2010年02月02日

つもった
(マージャン的な意味でなく)
 

2010年01月25日

センターの思い出

季節柄、入試業務が続きます。

ただし、うちの大学は、センター試験の会場として使われることがありません。その第一の理由は「センター試験が安息日の日曜日に重なるから」(大学ホームページにもそう書いてある)。なので、本学の入試にはセンターが導入されていません。

センターで思い出しましたが、私は高校生の頃、母校の盛岡一高から道を一本挟んで信号渡ったところにある岩手大学(通称「岩大(がんだい」)でセンターを受けました。

で、30〜40人入る教室で試験を受けたのですが、なんとまぁ、その教室の受験生全員「佐藤」でした。さらにいえば、友人の別の佐藤君Aは右隣の教室、佐藤君Bは左隣の教室だったので、たぶん、前後の教室もみんな佐藤。

佐藤おそるべし。
 

2010年01月22日

今年度の講義終了

学生とご飯に行く。

自分が学生の頃は、割とそういう機会があったのに、今の大学ではそういう機会が非常に少ない。私がそれをやってない、という意味ではなく、大学全体の風潮として(むしろ、私はそれでもそういう機会を作るのは学内では多いほうだと思う)。

少なくとも、最終講義の後は、しょっちゅう先生とどこか食べ/飲みに行っていた。で、授業全体の大反省会。あの話は正直よく分からなかったとか、こういう話を聞きたかったとか、そんな話を先生に直言してた覚えが。

やっぱ、そこまで含めて「大学」じゃないのかと思う今日この頃。
 
Posted by pensiero at 23:58  |Comments(4)TrackBack(0) | 教育活動

2010年01月20日

なんとか室長

なんかよく分からんけど、いつの間にか肩書きがついた。
 

2010年01月14日

つぶやいてみる

カニ雑炊はうまいなぁなう



ついったーでもないのに、つぶやいてみた。

誰にもフォローされないつぶやきだ。
 

2010年01月11日

大学教育改革プログラム合同フォーラムを見てくる

勤務校にて、文部科学省が推進する競争的資金「大学教育・学生支援推進事業【テーマA】大学教育推進プログラム」(いわゆる教育GP)に採択されたので(というか、実質、私がその企画・立案・実行の総担当者なんですが…おかげで研究の時間皆無)、その関連で、1/8(金)に東京ビッグサイトで開催された「平成21年度大学教育改革プログラム合同フォーラム」に参加。

前日にもプログラムがありましたが、テーマの関係で二日目のみ。よその大学のいろんな取組について見聞を広める。勉強になった、というよりは刺激になった、といったほうが適切か。

あぁ、それにしても、どうして自分がこのプログラムの担当になっているのか、いまだによく分からない。成り行きとは、げに恐ろしきものかな。にしても、この教育GPの正式名称、もっと短くならんもんかね。
 
Posted by pensiero at 03:38  |Comments(0)TrackBack(0) | 教育活動

2010年01月07日

雑誌論文の電子化

日本基督教学会が刊行している雑誌『日本の神学』(いまだにこの名前には違和感を覚えるなぁ)が、いつの間にかJournal@rchiveにて、全文公開されていました。この学会、こういうところは割とフットワークが軽いと思います。

今のところCiNiiでの公開のほうが圧倒的に数が多いですが(特に紀要類)、Journal@rchiveにて公開されている人文系の学会誌も、少しずつ増えてきましたね。『哲学』とか『日本考古学』とか『人文地理』とか『社会学評論』もありますし。各分野の基幹学会がJournal@rchive、という傾向?

というわけで、雑誌に掲載された私の拙論もそれぞれPDFで公開されています。それぞれ、雑誌該当号の総目次にリンクはっておこう。
「満ちあふれる論理――リクール宗教思想の根本概念」『日本の神学』第43号, 2004, pp. 74-96.
「波多野精一の存在-愛-論――無からの創造論に注目して」『日本の神学』第46号, 2007, pp. 31-52.

…おや、よく見ると43号のデータ、私の論文だけデータが欠落してるorz。なんというピンポイントなミス!

なんか恥ずかしいけど、自分で連絡しとくか…
 
Posted by pensiero at 00:55  |Comments(0)TrackBack(0) | 研究活動

2010年01月03日

川越市伊佐沼周辺 コンクリ水門他

年末、久々に自転車で遠出し、川越まで行ってきました。川越でもいろいろ見たのですが(主に近代建築)、以前一度探検した、自宅から川越の途中にある伊佐沼近辺をもう少し見たかったので、まずはそちらを探検。で、いくつか面白いものを見つけたので、ちょっと報告。

kawagoe_1_map_01.PNG
伊佐沼は、さいたま市内あるいはその北の上尾市内から川越市街地に西進する途中にある天然沼です。一帯は水田地帯で、伊佐沼はその農業用水の水源として重用され、この一帯には、伊佐沼に流れ込む、そして伊佐沼から流れ出る無数の用水路が張り巡らされています。
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Posted by pensiero at 08:16  |Comments(0)TrackBack(0) | 探検ぼくの町in埼玉

2009年12月31日

年越しそば

dinner25.jpgさっき食べたソバ。シンプルイズベスト。ソバつゆは(写ってないけど)自作。左上に見えるのは、おろしたワサビ(ちょっと前に行ったソバ屋で、おろしワサビが余ったので持って帰ってきたやつ)。

これに、板ワサ(という名の、カマボコ+ワサビ醤油)をつまみにつけて、ソバ焼酎のソバ湯割を飲みながら、晩御飯にする。粋だ、粋すぎる、今年の我が家。たぶん、生ソバタイプだから、ソバ湯を飲んでも大丈夫…だと思う。

ともあれ、今年一年、お世話になりました>皆様
 
Posted by pensiero at 21:22  |Comments(0)TrackBack(0) | 食べ散らかした

2009年12月28日

落丁

次の研究用に、以下の本を狙い済まして購入。物質-痕跡-時間-記憶といった考古学的問題系について、フランスでも考えている人がいるらしい。

Laurent Olivier, Le sombre abîme du temps: Mémoire et archéologie, Seuil, 2008.

たとえば、第7章のタイトルは「パリンプセストと対象-記憶(objets-mémoire)」、第8章は「フォルムの生物学」だったり、もうタイトル見るだけでもいい感じ。実際、哲学や美学だけでなく、考古学的議論もびしばし使ってる。

…んだけど、何かおかしい。巻末の文献一覧が、やけに少ない。Aから始まって、Bの著者が…Bergson, Berque, Bertrand, Biel, Binford, Binswangerと並んで、ビンスワンガーで終わってる。あれ、こんだけ?

………やられた、これ落丁だ!!

何ページ落ちてるんだ?と思って目次を探す。…うおおぉぉぉ!目次もねー!!!フランスの本は、日本とは異なり、目次が本の最後についていることが多く、この本を出しているスイユ社の装丁もそのタイプ。で、巻末の文献一覧だけでなく、目次まで落丁で抜けてるよー!

なんてこった。amazon.frに連絡して、フランスに返品して、とかできるのか?でも、amazon.fr読むと、到着してから30日以内にどうのこうの、って書いてある。確かこれ、もう30日過ぎてるはず。うあー、無理っぽい…。

しょうがない、もう一冊買うか。あーぁ。
 
Posted by pensiero at 20:21  |Comments(0)TrackBack(0) |

2009年12月27日

大宮駅東口 大門地下道

JR大宮駅東口から出て、駅前大通り(国道214号線)を50mか100mほど歩いたところの南側に、高島屋があります。

oomiya_under_map.gifしかし、その通りの北側に、前から気になっていたものがあります。それは「地下道(地下街?)への入り口」。しかしこの地下への入り口、いつ行っても鉄格子で封鎖されている。とても気になっていたのですが、たまたま今日、大宮に買い物に行ったら、地下への入り口が開いていました。

地下道の正式名称は「大門地下道」。うかつにも地上からの入り口を撮影し忘れたのですが、googleストリートビューで入り口が確認できます。バス停みたいに屋根がついているところに、地下への階段らしきものが見えるはず。

というわけで、いざ探検へ。(携帯画質なので失礼)
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Posted by pensiero at 22:49  |Comments(0)TrackBack(0) | 探検ぼくの町in埼玉

2009年12月26日

拙論をレビューしていただく

伊皿木さんのblogにて、拙論についてのレビューをいただきました。
「佐藤(啓)2009「物質と時間」 [論文時評]」(2009/12/24)

論文自体は、既発表の論文や、web上では公開している内容を総合した域を超えないため、それらに目を通してくださっている伊皿木さんにとっては、あまり新しい内容には映らなかったのではないかと、個人的に心配。(一応、自分の中の二種類の痕跡論を一つにまとめ、それを事物の時間論と存在論として提示した、という点では、新しい展開を示したつもりなんですが)。にもかかわらず、好意的なレビューをいただき、感謝です。

最後の一文では、次のような表現が。
美術雑誌という舞台で、哲学者がレヴィナスとハイデガーを踏まえて、考古学が有する新たな可能性について論じる。ここにこれからの考古学という学問の歩むであろう一つの道筋が、鮮やかに指し示されている。
私は「哲学者」などと呼べるものではなく「哲学研究者」にすぎないのですが、確かに意図としては「人文学における考古学の可能性」(≠歴史研究の方法としての考古学の可能性)を引き出そうとした論文ですので、こうした評価をしていただけるのはありがたい限り。
 
Posted by pensiero at 22:15  |Comments(0)TrackBack(0) | 研究活動