2009年07月11日
【連載:第3回(最終回)/ 親と親〜病院〜】
前回の『帝さん』のエッセイ【〜お墓〜】では、
身近なはずでも遠い存在について考えるような内容でした。
今回の最終回は、更にぐっと身近に感じられるかもしれません。
(今までのエッセイはこちらから読めます⇒OM Member's Essay)
++++++++++++++++++++++++
親と親 〜病院〜
私の親も、彼女の親も、
年代が近く、似たような生活スタイルをしています。ローンを終えた古い一戸建ての、子供部屋を改装して2人住まい。
いまどきの年金暮らしによくある感じで、
趣味やら仲間とのお出かけやらと、それなりに楽しそうです。
これまた同じように双方健康で、と言いたいところですが、
先日、そうもいかない事態が起こってしまいました。
近所の囲碁大会の対局中に倒れ、救急搬送された私の父。
都内に出掛けていた私たちに母から連絡が入り、
慌てて千葉の病院へ向かいました。
ICUに入室する時に、「ご家族の方ですか?」と聞かれ、
「そうです。」と答えて入る私と、一瞬躊躇してから続く彼女。
原因を調べるための検査で、意識が朦朧とする父は引っ張り回され、
私たちは(その病院の)対応や手際の悪さにイライラしたり、
父を残して不安なまま家に帰されたり、また呼び出されたり…。
その夜は長かったので、
母・私・彼女は、並んで座り、検査中の父を待ちながら、
病院側から「ご家族の方ですか?」と問われることについて
話をしていました。
私が母に、
「例えば私に万が一のことがあったら、彼女を(入れるよう)お願い。」
と言うと、
母が彼女に、
「そんなの何とでもなるわよ。“姉”とでも言って入っちゃいなさい。
ほどなく私たち(親兄弟)も着くだろうし。」
「そうですね、はい。」 と彼女。
こんな時だからこその話題です。
「家族(親族)以外の方はお断り」、というのは、
巷によくある“病院のルール”、ですよね。
それを守らずとも、法に触れる訳ではない。
やむを得ず、一時・便宜的に設定した関係(姉だとか)は、
後で一筆書いたものを持っていこうか、ということで、
自宅にある私たちの医療関係のファイルには、
“緊急時の入室、病状説明、治療方針の同意”などについて、
同性パートナーの関係を記して許可を要する、という内容の
書面を入れています。
たとえば1人で倒れた場合でも、
身元確認で、財布や携帯を開けられた時のために、
緊急の連絡先(パートナー)を書いたカードを財布に入れておくのも
いいですよね。
さらに、携帯のアドレス一覧の、“あ”行の一番上に、
「彼女の名前☆緊急連絡先☆」と目立つように設定したりしてます。
そういった知恵は持ち寄って共有したいですね。
話がそれましたが、
結局、父の病因が分かったのは夜中でした。
手術ではなくとも、心臓に処置を施すということになり、
埼玉から兄も到着。
父のベッドを囲んで、母・長男・私・彼女。
緊急時に親族が集まるという、
一種の“団結”の中に彼女がいるのは、心強く嬉しいことでした。
帰り際、深夜の待合ロビーにて、
「ご挨拶が遅れまして、こんな所で、ですが…。」と、
長男(カム済)と彼女が、初対面の挨拶。
そして後日、なかなか会えない次男(兄)が父の見舞いに来たので、
ここぞと捕まえて、遅ればせのカミングアウト。
こんな機会ではありましたが、
兄たちと、私たち2人の関係が進展したので、そこだけはラッキーでした。
しかし本当に、百聞は一見にしかず。
自分たちのみならず、今回、「親の入院」というケースにおいても、
実際の病院との“やりとり”に関しては、強く感じる部分がありました。
看護師から患者(父)との関係について聞かれ、娘だと答えたあとに、
看:「結婚されていますか?」
→「いいえ」
看:「同居されている方はいますか?」
→「はい」
看:「わかりました。」
淡々と、“処理的に知りたいことだけ”の質問とともに、
病院から、私が母以外の「緊急連絡先」に設定される。
カムの必要性もタイミングもスルーされたのは、
状況的に見れば仕方がないのかも知れないけれど、
何とも言い難い気持ちを覚えました。
こういったことで私が動くということは、
私だけではなく、“パートナーと2人”で関わり対処していくこと。
たとえば、看病が長期化した場合や、
彼女が直接に関わる場面をも想定すれば、この場合においても、
病院へのカミングアウトは必要になってくるでしょう。
母がまず、私を頼って連絡をしてきたことでも、
親との距離感について、ハッと思うところがありました。
親にとって、遠くに住んでいる息子たち(嫁・孫)よりも、
近くに住んでいる「娘とそのパートナー」の方が気軽な存在である、
そう思ってくれるのは嬉しいことではあります。
しかし、私たちが出来ること・出来ないことについては、
考えたり、話し合ったりしておかなければならないと思っています。
私たちはヘテロ主婦のように時間があるわけでもないし、
女2人の経済力に、いつだって余裕は無いのだから、
色々な方法を模索していかなければならない。
容態によって状況が変化する「看病」、
さらに、例えばそれが将来、長期にわたる「介護」だとしたら…。
親の介護に明け暮れる同性愛者の話も、少しずつ聞こえてきます。
「看病・介護疲れの女2人」で、クローゼットにならないよう、
それこそ、周りとの共有や精神的な繋がり、知恵も情報も
必要ですよね。
幸いなことに、父の入院は短期間で済みましたが、
今回のことでは、
親はいつまでも達者、というのほほんとした願望は、
残念ながら、私も崩さざるを得ない年齢であり、
準備や覚悟が必要なのだと、実感しています。
+++++++++++(おわり)+++++++++
身近なはずでも遠い存在について考えるような内容でした。
今回の最終回は、更にぐっと身近に感じられるかもしれません。
(今までのエッセイはこちらから読めます⇒OM Member's Essay)
++++++++++++++++++++++++
親と親 〜病院〜
私の親も、彼女の親も、
年代が近く、似たような生活スタイルをしています。ローンを終えた古い一戸建ての、子供部屋を改装して2人住まい。
いまどきの年金暮らしによくある感じで、
趣味やら仲間とのお出かけやらと、それなりに楽しそうです。
これまた同じように双方健康で、と言いたいところですが、
先日、そうもいかない事態が起こってしまいました。
近所の囲碁大会の対局中に倒れ、救急搬送された私の父。
都内に出掛けていた私たちに母から連絡が入り、
慌てて千葉の病院へ向かいました。
ICUに入室する時に、「ご家族の方ですか?」と聞かれ、
「そうです。」と答えて入る私と、一瞬躊躇してから続く彼女。
原因を調べるための検査で、意識が朦朧とする父は引っ張り回され、
私たちは(その病院の)対応や手際の悪さにイライラしたり、
父を残して不安なまま家に帰されたり、また呼び出されたり…。
その夜は長かったので、
母・私・彼女は、並んで座り、検査中の父を待ちながら、
病院側から「ご家族の方ですか?」と問われることについて
話をしていました。
私が母に、
「例えば私に万が一のことがあったら、彼女を(入れるよう)お願い。」
と言うと、
母が彼女に、
「そんなの何とでもなるわよ。“姉”とでも言って入っちゃいなさい。
ほどなく私たち(親兄弟)も着くだろうし。」
「そうですね、はい。」 と彼女。
こんな時だからこその話題です。
「家族(親族)以外の方はお断り」、というのは、
巷によくある“病院のルール”、ですよね。
それを守らずとも、法に触れる訳ではない。
やむを得ず、一時・便宜的に設定した関係(姉だとか)は、
後で一筆書いたものを持っていこうか、ということで、
自宅にある私たちの医療関係のファイルには、
“緊急時の入室、病状説明、治療方針の同意”などについて、
同性パートナーの関係を記して許可を要する、という内容の
書面を入れています。
たとえば1人で倒れた場合でも、
身元確認で、財布や携帯を開けられた時のために、
緊急の連絡先(パートナー)を書いたカードを財布に入れておくのも
いいですよね。
さらに、携帯のアドレス一覧の、“あ”行の一番上に、
「彼女の名前☆緊急連絡先☆」と目立つように設定したりしてます。
そういった知恵は持ち寄って共有したいですね。
話がそれましたが、
結局、父の病因が分かったのは夜中でした。
手術ではなくとも、心臓に処置を施すということになり、
埼玉から兄も到着。
父のベッドを囲んで、母・長男・私・彼女。
緊急時に親族が集まるという、
一種の“団結”の中に彼女がいるのは、心強く嬉しいことでした。
帰り際、深夜の待合ロビーにて、
「ご挨拶が遅れまして、こんな所で、ですが…。」と、
長男(カム済)と彼女が、初対面の挨拶。
そして後日、なかなか会えない次男(兄)が父の見舞いに来たので、
ここぞと捕まえて、遅ればせのカミングアウト。
こんな機会ではありましたが、
兄たちと、私たち2人の関係が進展したので、そこだけはラッキーでした。
しかし本当に、百聞は一見にしかず。
自分たちのみならず、今回、「親の入院」というケースにおいても、
実際の病院との“やりとり”に関しては、強く感じる部分がありました。
看護師から患者(父)との関係について聞かれ、娘だと答えたあとに、
看:「結婚されていますか?」
→「いいえ」
看:「同居されている方はいますか?」
→「はい」
看:「わかりました。」
淡々と、“処理的に知りたいことだけ”の質問とともに、
病院から、私が母以外の「緊急連絡先」に設定される。
カムの必要性もタイミングもスルーされたのは、
状況的に見れば仕方がないのかも知れないけれど、
何とも言い難い気持ちを覚えました。
こういったことで私が動くということは、
私だけではなく、“パートナーと2人”で関わり対処していくこと。
たとえば、看病が長期化した場合や、
彼女が直接に関わる場面をも想定すれば、この場合においても、
病院へのカミングアウトは必要になってくるでしょう。
母がまず、私を頼って連絡をしてきたことでも、
親との距離感について、ハッと思うところがありました。
親にとって、遠くに住んでいる息子たち(嫁・孫)よりも、
近くに住んでいる「娘とそのパートナー」の方が気軽な存在である、
そう思ってくれるのは嬉しいことではあります。
しかし、私たちが出来ること・出来ないことについては、
考えたり、話し合ったりしておかなければならないと思っています。
私たちはヘテロ主婦のように時間があるわけでもないし、
女2人の経済力に、いつだって余裕は無いのだから、
色々な方法を模索していかなければならない。
容態によって状況が変化する「看病」、
さらに、例えばそれが将来、長期にわたる「介護」だとしたら…。
親の介護に明け暮れる同性愛者の話も、少しずつ聞こえてきます。
「看病・介護疲れの女2人」で、クローゼットにならないよう、
それこそ、周りとの共有や精神的な繋がり、知恵も情報も
必要ですよね。
幸いなことに、父の入院は短期間で済みましたが、
今回のことでは、
親はいつまでも達者、というのほほんとした願望は、
残念ながら、私も崩さざるを得ない年齢であり、
準備や覚悟が必要なのだと、実感しています。
+++++++++++(おわり)+++++++++
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