February 08, 2012
マシンガン・プリーチャー/牧師はつらいよ 暴れ太鼓のサム次郎

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教会で恍惚と歌うクワイヤガールへうっすらとした悪意のような異物感を貼りつけていたことでもわかるように、天啓によるサム(ジェラルド・バトラー)のヤンキー先生的転身も含め宗教賛美にならないような煙幕はあちこちに張られていて、そこに食いついてくれるなよという監督の意図はそれなりに伝わってはくる。くるけれど、早くサムをアフリカに行かせたくて仕方ないのかプロローグ部分の駆け足が何だか雑だなあと思えて、例えばただの二日酔いで便器を抱えてるのかと思ったらそれが実は“罪に苛まれている”描写であったり、アフリカから来た牧師の話の何がそこまでサムを突き刺したのかも触れないし、あるいはドニー(マイケル・シャノン)を最終的にはああいうフックに使うのであればサムへの精神的依存(『傷だらけの天使』での亨のように)をもう少し掘り下げておくとか、映画が揺らぐことのできる空間をあらかじめ作っておかないものだから、単に手段が目的化していく時の危うさをサスペンスにまぶしただけの通り一遍な話に終始してしまっていて、一人の人間が新しい世界を発見して繋がる話としてはどうにも奥行きが足りてないように思う。手段の目的化と言えばそれはそのまま宗教システムに感じる欺瞞でもあるから、スーダン内戦の宗教紛争としてのある一面も含めて大きな視点では南北問題まで含めた宗教批判に軸足を移すことも可能だったと思うけれど、劇中でのNGOの扱いやクレジットロールの最後にサム・チルダース本人が突きつける極論など見ると、俺様教の教祖としてのサム・チルダースでエンターテインしたかっただけのようだからタイトル(原題ママ)に皮肉をこめるまでの二重底には手が届かったということになる。今作はマーク・フォスターの新作ということで観たのだけれどこの監督は実は脚本のクオリティに左右されてしまうところがあるように思えて、これまでも出世作でのミロ・アディカ(『記憶の棘』『キング 罪の王』の脚本家)およびデヴィッド・ベニオフと組んだ作品(『君のためなら千回でも』『ステイ』)以外はわりと空回りで脇が甘いというか、もともと作家性/スタイルでねじふせるわけでもないからセンシティヴな余白のある脚本でないと淡色のニュアンスを込められないんじゃないのかなと思ったりもした。ジェラルド・バトラーはメル・ギブソン・リーグの3Aという感じでまだまだ正気が残ってしまっている上に何よりサディストの色気が足りないので、師匠を目指してなおいっそう私生活も含めて切磋琢磨していただきたい。
February 06, 2012
人生はビギナーズ/犬は何でも知っている、夕べ一人で泣いたのも

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女性たちとのパートナーシップに火を灯すことのできないオリヴァー(ユアン・マクレガー)は、両親、特に父親による精神(親子の絆)と愛(母親への慈しみ)の不在がもたらす空洞の感情に育てられたことで、そこにどんな感情を薪としてくべてやればいいのか混乱した10歳のまま大人になってしまっている。とすれば話は単純に思えるのだけれど、そのわりにオリヴァーは父ハル(クリストファー・プラマー)を糾弾することも断罪することもしないまま時間は進むものだから(このあたり時制のシャッフルが少々ややこしい)その真意を計りかねてしまっていると、ハル最後の日々に置かれた唯一父と子の相克が示されるシーンで、父が人生に欲して手にしたものたちのリストに自分も母親も含まれていないという残酷な回想と共に、自分は父親なりに母へ託した愛情と尊厳の証しであるという事実も手渡され、と同時に父が密かに持ち得た愛は社会との闘争(ミルクやギンズバーグのインサート)でもあったのだというその背中をようやく捉えた実感をよりどころにこの映画がスタートしていたことを知るのである。だからここで描かれるオリヴァーの徹底した煮え切らなさは、単なる喪失の嘆きというよりはある意味それを理由に生きてきた欠落をもはやあてにはできないという当惑にも感じられて、アナ(メラニー・ロラン)の「あなたが失ったものを私じゃ埋められないとしたら…」という困惑と不安に「それがそんなに重荷ならもうこの関係をやめよう」と珍しく断定的にしかし駄々をこねるように言い放つ時のオリヴァーにそれが顕著に感じられて、おそらくこうして過去の彼女たちから立ち去ってきたのだろうことを思わせるのだけれど、父だけでなくおそらく母もまた父への愛を武器に闘いを試みた人であることを知るにつけ、愛は空洞に満たされる何かではなく満たす行為そのものであるという覚悟を胸に初めてその先へ踏み出すオリヴァーもまた遅れてきたビギナーなのだという回収がなされるわけで、思い返せばアナとの出会いのシーンでテリアのアーサーがオリヴァーに告げた(しゃべるのである)「今この瞬間に何か突拍子もないことが起きないとぼくらは闇におぼれてしまう、と彼女に言いなよ(Tell her the darkness is about to drown us unless something drastic happens right now)」というナンパのセリフにこの映画のエッセンスが凝縮されているのだけれど、この愛すべき回りくどさをチャーミングに思えるかどうかというけっこう際どい所を歩いている映画ではあって、私小説として晒すことへの監督の照れやわきまえがオフビートをまぶしたことでただでさえオリヴァー目線でしか描かれない母親の屈託が戯画化されてしまったように思えて、少年期のオリヴァーが不在のハルに代わってフィールズ家の夫役までも務めようとした健気とそれが呼んだ小さな自己分裂が大人のオリヴァーが抱え続ける屈託にシフトして行ったことの切実が少し分かりづらくなっていたように思う。とどことなく曖昧な気持ちのまま帰り途でパンフレットを開いてみれば“文:川勝正幸(エディター)”の文字が目に飛び込んできて、そのテキストは“喪失感を抱える多くの観客にとって、一筋の光となるのではないだろうか”という一文で閉じられているのだけれど、まさに喪の仕事をメインに据えた映画でこうして出会う悪趣味にため息まじりの苦笑いで口元を歪ませざるを得ないわけで、何だか幸せとは言えない理由のせいで忘れがたい映画になってしまったなあと今のところ複雑に想っている次第。合掌します。
February 05, 2012
最近ながめてる本
![]() | 石原豪人 妖怪画集 石原豪人 中村圭子・三谷薫 復刊ドットコム 2012-01-30 by G-Tools |
![]() | FUTURE 鶴田謙二 東京創元社 2011-11-29 by G-Tools |
![]() | The Art of Big City Ragnar Baby Tattoo Books 2011-10 by G-Tools |
![]() | R. Crumb: The Complete Record Cover Collection R. Crumb W W Norton & Co Inc 2011-11-07 by G-Tools |
石原豪人の画集はちょっと値が張るけど今までの石原本で一番大きな版になってるから仕方ない、というかありがたい。すべて商業誌掲載用作品にしてこの妄想っぷりは自由すぎる。カメ少年の挿絵とかすごいよ/カヴァーを外すとこれまた素晴らしいのでお忘れなきよう/SF系コンセプト/設定集なのでRagnarガールズのファンにはちょっと薄味かもしんない/カヴァー・アートだと『チープ・スリル』が周知だけど、クラム本人の嗜好は演るのもコレクトするのもブルーグラスとかブルースとかモサモサした野郎が奏でる音楽ばかりなので(『ゴーストワールド』のブシェミはほとんどクラム投影)手がけるカヴァーもほとんどがそっち系ということもあってオブセッションが下りてないストレートなクラムが覗けるし、レコードのラベルからフライヤーまで俯瞰できるのも嬉しいし愉しいし価格も優しいしでお薦め。誰に薦めたらいいのかわかんないけど。
February 02, 2012
最近聴いてるCD
![]() | TRES CABECAS LOUCURAS SAO PAULO UNDERGROUND CUNEIFORM 2011-09-19 by G-Tools |
![]() | The Hustler Soundtrack El 2012-01-10 by G-Tools |
![]() | 1966 Karen Dalton Delmore Recordings 2012-01-18 by G-Tools |
![]() | Seductive Reasoning Maggie & Terre Roche Real Gone Music 2012-01-24 by G-Tools |
![]() | Wasted Gaturs Funky Delicacies 1994-12-27 by G-Tools |
シカゴ・アンダーグラウンドのブラジル・セクトによる3rd。南米でバカンスを過ごすシカゴ音響派御一行、みたいに太陽の熱量と青空の透徹に向かう素晴らしくヴィヴィッドなポストロックマナーのフレームに乗っかるノイズとホーンと弦の自由なカラーリングが絶品。ものすごくお薦め/初CD化となる『ハスラー』を含め『パリの旅愁』『長く熱い夜』のポール・ニューマン出演3作サントラのコンパイル。『ハスラー』はわりとオーソドックスなモダンジャズで勝手にハード・バップなイメージを持ってたのはおそらくシネ・ジャズ周辺の残響かと。『パリの旅愁』(未見)からはデューク・エリントンが14曲でご覧のとおりジャケも良好だし価格も手頃だしでチェリーレッドのいい仕事/1st以前の音源のコンパイルだけどもプレ・デビューと言ってもいい内容なのに驚き。ああ、ずっと最初からこの人は既にカレン・ダルトンだったんだろうなあとビリー・ホリディのカヴァーへの沈み方など聴くにつけ思うけれど、それと引き換えに差し出したものの寄る辺無さが彼女を世界から蹴り出したのかと、この声を聴いてジャケの写真を見るたび思ってしまう/ロバート・フリップのプロデュースで知られたTHE ROCHESの姉妹デュオによるデビューアルバムのCD化。フリップのナチュラルニューロティックな手練手管から一転、マッスル・ショールズ録音ということでポップなアーシー感がこれはこれで耳がはずむ。というわけでカセットテープしかないはずのTHE ROCHESもついでにクリックしてみたよ。録ってくれたOクン元気かな/どこで聴いたか忘れたけど”COLD BEAR”のハモンドにうっとりしてしまって時折思い出したように探していたところ先日disk unionで運良く入手。ニューオーリンズ・ファンクといいつつ、そうしたイメージよりはもっと腰の入れ方が小刻みに軽いというか柳腰というかそんな感じに全曲とろとろのズブズブで極上の甘露。探してみる価値は大いにあるかと。
January 31, 2012
ゾンビ大陸 アフリカン/赤い血潮を黒く塗れ!

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俺たちの帰るべきはあの共同墓地なんだよ、とばかりストイックなまでにジャンルミックスのノイズをそぎ落としてゾンビに再び実存の重さを背負わせることで這いずるようなスピードしか許すことなく、そうやって生死が逆転していく世界でペシミスティックに生を死守する倦んだ彷徨を灼熱のニヒルで描いてみせて、これこそがロメロの由緒正しいアップデートではなかろうかと、70’s東宝東和バッドテイストのグルーヴィーな邦題もひっくるめて傑作という言葉が思わず頭にちらついたりもした。何よりも映画として真っ当に美しく品があるわけで、予算やジャンルの制約を言い訳にしていないというか、カメラの贅沢なマルチ使いなどのぞむべくもないということもあるのだろうけれど、ショットは出来るだけ長くかつカメラはゆっくり止まることがないという計算されたスピード感がローギアなゾンビの佇まいにフィットして、ジリジリとゾンビがフレームインしてくる風情はこのジャンルで久しく味わうことのなかった日常と地続きする薄気味悪さを仕切り直している。また、駐留米軍のマーフィー中尉と現地西アフリカ兵デンベレのコンビによるバディ・ムーヴィーとしての趣も成立させて「おまえらアメリカ人は武器と兵隊を送り込んで来たかと思えば、今度は薬や医者を送り込んでくる。いったいどうしたいんだよ」なんていうセリフをデンベレにさらっと吐かせてアメリカの覇権主義を揶揄することも忘れていないし、何よりこの二人も含めて基本的にバカのやらかしによるサスペンスを維持することをせず、例えば軍の兵士が助けを求めて駆け寄る生存者2人のうち片方がゾンビに噛まれていることを知るや否やごく自然に射殺してみせたり、残弾を気にしての戦闘回避あるいは大鉈による接近戦処理であったり、一人になってしまった後の夜は木に登って眠ったりと地味だけれど納得できる描写を積み重ねることで要らぬストレスから自由であったのも好感の理由に思える。とは言え、自分の水や食料もままならないのに死にゆく母親に赤ん坊を託されてしまう絶望感で、おお、ここからは『ザ・ロード』か!と煽っておきながら少々拍子抜けする切り抜け方で済ませたり、それじゃあ意味ないだろうよ…と思わず突っ込んだ手作りアラートであるとか結果頼みで時折脇が甘くなることはあるのだけれど、こういう一直線の話をアクロバットやクリシェに頼ることなくここまでよそ見させずに演出できるこの監督はけっこうな地肩を感じさせて、ジャンル映画の枠を外したところでもそれなりの結果を残せるんじゃないかなとも思う。肝心のゴアシーンもこれみよがしにしない分だけ自然な惨劇に映って特に轢死系と斬殺系が秀逸だし、何より黒人のゾンビは白人のそれに比べてより洗練されて記号化されたように見えるというか、人格の名残が致死の存在を邪魔しないことでただそこに在るゾンビとして美しく思えて、どうしてそうなのかについて書くと少々危ういような気もするので観てもらえばわかるよということでここは控えとくけども、まあ要するに褒めちぎっているということなので昨今の品なく落ち着きのないゾンビにお嘆きの方はぜひともこちらの暗黒大陸まで。
January 30, 2012
預言者/世界は俺に反射している

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善悪を解いた場所から世界に負債を返すやり口をノワールと呼ぶとすれば最終的に収支はせいぜいがゼロになるはずだし、ジャック・オディアールはこれまでそのゼロに返済の見返りのような光を当てることで昏睡気味ともいえるハッピーエンドに仕立ててきていて、そうした結末へ向かうにふさわしいピーキーな歩調も含め彼の描くノワールが非常にしっくりきていたのだけれど、今回はいささか様相が違っているように思える。ノワールの住人はあらかじめ理想/夢と現実との落差を屈託として飼っていて、それを飼い慣らせば飼い慣らすほど闇が深くなるようにデザインされているのだけれど、ここでのマリク(タハール・ラヒム)は屈託はもちろん自我すらないまま世界(刑務所)に産み落とされていて、そこで言葉を覚え、最初の殺人と殺した相手の幽霊(客体)と同居することでようやく自我との橋渡しとなる内省を獲得し、屈託に至ってはそれがセザール(ニエル・アレストリュプ)に向けられた「ぶっ殺してやる」という言葉になるまで映画のほぼ半分近くを費やしていている。すなわちマリクは世界に貸しも借りもない存在として描かれて、赤ん坊が言葉を覚え自我に目覚め父を倒し家族を持つという世界を獲得していく物語となっているからこそ収支がプラスに転じたようなエンディングに至ったわけで、あの疑似家族の後ろに続く車の佇まいがさすがに修羅の道を予感させはするものの、本来なら光も差さないような狭くて暗い場所に落とされたノワールなればこそといえる肯定の滴には、ピカレスクとかいうよりはもっと根本的な、光を求めてより明るい方へと向かう生の確信を感じさせてこれまでの作品で描いたきたその一歩先を見やったような気がしている。物言わずとも語ってしまうという点でやはりこの監督は冴えていて、これまではファンタジックな軸足を残しながらも映画のリアリティをつきつけることで荒唐無稽とも言える物語に血肉を与えて描き切ってきたのだけれど、ここでは一見徹底して実録風に描きながらも随所にインサートされた心象の彷徨う風景によって夢見心地なグリップを離さずにいるものだから、何か一炊の夢のような儚さも持ち合わせてさえいて、そうした両面性を持ち得るための手続きとして2時間半の長尺が必要だったのだろう。例えば、これまで修羅場をくぐってきたとは到底思えない19歳のマリクにおいそれと人を殺せるのだろうかという疑問が形をとる前に執拗とも言える殺人のレクチャーが施されるし、入所時にゴミ箱に棄てられるスニーカーに始まって折々で靴のあれこれに心情を託してみせること(力関係としての靴強奪や、ショーウィンドウの高級靴)や、自分の足で歩き出したように思わせながらも、空港でのボディチェックで思わず刑務所でのそれのように口の中まで見せてしまう卑屈や銃でちょっと小突かれれば泣きわめいてしまう脆さなど、そうやって行きつ戻りさせることで物語の振幅を少しずつ拡げていくやり方をこのサイズの映画で貫いたという点でなかなか驚異的に思えるし、その両面を縫い合わせる場所をエンディングではなくマルカッジ襲撃時に設定したことで、銃弾と銃声と硝煙の中でついに自分が世界にフィットした瞬間を掴んで愉悦の表情を浮かべるシーンで突発する多幸感は忘れがたく、以降に起きることはすべてエピローグでしかないような気すらする。ただ、アメリカン・ノワールの自滅して下降するセンチメントと比べた時にフレンチ・ノワールが放つ、自己愛による甘い腐臭を現代にアップデートしてきたオディアール作品を愛でてきた身からすれば、今作は生真面目に代償を払いすぎたというか、北野武作品で言えば『3-4x10月』と『ソナチネ』および『HANABI』への距離に感じた正しすぎる累積にも似たような気がして、ではどちらをと聞かれればやはり『リード・マイ・リップス』や『真夜中のピアニスト』でのとろり沈澱する不埒や放恣を選んでしまうだろうなあという気がする。ほとんど出ずっぱりのタハール・ラヒムは無垢の揺らぎを弱点と武器とに使い分けて、デビュー作としてはまず尋常でない結果を残している。ニエル・アレストリュプはつい先だって『サラの鍵』で善良この上ない役柄だったものだからもしかしたら『冬の猿』的な展開になるのかと思いきや老いた手負いの狂犬を硬い拳のように演じていて、彼の重しのおかげでタハール・ラヒムの自由度が高まっていたのだろうと思う。傍役ではジョルディを演じたReda Katebが場末のウォーレン・ウォーツのようで好みの風情だった。2009年のカンヌグランプリが今になってしかも都内単館で前売り券もパンフレットもないままの公開というのは、昨今の非英語圏映画に対する逆風を象徴しているようでいろいろと複雑ではあるのだけれど、ジャック・オディアールという名前はこれからも暴力と人生の関わりを描いた名作を間違いなく生み出していく忘れがたい名前になるはずなので、ご存じの方で今まで乗り切れなかったもご存じでない方も、まずは劇場に足を運んで最新版の彼をご覧になることをお薦めする。
January 26, 2012
ダーク・フェアリー/おまえが死ぬんかいっ!

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オープニングの過去パートで、ブラックウッドがメイドの口に金テコを突っ込む時のガリゴリいう音がなかなか容赦ない上に『フリークス』のフリーダみたいな顔した不機嫌な女の子がサリーを名乗ってるもんだから、ああ、この子が最後にはあんなことになっちゃうのか、やっぱりデル・トロは大人が泣き叫んでも満足しないんだなと苦難と受難のフェティシズム炸裂の予感に身を乗り出したところが、キム(ケイティ・ホームズ)とかいう赤の他人のくせにサリーと親子にしかみえないブルドッグ顔の姉さんの小芝居がノイズでしかなくて、いやいやいや、だったらリプリーがニュートを抱きしめ続けたみたいにサリーから目を離すなよと、デル・トロが脚本に名を連ねたわりにはまったく発熱しない物語に、ああでもあれか、オリジナルでのグールが光を嫌ってたからやっぱり光が弱点だった『黒の怨』のトゥース・フェアリーと結びつけたのか、ならば子供受難にも持ち込めるし、そういえば『ロスト・アイズ』でもカメラのフラッシュが武器だったっけとデル・トロが盛ったのはそういう手っ取り早いところだけのように思えて、名義貸しみたいなプロデュースばっかりで何だか仕事が荒れてないかいと、『狂気の山脈にて』の頓挫など思うとけっこう心配してるんである。で、地下室の魔物の皆さんについて言えばオリジナルを律儀にアップデートし過ぎたことで英語を話すまっくろくろすけのようになってしまった上に、主に攻撃の対象となるのが子供のサリーということもあってやってることはグレムリンのような悪ふざけにしか見えないというか、要するにまったく怖くないのが致命的で、地下に蠢く異形の者といえばこれくらいやってもよかろうに、安心のデル・トロブランドというディフェンス重視なんだとしたら由々しいなあと思う。そう言えばガイ・ピアースは『アニマル・キングダム』に続いて“役立たずの善人”を振りまいて『プロメテウス』ではちゃんと役に立ってくれていることを祈らずにはいられない気分。奴ら相手に役立たずはいらないよ。
January 23, 2012
アニマル・キングダム/死んでみた、生きていた

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※ストーリーに若干触れているので観賞予定の方はスルー推奨
警察が用意した証人保護用の隠れ家でレッキー巡査部長(ガイ・ピアース)を相手におそらく生まれて初めて料理の真似事をするジョシュア(ジェームズ・フレッシュヴィル)は、レッキーとの気のおけないやりとりに劇中で唯一の笑顔を見せるのだけれど、肝心なのはこれがニッキーの死を知ってさほど間もないシーンだということで、既にその衝撃によって自意識を強制リブートしていたとは言え、それによって手にした感情のひだを愉しむような笑顔の違和感は、この映画の特に中盤までの得体の知れない不穏と不安定をコディ本家の面々というよりはこの17歳のジョシュアが醸していたことにも繋がっているように思う。オーヴァードーズで事切れた母親と並んでソファに座り「何をやった?」と問い質す救急隊員にこともなげに「ヘロイン」と答えながら視線はテレビのクイズ番組の結末を追っているという、ジョシュアの抱える感情の凍結をさっと描いてみせた秀逸なオープニングから始まって、まるで稀代のお子様横綱北尾のようにぶよぶよとして輪郭の定まらない虚ろな自己を貼りつけた表情でコディ本家のコンバットゾーンに呆けたように踏み入っていく様を見ていれば、ニッキーの死を経て自分の生命の危機に直面することで突如として肉体と精神の巧みなガンさばきを繰り出してみせるジョシュアにあてはまるのは成長とか通過儀礼とかいうよりも覚醒という言葉がふさわしく思えるものだから、エンディングでポープに果たした行為も復讐というよりは父殺しの一種のようにも見てとれる。この映画では徹底して父親は不在の者として描かれていて、ひとつジョシュアの不幸を嘆くとすれば疑似的な父親になりえたバズ(ジョエル・エドガートン)が早々に葬られてしまったことであって、レッキーが差し伸べた手については、既に覚醒の途に送り込まれたジョシュアにしてみれば逆手にとって利用する以外の意味がなかったのは言うまでもなく、かつて自分を亡き者にしようとしたスマーフ(ジャッキー・ウィーヴァー)を手をかけることなく抱擁したのは、父殺しを果たしたことでようやく見つけた居場所はそこがどれだけグロテスクであろうと血の絆の中にしかないことを知ると同時に、オレ(ジョシュア)はこいつ(スマーフ)がオレを殺そうとしたことを知っているし、この子(ジョシュア)はワタシ(スマーフ)がこの子を殺そうとしたことを知っているという、懐で突きつけられたナイフの向きを互いが確認する瞬間でもありつつ冒頭で為された甘噛みのような抱擁にはもう二度と戻れないのだという喪失の感傷にも満ちて、それはジョシュアにとって新たな修羅へ向かうのか、あるいは修羅がうごめく世界との訣別なのか切羽詰まった岐路に彼を一人立たせたまま幕を閉じる余韻の寄る辺なさからは、例えばケン・ローチの『スウィート・シックスティーン』にはかろうじて許されていた青春を燃やして暖をとる術すら奪われていて、まだ何も始まっていないというよりはいつの間にか始まっていつの間にか終わってしまっていた未来の残像だけが、おそらく最後となるであろう抱擁に一瞬だけ光を与えて幸福の静けさを錯覚させる点で何とも忘れがたい。こうした連続については、順撮りをしていればともかくその可能性があまりないだろうことを思うと、ジョシュアを演じたジェームズ・フレッシュヴィルが見せるスウィッチの入れ方はそれが映画の大切なポイントとなるだけに、感情を散歩させているような前半とすべての感情をアクションに直結させなければならない後半との切り返しは、監督が時折みせる省略と断絶のリズムに乗ったとは言え、17歳のデビュー作にしてはなかなか圧倒的なように思う。あえて背景に沈んでしまうよう巧みに演じたガイ・ピアース以外は知らない俳優ばかりで、そうやってバイアスを持たずに相貌と身のこなしを待ち受ける愉しみを充分に味わえたこともこの映画の魅力なのだけれど、すべてを本能に任せたコディ家の子供達を血の精神支配で束ねる母親スマーフを演じたジャッキー・ウィーヴァーと、出番は少ないものの善悪の定義を金に換える狡猾さをコディ家とは色の異なる邪悪で染めた顧問弁護士エズラ・ホワイトを演じたダン・ワイリーとのピカレスクなコンビネーションがこのナイーヴな映画のスパイスとなって旨味である。監督/脚本のデヴィッド・ミショッドは悪事そのものよりもその周辺の息づかいをじっくりと浸透させることで、これから起きるであろうことを想像させてサスペンスを醸成させる手管が秀逸だし、そういう風にじっくりと見せるカットのリズムはそこにはいないけれど作用するであろう人間を思い浮かべて紐付けしていく助けにもなって、キャラクターの関係性でグルーヴしていくこの映画の特徴的なベースラインになっている。最近で言えば犯罪一家という設定で『ザ・タウン』を、青い魂が世界を突破する物語として『ウィンターズ・ボーン』を思い浮かべるのは容易いけれど、ここにあるのは泣き言と尻込みと逡巡と言い訳につけこまれる女々しくて惨めな男たちばかりで、ジョシュアの選択にしたところでそれはまだ彼が“男”に枝分かれする前だから為し得た身投げのようなものであり、前述の作品にあったヒロイズムの自滅する美学や高潔な意志とはほど遠い体たらくなので、そういう面倒を抱えて這いずり回る自分を自覚しているワタシのような人間こそが劇中で炸裂するエア・サプライの虚無に呑まれてしまえるように思うので、まずはそうした輩が足を運ぶべきであるように思う。
January 19, 2012
最近買った本
![]() | モンテ・ヘルマン語る---悪魔を憐れむ詩 モンテ ヘルマン エマニュエル ビュルドー 河出書房新社 2012-01-14 by G-Tools |
![]() | 音楽が降りてくる 湯浅 学 河出書房新社 2011-10-20 by G-Tools |
![]() | 郊外の文学誌 (岩波現代文庫) 川本 三郎 岩波書店 2012-01-18 by G-Tools |
![]() | ベトナム報道 (講談社文芸文庫) 日野 啓三 講談社 2012-01-11 by G-Tools |
![]() | 都市と都市 (ハヤカワ文庫SF) チャイナ・ミエヴィル 日暮 雅通 早川書房 2011-12-20 by G-Tools |
手に取った本を裏返してみると何だか高い本ばっかりで小さくうめき声など漏らしつつも、単行本の2冊に関して言えば出してくれてありがとうという本なのでブックファーストやタワレコでポイントを駆使しつつ購入。モンテ・ヘルマンについては『断絶 コレクターズ・エディション』にセットされていたブックレットがかなり充実していたのだけれど、こうした肉声テキストは初めてなのでこれを読み終えたら『断絶 ニュープリント版』に臨む予定。「ジェイクをさがして」がかなり愉しめたチャイナ・ミエヴィルの「都市と都市」は現在読み中で、二重国家/二重都市を舞台にした警察小説は、神経症的なひねりに逃げ込まずメランコリーであれセンチメンタルであれ感情の陰影で包んでいくミエヴィルの筆致がハードボイルドにうつむいて、この裏通りの疾走を保ったままアクロバティックな大風呂敷をどうやってたたむのかすごく愉しみ。容易な映像喚起を許さない埋め尽くすような散文表現も含め、このまま失速しなかったら傑作になるように思う。
January 16, 2012
果てなき路/その気になれば死ぬこともできた

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原題 "ROAD TO NOWHERE" がすべてを語ってしまっているにしても、その路上に邪険に放り出されでもしたのならともかく美味で滋養に富んだ食事を与えられた上に寝心地のいいベッドで眠ることを許され、そうやって予期せぬ歓待を受けた上で送り出されるものだから、このままどこへもたどり着けないとしてもそれもまあ良かろうなどと思ってしまったりもする。ただそれはあくまで用意された麻酔が効いた後の夢見心地と酔い心地による麻痺であって、それが効き始めるまでのとりつくしまのなさはちょっとした人でなしとも言えるほどで、それぞれのシークエンスは文句のないショットとダイアログで構成されているだけに、それがどうしてここまで手をつないでくれないのかについてはいっそ爽快なくらいなのだけれど、確実なのはある1つのショットを除いて、それがカメラの前であろうが彼方であろうがすべては実際に起きていた時間を綴っているということで、一見、混乱に拍車をかけるような一人二役の氾濫もそうやってすべてを均質にすることによって、虚実のないまぜや思わせぶりで翻弄しているつもりはないのだというアクチュアルな宣言のように思える。そうやって妄想や空想をことさら意識させずに潰していくのは、先に述べた唯一虚構であるがゆえ完璧に作用するあるカットを獲得するためで、キャノンのディスプレイに一瞬映り込む撮影クルーのそのカットを虚構と呼ぶのが適当でないとすればそれは祈りと言ってしまってもいいのだろうし、その祈りを捧げる相手こそが他ならぬ「映画」なのである。ワタシ達は終われないのに「映画」は終われるからこそその後ろ姿に恋い焦がれるのだし、カット!を叫ぶことで「映画」を終わらせることが出来る唯一の存在である監督は全能を誇示することを許されるはずなのに、終わらないこちらと終点するあちらとの端境に立った劇中の監督は、こちらからあちらを、あちらからこちらをフレームに収めることで「映画」を呼び寄せて祈りを託そうとするのだけれど、既に祈り文句(カット!)を手放してしまっている彼の捨て身とも言える干渉によって出口を閉じた「映画」はその後いつまでも“終わる”ことを続けていて、それは永遠に静止するヴェルマを飽くことなくクローズアップし続けるカメラの道筋となって冒頭の原題につながるように思われる。かつて、こちらのワタシ達のように終われない映画を撮ってしまったモンテ・ヘルマンがそれゆえ幽閉され続けてきたことは荒んだフィルモグラフィによって周知だしこの映画にも21年ぶりの新作、といった惹句が踊っているのだけれど、そうやって完成させたのがよりによって永遠に終わり続ける映画であるという、これでどうだ、終わったけど終わってないぜという復讐を圧倒的なマナーで成し遂げた執念のはずが、それにしてはやけに穏やかで落ち着き払っているからこそ底がまったく見えなくてなるほど怖ろしいと思うのである。というわけでまずは『断絶』のラストでモンテ・ヘルマンがいったい何を企んだのかそれを知った上でこちらを覗いてみると、40年の間続く冷たい激情が背中を撫でてくるのに気づかされるので、『断絶』未体験の方はそちらと併せた二本立てのつもりで劇場に向かわれるとより厄介な深みにはまれるように思う。ちなみに、同じ人間が3度撃たれて同じ飛行機が2度墜落した上でそれについては真顔で頓着しないようなプロットなので、ああしまったどこかで寝オチしたのかなどと自分を責めることなどないようにとお節介をしておく。
January 14, 2012
ENID HI-FASHION GLAMOUR DOLL / NECESSARIES TOY FOUNDATION







18歳にしてブコウスキー的メランコリーをまとった黄昏のパンク、イーニド。確かに幸福な映画化ではあったけれど、ブシェミの味わいがイーニド本来の捨て身を中和してセックスのオブセッションを疑似恋愛に書き換えてしまっていたことや、レベッカが少々紋切りに過ぎたことなど原作を知っていると少し足りない点があったのも確かで、そもそもどうして今頃イーニドのフィギュアを引っぱりだしたり映画の想い出を振り返ったりしているかというと日本語版『ゴーストワールド』が10年振りの増刷となったからで、ワタシもついつい500冊限定のハードカヴァー版を買ってしまって久しぶりに読み返してみたところが、思春期のイニシエーションというよりは世界への手がかりから遠ざけられていく屈託は今の世の中の方がフィットするような気がもして、未読の若い衆はいい機会だから読んでみると傷にも心にも沁みるんじゃないかなと思った次第。ちなみにハードカヴァー版はPRESSPOPさんでのみ購入可能なので、座右の書とされたい方はこちらを是非。
January 10, 2012
哀しき獣/返り討ちのブルー

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不義と不信に苛まれた男たちの血で血を洗う殲滅戦の虚しさを骨子に焼き付けたかったはずが、明らかにされる真の理由は命を賭すに値するとは到底思えないちんけでくだらない子供じみた見栄と意地がまき散らしたに過ぎず、だから面白いんじゃないかと言われればまあそうなんだけど、その“面白い”が緊張と緩和によるコメディラインによるものなのか、トラジコメディの振幅が滲ませる陰影なのかワタシは少々拾いきれなかった気がする。前者についてはミョン社長(キム・ユンソク)、後者については主人公グナム(ハ・ジョンウ)が背負って立つわけだけど、ハッキリ言ってミョン社長のターミネーター的狂犬が映画を喰いつぶしてしまったせいで、それを同じ土俵で迎え撃たなければならないグナムから掃き溜めの屈託や哀しみが吹き飛ばされてしまっていて、彼に貼りつけるつもりのメランコリーがペラッペラになって映画のチャームがすべてミョン社長に宿ってしまったのものだから、ミョン社長の昇天後に慌ててグナムにフォーカスしようとしたところで時既に遅く、グナムの嫁探しというサスペンスラインを中盤で少々撹乱し過ぎたこともあってラストのファンタジックなニヒルが映画を包み込むには至らなかったように思う。それとお馴染みの韓国警察新喜劇については、ちょっとした箸休めとしてなら苦笑いで済むところがこういう風に主人公の局面打開を助けるために使われてしまうと、今ひとつ真意を測りかねて身を乗り出せなくなってしまうのも否めない気がする。とは言えこの映画をある種のカオスに追い込んだ張本人であるミョン社長の勇姿だけ観ていても映画の元は取れてしまうわけで、なにしろ実写化された「バクネヤング」を初めて目にした気分なものだからミョン社長が出てくるとワクワクして仕方がないのである。自我に題目がない、本能と理性が分離していない、現象以外の死をイメージしていない、つまり死に意味を見出さない、死は肉体を壊せばやって来るもので魂や精神は関係ない、というか魂や精神を知らない。そんな風に自由を発露する人間がいかにチャーミングか、それを確認するためだけでもこの映画を観る意義があるし、壊れるように死んでいくその様はやはり「バクネヤング」のそれと同じく死だけが平等でフェアだという事実のとりつくしまのなさを体現していて震える。やたらと評判の良かった『チェイサー』を未見なものだからまずそちらを観ようと思っていたのが新宿で手持ちぶさたになったものだからついふらふらと観てしまって、正直いって140分かけて語るような物語ではないし、映画が暖まるにつれて全員が全員1980年までの渡瀬恒彦化していくような確信犯的でたらめを働いていたりするせいでこちらも腰が落ち着かないことこの上ないのだけれど、それを補って余りある破壊の精神を見つけて愛することは充分可能なように思えるので、特に今さら「バクネヤング」といった字面に反応してしまう奇特な方は是非劇場に足を運ぶべきだと思う。全勝どころか優勝もおぼつかない9勝6敗だけど、9勝の勝ちっぷりだけで大笑いできるはずである。
January 07, 2012
CUT/殺したいのは映画、殺されたいのも映画

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キスの代わりにパンチが降り注ぐR-18版『ニュー・シネマ・パラダイス』である。であるけれど、ここにあるのは追憶とか郷愁とかいった茶飲み話の類でないのは言うまでもなく、掴まえたのは映画と血の契約を交わした者だけに与えられる恍惚と負債が驚くべきことに手を取り合う瞬間であって、それは一切の共感を拒んで爽やかに孤独であった上にそれを祝福するカウントダウンまで用意されたものだから何か勝利をおさめたような気分になってしまうのだけれど、無音のまま続くクレジットロールがその昂奮を鎮めていくにつれ、そもそも秀二(西島秀俊)の被虐ともいえる映画への献身が兄の命を奪うきっかけとなっていることなど思い出してみれば、禊ぎと言うよりは鉄を鍛えるように打ち込まれた100発パンチはその熱狂の献身を静かな狂信へとより純度を高めて、ここで目にしたのは映画との抜き差しならないデモニッシュな契約の瞬間であったことに思い至ってようやく身震いなどするのである。ではそうやって悪魔を共犯に選んだ秀二が未来で撮る映画は何なのかと言えば、それこそがこの映画なのだろう。暗闇の中でしか生きられない映画の不自由と不健全と不完全ゆえに、無責任で突拍子もなく気のふれたふるまいで光を渇望する姿が切なくて美しいのであり、この映画はラストの、スタート!のかけ声に辿り着いたことによって、その暗闇と光を円環させるのに何だか成功しているように思うのだ。気がつくと西島秀俊が何か映画について絶叫しているか殴られているかしているのだけれど、そうした感情に相乗りして押し切ってしまうような雑なカットやフレームが目立つことのない実に端正な映画で、延々と殴られるシーンに時折インサートされる都会のビル群を捉えたカットは、曖昧に歪んでいく秀二の顔に対する直線的な切り返しとなってリズムを立て直すし、血で染まった洗面器の氷の真っ赤なヴィヴィッドや肉体の重さをきちんと感じさせるライティングや空間の配置など、得体のしれないことを描くからこそ必要となる揺るぎのない下支えが、予算の多寡とは関係ない映画の意志として品格を押し上げていたのだろう。西島秀俊はビルドアップというよりは意志の反映として余分が削がれた肉体も含め、狂気を正気に誤射する暴発がこらえきれず内部から冷静に噴出していく様を崇高にして怪物的に映し出す。そういえば、秀二がトイレに行くシーンでは後ろからカメラが追いかけて、おそらく肉体ダメージの描写として血尿でも映し出すのだろうと勝手に先読みなどしているとあっさりスルーされる始末で、この映画が届く範囲のことを考えると、ああこれはそういうしたり顔を潰していく映画でもあるのかとも思うので、まずはそういうしたり顔の身に覚えがある人間が観るべきなのかという気がしないでもない。
パンフを買うとシネマート新宿ロビーに常駐するアミール・ナデリ監督のサインと記念撮影が!(※1/5現在)
January 04, 2012
リアル・スティール/可愛い親には旅をさせろ

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アトムの思いがけない活躍によりシャドー機能の見直しとその参照するトレーナーのボクシングスキルそのものが重要視された結果、元ボクサーのトレーナーとしての需要が高まり、それによってロボットそのものよりそれをファイトさせるリングサイドのトレーナーがパイロットとして脚光を浴びることになる。ならば人間同士を闘わせても同じことではなかろうかとする極論が湧いて起きるのも当たり前で、ショーアップから原点回帰していく流れはかつてのボクサーたちにリアル・ファイトの居場所を与え、成功に酔いしれ目標を見失っていたチャーリーは己の真の姿をマックスに見せるためカムバックのリングに上がり、こうして続篇はリアル・スティール版『チャンプ』としてあこぎな涙を搾り取るのであった。というわけで頼まれもしない妄想を垂れ流したあげく言いたかったのは、キーワードはあこぎということである。王道を往く父と子による喪失と再生の物語にトランスフォーマーが開拓したロボ戦をぶちこんで一丁上がりである。とは言っても、チャーリーにしろマックスにしろ決定的な何かを喪失しているようには皆目見えない上に何しろマックスがすべての解答をあらかじめ用意しているものだからチャーリーの成長などお風呂で一人で頭を洗えるようになりました!程度のもので、それで事足りてしまう再生についてはいわずもがなである。そもそもチャーリーのボクシングに対する屈託が最後まで滲んでくれないから ”People’s Champion”という称号をチャーリーに二重写しできないままで、リッキーとの因縁がそこに絡んでくるのかと思えばその気配もないままだし、ゼウス陣営がアトムを欲しがる理由の曖昧さ(タク・マシドだけはアトムの正体を知っていた。不遇のまま世を去った父がプログラムしたOSを搭載していたのである、くらいのハッタリは要るんじゃない?)や、そして何より足りてないのは、鏡に映った自分を見て物憂げな内省のそぶりを見せるアトムのカットがまったく回収されなかったことで、まるでハーレイ・ジョエル・オスメントのような相貌を持ったロボットでしかも名前がアトムと来れば(あっちでの源氏名はアストロ・ボーイだとしても)彼の予期せぬ覚醒がドラマをシェイクするのだろうと当然思っていたところが見事なまでに罪作りな投げっぱなしには、それってどうなの?といまだ腑に落ちないままである。原作でのロボットはヒューマノイド型でその設定がオチにつながっていくのだけれど、そちらはトワイライト・ゾーンでドラマ化される際にリー・マーヴィンが起用されたのがうなずけるマシスン特有の不屈のペシミズム溢れる好篇で、マシスンはディックよりまだマシとは言えやはり脳天気な換骨奪胎の憂き目にあうことの多い作家なのでできれば原作を読まれることをお薦めする。とまあブツクサ言ってはみたものの、夜更かししてボーっとした頭で浅草寺の仲見世を人にもまれてそぞろ歩きしたあげく、場合によっては寝落ちしてもいい映画ということでこれを選んだところが瞼はつゆとも下りてこないまま過ごしてしまったわけで、そういう悔しまぎれもあった上での言いがかりなのは自分でも承知しているので、お正月ということで大目に見てもらえればと平にお願い申し上げる次第。ちなみにロボットは一番最初のアンブッシュとキングピンのロボットがボスボロットみたいで好き。あ、もう一つ思い出した。ノイジーボーイは実は致命的な欠陥を隠したまま売りつけられたってオチがあるもんだとばかり思ってたからそれも尻すぼんだ。ああ、もう一つあった。チャーリーがマックスの年齢をくり返し間違えては訊ねてたのは、いやコイツが11歳って計算合わないんだよな…っていう実はマックス実子じゃない説を横糸ではりめぐらす伏線なのかと思ってたら、何のことはないチャーリーのボンクラ描写に過ぎないことが分かってがっかりしたんだった。
January 01, 2012
December 31, 2011
サラの鍵/星の光のとどかぬほうへ

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クリスティン・スコット・トーマスを不機嫌な彼女として沈めていくものだとばかり思っていたので、寝た子を起こして寝かしつけるやり口に感心はしたものの、起こした後で刺し違えてみせた『灼熱の魂』に比べると、はなから贖罪をちらつかせた周到さがやや透けて見えたこともあって仕上げの滑らかさにやや心を砕き過ぎたように思えてしまう。若いスタッフのノンシャランをやり込めたり夫に向かって「真実に代償はついてまわるわ」と言いはなったはずのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)が、サラの息子ウィリアムのたった一度の拒絶で特に葛藤も描かれないまま腰くだけになってしまう点の喰い足りなさや、この物語の中で最も高みを旅しなければならなかったのが実はウィリアムであったことなどを思うと、ジュリアが維持する同心円から彼女が消えている時間の方がフィクションの踏み込みと熱量が豊かに思えてしまうし、彼女の個人的な事情をサラの切ない亡霊が掴まえる瞬間をピークにしていないものだからラストに用意された永続する魂の証が十分な余韻を持てなかったのではなかろうかとも思えてしまう。ヴェルディヴという史実の枠組みを利用してそこにフィクションの血肉をはめ込むことで時間を行き来するという構造を有効にするのであれば、ジュリアはもう一歩退いて観察者にするかより深くコミットさせて発見/代弁者にするか決定すべきだったように思う。これが原作脚色なのは承知だとしても、過去パートはサラ役の2人(少女期のメリュジーヌ・マヤンス、成長後のシャーロット・ポートレル)による運命に追い込まれた果てに窒息していく演技がえぐるように秀逸なので、例えばアメリカでのサラの事故シーンをオープニングに、父の告白を基に現代から過去に遡るウィリアムとヴェルディヴという史実を基に過去から現代を辿るジュリアが邂逅する場所をあのアパートにして、サラの鍵が過去と現代をつなぐ扉を開けて見せることでサラという女性の生涯を完成し、と同時にそれを翻弄した愚かな時代の告発を果たすという、あくまでも2人のサラを主軸にすることでよりいっそうの踏み込みと切り裂きを可能にするフィクションが観たかったなあと夢想してしまうのは、あのラストで免罪してしまうにはサラの生涯はあまりにも苛烈で残酷に過ぎたと思うからで、まあそれもこれもその免罪すら原罪で覆い尽くした先述の『灼熱の魂』を直近で観てしまってややこしいバイアスがかかっているせいであることを思えば、それらはこの映画の責任ではなくワタシの言いがかりに近いことではあるから、どちらも未見の方はなるべくこちらを先に観てからあちらを観れば気持ちはあるべきふさわしい所に収まるように思うのでご一考を。
とりあえず今日で2011年は終わりますが、何か終わりのないことが始まってしまったような年でもあるので、何だか非常に曖昧な気分です。おそらく本能としてワタシ達は明日も生きていこうとするわけですが、そういう気分が少しくたびれて憂鬱になった時に少しだけ背中を押してくれる光とか音とかアイディアを来年も見つけられたらいいなあと思っています。皆様にもそうした仲間が見つかりますように。
では皆さん、良いお年を!
December 29, 2011
2011年ワタシのベストテン/映画

「冷たい熱帯魚」
「ブルーバレンタイン/Blue Valentine」
「マイ・バック・ページ」
「復讐捜査線/Edge Of Darkness」
「ドライブアングリー3D/Drive Angry 3D」
「THE LAST CIRCUS」@ラテンビート映画祭
「さすらいの女神たち/Tournee」
「4デイズ/Unthinkable」
「ウィンターズ・ボーン/Winter's Bone」
「宇宙人ポール/Paul」
いつもどおり観た順。振り返ってみれば、年の初め頃に村田が叫んだ「オレも幸せになりた〜い」が今年の総意となったわけで、よって幸福の追求を邪魔する不届者はメル・ギブソンに牛乳アタックをくらうべきだし、そうやって意識的に手持ちの幸せのサイズや重さを再確認することになったせいか、自分を差し出すことで世界を告発するような映画に目が向くことが多かったような気がするのだけれど、いざ10本選ぶとこういうことになってしまうのが映画の不可思議なところで、あえて括るとすれば昨日の音楽篇と重なるけどもメランコリーに轢かれてしまいたいという欲求を満たしてくれていることであって、メランコリーを潰せるのはメランコリーでしかなかろうというまあそんな感じだし、そうしたコチラの心持ちのせいか映画館の暗闇が今年はことのほか優しく感じられたものだからここ数年では最も足繁く通ったのだろうなという気がしてる。とは言っても他人の吐き出した感情の照射を不特定多数と一緒に食い入るように見つめて自分のコントロールを手放すことで快感を買うっていうある意味不健全で不健康な愉しみのはずが、そこに優しさを感じだしたりするのはこちらが変質してしまったということなんだろうけれど、でもそれが好ましいのか憂慮すべきなのか正直言ってよく分からないので、今しばらくはこんな風に暗闇をあてに足を運ぶんだろうなあというそんな感じ。ああ、いよいよ加齢による瓦解なのか?
December 28, 2011
2011年ワタシのベストテン/音楽

・ Alvarius B. / Baroque Primitive
・ Dirty Beaches / Badlands
・ Bill Ryder-Jones / If
・ Cass McCombs / Wit's End
・ Mark Mcguire / Get Lost
・ Bruno Pronsato / Lovers Do
・ 坂本慎太郎 / 幻とのつきあい方
・ Toro Y Moi / Underneath The Pine
・ Kurt Vile / Smoke Ring For My Halo
・ Wire / Red Barked Tree
いつも通りアルファベット順だけど今年はベスト1を挙げておきたい気分なので、見果てぬ夢が寄せては返す夜のさざ波でAlex Zhang Hungtaiがサーフする1枚に恭しく戴冠。Mark Mcguireは昨年の傑作を更に上書きして、覚醒する弦の震えと沈思するループの揺らぎが生み出す風景の、懐かしくも異様な高解像度でつま弾かれる世界は既に彼岸の域ですらあるかのようで天才認定。あとはご覧の通り強靱なメランコリーが精神を叱咤激励するような音楽で、これが紛うことなき今年の気分なんだろうと自分で自分に納得至極。で、来年もおそらくそんな感じかなあと。
December 25, 2011
宇宙人ポール/We are not quite so alone

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こんなもんThe Only Onesのアレが流れた時点で早々に勝ったと思うに決まってるわけで、まあそれはそれとして、やはり『SUPER 8』の敗因が“ありがとう”成分の圧倒的な欠如と、その結果として宇宙人を宇宙“人”として描く必要なしとしたスカした余裕であったことがこれを観た後だと小気味いいくらいに分かる。この“ありがとう”は感謝の念とかそういうことよりも、それを言える相手と言ってくれる誰かとつながっているという手触りのようなもので、それが自分の人生には足りてないことを知っている人間がそれを切実に欲してみせる時、サイモン・ペグにしろニック・フロストにしろ、グレッグ・モットーラにしろ、彼らを信用してやまないのは、そのせいでぽっかり空いた穴についてなら僕等も馴染みがあるし、その埋め方についてもちょっといい方法があるんだけど知りたい?と笑って教えてくれるからに他ならず、この映画はそういうやわらかなアドバイスで出来上がっているものだからこちらも思わず“ありがとう”と返してしまっているのである。60年を監禁されてなおかつ生体解剖の憂き目に遭いながらも、ポールの地球最初で最後の旅はそうした“ありがとう”に彩られていて、出会った人々に新しいつながりを与えることで爽やかな孤独とでもいう自由をまき散らしながらそれぞれの自縛を解放していく。といった筋立てだけでもかなり深々と絆されてしまうところに、エクストリームでシニカルだけどジェントルなギャグが手際よく詰め込まれているものだからもう辛抱たまらんわけで、『脱出』や『激突!』くらいならともかく『ロレンツォのオイル』までネタに仕込むはしゃぎまくりと、やはり“ありがとう”を映画に託して来た御大のカメオによる悪ノリ、そしてそれらもろもろの総仕上げに登場してくるあの人の、ああ、初代ポールもこうして…というその排除が示すような香しき悪意についてもあちこちきちんと重心を残しているからこそ、それらをかいくぐったポールの“ありがとう”に思いの外わしづかみにされたわけで、正直言ってちょっとなめてましたごめんなさい。そしてその“ありがとう”はアメリカ映画とそれを生んだアメリカという国へ向けた憧憬の行き先でもあったからこそワタシもそこに邪気なくのっかっていけたのだし、この映画がそうやって既に一回りして助走をしたあとで派手に転がっていることの昂揚はアメリカ人よりもワタシたちみたいなアウトサイダー(そういえばかつてalien=外国人だったしね)の方が共有できることを思えば、アメリカの内なるアウトサイダーが撮ったアメリカ映画に夜道を照らしてもらってきたワタシたち日本人がこの映画を愛してしまうのは当然の成り行きなので、是非劇場へ行って自分の出自などを確認してくるべきである。くどいようだけれど、エイブラムスはアウトサイダーでいる必要がなかったわけでそれが『SUPER 8』の限界だったことを思えば、あそこで足りなかった成分はすべてここにある上に何しろ御大のお墨付きなので、それについてはもうゲップが出るくらいおかわりすればいいよという感謝しきりの傑作。
December 24, 2011
最近読んだ本
![]() | パラダイス・モーテル (創元ライブラリ) エリック・マコーマック 増田 まもる 東京創元社 2011-11-29 by G-Tools |
![]() | ペット・サウンズ (新潮文庫) ジム フジーリ Jim Fusilli 新潮社 2011-11-28 by G-Tools |
![]() | ミニシアター巡礼 代島 治彦 大月書店 2011-09 by G-Tools |
![]() | 須賀敦子を読む (新潮文庫) 湯川 豊 新潮社 2011-11-28 by G-Tools |
![]() | 特攻現代百物語 新耳袋殴り込みリターンズ ギンティ小林 ヒロモト森一 洋泉社 2011-11-24 by G-Tools |
並列された奇譚を串刺しに貫く快感というよりは、それらを放り込んだ枠物語が最後には自分までも呑み込んで静かに泡と消えていく愉悦にうっとりとする。ここにはない何かが見つかる場所はここにしかないという奇妙な天秤の物語/“それからまもなく、ジョン・レノンとポール・マッカートニーがホテルにやってきた。彼らはそのアルバムを聴きたいと言った。そして何度かそれを聴いた。「二人は言葉を失っていた」とブルースは言う。二人が世間向きのクールにちゃらちゃらしたペルソナをかなぐり捨て、真剣な顔つきでブライアンの音楽を子細に検討するのを、ブルースは目撃した”ブライアン完全勝利の瞬間である/非効率と非実際ゆえ暗闇を濃くする映画館という図式を巡る旅はBOX東中野を葬った著者の喪の仕事のようにも思えて、それゆえ敢えて引き寄せている様々な重たさを鬱陶しいと思うよりは馴染みの感覚に思うのは、果たしていいのか悪いのか。まあ暗闇は濃いほどありがたいのは確かだけれど/あまりこうした読み解き本は読まないのだけれど、須賀敦子と併走した編集者による回想と言うよりは解剖の手さばきが実に見事で、フィクションに向かう前夜であったことなど知るとやはり早すぎたとしか言いようがないように思う/都市伝説が実体を得てゆらり身を起こしたような要塞マンションのエピソードが最高で、今の時代に水曜スペシャルを復活するとしたらこのチームしかないと思うんだけど、深夜ひっそりとでいいからどこかの局がやらかしてくれないもんだろうか。























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