February 10, 2010

ラブリーボーン/この木なんの木あの世行き


ラブリーボーン
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帰りの電車で15分ほど読んだ「増大派に告ぐ」の数ページにあっさり追いやられてしまうような強度の映画であって既にいろいろと曖昧である。はっきり言ってしまえばスージーがフワフワといる世界の描写がなくても彼女のモノローグで十分に物語は成立してしまうのと、デミ・ムーアとパトリック・スウェイジのアレがチラとでも浮かんだら負けだとピーター・ジャクソンが思ったかどうかしらないけど、徹底してオカルト/ホラーを排して許されたのはスピリチュアルな光だけだったからか、結果として最も有効な妄想たりえたのはシリアル・キラーのそれであったというこれじゃスージーも浮かばれまいという完全なディレクションのエラー。ただまあ、ピーター・ジャクソンがなまくらになったかと言えば、ラストで崖から転落するスタンリー・トゥイッチの勇姿とか、どす黒いサスペンスになると俄然筆が進む様子からしてそれが杞憂なのは明らかだからあまり心配はしてない。とは言っても今日のところは冒頭でもあげた「増大派に告ぐ」に胸ワクワクなせいでがっかりしたり腹を立てたりするのを忘れちゃってるせいもあるから、一応義務として観たよ、そしてやはり義務でしかなかったよくらいは言っておくのが親切かなとは思う。「サロゲート」とこれだったらやっぱり「サロゲート」薦めちゃうし。
 
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February 03, 2010

サロゲート/君よカフカ銃で撃て


サロゲート
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ディストピアの憂鬱というそれなりの大きさの風呂敷にもかかわらず映画はそこでまみれるプライベート・ヘルといった程度の小さな語り口にとどめ、暗い目をしたブルース・ウィリスによるささやかな奪還を目指す闘争に終始して一発ネタのテンションで逃げ切ろうとした画策は、90年代にピーター・ウェラーあたりが主演で撮られたディメンションの映画みたいな雑味の懐かしさも手伝ってこれはこれでけっこう愉しい。序盤のシミュラクラ風味から中盤でのターミネーター戦、そして最後はもちろんダイ・ハードで締めということでもろもろの不具合不徹底不手際を差し引いても7勝8敗くらいには落ち着くんじゃないかなあと。何だ負け越しじゃねえかと思われるだろうけど、映画なんてもともとが負け戦なんだし、色川武大いうところの“9勝6敗”を達成すればそれは傑作レベルだと思ってるから(だからワタシの評価は一般的には甘いかもしれない)8つの負けよりも7つも勝ったと思えればそれで十分。で、その勝ちに含まれるサロゲートシステムのガジェットというかインチキのケレンが思ったよりも有効で映画を観てる間は心地よく麻痺してられたから、もう少し(あと20分くらいは)ディテールを太らせてもよかったかなと思ったくらい。例えば欲望の代行品としてのサロゲートなのだとしたら、感覚情報のインプットとしての食欲の処理とか、あるいはFBI捜査官用のサロゲートは特殊なチューンナップが施されてるみたいだから(跳躍にしろ何にしろ修羅場での動きはまるで人外のそれだったし)オリジナル(人間)がそれを使いこなすためのトレーニングシステムであるとかそれなりに妄想はふくらんだりもする。ただこれもブルース・ウィリスが主演だから公開されたようなもんで、最近耳にする日本公開作の激減のあおりはあちこちを直撃してるような気がして、「ハングオーバー」の件(祝公開決定)だとか「インフォーマント」と混同してたコレ(このメンツでDVDスルーだからね)だとか、業界は自分で自分の首を絞めてるとしか思えないんだけどなあ。というわけでいつも言うけど、ワタシの駄文でちょっとでも気が向いたならまずは映画館へ行ってみようよということでひとつよろしく。
 
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January 25, 2010

Dr.パルナサスの鏡/明鏡止水にゃまだ早い


Dr.パルナサスの鏡
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「ブラザーズ・グリム」に比べれば重心は低いし手癖にあふれたガジェットも満載だしで、おまけにトム・ウェイツまでキャスティングしてるというのにこの行儀の良さというかよそよそしさというか、少し物わかりが良すぎない?ギリアムも映画も。もう幻視のヴィジョンがフィルムの内と外で拮抗していくスリルを求めても仕方ないということなのかなあ。仮にあの不幸な事件がないとすればトニー(ヒース・レジャー)が鏡の向こうで悪魔(トム・ウェイツ)と丁々発止することで生まれたかもしれない酩酊がもう少し映画をふらつかせたかもしれないにしても、パルナサス博士と悪魔の馴れ合いにしろ誰も彼もがどこへもはみ出すことがなくて、こういう風な現状肯定は初めての気がする。それと気になるのはギリアムの身の丈が縮んじゃったような気がすることで、風呂敷の広げ方がおっかなびっくりというか、律儀なくらいたたみ方に気を遣ってることもあってか「バロン」の暴走すらすでに懐かしく感じるくらい。ただ、「ブラザーズ・グリム」と並行するように撮った「ローズ・イン・タイドランド」があれだけの強度を持ってたことを考えれば、メジャースタジオの仕事については猫をかぶって手堅く結果を出すことに専念してコントロールフリークを封印しているようにも思えるので、となればすべては次作として構想される因縁の「ドン・キホーテを殺した男」に向けての雌伏とも考えられるし、そう思えばそれだけの余裕をかましつつこれを撮った地肩にはまだまだ期待して大丈夫な気もするから、鮮やかにあっかんべ〜と舌を出してくれるその日を心待ちにしようとは思う。寓話の入り込む余地などない切実で自由な魂のファンタジーを、この人のエゴはそれを描くためにあるんだと思ってるから、映画界はある種の義務としてそれを野放しにしないといけないと思うよ、ホントに。それで誰かがどれだけひどい目に遭うにしても。
 
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January 19, 2010

かいじゅうたちのいるところ/ジャッカス完結篇


かいじゅうたちのいるところ
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Karen Oが紡いだサウンドトラックにしろ夕方ちょっと前のような陽差しにしろ、そっと身を潜めるには心地良いマイナーコードにあふれているはずなのにいっかなそうならないのは、これがスパイク・ジョーンズにとってのアレに他ならないからで、ぼくは一人で歩くんだけど、でも今は一緒だよね、と走り出す世界のすり抜け方は子供たちに知らしめるというよりは彼が自分に言い聞かせているとしか思えない切実さがつまっていて、だからここに溢れる切なさはノスタルジーというよりはずっと続く喪失のメランコリーによるもので、ママに「ごめんなさい」と言って片が付くような話などではまったくない痛みが思いのほか沁みてくる。かいじゅうたちにしてもマックスの現実が断片的に投影された存在として描かれているせいでいちいちマックスと一緒になって右往左往してしまうから、いつまでたっても欠落を埋める甘い逃避願望としてのファンタジーにはなり得ないというか、そうなる寸前でわざと壊してしまうのはやはりこれが通過儀礼に他ならないからで、孤独は世界に対する独立宣言のようなものでそれがなされないうちは世界は迎え入れてくれないのだと、孤独の正体に気づいてはやる気持ちで島を出て行くマックスは、そうやって身を切るようにして世界と渡りをつけてきた(いる)スパイク・ジョーンズそのものなのだろうけれど、脱ぎ捨てられた抜け殻となって彼を見送るかいじゅうたち(浜辺のザ・ブルときたら…)もまた取り残されてしまう存在としての彼自身にも思えて、そうやってこの映画はモヤモヤと分裂し続けて落ち着きがない。今まではそういうあちらとこちらをあれこれ煙幕を張って描いてきたからこういう風なむき出し方に少し虚をつかれたのは確かだけど、それを今になってさらけ出した覚悟のようなものに募るのは(共感というには少し烈しい)愛しさだったりもする。でもそれは決して甘やかな感情ではないんだけどもね。
 
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January 12, 2010

アバター 3D字幕版/親善キッスじゃないんかい


AVATAR
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せっかくの肉付け3Dを反映できない無様な人間様のパートをディストピア/ユートピアの対比ついでにそのまま突っ込んで人外オンリーの「ダーク・クリスタル」にしなかったキャメロンは思いのほか冷静。ストーリーはどうでもいいというか、映像をスウィングさせるために必要な設定に過ぎないからアレに似てるだとかまんまだとかそういうところを突っ込んでも意味がない。というかそのあれやこれやをカッティングエッジな映像で目の当たりに出来る幸せを甘受してればそれで十分でしょ。それと時代設定のわりに人間様のメカが流麗でなく無骨一辺倒なのも浮遊が過ぎないようにつなぎ止める重しになってるし、やっぱりキャメロンは重さとかデカさとか、サイズと質量を目一杯に見せるカットやアングル(要するにSFXじゃなく“特撮”)がけた外れに上手いから、仮に同じ技術を投入したところで2012の人がどれだけの奥行きを作れるかというとそれは所詮無理な話で、これに関しちゃやはりキ○ガイが10年かけて自ら研いだ刃物を振り回す見世物の緊張が神経を直撃するのが麗しいわけだから、キャメロンが開けたドアからは当面キャメロンしか入っていけないという点でこれは局地的な突然変異であって媒体としての映画がジャンプした感じじゃない気がする。一番好きだったのはラストでネイティリとジェイクが邂逅するTheかぼちゃワインなシーンでのネイティリのデカさというか人外丸出しな顔のデカさで、ことさらそれを強調するように小さなジェイクの手がその頬をやさしく撫でるのを見た時、ようやくにしてああ何かスゴイもんを観たと思えてちょっとだけグッときた。映画にというよりキャメロンの面白すぎる野心に。
 
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January 06, 2010

ずっとあなたを愛してる/悲しみを、そのつぎへ、連れて行こう


ずっとあなたを愛してる
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独善の罪で自戒/自壊した魂がもう一度“私”を謳うことを許すまでの日々をピアノ線のような緊張と中間色の静謐で描いてみせたこの作品は、作家フィリップ・クローデルの初監督作であり、と同時にそうしたバイアスがどうでもよくなるほどの傑作。「屈託」というタイトルでもつけたくなるくらい完璧なジュリエットのショットから始まって、彼女の素性や過去が次第に明かされるに従い、ワタシ達は彼女の罪(殺人)が額面通りのものでないことに薄々気がついていく。そして物語はそうした観客の予感を裏切ることなく再生の陽が差し込む日々を示唆して幕を閉じ、おそらく彼の小説であればこうした着地はしなかったであろうという(予定とまではいかない)調和を生むのだけれど、ここまでの道行きでみせる冷ややかさと暖かさ、残酷と慈愛、そして喪失と再生といった拡散と凝縮を同時に描き込む手管のあまりの見事さからすれば全く不自然のない据わりで、近頃あまり縁のなかったような美しい映画となっている。そしてこれだけ過去に縛りつけられた話でありながらフラッシュバックの類が一切ないのも映画が綱渡りしていくスリルを白けさせない大きな要因になっていて、少しもぶれることのない口調の確かさと時に昂揚をままにする目筋の自由は、これが処女作とは思えないほどの映画的な手綱で操られているのに心底驚かされる。“刑務所では「不在者」と呼ばれていたわ”とうそぶくジュリエットはまさに失われたすべての体現者で、その空虚に共鳴するかのように個別の空虚を抱えた他人(妹レアの同僚ミシェル、フォレ警部、そしておそらくプチ・リスも)と邂逅することで自分の空虚にこだまする叫びに耳をかたむけることになり、そしてジュリエットに共鳴させられることで自分の空虚に向き合うことになったレアがその叫びを掴まえたことでそれは決壊し、流れる涙のか細い筋がその証として刻まれることになる。そして何より心惹かれるのはここに自己憐憫による傷の舐め合いが一切ないことで、そこに何か過剰な感情があるとすればそれは個であることの哀しみであって、彼や彼女が独りで懸命に佇む姿を励ますように捉える監督の目線こそがこの映画の類い希な美しさになっている気がする。再度、傑作。
 
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December 29, 2009

2009年ワタシのベストテン/映画


top10movie2009


ヘルボーイ ゴールデン・アーミー/Hellboy II : The Golden Army
ストレンジャーズ 戦慄の訪問者/The Strangers
グラン・トリノ/Gran Torino
ザ・レスラー/The Wrestler
ノウイング/Knowing
3時10分、決断のとき/3:10 to Yuma
ドゥームズデイ/Doomsday
スペル/Drag Me To Hell
脳内ニューヨーク/Synecdoche New York
イングロリアス・バスターズ/Inglourious Basters

観た順。最後にこれを観てから決めようと思ってた「母なる証明」は、変態的に素晴らしいオープニングに円環する手続きを少しキメ過ぎた分だけ自壊しなかったのが悔やまれる。ミステリーでかっちり攻めるんだとしたら終盤のあれはちょっと?だったし。まあ「ノウイング」選んでる人間がどの口で言うかって気もするけどね。とにかく今は「かいじゅうたちのいるところ」が早く観たくてしかたなくて、それはもう夢に見そうなくらい。他に楽しみなのは「バッド・ルーテナント」「タイタンの戦い」「TETSUO THE BULLET MAN」「ゾンビランド」「ラブリーボーン」「コララインとボタンの魔女」あたりかな。見事にスリップストリームばっかですが。
 
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December 21, 2009

蘇りの血/中村達也18歳、卒業後の進路先:スターリン


蘇りの血
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一見好みのドライのような気がするものだから前作以外の長篇はすべて観てはいるのだけど、結局は監督が一緒になって演じてしまってるような情緒の部分に乗り切れないことが多々あって(『アンチェイン』はそれが吉と出た)後々反芻することもあまりなかった豊田作品だけども、これは自分で自分をぶった斬るような腹のくくり方がとても面白かった。まあ、主演が中村達也じゃなかったらどう転んでたかわからないにしろ、このキャスティングでお金を集めたプロデューサー共々そのインディペンデントな気概を買う。TWIN TAILの音楽もこれまでのTMGEやdipの時のように曲それ自体の物語が映画に干渉することもなく劇伴としてスリリングに機能してるし、役者中村達也の無名性へのちょっとした味付けになってるのも愉しい(TWIN TAIL知らなかったら何にもならんか。中村達也を初見の方、劇伴のドラム叩いてるのも主役の彼です)。寓話にのせた分だけ、これまでの作品では漂ったり塗したりにとどめていた喪失や再生といったキーワードが描写ともども直截的に扱われてるから、これまでのそういう気分や雰囲気に惹かれてたお客はちょっとたじろぐかもしれないけど、最近のワタシはこんな風なでたらめな直截の方が好ましいのでこういう変化は歓迎。塚本晋也で言えば『ヴィタール』にあたる中継点になればいいなあと思う。
 
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December 16, 2009

パブリック・エネミーズ/デップ対フランケンシュタインの怪獣


パブリック・エネミーズ
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日曜夜の仕事帰りに「母なる証明」を観ようと思ったら渋谷での上映が終わってたもんだから、時間が合う映画を選んだらこれだったという適当で投げやりな気分で映画館に入ってみたら出るときも全くそのままの気分だったという、まあ下がんなかっただけ良しとしようかというマンの新作をスクリーンで観るのは「ザ・キープ」以来という事実。早く撃ち合いのページにたどり着きたい一心で他は斜め読みしてく演出は相変わらずで、これはもう確信犯で仕方ないから愛でてやれる客がそうしてやればいいだけの話だから腹も立たない。撃ち合いのある人生ではなく、撃ち合いのある日々どころか、撃ち合いのある日でもなく、描きたいのは撃ち合いのある時間というか瞬間の人だから、なかなか銃弾に殺意がのらないというか一発一発が軽いというか、まあそこは質より量だから細かいこと言うなよということなのはわかるから特に腹も立たない。で、さすがにそれだけだと予告編のロングヴァージョンでしかないことくらいは気づいてるものの男の友情とか滅びの美学とかそういうのを道行きに撒いておくのもめんどくさいから、終盤で『男の世界』をインサートしてそういった主題らしきあれこれをゲーブルの台詞で済ませてしまってるのも意図はわかるから腹は立たない。とはいえちょっとした口直しは必要だなと真夜中にミリアスの『デリンジャー』を録画したVHSをようやく掘り出して再生してみれば始まったのは驚愕の『サンダ対ガイラ』!どういうこと?でも確か『サンダ対ガイラ』のラベルが貼ってあるVHSがあったなと気を取り直してあたふたと掘り出し、おそるおそる再生してみるとまたもやというか当たり前のように『サンダ対ガイラ』。重ねた。完璧にやらかした。そんなに見たかったのか『サンダ対ガイラ』を。というわけで一番腹立たしいのは、録画保存してあると思った『デリンジャー』が実は『サンダ対ガイラ』だったことを今更暴力的に思い知らされたことで、むかつくというよりは年の瀬に何だか切ない。とりあえずキングレコードさん、ミリアスのDVD化をよろしくお願いします。あ、書き忘れそうだったけどクラシック・スタイルのスーツで決めたスティーヴン・ラングがリー・マーヴィンみたいでカッコ良かったのに、ガンさばきでなく役者が印象に残ったらオレの負けだというマン魂が炸裂してるせいで役得も寸止めされてちょっと可哀想だったよ。
 
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December 07, 2009

インフォーマント!/俺はまだ本気出してないだけ


インフォーマント!
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相変わらずというか、いつも通りにぼんやりとしたソダーバーグの映画。何だかこの人の映画は像がはっきり結べないと言うか結ばせないというか、あらかじめ逃げ道を用意してるようなのばかりな気がして、でもまあその逃げ方があしらいの巧みさに映る世界にいるからこそのキャリアなんだろうけども。で今回の逃げ道は笑えないコメディというやつで、かいつまんでしまえばマーク・ウィテカーという一人の男がその精神疾患ゆえに国際カルテルを暴き出した実際の大騒動の顛末を描いたということなのだけど、その理解不能に炸裂する虚言と妄想による神経症的な笑いの源泉が実はほんとうに神経症だったという禁じ手のようなオチをまったく突破できてないというか、そのオチを含めて都合良く実話ベースを利用しておきながら、事実は小説より奇なりとうそぶいてみせる確信犯でもないからそこにコメディとしての振幅を絞り出せるはずもないし、これでクスクスしてもらおうというのはかなり図々しいなあと思った次第。もしこれが完全なフィクションならマーク・ウィテカーがそのうち見せるであろう桑畑三十郎的な采配を愉しみにしながら観るところで、彼の支離滅裂が文字通りそうでしかないという点とそれを理由に責任を取らないでも済んでしまうキャラクター造型のせいで物語としては致命的にけつまずくから、妙味としては味の素や協和発酵まで登場した国際カルテル事件(覚えてる?)の舞台裏がのぞけるという点くらいかな。こういうのはコーエン兄弟に任せとけばいいのに。というわけでソダーバーグ作品でがっかりしたことが一度もない人にだけ薦めます。ちなみにワタシ、この映画の情報をほとんど入れないままだったから予告篇見るまでエリスの「インフォーマーズ」を映画化したんだと思ってて、ソダーバーグが商売っ気抜きで本気出してきたのかと思ったりしたから結構唖然としたけどね、自分に。
 
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November 30, 2009

千年の祈り/墓まで持っていく話がありますか


千年の祈り
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堪えるような静けさでつづってページを繰る音すらも聞こえてこないようだけれど、奥底では烈しい感情が神経のようにめぐらされた緊張感の芯が最後まで心地よい。中国からやってきた英語に不慣れな父親と、母国語によって感情が不幸に沸き立つのを恐れているかのような娘、そして父親が異国で邂逅する移民のイラン人女性もまた英語がおぼつかないために、あえて会話で牽引せず(中国語の台詞には英語字幕すらない)抑制のきいた心象の情景を細やかに描写することで言葉にできない想いを少しずつ満たしていって、それがあふれる瞬間、縁からこぼれた透明な一滴が父親の告白となるよう周到にデザインされている。実はずっとそこに在ったのだという動かしがたく近しい想いの確かさと抱いては打ち棄てる幻想のはかなさと、我々はそれを共に抱えて生きていくのであってその間に灯るのが希望であるという覚悟に近い諦念はワタシにしても残りの人生のどこかで出会えればありがたいと思える感情の在処な気もして、そんなことを思うのはおそらくワタシがいろいろと曖昧にすぎるせいだったりするから、こういう風に腹をくくることをせまる、あるいはくくってみせる話を知らされると、どこかがチクチクして焦燥してしまうのが少し情けない。あれこれ後ろめたいことばかりなものだから。
 
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November 23, 2009

イングロリアス・バスターズ/そしてエノラ・ゲイも飛ばない世界


イングロリアス・バスターズ
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「デス・プルーフ」ほどではないにしても語り口の気位と酩酊してほどかれた時間との間で、お前らどちらの手助けもいらない!と映画が駄々をこねるのをハラハラむずむずと見守る快感は期待以上で、映画を誰の手にも与えずに見せびらかす手管をタランティーノはここにいたって完全に掌握した気がして、それが戦争映画だったりサイコパスの夜歩きだったりプッシーキャットの悪ノリだったりという包装紙が違うだけで、中身はタランティーノの笑顔でしかないという素晴らしく洗練されたワンパターンの焼き印が非常に香ばしい。そしてここではある種の実験として「デス・プルーフ」の(我々にしたら)得体のしれなかった血肉に汎用性を持たせた結果、長口舌や果てしない会話の応酬は空気の醸成だけでなくそれが暴発する一点に向かう段取りとしてのサスペンスが機能していて、大きく水増しされそうな話を打ち明け話のように真顔の語り口でしめつけることで退屈や冗長を寸止めするこんな風な手際が当時にあれば「キル・ビル」は1本でまとめられていたかもしれないとさえ思えてくる。これにしたところでオマケとしての歴史改変はあるものの、本筋は例のごとく奇人変人不適合者のゴングショーで、片っ端から出場者を退場させながら阿鼻叫喚で描かれるユダヤ人の見果てぬ夢へとこけつまろびつしてなだれ込んだその後で、間の抜けた三方一両損を額に刻んで幾多の犬死にを想い出に映画は脳天気な笑顔であっけらかんと幕を閉じ、観たままそのままハイお終いで客に下駄を預けるような無粋も媚びも一切ない魂を削るホスピタリティは娯楽の鑑そのものである。ブラッド・ピットはそれが懐の深さなのかただの間抜けなのか判然としない戦場のサイコパスを嬉々として演じて好演だけども映画をひっかきまわすトリックスターの座はクリストフ・ヴァルツ(ランダ大佐)に悠々と明け渡してるから、これは ”The Rise and Fall of Col. Hans Landa from SS” という与太話として観るといっそう愉しめるはずなんだけど、今とっさに思い浮かんだのはなぜか“チビ”の顔だったりするのがこの映画の真の味わいの気もして、投げっぱなしで終わりそうな気配でまさかああしたシャットダウン(『ソナチネ』のエレベーターを想い出した)が待ち受けてるとは思わずに虚をつかれた酒場のバトルとかバットで殴られる首の角度とかデザートを咀嚼する音の嫌らしさとか、大佐が3バカをイタリア語でいたぶる天丼ぶりとか、農場の美人娘3人をもう一度とかいろいろ思うところがあるので今週中にもう一度観に行くつもり。これもおそらくベスト10に入れます。
 
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November 18, 2009

脳内ニューヨーク/オレの噂を俺から聞いた


脳内ニューヨーク
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どんな下衆野郎にも世界は等分に一つ与えられ、そこに埋もれたワタシたちは何だかひとりぼっちな気がするけれど、それは孤独とか孤立とか孤絶とかいうことではなく、あなた/ワタシそのものはたった一つ与えられた世界の縁(へり)でしかないということで、最後までそこから一歩も動けないワタシたちは一番近しいはずの我が世界を振り返ってみることも叶わず、仕方がないのでそこからまわりの世界を眺めることで自分が在るであろう世界を想像し勝手に思いを馳せては、はい/いいえを繰り返して死んでいく。チャーリー・カウフマンが連れてくるのはそうした不可知な自分の世界が果たして本当に在るのかどうか、それを知ることが自分に与えられた世界の目的なのだと妄信/確信して、その縁に無様な姿勢と不格好なバランスで立ちながら必死に後ろを振り返っている人々だ。だから彼の脚本に現れる人々が右往左往してまったく落ち着かないまま分裂していくのはそのあまりの切実さゆえなのだけれど、ついにというかまさかというか、今作では自身がメガホンを取ることで入れ子を駆使し分身を乱反射させているうちに、チャーリー・カウフマンは縁から振り返って見える世界を描ききってしまったように思えるのだ。土曜日と火曜日とすでに2度観たのだけれど、最初に観てからずっと気分が落ち着かないまま2度目に観た後では負荷のかかりすぎたCPUみたいにじっとりと熱がこもって汗が出た。火曜日は帰り道もあんなに寒かったのに。予告編を観る限りではミルハウザー的スペクタクルに溢れた作品のような気もするし(実際にそんなカットもあって飛行船のシーンはちょっとドキドキする)、いざ席に着いてみれば映画はミッドライフ・クライシスを描いているかのように導入していったりもするので最初はピンとこないかもしれない。けれどそのうちに端々で違和感とすれ違っていくはずだから、それはそのままで無理矢理修正せずに流されていけば、チャーリー・カウフマンは飲み込みの悪いワタシら生徒のためにあるシーン以降ダイアログできちんとリードさえしてくれて、となればここでひとつお節介をしておくとダイアン・ウィーストがケイデンを演じ始めたらそこからラストまでは一気にページがめくられて、もしもそれまで途方に暮れていたとしてもパズルのピースは片っ端からはまっていくはずで、うまくいけば初めてまみれる類の昂奮が染みこんで宗教的ともいえるトリップ感すら味わえるかもしれないので、これから観る人の健闘を祈ってやみません。ワタシとしてはベスト10入り確定。
 
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November 08, 2009

スペル/ごめんですんだらけいさついらない


スペル
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屁の突っ張りやら逆ギレやらあまりにも大人げないながら死力を尽くして全うするガキのケンカが最高である、というかそう撮る時のこの人が最高なわけで、だからもって基本的にはそんな話でしかないピーター・パーカーの物語を彼に託したスタジオの誰かはけだし慧眼だったということは今さら言うまでもなく、とは言えきちんと空気は読みます仕事はしますなぜなら優秀なプロフェッショナルですから、とそれなりの面倒をやり過ごした後でのヴァカンス気分にも映る99分は、売り言葉に買い言葉、やられたらやり返せ、お前の母ちゃん出ベソで酔っぱらい、嘘つきはどろぼうのはじまり、というかあんた昔デブだったでしょ、てな感じで応酬されるご近所レベルの白兵戦で血、涎、ゲロの大量動員と、とにかくデカイ声出した方が勝ち!みたいなとりとめのなさに最早どっちもどっちだ死ぬまでやってろとゲラゲラ笑って観てたらキレイさっぱり死んじゃって花実の一片すらないというワタシらギャラリーへの誠実さゆえに、サム・ライミとこの映画を愛します。以上。
 
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November 03, 2009

RECレック2/血が騒ぐんだよ、目の前で


レック2
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前作観てない?じゃあ観てから来やがれ!ってな感じで、SWATチームがいきなり佳境に突っ込んでく感じは「エイリアン2」のサーチ&デストロイを予想させて胸はずむ導入。そして当たり前のようにこのチームが蹴散らされた後で目の据わった神父が自分とウィルスの正体をバラして以降、チームは「エクソシスト」それもどちらかといえば「エクソシスト2」のオカルトSci-Fiにずぶずぶとはまりこんだあげく、最後は「ヒドゥン」まで投下する斜め上な念の入れよう。ただ「ヒドゥン」に関してはヤリ逃げのつもりならかまわないけど、もしパート3があるとしたら厄介な設定で縛っちゃったような気がしないでもない。主観映像については前作よりさらにアレンジを効かせていて、通常はカメラが埒外に置かれることで成立する(俯瞰や状況説明など、観客にのみ可視なカットによる)“映画の目”を封印することで生まれる視線の不自由と情報の欠如をサスペンスに繋げていく手管はさすがという感じ。ただ一つ、無粋を承知で言ってみると、今作でSWATチームが装着したCCDカメラが建物内部での記録を目的としているのであれば、そのカメラが捉えてスクリーンに映されていた一切はライブ映像として当然建物の外でモニターされているはずで、だとすればアンヘラちゃんのアレが通用するはずはないと思うんだけどもね。それだと"REC"にならなくなっちゃうけども、それ前提で観始めたもんで途中であれ?って気になっちゃったからとりあえず言ってみただけで、そもそもオカルトの投入は大歓迎だしアイディアの熱気は衰えてないしで続篇モノのジンクスを軽々とクリアしてるから、前作体験者には必須でお薦め。
 
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November 01, 2009

アンナと過ごした4日間/私は窓になりたい


アンナと過ごした4日間
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レイプ、冤罪、不法侵入、薬物昏睡といった殺伐として物騒な字面があちこちに埋め込まれたこの映画でそれらを片っ端から踏み抜いて自爆していくレオンの、立ちこめる日常への行き先知らずなレジスタンスを寓話の曖昧な浮力で描いておきながら、それを突然有無を言わせず取り上げてしまうラストでの呆気にとられて苦笑してしまうくらい鮮やかな断絶に惚れ惚れした。そこまで辿ってきた道筋を考えればいくらでも話の落ち着かせ方はあるだろうに、あのハシゴの外し方はギャグといってもいい破壊力だし、一切のフォローもないまま暗転して切り上げてしまう間と余韻の品の良さも手伝っての最近稀に見るキレたエンディング。また、窃視と侵入でレオンが生きるよすがを見つけていくほどに、実はアンナの寄る辺なさを浮かび上がらせてしまうと言う皮肉や残酷も手伝って、夜ごとのアンナは実は目覚めていたのではないか、捻れたロマンスがひっそりと明かりを灯すのではないか、などという甘やかされた物言いを相手にしないことで叶わぬ祈りの純度を高めるやりくちはフラナリー・オコナーやハネケといった悪意の普遍を研究する人の冷たく冴えた目つきのようでもあって、圧迫と閉塞の色彩と構図、神経に直結する音響のあれこれと併せた映画体験は暗闇で息をひそめる愉しさそのものなので、ちろちろゆらゆらと揺れる火で催眠されたい人は是非。
 
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October 25, 2009

パイレーツ・ロック/踊る阿呆に聴く阿呆


パイレーツ・ロック
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まだまだそれが爛熟して疲れてしまう前の時代、ロックが世界の結び目をほどき始めた頃の武勇伝をリチャード・カーティスが邪気のないキラキラとした音で鳴らして見せて、ワタシなんぞが30年も前からロックに託してきた気分のあれこれを爽快なまでに打ち返してくれた痛快な2時間15分。海上からの海賊放送自体は知ってたけどもここまで歴史に刻まれてたとは全然知らなかったから、昔話のノスタルジー(日本で感傷を許されるのはピーター・バラカン氏と故糸居五郎氏くらいのもんでしょ)なんかじゃなく、こんな素敵なことが起きてたのかっていうヴィヴィッドな発見だったのが何より愉しかった。そしてビル・ナイを追いかけてる皆さん、長身痩躯に諧謔と反抗を纏ったビル・ナイが、英国男子の心意気をファッションもろとも顕わにしたビル・ナイがたっぷり堪能できるってだけでも見逃す手はないし、敬礼ビシッ!のシーンではおそらくため息すらこぼしてしまうよ。フィリップ・シーモア・ホフマンにしたって、なぜオスカーノミネート作の次作としてわざわざスケジュールをやりくりしてこの作品を選んでなおかつロック魂を飄々と愉しそうに溢れさせて演じているのか、「あの頃ペニーレインと」でのレスター・バングス役と併せてみれば彼もまたこちら側の人間なのであろうと勘ぐって、ホフマンいいヤツ度がますますアップしてしまうわけだし、最後の放送で彼がマイクに向けて叫んだ未だ知らぬ名曲達への忠誠心は、まさにワタシが好きこのんで背負い込んだ重荷(いわゆる”Boy,you're gonna carry that weight a long time”っていうあれ)でもあって、あそこの不意打ちは胸をグラグラ揺さぶられてちょっと危ないとこだった。劇中で流れる曲もしょっぱなのキンクスから最後のビーチボーイズ(沈む船内に流れ続ける“素敵じゃないか”!)までそれぞれのシーンに食らいついた絶妙な選曲で、この頃の音楽に沈んでみたい人はサントラが最高の入門盤になると思うのでお薦め。というかワタシも手元に置いときたい。それにしてもいわゆるロックに関する場合でこういう風にただひたすら肯定的な気分で観られる映画ってあまりないし、DVDだとこんな大音量で鳴らすのは無理だから、もう1回くらい劇場に行ってスモール・フェイセズの素敵なPVだったあそことか、ビル・ナイのダンスとかあれやこれやを観て聴いてこようかなと思ってるところ。
 
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October 13, 2009

狼の死刑宣告/狼は生きろ、豚も生きろ、だけどお前は死ね


狼の死亡宣告
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自警の王ポール・カージーの跡目を継ぐにはいささか心許ない狼だけれども、どう見ても設計技師には見えない潜在的殲滅者カージーに比べれば、いつかグラグラする男ケヴィン・ベーコンによる綱渡りの緊張と復讐の激情がない交ぜになった“狼の皮を被った羊”の彷徨/咆哮が嬉しいくらいにはまったジェームズ・ワン入魂の快作。ただこれは自警映画と言うよりはシンプルな復讐譚で、かといって「わらの犬」のような内なる暴力の覚醒といった深みに沈んだりもしないから、明らかに明らかなトラヴィス風プレイ(髪剃り、首への被弾)であるとかショットガンによる各種切株とか、サディスティックなまでにケヴィン・ベーコンを走り回らせる駐車場でのロングテイクとか、サイコ親父ジョン・グッドマンと丁々発止やりあって武器を調達してきたかと思えばまずは取説読んで勉強だ!というテンパった几帳面とか、その他先達へのオマージュも含んだあちこちの肉付けを愉しんでいれば映画が勝手に引っ張り回してくれるように出来ていて後付けで解かなければならないような宿題もないから、エクスプロイテーション映画として無責任に愉しむのがふさわしいかと。クラクラするような邦題も“狼の”以外はそのまま原題だし。だからこれはDVDなど待たずに、シアターNのような狭い劇場の小さいスクリーンで暗い目をした観客の頭の間から食い入るように観るのがとても正しいはずで、これとか「ドゥームズデイ」や「エスター」みたいな面白い映画を公開してもらうためには、面白そうだと思った映画は映画館で観てお金を使わないと先に繋がっていかないわけだから、今からTSUTAYAなんかあてにしないで行ける人は是非とも映画館に行ってもらいたいなあと思う。知らない他人と暗闇で時間を共有して、その記憶と一緒に映画を自分のものにする愉しみっていうのは曰く言い難いけれど確かにあるもんだと思ってるから。
 
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October 11, 2009

エスター/感謝のしるしに殺してあげる


エスター
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思いがけず面白かったけど、あまりあれこれ書けないのが辛いところ。おそらく書けば書くほどネタを剥いてしまうことになるし、だからといってこの映画がシャマランのように裏返すことに一点集中したサプライズを目的にしているわけではないにしても、おそらく観る側の手癖といったようなものを狙っているようにも思われるから手癖の塊のようなワタシは余計に書けないわけで。ただ、似たような手癖をお持ちの方々が高をくくってスルーしてしまわないように書いておくと、9才の女の子が精神支配とどす黒い殺意でもってある家族を追い込んでいく時になぜそれが可能なのかといった場合、人外設定やスーパーナチュラルの助けを借りるのが手っ取り早いのを承知の上で、この映画はそれをかわしていくことでストーリーがラストまで流れ着くようになってるし、ネタが明かされることで伏線の意味が裏返って、というかそもそも最初から裏返っていた話だったのかという着地の味わいは、してやられたという快哉よりは光景が変わることでもう一度映画をなぞれる反芻の愉しみのようなものであって、これは出たとこ勝負を良しとしない脚本とミスリードの誘惑を最後まで我慢し続けたフェアな演出のおかげ。ただ、それを可能にしたのはエスターを演じたイザベル・ファーマンのかなり際どい憑依っぷりによるところが大きくて、プロデューサーの言葉を借りればまさに“とにかく突如として現れたって感じ”で映画の空気からカラーまですべて彼女が決定してしまってるのがちょっとした驚異に思える。ホラーやスプラッターの風味も曖昧と直接を織り交ぜた嫌な感じの通底音は好みだし、氷上でとどめを刺した時のあの首の角度にはちょっと惚れ惚れした。と、ここまで読んでワタシが勿体ぶってみせたことが少しでも気になったら是非とも劇場でそれを確かめてみることをお薦めする。それと、他では分かんないけど丸の内ルーブルだと予告でティム・バートン「アリス・イン・ワンダーランド」、スパイク・ジョーンズ「かいじゅうたちのいるところ」、シャマラン「ラスト・エアベンダー」が一挙に観られるし。それにしても「かいじゅうたちのいるところ」に溢れるこの切なさは何なんだろう。予告だけでもうあちこち決壊しそうだよ。
 
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October 06, 2009

リミッツ・オブ・コントロール/今日もあの気持ちのまま一人で歩いてる


リミッツ・オブ・コントロール
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ビッグ・ブラザーをだしぬくためのバケツリレー。目の前の手触りに集中しろ。携帯電話は使うな。歩きながら視ろ。立ち止まって耳を澄ませろ。そうすればオマエの想像力とスキルはすべての人工物をその不自然さゆえに凌駕する。俺達はそうやってきた。これからもそうする。他に方法があったら言ってみてくれ、という実は男前なメッセージを面妖にラッピングしたジャームッシュの新作は、「ブロークン・フラワーズ」で御しやすしと思われた腹いせのように高密なマジックリアリズムで「パーマネント・ヴァケーション」のダイアローグ・ヴァージョンともいえるアドレセントな漂泊がいまだ脈打って鬱陶しいとも言える馴染みの感覚に苦もなく溺れる。だからこれは殺し屋が過ごす永遠の休暇、もしかしたらジャームッシュの「ときめきに死す」なのかと思ったりしたものの暴発しない青春の巨匠がそんなイージーを許すはずもなく、孤独な男(イザック・ド・バンコレ)の無表情は(一度だけ相好を崩すけれど)最後まで内圧を押しとどめて、孤独でも孤高でも孤絶でもなく彼だけの独立を守る。そして唯一相好を崩させたシーンでは内圧を解いて披露した感情にこってりと圧倒されるし、銃を持つヌード(パス・デ・ラ・ウエルタ)の手を押さえつけるシーンで見せた突如加速するカットは彼のポテンシャルをたった一度だけ“説明”して何ともアンバランスな饒舌なのだけれども、これら実際は何気ないはずのシーンが際立って突出するのは全編が異様なくらい等質に均されているからで、これがドローンの恍惚を誘ってかなりくらくらと酩酊させられるものだから、Borisのしめやかなノイズがことのほか映えてまさに劇伴と言う言葉にふさわしい成功。そしてときおり聞こえるアンプに通電した時のようなノイズは孤独な男の内圧を知らせるアラームのようだし、こうしたサウンドデザインと思わず息をひそめてしまうようなクリストファー・ドイルのフィクスが相まった結果、ジャームッシュのフィルモグラフィで最も張力の高いスクリーンになって妙に後を引くものだから、2日続けてシネマライズに通ってしまった。ティルダ・スウィントンについては「ブロークン・フラワーズ」に続いて、ジャームッシュの“ティルダ・スウィントンをティルダ・スウィントンと分からぬように撮る”プロジェクトが発動した結果、エル・ドライバーのような風情で(おそらく)タルコフスキーについての見解を述べたりする。分子(モレキュール)というコードネームを与えられた工藤夕貴は、彼女がそのセリフの中で“モレキュール”と発語する口元がやたらキュートで胸の奥がむずむずしてしまうのがとても愉しい瞬間。あとは、汚れた爪のメキシカン(ガエル・ガルシア・ベルナル)が折り返しの坂をショートカットして軽く駆け上がるシーンが好きだ。孤独な男がドアを開けるシーンで細かなカットを意味ありげにたたみかけるのも好きだ。ヌード(コードネームね)のいるシーンだけなぜかリンチのようなハイレゾで爛れるのも好きだ。というわけでワタシはとても大好きになった映画なのだけれど、何をどんなふうに期待しようともおそらくそれを与えてはくれない映画だと思うから、眠らずして見る夢はどんなだ?くらいの好奇心で座席に沈んでみればいいと思うんだけども。
 
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September 29, 2009

空気人形/わたしがあなたのからっぽになろう


空気人形
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心が体から離れてしまう人たちの間をふわふわとめぐる空気人形の彷徨は都市生活者の地獄巡りのようにも見えるのだけれど、ペ・ドゥナ(=空気人形)をことさら無垢な存在としてその狂言回しにすることなくその混乱に放り込んでしまっているので、あえて寓話の教訓でまとめないようとしない残酷なスケッチがじわじわと染みてくる。だからゴミ捨て場に横たわる彼女のシーン以降のエピローグは必要ない気もしているのだけれど、星野真里が現実を再発見して終わるラストを序盤でのペ・ドゥナの覚醒との対比にしているのであれば、紋切り型とも言えるその閉じ方のせいで、あそこから始まる星野真里とその他の面々の現実が必ずしも祝福を保証されているものではないという突き放し方がペ・ドゥナがいる間は目眩ましされていた現実の緊張につながって、自分も当事者であるかのような曖昧模糊とした決意をお土産に持たされて家路につくという、ハシゴは外さないけれど下ろしてもくれない微妙な底意地がフックになってそれなりに後を引く。そしてある意味心中ともいえる純一とのくだりを正面から描ききったことで映画に仕込んできた異物がジュクジュクと熱を発し始めるのだけれど、この疼きは塚本晋也や黒沢清ではなじみの感覚だったりするから、この監督にこうした業のようなものが潜んでいたのにはちょっと驚いたし、結局この映画で一番の再発見を果たしたのは是枝監督自身だったんじゃないかと思わせる問題作というか異色作。何より美術とカメラによる造り込みがこの微妙で曖昧な世界観を可能にしていて、現実に片足取られながらも妄想に浮力を持たせるフレームのゆらぎと、見るそばから消えていく夢にも似たうつろで儚い色彩だけでも一見の価値があると思うので、邦画のエッジを探してる人は是非チェックを。ただ、進展期のデートムーヴィーとしてはギャンブルだと思うので気のおけないパートナー、あるいは独りで行くことを薦めときます。
 
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September 25, 2009

ドゥームズデイ/三つ子のジョイパックフィルム魂、百まで


ドゥームズデイ
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もう鷲づかみである。何が何をかといえば、監督のジョイパックフィルム魂がワタシのジョイパックフィルム魂をである。ジョイパックフィルムが分かんない人はネットその他で調べてもらうとして、ピンと来た人知ってる人は何をさておいても劇場に向かって、蔵六の奇病がパンデミックする世界の命運をにぎるヒロインにして隻眼の闘士エデンが世紀末パンクスと中世カルトが対立する隔離セクトを殺戮蹂躙し壊滅する様を、乙女のように胸で手を合わせ、ああ、もう、それはと陶酔しつつスクリーンに呆けるべきだ。前作「ディセント」もその年の私的ベスト10に突っ込んどいたけれど、今作も間違いなくそうすることに既に決定した。ここまでくるとニール・マーシャルはワタシの親戚筋か何かとしか思えないから、来年は年賀状の1枚も送っておくべきだろう。1対1の白兵戦になるとアクションの処理がバタバタするのは相変わらずだけど、今作はそれを補ってあまりある終盤のカーチェイスがある。そして完璧なタイミングで爆発するバスを見た時に思い出すのはなぜかボンネットにくくりつけられた出川哲郎なのだ。その美しい炎から飛び出してくるのが最新型のベントレーだったとしても。こうした馴染みまくりの感触は足して足して足しまくる昭和の過剰を呼び起こすのだけれども、パンクスの集会でのキルトカン・カン、中世カルト擁する処刑人の出オチなどこのあたりの味付けは本場英国ならではで、そんな中ボブ・ホスキンスやマルコム・マクダウェルといった英国映画の重鎮が邪気なく戯れるように演じていれば、ああ、あんたらも漢だねとうんうんうなずくしかなかろう。前述のパンクスの集会ではクライマックスにR15+の張本人とも言えるシーンが用意されてるのだけど、この麗しき悪趣味は観てのお楽しみということで伏せとくから劇場で喜んでもらえればワタシも本望。あちこちで突っ込まれる音楽にしてもアダム&ジ・アンツ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、ファイン・ヤング・カニバルズ(これはさっきのお楽しみのヒント)、スージー&ザ・バンシーズと、これだけで監督がいかに本気かってことがわかるでしょ。何に対してかって言えばそれはもう今の自分とこれまでの自分に。
 
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September 24, 2009

正義のゆくえ I.C.E特別捜査官/チャンスはまだある、ただし有料


正義のゆくえ
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これもまた「扉をたたく人」と同様、9.11以降のアメリカが自らを嘆く時期を終えた後で、見失った身の丈を探してもがき始めたことを示す佳作。ハリソン・フォード演じる移民局の捜査官マックスはアメリカの疲弊したイノセンスを象徴するような役柄で、アウトサイダーとインサイダーの架け橋を続けるには既に老いて疲れてしまっているようだ。だから映画を通して彼が救えたのはたった一人の子供だけであとは喪失を確認するばかりだから、彼を軸に展開するように見える群像劇も彼自身の求心力というよりは、薄皮と薄氷で儚くつながっている移民達の危うさを一層顕わにしているに過ぎない。今、移民と言いはしたもののこれはインサイダー目線に過ぎなくて実際のところはある種の避難民であって、アメリカの気分が世界を覆っていく時に祖国で息をつまらせてしまった人達のそれなりに切実な亡命といえると思うのだけれど、それらに無自覚であるがゆえに愛憎の“憎”をすくい取れない無邪気さをイノセンスの裏返しなどと言っている時代では最早ないということを、今さらようやくにして自省し始めてはいるのだろう。こうした内容にフィットするこれほど地味なハリソン・フォードも珍しいけれど、これもこの人の今の身の丈なんだろう。他にもレイ・リオッタやアシュレイ・ジャッド(結局、誰も彼女を使いこなせないままなのか)など地味だけど腰の据わった役者を揃えて地肩の強い映画に仕上がってる。客引きにはやむを得ないとはいえ予告篇は多少ミスリードしてる部分もあって、実際はハリソン・フォードがチャキチャキと事態を突破していく映画でも国旗はためく下で祖国に身を捧げる映画でもなく、むしろそれらのアンチとも言える内省のスタンスでかつツボを押さえたサスペンスがエンタテインもしている掘り出し物でちょっとしたお薦め。そして「クラッシュ」(ハギスのね)のアクロバットが鼻についた人にはなお一層のお薦め。
 
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September 23, 2009

ワイズマンを見る/アメリカを観る@ユーロスペース Part2


臨死
臨死/Near Death(1989)

358分。2度ほどブレイクもあるし、モノクロの情報量も幸いしてか思ったほどの苦行でもなかった。舞台としては大病院の集中治療棟があてられているけれど、そこにあるのはER的なドラマというよりは生命倫理の概念と実践がせめぎあうある種の禅問答のような日常でどう考えても答えなどない終わりのない話だから、ああいう形でお約束のエンディングを持ち出さないと閉じようがないのがとてもよく分かる。ICUとなれば運び込まれて来るのはほとんどが重篤な患者で、その時点で治癒が望み薄な患者にも治療を施さなければならない欺瞞のようなグレーや徒労を内に抱えつつその家族に生命の采配を説かねばならない医師や看護師達は、ガイドラインを聖典としながら新しい宗教を体系していく実践者のようだ。したがって、この映画のほとんどは会話で成り立っている。医師と家族。医師と患者。家族と患者。医師と医師。医師と看護師。看護師と看護師。生命に対する可能と不可能はあくまで技術の問題で、両者の間に厳然と底無しの溝がある以上、せめてそこに行き来できる橋を架けようと言葉を紡ぎ続ける。まさに“はじめに言葉ありき”というやつで極めて実践的な宗教の開始のような気もして、すくい取るそばからこぼれ落ちていくそれらの輪郭を少しでも焼き付けておくための6時間だったのだろう。病院内というロケーションの制限もあってか、「チチカット・フォーリーズ」に比べると雑然としたカット割りや会話を捉える時の乱暴なパン、シーンに間に合わない照明など撮影現場での成り行きが見てとれて、ドキュメンタリーの同時進行が題材の切実にマッチした静謐と急激の混在で長丁場を全く飽きさせることがない。答えなどないという答えを抱えて、それでも答え続けていかなければならない人々のタフネスとメランコリーを捉えた傑作。


肉
肉/Meat(1976)

これはとても愉しい社会科見学。牧場から出荷された牛が、巨大な精肉会社の解体処理ラインによって“肉”という製品に姿を変えて出荷されるまでを淡々と記録していく。だから畜殺から血抜きから首落としからわた抜きから全てはフラットに記録されるけれど、その手際の良さも相まってすべては加工/処理にしか見えないので特に残酷や悪趣味に映ることはない。また、極めて用途が限定された加工用の電動ノコギリや電動ハサミ、重力と自重を利用して鮮やかに皮を剥ぐ機械等々まさに必要は発明の母というやつのオンパレードでそれらを見ているだけでも非常に面白い。途中で日本人の視察団体が登場するのだけれど、これがまたメガネとカメラのオンパレードで、「サブウェイ・パニック」で登場する同じような視察団の描写にあった嘲りやからかいはカリカチュアが過ぎるというよりは真っ当なリサーチの結果だったことがあらためて分かる。ヤツらは実在する、というかしたわけだ。それにしても、このフィルムは “世界の仕組み”を極めて的確に(もちろんディテールは進化し続けてより不穏なスムースが覆っているだろうけれど)捉えて極めて秀逸だと思うので、小学生は無理でも中学生あたりで一度観賞させてもいいような気がするのだけれど難しいのだろうか。乱暴で無責任なのを承知で言えば、観賞後のフォローを可能にするアイディアこそが教師の資質なのだと思うけれども。
 
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September 21, 2009

しんぼる/覚えていられる夢は夢じゃない


しんぼる
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松本人志というひとは良くも悪くも映画に耽溺したことがないのだろうと思う。それは映画作家がみなシネフィルであるべきだとかいうことではなく、何というか観る側から撮る側に足を踏み出した時に何を連れて出たのかが窺い知れないからで、それが得体の知れなさに繋がっていると言うよりは、そもそも何も持って出ていないのだろうという指摘が一部の映画陣営からの手厳しいダメ出しの主なところだと思う。何も持って出ていないというのはそこに幻想が皆無だということで、映画をある種の共同幻想としてしまう観客(ワタシもだけど)にしてみればそれは映画ですらないと斬って捨てるのは非常に容易いことになる。ただ、「頭頭」「寸止め海峡」そして一連のVISUALBUMというテレビを離れた時の流れからすれば前作「大日本人」と今作が特段に迷走しているとも思えず松本人志の資質に忠実な反映にはなっていると思うのだけれど、幻想すら解体してしまうその資質と、ときおり目にする自身による映画評での、全てのシーンやカットには意味があり観客が感情移入できるキャラクターは用意され、観賞後にテーマは自明となるべきであるという几帳面ともいえる目筋の同居はやはり相容れないいような気がして、映画を愛してはいないけれど松本人志なりに律儀ではあろうと、裏切り方すら律儀であろうとしているその姿はやはり不自由だなあと感じてしまう。仮にこれがVISUALBUMであれば実践篇のオチでジ・エンドだろうし、その仕掛けとオチのバランスによる“立ち尽くす”感はけっこうツボだっただけに、それ以降映画としてのオチを用意したために画として“立ち尽くして”しまったエンディングはやはりもったいない気がしてしまう。となればそもそも映画というフォームとの親和性というかそういう問題である気もしてくるんだけれど、どこか本人も負債覚悟で向き合ってる節もあるし、誰か得をする人がいる限り次作も予定されるだろうからワタシはVISUALBUMとして観るつもりでまた付き合うよ。そういえばスタッフロールで流れるサックスがいい音だなあと思ったら清水靖晃でした。ちょっとサントラ欲しいかも。
 
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September 15, 2009

ワイズマンを見る/アメリカを観る@ユーロスペース Part1 


Titicut Follies
チチカット・フォーリーズ/Titicut Follies (1967)

勝手にドキュメンタリーの極北を思い描いてたものだから、仮にこれが全てセットと役者の演技によるものだというオチがあったとしても全然驚かないくらい、自然で端正になされる映画的なやりとりとの落差というか誤差が奇妙な余韻になって残る。ワイズマンは社会派ドキュメンタリーと呼ばれるような何らかの主義主張の完遂や補佐を目指す作品としてこれを撮ったわけではないようだから告発でいきり立ったり実態に憤慨したりはこれっぽっちもしてなくて、ただただワタシ達の日常との並行世界としての現実を平熱のままにパッケージしたかったみたいだ。ちなみにさっき映画的なやりとりと言ったのはいわゆる“描写”というやつで、クローズアップにしろバストショットの切替によるリズムにしろカメラはまったく慌てている節がないので、ドキュメンタリーという言葉から想起されるようなカメラ(=撮影者)それ自体の意志にまかせた現実の臨場感みたいなものはあまり重要視してなくて、それが作品全体のスムースと言ってもいい手触りにつながってる気がするし、時間や場所にことさら寄りかかることもないせいか寓話の普遍性みたいなものまで持ち合わせてるのはフィクショナルな映画を観る愉しさと一緒。そもそもがあのオープニングをあのエンディングで閉じてる時点で愛すべき確信犯だったってことです。


高校
高校/High School(1968)

公開された年にヒットしていた「ドック・オブ・ベイ」が流れる中、郊外のというよりは街外れの荒んだ住宅街を映し出すオープニングを見て公民権運動やベトナム戦争などといった時代のトピックが教育の現場に与えた影響などといった予見を持つとわりかしきれいに肩透かしをくうことになる。社会意識というよりはアメリカ的イデオロギーを伝播する場としての側面を意識的に描いているようには思えるのだけれど、これはワイズマンがフォーカスしたというよりはこの時代の(白人率の高い)高校ではおしなべてこうした空気だったのだろうという気がする。たとえそれが大人(教師)と子供(生徒)という属性から生じる軋轢だったとしても、子供を大人扱いするという一見フェアとも思える詭弁で大人の論理に巻き込んでひざまずかせるという教育は宗主国(アメリカ)が属国をねじ伏せていくアメリカン・ウェイの刷り込みが既に行われているということでもあって、この根深さを考えるとリベラルがせいぜいカウンターとしてしか機能しない国の厄介さにあらためて思いが至る気がする。といったようなポイントは随所にあるにしても「チチカット・フォーリーズ」ほどには視点が広がる素材ではなかったせいか全体に散漫な印象がするのは、ワイズマンも途中で飽きちゃったからじゃないのかな。だからというか体育の授業でダンスする女子生徒のブルマをクローズアップで延々映し続けるショットの意味不明がけっこう不穏だったりもしてそれはそれで微妙に居心地悪くて愉しいんだけど、これに1200円払ったことの是非はまた別の話。
 
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September 07, 2009

クリーン/嘘つきジャンキー夜更けに泣いた、一人で泣いた、静かに泣いた


クリーン
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川向こうの工場で吹き上がる炎が命の切り分けをしたタイミングと、感情が時間を押しのける瞬間を連続で捉えていく時のオレンジのニット帽と、少なくてもそれだけで十分のはずがどうして口ごもるのか、ならば嫌いだと言ってしまえばいいものを言わないのはどうしてなのか。ここでのアサイヤスは最初から最後まで誠実ではあるのだけれど、それが映画の獲得した時間に対してであるのか観客に対してであるのかといえばどちらでもなく、それはマギー・チャンその人に対してでしかないし、ならば役名もマギーでいいではないかというくらいに実在のキャラクターをそのまま動きまわらせるメタフィクションすれすれの物語が映画本来の時間と乖離している気がするためになかなかワタシは落ち着けない。ニック・ノルティとトリッキーは別の時間にいるかのようだし、ローバックやマジー・スターまで引き合いに出してしまったせいで、エミリーの歌は単に再生を象徴する記号としてではなくフィクションのハードルを越えなければならなくなったように思えて、結果として人生をキックするはずの歌はホープ・サンドヴァルのような何かとしてしかワタシには聴こえず、それに戸惑っている間に彼女は箱庭から扉を開けて出て行ってしまったものだから、このアサイヤスとマギー・チャンのプライベート・フィルムに何らかの開けた普遍を見ることはワタシには無理だったということ。そうやってすれ違ってしまったのなら放っておけばいいのにという話なのだけど、すれ違いざまに肩がぶつかってしまっている上、その時互いに気を取られていたのは、人生に於いては自らの野心に忠実であり尊敬の念を抱かねばならないというテーゼの実現について、のような気がするために何だか立ち去れなくなってしまっている。また、図らずもアンチドラッグ・キャンペーンの真っ只中にある世の中に配慮したのか、この作品のある側面がメディアの前面に出されてはいないのだけれど、タイトルは字義どおりジャンキーについて回る状態のそれでもあり、ドラッグに関する秀逸な問答やジャンキー(=エミリー)の卑しく下世話な日常も含めてそれら描写は淡々としてかなり的確に行われるので、ドラッグにまつわる映画として引っ掛かるのもありだと思う。というかむしろその方がエミリーの静かなジャンプを見届けられるのかもしれない気がするから、足を運べる人は劇場へどうぞ。ワタシの愚痴とかぼやきとは関係なく、きわめて真っ当に感情的な映画だから。
 
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August 31, 2009

キャデラック・レコード/お前と闘うためのブルーズ


キャデラック・レコード
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ブルーズの界隈については耽溺した経験もなくほとんど無知に等しいものだから、どのあたりのエピソードが事実の再現なのかも分からないのだけれど、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、チャック・ベリー、エタ・ジェイムズ、おまけにストーンズといったところが実名で演じられているので、ほぉ、とかなるほどねと咀嚼しつつ相関図を追っているだけでも面白いし、と同時に図らずもロックンロール誕生の瞬間を捉えてしまってもいるので、クロスオーヴァーからブレイクスルーに至る歴史の喧噪を味わえるという点でもなかなか愉しい。門外漢のワタシとしてはこうした俯瞰のまま回想録のように(というか映画はウィリー・ディクソンの回想形式で始まる)終わっても文句は言わなかったと思うのだけれど、中盤以降ブルーズのデモニッシュを体現するエタ・ジェイムズ(ビヨンセ)を軸に各々のブルーズがじくじくと流れ出して喪失に向かうドラマで映画はもうワンフレーズ震えてみせる。ただ、例えば「ドリームガールズ」のように芸能史と個人史を泣き笑いの浪花節で絡めてみせてはいないので、ビヨンセつながりで似たような昂揚を欲しがったりすると少しばかり肩透かしをくうかもしれないなとは思う。それにしてもだよ、この映画でもその登場がチェス黄金期の終焉の象徴のように描かれたプレスリーがナショナル・チャートでブレイクしたのが1956年で、それからたったの20年でそのロードマップにはパンクが記されてしまうというその因果なスピードには驚いてしてしまうのだけども、遠くへ来てしまったというよりは同じ所をぐるぐる回っているだけのような気がするのは、すべてはこの映画で描かれた世界の益体のないヴァリエーションに過ぎないからで、この映画にノスタルジーの香りがあまりしないのもそんな理由によるんだろうと思う。というわけで、これはミュージシャンのというよりはあるレコード・レーベルのクロニクルだから、ミュージカル寸前の昂揚とかそういうケレンを期待してしまうとおそらく空回りすると思うので、日頃どちらかといえば映画よりは音楽と仲良くしてる人の方が愉しめるかもしれないなとちょっとヘソの曲がった薦め方をしてみる。
 
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August 25, 2009

30デイズ・ナイト/北へ帰る人の群れは誰も無口で


30 days of night
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極夜のアラスカで30日にわたって繰り広げられるヴァンパイアと人間の血生臭くも奇妙な共生の物語、というのは公開まで2年も待たされてる間にワタシが勝手に育んだ妄想で、実際のところはと言えば一方的に屠られる人間達の籠城サヴァイヴァル戦とその閉塞感によるネガティヴが主にこの映画のトーンになってて、吸血鬼とのバトルはドシャメシャのフルコンタクトというよりは主に神経戦なのも映画の鬱屈したトーンをさらに重苦しくしてる。ただ、こうした狙いが成功してるかというとまた別の話で、籠城による疲弊と心理的自爆などの描き込みが今ひとつ足りてないので単にテンポとリズムがもたついてるようにしか感じられないのが何だかもったいない。とは言え吸血鬼というよりは屠血鬼とでも言った方がふさわしいヴァンパイアの暴虐を含め、突発するゴアはかなり腰の入った描写なのでワタシはそれで結構満足しちゃった気がするし、例えばヴァンパイアの群れが街に繰り出して住民を一斉殺戮するシーンは上空からの俯瞰ショットで捉えてて、逃げ回る小さな黒い影を尋常でないスピードの複数の影がサーチ&デストロイするにつれ、あちこちで真っ赤な血しぶきが白い雪面に咲き乱れるスペクタクルはDVDじゃ満喫できないと思うよ。そして、どうやってこの消耗戦に片を付けるのかと思いきやまさかのベア・ナックル・ファイトの果てにジョシュ・ハートネットが矢吹丈と化した静謐で哀切なラストが思いのほかスッと落ちてきて、このハッピーサッドなバッドエンドの余韻はちょっと捨てがたいものがある。ヴァンパイア映画としてはかなりの亜種だし、感情の配置など含めうまくいってない部分があるのは否定しないけども、振り切れた画を撮ろうという気概が詰まっているこういう映画は放っておけないし、これから先もこういうポジションの作品が公開されることを祈りつつDVDじゃなくて映画館で観た方が絶対いいよとお薦めしとく。第一、ほとんど夜のシーンだからそれなりの解像スペックじゃないと切株のディテールもわかんないと思うしさ。
 
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August 23, 2009

南極料理人/8人ぼっちで日が暮れる


南極料理人
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雪原を走る1人の男を追いかける別の男達というカーペンター的(あっちは犬だけど)にサスペンスフルなオープニングにもすぐさまユルいオチがついて、それから先は三度の飯をそのフラグとする淡々とした感情の記録で、おいしさは幸せの尺度であるという唯一の主張らしき主張もことさらおずおずと為される始末だし、そんな風に人生の昇降差を押しつけないドラマの平坦さが心地いい。山下敦弘にしろ西川美和にしろ、映画に漂うのはヴォネガット言うところの“So it goes”とでもいう自由で乾いた諦念で、それをどちらから覗き込むかで仄暗かったり仄白かったりはするもののこの監督もそういう場所に居たいのだろうなと思うし、こういう風にひたひたと少しずつ調子っ外れて行ってエキセントリックなから騒ぎに頼らないオフビートを維持するのはオリジナルの脚本でもない限り難しいとは思うけど、今回のように原作付きでありながらも飄々とまとめてみせたのはなかなか頼もしいところなので、次とは言わないまでもそのうちにはオリジナル脚本で撮った仄白い映画を観られたらいいなと思う。全員がコメディリリーフでバランスとってるような映画の中で、それが安定し過ぎてしまわないよう端々で揺らし続ける豊原功補の茫洋と呆けた感じがとてもいいし、出番は少ないけど嶋田久作も西田尚美も相変わらずチャーミングだしで、澱みを覗き込ませたりせずにす〜っと流れていく気持ちのいい映画だった。というわけでテアトル新宿は立ち見が出る盛況ぶりだったのでWEB予約してから向かった方がいいと思うよ。
 
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August 12, 2009

3時10分、決断のとき/銃弾の雨、父の涙と僕の引き金


3時10分、決断のとき
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焼き討ち、駅馬車強盗、早撃ち、賞金稼ぎ、リンチ、野営、アパッチ、苦力、そして酒場の美女といったありったけのクリシェの重しになるのは、ひどく狭量で埃っぽくも決して折れることのない剥き出しの矜持で、撃鉄が叩き出す銃弾でその意志は会話する。つまりこれはジャンルの狭い谷を一気に駆け抜ける紛うことなき西部劇で、その今日的解釈とかいった注釈など一切必要ない純度の高さにひたすら溺れる幸せ。聖書を諳んじ、玄人はだしの素描にも才を見せるベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)だけれども、彼がその題材に描いてみせるのは山中の鷹にしろ、酒場の女主人にしろ、ダン・エヴァンス(クリスチャン・ベール)にしろ、毅然と独立しているがゆえに孤高してしまう哀しみをまとった存在ばかりで、あらかじめ人生に倦んでいるようなベン・ウェイドにとってはそうした存在との邂逅がもたらす自己救済の瞬間にしか生の手応えが見出せずにいるのだろうし、ラストで炸裂する彼の早撃ちはそれら平坦で凡庸な世界への苛立ちと憤りの暴発であって、一見不可解とも思えるこの行動を感動的なまでに物語へ落とし込めたのは、西部劇という特殊に限定された世界のどこかにある決して大きくはない的の一点を見事に撃ち抜いたからなのだろう。このピカレスクな灰色の騎士に拮抗するクリスチャン・ベールは、ラッセル・クロウのようにパーソナルを接近させての役得とも言える身のこなしからすれば損な役回りともいえるエヴリマンの存在証明を鬼気迫る呻きと呟きで這いずるように演じて、ダークナイトもそうだけれどこの人の受けのテンションは尋常ではない。周りにしてもベン・ウェイドの副官を演じたベン・フォスターが見せる哀しい忠誠やピーター・フォンダが演じた賞金稼ぎのうらぶれた野卑、その他虫けらのごとく殺されていく端役にいたるまで、髭と垢の面構えがスクリーンにへばりつくように馴染んでどの役者も名優のように映って壮観。こんな風に気やすく自由かつ無責任にない物をねだらせてくれる映画は久しぶりな気がして、おそらく年間ベストテン入り必至の傑作なのに、上映館が少ないのが本当に惜しいと思う。幸いにして観に行ける街に住んでる人は絶対後回しにしたらいけないと思うよ。
 
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August 04, 2009

バーダー・マインホフ 理想の果てに/爆風と銃声のバカンス


バーダー・マインホフ
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ビートニクに転がる男アンドレアス・バーダーとあらかじめ倦んだ女ウルリケ・マインホフ。やたら映画的に過ぎる両輪だけれども、放たれた銃弾の数までリサーチしての製作らしいのであながち誇張でもない彼や彼女なんだろう。ただ、製作側に思想や行動の是非を問いかけるつもりがなく、時代を総括する役目を巧妙に避けていることもあって「ミュンヘン」に比べるとドラマとしては素っ気ない印象を受けるけれど、これはゼーバルトが言うところの「壊滅した世界の瓦礫から審美的ないし似非審美的効果を生み出そうとすることは、文学からその存在理由を奪うやり方である」というアンチテーゼの実践のような気もして、こうした均質な足取りは主要メンバーが逮捕拘留されて以降の終わらない夏休みの憂鬱とでもいうような日々までも飽きることなく描いていく点で真価を発揮する。それらの結果としてドイツという国の個人的な覚書のような映画になっている点で、社会風俗の記憶や申し送りされた空気に触れていないワタシにはおそらく真意がつかめていない気もするのだけれど、暴力はある局面に於いてその即効性と麻痺性で有効な目眩ましであり、重要なのは暴力の結果よりもその錯覚の質であることや、抵抗と抑圧の共犯関係がタイトに締まっていく時の官能のようなもの等々、思わず足を止めてしまう抜き差しならない魅力に溢れてはいるので、そちらから攻め落とすのも十分ありだと思う。そしてこれを撮ったのが「クリスチーネ・F」の監督であると知って気持ちがざわついた人はとにかく観た方がいいと思う。何だか狡い薦め方だけどそういう映画だから。
 
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August 01, 2009

まとめてチャチャッと映画を3本


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トランスフォーマー/リベンジ
ドシャメシャな爽快感が壊滅的になくなってる。グレムリンチックなキッチン・バトルとかノリだけで転がる前半はともかく、エジプト以降の浮力のなさは退屈ですらある。サムの葛藤とかそういう小芝居がとても邪魔。かけ算が出来ないから凄まじい勢いで足し算する男が監督してる以上、こういう右肩上がりの拡大再生産はやむを得ない話なんだろうけど、次はどうすんだろ。宇宙行っても恐竜と戦っても何してもいいけど、泣きはいらないからニヤニヤさせてくれ、頼むから。

モンスターVSエイリアン
巨大化した女性というのはなぜかエロい。晒し者としての視姦だからなのか。そして何よりスーザンはダリル・ハンナよりもエロい。というか製作陣がそういう視線を否定してないのがとても良い。ただ映画自体はそんなスーザンの男気が炸裂する粋な怪獣映画だから観てるみんなの溜飲がスッキリと下がるようになってて、まるで「馬鹿の考え休むに似たり」という素晴らしいことわざをもって米軍所属ロボット部隊の監督を諭してるようじゃないか。金門橋の攻防での俯瞰ショットにしびれたりしたからクライマックスも市街戦でやってくれれば完璧だったんだけど、銀髪のスーザンに免じてすべて許す。ちなみに3Dで観たけど、ギミック頼りでない腰の座った映画だから2Dでも関係ない気がするな。

湖のほとりで
水辺に横たわる少女の亡骸というとあちこち妄想は広がるものの、ツイン・ピークスというよりはクローデル「灰色の魂」といったところ。それなりにミスリードなんかも散りばめてサスペンスを維持した結果、形式的な断定は為されるけれどそれで生まれる余白の方を持ち帰るように撮られてる。彼女はなぜ殺されなければならなかったのか、ではなくなぜ死にたどり着いたのか、というとちょっとネタバレか。ただ、謎解きはあくまでフックとして観た方が彼女の物語を見通せるような気がするのでちょっとばかりお節介を。
 
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July 21, 2009

ノウイング/ネタバレするよ、烈々と粛々と


ノウイング
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もう一度言うけどネタバレを回避してないので、観賞予定の奇特な人はとりあえずスルー推奨のこと。

わざわざ隅をつついてみるまでもなく、そもそも重箱自体が奇天烈に歪んでいてフタすらしまらない始末なのは重々承知だ、というかそれこそがケイジ・ムーヴィーだ。ゆえに疾走するケイジのメランコリーは一層とどまるところを知らず、ここに至ってはついに宇宙人さえ相手に心底途方に暮れてみせるのだ。つい先ほど「自分が世界を救うよう託されたのだ」と絶叫した男が、呼ばれもしないのに宇宙船に乗り込んで脱出しようとしたあげく、オマエハツレテイケナイと宇宙人にダメを出されて地べたに不貞寝するのだ。そしてもう、いくらケイジが肩と眉毛をすぼめてみせようと事態が手に負えなくなった終盤、この際「宇宙戦争」的なオチでも仕方なかろうと高をくくったところで待っていたのは何と「渚にて」の逃げ場のない清々しさに溢れる世界で、もはやケイジのメランコリーを焼き尽くすには太陽の業火さえ必要なのかというラストに驚愕するも、劇場を出るワタシの目に映ったのはケレン味たっぷりにポスターに浮かび上がる「地球消滅」の四文字であって、そもそも誰もふざけてなどいなかったのだ。終末への覚悟は既に求められていたのだ。ふざけているのは人が途方に暮れた様を見てクスクス笑って指をさし、眉毛は下がりっぱなしでも口角の上げ下げでちょっと困った時とものすごく困った時の感情を微調整するんだな、とか眉毛が上がってる時はシリアスな気分の時だけど、どっちかっていうと憑依状態みたいでちょっと怖いしあれじゃみんな警戒しちゃうよね、などとしたり顔で決めつけるワタシの方だったのだ。そして結局、地球を一つ潰してまでケイジが言いたかったのは、死ぬ時に思い浮かべることのできる彼岸の光景をオマエは持ち得ているかということなのだろう。ただまあ、ケイジが投影して見せた彼岸の世界は薄っぺらでとってつけたフレスコ画のようないかがわしさに少々溢れて、それはやはりついさっきまで助けてもらう気満々だった心の彷徨いの顕れでもあるのかと自らを反面教師としたケイジの男気に胸を熱くしつつ、同行者の面々と「結局あの黒い石って全然意味ねえ〜」「もはや時代はグレイ型じゃなくてクリオネ型だな」「カルトの勧誘ビデオに転用できるだろアレ」などと声高に議論を傾けながら有楽町マリオンのエスカレーターを下って行く罰当たりなワタシ達なのであった。必見。
 
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July 19, 2009

NOISE/いっそ目を閉じて、ただしバウスの爆音で


NOISE
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「NOISE」と冠されたタイトルとメイン・ヴィジュアルのキム・ゴードンによる想起をあてにした場合、ずいぶんと肩すかしを食らわされることになる。こうしたフィルムに「NOISE」と名付けてしまえる無邪気さみたいなものが、この監督の作品といまいち折り合いが良くない理由なのかもしれないけども。そもそもシューティングの舞台となった「アート・ロック・フェスティバル」自体にアヴァン/モダン/ポストな断面をキューレートする意志があったのか曖昧だし、ここに収められたアーティストにしてもそうした目筋でチョイスされた結果だとはあまり思えない。やはりこの監督にとっての音楽は人生のサウンドトラックとしての一要素であって、ストーリーを背負えない音へのアプローチにはあまり積極的でないみたいだ。それぞれのアーティストに対するジム・オルークのコメントを羅列してみても「フランスのミュージシャンはなぜかフェティッシュといっていいほど、高いギターを持ってる。でもギターとアンプはすごく高いのに、つないでるエフェクターはいつも安物なんだ(笑)」「帝国主義の生き残りという感じだね(笑)」「ちょっとここでは(笑)」といったように曖昧ながらも“苦笑いの違和感”がくみ取れるし(このある意味自爆気味なインタビューはパンフに収められているので観賞の際は一読を)、先ほどジム・オルークが「ちょっとここでは(笑)」とコメントしたバンドに関して言えばどうみても周回遅れのいなたい佇まいで、このバンドに作中で4曲ものセットリストを与えるシンパシーは正直理解しがたいし、それにしたところでカメラが追うのは女性ヴォーカリストばかりで、それ以外のメンバーはバストアップも手元もクローズアップどころか判別可能なショットもないという、低予算で出来のあまり良くないライブショットによるPVを観てるみたいだ。作中の白眉とするべきMIRROR/DASH(キム・ゴードン&サーストン・ムーア)にしても、音がドローン気味の展開になると別撮りの凡庸なイメージ・コラージュ(ライブ時にはステージに投影されたらしい)がオーヴァーラップあるいは2人に取って代わってしまい、ハイ、ここは各自でイメージしてお聴き下さい、とでもいうような投げ方からしてもやはり音そのものをアクチュアルに掴まえるつもりのないことが伺えて、ステージに散らばるエフェクターの群れやスイッチをさぐるサーストンの手元、あるいはその半開きの口元でもいい、いくらでも代弁可能なショットはあっただろうになあとちょっとイライラすらした。監督はおそらくロック・ミュージックの誠実なリスナーでソニック・ユースを偏愛すらしているのだろうし、そうした周辺各位からのインプットが表現のキックにもなっているのだろう。けれどアウトプットの資質がそれを反映しているかというと、感じるのはオーソドキシーを無理矢理捻ったアンバランスのような気がして、過去作で欲していたようなアメリカ映画のデモニッシュがそこに宿ることはないし、フォームとして疑似構築することで空白を攻め落とすこともおそらく叶わないと思えるのだ。だからというか、そういう片想いを封印したかのように見える「夏の庭」はもしかしたら局面が一新されているのかもしれないと期待して、機会のあるうちに劇場へ足を運んでみようと思ったりもしている。そういう意味ではアサイヤス・プロモーションとしてはなかなか優秀だったのかもしれない。さすがに他人にまで一緒に踊れとは言わないけれど。
 
Posted by orr_dg at 23:48  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

July 12, 2009

ディア・ドクター/女があとから泣けるよな、哀しい嘘のつける人 by 山口洋子


ディア・ドクター
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前2作で虚実のせめぎ合いを皮肉る様にえぐる様に描いた監督は、今回は少し趣向を変えて“虚”そのものをめぐる話に終始することで“実”を揺すってみせているのだけれど、その境界を線引く時にワタシ達がみせるであろう曖昧で傲慢で滑稽な表情に対する監督の偏愛は相変わらずだし、極端に言えばそれだけで映画を撮ってしまえるような繊細な豪腕ぶりには相変わらずうっとりとしてしまう。セリフはよくデザインされて生活の言葉に映画の感情と説明を加えてもそれを過多に思わせていないし、そうやってセリフが映画を緊密につないでいることでふと言葉を落とした時の気配は闇にしろ明かりにしろなお濃密さを増して、いつまでも印象に残るのはそうしたいくつかのシーンということになる。中でも伊野(笑福亭鶴瓶)が病院で独りエレベーターに足を踏み出すシーン、大竹(余貴美子)と斎門(香川照之)が暗い車中から伊野に群がる村人を見つめるシーンは映画の重要な余韻となっていて、こうしたところで垣間見える監督の地肩の強さが映画にしか与えられない格のようなものを確実に引っ張り上げているのは確か。ただ一つ、あのラストについては解釈と評価が分かれるところだとは思う。駅のホームで伊野がかき消される様に消えるシーンで終わってみても成立はするのだろうけれど、そうするとこれは伊野の行為の是非、すなわち僻地医療など医療問題をテーマに据えた作品だったと取られてしまうおそれがある。それらの周辺描写が的確で説得力がありすぎたために一人歩きしてしまったとはいえ、元々はニセ医者という設定を生かすための背景であったわけで、これが運命とか人生とかいう茫漠とした取り決めに逆らってみるための手段として“虚”を選んだ人たちの顛末を綴ってみた話だからこそ、ああした念押しが必要だったのだろうと思う。あのかづ子の笑顔は、まだ悪戯はばれてないよ、まだまだ遊べるよと告げられた時の安堵と茶目っ気以外の何ものでもないし、何よりかづ子もまた取り決めに異議申し立てをした愛に溢れる共犯者であることを思えば、必要なのは寓話の余韻だったことにうなづけるのではなかろうかと思う。監督が現場でどういった演出をする人なのかわからないけれど、笑福亭鶴瓶からTVのアクは完全に抜けている様に思うし、何と言っても余貴美子と香川照之のサイドが最強なので、TVタレントが主演だから云々というシネフィルのごとき狭量で敬遠することがなければいいなと思う。こんな風に健全に思える日本映画にはそうそうお目にかかれないのだから。
 
Posted by orr_dg at 22:19  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

July 06, 2009

扉をたたく人/泣く暇があったら怒ってくれないか


扉をたたく人
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もし9.11が起こっていなかったら、今あるものとは全く違う世界が進行しているはずですよね。おそらくはもう少しましな、正気の世界が。そしてほとんどの人々にとってはそちらの世界の方がずっと自然なんですよ。ところが現実には9.11が起こって、世界はこんなふうになってしまって、そこでぼくらは実際にこうして生きているわけです。生きていかざるを得ないんです。言い換えれば、この今ある実際の世界の方が、架空の世界より、仮説の世界よりリアリティがないんですよ。言うならば、ぼくらは間違った世界の中で生きている。それはね、ぼくらの精神にとってすごく大きい意味を持つことだと思う。
(村上春樹〜モンキービジネスVol.5より)


この映画も9.11が産み落とした私生児の一人であって、前半で描かれるのは村上春樹が言うところの“正気(だったころ)の世界”の出来事だけれども、そこに灯った明かりと温かみはもはや憧憬に過ぎないことを突きつける様に、後半では同じく言うところの“間違った世界”の現実が残酷だけれどもおそらく正確な認識で描かれていく。だからラストシーンでウォルター(リチャード・ジェンキンス)が独り打ち鳴らす荒れ狂うジャンベのリズムは、世界と自分がリアリティを喪失していることにようやく気づいた者の悔恨と、その無自覚を許してきた自分への圧倒的な怒りであると同時に、それに気づいた者はもはや絶対性の愉悦に身を任せているわけにはいかないのだという正気と狂気にまたがる世界の相対性を迎え入れる覚悟を求め訣別を突きつける響きでもある。そして相対的であるということは少なからず政治的な生き物として自分をデザインすることでもあるのだけれど、それを成熟と言ってしまえる余裕など欠片もないまるでプライマル・スクリームのように切実な響きまでもそこに込めたトム・マッカーシーは、まずはそこに立ってみることで始まる(かもしれない)正気とリアリティへの可能性に期待してこの映画を撮ったのだろうと思う。この映画もまたオブラートにくるまれて世の中に露出しているのだけれど、妻を喪った男が人生に復帰していくだけの映画などでは到底ないどころか、シンクロしていくのは冒頭で引いたような村上春樹的カオスだと勝手に思っているので、そういう神経の障り方が必要な方は是非足を運んでみるべきだと思う。
 
Posted by orr_dg at 23:57  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

July 02, 2009

スター・トレック/本家ウルトラクイズ


スター・トレック
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チワキニクオドッタ。そもそもが79年の劇場版しか観たことがない上に当時あのラストに白けまくったガキんちょのヌルイ記憶を一瞬で吹き飛ばしたプロローグでの、この映画のエンジンはパッションであるからアナタ方もそのつもりで!という宣言が既に圧巻。スペースオペラでこれだけテンションが上がったのは「帝国の逆襲」まで遡らないと見当たらないし、既にプロローグの時点で例の紙芝居(エピソードI〜III)の総熱量をとっくに上回ってて痛快。でもってメインタイトル後のカーク幼少期のエピソードでさらに煽ったあげく、続く酒場の乱闘シーンでボコボコにされた青年カークの、グーで殴られたら少なくともこうはならないとおかしいよねっていうズタボロの鼻血っぷりがカッコ良くて、こういうちょっとしたフックのおかげで目線が決まり気持ちがざわついて身を乗り出していけるわけだ。これ以降はカークの熱情がぶち抜いた風穴を若きスポックの青白い炎がチロチロと照らすことで想像以上に奥行きがある活劇であることを教えてくれて全く文句なし。やはりホラーやSFは活劇としての矜持がないと摩擦熱が発生しないし、能書きたれる暇があったら映画を動かすべきだというクールな自覚と熱い実践こそがJ.J.エイブラムスの真骨頂。そして背骨は思想としてのロックンロール。求めるのは自由と独立の気概。それを脅かす相手には歯向かって立ち向かうこと。そういうシンプルだけど大切なルールが今さらながら心に染みて背筋が伸びる思いなのがとてもとても気分がいい。遠巻きにしてる人ほど観た方がいいと思うな。
 
Posted by orr_dg at 14:02  |Comments(2)TrackBack(0) | Movie/Memo

June 21, 2009

人生に乾杯!/海を見ないうちは死ねないね


人造乾杯臓
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「続・激突」「地獄の逃避行」「ダーティ・メリー クレイジー・ラリー」「バニシング・ポイント」のようなレヴェル・ムーヴィーの記憶が瞬いて、そういう映画が持っていた詩情や切なさ、どんづまりのユーモアみたいなところまで漂わせたまったく侮れないハンガリー映画。でまあコワルスキーな閉じ方まで真似するのかと思って一瞬のけぞりそうになったけども、さすがに人生賛歌的な余韻はきちんと用意してのことなのでホッとしたというか何というか、そういう振り回し方も含めてこの鄙びたオフビートはけっこうなツボ。ここではハンガリーだけれども、国家/イデオロギーの変節を当事者として体験してきた国や人々の視線は相当にタフなわけで、この映画に限らず合理主義の建前を実利主義の本音で足払いする様な骨太で生臭い個人主義がごく自然に映画に反映されるのを見ると(チェコ映画『英国王 給仕人に乾杯!』もそうだった)、やはり身も蓋もないところに真実(らしきもの)は転がっているもので、これがお年寄りに向けたお年寄りのための映画などではまったくない痛快さもそんなところからやってきてると思うから、シネスイッチによくあるファニーでちょっとイイ話の雰囲気映画などと敬遠しないで、アメリカン・ニュー・シネマでも観るくらいの勢いで行ってみればいいと思うのだ。
 
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June 15, 2009

ザ・レスラー/アロノフスキー先生の人体実験:ミッキーの場合


ザ・レスラー
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これもまたダレンくんの好きな彼岸に向かう人の話であって「働くおじさん」の有名人スペシャルのような体裁をとりながらミッキー・ロークを切り刻んでいく手口にしびれる。やはりこの監督はすべて突き抜けたところのグロテスクな直接性が持ち合わせる幻視というかファンタジーを追求するべきで、そういう手続きをすっとばして最初からそこを目指してしまったのが「ファウンテン」の失敗だったんだろう。だからここでは、ミッキー・ロークが負った人生の傷をそのまま映画でかっぱらいつつ、そこに大量の粗塩をすりこんで悶絶と断末魔を嬉々として拾っていくことで疑似ドキュメンタリーの色合いすら用意する周到ぶりのえげつなさは独壇場でもあって、娘や恋人との間に一瞬生じるドラマすら甘美な逃避へのフックにすぎないという人でなしぶりも清々しくて素敵だ。オスカー絡みでいくら話題になろうと「ファウンテン」の失敗で余計な反省なんぞして姑息な空気読みになっていたらつまらないなと思ってたけども、自分で自分の糸を切った凧が風に乗って最後に辿り着く場所を追いかけていくような映画の動機はそのままだったからひとまず安心した。この人はやはりそれが掃き溜めでなされるものであってもロマンチストであるべきだ。あとはやはり特筆すべきは「働くおじさん」部分のプロレスラーというお仕事の描写が頭抜けていることで、ファイトシーンはもちろん、我々の非日常を日常とする人達の疲弊した感じやプロレスという攻撃的マゾヒズムに囚われた人々が身を寄せ合う切実で哀感の漂う絆をローカルな視線でたぐり寄せる様に描いていて、プロレスが好きならばこれらのシーン目当てでも観ておいた方がいいと思う。というわけで「カリフォルニア・ドールズ」以来のプロレス映画の傑作(というか間に何もないんだけど)にして、ダレン・アロノフスキーの首の皮がつながり、ミッキー・ロークを封印していた猫パンチの呪縛を解いた映画として記憶にとどめるためにも劇場へ是非。そして最後に、世代的にはズレてるしワタシは新日派だったからあれだけれど、三沢光晴の冥福を祈りつつということでプロレスの遺伝子を宿してしまった方々も劇場へ是非。
 
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June 03, 2009

ラスト・ブラッド/倉田先生>>(超えられない壁)>>サヤ>(測定不能)>ビエラ


ラスト・ブラッド
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オリジナルのアニメーションが48分でこの映画は91分。冒頭の地下鉄シーン(銀座線だけど車両は旧丸ノ内線)のトレースとか古道具屋の模造刀のくだりとか、元ネタをあてにしていられる間は全然悪くないどころかそれにプラスされるワイヤーアクションなんかがむしろ愉しいくらいだし、暗い目をしたチョン・ジヒョンによる不機嫌なサヤっぷりもこの映画じゃ貴重な得点を稼いでる。だから、映画オリジナルの解釈をせざるを得なくなる残りの40分(ルイスが将軍を射殺するあたり以降。で、このルイスを演じる白人俳優の安っぽさが尋常でなく、こいつが出てくると途端に再現フィルムみたくなるという驚異)で一気に関係各位の黒歴史と化して前半の得点をゲ〜ゲ〜言いながら吐き出してく様はもう別の映画を観せられてるみたいで、これで誰にも怒られないのですか、というか何だかワタシが怒られてるみたいな気さえして別の意味でドキドキしてた。そもそもオリジナル自体が一発ネタに近くて世界観とかその辺の説明をしてないこともあるんだけど、だったら無理に説明しないで元ネタの48分を膨らませて基地内での局所戦闘に終始しちゃえば良かったと思うんだけどね。で、我らがビエラ嬢はと言えば何かもう、この子は自分から進んではやらないけども言われたことだけはキチンとやる子なんですよ〜状態で、あなたの役名はオニゲンですって聞かされた時の、は?っていう脱力のち沈黙が目に浮かぶような空気っぷり。だってオニゲンだから。鬼のオリジン(源)だからオニゲン、たぶん。ふつう鬼源て言ったら鬼の異名を取る源八郎とかの通称でしょ。なのにオニゲン!目指せ国際派女優がオニゲン!え〜?あたしオニゲン演るの?カイゲン?オニゲン?何だかオニゲンオニゲン言ってたらオニゲンの意味が分かんなくなってきた。もしかして: オニゲン
 
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June 02, 2009

消されたヘッドライン/敵は見えたか味方はまだか


消されたヘッドライン
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個人の矜持を鈍色の感情ではらった筆致は、サスペンスの手練れを集めた脚本家チームの中でもおそらくトニー・ギルロイによるものだろうと贔屓目も含めて思っている。今いる場所に踏みとどまってレジスタンスを全うし、その道筋で灯るセンチメントを否定することなくそれを光源に映画を照らして輝かせてみせること。そうすることで語り出す拳の湿り気と抑制の効いた演出(ケヴィン・マクドナルド)を透明で端正なカメラ(ロドリゴ・プリエト)が翻訳して、暗い影のよぎる世界と自分との軋轢を見事なサスペンスに変換した好篇。となれば、たった2時間の間にそれら敵たるシステムを壊滅させるご都合が許されるはずもなく、これは個人がいかに善く闘ったかという話であって、世界は見えない敵に満ちているという911以降のオブセッションを回収するには、こういう気分を積み重ね蔓延させて陣地を築くしかないのだとも思わされる。だから、そういう気分を演じるには自分は不向きだと判断しての降板なのであればブラッド・ピットは正しい判断をしたんだろう。そもそもラッセル・クロウのような自爆するセンチメントは彼の筋ではないだろうし、この映画はそれがないと点火しないはずだから。これは単に流行廃れのサイクルなのかもわからないけれど、サイコサスペンスものの作品が年々減ってきている気がしていて、これはおそらく911以降に変化していった認識、世界は想像以上に病んでしまっていて自らもその病質の一部なのではないかという底のない懸念を持ち始めた我々への説得力がそれらサイコ達の個人的な病質ではもはや獲得できないという理由なのだろうし、それについては「ゾディアック」でフィンチャー自らが幕を引いたのではないかと思う。そしてその「ゾディアック」から始まった気がしている70年代のロウ(RAW)への接近は、個人の復権というか内省の錯覚というか、そうした気分が引き連れてくる憧憬と渇望を伴っているもので、近頃はそれらの忠実な反映ともいえる作品があちこちで芽を出していてその成長を見ているのがとても愉しいのだ。というわけでそんな世界の観察者たるアナタもお一ついかがと袖を引いてみる。
 
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May 30, 2009

バンコック・デンジャラス/金曜日17:15の回に柳下毅一郎氏を確認


バンコック・デンジャラス
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相棒共々今月分の給料を無事確保して来月の売上げもそこそこ目処がついた月末、休日出勤の予定もない週末を控えた金曜の夜に観る映画として、ケイジ・ムーヴィーよりふさわしい映画があると思いますか。お馴染み新宿ミラノ2の弛緩した空間でスタバのラテグランデ片手にシナモンロールをパクついてると、これぞ幸福とまでは言わないにしても、接近戦でワタシを脅かすものが見当たらないという点では平和そのものといえる時間が流れる中、スクリーンでは奇妙な髪型で途方に暮れた顔をした大男の殺し屋が、バンコックの暗闇で叶わぬ恋の顛末を絞り込んだ引き金に託しているわけなのです。今回のケイジは基本的にしかめ面を気取っていますが、激辛料理にタジタジになったり子象にビビったり、薬屋の店員をモジモジしながらナンパしたり、せっかくのデートの最中に刺客を2人瞬殺してそれに泡喰った女の子が泣きながら逃げ帰るのを哀しそうに見つめたりします。でまあラストは「ソナチネ」なわけで、女の子に振られたくらいで何でそこまでという気もしますが、とても満足そうなので観ているワタシも何だか嬉しくなってしまいました。7月には「ノウイング」が公開されます。その時もまた平和な心持ちのまま映画館(できれば新宿ミラノ2)に足を運べるよう仕事をがんばろうと思うのでした。
 
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May 24, 2009

MILK/自由と死の国の不器用で美しい革命


MILK
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ため息を叫び声に変えてクローゼットから通りに飛び出して行った闘いの記録を、流れた涙の成分を解き明かすようにデリケートなやり方でガス・ヴァン・サントが紡いで見せる。誰かを愛した瞬間に政治的/社会的被抑圧者となってしまうこと。それが思想や信条の問題としてのみ語られてしまわないよう、歩き始めた場所にあったのは個人的な親密に満ちた愛の問題であることを意識させ続けたのは、やはり当事者としての切実をガス・ヴァン・サント自身が抱えていたからに他ならないのだろうと思う。疎外した者に怒りをぶつけるのではなく、疎外された者の涙を拭いてあげるような彼の映画は、観客として越境するのが時として難しくあったりもするのだけれど、ここではショーン・ペンが見事な媒介役となることでその後押しをしてくれて、彼らの闘いを無責任に祝福することさえ許してくれているみたいだ。そのショーン・ペンはともかくとしてチーム・ミルクの面々がとてもチャーミングに描かれているのもこの映画にきれいな風が吹いた理由であって、ラストで映し出される実在の本人達を写した当時の写真を見るとみんながみんな各々を演じた俳優達よりもスマートでスウィートなのにはちょっと驚いてしまうくらいなのだけれど、自由でタフな精神を武器に彼や彼女らが成し遂げたことを思う時、その越えていった高みゆえに何か切なくなってしまうのは、やはり彼や彼女らが存在の死を宣告されつつ闘っていたからだと思うし、だからこそ抑圧の記憶のない幸福なワタシやアナタにもこの棘は遠くから刺さってきて少し痛いんだろう。ゲイ、ガス・ヴァン・サントっていうタグでしまいこんだ人は、考えてるよりも透明でやわらかい映画だからちょっと気まぐれおこしてもいいかもしれないと思う。
 
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May 18, 2009

デュプリシティ〜スパイは、スパイに嘘をつく/←え〜と、ある意味ネタバレ


デュプリシティ
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冒頭の素晴らしくハイレゾかつグダグダな取っ組み合いで、これはこういう映画でございますと宣言したにもかかわらず観てるウチに知らず大マジになっちゃうのは、トニー・ギルロイの生真面目さのせいなのか、あるいはクライヴ・オーウェンを観る時のペシミスティックなフィルターのせいなのか、マルチ・イメージを多用したカットもいまいち浮力が足りてないことを自覚してのことだろうけど、後ろ向いて舌出しながらノンシャランで逃げ切るにはサスペンスが効きすぎてて、となると足りてないのはおそらくエレガンスなのかなと。例えば、はなからエレガンスを突っ込む気がなければ「バーン・アフター・リーディング」みたいなクライム・コメディで事足りるけど、笑わせたいんじゃなくて陶酔させたい人だろうからなあトニー・ギルロイは。とは言え観賞後の膨満感は2時間超の長尺って感じではないからある程度の野心が達成されてるのは間違いないとは思うけども。最近の作品では無精ヒゲとよれよれのスーツばかりだったからアルマーニに身を包んだスタイリッシュなクライヴ・オーウェンは久しぶりの晴れ姿で、闇に紛れて忍び込むような足取りで自分のアパートに入り込むシーンでのフィットした黒いスーツと思いつめた眼差しに目を奪われた瞬間、近い将来彼がフィリップ・マーロウを演じるらしいことを思い出して、ああこのひんやりした色気はちょっとたまらんかもしれん、と一瞬ゾクゾクっとしたのは嬉しいオマケ。それと、当たり前のようにポール・ジアマッティはキュートだからそれ目当ても当然ありってことで。
 
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May 09, 2009

バーン・アフター・リーディング/忘れたころにヘマをしてついてないぜと苦笑い


バーン・アフター・リーディング
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なかなかに非道い映画である。どれくらい非道いかというと、太陽が消えて塞がっていた空に薄日が差してしまうくらいの非道さで、やはり「グラン・トリノ」を先に観ておいて正解だったと心底思った。あの日にこれを観ていたらケタケタ笑う自分に嫌気がさしていたのは間違いないし、おそらく「グラン・トリノ」を観る気力が湧かなかったろうしな。それにしても非道いのはティルダ・スウィントンで彼女が旦那のPCを浚ったところから非道い話が始まるわけだけども、この映画の露悪趣味は他人のブラウザのブックマークであるとかキャッシュであるとか、あるいはどう見ても怪しいタイトルのフォルダであるとかを覗いてしまうようなそれであって、例えば「トロピック・サンダー」のようなモザイクが外れたくだらなさを笑うのとは(あれはあれで素晴らしく楽しい)、痛さや切なさにおいて質が異なる感じだけども、一番非道いのはそれをこういうキャストで目くらましして撮ってしまうこの兄弟だろうとは思う。あて書きで書かれただけあってキャストの親和性は素晴らしいのだけど、やはりジョージ・クルーニーだけはどうなんだろうな。嫌いどころか好きな俳優だけども、あえてコメディの誇張を演じることで周回遅れのズレを出したかったのかどうか、まんま演じればノーブルなド変態になった気もするからあえて言えばそこだけ惜しい感じ。まあ、それだとジョン・マルコヴィッチとぶつかっちゃうのか、なにしろバスローブをこれだけだらしなく着こなせる人だから。ブラッド・ピットは退場の仕方といい完全に役得で、「ジョニー・スウェード」みたいなヘアスタイルが間抜け倍増しでイカす。ティルダ・スウィントンは「撤回して!」とジョージ・クルーニーに詰め寄るシーンがベストショット。ワタシも詰め寄られたい。というわけで「グラン・トリノ」とこれを観たら(それだけじゃないけど)、少しは普通の歩き方もできるようになってきたので、今日は青山葬儀所に行くことに決めた。天気も良さそうだし。
 
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May 05, 2009

グラン・トリノ/ティアーズ・オブ・クラウン


グラン・トリノ
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※ネタバレを回避できなかったので、未見の人は反転部分をスルーするか、こんな与太はすっ飛ばして映画館に足を運んで下さい

ウォルト・コワルスキーは屈託に支配されて精神的に孤立してはいるものの、それらの重層を解き明かすのが映画の目的ではないから何に捉えられているのかは割とあっさりクリアになるし、どちらかというとアメリカン・ウェイを体現するカリカチュアとして描かれて道化の気配すら漂わせて映画は滑り出す。そして彼に限らず今作での登場人物はみな語られる枠をはみ出すことがないという点では、当初は駒のような役割を与えられているのだけれど、映画の中では透明な風が、向かい風でも追い風でもない風がコワルスキーやロー姉妹の傍らに寄り添ってまるで息継ぎのようなリズムで静かに吹いていて、だからなのか、その風が運んでくる記憶の色や香り、あるいはその風が一瞬浮かんだ感情をさあっとそよがせるおかげで、映画を手繰り寄せようとするたびにそれは手元からすり抜けて、本来は小さくて静かな話がどこか高くて遠いところに連れて行かれる様に呆気にとられることになる。しかしこの一緒に遠くまで来てしまったという感覚を共有することであの結末にヒロイズムやセンチメンタリズムが澱んでしまうのをかわせるのだろうし、贖罪と懺悔の先には陽の当たる未来があることを示して、それまではエンジン音すら聞かせなかったグラン・トリノがようやく走り出すのを目にすることになる。あまり「死」そのものを答えにすることのないイーストウッドがここでは負の連鎖を絶つピースとして「死」をあてはめていて、やはりラストに死を用意した「白い肌の異常な夜」「センチメンタル・アドベンチャー」での“キャラクターの死”に比べると、こうした“無名の死”をしかもそれを切り分けて観客に持ち帰らせるようなイーストウッド映画は初めてだったので、一瞬虚をつかれたのが正直なところ。そしてそれは、そこに至るまでのきれいな水が流れるような澱みも曇りもない輝度の高い語り口と相まってするりと流し込まれてしまうのだけれど、エンディングではその流れが行きついた先とも言えるきらめく水をたたえた湖が見渡されて、一瞬おいた後であの歌声が静かに流れ出した静謐な瞬間、手渡されたあの取り分がうっすらと輝きながらオレはけっこううまくやったよなとほほえんで、映画もワタシも鮮やかに翳りの一片もなく救済してみせる澄み切った意志は完璧すぎて切ないくらいだ。実は清志郎の件などあって気持がおとなしくなっていたので、これよりは「バーン・アフター・リーディング」の方がいいかなと迷いながらおそるおそる観始めたのだけれど、思わぬ形でそんな気持ちの面倒まで見てもらったみたいで本当にありがたかった。
 
Posted by orr_dg at 13:16  |Comments(2)TrackBack(0) | Movie/Memo

April 29, 2009

スラムドッグ$ミリオネア/時々はお兄ちゃんのことも想い出してあげて下さい


スラムドッグ$ミリオネア
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いとも簡単に映画に放り込まれて2時間、猥雑と切なさとユーモアとシニカルとをテキパキと切り分けた手際の良さは見事。「我々はインドを発見した!」的なオスカー騒ぎにはちょっと、ん〜とか思わないでもなかったけども映画自体にはそういう嫌らしさや上前をはねてるような感じもないから文句をつける筋合いなんかこれっぽちもないにしても、問題があるとすれば逆にそこなのかなあっていう不満が、瀕死のダニー・ボイルが「私はインドに救われた!」と天をあおぐ姿が目に浮かぶほどには観てるワタシにそのインドがなかなかコミットしてこないこざっぱりとした線引きにつながったあげく、映画に降参するには至らない理由になったんだろう。これは相変わらず悪気のない映画しか撮らない/撮れないダニー・ボイルの問題であって、例えば同年代の同国人であるマイケル・ウィンターボトムと比べてみれば、デモーニッシュな背骨の細さや、音楽を映画にぶち込むに際しての勘は優れているにしても生活者として音楽を求めない、すなわちロック魂みたいなめんどうなものを持ち合わせない小器用なセンスというか才覚だけが目立つ気がするし、ジョン・ホッジとのタッグを解消して以降の停滞してとっちらかったフィルモグラフィーを見れば、多少脚本が弱かろうがあとは任せろ的な映画の豪腕がないことも天下に晒されちゃってる。だから、監督が自分の足元をどぶさらいしたような「シティ・オブ・ゴッド」や、天然の悪気でインドの上前をはねたような「ダージリン急行」に比べると、どうも転び方が足りないというか最短距離を走りたがるというか、叶わない者が漏らす嘆息みたいなものがどこからも漏れてこないせいもあって、観終わった途端にもうこの映画のことが全然気にならなくなっちゃったんだよ。意地の悪い言い方をすれば、生の不感症に喘ぐ群れに投げ込まれた新鮮な餌が今回はインドだったってことで、これはそのままダニー・ボイルと彼の精神注入棒になったインドの関係にあてはまるし、というのもどうやら次作も彼の地で撮るとか言い出してるようでそんなに簡単に約束の地宣言しちゃっていいのかなとも思うけど、それが正解にしろ誤解にしろこの人に芯らしきものが出来ちゃった時にどんな映画を撮るのかはちょっと楽しみではある。ああ、このインド最強!の流れで『サーカスの息子』でも映画化されないかなあ。もちろんダニー・ボイル以外でだけども。
 
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April 20, 2009

ストレンジャーズ 戦慄の訪問者/リヴ・タイラーをお姫様だっこするの刑


ストレンジャーズ
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これは拾いモノとか掘り出しモノとか言ったら申し訳ないレベルで「ファニー・ゲーム」のホラー・リミックスと言っても良い傑作。ストレンジャーズの皆さんは終盤までほとんど獲物(リヴ・タイラーとスコット・スピードマン)に手を触れず勢子のように追い込みをかけて嬲っていくだけなのが何とも嫌らしい上に、中盤で漂うグダグダとも思える空気は、敷地内の家と納屋や車の位置関係をはっきりさせない、あるいは家の内部も間取りが分かりやすいように撮っていないおかげで、逃げまどう獲物2人の堂々巡りの徒労がこちらにも伝染したからに他ならないし、どついて脅かすというよりは癇に障るサウンドデザインもえげつなくて愉しい。終盤、絶望の淵でリヴ・タイラーが吐き出す ”I LOVE YOU”が全く陳腐に響かないのも映画の憂鬱な始め方が効いているからで、上げてから落とすというよりは落ちているところかさらに落ちていくムードを醸成する脚本が秀逸。説明過多でおせっかいなカット割りもないし、同じフレームに獲物と勢子を収める時の両者に関係性が生まれる寸前で引いてみせる距離のセンスや寸止めで我慢の効く腰と地肩の強さはこれが初監督作とは思えないホラーとサスペンスの滋養に溢れていて、すでに製作が決定している続編もブライアン・ベルチノ(監督/脚本)が手がけるならとても楽しみ。ちなみにこれを観た新宿ミラノ2は座席数683で、土曜日から封切られたグラミー総なめの「スラムドッグ$ミリオネア」を上映するのは座席数216のミラノ3。しかも話題作を格下のスクリーンに追いやったこっちの客入りはといえばせいぜいが30弱ってとこで、どうせ4/24で上映終わりだし土地柄でいえばインド映画(!)よりこういうホラーだろみたいな緩さ全開の営業方針は、巨艦ミラノ1を有する余裕なのか、このご時世に全席自由を貫く姿勢と言い上映中は電気すら消してしまう売店と言い、これら挑戦的な投げやりはシネコンの潔癖に唾する昭和イージーの気概のような気がして、だからこそ一人でも多く無駄に大きい新宿のスクリーンでこの映画を観て欲しいと思う次第。我慢してネタバレしなかったしさ。
 
Posted by orr_dg at 00:40  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

April 19, 2009

ニセ札/駄目で元々虻蜂取らず


ニセ札
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悪くはない。とか言って何だか偉そうな物言いで申し訳ないけど、もうちょっと猥雑なピカレスクを愉しむ気でいたら、肝心のオフビートが少し寸足らずで背筋が伸びたまま気分良く歩き過ぎちゃったかなあという感じ。木村祐一出演作で例えてみれば目指したのは「松ヶ根乱射事件」じゃなくて「花よりもなほ」だったのかという気がして、だとすると善いことを鼻白まないように描くのはちょっと大変だから、少しばかりややこしい方を選んじゃったのかなあとは思う。だから、哲也をイディオ・サヴァンとして使いこなすような(例えばニセ札の原版を完コピする能力を発揮させるとか)そういう転がし方はしてないし、セックスの無臭も含めて欲と俗を切り分けようとしてるから泣くのか笑うのかが曖昧なまま狙ったはずの泣き笑いに辿り着けなかったのがもったいない。ただ、役者陣はおしなべて適役で的確。髪型のせいで段田安則はジョー小泉にそっくり。西方凌は新人らしいけどもねっとりとこなれた感じがかなり良くて、この人はこれからいい役回りになると思う。倍賞美津子はハスキーが進行しすぎて声がガラガラでちょっと聞き取りづらかったりしたけど、昔からこうだったっけ?今作を観る限り、役者としての木村祐一が醸す得体の知れなさとは裏腹に、本人の資質としては話を裏返した時のホコリをつかまえるというよりは裏返した話をきちんとたたんでいくことを愉しむタイプのようなので、だとしたら偏執狂的な几帳面をもう少し発揮しても良かったのになあと思って、悪くはない、とか言っちゃったんだな多分。
 
Posted by orr_dg at 19:50  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

April 12, 2009

フロスト×ニクソン/勝者には何もやるな


フロスト×ニクソン
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ロン・ハワードが撮る映画は、どれもこれもシノプシスのようでピーキーな面白みに欠けるという言いがかりのような刷り込みがあるせいでほとんど観ていないのだけれど、これは予告篇のロウでナーヴァスな感じが気になったのでちょっと楽しみにしてた。結果、意外だったのはニクソンへの肩入れが映画のバランスを変えてしまうくらいに過ぎていたことで、全体としてはフロストも含めて感情のクローズアップを上手く采配している分だけ余計にそれが目立ってはいるのだけれど、そうしたロン・ハワードの確信したシンパシーが終始映画を押さえつけてよそ見を許さなかったおかげで、あらかじめ行き先の決まった話を最後まで揺らしてみせたのはさすがの職人技。ただ、ロン・ハワードが描きたかったのはかつてアメリカ国民とメディアが総がかりで葬ったある男のオルタナティブであって罪と罰の再検証ではない点であるのは明らかだから、オレの首にはいくらの価値があるんだとばかり執拗に金の話にこだわるニクソンは既に覚悟を決めているかのようでもあるし、人生を差し出してギャンブルしたフロストの血走る目つきはそれに呼応して山師の憂鬱から介錯人の冷徹に色を変えて行って、我々はあらためて首筋が差し出されるのを息をひそめて待ちかまえることになる。この映画がニクソンのというかフランク・ランジェラのものになってしまったのはロン・ハワードがそう演出したから当然で、だとすると相対するデヴィッド・フロスト(マイケル・シーン)を拮抗させなかったのもおそらく意図した通りなのだろう。だからフロストの覚醒にもフロスト陣営のチーム・プレイにも『大統領の陰謀 パート2』的なヒロイズムをほとんど与えていないのは、ニクソンの懐刀であるブレナン(ケヴィン・ベーコン)との対比で見ても明らかで、こうしたロン・ハワードのバイアスが受け入れられた理由がニクソンでさえノスタルジーの風景に流れていく我々の不感症によるものだとしたら、ロン・ハワードには相当に根の深いシニカルがあるはずで、そうした男がアルティザンに徹していることの意味をもう少し面白がってみようかなという気持にはなっている。
 
Posted by orr_dg at 20:22  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

April 05, 2009

ザ・バンク 堕ちた巨像/ランブル・イン・ザ・グッゲンハイム


ザ・バンク
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今回はあまり迂回して書く気がないからネタバレ要注意ということで。

いつもながら損得勘定の出来ない男クライヴ・オーウェンと、知らず深淵をのぞき込む女ナオミ・ワッツ、そして監督のトム・ティクヴァはといえば高細密なサスペンス体質を持ち合わせていることもあって、世界を転戦する神経の白兵戦は緊張のレイヤーに密封されて空気穴さえ見つからない窒息の傑作。本来ならラストの大一番にしてもおかしくないグッゲンハイム美術館での大銃撃戦をあえて露払いに据えた結果、トム・ティクヴァの本心はクライヴ・オーウェンとアーミン・ミューラー=スタールによるシステムと個人の矜持をめぐるダークナイト的問答となり、ここから後は選択された運命の残滓を淡々と描くことであてのない希望よりは死者をまき散らして繰り返す残酷なループを見せつけて、映画の感情としては詰め寄る無常観をそのえげつなさ共々愛してしまうことになる。それにしても最近のクライヴ・オーウェンはたいていが銃弾や砲弾の雨をかいくぐってばかりいて笑ってしまうほどだけれども、乱れた髪、がさがさの肌に無精髭、汗染みにまみれたようなシャツに瀕死のスーツと、この人が醸す徹夜明けの充血とでも言うような不発する感情をあてにして、どちらかといえばスタイリッシュな映像作家達が映画の不確定要素としてとりこもうと画策するのはとてもよく理解できる。その存在感に比して輪郭が妙に曖昧なままなので映画が予想外にゆらぐのが魅力的なのだろうと思うし、さほどオフビートを発揮する機会に恵まれないとはいえ、かつてのエリオット・グールドの雰囲気もあってワタシも大好きだ。ナオミ・ワッツにも同じような匂いはするのだけれど、今回は様々な事情で出番が減ってしまったような気がするのが少し残念。当然スタントであるにしても、ワンカットで収められた彼女が車にはねられるシーンはそのさりげなさゆえに結構なアクセントになっていて、そうしたところで映画の圧力が次第に上がっていく様子も面白い。アーミン・ミューラー=スタール演じる元大佐と彼がコントロールする殺し屋の間には東独時代の上司と部下の関係も匂わせて、システムに殉教する悲劇をリレーして図らずもクライヴ・オーウェンと共闘することになるし、ニューヨーク市警の刑事2人も完全な脇役ながら実に魅力的に感情を繋げてみせてこの辺りはトム・ティクヴァの細やかで濃密な筆さばきの真骨頂だし、こうして張りつめた緊張の内にもうっとりするような滑らかさで映画が繋がっていく愉しみはそうそう味わえるものではないので、ミニマルだけれど意志の強い映像ともども映画館で堪能してみることを強く薦めたいと思う。
 
Posted by orr_dg at 23:35  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

March 29, 2009

ヤッターマン/ヰタ・セクスアリスが始まるよ


ヤッターマン
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キャラデザのリファインを寺田克也が担当したとか、あるいは1/1ヤッターワンであるとか地下ガレージの煤けた感じとか、そしてもちろん深田ドロンジョであるとか、その辺のスチルが出回り始めたあたりからそれなりの期待はあったにしても、これは予想を超えて志の高い作品に仕上がってて素直に降参。何と言っても昭和の時代にテレビで見ていた層以外をはなから切って捨てたような、世界観からギャグから何からすべてを「はいこれ、分かるでしょ、知ってるでしょ、そうそれ」とばかり暗黙の了解の下に撮っちゃったのが勝因で、ピンポイントで狙ったその辺りのやつらが子供連れてくれば動員もなんとかなるでしょ、あとはまあ言われたとおりジャニーズの子も使うし、それでいいんじゃね?的な三池監督のドライが突き抜けた結果、オリジナル同様キャラへの感情移入とか主義主張教条なんかすっとばしたところで直結されるポップな神経が剥き出しではりめぐらされたナンセンスというハイセンスを胸張って掲げた快作で傑作。そもそも三池崇史という人は実写だろうがなんだろうがスクリーンに映るのは3次元を2次元に押し込んだ情報だからそれもテクスチャに過ぎないだろという裁ち切り方をしているせいで、実写とCGを躊躇せず(しなさ過ぎだけど)それぞれにねじ込んでしまうセンスというか豪腕が卓越しているので、リアリティ?何それ喰えるの?と吐き捨てることがあえて求められるような素材を与えられた時、これとか『殺し屋1』とかいった傑作が当たり前のように生まれちゃうことになる。と言ってはみるものの、ここではドロンジョ/深田恭子へのテクスチャどころじゃないカメラ愛は狂おしいほどの身悶えを見せて、「人を好きになるって楽しいね」と叶わぬ恋にけじめをつける泣き笑いのセリフがドロンジョ/深田恭子の口からこぼれた瞬間、「ああ、いま切なかった、ものすごく切なかったよね」とあたり構わず聞いてまわりたいくらい胸の中で取り乱したりもして、監督の用意周到に完全に胸ぐら掴まれてぐらんぐらんさせられたのがホントに楽しかったんだよ。というわけで、なめてたお詫びと小ネタの回収でもう1回は劇場に行く予定というか行く。そして子供(男のお子さん)に小さな扉を開いてあげたいお父さんは、家族じゃなくて野郎だけで観に行ってちょっとしたあれこれとか共有しちゃえばいいと思うよ。ドロンジョ/深田恭子でスイッチ入るなんてちょっといい話じゃないか。ま、他にもあるんだけどね。
 
Posted by orr_dg at 23:57  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

March 22, 2009

ダウト〜あるカトリック学校で/泣いた方が負け


ダウト
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教義や信条による応酬のはずが、あいつを潰す!なぜならただひたすらに嫌いだから!的なこれっぽちも大人げのない口喧嘩に退行発展していくのがとても愉しい。意味深なカットを拾っていけばフリン神父の白黒はつけられるのかもしれないけれど、この際そこにさほどの意味はなくて、肝心なのはベンチで突然泣き崩れるメリル・ストリープがもたらす一瞬の爆風と、それが冒頭のフリン神父による説教によって既に仕掛けられていた「疑い」の罠に捉えられた悶絶の叫びであるという、我々が探していたものとは異なりはするもののもっと大きな答えを差し出されて虚をつかれた快感だったりするのは間違いのないところ。少なくともワタシはそうだった。原理主義よりは潜在的なフェミニズムの潔癖で暴走するメリル・ストリープ、聖俗の両刃を歩くことでシステムを揺さぶらんとするフィリップ・シーモア・ホフマン、最も厄介な無自覚の無邪気を体現するエイミー・アダムス、システムの埒外から哀しく強烈なカウンターを与えるヴィオラ・デイヴィス、と言った4人のこれ見よがしでないながら想像も補完も全く必要のないスムースでシームレスな感情のやり取りに抑え込まれた観賞後の座席で、頭の芯が疼くような痺れが引いてしまうのがもったいなく思えるような心理戦の傑作。誰に向けるわけでもないけれど是非に。
 
Posted by orr_dg at 18:26  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

March 15, 2009

最近DVDで観た映画4本

B001P7CMRGLOOK [DVD]
Happinet(SB)(D) 2009-02-27

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すべてのカットを監視カメラの記録映像(当然これはフィクションだけど)で構成するという一発ネタが見事にはまっていて面白い。ただこれは単なる窃視の愉しみというよりは、あらかじめ答えを知っている我々が、その答えに近づいたりすれ違ったりする当事者の偶然と運命の境目を傍観者の気楽さでもって眺めるという、より捻れた愉しみだったりするのが視点として新しいところ。すべてを記録はするものの干渉はしない/できない監視カメラは、あまたをご覧になってはいるけれどすべからく平等に口出しはしないという神の目そのものだし、だったら最後まで黙ってろよと言わんばかりに映し出される我々小さき者らの神をも顧みない愚かさと哀しさはある意味痛快で、これはちょっとお薦め。

B001M66SWA丑三つの村 (成人指定版) [DVD]
古尾谷雅人, 田中美佐子, 池波志乃, 夏木勲, 田中登
松竹 2009-02-25

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クレジットを見てプロデューサーが奥山和由だったことに初めて気づいた。80年代から90年代初めにかけて、奥山和由はどちらかと言えばATG的な題材をメジャー(松竹)の予算をかけたプロダクションで製作した作品を発表して玉石混淆ではあるけれどそれなりに磁力のある作品をフィルモグラフィーに残していて、ここでもキャストやロケーション、セット、そして特筆すべきトビー門口のガンエフェクトなど予算と手間をきちんとかけているのが見てとれるし、エログロの下世話と青春の蹉跌を同居させた娯楽作品としての懐の深さがやはり素晴らしい傑作。こうした土俗や土着の情念はデオドラントでミニマルな今の日本人には既に全く地続きではないし、“昭和の過剰”のようなものはファンタジーでしかないのだろうなあと、劇場で観た世代はここで一つ長歎息。

B0019K35NY影の軍隊 (ユニバーサル・セレクション2008年第8弾) 【初回生産限定】 [DVD]
リノ・ヴァンチュラ, シモーヌ・シニョレ, ジャン=ピエール・カッセル, ポール・ムーリス, ジャン=ピエール・メルヴィル
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2008-08-07

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B0003060HYメドゥーサ・タッチ [DVD]
ピーター・ヴァン・グリーナウェイ ジョン・ブライリー
紀伊國屋書店 2004-12-18

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リノ・ヴァンチュラで2タイトル。レジスタンスものとしては極北とも言える荒涼と殺伐が重ね塗りされた世界で、トリックスターのような縦横無尽で暗躍するリノ・ヴァンチュラのマッシヴがメルヴィルの描く突発性の事情に見事はまった圧倒のノワール当時の英仏オールスターキャストともいえる重厚な陣容で製作されたサイキック・ホラーの隠れた傑作。なぜ隠れてしまったかと言うとスーパーナチュラルの度合いがいささか図に乗りすぎてしまっているからなのだけれど、それと引き換えに素晴らしいスペクタクルシーンを目にすることができるので、そちらをもって傑作と言ってしまいたいので悪しからず。特にクライマックスのウェストミンスター寺院の崩壊では、CGでは再現不能な破壊の奥行きと重力にあふれていて、思わずそこだけリピートしてしまったくらいの図抜けたクオリティにちょっとばかり驚いた。こちらは近々廉価版がリリースされる予定なのでこれを機会に是非一見を。
 
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March 03, 2009

いのちの戦場 −アルジェリア1959− /They were all my friends, and they died


いのちの戦場
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どれほどの完成度を示したところで負け戦になるのを承知でこの題材に挑んだブノワ・マジメルら製作陣の、ナイーヴな視線とタフな筆運びで地獄巡りを果たそうとする気概に溢れた戦争映画。当然のごとく引き合いに出される「アルジェの戦い」が自己総括とも言える闘いと懺悔の記録であることを考えた時、真摯な回答を用意しようとすればするほどこうした自己弁護と愚痴と泣き言に彩られてしまうのは、そもそもがそうした戦争であったことを思えばやむを得ないことなのだろうから、そこをあげつらって批判するよりはあえてその無様をさらした意志を汲んでやるべきなんだろうと思う。というように感情と思考の流れだけを追えばかなり救いのない話ではあるのだけれど、その背骨があるからこそ殺戮に満ちたサーチ&デストロイを容赦なく描いてもそれが映画から乖離することがないわけで、戦場を丸ごと与えられたフローラン=エミリオ・シリによる弾幕のファナティックが見事にはまる。自分で自分を拷問にかけて電流に絶叫するアルベール・デュポンテルを見るにつけやはり「ベルニー」を撮った人の不埒が思い出されるので、そろそろ監督復帰もお願いしたいところ。オールバックのブノワ・マジメルはところどころでポール・ウェラーの面影があるものだから血を流すナイーヴになおのこと拍車がかかる。アルジェリア戦争についての歴史的側面が頭に入っているに越したことはないけれど、兵器考証を含めた評価がその筋でも高いようだし、「スズメバチ」の監督がその目配せと嗜好を全開にしたと言えばかなり腰の据わった娯楽作でもあることにも勘づくと思うので、マシンガンのボルトのリズムと跳弾のメロディに飢えている方は足を運べばいいと思うよ。それでちょっとでもアルジェリアの事情が気になったら映画的昂奮という点では本作を凌ぐ「アルジェの戦い」を見てみればいいし。ちなみに東京では極めて優秀なサウンドシステムを持つ劇場で公開されてるので、ポテンシャル全開で楽しみたければ渋谷までどうぞ。
 
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February 22, 2009

チェンジリング/あなたの行く天国がないことを祈ろう


チェンジリング
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アメリカのぎこちなさというのが精神と体のバランスが一致しないままなし崩しに成長してしまったヨーロッパ個人主義の成れの果てだとしたら、光のイノセンスと闇のゴシックとのせめぎ合いはおそらく止むことはないのだろう。これまでイーストウッドが一貫して描いてきたのは永遠に成熟することのないその個人主義がまとった光と影の物語であって、今作ではそれらを錯綜させ手なずけるコントロールが並はずれているせいで、身を任そうにもどこへも連れて行ってくれない物語に手も足も出なかった。一見して足りないものも余計なものもない中庸とも思えるバランスではあるのだけれど、これはこちらのプラスをこちらのマイナスで埋めてといったバランスの取り方ではなく、常に中央値を見つけて並べていった結果の完璧なメディアンという少々薄ら寒さすら感じる透徹した叙事で、おそらくアンジェリーナ・ジョリーのアンバランスを放り込んでやらないと我々はフックが見つからなかったんじゃないかと思う。だから彼女のタフなフラッパーは大正解。本来なら大きく物語の舵を切ってしまいそうなノースコットのパートにしても、死刑のシーンまで執拗に収めることで罪と罰を足して2で割って余り無しの見事さ。また、解任された警察本部長が聴聞会を後にする姿を見やるクリスティンに浮かぶ陰鬱な満足の笑みは、彼女もまたイノセンスを喪失してしまった人間であると一瞬で描いてみせてここは個人的な白眉で、だからこそラストでクリスティンが晴れやかに吐いたあの台詞の持つ実は絶望的な響きこそアメリカが背負っている運命なのだと思えば、冒頭で浮かぶ“A True Story”の文字が一層重さを増してきて共感など持つ余裕もないままにエンド・クレジットを突きつけられた次第で、こうした拒絶がワタシにとって映画を観る最高の愉悦。お持ち帰り不可ってやつ。
 
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February 15, 2009

ザ・クリーナー 消された殺人/君は悪くない、けど俺も悪くない


ザ・クリーナー
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1人と1発である。何がかというと劇中で殺された人間と放たれた銃弾の数であって、まあそういうこともあるよねと言うのは容易いけれど、それがレニー・ハーリンの映画でなされたとしたらそりゃ何かの間違いだろ?と思う方が容易いわけで。しかもそこにはサミュエル・L・ジャクソンとエド・ハリスとエヴァ・メンデスが名を連ね、脇にはルイス・ガスマンまであてているにもかかわらず、本国ではDVDストレートでこちらも全国5館規模ほとんどレイトショー、都内は銀座シネパトス単館だったりしたもんだからおかしな具合に気になって、仕事帰りにトボトボと観てきた次第。結果、そのたった1発を放ったのが先の4人の誰でもないという結末は、うまいこと裏返したと言うよりもその1発をエヴァ・メンデスが放つようにし向けられなかった脚本/プロットのエラーなのは確かだし、意味ありげなクローズアップやら俯瞰のショットやら小刻みなカットやらレニー・ハーリンらしからぬミニマルなリズムはそれほど悪くはないのだけれど、らしからぬということは別にレニー・ハーリンでなくてもかまわんということでもあるし、映画は遊び場ではなくて仕事の場だとでもいうような宗旨替えは成熟というよりは何か反省文のぎこちなさがあるのがちょっとばかり切ない。つい先日もルー・ダイアモンド・フィリップが張りぼてのサメと湖(!)で闘っている勇姿をテレビ東京(「レッド・ウォーター サメ地獄」)で見かけて、人生が続く限り生きて行かなくちゃいかんのよねとありがた迷惑に違いないエールを送ったばかりだったので、そんな落ち穂拾いが趣味の方に限ってお薦めしとく。それとルイス・ガスマンのファンはマストということで。
 
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February 10, 2009

ベンジャミン・バトン 数奇な人生/円を描く時


ベンジャミン・バトン
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愛と残酷と笑いの配分からして、フィッツジェラルドというよりはアーヴィング原作の映画化みたいだ。偏執気味とも言える均質で物語を敷きつめるフィンチャーの語り口は「ゾディアック」からさらに洗練されて、ハチドリの羽ばたきが8の字に描いた無限大(∞)の軌道上で永遠の時間と有限の生が交差する一点を、エレガントな感情で166分間描き続けた地肩の強さはやはり唯一無比。ただ、捻れたビルドゥングスロマンとしての筆運びに関してはそこを定点とするつもりがなかったようなのがちょっと残念で、戦争から帰って来るあたりまでは奇想の香りがプンプンして愉しかったんだけど、まあそれ以降はデイジー(ケイト・ブランシェット)を観てウットリしてればいいからそれはそれでアリだし、もう一人ティルダ・スウィントンも素敵な使われ方をしてるから、この2人の競演だけで軽く元は取れてるので言うことはないけどもね。こんな風に運命の恋人達を背骨にした映画ということで想い出した「アナとオットー」を久しぶりにビデオで観てみたら、こちらも冒頭でヒロインのアナ(劇中8歳)に「後ろ向きに走れば時間を戻せるのかしら」なんて言わせてるし、運命の円弧が交わる瞬間をこちらはえぐるように描いたあげくグロテスクなくらい厳然とその終わりを告げて忘れられない映画なので、気になる人はVHS(DVD化切望!)を探してみてはいかがかなと。まずはこっちを観てからの話だけども。
 
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February 05, 2009

誰も守ってくれない/柳葉敏郎三変化


誰も守ってくれない
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行き先よりは道行きそれ自体に意味を持たせた上で、辿り着いた先は観た者がそれぞれ考えればいいという映画の自由意志はなかなか。ただ、もう一つの野心としてあえて作品の届け先をブロックバスター好みの客層に設定して寝た子を起こそうとしたためか、社会が醸す気分としての「悪意」を目で追える分かりやすい「悪役」に翻訳してしまった点で紋切り型だったのがやや残念。ネット前夜の物語であれば逃げる二人を追いつめる悪役は当然新聞記者梅本となるわけで、ここではその新旧悪役の世代交代の瞬間までも描かれているのだけれど、それが主眼でないとは言えネットが形成するローカルな総意を解く鍵としての「スタンド・アローン・コンプレックス」を匂わすまでには至らず、あくまでツールやガジェットとしてのネットでとどまって、結局はそれを操る個人を悪役に収束させる古臭さへの物足りなさは多少ついてまわる。善悪の彼岸を分けるものの曖昧な脆さを描いた上で、その境界で踏みとどまれる理由をあなたは持っているだろうか、という問いかけは有効だと思うので、ならばコンテンポラリーな悪意の変質そのものにももう一歩踏み込んで良かったのではないのかなと思う。ただ、それをやると対立軸としては松田龍平のノンシャランということになってしまうんだよね。それはそれで面白い話になりそうなんだけど。
 
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January 27, 2009

最近自宅で観た映画

B000Z1BZJYハリウッドランド [DVD]
エイドリアン・ブロディ. ダイアン・レイン. ベン・アフレック. ボブ・ホスキンス. ロイス・スミス, アレン・コールター
ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント 2008-02-20

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謎解きにこだわらなかった点をどう取るかで評価はあちこちするのだろうけど、陽の沈まないハリウッドノワールの怠惰な雰囲気と、それを醸したエイドリアン・ブロディの屈託やダイアン・レインの倦怠、ベン・アフレックの哀切をもやもやと掴まえていたのはかなり好み。ブロディの元妻役のモリー・パーカーは「キスト」でネクロフィリアを演じてた女優で好きな顔。ボブ・ホスキンスまで含めてキャストの無駄打ちをしてないのも良い。

B000G1VJZIアメリカ、家族のいる風景 [DVD]
サム・シェパード
レントラックジャパン 2006-08-25

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毒気の抜けた「パリ、テキサス」みたいだけどそれが悪いかというとそんなことは全然なくて、既に幻想などない分だけ身軽なメランコリーがまとわりつかないせいか、行く道を行き止まりにしない開放感のあるラストがこの監督/脚本のコンビからはちょっと意外なくらい後味がいい。それと、訳ありの空気をさらっと一筆で描いてしまうヴェンダースのエドワード・ホッパー・タッチはもう名人芸だなあと、特にインサートカットの見事さに感服。全部スチルで使えそうだもん。

B0013K6DV6中国の植物学者の娘たち スペシャル・エディション [DVD]
リー・シャオラン, グエン・ニュー・クイン, ミレーヌ・ジャンパノワ, リン・トンフー, ダイ・シージエ
角川エンタテインメント 2008-04-25

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冒頭とラスト以外は俗世から隔絶された孤島が舞台なので、ある種の愛が社会不安をあおる少女革命的な色彩が薄れて類型の悲恋ものになってしまったのがもったいない気がする。社会や共同体を仮想敵としないのなら、これは教授とその娘のある種近親相姦的な支配関係を孤児の実習生が乱して行く三角関係にした方がいろいろと揺らせたんじゃないかなあと、五感をもじっとり潤すような湿潤に溢れた映像を観ながら妄想した次第。ただ、全編が突出してフォトジェニックなので、スクリーンで観ればそれだけで快感だったかもしれないのが残念。
 
Posted by orr_dg at 15:53  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

January 25, 2009

英国王 給仕人に乾杯!/君とお金しかいらないから


I served the king of England
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ソフトコアな「タクシデルミア」とでも言えばいいのか、あちらでのハンガリーにしろこちらでのチェコスロヴァキアにしろこうした寓話が成り立つ歴史や社会を持つ国の映画は、人間のしでかすことへの許容が並はずれている気がするので、それは笑えないだろうというリミットまでサラッと諧謔にたくしこんだ上、その落としどころが人間賛歌だったりする筋の太さとそこで生まれる捻れとが映画の味わいとして染み込んでくるのだろうなあと思う。映画では、晩年の主人公が自らの罪悪感を確かめるように物語は回想されていくのだけれど、社会や政治の空気を全く読まないが上に生き延びていく主人公にとって、問題はその背景うんぬんよりも眼前にある選択の是非であって、そうしたある種のアパシーを非難するでもなくその哀しみと滑稽を笑い飛ばしてやる優しさが映画の後味に余裕を持たせて、自己批判の苦みで詰め寄っていないのがいい。全体としては過去と罪悪感とのバランスを計っていたりはするのだけど、罪悪感なんてものは死ぬ間際に相手をすればよかろう、その暇があればねといった適当さや鷹揚さがどちらかといえば勝っているのも何だかありがたい気がする。そうした滋味を映し出す映像も、自然光でナチュラルに描かれる主人公の現在に対比する回想シーンでの軽やかなリズムと絢爛のファンタジーは、日頃慣れきったハリウッドの文脈から微妙にずれた分だけ虚をつかれて、これはちょっと楽しいのでお薦め。
 
Posted by orr_dg at 20:08  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

January 12, 2009

ヘルボーイ ゴールデン・アーミー/時には親のない子のように


ヘルボーイ2
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幸せこの上ない2時間。この世界にヘルボーイのいる日常をまったくブレのない大嘘で描いてみせた時間は多幸感のたれ流しで、何だかもう全てが愛おしい。確かに話の繋がりがおかしくなる箇所はいくつかあるけれど、知りたいのは話の顛末ではなくてあちらの世界のことだから観たものすべてに大満足だった。デル・トロのアナザー・ワールドは今いる世界の壁一つ向こうや足下数メートルに広がっているから、描かれるのはニューヨークの雑踏ではなくその地中に広がるトロールの市場の賑わいなのだけれど、隅から隅まで全てを人外で埋め尽くしたこのシークエンスですら突出することなくデザインされた世界観の統一が見事で、既に「クロノス」からしてそうだった無機の輝きと有機の息づかいをつづれ織ったファンタジーは、ワタシの嗜好が完璧に投影された楽し過ぎる夢を見てるみたいで最後までワクワクしっぱなしだったよ。ミニョーラの描くヘルボーイは自分の運命に対するある種の諦念のようなものをハードボイルドに実践しているのだけれど、デル・トロのヘルボーイはその運命に抗うというよりは自分をその運命ごと迎え入れてくれた人々への愛情を全うすることを実践しているので、ヒーローあるいはアンチ・ヒーローの苦悩(らしきもの)に愛情の親密なサイズが勝っている分だけ、デル・トロの基本テーマである“愛に関する個人的な戦い”が前作よりも衒いなく発揮されているし、今回はリズやエイブの静かで熱い想いもそれに加担しているので、通過儀礼としての青春を描いた青臭さもあって少しばかり泣かせる。それにしても、どうしてこんなに楽しくて面白くて胸はずむ映画の客席がガラガラなのか心底理解に苦しむので、今年の正月映画はパッとしないなあ等とぼやく暇があったら今すぐ映画館に向かえばいいと思うよ。当然ワタシはもう一度観るけども。
 
Posted by orr_dg at 21:19  |Comments(4)TrackBack(0) | Movie/Memo

January 05, 2009

アンダーカヴァー/俺が正しかった例しなどないにしても


アンダーカヴァー
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正月早々にしては沈鬱な映画だけれども、へばりついた屈託の在りかを常套で済ますことを良しとせずに描いたハートの込め方が全くもって悪くないので、映画を観た、という味わいは思った以上に深い。東側国家の崩壊で覇権国家となったアメリカがグローバリゼーションの舵を取り始めていく時代、それは同時に一元的な正義が通用しなくなったアメリカが丸ごとPTSDに陥っていく時代の始まりでもあって、それを父(ロバート・デュヴァル)と子(ホアキン・フェニックス、マーク・ウォールバーグ)の世代にそれぞれあてはめるのは容易いのだけれど、ここで描かれる救いがなく混乱したグレーの時間は後戻りが許されない足取りの重さを感じさせて、既に俺たちは致命的に間違ってしまったのだという苦々しい認識が復讐譚の昂揚を一切与えるつもりのない、その奥歯の噛みしめ方がとても信用できる。父親が殺害されるシーン、あるいは仇敵ニジンスキーを射殺するラストにしても、死にゆく者に台詞を喋らせない素っ気なさは好みだし、豪雨の中で行われるカーチェイス&銃撃(豪雨はデジタル処理だったみたいけど)の死線をくぐるアクションはあまり目にしたことのない切れ具合で秀逸。マーク・ウォールバーグはもう少し動かさないとキックしない俳優だから、今回は役柄のせいで少し貧乏くじ引いた気がする。ホアキンとどっちがピアス似合うかっていったらそれはもう仕方ない話だけども。というわけで結局一人でこの映画を引きずり回したホアキン・フェニックスの目の縁を赤く染めた憂鬱が映画のカラーを決定して素晴らしかったから、先日の引退宣言など本気かよと思ってしまう。エヴァ・メンデスはホアキンの道連れで壊れていく姿を意外ともいえる好演。ロバート・デュヴァルは伸びた背筋が哀しくてやはり良い。それと、厳密に言えば作中のホアキンはアンダーカヴァーではないのだけれど、“カバー”でなくわざわざ“カヴァー”表記にしたこだわりに免じて(同名作があったのかな)気にしないことにしとこう。中盤以降マーク・ウォールバーグが引き気味になってしまうので「フォー・ブラザーズ」的リベンジ・マッチを期待するとちょっとアレだけども、80年代のニューヨーク、警官の一族、ロシアン・マフィア、ロバート・デュヴァル、囮捜査、といった単語に心がザワッと引っかかった人はおそらく楽しめると思うので、上映館の少なさにめげず足を運んでみることをお薦め。
 
Posted by orr_dg at 15:16  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

December 30, 2008

2008年ワタシのベストテン/映画


2008top10movie

■「俺たちフィギュアスケーター/BLADES OF GLORY」
ベン・スティーラーの旗の下に切れ者のバカが集まり始めてるみたいだ。やっぱり「トロピック・サンダー」見逃したのは悔しいな。
■「フローズン・タイム/CASHBACK」
ビジョン頼みでなくストーリーを描けるのがショーン・エリスの強み。ビジョン単体でも相当なもんだけど。「ブロークン」も期待通り。
■「潜水服は蝶の夢を見る/LE SCAPHANDRE ET LE PAPILLON」
ジュリアン・シュナーベルはアートをほぐす翻訳に嫌みがなくなってきてる。生命力を色彩で掴まえる術が秀逸で「ベルリン/ルー・リード」も素晴らしくヴィヴィッド。
■「ノーカントリー/NO COUNTRY FOR OLD MEN」
思えば善悪問答は既にここから始まってたわけで。ただ、シガーはカーラ・ジーンに言い負かされちゃってるけども。
■「タクシデルミア〜ある剥製師の遺言/TAXIDERMIA」
これは素敵な人間賛歌。なのにどこにも放り込めない映画になってるのが愛しい。
■「シューテム・アップ/SHOOT 'EM UP」
何かの間違いというか奇跡みたいな映画。この監督はもうラッキーを使い果たした気がするけど「シューテム・アップ」を撮った男として語り継がれれば本望でしょ。
■「イースタン・プロミス/EASTERN PROMISES」
ナオミ・ワッツが醸す“無事では済まされない”感は何なんだろう。薄幸とかそういうのでもないんだけど。
■「ダークナイト/DARKNIGHT」
結局スクリーンで5回観た。でもってDVDで観る気力は未だ戻らず。魂を削られるから。
■「その土曜日、7時58分/BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU’RE DEAD」
これとか「フィクサー」みたいに制作陣の闘争本能が滲む映画がもっと観られればいいんだけど。シドニー・ルメットは復活なのか狂い咲きなのか分かんないけど、今年一番のサプライズなのは確か。
■「悪夢探偵2」
女優を美しくてかっこよく撮るセンスは相変わらずツボ。今回はおかっぱの韓ちゃんが切なくて怖くてかわいい。監督は黒髪が好きだよね。ワタシもだけど。

前半はオスカーノミネートを珍しく5作中4作も観た。夏以降は「ダークナイト」の禁断症状であたふたしてる間にあっという間に過ぎちゃったけど、シドニー・ルメットの復活には驚愕。何であんなことになったのか誰か説明して欲しいくらい。今年はクリティカル・ヒットが多かった気がして楽しく映画を観られたから、来年もそうだといいな。今は早く「ヘルボーイ2」が観たいです。
 
Posted by orr_dg at 00:29  |Comments(2)TrackBack(0) | Movie/Memo

December 25, 2008

悪夢探偵2/蝉時雨が怖くてたまらないの、と母は少しだけ笑って泣いた


悪夢探偵2
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切ない。これまでだって塚本映画が切ないのは分かっていたけれど、それは身体と精神が泣き別れしていくサヨナラの切なさで、けれどもその先の新しい風景が涙と血をぬぐってくれていたから均衡は保たれていたと思うのだ、たとえそれが暗闇の中で為されたとしても。ここでは悪夢の底から持って戻った想いの欠片と込められた祈り、それらが再び紡いでみせたかつて引き裂かれた世界、そこに差した光の中でようやく果たされる自分を赦すという約束、のあまりにも切実なゆえ他には途のないたった一つの調和が生み出した満身創痍の肯定が、その代償ゆえに切なくて切なくて仕方なかったのだ。こう言ったら失礼かもしれないが監督にとっての悪夢探偵シリーズは、自身のコアをインディペンデントに全開するというよりはそれらと他者とのバランスみたいなものをを確認するための場だと思っていたので、ここまで感情を揺らされるとは正直思っていなかった。映画のトーンとしては予告から感じたとおり、前作のサイコスリラーからホラー(いわゆるJホラー)にシフトしていて、さっきから感情の色合いばかりを書き連ねてきたけれど、真っ向から挑んだジャンル・ムーヴィーとしても傑出したクオリティになっているのには、当然と言うよりも少し驚かされるくらいで、心底怖がらせておいたからこそ終盤で裏返っていく感情がしなやかに激化していくわけで、そうした感情のデザインも塚本作品屈指の明らかさと言っていいと思う。前作に続いて松田龍平のプリンス・オブ・メランコリーぶりが相変わらず良い感じにほつれてて、前作ほどキャラクターの遊びが入る余地のない脚本だけれども、存在自体が泣いているような、しかも子供が一人ぼっちで泣いているような湿気た暴発は、終始慰め気味の映画の仕草に完全にマッチしてる。市川実和子、韓英恵、三浦由衣といった女優陣に関する監督の審美眼もいつも通り冴えてるし、終始女性が映画を支配してるのもいつも通り。いろいろと余計なタグが付きやすい映画だけども文句なしに薦められる今年最後の映画(のはず)なので、世界が隠し持つ悪意に光が差す瞬間を見たい人は是非足を運んだ方がいいと思う。ちょっと怖いかもしれないけど。
 
Posted by orr_dg at 23:56  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

December 21, 2008

ファニーゲームU.S.A./戦慄のウサギ跳びピョンピョン


ファニーゲームU.S.A.
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面白かった。ショットまで含んだ完璧なセルフ・リメイクということでほとんどその確認作業のつもりだったから、こんなに没頭するとは思いもしなかった。オリジナル版からして暴力そのものよりも暴力の寸前と直後に立ちこめる嫌悪や絶望、そしてこれをハネケは問題にしたかったのであろう、暴力がどう為されるのか/為されたのかという観客による歪んだ期待を弄ぶことに徹頭徹尾注力されていたのだけど、そこにあったミニマルな実験作的香りはナオミ・ワッツとティム・ロスという“よく知った顔”のおかげで俗っぽさにとって代わられ、結果として暴力が一層なじみの姿で確信犯的に跳躍し伝染することとなってたのには少し驚いた。元々が映画における暴力の消費について盾突いてみせるための映画だったとハネケは言ってるけども、これは例えば「わらの犬」では暴力がスイッチバックされてそのベクトルを相殺してしまうことで、観客が観た暴力をゼロ化してしまうことへの異議申し立てみたいなものかと思っていて、それを作中で象徴的に表してるのが例の“巻き戻し”に他ならず、この奥さんは今まさに人を殺したわけだけどあなた方はそれで喝采したよね爽快だったよね、だけどそんなことで暴力を帳消しにさせるわけにはいかないからね、暴力はそんなに後味良く出し入れできる類の代物じゃないんだよといった目配せで、暴力を消費する快感は我々から無理矢理奪い取られてその残骸はなおも目の前にむごたらしくぶら下がったまま放置されることとなる。質が悪いと言うよりは揺るぎなく誠実なんだろうとは思う。それがどちらを向いて為されるかさえ別にすれば。で、ワタシはその向いた先の嫌らしさも含めてこの監督が描く神経の在り方が好きだから悪趣味とは全然思わないけど、オリジナル版とかハネケという人とか全然知らずにこれをサスペンスとして観たら、逃げ場も言い訳もどこにもないだけに心中お察ししてしまいます、本当に。今まで観た中で一番汚い顔をさらし続けたナオミ・ワッツと、こういう小市民的なキャラクターの方が実ははまるよねというティム・ロスは予想以上に適役。プロデューサーまで兼ねたナオミ・ワッツの侠気の発揮が素敵だけども、初日のシネマライズの入りからすると名誉ある惨敗って感じ。ただまああのお客さんの数が適正だと思うし、ワタシは必要以上に楽しんだけどあとは自己責任でどうぞとしか言えないので、オリジナル版もハネケも知らないけど何となく観たいなと思った方は、下記のネタバレ部分を読んで予めショックをやわらげておくのもいいかもしれない。繰り返すけどサスペンスの回収は一切ないので悪しからず。オリジナル版もハネケも知ってる方、これはオリジナル版をカットもそのままにそっくり再現してみせて、一般的なハリウッド・リメイクとは天と地ほどもかけ離れた奇妙に捻れた味わいが観ておいてとりあえず損はない気がするのでいかがでしょ。

では一部ネタバレをどうぞ。
飼犬子供も殺されますがそのシーンはオリジナル版と同様描写されません。飼犬の死体は映ります。性的暴力もないです。ナオミの下着姿までです。ナオミ・ワッツティム・ロスもあっけなく死にますが、作中を通じて人が死ぬシーンの直接描写はナオミ・ワッツの場合だけです。あと、ただの暴力発生マシンでしかないので犯人の動機は不明です。
 
Posted by orr_dg at 21:47  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

December 16, 2008

ブラインドネス/もっと脱がなくていいの?とジュリアンは言った(はず)


ブラインドネス
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まあ要するに「インべージョン」みたくはしてくれるなよ、あと言うまでもなくゾンビは問題外ね、だってこれは終末サヴァイバルSFじゃないし、近代的自我が実存と本質を剥き出しにぶつけあう物語だからという原作者の要請に(おそらく)忠実であった結果としての一切かわいげのない映画で、まあそれはそれで面白かった、愛しのジュリアンがノーメークというメークと緩んだ体さらして出ずっぱりだったし。ただやるならやるで「ドッグヴィル」くらいの悪意でどんよりクタクタにさせてくれないとワタシの近代的自我とかいうもんは揺さぶられないよ。せっかくの機会なんだから「ブラッドハーレーの馬車」的阿鼻叫喚をやっちゃえばよかったのにとも思うけど、女性崇拝がぷんぷん匂うメイレレスにしたらあれで精一杯なんだろうな。崖っぷちで揺れたあげく向こう側に落ちていく話を誠実に撮るというスタイルがなんとなく出来上がってきつつあるメイレレスだけど、それを語るのはあくまでこちら側からであって落ちていく先からではないバランスの取り方がこの人の良し悪しとなってしまいそうな気がしてて、映画のケレンとしては名手セザール・シャローンのカメラによるところが大きいのは今回もまた同様。といっても今回は白くとばし気味の露出で世界観を作ってることもあって、それ以上うるさくならないようにカメラワーク自体はオーソドックスに抑え気味で妙味は少なかったのが少し残念。それにしても木村佳乃はこの期に及んでどうしてああも脱がないかな。セックスシーンでもなんでもないヴィヴィッドに幸福があふれるシーンで、ジュリアン・ムーアですら軽々と脱いでるっていうのにね。彼女の裸になんか全然興味がないけど、ここで脱いじゃえばこれから楽になると思うのに薄っぺらい魂胆というかあるのかないのか分かんない商品価値に固執した判断ミスに鼻白んだよ。というわけで足りなかった悪意は「ファニーゲームU.S.A.」でナオミ・ワッツに注入してもらって荒んだ年末を乗り切っちゃいたいです。
 
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November 24, 2008

ブロークン/someone like me kills me


ブロークン
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※ネタバレを避けると何も書けなくなってしまう作品なので抑え切れなかったところもあるから「フローズン・タイム」でショーン・エリスが気になった人はともかく、脳味噌が疼くような神経症的ホラーを愛する人はこんな駄文はほっといて劇場に向かわれることをお薦めする。それと、広告戦略上そうは銘打てないのかもしれないけど、これは純然たるホラーだからサスペンス/ミステリの回収を求めても意味がないよとだけ書いとく。

観終えた後でつらつらふらふらと思い考えているうちに、そもそもが既に裏返っていたのかとようやく思い至り、その頭が醒めないうちに2度目(翌日!すぐに)を観る時、定冠詞の付いた原題(”THE BROKEN”)が突如として意味を持ち始めてこれが誰の物語であるのかを思い知ることになる。記憶の断片を拾い集めていたのは誰なのか。脅かされ打ちのめされ逃避していくのは誰なのか。そしてその帰還する場所には何が(誰が)いるのか。既にその答えを知りつつ覗き込む鏡像の片割れが映す“人外たるジーナ”の道行きは、グロテスクというよりは世界と切り離される哀しみが冷え冷えと重なって捻れて痺れた。この作品はショーン・エリスが以前、短編制作中に着想した“自分自身が自分の車に乗って通り過ぎるのを目撃するという気味の悪いヴィジョン”がベースになっているらしいのだけれど、このドッペルゲンガー的なヴィジョンをwonderではなくすぐさまweirdとした感覚や「内臓逆位」「カプグラ症候群」といった症例をガジェットとして取り込んで幻視を培養するやり口と、何よりもそれらのヴィジョンをスリリングにストーリーに隷属させていくスタイルは既に突出しているし、そうやって世界の顔色が変わる瞬間を捉えようとする野望とか野心に対してワタシは尊敬の念を持ち始めてる。こうやって好きな監督が増えていくのはとても嬉しい。
 
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November 21, 2008

最近自宅で観た映画

B000T7QCYWプロポジション 血の誓約
ガイ・ピアース.レイ・ウィンストン.エミリー・ワトソン, ジョン・ヒルコート
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2007-09-26

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ニック・ケイヴの脚本がどれほどのものだったかは不明にしても、余白に滲む寄る辺の無い漂泊を捉えたジョン・ヒルコートの乾ききったセンチメントが素晴らしく良い。この監督はコーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」映画化のメガホンを取っているのだけれど、劇場長篇では今作と「亡霊の檻」(ニック・ケイヴ主演・音楽!)しかキャリアのない彼にオファーした誰かの慧眼は見事と言うしかなく、ほとんどが淡くて脆い感情の移ろいで推移していく原作は映像化という点で「ノー・カントリー(血と暴力の国)」よりかなり難易度が高いと思われるのだけれど、今作を観る限り「ザ・ロード」が傑作となることは既に約束されている気がするし、ニック・ケイヴとウォーレン・エリスが手がけるサウンドトラックともども今から楽しみで仕方がないね。


B00091PFL4ジャンボ・墜落 / ザ・サバイバー
ブライアン・メイ
紀伊國屋書店 2005-06-25

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シャマランをインスパイアした映画として取り上げられることの多い幽霊譚。裏返すに至るまでの重心のかけ方などに脇の甘い点はかなりあるにしても、この映画は何を達成したかよりは何をやろうとしたかの一点で愛でるべきで、結果獲得した夢うつつで白日夢を彷徨う感覚はそれなりに目論見が成功している証拠でもあって味わい深い。今ならCG処理で一丁上がりなジャンボ墜落シーンも、映画という大嘘をすでについているからこそその中で起きることにはリアルな手触りを持たせたいというアイディアに満ちていて、簡単に嘘を重ねてしまうような安直なCG処理ではこのランダムな奥行きと光の散らばりはものにできないよねえと仰視のスリルと炎上の美しさに見とれた。ヌード要員かと思われたジェニー・アガターが脱がなかったのが意外だけども、デヴィッド・ヘミングスがそれなりに歯をくいしばってマジで撮ったことの表れとも思えて納得。DVD買わないと観る機会がなさそうなのが難点だけど、中盤で目立つ余計なシーンをカットして吹き替えつければテレビ東京午後のロードショーにうってつけだし、この映画が持つ平日昼下がりの弛緩した浮遊感と相まってそれはそれで面白くなる気がするから、誰かちょっとがんばってくれないかな。


はいスティーブ、これ買って〜
B001KVDHGW世界の料理ショー DVD-BOX
グラハム・カー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2009-03-25

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November 10, 2008

僕らのミライへ逆回転/各自、段ボールとセロファン持参のこと


僕らのミライに逆回転
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ハンドメイドの妄想が伝播/伝染していってそれがリアルに裏返る大団円でフィナーレって、これはミシェル・ゴンドリーの方法論込みのマニフェストであって、既存の映画システムを皮肉ったりとかハリウッドを揶揄したりとかの「映画をこの手に取り戻せ」的な恨みつらみがフックになってるわけじゃないから、ファニーな「セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ」みたいな転び方を期待しちゃうとワタシのように少しばかりすれ違っちゃうんだけども、それはそれでまあいいかとも思えるのは、夢見がちじゃダメなんだ、目を覚まして夢を見なきゃっていうミシェル・ゴンドリーの強迫観念にも近いタッチが前作に続いて相変わらず落ち着きがなくて楽しかったから。ただ、オリジナル脚本でのここ2作を観るかぎり、妄想と現実のせめぎ合いがストーリーを運ぶというよりは妄想を幸せのうちに着地させることを目指してるようだから、それが徹底されればされるほどこんな風なちょっといい話に陥ってしまうのはやむを得ないところなのかなと思う。あと、ラスト近くでジャック・ブラックがどう見ても上島竜平なシーンがあって、竜ちゃんだったら「何だよ、こんちくしょう!」と帽子叩きつけるところなのになあと勝手に悔しがって笑ってたよ。
 
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November 07, 2008

「ルー・リード/ベルリン」 17歳、生きるのが辛いふりをした


ルー・リード/ベルリン
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イントロに続いた“ベルリン”の演奏が終わった瞬間、思わずつられて拍手をしそうになる。シネクイントを見送って吉祥寺バウスシアターの爆音上映で観たのは大正解で、やはりライブ用のPAシステムだと音のソリッド感が全然違うし、その粒だちまで捉えるような臨場感はライブハウスのそれにしか聴こえなくて、この昂奮は想像以上の体験。全てがあらかじめ用意されていなかった時代、ロックに片足突っ込んで脇道を歩く少年は手探りで自分のルートを確保していかなければならなくて、そんな時に出会った灯台であったり道しるべであったりしたようなアルバムの1枚が「ベルリン」で、真夜中にヘッドフォンで断絶してジャケットや歌詞カードをにらみつけるように聴いたそういうアルバムとは、今でもあっという間に距離を縮められる。だから昨晩も爆音をいいことにほとんど一緒に口ずさんでた。スクリーンの中、60代も半ばを超えたルー・リードが歌う閉塞と絶望と刹那とそれゆえに鈍色に輝くロマンスは、それを図らずも生き延びてしまった恋人が過去に向けて捧げたラメントのようだけれども、映像に溢れるのは圧倒的な生を手にした者の躍動で、そのアンバランスと不義理と矛盾こそがロックなのだろうし、その厄介なラインを踏み外すことなく渡ってきたからこそルー・リードは全てを許し/許される場所にいるのだろうと思う。最近リリースされたライブアルバムも素晴らしい内容だけれど、これは是非とも吉祥寺バウスシアターの爆音上映で体験するべきだと思うので、今までルー・リードや「ベルリン」とすれ違ったことがなくても、何かのきっかけになるのは間違いない気がするから、足を運べる人は無理をしてでも行った方がいいと思う。11/14まで。

Berlin: Live at St. Ann's WarehouseBerlin: Live at St. Ann's Warehouse
Lou Reed

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October 26, 2008

その土曜日、7時58分/お前の血が邪魔だ


その土曜日、7時58分
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※部分ネタバレにつき注意

子供は観なくてかまわないと言わんばかりのオープニングから2時間弱、最悪のシナリオが災厄のような時間を伴って一向に歩みを止めないまま自死ともいえる※子殺しで血の贖いに倒れ込んでみせる。何より84歳にして再覚醒したとしか思えないシドニー・ルメットの支配力が凄まじく、感情を両極で振り回すための小刻みなカットバックで行きつ戻りつする術など、老練/老獪というよりは挑戦的な昂ぶりすら感じさせて驚愕。神経が暗闘する物語を描く地肩の強さなど「プリンス・オブ・シティ」(DVD化切望!)を観ていれば驚くに値しないにしても、それすら1980年代前半の話であるし、その後の四半世紀の映画的不在を考えるとなおさらこのルメット版「レザボア・ドッグス」とも言える暗黒の家族史が見せる凶悪なメロドラマ(監督自身がこれはメロドラマだと言い切ってる)には唸るように拍手したまま座席に沈殿するしかない。それにしても、この映画に終始漂う“物わかりの悪い感情”を攻撃的かつ知的に捉えた術には本当に驚かされるし、そうした感情を我さきにと呼び寄せてそこへ飛び込んでいく役者陣も脇役に至るまで神経が行き届いて一部の隙もないドラマの緊張感がヒリヒリと心地良い。中でもフィリップ・シーモア・ホフマンが体現するそれはやはり図抜けていて、ジーナが去った後で計りかねた衝動を確かめるようにゆっくりおずおずと部屋を破壊する姿や、ドラッグ部屋で服を緩め酒を注ぎ一人飲み干す時の倦みきった後ろ姿など、内側から壊れて生き腐れていく無様に膨張した肉体からは甘ったるい腐敗臭すら漂ってくるようで、この人が醸すアメリカン・ウェイのデカダンスは代替え不能の身のこなしをする。諦念と憤怒でずたずたになるアルバート・フィニーの血の苦悶、自殺すら叶わず、ならば俺を撃ってくれと兄に懇願するイーサン・ホークがみせる血に媚びる目、そして本来ビッチの役回りながら、これら血の交歓がただ一人“視えて”いたがゆえに踏みとどまろうとしたマリサ・トメイの哀しい健気。この四つ巴のアンサンブルが自重で歩みを止めることを回避したのが冒頭で書いたカットバックによるあしらいになっていて、重厚な流れで押し通せるところをあえて切り刻んだ脚本の妙と、それが刺激的な駆動になることを見抜いて乗りこなしたルメットの慧眼がやはり素晴らしかったと言わざるを得ない私的年間ベストテン入り確実な傑作。原題も示唆にあふれていいのだけれど余計な説明を回避したこの邦題もかなりいいと思うし、ソール・バスがオットー・プレミンジャー作品でなしたようなグラフィック・シンボルも、黄金期ルメットの復活を讃えているかのようで素晴らしい。不謹慎を承知で言うけど、時間はそれほどないのだから早く新作を撮らせないといけないと思うよ。

その土曜日、7時58分 ポスター
 
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October 20, 2008

ウォンテッド/汚れちまった彼女の純情


ウォンテッド
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冒頭で早々にこれが特殊な転がり方をする映画であることを宣言してしまうのでそれは良しとしても、例えば「シューテム・アップ」がそうであったように映画を家に連れて帰ってもらうためのチャーミングを忍ばせる気概が致命的に欠如しているので、悪いけどこういう映画はあまり愛してあげられない。まあ最後の台詞を勘ぐってみてこの映画は実質2回ひっくり返してると思えば、お伽話ですらない妄想の身勝手さで片はつくにしても、腹さえくくれば嘘も真(まこと)になることを「ダークナイト」(しつこい?)で見せつけられたおかげか嘘のクオリティには少々敏感となってるせいで、こんなふうに嘘をつくための嘘ですらない出まかせの嘘にはあまり心弾まずできれば却下したい気分。1000年の昔に機織り職人達が世界の秘密に触れて生まれた暗殺組織なんていう前情報から、バロの「大地のマントを刺繍する」を想像して勝手に盛り上がったりしてたんだけど、機織り機が暗殺対象を宣託するその特異性や個性的な構成員のストーリーを真ん中に据えてほんの少しでも丁寧に語ってみれば(ひっくり返す必要なんかないよ)映画の話として少しは面白くなりそうなところを、列車スペクタクルもネズミ爆弾もただやりたいからやった的な幼稚すぎる無責任さのせいでわざわざモラルのバランスを崩した意味や狙いも全然機能してないし、それにしてはバカ映画を装いつつ神経症的なリズムを見え隠れさせる不協和音に引きずり込まれる瞬間のそれは嫌いな感覚じゃなかったりもするんだけど、それがもったいないなあと思うほどの共犯意識なんかこれっぽっちも感じてないから、とりあえずはこれ観るんなら他に観るべき映画はいっぱいあるよってことだけ言ってお終い。
 
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October 12, 2008

トウキョウソナタ/光差すとも影交わることなし


トウキョウソナタ
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誰もいない部屋で風が新聞紙をパタパタとめくる冒頭から「誰かわたしを引っぱって」と小泉今日子がソファでつぶやくまでは、黒沢清版「岸辺のアルバム」とでも言うような不穏なオフビートが摺り足で進行していたのだけれど、彼女のつぶやきを耳にした誰かが律儀かきまぐれか本当に引っぱってしまった瞬間、彼女が留め金だった佐々木家は分解して父も子も地獄巡りの旅に送り出されることになり、言い出しっぺの小泉今日子はと言えば、彼女が召喚したとも言える愚痴と泣き言にまみれたメフィストを道連れに世界の果てを見に出かけてしまう。この道行き以降、前半でこの映画なりに持ち得たリアリティからどんどんと主に感情的に逸脱して行ってしまうのだけれど、そもそもこれは小泉今日子に「自分は一人しかいません、信じられるのはそれだけじゃないですか」と吐かせるための物語で、海辺の物置小屋でそれを聞いたメフィストは天に還ることを許され、その同時刻、道端で血とゴミにまみれる父は「自分を裏切らないことが他人を裏切らないことなのだ」と眠りの中で目が開き、次男は与えられたギフトの使い途を留置所で確信する。そしておそらく長男も海の向こうで地獄を見据えるべく腹をくくっているはずで、この夜を生き延びた佐々木家にはエピローグでちょっとしたご褒美が与えられることになり、あれを人生の収支に関わるものではなく一瞬差した光の余禄として受け取れるだけの透明な成熟と清潔な諦念を佐々木家が獲得したことを示してハッピーエンドで映画は終わる。というわけで強めに拍手。にしてもやたらと食卓のシーンが登場する作品で、あれをエピローグと言ったのもラストは3人で囲んだ食卓のシーンがふさわしいと思うからで、家族が集まって食事をするという見慣れた光景をこの映画では家族の幻想/仮想をつなぐための儀式として描いていて、それが冷え冷えと残酷であったり静謐を漂わせ救済の場となったりする様こそが家族の目盛りとなっているわけで、それに自覚的だったからこそ遁走の最中にあっても小泉今日子は自分を拉致した男の分まで食料を買い、来るべき食卓に備えようとしたんだろう。ラストに据えた食卓/食事シーンから覚える既視感は「ヒストリー・オブ・バイオレンス」や「逆噴射家族」あたりから匂う気がして、すべて父親受難(それが身から出た錆にしても)の映画なのが面白い。今回は“何も”出てこないパターンの黒沢映画のつもりだったから安心して観てられたけど、夜の浜辺で小泉今日子が幻視するシーンだけは何か出してきたらどうしようかと思ってちょっとハラハラした。ちょっとくらい出してくれても良かったのに。
 
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September 29, 2008

アイアンマン/番頭さんのクーデターの巻


アイアンマン

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誰も彼もが「ダークナイト」のように責任をとるわけにもいかないのは当たり前というか、そもそもそんなことをする必要などないにしても変質してしまったのはおそらくこちらの方なのがなかなか厄介だったりする。そんなわけで「自分は非常に無責任なシステムの一部だった」とちゃぶ台返しで自己批判したあげくに、過去はなかったことにしよう、これからはオレがオレの責任においてコントロールする!と軽やかに空に飛び立つ中年社長のポップな無責任がやたらと爽快で、若気の至りの鬱陶しさとはほど遠いこの辺りの味わい深さは、リアルでも地獄巡りをしてきたロバート・ダウニーJrが醸す侘び寂びの効いたオフビートが全面的に機能したおかげ。ジェフ・ブリッジス、グウィネス・パルトロウ、テレンス・ハワードといった面々もピースとしてはまりながら大騒ぎに加担したあげく、嘘をつくそばからそれをちぎっては投げちぎっては投げしていく作り事の楽しさ面白さに溢れてて、これで「ダークナイト」のリハビリがようやく終わった気がする。番外としてはエンド・ロール後に出てくるのがあの人だったりもしてやはりマーベルは本気であそこまで行く気のようなので、この際社運をかけるくらいの勢いで一大スペクタクルを観せていただければ望外の喜び。

というわけで、あまりに男前な鉄塊ぶりにうっとりしたこれは当たり前のように購入決定。

マーク1-1

マーク1-2
 
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September 26, 2008

最近自宅で観た映画

B001B6IRGQコンドル (ユニバーサル・ザ・ベスト2008年第5弾)
ロバート・レッドフォード, フェイ・ダナウェイ, マックス・フォン・シドー, シドニー・ボラック
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2008-09-11

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八王子映劇とか新宿ローヤルとかその辺りで観て以来で多分20年以上は経ってるはずだけどやっぱり面白くて、「インタープリター」なんかはこれの完全なセルフ・パスティーシュ(作風とも言うか)。破滅フェチゆえにロバート・レッドフォードに手を貸すフェイ・ダナウェイのややこしさなんかは今観た方がしっくり来る感じだし、彼女ってこんなに綺麗だったっけと少しびっくり。あと、レッドフォードが着てるピーコート(襟の立て方とか完璧)はフェイ・ダナウェイの彼氏のだったんだなとか、クリフ・ロバートソン出てたのかとか、貿易センタービルがインサートされないNYロケは味気ないなあとか、やっぱりジョージ・クルーニーのロール・モデルはレッドフォードなのかとか、いろんな事がひっかかってくるし、この頃の作品を観るとやっぱり携帯電話がサスペンスの質と距離感を変えちゃったなあとあたらためて思ったりもする。それとマックス・フォン・シドーを見るたびに思うのは頼むから「ナイトビジター」をソフト化してくれということ。キング・レコードあたりがんばってくれないかな。

B001BAODV0針の眼
ドナルド・サザーランド, ケイト・ネリガン, イアン・バネン, クリストファー・カザノフ, リチャード・マーカンド
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2008-09-05

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これもビデオで観たりしてないから「コンドル」並みのインターバルで久しぶりの観賞。スパイと人妻がそれぞれの孤独に共鳴するサスペンス・スリラーっていうタブで整理してたはずが、徹頭徹尾サイコなドナルド・サザーランドがなかなか気持ち悪くてだいぶ印象変わった。すごくおかしな方に。初めてケイト・ネリガンを抱きしめる時の指先の踊り方とか爬虫類っぽい目つきで舐る感じとか、身障者の旦那を容赦なくぶち殺したり果てはジャック・トランスばりにケイト・ネリガンを追い回すラストとか、サザーランドの変質/偏向/変態を愛する人にはたまらん映画。で、今読んでる『チャイルド44』から直結する「ロシア52人虐殺犯チカチーロ」にはドナルド・サザーランドとマックス・フォン・シドーが共演してたりするので、こちらの再発も是非何とかして欲しいところ。

B000UVXI0813/ザメッティ
ゲラ・バブルアニ
エイベックス・トラックス 2007-10-10

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さしたる対立軸もないので一回りしたら潔く終わってしまう(約90分)サスペンスだけども、極力説明を省いて神経と感情だけをパッケージした感覚は大好きで、お節介なくらい親切に意訳された塚本晋也みたいだ。監督自身によるハリウッドでのセルフ・リメイクの予定もあるみたいけど、かなりの確率で「ホステル」になりそうな気もするからやめといた方がいいと思う。
 
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September 24, 2008

イントゥ・ザ・ワイルド/レジスタンス・ホームシック・ブルース


イントゥ・ザ・ワイルド
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ショーン・ペンの監督作品としては今までで最良の作品。過去作ではアウトサイダーの眼差しがそのままアメリカに抱く被害者意識(それが同情されるべきものだとしても)に直結してしまう気負いとナイーブが映画のしなやかさを奪ってしまう気がして、これじゃ撮ってる本人も辛いだろうに他にやりようがないのかなとこちらも切なくなっていたのだけれど、ここではその痛々しいピュアネスと背中合わせのペシミズムを封印したことで、闇ではなく闇を生み出した光の明るさを描くことに成功しているのがとても良い。原作を読んだのはだいぶ前なので細かな手触りは定かではないけれど、これは小さな反乱でも革命でもましてや緩慢な自殺などでは到底なく、アメリカという国で透明な孤絶を求めた聡明な若者の物語であってクリスの死そのものはアクシデントであるという解釈に手をつけなかった点でも、彼をアメリカへの殉教者にするつもりなど毛頭なかったショーン・ペンの美しい意固地は賞賛されるべき。物語の終盤前、アラスカ出発前にクリスとロンが岩の丘で問答するシーンではクリスが最期の時に獲得する答えがロンによって一度示されていて、それは最期に描かれた青空のヴィジョンに繋がっていくのだけれど、ここでかわされたロンの真理を衝いた言葉の美しさにはおそらく虚を突かれることになるだろうし、観終わった後でシナリオ(シーン116)を読んでみるとその気持が一層深くなっていくので是非チェックを。独善を敢えて押しとどめなかったエミール・ハーシュを始めとして役者はみな片っ端から好演で、中でもクリスの孤絶に哀しく共鳴してしまうジャン役のキャサリン・キーナーとロン役のハル・ホルブルックと、そしてラストのたった1カットで残された者全ての感情を刻み込んで崩壊するウィリアム・ハートに胸をえぐられるし、そこにたどり着いたショーン・ペンがやはり何より素晴らしいと思うのだ。
 
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September 15, 2008

コッポラの胡蝶の夢/君たちは私の作った夢を見ているのだ


胡蝶の夢
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邦題は“コッポラが描く胡蝶の夢の物語”という意味でつけられたのは間違いないにしても、同時に“コッポラが見た胡蝶の夢”という意味を読み取れる気もして、強烈な作家性を発揮してきたコッポラとそのフィクショナルな産物とはすべて胡蝶の夢といっていいのではなかろうかと畏れ多くも総括してしまっている気もしてなかなかに意味深。そんなふうに思ったのもこの映画の不思議に瑞々しい味わいによるものが大きくて、流れる時間に追い越され人生の敗北を受け入れた瞬間に起きた奇跡がもたらす幻想譚を自身と殆ど同じ年齢の主人公を据えて描いてみせたのは、コッポラ自身が再び時間を手繰り寄せてみようと思った決意と意志の表れでもあり、だからこそこの映画は到達ではなく出発の足取りで停滞せずに優雅に溌剌として流れていって澱むことがない。これまでティム・ロスという役者が重宝される理由がよく分からないでいたのだけれど、ここでは時間と意識の狭間を漂う浮草の皮相がはまって好演。また、映画のヴィヴィッドを色づけしたアレクサンドラ・マリア・ララは正統でクラシカルな美しさが結構な破壊力で、ハネケあたりに虐められるのを見たい気がする。上映館渋谷シアターTSUTAYA(旧渋谷Q-AXシネマ)は相変わらず音響も暗闇も素晴らしい環境なのに加えて都内唯一の上映館にも関わらず、昨日の日曜日も何とももったいない客入り。枯れるのでもなく垂れ流すのでもなく洗練という言葉以外にふさわしい言葉が見当たらない巨匠の新たなタッチを発見するか、あるいは西欧幻想譚の秀作を純粋に楽しむか、いずれにしても暗闇で観た方が楽しめる映画だと思うので足を運べる方は是非に。
 
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September 14, 2008

妄執、異形の人々III@シネマヴェーラ渋谷


怪談 蛇女

「怪談 蛇女」
大沼の屋敷内のシーンで天井から下を捉えるカメラアングルがやたらとあるのだけど、これは梁に巻きついた蛇の目線だったのかとさっき気がついた。別に感心するとかそういうもんじゃないけどとりあえず。あと、余計なカット割りをしないでアンサンブルで一気に処理する演出とか今の監督はやらないのかやれないのか分からないけど、これは多分に俳優の問題でもあって、この頃の俳優はみんな顔も体もすごくよく動くからそれが可能だったりするんだろう。これもこの頃の日本映画を観るたびに感じるのだけど、絵空事を絵空事としてそのまま宙に書きつける軽さみたいなものはいつからなくなっちゃったんだろうなと思う。我々ってもともといい加減で楽天的な国民性だから、私小説的な向きよりはそういうもんが合ってると思うんだけどね。


武士道残酷物語

「武士道残酷物語」
これは明治期での加藤嘉のアップがすべての怪作。あの大写しはちょっと吃驚したし、これでベルリン国際映画祭金熊賞ってマジか。でもハラキリのオンパレードでこれなら西洋の方にも理解可能な武士道および滅私奉公だし、最後は個に目覚めるってあたりにあちらの国の方々も満足したんだろうな。でも、そんなことよりも南條範夫原作(「被虐の系譜」)ってことで、天明期の藩主堀安高なんかまんまシグルイのゴア殿だったりしてるのが素晴らしい。兎はホントに矢が刺さって狩ってるし、御前試合のシーンでは「真剣にて立ち合え」って言い出しそうでちょっとワクワクした。あとでもっと凄いこと思いつくんだけどね。これは演じた江原真二郎もはまり役。そんなこんなで全篇を貫くナンセンスとも言える被虐の徹底ぶりはいつしか突き抜けたハイセンスに裏返っていって「京人形」の下りなんか笑うとこか何なのか、ちょっと椅子に座り直したりした。こっちが2本立ての2本目で2時間超の作品だったから、場合によったら途中で帰ろうかなと思ってたけどとんでもなくて2時間あっという間。見直したいシーンもいろいろあるからこれは多分DVD買っちゃうと思う。
 
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September 06, 2008

崖の上のポニョ/ブレイク・オン・スルー・ウイズ・ポニョ


ポニョ
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何かこうサイケデリックな香りがモクモクと漂って、観てる間ず〜っと腰がふらついたままだなんてことを全く予想してなかったので、何だこれ?とニヤニヤしながらも正直ちょっとビックリというかいいのかこんなんで。監督が言う5才の子供にも分かるようにしたかったっていうコンセプトの実現にあたって、ストーリー/テーマ性は商品としての体裁を整える最低限にとどめて(だから設定や世界観はムチャクチャだ)、色と動きのみで5才児をいかにハイにさせるかという一点に宮崎駿の天才と経験がこれでもかとぶち込まれた結果、氾濫乱舞しながら変容する色彩のうねりとただただハイパーアクティブであるために存在するキャラクターとが、瞬間だけ成立すればよいのだというニヒルすら漂わせて行き着く先も分からないまま転がっていく捻れた疾走感が果たして目論見通り5才児をトリップさせたのかどうか、世評なんかよりそっちがとても気になるところ。それにしてもこれは大人にもかなり効きそうな気がして、ベネチアで観てこれは旅のお供にバッチリだぜと閃いた方々は既に多数いるんだろうなと香ばしく推測。まあ経験ないからどんな風に効くのか分かんないですけど。
 
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August 17, 2008

スカイ・クロラ/Heaven's In Here


スカイ・クロラ
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狭苦しい例えで何だけれども、これはティン・マシーンかなと思った。1989年、ソロ・アーティストとして“デヴィッド・ボウイ”というペルソナを御しきれなくなったボウイが突然「ボクはバンドの一員でただのヴォーカリストに過ぎない」宣言をして始めたサイド・プロジェクトは、早熟/老成の天才ソリストにとっては初体験となるバンドが醸す思春期幻想((c)スティング)が新鮮な可能性に映ったのか、“ボクはバンドのメンバーだから”を連呼してやたら一人ではしゃぎまくっていたリハビリ期の遺物で、特に1stは直接的でシンプルにそぎ落とされた肉体回帰的なバンドサウンドは悪くないどころかかなりカッコよかった。売れなかったけど。で、何でそんなもんを引っぱりだしてきたのかというと、押井守にとっての今作がまさにそうしたステップの産物としか思えないからで、背負い込んだ重く複雑な装備を解いてまずは脚本を他人に明け渡し、コントロールのオブセッションを解放し共有することで生まれた作品の直接性(叙事に徹し肉体が意志を著す)は押井守自身があらかじめメディアで躁的に語りまくったメッセージに完全に寄りそっていて拍子抜けするほどで、そうした新しい踊り方に気づいて実際に踊ってみせたことを楽しんでいる風にも見える。ただ、死ななかった/死ねなかった者達のどうしてとなぜならが茫漠と立ち込める地上の陰鬱と、それらが投影する白日夢のような天上の殺し合い(ここだけは押井のエゴがぷんぷんと匂う)は、そもそもこれらすべてが彼岸のゲームである事を考えてみれば死の中に生を見いだせというある種のメメント・モリが起動させた世界であって、だとすれば終わりのない日常にひそやかな生を感じとれなどと言った建前よりは、ラストでカンナミが叫ぶ「ボクはティーチャーを撃墜する」に充てた原詞が"I’ll kill my father!"だった点で、お前らは俺たち大人を打ち倒していけ!というレヴェルを煽るエールこそを有効とすべきだろうと、打ち倒される側であるワタシなどは思ってしまうのだ。だからこの作品を名指しで送りつけられた若者達が、何を寝言ほざいてんだオヤジ、自分の死に様を心配してろ!と愚痴るでもなく素直にこの作品を受け入れたら受け入れたで、引き出しにしまったふりをした押井守の憂鬱が再び無限ループしていく気がするのに加え、申し訳ないが小器用にアーティスト・エゴを飼い慣らすよりはそちらを望んでいる気がするのも確かであって、だからこそそんな危惧を抱かせるほどに纏ったこのグロテスクなスムースは現時点では一見の価値ありということにしておかないとちょっと収まりがつかない気がするのだ。
 
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August 10, 2008

インクレディブル・ハルク/あとはパンツの素材だけ


ハルク
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オープニングのタイトルバックでハルク誕生に関する顛末をハイスピードで展開して、その先のサスペンスに放り込んだところで本篇に突入する一気呵成の流れはアン・リー版の反省からくる宣言だね、これはあれとは違いますという。ワタシは言われてるほどアン・リー版が酷いとは思わないんだけど、バットマンで言えばバートン版なしでビギンズをいきなりやっちゃったのがみんな気に入らなかったんだろうねおそらくは。だもんでここでは余計なドラマは一切排除して善玉悪玉、追う者追われる者、愛する者愛される者をきちんとかみ合わせたまま破綻なく幕を閉じて致命的なボロも出ないまま無事エンディング。ワタシはといえばいまだ“ダークナイト・ショック”の余韻があるから、こういう風に何の切っ先も突きつけてこない無難さが逆に安心できてちょっとしたリハビリ気分。だけども終盤で繰り広げるアボミネーションとの戦いがどうも尻すぼみなのは、両者が動き回る過剰なスピード感が重量感を抑え込んでしまってる不満のせいかもしれなくて、速く動かしすぎるせいで一撃に込められる重力の異常さが際立たないというか、ここはサンダ対ガイラでも良かったのになあと少し残念。これはCGの予算不足とかいうよりは考え方の問題だろうし、大きな重いモノの解釈はアン・リー版の方が勝ってた気がする。あと、クレジットはされてないけどエドワード・ノートンがリライトしたとされる脚本も、自分(ブルース・バナー)以外は割と紋切り型のキャラクターと台詞でそんなに優れてるとは思わなかったし、教科書のように実践した緊張と緩和によるギャグ(らしきもの)もなかなか寒くて「マザーレス・ブルックリン」は大丈夫なのかよとちょっと心配。でもまあ原作好きはこれで溜飲下がるだろうし、エピローグのクロスオーバーなんかもちょっとワクワクかな。
 
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August 04, 2008

ダークナイト/世界は暗く始まり、善は遅れてやって来た


ダークナイト
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2008年は「ダークナイト」を観た年として記憶されるであろう壮絶な傑作。ラバーフェチと白塗りによる善悪問答がどうしてそういうことになったのか、映画としては傑作という言葉を与えておけばいいにしても、この「ダークナイト」という在り方というか思想というかひいては生き方というか、そうした何かが映画から滲み出してしたたり落ちていくのを一滴たりとも逃してはならないという焦燥に息を切らし、けれどそうした羽目に陥ったことへの快感に身悶えするのはこれがついぞ持ち合わせたことがない類の正統な時間だからで、最初にジャパン・プレミアで観て以来、先行上映で2度目を観てもなお「ダークナイト」と口にしてみた時の陶然とした感情をいまだ隠しきれないでいるのは既に脳が豆腐のように揺れてしまったから。そして抜き差しならない世界の構造を一点の曇りもなく光と音と言葉に翻訳してしまったことへの圧倒的な畏怖と、それを端金で誰かれかまわず体験させる不埒なアトラクションに抱く愛憎のないまぜがこういう戯言を吐かせているのは間違いのないところで、ロードショー後は確実に3度目を観に行くにしても、アッパーにしろダウナーにしろカタルシスの欠片もないこの映画に中毒性があるはずもなく、あるとすれば掘り出した世界の背骨が実際それに相違ないかをただただ確認したいという強迫観念の突き上げで、アメリカでの爆発的な興収はこうした譫妄のリピーター達が支えているに違いないと思うのだ。ワタシは3度で済むのかね。

※感想なんか何を書いても上滑りだから、3度目を見て少し熱が下がるようだったらまた書く。
 
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July 21, 2008

歩いても 歩いても/倒したら負けというルール


歩いても 歩いても
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アウトボクサー同士の非常にエレガントな攻防を見るような、是枝監督特有の柔らかな緊張が張りつめたホームドラマの秀作。一見何も起きていないようでいながら、常に何かがざわめいて小さなさざ波を立てている全景を明らかにする一方で、これ見よがしにこちらを誘導するためのカットや役者の動きが巧妙に排除されていることも手伝って、登場人物同士の距離感とこちらとのそれが等しく感じられる錯覚が親密さによるものなのか醒めた視線によるものなのか、息をひそめてついて回るうちに知らず昂ぶる息づかいがいつの間にか映画のリズムになっていく快感。例えば一家が集まっている席で作品タイトルの由来ともなる「ブルーライト・ヨコハマ」がレコード・プレイヤーから流れるシーン、それまでの映画のトーンからすれば唐突とも思えるイントロがその場を制圧した後、一切の台詞がないにも関わらずその歌声と歌詞が登場人物それぞれの胸の内と思惑に取り込まれていくのがあたかも目に見えるようで、これ以降明らかに変わっていく映画の色と相まって、強烈に曖昧な感情がこちらとあちらのどちらに倒れ込もうか決めかねている様に思わず身を乗り出した途端気圧されて押し戻されるようで、ここは間違いなくワタシにとっての白眉。いわゆるホームドラマのご多分にもれず、執拗なジャブとボディブロウ、リードパンチなしでいきなり繰り出されるストレートなど、なかなかに容赦のない感情の応酬がなされるのだけれど、ここで描かれるのは精神的な甘噛みとでも言えるあしらい加減の妙であって相手をリングに這わせることではない点で、それら神経戦のうちに家族の絆が虫干しされ凝りほぐされていく様が一瞬顕わになるのが見てとれるのだけれど、映画を支配するのはそこに差した光よりは良多のモノローグに織り込まれた“いつも少しだけ間に合わない”という感覚の茫洋としたリアルさであって、間に合わなかった分をどうするのかという問いかけが思いのほか跳ね返ってきて少し痛くて慌てたりして困った。ミニマルに均してはいるわけではないのだけれど、横糸と縦糸のアンサンブルのおかげか少々濃いめの役者陣も上手くはまっていて、なかでも家族の埒外で一人戦い抜いた夏川結衣がとても良い。振り切ってしまえばいい樹木希林よりは終始寸止めが要求される彼女の役が補助輪になったおかげで、低速で進む映画が最後まで倒れずに辿り着いたわけだから。一つ難を言えば、風呂場で見えた原田芳雄の体がどう見ても72才には見えなかったことで、老いを振りかざす役だからこそ、あれはメーキャップしておかないとダメじゃないのかな。家族の絆を礼賛してどうのというよりは自分の人生のあしらい方やさばき方の話であって、イイ話を期待していくと少しチクリとやられたりもするので、そちらを楽しみにどうぞと薦めとく。それと、日本の映画には珍しく料理を作るシーンがとても良くて、『青いパパイヤの香り』をちょっと想い出したと言ったら褒めすぎかな(※画像は作中で作られたみょうがと枝豆のまぜご飯)。
 
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July 13, 2008

ホット・ファズ - 俺たちスーパーポリスメン!- /パブ、白鳥、ときどき殺人


ホット・ファズ
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『ショーン・オブ・ザ・デッド』はゾンビっていう大ネタがあったから自分たちがどこで遊んでいるのかとても分かりやすくて、あとはそこにぶら下がってアハアハと揺れる小ネタを楽しんでれば良かったわけで、そうしてみるとここは素直に『ウィッカーマン』をやっちゃえばよかったのになというのが素直な感想。アメリカでのヒルビリーネタとも違う、この田舎ネタというかいわゆる英国伝統のカントリー・ライフっていう流儀をいじるネタ(キンクスのアレが分かりやす〜くインサートされるし)が非ネイティブには中途半端に閉塞気味でどうも弾け足りない気がして、だったら最初から囲い込んじゃった方がもっと内圧が高いギャグが暴発した気がするのになあという話で、良くも悪くも局所戦闘的な閉じ方がエドガー・ライトの持ち味なだけにそのあたりの意図した緩さがワタシにはちょっとばかり効果薄で手放し絶賛に至らなかった理由。でも彼の言う「ぼくらのはパロディじゃないよ、リスペクトした上でのオマージュでありトリビュートだよ」というのはすごくよく分かるし、元ネタが分からなくても(ほとんどのお客は分かんないよね)映画の流れの中できちんと笑えるように投げ方も投げられ方も組み立てていくセンスと熱意はとっても素晴らしくて愛すべき監督だと思うので、これからは新作がすんなりと公開されるように皆様が劇場に足を運んで動員の足しになられんことを願って止みません。あと、ティモシー・ダルトンのはじけっぷりと死にっぷりはまさに英国男子の心意気ってやつだし、その他にもビル・ナイ(台詞あり)、ケイト・ブランシェット(カメオ)、ピーター・ジャクソン(カメオ)といった英連邦の皆さんがここぞとばかりに集結してるので、そっちも楽しんどくといいですね。
 
Posted by orr_dg at 18:11  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

July 06, 2008

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの【ネタバレ】王国


イリーナ・スパルコ
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「野暮」で出来上がってる映画だし「野暮」を楽しむ映画なので余計な野暮は言わないよ。ただ、「野暮」を確信犯でクリエイトする監督が「野暮天」そのもののプロデューサーに妥協せざるを得なかったのであろうことはダラボンの脚本問題でも明らかで、カミンスキーを連れてきてアーティフィシャルなコミック・トーンで奥行きとファンキーを総取りしようとした企みも、ドラマ?う〜ん今それやっても面白くないんじゃね?それより円盤飛ばしたり宇宙人出したりしね?オレそういうの得意だし、監督も前やってたじゃんそういうの?っていうジャイアンリサイタルでおそらく台無し。というわけで、冷蔵庫大脱出から後はフォードがニコラス・ケイジとかブレンダン・フレーザーに入れ替わっても違和感皆無ないつか見た光景だし、お約束の人体破壊シーンも何だか抑えめで、監督が近年ものにしてきたその辺りのスキルもフィードバックされてないのがもったいない。ただワタシは女所長イルザばりのスチルを見た時からケイト・ブランシェット目当てだったからその辺のことはわりとどうでもよくて、それどころか映画がトンチキの迷路に入っていくに連れてどんどんドロンジョ化していくイリーナ・スパルコを見てるのが楽しくて仕方なかった次第で、イデオロギーをヲタ魂が凌駕する瞬間の可愛さ(「ぜんぶ知りたいの!何もかも!」)で映画が持ち直したのは公然の秘密。あとマリオンが終始素面だったけど、インディの蛇と一緒でこういうネタをはずしちゃダメだよね。と野暮を承知で野暮を言ってみました。
 
Posted by orr_dg at 17:23  |Comments(2)TrackBack(0) | Movie/Memo

June 22, 2008

コロッサル・ユース/誰も寝てはならぬ、とは言わぬ


コロッサル・ユース
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冒頭、暗闇の中、ある家の2階の窓から大小様々の家具やら何やらが押し出されるように投げ捨てられる。遠景のショットなので誰の仕業なのかは一切分からず、そうして見続けているうちに、何だかスクリーンそのものがそれらを異物として体内から吐き出しているように見えてくる。そうして続くシーンではその張本人と思しき女性がナイフを鈍く光らせながら問わず語りをし、そのまま暗闇に退場するように消えていく。映画として日常馴染みのあるリズムはここではたと途絶えて、そこから先は固定カメラの意固地なまでのフレームのおかげで幻灯のスライドショウを観ている気分。にもかかわらず圧倒的に映画に沈んでいる気分で居続けられたのは、作為的な無作為と無作為としての作為がいつまでたっても曖昧に拮抗し続ける緊張感のおかげだったのかもしれず、というかその辺は未だによく分かっていないのが正直なところ。ただ、決め打ちの(出所不明な)光と影や不自然なほどドンピシャに決まる構図など(おそらく素晴らしく美しいスチル写真が撮れているのだろうな)に対して、映画の語りの中では機能性を一切持たせていないように見える不可思議さが、そうした混乱に一役買っていることだけは言えると思うのだけれど。その肝心の語りにしても、(アンナ・カヴァン『氷』の廃墟に刺激されて)先日慌ただしく再読したフリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』を手がかりに手繰り寄せた廃墟と亡霊のイメージが頼りだから何とも心許なくはあるのだけれど、そういうつもりで観ていたら見透かされたように“廃墟には憑きものが多い”なんていうセリフが込められていたりもして、まあその辺でワタシは精一杯ってとこかな。ただもう、この映画に関しては仕方ないなという気がしていて、でもそれはあきらめというよりは楽をしようがないという覚悟の問題で、自分で歩を進めないとどこへも辿り着けないし、切実に欲しないと何も与えてくれないよというだけのこと。そう言えば、これって「プレッツェル・ロジック」?ってカットがあったから家に帰って確かめてみたらちょっと違ってたけど、仮にまんまそうだとしてもOK!な軽やかさも放ってあるし、「コロッサル・ユース」というタイトルからして例のアルバムタイトルと無縁ではないみたいから、そういうとっかかりが気になる人は観た方がいいかもしれないし、コメントを寄せてるのが蓮實重彦、青山真治、阿部和重、中原昌也、ジム・オルーク、柳下毅一郎といった面々で、ここまで確信犯的にバイアスかかった映画ってどんなん?と思った方も怖いもの観たさでどうぞ。怖くはないから。
 
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June 15, 2008

イースタン・プロミス/武器は相手のを奪えばいい、簡単だろ?


イースタン・プロミス
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ノワールとサバービアの出会いを乾いた暴力で祝福してみせた前作から歩みはそのままに、それら暴力の寄る辺なきメランコリーを暗闇と密室で圧縮した発展的続篇といってもいい出来映え。足元の不確かさが不穏の手助けをした前作からすると、ここではあらかじめ宣言された場所で血が流される分だけ定型の鈍重が勝る部分は確かにあるけれど、その「鈍」くて「重」い何かが耳をかすめていく得体の知れなさはやはりクローネンバーグ馴染みの流儀で、ガジェットはなくても流れる血の色と濃さが翻訳を果たしてくれるのは相変わらず。半身をあちらとこちらに預けつつ闇から闇へ変容するヴィゴ・モーテンセンが前作にも増して凄まじく、このニコライ役は彼のベストアクトではなかろうか。こういう気味の悪い哀しさはかつてクリストファー・ウォーケンにも漂っていたような気がする。また、どんな役を演じてもついて回るヴァンサン・カッセルの異物感がここでは奏功して、危険に泣く男キリルを酩酊と破壊の内に演じてみせてニコライへの屈折した愛情がストーリーを一層危うくさせてとても良い。そもそもがニコライの性癖を質そうと父親がけしかけたレイプが事の発端で、悪し様にアンナ(ナオミ・ワッツ)を罵る姿など見るにつけ『戦慄の絆』の三角関係を一瞬彷彿とさせたりはするものの、監督が爛れさせたいのは暴力とセックスの絆ではなく、個人を成立させているアイデンティティの絆なのは明らかで、そうやってもっと深いところまで針を刺して根っこをかき回すグロテスクな試みはこれからも続いていくのだろうなとエンドロールでため息を一つ。話題のサウナ・ファイトは、正直ヴィゴのフルチンとかどうでもいいくらい壮絶に痛覚を刺激するアクションで、2人目へのとどめの刺し方が本当に最高でワタシは多分半笑いになってたと思う。そう言えば相変わらずヴィゴ様生写真プレゼントとかあって、配給がアラゴルンの神通力に未だすがる姿には少し泣けるけど、クローネンバーグでそれやっても仕方なくないのかな。まあ、全身刺青オールバック全裸血まみれ素手2人殺傷だから、ある意味ハードコアに武装した妄想としてはありなんだろうし、そんな処に手を伸ばしてしまう人とは話が弾みそうだからいいんだけど。
 
Posted by orr_dg at 21:10  |Comments(4)TrackBack(0) | Movie/Memo

June 10, 2008

美しすぎる母/閑つぶしは穀つぶし


美しすぎる母
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何かというとセックスで会話する人達の話なので、ラストの母子相姦も単なる母殺しの段取りにしか見えなくて、というかそう見えるようにリードしてる実存クン的な監督ははなからインモラルとかデカダンを塗して描く気はなかったようで、じゃあ何をというと、鋭刃の上で均衡する危うくも切実な依存のバランスを神経戦のセクシャリティで描きたかったのだろうけれど、残念ながらあまり上手くいかなかったみたい。息子アントニーはエディ・レッドメイン君がそのノンシャランぶりを上手く演じすぎたせいで母親に取り込まれてしまっているようには見えないし、何よりジュリアン・ムーアがGraceではあってもSavageに振り切れていないのが悲しいかな致命的で、冒頭のあるシーンで彼女が吐き出した”FUCK!”からは一皮むけば四文字言葉が詰まっている具の濃さが臭ってこなくて、この違和感は終始ついて廻ることになって残念。加えて肝心な時にキャラクターへの踏み込みがどうにも甘くなるのは、ノンフィクションの題材にフラットな目配せをした上で観客に差し出そうとしてのことなのか分からないけど、要するにこんなもん接写のねちっこさで手繰り寄せて撮らないでどうするんだというのがケチのついた結論。本来出し惜しみしないはずのジュリアン・ムーアがこういう題材にもかかわらず中途半端な脱ぎなのもちょっと不自然で不満で不発。逆に意味もなく野郎のオールヌードがあるのは監督の趣味だろうと思われるし、エディ・レッドメイン君含めそちら系のフォーカスはピシッと合っているので目の保養としては十分かと。あと、ジュリアン・ムーアのAFが観られますのでそちらもよろしく。
 
Posted by orr_dg at 21:06  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

June 02, 2008

シューテム・アップ/画像の振り上げた右手にご注目下さい


シューテム・アップ
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「Hな彼女の見つけ方 マシューの童貞卒業物語」「エリカにタッチダウン」「ジーパーズ 恐怖の都市伝説」といったいささかしょっぱいフィルモグラフィしか持たない監督の、モーターヘッドやAC/DCが鳴り響き、あげくエンディングにモトリー・クルーが流れるような新作にどういうわけでクライヴ・オーウェン、モニカ・ベルッチ、ポール・ジアマッティと言ったキャスティングが可能だったのかは摩訶不思議にしても、そこに役者としての本能的な嗅覚が働いたのだとすれば慧眼恐るべしと言うしかなく、結果として近来稀に見るゴージャスな妄想ガンアクション・ファンタジームーヴィーに仕上がって私的年間ベストテン入り確実な傑作。ネタ満載のガンさばきと殲滅&回避のアクションはすべてが斜め上を暴走していくので、そのイカレポンチっぷりを字面であーだこーだ伝えるのはまず無理というか意味がないにしても、冒頭、産気づいた妊婦を追う大量の悪党を涼しい顔でデストロイした後で、やおら産婆と化したクライヴ・オーウェンが取り上げた赤ん坊のヘソの緒を妊婦の護身用ワルサーPPKで何気なく撃ち抜いて切断した時点で、何でかしらないけど、ああこれは勝ったなと思った次第。しかも、アクションのつなぎとして無理矢理突っ込んだようなストーリーが銃規制の切なげな色合いまで忍ばせてしまっていて、25000発も銃弾撃っときながら図々しいにもほどがある。でまあ、クライヴ・オーウェンが赤ん坊を連れて銃弾をくぐり抜けると言えばあの映画を思い浮かべるのはたやすいことなので、どうせだから「シン・シティ」と「トゥモロー・ワールド」を足してジョン・ウーで割ったところにグリッケンハウスを掛けたような映画だと言って薦めてみようかというところ。というわけでグリッケンハウスって誰?って人は自己責任でお願いして、知ってる人には至福の86分をお約束しときます。

 ニ・ン・ジ・ン!
シューテム・アップ2
 
Posted by orr_dg at 21:05  |Comments(2)TrackBack(0) | Movie/Memo

May 26, 2008

幻影師アイゼンハイム/手触りがないものはあまり信じません(C)小田切学


幻影師アイゼンハイム
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ミルハウザー原作での、境界を行き来する人アイゼンハイムの内面をロマンスと反逆で彩った微熱のヒロイックが爽快なエンディングを呼び込んだ佳作。30ページ足らずの原作(翻訳和書)では3人称の物語がトピックの伝承形式で語られて、最後までアイゼンハイムその人の意識(どこから来てどこへ行くのか)は謎のままなのだけれど、ここではそれらトピックをサスペンスでつないで彼が人生を成就させる様を描いてみせた脚本家兼監督ニール・バーガーの解釈が、映画そのものを109分の幻影に仕立てて見せてちょっと意表を突かれた面白さ。アイゼンハイムに屈託とシンパシーを嗅ぎ取られ、結局は幻影の一端を担ってしまうことになるウール警部を演じたポール・ジアマッティがまたしても良くて、暗い眼差しから晴れやかに破顔する様まで、この人が見せる独り言のような演技はとても好き。エドワード・ノートンは役者としての気性はかなりタフな部類に入ると思うけど、ショーン・ペンなんかに比べると低速ギアでの走行が可能な人なのでメソッドの暑苦しさがないのがいい。それと、データベースだとフィルモグラフィーが”Motherless Brooklyn(2008)”となってるけど今年中に公開ってことなのかな。エドワード・ノートンが原作(「マザーレス・ブルックリン」)の映画化権を手に入れたっていうニュースからかなりの時間が経ってるし、この主人公を演じるには超絶演技が要求される上に自ら監督もするらしいので、これはおっかなびっくり待ってるというのが正直なところ。この原作には愛着あるし、かなりハードル高い気がするからちょっと心配。ジェシカ・ビールは悪くないけどちょっと精神が健康的すぎて、自分で落とし前つけちゃいそうなタフさが邪魔な気がしたのがもったいない。最近では原作の結末に映画オリジナルのエンディングを加えたという点で『ミスト』と重なるけど、あれとは真逆に明るいところへうっちゃる眩しい結末なので、『プレステージ』では緊張と圧力でぐったりしてしまった人など今度は気楽に臨んでもらえればいいのではないかと。あとポール・ジアマッティのファンは必須ね。
 
Posted by orr_dg at 00:42  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

May 19, 2008

最高の人生の見つけ方/とりあえず一度は○○を○○しないとな


最高の人生の見つけ方
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もう少しロード・ムーヴィーみたいな風情を想像というか期待してたんだけど、観終わってみれば『ファンダンゴ』の末期ガン・ヴァージョンみたいなもんで、製作費のほとんどをギャラで分捕ったと思われる2人ががっぷり四つに組んだビタースウィート合戦はさすがの見応え。普通なら良い子(M・フリーマン)が悪い子(J・ニコルソン)を改心させて悔いなく死出の旅に送り出すところを、同じように死ぬ運命にある良い子の意外な屈託が悪い子の気持ちを揺らすその振れ幅が物語の味わいになって、このあたりのウェットとドライのさじ加減はかつての『シュア・シング』なんかまで引っぱり出したりするわけで、ロブ・ライナーっていう名前が久々にしっくりスクリーンに収まった感じ。で、やたら説明的な邦題の陰には“The Bucket List”(劇中訳だと『棺桶リスト』)っていうなかなかぶっちゃけた原題が潜んでて、口にしたら鼻白むものから法に触れるものまでリストに挙げる項目を自分でもつらつらと考えてみたりもしたけど、まあそんなもんは実現しなくてもかまわないからせめていくばくかの確実な余命だけは残しといてもらって、その間に家のガラクタの行き先に目鼻をつけておきたいなというのが願い。何しろ相方はワタシのガラクタみたいに生活の幅からはみ出るものに一切シンパシーを抱かない質なので全権委任は到底無理だし、ガラクタとは言えワタシの道連れにするのも忍びないからね。というわけで、関係者各位、今のうちにツバ付けといて下さい。
 
Posted by orr_dg at 22:27  |Comments(2)TrackBack(0) | Movie/Memo

May 11, 2008

ミスト/教訓:モップは松明に向いていない


ミスト
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薄明かりの希望でフェイドアウトする原作ラストのその先に、何やら映画オリジナルのバッドエンドが用意されているという情報は割と早い内から仕入れていたものの、ダラボンで『霧』映画化のニュースを知った時から、キングの“いい話”担当が承転のみで起結のない一発ネタの中篇を一体どうするつもりなんだろ?と訝しんでいたのは事実。で、謝ります。お望みなら土下座も辞さぬ勢いで。だってもう、バッドエンドどころか確信と断定に溢れた稀に見るワーストエンドが映画としては痛快この上ないアプローチで感動すらしたし、これをやるために今まで地歩を築いてきたんだとしたらダラボン男前すぎる。肝心の閉所監禁ホラーにしても、悲観と狂気をないまぜにしつつキャラクターを抽出していく手際の良さと、見せたいショットは出し惜しみせずに見せるケレンはさすが百戦錬磨の脚本家の面目躍如といったところ。死のクラウドサーフ誘因から2発目の銃弾に至るまでにみせた恐怖と狂気の集団劇は、一瞬、霧もクリーチャーも脇に追いやってしまう今作のハイライトになって、ここで正式発動したキング馴染みのペシミズムがあのラストを手繰り寄せることになるわけで、なにより賞賛されるべきはキング作品に通底するテーマともいえる“親子の絆/情愛”をああした形で露呈させたダラボンの確信犯ぶりだということはキング自らがあのエンディングを絶賛していることからもうかがえて至極納得。で、ここまで忠実に再現すると言うことは、あの巨物ももちろん出てくるんだよねと、スーパー脱出後はそればかりワクワクしてたんだけど、やっぱり出た!ただ、原作にあったような全体像すら掴めないグロテスクな巨大さという点はオミットされてたけれど、デヴィッド達が抱えていた微かな希望を最後に打ち砕いたキックを観客と共有するという点での全体像開陳は当然だし、何より巨物がクトゥルフの意匠をまとったりしてて、本当にダラボンは分かってくれてるなあとここでもちょっと昂奮。といったような負のカタルシスにあふれた傑作なのでキング好きや原作既読組には躊躇なく薦めるけど、『ショーシャンク〜』とか『グリーンマイル』とかの流れで観ようとするならある程度腹くくっておいた方がいいし、一見感動ドラマ風の正体がバレたら足が早そうなので、同好の士の皆さんはお誘い合わせの上お早めに。
 
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May 05, 2008

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド/吸ミルクセーキ鬼の館


ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
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フロンティアのどんづまりを怪物が通り過ぎていく物語なのかと思ったら、それよりはプラグマティストの憂鬱と感傷(のち咆哮)とでもいった佇まいをキャラクターの陰影がなす輪郭で描いてみせて、まずはシチュエーションありきだったかつての作風からすればギアダウンともいえる重苦しさが逆に新鮮。何しろ全体と細部のスケールが同時に合ってしまうような抑制と緊張を一瞬たりとも途切れさせない、切れば血が滴るような高純度の演出が2時間38分続くわけで、それを浴び続ける快感と消耗でやたら充血した気分。不倶戴天の敵(コングロマリットと宗教)を撃破したダニエルが最後につぶやいた”I’m finished”は、「(俺に関する限りすべて)やり終えた」なのか「俺は終わりだ」なのかその両方なのか、非ネイティヴとしては曖昧な余韻として漂うにまかせるしかないのだけれど、今に至るまで両者(コングロマリットと宗教)が流すこととなるおびただしい血のことを考えると、ダニエルこそがアメリカが持ち得た最後の自由、行動と経験で思索する最後の世代の幕引きにも見えてくる。役者陣では、『キャンディ・マウンテン(ロバート・フランク監督作)』で主役を演じてたケヴィン・J・オコナーの変わりように驚いたけど、もう20年も経てば当然だし、ここでの小さな卑しさを切々と演じる姿は何とも印象的だったので、古い知り合いの元気な姿を見たようで勝手に嬉しくなったりもした。あとはもう、ジョニー・グリーンウッドの音楽は特筆されてしかるべきで、本来の“劇伴”という意味からすれば、一歩踏み込んだというよりはあえて遠ざかるような異物感があるのだけど、それがことこの作品に関しては映画の重たさが腰を落ち着けて流れが一定してしまうのを攪拌するキックとなって素晴らしく機能していて、これは速攻でサントラ購入。今年はこれで珍しくもアカデミー作品賞のノミネート作5本の内4本を観たわけで、やっぱり『ノー・カントリー』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『フィクサー』『つぐない』の順が妥当なのかな。PTAに関しちゃ、若僧にゃまだ早いってとこだったんだろうけど、この地肩を見せつけられると早晩オスカーを手にしそうな気がするので、今度は5年も待たせないでもらいたいね。
 
Posted by orr_dg at 23:03  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

May 03, 2008

NEXT/妄想すれば毛だって生えます


NEXT
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面白かった。ケイジ・ムーヴィーとしては、だけど。原作のミュータント風味を完全オミットしてる時点でディックがどうのとか言いっこなしだし、愛しのジュリアン・ムーアはSci-Fi系の前科持ちだし、リー・タマホリは例のやらかしからのカムバックのはずなのにこれじゃ手を差し伸べたっていうよりは振り払ってんじゃないのプロデューサー?ってとこだし、“2分”先の未来まで予知できるっていう縛りがサスペンスを維持するとこなのに早々にリミッター外してオレ様千里眼状態だし、そんな主役兼プロデューサー様のアイディアっていうか思いつきで脚本変わったせいなのか、思わせぶりに登場したピーター・フォークさえ投げっぱなしですぐに消えてくし、実は劇伴マーク・アイシャムだけどスコア素通りだし、マジで夢落ち寸前のちゃぶ台返しきめてるし、とりあえずは他人に薦めるつもりは毛頭これっぽちもないです。けど、ケイジが見得でも切るように怒ったり笑ったり困ったりしてみせたり、ケイジが毎度お馴染みの着替えシーンでビルドアップボディを誇示して当然ピチT着用だったり、ケイジが素人設定なのに殺陣が不自然なくらい鮮やかだったり、しまいには最新のケイジ嫁(元ウェイトレスの完全素人、ただし美人)まで出演させたり、何かこう自分の子供が砂場で嬉々として遊んでるのを眺めて一瞬ふと満ち足りてしまう親の心境(子供いないけど)に近いものを感じさせたという点で、これは出来の良いケイジ・ムーヴィーだからワタシは軽々とオッケー出すよ。加えて“クールなFBIエージェントを演じるジュリアン・ムーア”でも演じてみようかしらってな風情のジュリアン・ムーアも見逃せなくて、できればケイジを拷問部屋で責め立てるシーンがもう少し粘っこく続けば言うことなしだったんだけど、ケイジに負けず劣らずのトンチキなノリが予想以上にグイグイ来たのでこれまた嬉しい誤算。というわけで、今回はハードルが結構高いので「ウィッカーマン」と「ゴーストライダー」を“劇場”で観た人限定でひっそりとお薦め。
 
Posted by orr_dg at 23:26  |Comments(2)TrackBack(0) | Movie/Memo

April 29, 2008

つぐない/追悼アンソニー・ミンゲラ


つぐない
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物語が産み落とした罪は物語によって贖いましょう、それが世界の創造主たる作家にできる唯一の贖罪なのだから。13才にして現実にコミットするドアに釘を打ち込んでしまったブライオニーは、おそらくは物語を綴りその輪郭を確かめることでしか背中合わせの外世界を捉えられなくなってしまっている。この辺りは、物語に生け贄を差し出すことで罪を贖おうとする原作最終章でみせた呪詛に近い告白からすると、ブライオニーもまた物語の悲劇に掴まった犠牲者なのだとするような締めくくりが実際の喪失を覆ってしまっているような気がするのだけれど、これはおそらくジョー・ライトが意識してのことで、妄想は流麗であればあるほど楔は深く打ち込まれて、はめ殺しとなった楔が引き抜かれる時の違和感(全てはこの女の戯言かもしれない!)はいつまでもざわざわとしてなかなか引いてくれず、この映画が原作に拮抗した部分があるとすればおそらくはそのグロテスクな余韻によってなのだから。オーバーフロウする妄想を必死に追いかける寸足らずな屈託を演じたシアーシャ・ローナンが何と言っても出色。冒頭、屋敷内を走り出す寸前の早歩きでギクシャクと移動する姿は既にバランスを欠いた危うさを一発で焼き付けることで、この作品の神経症的なカラーを鮮やかに決定づけた印象的なシーン。逆にブライオニー77才の告白は原作のモノローグを映像で捉えきれなかったのが残念で、あと20分長くてもいいから原作に漂っていた作家の怪物性で締めくくってもらいたかったなと少しだけ悔いが残る。キーラ・ナイトレイをあしらったメイン・ビジュアルや著名文学作品の映像化、あるいはアカデミーノミネート等々といった前振りのせいで、センチメンタルな文芸作品として見送るつもりの人もいるかもしれないけれど、「ノー・カントリー」同様に原作共々一筋縄では行かないフリーキーな緊張感にあふれた作品なので是非。それと、あれがあれであれなのでできれば原作読まずに行くのをお薦め。
 
Posted by orr_dg at 23:59  |Comments(0)TrackBack(0) | Movie/Memo

April 20, 2008

フィクサー/脇の汗染み、破滅の滴り


フィクサー
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プライドとマイモラルとガッツを懐にシステムやルールに独り闘いを挑んでいく、70年代のシドニー・ルメットがアル・パチーノと組んで撮りそうな映画。原題(”MICHAEL CLAYTON”)が示すようにこれはジョージ・クルーニー演じるマイケル・クレイトンという男の“瞬間の個人史”を描いた映画であって、それゆえラストで果たされた救済にしてもその代償がもたらす砂を噛むようなメランコリーが勧善懲悪のカタルシスなど一切寄せつけず、このあたりのテイストは冒頭の作品群へのリスペクトとその志の再現でもあってかなり好み。監督のトニー・ギルロイは全体のおよそ7割を丹念な下絵に費やしてやきもきするくらい先を急がないのだけれど、ひとたび色を着け始めてからのサスペンスの解放を見る限り、この確信犯的な緩急のコントロールは『ボーン・アイデンティティ』シリーズで発揮したようなスピードは落とさないまま立ち止まってみせる脚本の手腕の先にあるはずのもので、こうしたある種実験的な試みを自身の初監督作で実現してしまう才能と自信と度胸は尊敬に値する。基本的に自身のオリジナル脚本で撮る監督のようだから多作は望めないだろうけど、サスペンスやスリラーのジャンルで印象的なキャリアを残す監督になりそうでこの先が本当に楽しみ。ジョージ・クルーニーは伊達男のイメージの割にノーブルが漂わない俳優なので、たたき上げのエスタブリッシュメントがよくはまる。カレン・クラウダーを演じるティルダ・スウィントンはこの映画を観ようと思ったきっかけでもあって、悪役とも犠牲者ともつかない役どころを閉塞と緊張で窒息しながら演じて鬼気迫る。度々挿入される彼女の着替えシーンは、肥大するストレスとプレッシャーで膨張して弛緩したかのような肉体をビジネススーツで押さえ込んでいく儀式のようで、首から上のシャープネスとの生々しい対比が彼女の不安定をいっそう煽ってみせて、静かに神経の張りつめたこのシーンが添える哀しい彩りからも、嗚咽と混乱のうちに悪役として堕ちていく彼女の裏付けを果たそうとする監督の意図が見てとれて、カレン・クラウダーの物語もまた悲劇であることを付け加えるのを忘れていない。前述したような前半から中盤の7割を仕掛けととるか演出の迷走ととるかにによっては賛否の分かれるところだとは思うけれど、このサスペンスが連想させる過去の映画作品や監督達の芳醇な羅列も含めてこの映画は何だか放っておけない気がするので、尋ねられたら観ておいて損はないよ、だけど主人公があるシーンで手に取る赤い本の挿絵は見逃さないように!と答えるつもり。あれに気がつくかどうかで映画の賛否もかなり変わる気がするから、これから観る人はそこを頭に叩き込んどくのは必須ということで。
 
Posted by orr_dg at 20:20  |Comments(1)TrackBack(0) | Movie/Memo

April 10, 2008

クローバーフィールド/HAKAISHAは青レンジャイだったというネタバレ


クローバーフィールド
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今のところ怪獣映画の極北。この先に続く道はおそらくどこにもないわけで、新たなジャンルの開拓にもフォロワーの温床にもならない投げ飛ばし方が想像以上に清々しい。いわゆる映画における「神の目」を徹底排除した時、切りかわった「誰かの目」が映し出すのはカット割りもインサートもない未編集の連続したシーンの中で全てが起きる光景(のはず)で、映画の中でこの瞬間に出くわした時の昂奮、特に固定されたフレーム内で人が死んでいく時のうわずった昂揚(例えば『その男凶暴につき』の金属バット撲殺、『回路』の飛び降り自殺、『隠された記憶』の頸動脈カット、『ミュンヘン』の女テロリスト射殺、『トゥモロー・ワールド』のジュリアン・ムーア射殺等々)は一瞬「神の目」を手にした錯覚のせいなのかもしれない。ここでの「誰かの目」はビデオカメラの助けを借りてズームなど行ったりなどして映画的に立ち回ったりもするけれど、中盤、地下鉄に逃げ込むまでに繰り広げられる地べたで這いずるスペクタクルを堪能しつつ「誰かの目」に憑依して破壊と死を待ちわびる瞬間はやはり胸はずんでしまう体験で、それだけに “ソルジャー・レギオン襲来”とそれに続く『アウトブレイク』からベス救出に至る辺りで、自ら課したルールに監督も息切れしたのか、あるいはこれじゃあまりにもあんまりだ誰かこれ喜ぶのか?と素面にかえったのか、目線と時間の扱いが急激にイージーになって日和ってしまうのが何とももったいない。ただ、ハッドの最期がまんま『食人族』だったから点は甘くしとくけど。
 
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MUSIC

This Is Still It

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