2005年05月25日
物質と記憶
思うに考古学は、専門外の人からすれば、非常に不思議な物質の世界を描き出しています。それは、「ウン十年ウン百年にもわたって、個人を超えて同じ形のものが作られ使われていた」という世界です。私たちは、人間的行為に関して、何か「はっきりとした記憶」が残されているから、同じ行動がなされるのだと考えがちです。逆にいえば、記憶が失われた場合、もうその行動は継承されないと考えたくなります。で、そうした考えの前提となっているのは、私たち人間こそが記憶の担い手であり、私たちが担わないと記憶はなくなってしまう、という発想です。つまり、記憶とは「私たちが何かについて覚えている」ものだという、志向性モデルに基づいている。
ところが、考古学が提供するのは、そうしたいわゆる「はっきりした記憶」がなくとも、人間の行為は長期スパンで継承されうるという事実です。その継承の背後にあるものを記憶と呼ぶのかは難しい。が、あえて図式化するならば、考古学が提示しているのは、記憶の主体が不在の記憶、ものの形のみが担う記憶、志向性なき記憶だと言うことはできないでしょうか。端的にいえば「記憶という語を人間の占有物だと考える必要があるのか?」と。
そう考えるなら、突き詰めれば、「私たちがものを媒介として記憶を継承していく」のではなく、「ものが私たちを媒介として記憶を継承していく」とさえ言えるのかもしれません。おぉう、まるで遺伝子。
岡安さんの歴史と記憶、考古学の場合に触発されて。ところで、トラバできてるのでしょうか。まー、いいか。
ところが、考古学が提供するのは、そうしたいわゆる「はっきりした記憶」がなくとも、人間の行為は長期スパンで継承されうるという事実です。その継承の背後にあるものを記憶と呼ぶのかは難しい。が、あえて図式化するならば、考古学が提示しているのは、記憶の主体が不在の記憶、ものの形のみが担う記憶、志向性なき記憶だと言うことはできないでしょうか。端的にいえば「記憶という語を人間の占有物だと考える必要があるのか?」と。
そう考えるなら、突き詰めれば、「私たちがものを媒介として記憶を継承していく」のではなく、「ものが私たちを媒介として記憶を継承していく」とさえ言えるのかもしれません。おぉう、まるで遺伝子。
岡安さんの歴史と記憶、考古学の場合に触発されて。ところで、トラバできてるのでしょうか。まー、いいか。
この記事へのトラックバックURL
http://blogs.dion.ne.jp/pensiero/tb.cgi/1157907
この記事へのトラックバック
期せずして(いや少し期したかな)、佐藤さんをブログの世界に引っぱってきちゃったみたいです。いずれにしても、トラックバックありがとございます。私もまだ慣れてなくて、しばらく頓珍漢なことを言ったりやったり..
型式学に進化論を本当に導入しちゃえるか?【考える野帖(考古学情報広場)】 at 2005年05月25日 19:35
型式学と進化論については、二つの議論を思い出す。 一つめは、佐藤さんの「物質と記憶」に触発されての思いつきから。 型式学に進化論を本当に導入しちゃえるか? 2005-05-25 19:34 期せずし..
型式学に進化論を導入できるか? 05年5月の記事に関連して【考える野帖】 at 2010年07月01日 05:05














