど、多くのひとが栄存さんの墓にご祈願すると不思議を願いがかなったりしたんだと。
 いま、江ノ島の栄存さんのお墓は、栄存神社として残ってんだと。

 つぶれた笹町家に仕えていたお女中が生まれたなとりの植松に帰って「地蔵さん」をこさえて笹町家の人たちの冥福を祈ったんだと。
 地蔵さんは、「日限(ひきり)地蔵さん」として、いまもなとりさ残ってんだとさ。
 では、また、おみょうにち。

2009年03月20日

「かどく」と「しまぶり」の話

 むかし、仙台地方では後継者のことを「かどく」といって、末っ子を「しまぶり」といってたんだと。
 「かどく」は、「家督」という意味で家督相続者のことを意味していたんだと。
 仙台ことばで、家の当主を「おやかだ」、奥さんを「おがた」といっていて武家ことばの「おやかた(お屋形さま)」、「奥方」からきてるともいうんだと。
 「しまぶり」のことはよくわがんねので、だれかおしえてけさいん・・・・。
 江戸後期から明治初めまで、仙台地方では一番最初に生まれた子を「かどく」としていたんだと。
 長女だったら「ムコさん」を迎えて家を継がせていたんだと。
 これは、江戸後期には飢饉、災害が多く起こって生活がたいへんだからこどもを少なくして間引いたしていたためともいうのね。
 明治になって「戸籍」ができて「男子」しか「家長(戸主)」になれなくて、「しまぶり」であっても「家長」になることになったんだと。
 明治時代に「ムコさん」にきて家を相続できなくて「うちべっか(家族内の分家)」としておわったひとも多かったんだとさ。
 では、また、おみょうにち。
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2009年03月18日

蘇我氏と曽我氏のこと

 諏訪大社・上社前宮前に小さなお宮があります。
 諏訪大社の母神をまつるとされ、一説には「かやなるみのかみ」をまつるとされます。
(以前、参拝したのですが・・・)
 かやなるみのかみは、「出雲神」とされていて奈良・明日香村に神社が残っています。
 このかやなるみのかみは、蘇我氏と関わりがあるという説が関裕二氏の著作にあります。
 蘇我氏というと明日香村にある「石舞台古墳」を思い出します。
(むかし、明日香村をめぐったことをおもいだします・・・・・)
 これは「方墳(四角)」の古墳とされ、出雲地方に多いそうです。
 仙台平野で最古とされる「高舘山古墳」は、方墳とされ、出雲、蘇我氏との関わりがあったら・・・と空想をもちます。
 仙台地方には「曽我氏」ゆかりの地名もありますが、鎌倉武士の曽我氏とされています。
 しかし、曽我氏は、古代の蘇我氏との関係もあるという説もあるそうです。
 「四郎丸」という地名は、曽我四郎丸という武士に由来するともいい、四郎丸には「名取四郎」という武士がいたとされます。
 名取四郎の弟がなとりの高舘山にいた名取五郎とされ、曽我(蘇我)氏と名取氏の関係ありそうです。
 これからの歴史研究がまたれます。
 では、また、おみょうにち。
Posted by natorigoro at 17:34  |Comments(2) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月06日

石巻 一皇子神社のこと

 石巻市に一皇子神社があんだと。
 むかし、南朝の皇子が隠れて、そこで亡くなり神社の神さんとしてまつったんだと。
 南朝の後醍醐天皇の皇子で護良親王のことといわれていんだと。
 護良親王は、鎌倉で死なずに石巻の葛西氏をたよってきたという伝承です。
 一皇子神社のおまつりは、「あれまつり」といってむかしは荒れたもんなんだとさ。
 南朝は、水軍をもっていて日本各地に湊(みなと)をもっていたんだと。
 その中心にいたのが熊野水軍ともいうんだと。
 北朝の伝承がみやぎの内陸部に多いのに対して、南朝の伝承がみやぎの沿岸部に多いのは「南朝の水軍」があったかもしんないね。
 では、また、おみょうにち。

2009年03月04日

3月だっちゃね

 3月でだちゃね。また、ごめんしてくないん。
 
 むかし、藤原秀衡公が加賀の白山権現に「こまいぬ」を奉納したんだと。
 秀衡公は、白山権現を信じていて東北から加賀(石川県)まで奉納したとされてんだと。
 いまも石川県白山市の神社にあって重要文化財をされてんだけど、鎌倉中期の作となってんだと。
 白山は、京都の比叡山の鬼門を守るといって、天台宗系の寺院の鎮守としてまつられているんだと。
 岩手・中尊寺にも白山神社が残っています。
 美濃(岐阜)の白山中居神社には「秀衡公寄進の虚空蔵菩薩像」があって、藤原氏家臣の子孫がいまも守っていんだとさ。
 白山と藤原秀衡公のつながりでした。
 では、また、おみょうにち。

 
Posted by natorigoro at 16:47  |Comments(0) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする